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風の覇者I ―王威覚醒―  作者: 神竜王
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加速する運命 前編I

ティーン魔法学園は今、人気と活気で満ち溢れていた。


幼い子供達やその両親、休日王都を頻繁に闊歩していそうな少年少女達を始め、穏やかな余生を送っている老夫婦など、老若男女問わず様々な人々がこの学園に来訪している。


何故ならば、今日という日が年に一度の学園祭だからだ。今日と明日の二日間に亘って行われる、学園の一大イベントと言ってもいい行事。


青春を飾る学園生活の中でも特に強く印象に残るこの行事の為に、生徒達はそれぞれ己がクラスの出し物に精を出す。


「――レオン! 七番テーブルのお客さんにフルーツパフェを二つ!」


「オーライ。だがちょっと待ってろ、今前のオーダーの品を片付けてるところだっ」


「二番テーブルのお客さんから紅茶二杯にワッフルが二皿注文が入りました!」


「はいよ。――あー、あんた、今わりと手が空いてそうだな。ちょっと今の注文の品の準備頼めるか?」


「了解。任しといて!」


俺は今、目まぐるしい速さで厨房を回していた。


厨房はテーブルが配置されている場所から離れた位置に音響遮断の結界――とは言っても、俺が使う音響遮断の結界と比較すると途轍もなくショボく思える――で隔絶された状態で位置し、厨房の入り口まで来た執事服やメイド服に身を包んだ接客係のクラスメート達からオーダーを聞き、それに応じて厨房係の俺達が動いているといった感じだ。


前述の通り厨房は音響遮断の結界で隔絶されているので、厨房の中での音は遮断され、テーブルが配置されている場所までは聞こえない。


この音響遮断の結界。これは此処が従者喫茶だから張られたものだ。


従者喫茶ということは、定員は従者……謂わば使用人という位置付けになり、客は貴族ということになる。


ここが重要だ。これこそが音響遮断の結界を張って貰った理由なのだから。


その理由ってのも簡単だ。客が貴族の扱いということは、食事の場に客のお喋り以外の音があるのはアウトだろ?


何処の屋敷に調理をしている音がBGMになる食事の時間がある? 何処の貴族御用達のレストランに調理をしている音がBGMになる食事の場がある?


常識的に考えて、何処にもないだろ? つまりそういうことだ。


お陰で、オーダーを伝えに来るクラスメート達は砕けた口調で普通にオーダーを口にしている。


ここまで本格的な理由で音響遮断の結界を張って貰ってるってのに、中途半端な営業だよなァと苦笑しつつ、俺は前に注文されていた品を待っていた接客係のクラスメートに素早く渡した。


「ほら、出来たぞ!」


「サンキュー!」


「よし、次ィ!」


――この忙しさを見ていて分かるかもしれないが、従者喫茶は結構繁盛していたりする。


理由として大きいのはやっぱりメニューが豊富だからだろうな。学園祭の出し物とは思えないほどの品揃えだ。


教室の外の気配を探ってみれば、長蛇とはいかずともかなりの長さの列が形成されているのが分かる。


いやホント、接客に回されなくて良かったぜ。もう少し少数だったならともかく、あんなのの対応なんて出来るか。いつかボロが出るわ。


そう考えると厨房係って意外と勝ち組じゃね? などと考えていると、またもや新たなオーダーが入った。


「レオン、五番のお客さん達ににAセット一つにBセット二つ、Cセット一つ!」


「了解。――そこの二人、俺がBセット二つを作るからAセットとCセットの方は頼めるか?」


「はいはい」


「はいよ~」


はっきり言うと俺よりは調理速度が劣るが、そこそこ調理の速い厨房係の男子と女子に作業を分担し、頼む。


流石に次から次へと舞い込むオーダーの全てを一人で捌けるほど俺も超人じゃない。


まあ、リミッターを全解除すれば分身くらいは出来るけどな。


でも今はリミッターを掛けている状態なわけで。そんな気軽に分身なんて出来ないので、地道に調理するしかない。


尤も、仮にリミッターを外していたとしても、分身なんて滅多に使わないけどな。アレ、完全な分身からは程遠い所為でかなり欠点が多いし。


「フルーツパフェできたから接客係は持ってってくれ!」


「Aセットできたぞー」


「こっちもBセットできたよ。どんどん運んでね、置場所なくなるから」


「追加の注文があるんだが――」


――こんな感じで、従者喫茶が開店してから一時間が経過した時のことだった。


「よし……取り敢えず、一段落付いたか?」


吹き出る汗をハンカチで拭いつつ、厨房係専用のクーラーボックスから良く冷えたペットボトルを取り出す。


俺と同じく厨房係の数人のクラスメートも飲み物を求めて来たので、適当に希望を聞いて希望に沿った飲料の入ったペットボトルを投げ渡す。


なかなか理想的な放物線を描いて飛来するペットボトルを、クラスメート達は普通に片手でキャッチして何事もなかったかのようにキャップを捻る。


投擲した中には炭酸ものの飲料もあったが、殆ど容器を揺らさぬよう投げたので、いきなり内容物が吹き出す心配はない。


厨房係全員に飲み物が渡ったのを確認してから、俺もキャップを捻った。


いざ飲もうと口を付けたその時、学園の敷地内によく見知った気配の主が入ってくるのが分かった。


ペットボトルを握る指先がピクリと反応する。無意識の内に窓の外へと視線を彷徨わせ胸の内で呟く。


――来たか。


感じる気配は一つ。


竜蛇の神格に文化神と農耕神、風の神の神性を併せ持ち、さらには破創神の神格を有する蛇の女神。


創造神・ケツァルコアトル――コアの到来だった。


なるほど、一番に来たのはコアか。生真面目なコアらしい――そう思いつつ、俺は目を細める。


ティーン魔法学園の学園祭は、何年か前までは三日間に分けて行われる行事だったらしい。


だが、今年からは短縮されて二日間のみになった。その代わり、ティーン魔法学園での学園祭は二日間ぶっ通しで行われる行事に様変わりした。


冗談ごとではなく、夜は夜の部で学園祭が続くのだ。


俺達のクラスがやってる従者喫茶は昼下がりまでだが、四、五年生の上級生達の出し物の中には夜も通常運行な出し物や、夜だからこそな出し物まである。


必要な出し物には、その為のイルミネーションまで用意されているほどだ。


このように、学園祭は文字通りぶっ通しで行われる行事な為、学園に待機する四人には魔族の到来に構わず初日から学園に居座って貰うことにしたのだ。


今頃、孤児院に向かったユリウス達も潜伏を済ませているだろう。


ちなみに、レーゼは今非番のディアスとユイと一緒に回ってる。あの二人はB班だからな、午後からが当番だ。


俺と同じA班にはカイルとカレンが居る。二人とも接客係だ。仕切りの外では今も接客していることだろう。


深く息を吐き出し、目を閉じて知覚領域を拡大してみる。


……校門辺りを彷徨っているのがコアだな。ふらふらと蛇行するように移動していることから、屋台を覗きながら歩いているのだろうと予想ができる。


レーゼはディアスとユイと共に校庭に居る。こちらは特に動きなし。何か食べ物を買ったのだろうと思われる。


……ん。


転移反応か、これは。ふむ……。


……たった今学園から少し離れた位置にある小規模な森に転移してきたのはノヴァだな。


転移が済むなりすぐに学園に向かって歩いてきている。寄り道はなしか、これもまあノヴァらしいというか。


最後にレイだが、こいつは影も形もない。どうやらまだ来るつもりはないようだ。四人の中じゃこいつが最も不真面目だ。けしからん。


と、四人の動向を探っていると、仕切りをズラして厨房の中に執事服を着込んだクラスメートが三人入ってきた。その内の一人はカイルだ。


「お、空いたのか?」


「まーなー。今は女子の方が指名されてっから、指名されるまではここに居ようかと思ってな」


どっこいしょ、と親父臭い声を上げながらカイルは俺の隣にあった椅子に座る。


めっきりと疲労したようなカイルの様子に、カイルと一緒に引き上げてきた男子二人を見てみれば、その二人も壁際にあった椅子に座ってだらけている。


厨房は接客係にとってある種の安全地帯と化していた。


「あー……素で喋れるとかマジ天国」


ため息混じりにカイルは呟く。それを聞いて俺は鼻で笑いながら言ってやった。


「だろうな。俺だったら二分くらいでボロを出すぜ?」


「短っ」


「失礼な。これでも結構長い方だぞ? 俺の性格を考えろ」


「お前の性格? えーっと、傲慢で欲深くて短気で唯我独尊で、敬意を払うに値しないと断じた存在は徹底的に見下して――……、どう考えてもこの手の接客とか無理ですねありがとうございました」


俺の性格について指折り数えていたカイルは、どう考えても従者的な接客には向かない俺の性格に項垂れる。


そんなカイルを一頻り笑った後、俺は笑みを消してぼそっと囁き掛けた。


「……カイル、お前のトコはヴリドラの配置はどうなってる?」


「ああ、ヴリドラか」


くつくつとした笑い声に苦虫を噛み潰したような表情をしていたカイルの顔が引き締まる。


厨房内を見渡してクラスメート達の様子を窺った後、特に怪訝そうな視線を向けてきていないことを確認してから話し出す。


「あいつは個人戦のみならず集団戦でも凄まじい効果を発揮する特性の持ち主だけどな、その特性の所為で却って戦場には出し難いんだ。

どういうことかは分かるよな?」


確認するように訊いてくるカイルに対し、俺は小さく頷いた。


ヴリドラの恐るべき特性に関しては、俺もよく〝識って〟いる。


〝毒炎竜〟ヴリドラ。


戦乱の渦中で竜殺しの毒を受け、奇跡的に生き残ったばかりか体内で変質した竜殺しの毒を掌握し、毒炎竜という全く新しいルーレシア世界で唯一の竜種の特殊個体へと至った存在。


その身体を構成する全てが絶大な毒性を秘めており、喩え毒に対して圧倒的な耐性を持つ存在でもその毒が齎す死からは逃れられないという。


例えば吐息。それを吸えば、肺で行われる酸素の結合を阻害されて呼吸困難に陥るばかりか、身体を内側から毒に犯されたちまちにして死に至る。


例えば唾液。それに触れれば皮膚から致死性をも超えた毒が浸透し、半秒と保たずに落命する。


汗、涙、鼻水、尿、精液……挙げればキリがないが、ありとあらゆる身体の分泌物が全て猛毒だ。


その中でも特に危険なのは血液。


ヴリドラという存在を構成する全てが毒性を持つというのは比喩ではなく、肉片から魂の一片に至るまでもが毒に染め抜かれているが、魂を別として肉体を構成する中でも血液だけは別格にヤバい。


そんなヴリドラが、一度傷付き血を流せば果たしてどうなるだろうか?


