太陽の匂いのする人たち
アヒルが火照った頬を両手で押さえ、下を向いていると、不意にラウンジの入口の方から、
「おー!なんか美味そうな匂いっすねぇっ」
と、トーンの高い、掠れ声が飛び込んできた。
「ホナミン、お帰りなさい」
ハナコが驚く様子もなく、親しげにそれに応える。
「や〜遅くなっちまってスンマセン」
性別の読み取りにくい、独特の声と喋り方。
人見知りのアヒルは俯いたまま、そっと床板を辿って声の主の足元に目をやった。
すると黒のビーチサンダルと、宝石のように青く塗られた、美しい足の爪が目に入った。
その鮮やかな色にハッとして、恐る恐る視線を上げると、引き締まった足首とふくらはぎ、そしてアクアブルーの膝丈のサーフトランクスが目に入り、裾の伸びた洗いざらしの白いタンクトップと、なだらかな胸元。それから同じく白のホルターネックの水着のヒモが、首元にチラッと見えた。
上目遣いで顔を見る。
すると目元の涼しい、金髪の美少年のような子が立っていた。
あれ?この人……
痩せ型のように見えてしっかり筋肉の付いた無駄のない体型。いかにも体育会系の、気が強そうな雰囲気が漂う。
アヒルは、その中性的な姿を、思わずジッと見てしまった。
それを見てハナコはクスッと笑い、それから二人の間を取り持つように、
「この子、穂波ちゃんていうの。ボディボーダーなの。すっごく上手なのよ。あ、男の子みたいだけど一応、オンナの子。ね!」
と言った。
女の子!?ひゃー!!!水着とマニキュア無かったら、超美少年にしか見えないんですケド?
「で、ホナミン、この子が例の、アヒルちゃん、ね!フフフッ」
ハナコはアヒルの事も紹介すると、窄めた唇に人差し指を当て、いたずらっぽく微笑んだ。
するとホナミという、美少年だけど美少女とは言いにくい、微妙な顔立ちの女のコは、
「アッハッハッ!!この子が例のタケルに、、、か? なかなかやってくれるじゃん!?」
と言って、いきなり声を立てて笑い始めた。
この手の笑顔をみたのは、今日、何度目だろう……
無防備な、人みしりのない笑顔。
太陽の匂いのする明るい人たち……
それからアヒルは自分の方から、
「初めまして、アヒルです。お邪魔してます」
と、挨拶をしていた。
ガツガツと木のスプーンでおじやをかき込んでいたタケルが手を止めて、 ふ—————ん、と少しだけ感心したようにアヒルを見た。
「お邪魔も何も、アタシんちじゃないし! ところでみんな、何食ってんの?もうアタシ超、腹減ってんすけど」
「ホナミンも食べる?暑いけど、おじや作ったの。二日酔いでも食べられるかなと思って」
「なんでもOKっす。すぐ食べれればなんでも!」
と、どこかで聞いた覚えのあることを言うと、ホナミはタケルとアヒルの間の、一つ空いていた席に遠慮なく割り込んで座った。
タケルは「ご馳走様でした」と、また丁寧に両手を合わせて言ってから、 横に座ったホナミに訊いた。
「オマエ、今日、トナリにいただろ?」
「うん。あんたもいたの?」
「いや、道路から波チェックしただけ。超混んでたな。朝一、もっと良かったか?」
「うん。風もあんな強くなかったしね。サイズは同じくらいだけど、ダンパーも少なかったし。でも、あんだけ人がいると、さすがにピークから波取るのは厳しかったよ」
「ふーん」
「ま、面ツルでサイズも上がったの久しぶりだから、仕方ないけどさ」
「そっか……」
タケルは何か考えているようで、しばらく黙った後、再びホナミに訊いた。
「カガミハマ、見た?」
「カガミハマ!?見た見た見た!!超ぉぉぉーーーー決まってたよっ!」
答えながら、ホナミの目が大きく見開かれ、瞳が輝く。
「オーバーヘッドで、めっちゃチューブ巻いてて良さげだったけど、、、 オッサンたち大勢入ってたから、アタシにはちょっと無理な感じだった」
「くぅ〜〜!オーバーヘッドのチューブかぁ〜〜〜!!」
「行けばいいじゃん。あんたなら問題ないでしょあそこは」
