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また時は飛んで昼休み。
谷田部のほうを心配そうに何度もチラリと確認する岡田と何度か目があった以外特に普段と変わりなく午後まで過ごしたカケルは、谷田部に肩を掴まれていた。
「食堂行こうぜ」
「ああ、いいよ。確か新メニュー出たんだって?」
「そうなんだよ。曜日限定メニューでまさかの「火曜あんこラーメン」。一度食ってみたいだろ!」
「え、なにそのまずそうなメニュー。隅高ってなんか変なもの作るよな毎回。そして谷田部はゲテモノが好き」
「ゲテモノっていうなゲテモノって。お前も食ってみろって。絶対うまいから」
内心少しだけ興味があったカケルは苦笑する。想像すると少し気分が悪い。
「……まぁ少しなら」
「そうこなくっちゃなぁ」
かばんから財布を取り出し尻のポケットにしまうと、谷田部は意気揚々と食堂に向かい始める。
カケルもゆっくり後を追いかけて教室を出、階段を下りて一階に向かったのだが。
「ああ。またこの景色か」
この学校は生徒数二千人とマンモス校でも知られており、建物自体は五階立て。しかし廊下の幅はそんなに広くないため昼食時の一階はいつも大混雑するのだ。
「仕方ねぇよ。もっと早くに来るべきだったかもな」
先に行っていた谷田部は人の塊に止められており、カケルを振り向いて苦笑する。慣れないがこの洗礼に耐えることが食堂を利用する生徒の務めなのだろう。
すると、谷田部の笑顔が一瞬強張る。どうやらカケルの背後を見てのことらしい。
カケルもその理由が気になったが、階段の上で黄色い声が聞こえてきてすぐにカケルも顔を歪める。
「キャー、谷田部君がいるわよ」
「ほんとだぁ。あ、あの谷田部君、よかったら一緒に昼食とらない? 私おごるからぁ」
「ちょっとどけよ男ども。谷田部君の進路に立つな」
「ぐえっ」
一番近くにいたカケルはその人たちに準備運動のごとく跳ね飛ばされ、手すりに腹を打ち付ける。
威圧感を持った赤いネクタイ。履いていて意味があるのかわからないほどの短いスカート。しっかり塗られたマニキュアと化粧。
彼女らの一声で人の波は食堂への一本道へと変貌する。
「あの、ちょっと先輩たち、俺連れがいるんで……ああっ」
学校でも「ビッチ三強」と謳われる先輩方に腕を引かれてカケルから遠ざかっていく谷田部。「ごほっ……すごいな。モーゼの海割りみたいだ」
当然割られた海はモーゼが通り過ぎた後は自然に塞がる。
人波が再び動き出した流れに合わせてカケルもようやく食堂への道を進み始める。
あっけにとられているうちに見えなくなった谷田部を追いかけるのはもう少し後になりそうだと諦めていると、カケルのちょうど背後で女生徒の「きゃっ」という悲鳴が上がる。
「ぬあっ」
背中に強い衝撃が走り、カケルも一瞬バランスを崩すが何とか踏ん張りを利かす。
「あ、あの。ごめんなさい……あ、あれメガネ」
カケルがその女生徒を確認しようとしたときにはさらに階段から生徒が追加で降りてきており、その波がカケルにも押し寄せる。
「メガネ? 落としたんですか?」
「ごめんなさい。僕メガネがないと見えなくて。うわわっ」
「だ、大丈夫ですか?」
押されてカケルのほうに倒れこんでくる女生徒を何とか手を握って受け止め地面を見ると、カケルの足元に黄色い縁のメガネが落ちている。
目の前の彼女が落としたもので間違いないだろう。
「ちょっと止まるなよ。食券買えなくなったらどうしてくれる」
「すいません。メガネ落としちゃって」
よく状況が分かっていない彼女の代わりにカケルが説明し、何とか人の波がもう一段強く押し寄せる前に拾い上げることに成功したが、今度は勢いのままどんどん押し流されてしまう。 カケルが女生徒にメガネを渡す暇がなかったせいで、カケルは彼女の手を握ったままになってしまっていたということは、食堂に向かうまでの曲がり角で波から外れた時にようやく気づいた。
「あ、ごめんなさい」