結果は言うまでもない。


まさに絶対致死、周囲の空気、いや喩え空気が無かろうと問題なく揮発し散布され、そこが戦場ならば瞬時に決着が着く。勿論、敵味方区別無く全滅という形で。


無論、毒性に対して一定以上の耐性を有する"覇者"後継者クラスならば、ある程度の時間耐えられるかもしれない。


俺の場合、ヴリドラに触れたりしなければ余裕で耐えきれる自信がある。


それは偏に俺が"覇者"後継者クラスをも超えた絶対的とも言える耐性を兼ね備えているからだ。


そんな俺でも、ヴリドラの血に直接触れたりでもすれば果たして生きていられるか分からない。


下手すると俺の不死性すら超えた毒性を持っているかもしれないからだ。


結界だ障壁だとかいうレベルではない。


毒性は空気を伝って来るのだから。


普段は彼が吐息に含まれる毒性を空気中に散布する前に強引に体内に取り込み、その上で分泌物を限界まで抑えているからともかく、有事にはそうはいかないだろう。


「ヴリドラを周囲に被害を出すこと無く戦わせることは可能なんだが、それにはちっとばかし俺の魔力面でのコストが辛いんだわ」


俺の訊きたいことを理解しているのか、カイルは何も言わずとも言葉を紡ぐ。


「そのコストってのも一度それに魔力を使っちまえばその後はいつものようにデカいのを放つことが出来なくなるクラスの消費でさぁ。

まさか戦いの最中に魔力を回復出来る暇なんてないだろ? だから、ヴリドラっつーワイルドカードを切るのは余程のことがない限りは、な」


不甲斐なさそうに頬を掻くカイル。


しかしそれに構わず、テーブルに肘をついた俺はカイルに問うた。


「そのことについてだが。念の為訊いておくが、ヴリドラは自分の毒性には完全に耐性を持っているんだな?」


「は? 意味が分からん、もっと分かりやすく頼む」


「だから、そうだな……例えるとするなら蝮が自分の毒に当たるような、そんな状態にはなったりしねェか?」


「自分で言っといて何だが、いきなり分かりやすくなったな」


カイルは呆れたように笑う。どうやら前者の説明でも大体は理解していたようだが、認識した内容が正しいか確認の為に分かりやすい例を求めたらしい。


それについては当然のことだと思い、特に咎めること無く答えを待っていると。


「あいつは自分の毒に当たったりはしねえよ。あいつには生まれ持ったもう一つの特性があってだな、一度受けた毒は以後完全に受け付けなくなるっつー特性だ。

ほら、あいつの絶対致死の猛毒も元を正せば竜殺しの毒っつう一つの毒だっただろ? それを受けて生き残ってんだから、生まれ持った特性と相まってありとあらゆる毒性に絶対的な耐性を持ってるわけだ」


「ほう」


カイルの説明を受けた俺は軽く瞑目して思考する。


今のカイルの説明を聞いている限り、ヴリドラの毒性に対する耐性は心配無さそうだ。


これなら……と、俺は口を開いた。


「なあカイル。もしヴリドラを味方に何の被害も出さず、しかも莫大な魔力的コストを消費せずに戦わせることが出来ると言ったら……どうする?」


カイルの目つきが変わる。


「詳しく聞かせてくれや」


あくまでも周囲の生徒には悟られないよう、俺以外には気取れない鋭さがあった。


当然か。何せ、自分の決断次第じゃ味方にも被害が及ぶ可能性があるんだからな。


俺は唇を湿らせると、語り始める。


「カイルかヴリドラ……いや、この際二人ともに修得してほしい魔法がある」


「魔法を修得って、今からか? いや、それは措いておくとして……そりゃどんな魔法なんだ?」


俺の言葉にカイルは僅かに眉をひそめたが、一先ず話を聞く体勢にはなってくれた。


それを確認してから俺はカイルとヴリドラの両名に修得して貰う予定の魔法の名を告げる。


「お前らに修得してほしいのは【リジェクター・サークル】という魔法だ。この魔法があれば、ヴリドラは周囲の被害を気にせず戦うことが出来る」


「【リジェクター・サークル】……。その魔法名には聞き覚えがあるな、確かお前のオリジナル魔法だったか?」


カイルは思い出すような表情で魔法名を復唱する。その結果出た言葉に頷きつつ、俺は言う。


「俺にとっちゃ、この魔法は戦闘中に使う魔法じゃねェンだが。それは俺が亜光速の速度域で戦闘を繰り広げるからであって、言い方が悪いかもしれねェが、お前達の最高速度である超音速の速度域なら十分に対応可能なんだよ」


これを聞いてカイルの眉が今度こそ明確にひそめられた。


じろっと俺の顔を見やり、低い声で問うてくる。


「話が見えねえんだが。そりゃどういう意味だ?」


「ああ、そう昂るな。落ち着いて聞くといい」


不機嫌さの滲む声で訊いてくるカイルを宥め、俺は【リジェクター・サークル】の性質について語る。


「いいか、先刻も言った通り亜光速の速度域で戦う俺にとっちゃ【リジェクター・サークル】なんてのは戦闘中に使う魔法じゃねェんだ。

と言うのも、確かに防御能力には優れてはいても、こいつは術者の動きに従属する性質は大したことがないからだ。……ここまで言えば、もう分かるだろ?」


「……ああ、なるほど。そういうことか」


カイルの表情から険が消え、精悍な顔に急激に理解が広がる。


しかしそれも新たに湧き上がった疑問により、すぐに元の難しい表情に戻ってしまったが。


「しかし、なんでその魔法を俺とヴリドラに? お前が言うからには、それ相応の運用方法があるからなんだろうけどさぁ」


「それについちゃあ魔法を教える時に伝える。今日の夕方、学園から出てすぐの所にある森まで来い。いいな?」


「お、おう。――って、ちょっと待て! 後一つ肝心な問題があるっつうの! それほどの魔法を今から修得するとなると、幾ら"覇者"後継者つっても最低三日は掛かる!

魔族の襲来は明日なんだろ? ただでさえお前のオリジナル魔法は術式の構成が複雑なんだ、間に合わねえって!」


小声で怒鳴るという器用な発声をしてみせるカイルに、即座に俺も囁き返す。


「ええい、取り敢えず事この件に関しては後で話すから、今は俺の言葉を呑み込め! ――ほらっ、お前の出番がまた来たみてェだぞっ」


厨房の入り口からクラスメート達の会話に混じりカイルの名を呼ぶ声が聞こえたのを機に、カイルを立ち上がらせてその背中を押す。


不平を鳴らしながらそちらに向かうカイルを尻目に、俺はため息を吐くのであった。





「レオン、暇ならちょっと来てくれないかしら? アンタが厨房から顔を覗かせた時にその姿を見たお客さん達が、アンタに対応してほしいって言ってるわ。

だから、はい、メイド服」


「えっ」



―――――――――――


「お、おいレオン……どうした、そんなにやつれて?」


「……先程、黒髪のメイドについての噂を聞きましたけど、まさか……」


昼になり、当番の交代の時間が来た。


そして、午後の当番であるディアスとユイが帰ってきて、開口一番に言った言葉がこれだ。


「訊くな。これ以上あのことを思い出させないでくれ」


それを聞きただでさえ滅入っていた気が更に消沈し、額に手を当てて呻くように言った。


そうなのである。


こういう事態を避けたくて厨房係に回ったというのに、接客係までやらされてしまったのだ。しかも、よりによってメイド服でな……!


いや、俺だって執事服で行こうとしたさ。メイド服を持ってきたのがレイラじゃなけりゃなァ……!


あのタイミングでレイラとか、あり得ねェだろマジで……!


「いつまでそうしているつもり? 交代の時間が来たんだし、午後は私と回らない? ――ほら、カレンも来なさい」


「ちょっとレイラ――!」


「私も……」


厨房の隅っこの方で座り込み項垂れていると、肩を叩かれる感覚と同時に三人の声が耳朶を打つ。


間違えようもない、レイラとカレンとレーゼの声である。


俺がとろくさい動きで顔を上げると、そこには俺の眼前に立つレイラとその手に二の腕を掴まれているカレン、いつの間にか俺の真横にひっそりと佇んでいたレーゼの姿があった。


いつもの如く黒ゴス姿のレーゼはともかく、レイラとカレンは見慣れた青を基準とした色合いの制服姿だったが、今の俺には十分すぎるほど眼の保養になった。


いやだって、メイド服に身を包んだ男(俺)なんか見ちまった――わざわざ姿見の鏡を持ってこられた――んだぜ?


確かに俺は女顔の所為でメイド服を着てても不自然さはねェのかもしれねェが、そりゃ周りから見たらの話だ。 俺自身からしてみたら女装趣味のある変質者にしか見えねェンだよ!


