夜の新宿中央公園
その日、アヒルは何度もオーダーを聞き間違え、多分会計も1,000円くらい間違えた。
全然仕事にならなくて、店長に何度も注意され、洗い場に引っ込められた。
そこで今度は皿とコップを3個壊し、ケーキ用のフォークを2本、流し台の隙間に落とした。
ヒゲが濃くて頭が薄い店長は、レナから7月いっぱいで仕事を辞めると言われ、それがさっきの勤務交代の時の雰囲気で、恐らくアヒルのせいだろうと判断したようで、八つ当たりのように冷たくしてきた。
それでもようやく9時の閉店になったので、アヒルは店長と、夕方から来た大学生の男にさっさと「お疲れ様でした」と言うと、タイムカードを押して更衣室に戻った。
ロッカーを開いて、扉の内側の小さな鏡を見る。
そこに映った不機嫌のかたまりのような自分を見て、思わず大きなため息が出た。
こんな顔で出されたコーヒーが、美味しいワケ無いよ……
あの店がヒマなのって、ひょっとしてあたしのせい??
アヒルはヘアゴムを解き、ピンを乱暴に外すと、両手でクシャクシャと髪をほぐし、頭を抱え込んだ。
もう、いつも通りだよ
いつものあたし
何も変わらないよ、ハナコさん……
笑えない……
それからアヒルは、のろのろと黒のフレンチスリーブのカットソーと、カーキ色のクロップドパンツに着替えると、少しヒールのある、黒のエナメルのサンダルに履き替え、重い足取りでロッカールームを出た。
非常階段を上る元気も無かったので、エレベーターで地下から一階へ昇り、すでにほとんど人気の無いロビーを横切り出口に向かう。
すると、ロビーの真ん中を通り過ぎた辺りで、
「アヒルちゃん!」
と、後ろから声をかけられた。
またかよ!
アヒルはうんざりして、振り向きざまにキツく言い放った。
「もう、何なのよぅ!」
するとそこにいたのは、ラフテー卓也ではなく、意外にも松野ユウキだった。
はぁ?
どっちにしても、アヒルは険しい表情になった。
「おっと、どうしたの?なんか怒ってる??」
ユウキは、裾を折り返した細身のデニムパンツに、白の五分袖の清潔なシャツを身につけ、ハイカットのスニーカーを履いていた。
シャツと同じように、清潔で洗いこまれたスニーカー。
そして合コンの時と同じように、爽やかな笑顔を浮かべて、なれなれしく話しかけてきた。
「バイト終わった?タクヤからラストまでって聞いて、たぶん9時だろうと思ったからちょっと待ってたんだ。オレも9時上がりだったから」
「……何ですか?」
アヒルは憂鬱そうにユウキの爽やかな、でも油断ならない笑顔を見返した。
ユウキはタケルの地元の後輩だと言う。
それなのに、タケルのことをレナにあんなふうに言うユウキのことは、信用できない気がした。
「ちょっとさ、俺、話したいことがあるんだけど、少し時間ある?」
「はぁ……」
覇気のない曖昧な返事。
「下で飲まない?シュンが一杯おごってくれるよ」
「いえ……ちょっとお酒はしばらく…… 」 それにラフテー、まだいるでしょ?
「そう?じゃ、外で話そ」
ユウキはそう言うと、口元だけで軽く笑い、重そうな四角いナイロン製の手提げカバンで、ビルの出口を指し示した。
高層ビルの外に出ると、夜でもムッとするような熱気が体を包む。
整備された歩道の植え込みの所々から、クビキリギスの暑苦しい鳴き声が聞こえてくる。
もうすぐ本格的な夏がやってくる証拠だ。
ユウキは、手提げカバンを肩にひっかけるようにして、少し猫背でゆっくりと歩いた。
アヒルはその少し後ろを、他人のような距離を保ちながらついて行く。
こんなところ、万が一レナちゃんに見られでもしたら、今度こそ半殺しの目にあうかもしれない……
そう思うと、アヒルは気が気じゃなかった。
ユウキはどうやら新宿中央公園に向かっているようだ。
途中、羽アリのたかった自動販売機の前で立ち止まり、冷たいコーヒーを買い、
「アヒルちゃん、何飲む?」
と訊いてきたが、アヒルは首を横に振った。
無言のままユウキに従い、長い広い歩道橋を渡って中央公園の噴水広場に着く。
広場には、夜だというのにたくさんの人達が集まっていた。
スケートボードやBMXを自由に操り、奇声を発する男の子達。
ストリートダンスの練習をする、派手な格好のやたらやかましい一群。
そしてそれを暇そうに見物する女の子達。
アヒルは、夜の中央公園なんてホームレスしかいないと思っていたので、こんなたくさんの、同じ年くらいの連中が集まっていることに驚いた。
ガーーーーーーーーーッ … カコンッ!!
痛ッテェーーーーー!!
ギャハハ!!
ガーーーーーーーッ カツッ! ガーーーーー、ガーーーー……
スケーター達は、固い地面を臆すること無くスピードをつけて滑走し、自分達で作った障害物を軽々と飛び越え、時には派手に転がり、笑い声をあげていた。
「たまにね、バイト終わった後、タクヤと一緒にスケボしに来るんだ。オレは全然下手だけど、あいつはすごく上手いよ」
「……」
「今度、教えてもらう?あいつに。みんなでさ」
アヒルは返事をしなかった。
ユウキは噴水広場が見渡せる低い階段に座り込み、ヒラリと気持ちよく宙に舞うスケーターを見ながら、缶コーヒーのキャップをひねった。
アヒルは、ユウキとはだいぶ間をあけてしゃがみ込み、同じように彼らを眺めた。
昨日の海も、この公園も、なんだか不思議なカンジ……
暗い公園と、眩しい海岸の景色が頭の中で重なり合い、その中で誰かの楽しげな笑い声が響いてくる。
ぼんやりとその声に耳を澄ませながら、一人のスケーターが派手に転ぶのを見ていると、ユウキが訊ねた。
「タクヤには興味無い?」
「ありません」
アヒルが、びっくりするくらいきっぱりと即答したので、ユウキは思わず噴き出した。
「ブハッ!!ハハハハハハッ、、、俺、それ報告すんのやだなぁ〜」
「報告って……タクヤくんにソレ頼まれたの?」
「やぁ、頼まれたって言うか……あいつ君のこと、相当気にしてるみたいだから」
おせっかいなヤツ。おしゃべりだし……
「あたしに話って、ソレですか?」
ムスッとした表情でアヒルは訊いた。
ユウキはコーヒーを一口飲み直すと、やはりスケーターの動きを目で追いながら答えた。
「アヒルちゃん、レナちゃんに……
ガーーーーーッガーーーーーーーーーッ
カツッ Yeaaaaah……!!
タケルさんとやったって言ったんだって?」




