海の似合う服を探しに
アヒルは、いつもより早く身支度を済ませ、昼前には新宿に向かった。
コーヒーショップのバイトは午後3時からだったけれど、せっかく早起きもしたし、仕事の前に夏物の服が見たくなったのだ。
おもちゃの列車みたいな短い編成の池上線に乗って、五反田へ出て山手線に乗り換える。
新宿方面行きの電車には、営業先に向かうサラリーマンや、アヒルと同じ年くらいの若いカップルや、やる気の無さそうな学生、大きなベビーカーを片手で抑えながら携帯電話に見入っている若い主婦などが、互いに無関心に、バラバラと乗っている。
アヒルはそんな中で、シートには座らず、電車の扉にもたれながら、自分が送信した携帯メールを再チェックしていた。
昨日、レナには館山駅を過ぎた辺りから、内房線の中で短いメールを送った。
『返信、遅くなっちゃってゴメンね!今日は二日酔いでダウンしてました。
なんだか酔っぱらって、みんなにも迷惑かけちゃったみたいで本当にゴメン。
詳しくは明日話すね』
ユリエにも、ほとんど同じような内容を返した。
訊かれた事への答えには全くなっていなかったけれど、当たり障りのない返信だったと思う。
『店を出た後、酔って吐いたあたしは、タケルさんに服を脱がされ介抱され、
それから海に向かい、秘密の入り江で夢のように美しいハナコさんと、
少年のようなホナミんさんと出会い、素晴らしい一日を過ごし、
そしてタケルさんに恋をしてしまいました』
なんてことは、タケルに対して好意を持っていた様子のレナには
決して言えないことだった。
しかし、そもそもレナとユリエは、どこまで知っているのだろうか。
タケルがレナに、アヒルの連絡先を教えてくれと言ってきた時、タケルは何か、状況を説明したのだろうか。
分からない。
そして、レナからもユリエからも、それきり返信はない。
それがなんだか、アヒルには怖かった。
理由はどうあれ、一晩一緒にいた、という事実は出来れば知られたく無い。
ラフテー卓也からも、あれからどうしたのか?という内容と思われるメールが、アヒルが寝ている間に届いていたけれど、卓也には返信する気にすらなれなかったので、そのまま放置した。
こいつ、男のくせに絵文字ばっかで、
何言いたいんだかぜんぜんわかんないし……
なにコレ?石器時代の壁画かっつーの
卓也のことなんかよりアヒルは、
『急いで連絡したいことがあるから』
と、わざわざレナに自分の連絡先を訊いておきながら、結局、電話もメールもしてこないタケルのことを考えていた。
ひょっとしたら、レナちゃんに連絡する口実に、あたしを使っただけかも……
昨日はそのことで浮かれていたが、今となってはその可能性の方が、十分あるように思える。
ハナコとホナミにも、今日の午前中に、丁寧なお礼のメールを送った。
しかし、二人からも返信は来ない。
今頃、あの不思議な女の子だらけの空間で、ステキなランチタイムを演出してるのかな……。
あたしのことなんてもう忘れて、今日は今日のお客さんに、最高のおもてなしをしているのかも。
そりゃそうだよね……あたしなんて、お客ですらなかったし、それに、あの場所にふさわしくないし……
そんな暗い考えが、頭にふつふつと浮かんできたが、アヒルはそれを吹き飛ばすように フッ! と短く息を吐く。
そして昨日の帰り際、ハナコがアヒルにしてくれたように、自分で自分の口元を、両手の人差し指でムニュッと持ち上げ、
笑え、あたし
笑うときっと、ステキなことが起こるから。
そうやって、ハナコの言葉を自分に言い聞かせた。
すると、ベビーカーに座っていた赤ちゃんが、不思議そうにアヒルのことを見上げているのと目があった。
アヒルは人差し指を口元に当てたまま、赤ちゃんに向かってニッ!と笑って見せた。
赤ちゃんは一瞬びっくりしたような顔をして、それから キャッキャッ!と手足をバタつかせて笑い出したので、携帯を眺めていた母親が顔を上げて、アヒルの方を向いた。
アヒルは慌てて顔をムスッ!とへの字に戻すと、窓ガラスの外に視線をそらせた。
間もなく新宿に着くと、アヒルは南口から駅を出て、駅ビルとその周辺をぶらぶらと歩いた。
ショップのウィンドーの中は、色とりどりの夏の勝負服たちで華やいでいた。
胸元にレースや、キラキラとしたビーズの付いたキャミソールに
ふわりとしたプルオーバーを重ね着し、その上にさらに透かし編みのボレロニットを羽織り、フレアーショートパンツの下に、さらにカラーレギンスとか……。
それらの服と一緒に、ヒールのある華奢なサンダルや、ざっくりとした天然素材で編まれたショルダーバッグ、頭にちょこんとかぶる、ストローハット、ガーゼのサマーストールなんかまで添えてディスプレーされていて……。
ハイビスカスの造花や、浮き輪やサーフボードまで持ち出して、『これでもか!』というほど夏を演出している店もあったけれど、アヒルはそんなウィンドーの中のマネキン達を見ながら、今まで感じた事の無いような違和感を覚えた。
昨日、こんなカッコの人、いたか??
ハナコやホナミはもちろん、あのラウンジに来ていた女たちは、
アヒルにはみな綺麗に見えた。
まだ初夏だと言うのに、美しく日焼けした素肌を惜しげも無く露出し、色の抜けた濡れた髪を、ざっくりとかき上げたりするちょっとした仕草や、ソバカスの浮いた頬で、歯を見せて大きく笑う、太陽のような明るさ。
彼女たちは、水着の上に、体に馴染むしなやかな生地の衣類を、
ほんの申し訳程度に身につけているだけで、足元はせいぜいビーチサンダルか、もしくは裸足だった。
海だから。
とも思ったけれど、いわゆるビーチリゾートと言えば、逆にもっとデコラティブな、目も当てられないような人達で溢れている気がする。
なんでだろう……
何が違うんだろう?
アヒルが今日、なんとなく夏の服が見たくなったのは、昨日のサーファーの女の子達のようなイメージで着られる、シンプルで自然な雰囲気の服が、どこかに売っていないかと思ったからだ。
けれど、アヒルがいつも見て回る店には、そんな服は見当たらなかった。
たかがビーサン、たかがTシャツ。されど、なかなか見つからない。
仕方ないので服はあきらめ、取りあえずお決まりのコスメ雑貨の店に行って、リップスティックだけ買うことした。
ヌードベージュのリップスティック。
ハナコが貸してくれた数本のルージュの中から見つけたその色。
それは、アヒルのコンプレックスである薄い貧相な唇を、一瞬でカバーしてくれる、魔法の色になりそうだった。
店の小さな鏡を見ながら、テスターを何本か塗ってみて、自分の肌に一番合う、値段の手ごろなモノを一本購入した。
そして早速、トイレの洗面所でパッケージを開けて、自分の淋しげな唇を塗りつぶしていく。
少しオーバーリップ気味に塗っただけで、アヒルの唇は柔らかく、温かそうな色に生まれ変わる。
その上に、いつものピンクのグロスを重ね塗りして、上唇と下唇をなじませるように合わせると、鏡の中には、いつもと違う自分に少々困り顔の、でも、はにかんだ笑顔を浮かべたアヒルが映っていた。
うん、きっと大丈夫!!
そして胸に手を当てて大きく深呼吸すると、洗面所を出て地下道を通り、高層ビルの立ち並ぶ西新宿へと向かった。