ちくしょうっ、と内心で毒づく俺。


しかし、レイラの言うことも一理ある。こうしていても、時間経過と共に余計に気が重くなるだけだ。


深いため息を吐いた俺は、一呼吸に立ち上がると三人に声を掛けた。


「分かった。なら早く行こうや」


それに対してレイラはクスッと笑う。


「やっと動く気になった?」


「ああ。もういい、アレは無かったことと思うことにする」


「でも、似合ってた」


「レーゼ、それは何の慰めにもなってないと思うけど」


慰めのつもりなのか称賛の言葉を口にしたレーゼに、カレンが呆れ顔でツッコんだ。


そんなやり取りを横目に、俺はそれぞれ執事服やメイド服に着替えてきたディアスとユイを迎える。


「じゃ、頑張れよ二人とも。俺達はもう行くからさ」


「ああ。また夜にこの教室で会おうぜ」


「午前の部ではご苦労様でした。午後は楽しんできてくださいね」


二人の言葉に対して首肯して返すと、その視線を背に喫茶店と化している教室の出口へと歩んで行く。


「あら、私達を置いていく気?」


「わ、私は……まあ、レイラがどうしてもって言うから仕方なく……」


「お腹空いた。美味しそうな物が売ってる場所は先刻一通り見てきたから、先ずはそこに行こ……?」


すると、お喋りをやめて打てば響くような反応を示す三人。


歩みを止めてそんな三人を振り返ると、俺は告げた。


「馬鹿、置いていく気なんてねェよ。時間は限られてんだ、サクサク行くぞ」



―――――――――――


「さて、俺としては特に何処を回るって予定はねェンだが。回る順番に当たって何か意見でもねェか?」


教室を後にした俺は行き交う人々を眺めながら、行動を共にするレイラとカレンとレーゼの三人に話しかけた。


明日に迫った戦いのことで頭がいっぱいだった俺は、学園祭で何処をどういう順番で回るかまで決めていなかった。


完全にノープランだ。それどころか、自分のクラスの出し物と生徒会主催の出し物である武闘会以外、どんな出し物があるかすら知らない。


その旨を三人に伝えると、一様に呆れ返ったような表情をされた。いや、レーゼだけは相変わらずの無表情なのだが、その実隠しきれない呆れが無表情の中にある。


「仕方ねェだろ。待ちに待った戦乱の到来なんだからさぁ……」


三人のしらけたような視線が突き刺さり流石に居心地が悪くなった俺は、せめてもの言い訳を口にするが。


『戦いのことに夢中になってその他のことには一切気を回さないのはレオンだけ』


――などと、三人に声を揃えて言われてしまい、沈黙せざるを得なかった。


すっかり押し黙った俺を余所に、行く先は三人の意見により勝手に決められてしまった。


とは言うものの、予定などまるで決めていなかった俺としては異論はなく、後ろ髪をわしゃわしゃ掻き回しながら大人しく三人についていく。


それから十数分後、俺達は校舎と校門の間にある広場に来ていた。


ただ単に広場と言っても、その規模は最早広場という言葉すら生温いほどとにかく大きい。


その辺りは王都にある王立学園と何ら遜色のない、もしくはそれ以上の広大な敷地を保有するティーン魔法学園だからこそのこの広さ。


たかが校舎と校門の間にある距離だけで軽く一キロ近くある。


そんな広場は、今は無数の屋台で埋め尽くされていた。


学生が出している屋台もあれば、なんとティーン魔法学園の近くにある街の住民達が出している屋台もある。ティーン魔法学園は学園祭の際、校舎外の敷地を無料で貸し出しているのだ。


敷地は有り余るほど空いているのだし、どうせなら……ということだ。事前にティーン魔法学園側に申し込みを入れるだけであっさりとそれが成る。


故に街の住民達も気軽に屋台を出している。そのお陰で、ティーン魔法学園の学園祭は更なる盛況ぶりを見せていた。


客引きの声が飛び交う中、俺達は屋台を眺めながらゆっくりと歩いていた。


「で、何か欲しいものでもあるか? あるなら金は俺が持つぜ」


学園祭での計画などこれっぽっちも立てていなかった俺だが、先程確認したところ、懐だけは豊富だった。


なので、金銭面は俺がどうにかしようと思っていたのだが。


「お金なら私は必要ないわ。昨日、アンタの宝物庫から持ち出しておいたから」


「右に同じく……」


「えっ」


極普通に、尚且つ自然にそんな言葉がレイラの麗しき唇から滑り出た。更にレーゼがその言葉に追従する。


いや別にいいんだけどさ、それでも一言言わせてくれ。せめて一言断りを入れてからにしてほしかったと……!


「私は自分の屋敷の宝物庫から持ってきたから、別に奢ってくれなくても……」


苦笑いしつつカレンは制服のポケットから白い蛇革の財布を取り出してみせた。


「常識人は、俺とカレンだけか……」


懐に仕舞ってある財布を制服の上から探りながら、俺は神妙に呟く。


レイラからは「あら、私の耳はおかしくなってしまったのかしら?」と言われ、レーゼからは無言でしんねりとした視線が投げ掛けられた。


「ああ、そうだ」


そんな中、不意にレイラが何かを思い出したかのような表情をする。次いで、カレンを倣うように財布を取り出した。このタイミングで財布を出したレイラに俺は嫌な予感を覚える。


「……? 私に?」


「ええ。貴女の分もレオンの宝物庫からかっさら――持ってきておいたわ」


「ちょっと待て。今、何て言いそうになった?」


すかさず口を出した俺に構わず、レイラはカレンに数枚の一万セル紙幣を差し出す。


……数枚!? そんなに必要なくね?


「あ、ありがとう」


カレン、お前もなに普通に受け取ってんだ!


くそっ、前言撤回だ。常識人は俺だけだったみてェだな。


「……この中に、常識人なんて者は一人も居ない」


レーゼがぽつりと呟いた。間違いなく、この場で最も正しい意見だろう。


いたたまれなくなった俺は、この話は終わりにしようと口を開く。


「それよりも、だ。ここは一つ、全員一旦解散して、食べたい物を買ったら集合するって方針でどうよ?」


その言葉に対し、最初に反応したのはレーゼだった。


「……先刻あの二人と見て回った限り、これと言って食べたい物は無かった。だから、私はレオンと一緒に居る……」


「つまり食べれるなら何でもいいってことか……お前達はどうする?」


レーゼの意思を確認した俺は、残る二人の意思を問うた。


すると、二人は首を傾げてちょっと考えるような素振りを見せてから答える。


「そう……ね、私は一旦外れようと思うわ。集合場所は校門で良いかしら?」


「私も。確かに屋台を巡るのは全員で動くよりも個別で動いた方が早いしね」


それぞれ意思を確定した二人に、俺は鷹揚に頷いた。


「分かった。じゃ、集合場所はレイラの言う通り校門で、集合時間は……そうだな、一時くらいでどうだァ?」


意見を求めるようにぐるりと三人を見回すと、口を開く者は居なかった。


「決まりだな」


俺はニヤッと笑い掛けると、じっと俺を見つめている二人に背を向けた。


適当な方向に歩き出す俺の後をレーゼが人混みに足を取られながらひょこひょことついてくる。


そんなレーゼを見て俺は目を細めた。何事かと見上げてくるレーゼの手を取り、確りと繋ぐ。


「あっ」


仄かに頬を朱に染めるレーゼ。


レーゼの満更でもなさそうな様子に気を良くした俺は、そのままレーゼの手を引っ張って肩を抱き寄せると、やや腰を落として耳元で囁く。


「――はぐれるなよ?」


「……っ」


レーゼはピクンッと体を震わせた後、赤い頬のままコクリと頷いた。


おうおう、可愛らしいこって。


レーゼの銀髪を指に巻き付けて弄びつつ、俺はぐるりと辺りに視線を巡らせた。


取り敢えず昼飯だが……、何か良いモンあるかな。


「んー……」


一通り近くにある屋台を見やった俺は、ポリポリと頬を掻いた。


この辺りにある屋台にゃ、昼飯としてはこれといった物は無いな。殆どが菓子類とかそういった物ばかりだ。


「おじさん、ベビーカステラを一袋頂戴……」


「はいはい、一袋四百セルだよ。……千セルだね、これはお釣りの六百セル。それにしても君、可愛らしい娘だね。幾つかおまけしておくから、あっちで待ってる綺麗なお姉さんと食べなさい」


「ありがとう」


…………。


ベビーカステラの入った袋を胸に抱いたレーゼがトコトコとこちらに戻ってくる。それを無言で見つめる俺。


「……どうしたの?」


小首を傾げて訊かれてしまった。


……ここまで自然に女扱いされるとな。うん、もう怒る気すら失せると言うか……虚しい。


「何でもねェ。ただ見てただけだ」


そうとだけ述べると、俺は誤魔化すように昼食には良さそうな物が売っている屋台を探して歩き出す。


不思議そうな顔をしてついてくるレーゼ。ああ、不思議に思っちゃいます? つまり『先刻の屋台でのやり取りの中でおかしな所は無かった』と。


諦念のため息を吐き、食べたい物が売っている屋台を探して歩くこと数分。


「あ、牛肉の肉刺しの中を三本――いや五本頼む」


漸くそれらしい屋台を見つけた俺は、屋台の売り子をしている女性に指を五本立てて注文していた。


傍らには当然のようにレーゼの姿がある。


「牛肉の肉刺しの中を五本ですね? 千五百セルになります」


「ん」


求められた額に応じ、千五百セルをぴったり渡す。すると女性は肉刺しを長細い袋に包み、それらが入った袋を差し出しながら笑顔で一言。


「どうぞ。肉刺しの小を一つおまけしておきますね。妹さんと姉妹で仲良く食べてください」


ぐはっ。


何の悪意もない純粋な笑顔を向けられて心に甚大なダメージを受けた俺は、思わず天を仰ぎそうになる。


「……はい」


今の俺には、そう返すので精一杯だった。



―――――――――――


時刻は午後一時を差した頃。約束通りそれぞれ昼食を買って校門に集合した俺達は、無数の屋台が出揃った区域から離れた位置に移動していた。


学園の全体図から言うと、南西の位置だろうか。公園とも言えるその区域には円形の大きな池があり、休憩用のベンチも多数設置されている。


まさに憩いの場といった所だ。無論、色々な意味で。


「はい、アーン」


「アーン」


『…………』


真横のベンチで行われる例のアレ。それを見て、膝の上に買った物を置いて沈黙する俺達。


そちらを見ないよう、自然と俺達の視線は別の方向に向くが。


「トーラ……」


「ジェン……」


視線を逸らした先には、二人で見つめ合った後、口づけを交わす男女の姿があった。


いよいよ目のやり場がなくなり、俺達は俯いて自分の膝に視線を落とす。


押し黙って肉刺しの入った袋を見下ろしながら、俺は思う。


場所の選択を誤った、と。


嗚呼、何で此処に来ちまったんだろう。少し考えりゃこういった事態を予測できたはずなのに。


迂闊だった、としか言い様がない。


かといって昼食を食べないまま移動するのも変に思われるだろう。いや、四人で来ている時点で何かもう色々とアウトな気がするが。


……ええい、こうなりゃ自棄だ。こんな場所だし、大して目立ちはしねェだろ。


決断すると俺は早かった。袋の中から肉刺しを取り出し、肉刺しを覆う長細い袋を取り去ると、それをレーゼの唇に近づけたのだ。


「レーゼ、あ~ん」


「……あ~ん……」


俺達とは違いどうやらただ単に俯いていただけらしく、レーゼは特に恥じることなくこれに応じた。


肉刺しは、細かく切った鶏肉や牛肉などを焼いたのを、味を付けた小麦粉の生地にくるんでさらに焼き上げたものである。食べながら歩けるように、竹の棒で刺してある。


フランクフルトよりもやや太く、レーゼの小さい口には少し大きすぎるかと思われたものの、レーゼは難なく肉刺しの先端を口に含むと、慎重に齧る。


もぐもぐと口を動かすレーゼ。


ちょっと目が見開かれた。


「……美味しい」


「だろ? ていうか、良く躊躇なくこれを実行したな」


レーゼの歯の形に欠けた先端を見ながら言う。


「……いけないことだった?」

上目遣いに見上げてくるレーゼ。


「いや、そういうことじゃなくてだな、ほら、あれ……恥ずかしかったりしなかったのか?」


「……もしかして、恥ずかしいようなことだったの……?」


「あー、いや」


俺は脳内を必死に検索して最適な言葉を探す。別に行為だけを見れば恥ずかしいようなことではないのだが、既定概念に則って考えると……ううむ。


遂には思考を超音速の速度域まで加速させて考え始めた俺に代わって、レイラが口を開いた。


「別に何も恥ずかしいことなんて無いわ。気にしなくていいのよ」


そう述べるレイラの顔に先程までの異様な気まずさといった感情は見られない。慣れた――と言うよりは、こういうものなのだと割り切ったようだ。


「そう」


レーゼも何てこと無さそうに引き下がると、やや顔を俺の方に寄せてきた。どうやら肉刺しを要求しているらしい。


苦笑いして俺は肉刺しをレーゼの口元に差し出す。それを無言で齧るレーゼ。


齧ってはもぐもぐと咀嚼してを繰り返すレーゼを見ている内に、段々可愛いげのある小動物でも相手にしているような気分になってきた。


レーゼが食べやすいように角度を調整していると、


「ちょっとレオン。私にはしてくれないのかしら」


「私にはって言われてもなァ……」


肉刺しは俺とレーゼの分しか買ってきてねェし、それが出来たりする食べ物を買ってきたのか? と言おうとしたが、その前にレイラは膝に置かれた袋に手を入れた。


ガサガサと音を立てて取り出されたのは、様々な種類のスティックパンが入った袋だった。スティックパンと言っても、その辺によくあるものとは違い、独自の焼き上げ方をしたパリパリとした食感が楽しめる菓子パンだ。