カケルは急いで手を離し、逆の手に持っていたメガネを返す。
ネクタイの色が緑なので、彼女は二年生、つまりカケルの先輩にあたる。ちなみにカケルたちは青色で、「ビッチ先輩」達は三年制なので赤色のネクタイを着用している。
「この学校人数多いんだからもう少し道幅何とかして欲しいですけどね。じゃあ僕はこれで。気を付けてくださいね」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
メガネをつけ終わった先輩はカケルを引き留める。
改めて見た先輩は快活そうな女性だった。黄色い下月フレームメガネを掛けることで知的さも現われ、彼女の魅力を引き立てるアクセントの役割を果たしている。身長は女子にしては高い方だろう。お姉さんといった具合だった。
髪型は独特で、肩甲骨あたりまで伸ばしている髪を三つ編みにして頭の前でくくっている。
『森ガール』を思わせる。
カケルは最初この髪形を見た時どこの民族かと疑問に思っていたが、彼女を見ると有名ヘアデザイナーの作品かと思えるほど雰囲気と合っている。
「どうしましたか?」
「あ、まず最初はお礼だよね。ありがとう」
「どういたしまして。困ったときはお互い様です」
如何にもこれが普通だと言わんばかりのカケルの笑顔をみて、彼女は驚いた表情を作る。
「……あ、あんた変わってるね。えっと、僕の名前は三谷彩」
「僕?」
「ああ、これは癖みたいなもんだから気にしないで。あんたのこと知ってるよ。遅刻魔君でしょ?」
「え、先輩達の間でも有名なんですか?」
「有名だよ。すっごく有名。もう遅刻の代名詞みたいな感じ」
最低の汚名だったがこれも事実なのでどうしようもない。肉を食えばなぁ、と心の中で言い訳してみる。
「なるほど。嫌な意味で有名人なわけですか」
カケルはくっくと苦笑する。その笑顔が気に食わなかったのか、三谷は少し苦い顔をするもすぐに先ほどの調子に戻る。
「うん。ドジをよく踏むってことでも有名だし。この前あんたが溝に足を突っ込んだ時、みんな笑ってたよ。まぁおかげで分かりにくい溝の場所を知ることが出来た後続の女は嵌らずに済んだけど」
「なるほど。……僕はその時のこと何も覚えていないですけど、不運なりに誰かの役に立っていたと。それなら僕が溝に嵌った意味はあったみたいですね」
ノイリの言う通りならその分かりにくい場所に向かわせたのも彼女の選択であり、おそらく女がらみの何かがあったということになるが、どういった具合にフラグが立つのかは分からなかった。
でもおそらくカケルなら後ろで足を滑らせた女子を放っておくことはないだろうから多分その時に手助けして……とそこまで考えて自分の妄想を否定する。
世の中、他人に助けられただけで好感度が急上昇することはない。エロゲやギャルゲーと現実は違うのだ。
「その女、自分が安全だと分かったらあんたのこと笑って先に行ったよ。他の女友達と一緒にあんたを馬鹿にしながら。困っているときに助けてくれたらどれだけ嬉しいかって分かって無かったんだね」
三谷はそういうと思いつめた表情を作る。
だが、カケルは誰に対してもそうしていただろう。だから別に三谷がカケルをそこまで心配する必要はないのだ。
「まぁ出来るなら一声かけてもらえたら嬉しいですけどね。先輩ももし僕が転んでいたら助けてくださいね」
カケルは冗談めかして三谷にそう告げてから、腕時計を見て「あっ」と声を上げる。
「すいません先輩。僕友達待たせているのでもう行きますね」
「あ……うん。あの、さっきはありがとう」
「いえいえ。それじゃあ」
「うん。またね」
カケルは少し空いてきた廊下を小走りで食堂に向かう。
おそらく三谷の頬が少し紅潮していることになど気づいていないのだろう。
カケルの背中を視線で追いかけ、三谷はつぶやく。
「あ、名前聞くの忘れちゃった」
男子生徒が道すがら食堂とは反対方向に早歩きで去る三谷を見やって顔を見合わせる。
「さっきの女、なんかにやけて無かったか?」