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あたしはアヒル2  作者: るりまつ
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帰路



 タケルの空色のワンボックスカーは、暗闇の中、海沿いから低い房総の山道へと入って行く。


 低い山道とは言っても、一部の主要な場所以外は、狭くてかなり入り組んでいるので、通い慣れない者にとっては走りにくく、迷いやすい。

 おまけにアスファルトの状態も荒れている所が多い。

 もっと広くて、日中なら見晴らしも良く、走りやすい道もあるのだけれど、なんだかその時はわざと面倒臭いクネクネした道でスリルを味わいたくなったので、真っ暗な山道を窓全開にし、80年代の騒音のようなロックを聴きながら車を走らせていた。


 この手の音楽は、哲郎がまだ高校生だったタケルを海に連れて行った帰りに、眠気覚ましによくかけていた。

 眠気がいよいよ強まってくると、二人で頭を激しく振って、下手クソな発音で怒鳴り合うように歌ったのが懐かしい。


 タケルは、サーフィンに限らず、聴く音楽や服の趣味、何においても、哲郎の影響を強く受けていた。(それは女に関することにも言えたと思う)

 その当時のタケルにとっては、哲郎のすること全てが最高にカッコ良く、哲郎と、そのショップの仲間達と一緒に過ごす時間が何よりも楽しかった。

 土日だけでなく、平日もちょくちょく学校をサボっては海に連れて行ってもらった。

 そのおかげで、サーフィンはめきめき上達したが、高校を4年かけて卒業する羽目にもなった。

 けれどタケル本人はそんな事、あまり気にしてはいなかったし、哲郎も自分のせいだなんて、これっぱかしも思っていなかった。


 峠道はますます細くなり、急カーブの縁を守るガードレールがへしゃげていたり、削られた山肌を覆う太い金網の中に、大小の落石が溜まっているような所がいくつかある。

 ボロボロのこの軽自動車は、アクセルを踏み込んだり、エンジンブレーキがかかるたびに、ゴーカートのような安っぽい大げさな音を立てるのだけど、それがまた愛嬌があってタケルは好きだ。


 タケルはこの車のために、学生のくせに2万円も払って、下北沢のアパートの近くに狭い駐車場を借りていた。

 サーフィンスクールで海に客を連れていく時は、バイト先のブルーガーデンの立派なハイエースを使う。

 店長の井田は優しいので、スクールの日と重ならなければ、ガソリン代さえちゃんと払えば、個人的にそのハイエースを使うことを許してくれる。

 なのでタケルも始めのうちはそれに乗って、悠々と海に一人で通っていたが、そのうち、店の名前が大きく入ったその車自体を、負担に感じるようになった。


 ブルーガーデンは、サーフショップと言っても、ボードの種類や本数はとても少なく、タケルからしてみれば、単なるアパレルショップに、ディスプレー用のサーフボードが置いてあるだけのように感じられてしまう。

 哲郎の小さな店に、ボードが気持ちよく、ズラリと並んでいたのと比べると、全く物足りない。

 タケルにとってはそんな程度の店だったが、サーフ業界ではちょっとワケが違った。


 社長の御園生が、メジャーなサーフィンの大会やイベントに、スポンサーとして、いつもかなりの大金を出していたので、ブルーガーデンの名前やロゴを知っているサーファーは多い。

 サーフィンをしない人でも、ブルーガーデンは知らなくても、セレクトショップの『GREEN GARDEN』の方なら、ファッション雑誌に目を通す人ならたいがいは知っていた。

 なので当然、『店のハイエースで出かける=ブルーガーデンの看板を背負う』と言うことになり、この車で海に行くと、知らない貫禄のあるオッサンサーファーや、サーフ業界らしき人から、「御園生さん、元気?」とか、「社長、東京にはたまには来てるの?」とか、しばしば声をかけられた。


 始めはそういった人に顔を覚えてもらえるのも嬉しかったが、そのうち

「先週、あそこのポイントにいたでしょ」とか、「こないだの女の子は今日、一緒じゃないの?」とか、一々プライベートについてまで言われるようになってきて、何だか海での行動をいつの間にか監視されているみたいで、息苦しさを感じるようになっていった。


 そして結局、バイトを始めて1年位から、実家に置いたままになっていたボロい愛車を復活させる為に、ブルーガーデンで貰う少ないバイト代で、駐車場を借りる事にしたのだ。

 そしてその愛車に、サーフィンを始めた頃はベタベタと貼り付けていたサーフブランドのステッカーも全て剥がしてしまい、今は実家の神社の交通安全のシールと、父親に特別にお願いして作ってもらった、『波乗満願成就』のお守りだけを、バックミラーにぶら下げて、一見、釣り人の物のように見えるその地味な車で、一人で海に向かうことが多い。


 タケルは人に注目されるのが苦手だった。

 それは自意識過剰、と言ってしまえばそれまでのことだけれど、その根の部分は、神社という特殊な環境に生まれ育ち、羽目を外すことが難しい子ども時代を過ごしたことが大きく影響していたのは確かだ。


 タケルの実家は、佐倉市の印旛沼という大きな沼のほとりにある、古い時代から、成田街道を行き来する旅人達に信仰され「大沼サン」と呼び親しまれてきた神社だった。


 大きな石の鳥居をくぐると、短いながらもきちんと玉石の敷かれた、手入れの行き届いた参道があり、立派な造りの拝殿と本殿があり、拝殿の手前を横に抜けて少し奥へ進むと弓道場があった。

 その周りは広く深い、鎮守の森となっていて、森を抜けると沼のほとりに出られる。

 自宅はその森の外れにあり、これまた古い昔ながらの大きな木造平屋建てで、そこに両親と祖母と4人で暮らしていた。


 田舎ゆえ、敷地の境界線が曖昧で、タケル自身も、どこまでが自分の家の庭と言えるのか良く分からないまま、

いつも森や田んぼや、沼の周りを遊び場として自由に育った。

 自由に、とは言っても、もちろん将来は神社を継ぐ一人息子として、恥ずかしくないよう、礼儀作法に関しては相当厳しくしつけられた。


 弓道場には、昔からの氏子の子どもや、近隣の新興住宅地に引っ越してきた若い世代の子ども達が、礼節を学ぶという目的で、わりとたくさん通っていた。

 その中で、タケルは小さい時から、いつも良いお手本であり、そして、新旧二つの「子どもらの派閥」の調整役でもあった。

 なので、子ども達の絶大な信頼を受ける半面、やっかみや嫉妬を買うことも多かった。


 そして、その神社が、大昔から少々風変りな祈祷を行う事で有名だったため、しばしばそれを理由に、タケルに反感を持つ同級生や先輩連中から、ひどい中傷を受けることもあった。

 タケルは、大抵の嫌がらせについては、幼い頃から慣れてしまっていたので、心の中ではどんなに腹が立ったり、悲しい思いをしたとしても、一見、超然とした態度でいる事が出来た。


 しかし、次第に「肉体」という入れ物と、「心」という中身が、日々大きく変化していく年頃になると、ふとした時に、バランスを取るのが難しく感じられることが増えて行き、そしてある日、そのバランスが大きく崩れ、ちょっとした事件が起きた。






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