ああ、アレなら確かに出来るな――なんて考えていると、俺とレーゼの肉刺しとレイラのスティックパンを見たカレンが自分の買ってきたものを袋から取り出した。


俺とレーゼとレイラの視線が、カレンの手元に行く。


カレンの手にあったのは、フレンチドッグだった。外側はカリカリしていて中はフワッとしている例のアレだ。


個人で買ってきたものをそれぞれ見た俺達の間に妙な沈黙が流れる。


俺とレーゼは肉刺しで、レイラはスティックパン、カレンはフレンチドッグ……。


四人が四人とも、物の見事に「アーン」出来る食べ物しか買ってきてない。そして昼食の場に選んだ場所はカップルで溢れている……なにこのミラクル。


こんなミラクルは要らない。


「はい、これ渡すから私にもやりなさい。まさか、私が恋人であることを忘れてないでしょうね」


「忘れるわけねェだろ。つうか、忘れろって言われても忘れられるかってんだ」


レイラの手からスティックパンが入った袋を受け取り、中から一本抜き取るとそれをレイラの口元に突き出す。


「ん……」


レーゼと同じくスティックパンを咀嚼していくレイラ。その時にはレーゼは肉刺しを食べ終わっていたので、空いた方の手で自分の分の肉刺しを取って食べようとしたが。


「はい」


「食えってか……」


その前にレーゼが俺の袋から肉刺しを一本取り出し、ずいっと俺の口元に運んだ。


しかし、ここまで来て泣き言も言ってられまい。覚悟を決めた俺は、文字通り目と鼻の先にある肉刺しに食い付いた。


うん、美味い。


美味いんだが、妙に覚悟を決めなければならない昼食とはこれ如何に。


そんなことを考えつつも、レーゼが持つ竹の棒から肉を削ぎ落として食べ進める。


そうしてようやっと一本食べ終わった時のことだった。


――カサッ。


「…………」


袋の擦れる音に視線をそちらに向けてみれば、顔を真っ赤にしたカレンが無言でフレンチドッグの入った袋をこちらに突き出していた。


それの意味するところは分かる。分かるが、その上で俺はちょっと悪戯したくなってしまった。


「なんだ? 急に袋を俺に突き出して……俺にくれるってことか?」


「ち、違うわ」


カレンはちょっと口ごもった後、思い切ったように言う。


「私にも、それ……して?」


「はっはっは。別に構わねェよ、ほら」


「あっ」


カレンの手から袋を取り上げると、中にあったフレンチドッグをカレンの口元の辺りまで持ち上げる。


レーゼとレイラと同様にパクつくカレン。違うとすれば、頬が赤いことだけだ。


自覚がないレーゼと気にしないレイラには見られなかった反応だ。愛いヤツめ。


――ふと、このまま口説き堕としてしまおうかという考えが脳裏を過った。既に二人の恋人が居るし、その二人もハレムを運営することは許してくれている。


なら何も問題はないはずだ。そう考えた俺は、いつもの冗談半分ではなく、本気でカレンに自分の好意を示そうと口を開きかけて――


「――……」


声が、出なかった。


その事実に呆然とする俺。


何故なら、今の俺には明らかに〝躊躇〟があったからだ。


馬鹿な、と内心呻いた。


言い方は悪いが、たかが女一人口説くことに何を躊躇っている? 躊躇う必要など無いだろうに。


――翻ってみれば、ノヴァとレイラに関しては俺は確かに自分から告白したわけじゃない。時間の経過と共に異性として見始めた時、二人の方から告白されて結ばれたのだ。


だが、これは躊躇いを覚える理由にはならない。何故ならば、カレンに対しては無理でもレーゼに対してはちゃんと告白できると、確信めいたものを感じたからだ。


唇を固く引き結んで思考する。


――レーゼにはちゃんと最後まで告白できる確信があるのに、カレンにはその確信が抱けない……。


おかしいじゃねェか。何でレーゼに対しては出来てカレンに対しては出来ねェンだ? 何なんだこの差は。一体、俺は何を躊躇っているんだ……?


「……レオン?」


「――――」


心配そうなカレンの声に、俺の意識が現実に引き戻された。


はっとして焦点をカレンに合わせてみれば、カレンが不安げな表情をしていた。


俺は努めて平淡とした声音に声を調節しながら、安心させるように言ってやる。


「何でもねェよ。気にすんな」


「そう? なら良いけど……」


カレンは眉をひそめて続けた。


「貴方の「何でもない」は信用できないのよ……そうやって、いつもはぐらかして何もかも自分で背負い込むから」


「――っ! ははははははっ!」


カレンの口から出た台詞に、意図せずして俺は哄笑した。


周囲のカップル達から何事かと不躾な視線が集まるのも気にせず、俺は洩らす。


「信用できない。信用できないと来たか! くくくカカ」


「……怒るわよ?」


眉をひそめるのみだったカレンが、今では盛大に顔をしかめている。


それを手で制してから、俺は言う。


――恋愛事でこうも悩むだなんて、俺の性に合わないしな。出来る限り、ここで俺の想いを告げておこう。


幸い、鋭敏に空気を感じ取ったのか、レーゼとレイラは無言で俺とカレンのやり取りを見守ってくれている。


左隣に座っているレーゼはともかく、右隣に座っているレイラなどはカレンと俺の板挟みになっているのに、だ。


全く、佳い女達である。本当に、俺には勿体無いくらいだ。


「この際だ……いい機会だし、カレン……お前に伝えてェ想いがある」


「……何?」


緊張した面持ちで続きを待つカレンに、俺は静かに告げた。


「俺はなァ、初めて出会ったその時からお前に対してとある感情を抱いている」


「――ッ!」


カレンの肩が震え、アメジストのような輝きを宿す紫色の瞳が揺れた。目をいっぱいに見開き、その瞳に俺の姿を映している。


「――しかし、どうも俺の中には妙な躊躇いが残っているらしくてなァ。俺自身それが何なのか分かるまで、明確な意を籠めてその感情を伝えられそうにねェンだ」


だが、と俺は言葉を重ねた。


「もし俺が、俺の中にある躊躇いの原因に気付けたその時……多分、俺はその時、今此処では伝えられなかったことをお前に告げるだろう」


動揺を顕にするカレンを真っ直ぐに見据え、俺は一言一句はっきりと言い放つ。


「時が来たら、俺の言葉を受け止めてほしい。その上で考えてくれ――俺の言葉に対し、どう応えるのかを」


「…………」


言葉もなく、神妙に聞き入るカレン。


瞳を閉じて、じっと黙考している。その姿からは先刻までの動揺は窺えない。


暫しの間、沈黙が流れる。他のベンチで睦み合うカップル達の快活な声が酷く遠く聞こえた。


それでも辛抱強く待っていると、やがてカレンはゆっくりと頷いた。


その顔には、包容力のある柔らかい微笑が浮かんでいる。


「分かったわ。楽しみに待ってる」


「ああ、安心して待ってろ。……そう遠くない話だと思うしなァ」


寧ろ、刻々とその時が近づいて来ている気さえする。そして恐らく、これはただの気の所為ではないだろう。


戦いの時が近いからか、妙な実感を持って感じるその想いに、俺はベンチに背を預けて蒼天を仰いだ。





「……ッ」


思い詰めた表情で、小さな拳を握り締めたレーゼに気付かずに。



―――――――――――


沈みゆく夕陽が地表を赤く染め上げる頃。


ティーン魔法学園の近くにある小規模な名も無き森の中で、学生服姿の二人の男が対峙していた。


一人は俺。もう一人はカイルだ。


学生服を着ているように、今の俺とカイルは普通の学生としての顔をしているべきだった。しかし、俺達の顔は学生のそれではない。


「――それで、ヴリドラの毒の対処法とやらは何なんだ?」


腕を組んで後ろにあった木にもたれ掛かったカイルが述べる。


その表情は真剣そのもので、いつもの陽気さは鳴りをひそめている。


「……その前に、ちょっといいか?」


そんなカイルを俺は手で制すと、あることを訊く為に断りを入れた。


「いいけど……なんだよ?」


「俺とキスをするなら男の俺と女の俺、どっちが良い?」


「えっ」


カイルの真剣な表情が盛大に崩れた。


次いで、顔を赤くして頬を掻いた。


「れ、レオン。気持ちは嬉しいけど、俺にはルナが――」


「阿呆ッ! この話題で、この状況で、俺がそんな話を切り出すかっ!! そういう浮わついたことは抜きの、真面目な問答だ! つうか、この俺が男に対してンな感情を抱くわけねェだろォがッ!!」


額に青筋を浮かせた俺は、カイルの阿呆な返事に怒鳴り声を上げた。


「す、すまん」


「ふんっ」


不快感を鼻息に替えて出すと、俺は再度問い掛ける。


「で? どうなんだ?」


「そりゃ、女の方が良いに決まってるけどよ……」


不思議そうにカイルは首を傾げた。


「何でそんなことを訊くんだ? いや、それが必要なことで、それ以外に方法がないから言ってんのは分かるけどよ、それにしたって何故に俺に訊く?」


「……俺の立場になってよく考えてみろ。男の姿でお前とキスするか、女の姿でお前とキスするか。どっちが良いか判断出来ると思うか?」


「あー……」


男の姿のままでキスするということは、端から見りゃ完全にガチホモ。女の姿になってキスすれば本人達の認識はどうあれ形だけはまともに見える。が! 自分から女の姿になるということは俺の男としてのプライドが許さない。