「んーーでもなぁ〜。オレも最近アソコご無沙汰だからなぁ〜」
タケルはそう言って、コンクリートのぶち抜かれた天井を見上げると、クシャクシャと頭を掻いた。
アヒルには、二人の暗号のような会話は、ほとんど理解できなかったが、 とりあえず『トナリ』というのが、さっき国道に車を停めて眺めた、長い海岸線を持つ海の事だというのは分かった。
そして直感的に、さっき四角い小さなボードに乗って波乗りしていた勇ましい女の子は、このホナミに違いないと思った。
タケルは腕組して、しばらく黙りこんでいたが、おもむろに立ち上がると、
「夕方には、おっさんたちも疲れて帰るべ」
と、自分を納得させるかのように呟くと、ポリタンクを掴んで一人スタスタとラウンジから出て行った。
アヒルがその姿を横目で追っている間に、ハナコがホナミの席の前に、やはりドンブリに盛られたおじやを置いた。木のスプーンを付けて。
「はい、ホナミン。あっため直しちゃったけど、冷めたままの方が良かったかしら?」
「いや、いいっすよ。けっこう長時間ねばっちゃったから、体ん中冷えちゃったんで、温めたいし」
ハナコに対して、運動部の先輩に接するようなしゃべり方をするおかしなホナミに、 アヒルは自然と心を開いていた。 そして思い切って自分から話しかけた。
「あの、ホナミさん。今日ここにお邪魔する前に、あたし多分、ホナミさんがビート板に乗ってるとこ見ました。タケルさんの車の中から。 波、大きくてびっくりしました!」
「んぁ??アヒルちゃん、、、あんたそれビート板て禁句だから!ボディボードだよ、ボディボード!聞いたことない?ボディボ、BB!!」
「え、ビート板じゃないんですか?禁句って、すいません、、、あたし何にも知らなくて!そ、そうですよね、ビート板にしちゃ大きいなとは思ったんですけど、、、 」
ホナミはボディボードという言葉を諄いほどに強調し、それを聞いてハナコが大笑いしたので、アヒルも自分の無知を一緒に笑って誤魔化した。
「ホナミン、カッコ良かったでしょ?」
「あ、はい、凄かったです。こーーんな波を、こーんな感じでビューーンッて勢いで!ピョーンて飛んで!!あんなの初めて見ました。感動したっていうか……」
貧困な表現力を補うように、アヒルは小さな手を上に横に大げさに振りまわし、いかにホナミのライディングが素晴らしかったかをハナコに伝えようとした。それを聞いて、ホナミはちょっと照れくさそうにフフンと笑い、熱いおじやをちびちびと口に運びながら話題を変えた。
「あんた、東京に住んでんだって?」
「あ、はい、そうです!」
アヒルは飛びつくように答えた。
「ホナミさんは……千葉の人なんですか?」
「ん?アタシも東京」
「あ、一緒なんですね!私、旗の台です。ホナミさんは東京のどこですか?」
「三鷹。今はこっちで一人暮らしで……」
そう言いかけて、ホナミは一生懸命自分の方に向けられた、下がり眉のアヒルの顔を、不思議そうにしげしげと眺めた。
その尻切れトンボの話をハナコが繋ぐ。
「ホナミンはね、ボディボードのプロを目指してるの。元々はタケルと同じ吉祥寺のサーフショップでアルバイトしてたんだけど、今はプロになるために海の近くに引っ越して、このお店の手伝いしながら練習に励んでるのよ。ね、ホナミン?」
「ん?あぁ、いや〜、最近、ぜんぜん大会勝てなくて、このままじゃ夢のままっす」
アヒルの顔を訝しげに見ていたホナミは、ハナコにそう言われて肩を竦めると、あとは黙々とおじやを食べ始めた。
海で見た勇ましい姿と『ホナミン』という間の抜けたあだ名は、全く合わない感じがした。
しかしタケル同様、ハナコの前では、どんな気の強そうな野生動物も、ペットのように大人しくなってしまうようだ。
そして美少年顔でおじやを食べるホナミと、親しくなりたいという思いが、アヒルの心に強く湧いてきた。
ぶっきらぼうではあるけれど、なぜか拒まれていない気がした。