が! 先のことを考えると今此処でキスしてカイルに【リジェクター・サークル】の情報を享受しておかなければ、戦力の低下に加え味方にも被害が及ぶかもしれない。


なんというジレンマ。正直、キスをするにせよしないにせよ、俺としてはシャレになんねェワケだ。


「何と言うか、その……正直すまんかった」


「……分かってくれりゃあいいさ。話は決まったんだ。ヴリドラを喚んでくれ。俺はファランを呼ぶからさ……」


「了解」


俺の心中を察したのか、カイルは余計なことは言わずにヴリドラを喚びに掛かる。俺も、ファランを呼ぼうと念話を送った。


《……何だァ?》


ややあって、返事があった。ヴリドラが召喚される様を横目に、俺は手短に事情を話す。


《――ってワケなんだが……》


いつものように、鼻で笑って了承するだろうと思っていたのだが、今回は何やら赴きが違った。


《……テメェ、余程俺を怒らせたいらしいなァ……》


《は? ちょっと待て、そりゃ何の――》


《黙れッ》


冗談だ、と続けようとしたところで、ファランの怒声に思念を乱される。


《お、おい。何をそんなに怒ってんだよ。何が不服だ?》


《何もかもがだッ! いいかァ、そこを動くなよ。少しでも動けば弁明の暇もなくその場で組み伏せてやる》


《組み伏せっ!? テメー何を――》


最後まで言い切れずに強制的に念話が絶たれる。唖然として立ち尽くす俺。


「どうした。何かあったのか?」


「――っ、よく分からんがどうやら俺はあいつを怒らせちまったらしい。カイル、今すぐこの場を離れろ。ヴリドラもだァ! 場合によっては巻き込ま――」


カイルの声ではっと我に返った俺は、すぐさまカイルとヴリドラに避難を促すが。


「もう遅ェよ、三下ァ」


無情な声が、俺の背後からそれを遮った。


反射的に振り向こうとした俺の背中に、至近から爆発でも喰らったかのような衝撃が走る。


それが蹴りによるものだと理解できたのは、地面に叩き付けられてからだった。


「がァッ――!?」


完全に認識の外、知覚外からの攻撃だった所為で反応が遅れた俺は、それをモロに喰らって地面に叩き付けられた。何とか受け身を取ったものの、ダメージは大きい。


この俺にただの蹴りでこれほどのダメージを負わせられる者。身近にそんな者は一人しか居ない。


「ファラン……ッ!」


すぐに身を起こそうと地面に手をつく俺だったが、両腕の筋繊維が収縮する前に純光速の速度域に突入したファランに両腕の手首を押さえられ、一纏めにして頭上で押さえ付けられてしまった。


その時に胸が揺れたことによって気付いたが、いつの間にか女にされていたらしい。いつもの灼熱感が無かったのはただ単にそちらに思考を回していなかっただけで、分割した思考の隅に残された肉体情報によれば、実際にはしっかり灼熱感はあったようだ。


そんなことより、今はこの状態から脱することが先決か――!


「貴様ッ」


両腕の解放は早々に諦め、まだ自由の利く膝をたわめてファランの腹部を蹴飛ばそうと試みるが、亜光速の速度域に在る俺と純光速の速度域に在るファランとではやはり差があった。


俺の方が先に動いていたのにも関わらず、俺よりも遥かに速く動くファランに蹴り脚が放たれる前に抑え込まれてしまった。


たわめていた膝が完全に伸びきり、両足の間にはファランの膝が分け入っている。


両腕は頭上で一纏めにして押さえられている為、頼れない。


両足は股の間に膝が分け入って密着されている為、宛には出来ない。


戦士として、最悪の状態だ。


こういった形で密着されると殆どの行動が封じられてしまう。せめてファランが馬乗りになっていたのならまだ手の打ちようもあったが、そこはファランだ。抜りはない。


かといって魔法や気で立ち向かうのは愚の骨頂だ。今現在の俺が魔力と気の扱いでファランに勝てるはずがない。


出来ることといえば、文字通り目と鼻の先にあるファランの顔を睨むことだけだ。


「ファラン……テメー、何のつもりだ? 俺が何かしたってのかァ?」


「まだ分かってねェのかテメェは」


ファランの顔が忌々しげに歪んだ。


「言ったはずだ。女のテメェが男と交わるとすればそれはこの俺を於いて他ならねェってなァ」


「はあっ!? 別に交わるわけじゃねェし、過去現在未来に到る全てに於いて俺が男なんざと交わるわけねェだろォがッ! 馬鹿じゃねェの!?」


カッとなった俺は即座に言い返してやった。それを受けたファランの目がすぅっと細くなる。


「ほう……良い度胸じゃねェか、三下ァ。だが、まあ良い。その度胸に免じて今回はテメェの蒙を啓いてやるとしよう」


「なに?」


蒙だと? 確かにファランからすりゃ俺は蒙があるのかもしれねェが、事この件に関しちゃ啓く蒙なんぞあるのか?


不快感を隠さず表情に出す俺だったが。


「考えてみろ……もしテメェが女を宿主として宿っていた時、その女が他の好きでもない男に唇を奪われるとしたら……」


「奪われるとしたら……」


奪われるとしたら……なんだろうな。


俺が精神体となって、女を宿主にしていて、その女が他の好きでもない男に唇を奪われるとしたら……。


……………………。


あ、普通に腹が立つわ。宿っている以上俺に近しい女ってことになるし、俺の女に何してんだってな。


「その際、その男を魂の一片すら残さず世界の記憶からすら抹殺し尽くすのを忘れてはいけねェな」


「で、あろう?」


二人して頷き合う俺とファラン。カイルの「いや、そんなの独占欲が異常に強いあんたらくらいのもんだからな? 普通はそこまでいかないからな?」という台詞が聞こえたのは気の所為だろう。


うむ、うむっなどと納得しかけて。


「――って、俺ァあくまで男だろォがッ! それが適用されんの?」


「されるに決まってンだろォが。今回は記憶の享受にキス以外の手法がねェから認めるが、それでもテメェの初を奪うのが俺であることには変わりねェ。

……分かったかァ?」


「……ああ、はいはい。そういうことか」


ファランの意図を理解した俺は、苦虫を噛み潰したような表情で頷く。ずばり言い当てた。


「つまり、女の俺の男とのファーストキスを捧げろと」


「然り。やっと理解したか」


満足げに鼻を鳴らすファラン。


そんなファランを見やり、深々とため息を吐いた後俺は尋ねる。


「お前、本気で俺なんかをそういう対象として見ていたみてェだけどさァ……もしかしなくても、相当溜まってる?」


「当たり前だろォが。俺の忍耐ももはや尽き始めている……そろそろ限界かもなァ。ククククククッ」


ファランは引き裂けそうな笑みを浮かべた。その真紅の瞳は嗜虐の色に染まっている。声が完全に本気だった。


こ、こいつ……と、俺の頬が引き攣る。


最近、やたらと俺を女にして体をまさぐって来るかと思ったら、忍耐が尽きかかってやがったのか! 今も、いつの間にかボタンを外して制服の中に手を突っ込んで来てやがるし……!


「ちょっ、先に言っとくが溜まりに溜まったそれを俺にぶつけるなよ!? 最悪、ノーレにぶつけろや! 恋人同士だしなァ」


「喚くな。今はまだ手を出すつもりはねェよ」


今は!? つまり、これから出すつもりはあると!?


「てめッ、まだってのはどういう――ッ!?」


「ふん」


いよいよ貞操の危機が露骨になってきたところでそれを指摘しようとしたものの、ファランの唇が俺の唇を塞ぐ方が早かった。


ギャアアアアアア!


「んんんんんんんんん~~~~!?」


泡を食ってファランの唇から逃れようと暴れる俺だったが、両腕は相変わらず一纏めに押さえられているわ、両足も押さえられているわで全然効果は無かった。


そうしている間にも、事態は悪化する。


ファランが唇を割って舌を入れてきたのだ。


「~~~!?」


グアアアアアア!


何とか口内への侵入を防ごうと歯を食いしばったものの、うねるばかりで意味を成さなかった。仕方なく舌で押し返そうとし、結果として舌を絡めることになる。


「なあ、カイル。此処は百合の花園か?」


「俺に訊くな。判断に困る。それと一応、両者共に精神は男だし、片一方に到っては肉体も精神も男だぞ」


「つっても、あの容姿だろ? 俺にゃ正直、貧乳黒髪美女が巨乳黒髪美女を襲っているようにしか見えねえんだけど。……ってかヤバい。俺のジョニーが……」


「言うな。俺もだ」


二人して前屈みになるカイルとヴリドラ。しかし、二人とも目を逸らさず鼻血を流しながらじっと目の前で繰り広げられる百合百合しい光景を凝視してしまうのは、男の性なのか。


ぴちゃっ……ぬちゃっ……じゅるじゅる……


ファランは俺の唾液を吸うと、続いて自分の唾液を俺の口内に流し込んできた。


おえっ……


ぬちゃっ……


「ぷはぁっ」


そこで漸くファランは唇を離した。粘着質な水音を伴い、光に反射して銀色に輝く唾液の糸がいやらしく後を引いた。


即座に口内に流し込まれたファランの唾液を吐き出そうとするも、ファランに阻止されてしまった。


「飲め」


「…………!」


横向けようとしていた顔を顎を掴んで上向けられ、唾液を吐き出せなくされてしまった。


き、気持ち悪ィ……女の唾液を飲み、逆に自分の唾液を飲ませるのは、情事の際にノヴァやレイラにしてることだが……まさかこの俺が、男の唾液を飲むことになろうとは……ぅおえっ。


仕方なくファランの唾液を飲み下す。


「ふん……」


満足げに鼻を鳴らしたファランの手が顎から離れる。それを機に、顔を横向けて盛大に咳き込む俺。


ぁぁああああ気持ち悪ィ。喉に絡み付くような感覚が残ってるのが気持ち悪さを増長させている。っぅおええええぇぇ……。





――十数分後。


「……さて、ヴリドラの毒の対処法についてだが」


ファランという名の災厄が立ち去った後、俺は本題に戻った。


今回は俺の意思一つですぐに男に戻れるようにしてもらってある為、さっさとコトを済ませて男に戻ることにする。


「まずはカイル。お前からだ」


「お、おう」


カイルは緊張した面持ちで前に進み出た。そんなカイルの後頭部に手を回し、俺は一思いに口づけを交わした。


「んんっ!?」


口内に溜めていた唾液の生体情報に【リジェクター・サークル】の術式の知識とその応用の手法を刻み込み、一気にカイルの口内に送り込んだ。


事前に話しておいた甲斐もあってすぐに俺の唾液を飲み下し、カイルは情報を吸収する。


「ん……」


必要な情報を送り終えると、即座に俺は唇を離した。一方、カイルは顔を真っ赤にしながらも、俺が享受した情報を解析して「こんな方法がっ!?」と驚きの声を洩らしていた。


それを横目に、コトを見守っていたヴリドラに俺は声を掛ける。


「次」


「あ、ああ」


俺の声を受けたヴリドラが慌てて前に進み出た。そんなヴリドラにカイルにしたのと同じように口づけをしようとしたが、いざ口づけを交わそうとしたところで後頭部に回した手をヴリドラが掴んだ。


俺は眉をひそめた。


「なんだ? 俺ァさっさと終わらせたいんだがなァ」


「い、いや……姉ちゃんよぉ、自分が今何しようとしてるのか分かってるのか?」


「口づけ。不本意なことこの上ねェが、お前に戦場で味方に被害を出されるよりはマシだと無理矢理納得してやってやるんだ。有り難く思え」


何てこと無さそうに、普通に答えてやった。


「そうじゃなくてだな。そりゃ、姉ちゃんみたいな美人にキスされるってのは嬉しいぜ? だけどさ、俺の身体にはちょーっとばかし問題があってだな……」


「〝呪毒〟だろ? 知ってるぜ、だがそれがどうした?」


軽く流してやると、ヴリドラの表情が強張った。


僅かに残っていた軽薄さは拭ったように消え去り、それでもどうにか調子を保とうと無理して笑っているのが手に取るように分かった。


「いやいやちょっと待とうぜ。だったらキスなんて止めるべきじゃないか? 俺の存在を維持している流体の全てとこの身は絶対致死の毒性を持ってんだぜ。

勿論唾液なんかも例外じゃない」


脅すような口調で言うヴリドラ。しかし、それが気遣いから言っていることは明白だった。


本人は素知らぬ顔で脅すような言葉を紡いでいるが、その実切実な想いで俺を制止しようとしているのが虚構の軽薄さの裏にあるのが感じ取れたから。


しかし、それを聞いて尚俺は泰然とした態度を崩さない。


「だからどうした。生憎、俺にはこの世界の生物の範疇に入るような存在に通じる程度の毒性は意味を成さねェンでな。要らん心配だ」


カイルにヴリドラについて話した時は、俺ですら危ないかもしれないと考えたが……今思うと、俺に通じる毒など、毒性を持つ存在の魂の格、もしくは存在の格が俺に劣る限り在りはしない。


無論、ヴリドラの〝呪毒〟すら例外無く無効化してみせる自信がある。故に俺はこの話を持ち掛けているのだが。


「だからその認識が甘いんだって――」


「……はぁ、もういい。論より証拠だ」


いつまで経っても意見を譲ろうとしないヴリドラに些かうんざりした俺は、早々に問答を一方的に打ち切って行動を起こした。


すなわち、ヴリドラの後頭部に回した手に力を込めて顔を引き寄せ、口づけしたのだ。


「…………!!」


抵抗するヴリドラを"覇者"後継者としての筋力に物を言わせて抑え込み、先程カイルにした時と同じように唾液に含まれる生体情報に必要な情報を刻み込み、それをヴリドラの口内に送り込む。


その時、僅かにだがヴリドラの唾液が俺の口内に入り込んだ。


それを察知したヴリドラの顔面が蒼白になる。金色の竜眼に明らかな怯えの色が宿ったのを俺は見逃さなかった。


……こいつ、もしかして――。


俺がそう思い到るのと唇が離れるのは同時だった。


「――ッ、おい姉ちゃん! 大丈夫か、しっかりしろ!」


「……あん?」


俺が唇を離した途端、ヴリドラが勢い込んで訊いてきた。その瞳は俺を爪先から頭までさっと視線を走らせており、異常がないか確認しているようだった。


別に妙な様子など見せていなかっただろうに、と首を傾げ、どうやらヴリドラについて逡巡した時に茫洋とした瞳になっていたのが拙かったらしいと理解した。


勿論、誤解を解くようすぐに俺は反応を示した。


「しっかりも何も、端から俺は何の影響も受けてねェよ。ほら、この通り」


無事をアピールするようにその場で軽く垂直跳びしてみせた。しかしヴリドラの表情から焦燥感は消えない。


「いや、そんなはずがない! どんなに毒性に対する耐性を持っていたとしても、俺の〝呪毒〟は防げるようなモンじゃねえんだ! どこかしら、蝕まれている危険性が――」


「だからねェっつうの。それとも何か、何でもかんでもテメエの物差しで計れるとか思ってるワケか、お前」


「別にそんなわけじゃねえよ。ただ、今まで俺の〝呪毒〟を受けて無事だったヤツなんて居なかったし……」


最後の方は言葉を濁すヴリドラ。どうやら本当に俺に異常がないのが分かったらしい。


深々とため息を吐くと、何気ない口調で、しかし真摯な想いを籠めて語る。


「……お前の過去に何があったのかは知らねェけどな。お前はもう少し、仲間ってモンを信じてみるべきだと思うぞ。味方なら総じて信じろってワケじゃねェ、せめて自分に近しい者だけでもな。

何より、自分を信じろ。過去を捨てろなんて言わねェし、そもそも過去を捨てることなんざ出来やしねェが、それがお前を更なる高みへと至らせるであろうことだけは保証してやる。

……なァンて、俺の台詞でもなかったか。じゃあな」


言っている内に俺らしくもないと思った俺は、言いたいことだけさっさと述べるとカイルとヴリドラに背を向けた。


それと同時に、例の灼熱感が全身を襲った。女から男へと肉体が戻ろうとしているのだ。


「ま、待ってくれ」


と、立ち去ろうとする俺の背中に声が投げ掛けられた。


足を止めて半身だけ振り返ってみれば、ヴリドラが俺に向けて手を伸ばしていた。


本人にも何故俺に向けて手を伸ばしたのか分からなかったようで、伸ばされた手は虚空を彷徨っていた。


「なんだ」


何故自分は手を伸ばしたのか、と困惑した表情で虚空を彷徨う己の手を眺めているヴリドラに、こちらから問うてやった。


するとヴリドラははっとしたように肩を震わせ、少し悩んだ後ぽつりと述べる。


「そ、その……ありがとな」


「は?」


思わず目を瞬かせ、自分が礼を言われたということに一瞬遅れて気付いた俺は、ウィンクを一つ返して言う。


「気にするな。どうせ、今日だけのサービスだしな」


「あ……」


ヴリドラの呆然とした声が聞こえたが、それ以上振り返ることなく前に向き直った俺は、今度こそその場を後にするのだった。



―――――――――――


「気にするな。どうせ、今日だけのサービスだしな」


そう言って長い睫毛が魅力的な切れ長の真紅の瞳をパチンとウィンクさせると、彼女はこの場から去っていく。


いや――彼と言う方が正しかったか。


「あ……」


呆然とそれを見送っていると、そよ風が周囲一帯を撫でていった。その時に舞った程よく紅葉した木の葉が美しい黒髪を靡かせる覇者の後ろ姿を覆い隠し、次の瞬間にはもう世にも美麗な覇者の姿は消えていた。


それこそ、まるで風に拐われてしまったかのように。


「本っ当に自由なヤツだよなぁ。必要なことを済ませたら自分だけさっさと行っちまいやがった。まあ、今回はその自由さに助けられたけどな」


なあヴリドラ? と、カイルが話を振った。


「ああ……そうだな」


ヴリドラは視線をつい先程までレオンが居た方に向けたまま答える。その顔はどこか陶然としたままで戻りそうになかった。


思わず天を仰ぎそうになる。まさかとは思うが――という考えが脳裏を過った。


……とはいえ、無理もないことなのかもしれない。カイルは、ヴリドラの過去に何があったのかを本人の口から聞いたことがある。


それこそがヴリドラを戒めているものであり、それと同時にヴリドラの人格を酷く陽気で軽薄にしている原因でもある。


ヴリドラ本来の明るさもあるのだろうが、普段のやたら変態染みた行動と言動は仮初めのもので、ヴリドラの本質ではない。


――誰か、俺を見てくれ。


――誰か、俺のことを理解してくれ。


そんな、未来永劫、決して誰かと結ばれることの出来ない寂しさと空虚さを誤魔化す為に作られた上っ面でしかないのだ。


故に、口では誰かとそういった行為に及びたいと言っていても、その実誰とも交わる気はないのだ。


そう……口づけを交わしただけで、望むと望まぬとに関わらず相手を毒殺してしまうようなこの身が、間違っても誰かと交わることなどしてはならないし、出来やしないとヴリドラはよく理解していたのだ。


しかし今、絶対不変に思われたその理は覆された。ただ一人の存在によって。


ヴリドラはゆっくりと瞳を閉じた。目蓋の裏に甦る、絶世美君と呼ぶに相応しい黒髪紅眼の覇者。


彼の覇者が幾度となく見せた豊かな表情が脳裏に次々と甦る。


初めて目にしたのは、彼の誕生日を祝うパーティーの時だった。


その時にはどういうわけか既に女になっており、不埒な輩に何かされたようだったが、それでも彼は自分の調子を崩さず普段通りに振る舞っていた。


味方には頼もしく思わせる不敵な笑み。


敵味方問わず、見る者全てを震え上がらせるような酷薄な笑み。


少しむっとなった時の、唇を尖らせた拗ねたような表情。


怒り狂い、怒声を放った時の怒った顔。


自らにとって不都合なことが起きたりした時の、苦虫を噛み潰したかのような渋面。


何か大事な話をしている時の、研ぎ澄まされた刃を思わせる真剣な表情。


戦いの予感に、隠しきれぬ昂りが表に出た時の兇相。


心配事があるのか、時折見せる物憂げな儚い表情。


先刻去り際に見せた、向けられた者を叱咤激励し自信付ける為の獰猛な笑み――。


「……やべ、惚れたかもしんね。どうするよカイル」


「やっぱりか……!」


顔を赤くして述べるヴリドラに、カイルは今度こそ天を仰いだ。


それと同時に、レオンに少しばかりの同情の念を送った。


あいつって女にモテるのと同じくらい男にモテるんだなぁ……あ、そう思うと何か気分が良いわ。いやぁ、何事も完璧な人間ってのは居ねえモンだな! ププッ、レオンザマー。


カイルが後半部分でレオンを嘲る傍ら、ヴリドラはぶつぶつと呟いている。


「いやしかし、そうなると意外と恋敵が多そうだな……先刻のファランとかいうヤツ……レイっつう魔人に……風竜王んトコのヴァン……潜在的にヤバそうなのがサイスとかいう股肱の臣……」


全て聞き覚えのある名前だ。付け加えると、全員何らかの形でレオンと親密な関係にある者ばかりだ。


――付け加えると、学園の方ではラースとかいう男子もあの様子じゃあいつに惚れてるみたいだぜ? 他にも、不特定多数の男子――特に上級生――があいつを狙ってたりする。


現に、三年の男子から告白されてたしな、レオンのヤツ。


あの時のレオンの引き攣った顔ときたら……今でも思い出すだけで笑えてくる。


偶然見かけた異様に異様な告白シーンを思い描いたカイルは、肩を震わせて笑うのだった。


「く、くくく。そんなことよりも、早速享受して貰った情報を解析しなきゃだな。――おい、さっさと現実に戻ってこいって、ヴリドラ! もう明日にまで戦争が迫ってんだ、無駄に出来る時間はねえぞ!」



―――――――――――


夜。


昼の部の出し物は終わり、夜の部の出し物が始まっていた。


夜の部になって来訪者は減るどころか、逆に増加している。それは出し物の中に酒などを取り扱うものが夜の部にあるからで、三年以上の先輩達が色々な出し物をしている。


しかし俺とレーゼは夜の部の出し物には構わず、学園祭の最中であっても人気の無い場所に居た。


俺は夜の部も回ろうかと思っていたのだが、レーゼがそれを望まなかったから。


別にどうしても回りたいってわけでもなかった俺は、何か別に用事でもあるのか? という軽い考えで、一旦ディアス達と別れて先導して歩くレーゼの後ろをホイホイついて来たのだが。


しかし、途中で向かっている場所が何処か分かってきた時点で、そんな軽い考えは消し飛んでいた。今はただ、レーゼについていくのみである。


レーゼが向かっていたのは、学園の裏手に広がる大森林らしかった。サバイバルの時にフィールドとなった、あの森だ。


もう大森林の中に入って数分経つが、未だにレーゼが足を止める気配はない。ただひたすらに、黙々と前方を歩いている。


ずっと黙ってレーゼの後ろをついて来ていた俺だったが、ここに来て流石に口を開いた。


「なあ、何の用事かは知らねェが、目的の場所にはまだ着かねェのか?」


疑問の声は前方を歩いているレーゼの背中に向けられていた。レーゼの足がピタリと止まる。


俺も、足を止めてレーゼの動向を窺った。


「…………」


黙したままレーゼは振り返った。


そうして初めて分かったことだが、レーゼは妙に穏やかな表情をしていた。


そんなレーゼに対し俺の直感が警鐘を鳴らした。


自らの身の危険に、ではない。レーゼの動向に対してである。


何故か? それは、今レーゼが浮かべている穏やかな笑みが、死地に向かう兵士が見せる笑みと酷似しているからだ。この世に於ける自らの存在全てを喪う覚悟を決め、死に場所となる最後の戦場に赴く者特有の、酷く穏やかで透明な笑み――。


「ねぇ、レオン。一つ訊いて良い……?」


「俺に答えられることなら、何でも」


不安に揺らぐ胸の内を悟られぬよう、俺は努めて声音を平静に保つ。


レーゼは俺の様子をじっくりと観察した後、やがて何かを納得したように一つ頷いた。暫時、視線を地面に落としていたかと思うと、ぱっと急に顔を上げた。


その視線は俺の顔に固定されており、普段眠そうに茫洋としていた瞳は内に秘めたる想いを隠そうともせず煌めいていた。


レーゼの唇が動く。


その瞳の色は――青と紅。





『ねぇ、レオン。私のこと、好き?』





――学園祭の活気が遠くに聞こえる、静閑な森の中で。


相反する二つの声が、二重奏を演じた。


一つはレーゼ。物静かだが不思議と心まで届く、凪いだ水面を思わせる声。


一つはリリス。聞く者の心胆を鷲掴みにするような、覇道を解する女王の声。


この時、表層意識にはレーゼの意識とリリスの意識が半々に分かれて存在していた。


そんな状態でのこの問い掛け。いよいよ嫌な予感が確信に変わってきたが、それよりもまずは答えを返すべきだろう。


そう判断した俺は、レーゼとリリスのオッドアイを真っ直ぐに見据えると、一言一句はっきりと真剣な声で告げる。


「――ああ。好きだ。レーゼのこともリリスのことも、一人の女として愛している」


『そう。嬉しいわ……』


二重に重なる声でレーゼとリリスは言う。そんな二人に、今度は俺の方から問い掛けてみた。


「お前らはどうなんだ? 俺のことをどう想っている?」


『答えるまでもない……わ。だけど、レオンははっきりと伝えないと分からないんでしょうね』


ゆっくりとレーゼがリリスと意識を混在させた状態で近寄ってくる。そしてそのまま、腕を広げて抱き着いてきた。


『どう? これで分かった……? 私は――私達は貴方が好きだと』


「まあな。流石に、ここまでされて気付かねェほど今の俺は鈍感じゃねェ」


レーゼとリリスの体を受け止め、右手を後頭部に、左手を背中に廻して柔らかい肢体を抱き締める。レーゼとリリスも俺の背中に手を廻してひっしと抱き締めてきた。


胸の辺りに感じる二つの柔らかい双丘。うなじの辺りを撫でるレーゼとリリスの呼気がくすぐったい。


なまじ感覚が鋭いだけあって俺が身震いすると、レーゼとリリスはクスクスと笑って呼気をうなじに吹き掛けてきた。


「こら、やめろって。くすぐったいだろ」


『レオンは首筋が弱いのね』


「悪かったなコンチクショー」


抱き合ったまま上体を反らして顔を見合わせる俺とリリスに表層意識の支配権を半分譲り混在させたレーゼ。


『く、あははははははっ!』


「くくく、はははははは!」


お互いに一頻り笑い合った後、俺は明るさの余韻が消えぬうちに話を切り出した。


「それで――一体全体こいつァどういう風の吹き回しだ? 何故このタイミングで結ばれに来たんだ」


『…………』


レーゼとリリスは沈黙した。背中に廻された手に力が籠り、そっと身を寄せて来るのみだった。


俺も包容仕返し、辛抱強く答えを待っていると、やがてレーゼとリリスは口を開いた。


『……時が来てしまったわ』


「――――」


その意味を俺は理解していた。


事情は知らないが、レーゼとリリスは恐らく魔界に帰ろうとしている。そして、その時が来るとしたらそれは魔族が大規模な攻勢を仕掛けて来る時に他ならない。


暫くの間、俺は無言でレーゼとリリスを抱き締めていた。少し経って、漸く口を開く。


「……行くのか」


『ええ』


眼下でレーゼとリリスの銀髪が上下した。レーゼとリリスを胸に抱いたまま、俺は質問を続ける。


「危険はねェのか」


『さぁ、どうかしらね……。それは向こうの出方次第だわ……』


「俺のもとへ帰って来れそうか」


『可能ならすぐに帰って来るわ……尤も、そうはいかないのでしょうけど……』


「魔界にはいつ戻るんだ」


『正確な時間は知らないわ。ただ、今から魔界に帰るわけじゃない……』


「そうか……」


レーゼとリリスから聞いた情報を纏め上げ、そこからレーゼとリリス……というか、リリスの置かれている状況を推測する。


あくまでも憶測に過ぎないが――リリスはもしかしたら何かを、もしくは誰かを人質に取られてるんじゃないか?


俺の中では後者を人質に取られてると予測している。


無論、理由はある。理由として捉えるには魔界の情勢を知らぬ者からしたら眉をひそめるようなことかも知れないが、魔界の情勢の一端でも知っている者からしたら、むしろ逆に納得出来てしまうことだ。


魔界は魔人、悪魔、獣人、魔竜、吸血鬼という五つの種族が主だっている。魔獣の類いも勿論居るが、ルーレシア世界に比べれば話の通じる魔獣は多い方だ。


そんな五つの種族が統治する世界。当然の如く、種族が違う違わぬに問わず戦争は起こるものだ。


戦争が起これば戦いに勝利する為に策略を練る。策略を練る為に必要な情報を得る為、敵方に間諜を送り込むのは分かるよな?


後は、相応の利益を以て裏切りを唆すとか。そういったことが戦争には付き物だ。


そしてそれを未然に防ぐのはほぼ不可能だ。送り込まれてくる間諜全てを見極められるわけないし、どんなヤツにだって欲望はあるのだから味方が裏切らない保証はない。


そういう意味では、味方を総じて信用するのは愚かなことなのだろう。下手すりゃ、戦場で後ろからバッサリなんてことも有り得る。


だが、魔界には唯一そういった策略を完全に無効にする種族が居る。この流れからしてもうお気付きの方も居るだろう。吸血鬼の一族だ。


吸血鬼の一族の〝女王〟に対する忠誠心は異常だ。最早狂信すら遥かに越えた領域に在ると言ってもいい。


〝女王〟たるリリスが己が望みの一声を下せば、吸血鬼の一族全体がリリスの望みを叶えようと動く。老若男女問わず、だ。


仮にリリスが「自害せよ」と命ずれば、吸血鬼の一族は瞬く間に自害するだろう。しかも「女王の命令で死ねるなど、なんと栄誉なことか」と、至高の歓喜を抱いて。


その忠誠心は多岐に渡り、戦に関しても無論発揮されるわけで。


一度間諜が送り込まれれば、間諜として吸血鬼の一族に混ざる以前に看破され、リリスの前に突き出し。


一度裏切りを唆されようものなら、そもそも本格的に話を切り出される前に激怒して唆した者を惨殺する。


その異常なまでの忠誠心は今現在も微塵も低下しておらず、最高の状態で保たれているのを俺は〝識〟っている。


果たして、そんな奴等が人質に取られて黙っているだろうか? 答えは否。


人質に取られたと自覚したその時点で、リリスの枷になるくらいなら死んだ方がマシだと、自己犠牲魔法なり何なり使って敵対者もろとも自滅しているだろう。


故に、何か、この場合は吸血鬼という種族を人質に取られたという前者の可能性は低いと見て正しい。


言い方は悪いが、リリスは俗に言う〝暴君〟と呼ばれる類いの〝女王〟だ。確かに吸血鬼の一族を率いてはいるが、一族の為に己が身を危険に曝すようなヤツじゃない。


そして、リリスが重要視している宝物の類いは特に無いことも俺の予想を裏付ける要素の一つだ。


これで、種族全体を人質に取られる、または宝物の類いを敵方に握られている可能性はほぼ無くなったと見て良い。


であれば、残る可能性は一つ。リリスが余程大切にしている誰かを人質に取られている可能性だ。


――しかし、と俺は真紅の瞳を閉じた。


これを訊くのはやめておこう。根掘り葉掘り訊かれりゃ、リリスだって不愉快だろうしなァ。それに、わざわざ訊かずとも誰が人質に取られているかは見当は付く。


……と、腕の中で二つの意識を混在させた銀髪の少女が身動ぎした。


瞬間、世界は塗り替えられる。森の中から豪華絢爛な室内へと。


壁や天井などは黒曜石のような黒漆に透き通った、それでいて室内と室外で風景を隔絶した素材で構成され、素人目でも一目見て最高級だと分かる金糸の装飾が成された赤いカーペットが敷き詰められた、黒と赤を基調としたオリエンタルな雰囲気を漂わせる部屋だ。


貴族の屋敷の部屋――と言うより、歴史ある古城にありそうな一室だ。


いや、よりはっきり言うと、これは――


「こりゃ、吸血鬼とか魔王が根城にしてそうな古城にありそうな一室だなァ、クハハハッ」


『当然でしょう。此処は魔界にある私の居城の一室を再現した世界なんだから……』


「ほぉ? つまり、こいつァお前らの固有結界だったりするのか? それにしちゃあ随分と限定的っつうか、規模の小せェ固有結界だが――って、こりゃあ……」


〝知〟を啓いた状態でレーゼとリリスが展開した空間を見回した俺は、この固有結界に対する認識の誤りを悟った。


この固有結界の真の力を〝識った〟俺は、思わず頬を引き攣らせる。


おいおい……規模がどうのってレベルじゃないだろ、これ。


『気付いた……? 『天地征す覇道の始祖女王(リアグル・トゥルー・ヴァンプクイーン)』の本来の姿に……』


「まあな」


俺は頷いて返す


《吸血鬼の女王》たるリリスが誇る固有結界『天地征す覇道の始祖女王(リアグル・トゥルー・ヴァンプクイーン)』。この固有結界の本来の規模は最早通常の固有結界の域を遥かに越えている。


何せ、現実を侵食して塗り替え自分の領地全てを具現化させているようだからな。


――ここで一つ補足。魔界はルーレシア世界とは違い、大陸は一つしかない。


しかしその規模は凄まじく、ルーレシア世界に点在する五つの大陸全てを複合したのと同等規模の広大さを誇る。


ルーレシア世界とは違い、魔界ではプレート移動による大陸分裂が起こらずに世界が発展してきたのだ。


地球系列世界で言うパンゲア大陸の状態で魔界の主軸となる星が発展してきたと言えば分かりやすいか?


そんな世界で、五つの種族はそれぞれ五つの領地を治めていた。大陸北西を魔人が。大陸南西を悪魔が。大陸南東を獣人が。大陸北東を魔竜が。そして、大陸北部を吸血鬼が。


それぞれ、おおよそ平等になるように分けられている。魔族という種族全体の王、《魔王》となるはそれぞれの種族の〝王〟から選出されるようになっている。


当代の《魔王》は当代の《魔人の王》、つまり『闇の覇者』だ。


そしてもう一つ補足。固有結界には様々な展開方法がある。


記憶領域からの再現、思念からの再現、心象風景からの再現、生体情報からの再現、魂からの再現……世界からの再現。


俺の知る限り、この六つの方法がある。


それらを踏まえた上で考えてみてほしい。リリスは自分の領地全てを具現化させることが出来ると。


そして、リリスの固有結界は記憶領域と思念と心象風景からの再現を融合したものだ。


通常、このクラスの固有結界が具現化出来るのは最大でも大陸規模が限度。


しかし、俺の〝知〟はリリスの固有結界の真の規模が惑星規模だと言うことを知覚した。


ならば何故部屋一つという規模しかないのか? それはリリスが具現化の規模を抑えているからに他ならない。


リリスの居城を中心として展開される、本来ならば不可能なはずの惑星規模の具現化を可能にする固有結界――。


「っはははははは……。おいおいおいおい、まさかとは思うが」


何故この固有結界が惑星規模の力を有しているのか〝識って〟しまった俺は乾いた笑い声を洩らす。


面白そうな目でこちらを見つめているレーゼとリリスに問うた。


「なあ二人とも……いや、この場合はリリスか? まさかとは思うが、リリスお前……魔界の〝始まりの王〟か?」


『そうよ』


「うわぁ……」


うわぁ……。


ちょっとこれはシャレになんねェぞ……。


〝始まりの王〟。それはまだ神々が世界に降臨する以前の世界にて、天地全てを統べた者の称号だ。


〝神代無き世界の王〟。〝全能なる君〟。〝万象の王〟。〝理を顕す者〟。〝偉大なる先駆者〟。〝覇道の王〟。


そう呼ばれることもある。


つまりリリスは、かつて神代無き魔界の天地全てを統べた王ということになる。


それは固有結界にも影響を及ぼし、リリスの領地=魔界全域という本来ならば不可能な具現化を可能にしたのだ。


俺は無言で自分の腕の中に抱かれている黒いゴスロリ服を着込んだ銀髪の少女を見下ろした。


いつもは茫洋としている青い双眼は今は右目が紅く染まり、紅と青のオッドアイになっている。真紅に染まった方の瞳はリリスらしく意思の強い光を宿しているが、青い瞳はレーゼらしくいつもの茫洋としたそれだ。


この世にも稀なる美貌を持つ少女が、魔界の〝始まりの王〟だって? 冗談はよしてくれ。


そう思いはしても、俺の思考は冷静にこの事実を受け止めている。この少女こそが、《吸血鬼の女王》にして魔界の〝始まりの王〟なのだと。


そもそも、外見に囚われている内は話にならん。真の実力は実戦でしか発揮されないんだからな。


――それはともかく、だ。


「レーゼは普段から俺に好意を示すような言動や行動を時々見せていたが、お前までンな素直に好意を示してくるっつうことは……やっぱり、これが最後になる恐れがあるからか?」


『まあ……ね。今回ばかりはどうなるか私にも分からないから……』


相変わらず、レーゼとリリスの口調が混ざった声で答えが返ってきた。


それに対して俺が沈黙していると、不意にレーゼとリリスが俺の体を押した。それに逆らわず後方に倒れ込むと、途中で柔らかいクッションのような感触が俺を受け止めた。


いつの間にか、上で舞踏会でも開けそうな、天蓋付きの広大なベッドが俺の後方に出現していた。俺はそれに身を預けていた。


腕の中の銀髪の少女を見やると、双眼が両眼ともに真紅に染まっていた。どうやらレーゼは表層意識の支配権を一旦リリスに譲ったらしい。


リリスはいつになく妖艶な雰囲気を漂わせていた。黒いゴスロリ服の胸元に指を掛け、僅かにズリ下ろしている。そこからは白く眩い胸が露になっていた。


このベッドが何の為に具現化させられたのかは最早明白だった。


「まずは私からよ。光栄に思いなさい、魔界で最も偉大にして至高なる〝女王〟たる私の純潔を味わえるのだから」


「クハハッ。だろうなァ、ならば難しいことは忘れるとして」


腕の中のリリスを抱き上げて後ろからベッドに押し倒し、俺は瞬時に体勢を変えた。


「今はただ、男と女として――いや、俺の場合は男と女の交わりの域を越えてるから、雄と雌としてになるのか? とにかく愉しもうじゃねェか」


「あら、言ってくれるじゃない。なら私も満足出来るくらい精々愉しませてみせなさいな」


飄々と流してみせるリリスだが、その表情には僅かな強がりが見て取れた。俺はニヤッと不敵に笑い掛けた。


「任せろ。今の俺なら破瓜の痛みすら感じさせず女を愉しませることが出来るからなァ」


言い終わると同時に、俺はリリスの黒ゴスをはだけさせ――。



―――――――――――


翌朝。


リリスが具現化した豪華絢爛な部屋に相応しい天蓋付きの赤を基調とした豪奢な作りの清潔なベッド。


それも昨夜までのことで、今では色々な意味で汚されたベッドの上で。


分割した思考の内の一つで時間の経過を測っていた俺は、今が早朝六時を過ぎた頃であることを知覚していた。


無論、こうしている間にも魔族の襲撃がないか思考の一つを知覚領域の拡大に向けていた。まさか恋人と愉しんでいる間に魔族に襲撃されていましただなんてことは無いようにしたいからな。


「さて、と……」


俺は実に自然な動作で片手を顎に添える。別にそんな動作をする必要は無いのだが、考え事をするにはそこそこ適した動作だからだ。


現在の時刻は早朝六時を少し過ぎている。そろそろ行為を終えるべきなのだろう。


何せ、ノヴァの時と同じく日を跨いで行為を続けていたのだから。


「おーいレーゼ。聞いて……いや、聞こえてるか?」


「あっ、あっ、あっ……」


俺は、一瞬にして己の身を清めて未だ陶然としているレーゼの正面に回り込んだ。


「目ェ覚ませって。朝だぞ~」


「あっ……あっ、ああ……?」


軽く頬をペチペチと叩いてやると、やっとレーゼの青い瞳に理性の色が戻った。


「レ、レオン……?」


次いで、俺の姿を視認すると――、


「~~~ッ!?」


ぼっと一瞬で真っ赤になって俯いてしまった。そこでやっと自分が裸であることを思い出したのか、いそいそとベッドのシーツを剥ぎ取り胸元まで引き上げた。


う~、と唸りながらこちらを見つめるレーゼに俺は苦笑する。


「今更隠しても遅いと思うぞ? レーゼとリリスの肢体は血や肉や毛先爪先の隅々どころか魂の一片に到るまで犯し尽くしたからなァ。

お前らの体のことは手に取るように分かるぜ?」


「へ、変態……!」


「否定はしねェよ。っつか出来ねェ。実際性欲は強いしな、俺。まあ、男なんて生物はどんな種族であれ例外無く須く変態なんだが」


どんな綺麗事を並べ立てようと「漢」の行き着く先は皆同じ。これ、全世界全次元全時空、それすら越えた無限なる存在領域の深淵に到るまでの真理ね。


俺はレーゼの頭に手を置いてレーゼの身体を清めると、辺りをぐるりと見回した。


場所は未だにレーゼとリリスが展開した固有結界の内部である。まあ、二人が固有結界を解除していないのだから当然だが。


数秒ほどして、目当ての場所を見つけた俺はレーゼに訊いてみた。


「身体はもう綺麗になってるが……シャワー行っとく?」


「……うん」





情事を終えてから一時間後。


固有結界を解いて学園の裏手の大森林に回帰した俺とレーゼを待っていたのは、呆れ顔のノヴァとレイラだった。


「むぅ、主とレーゼの気配がこの辺りで急に感じられなくなったと思えば、やはりこうなっていたか」


「告白した時に前以て宣言されてはいたけど。アンタって本っ当に手が早いのね。相手が美人なら見境無いのかしら」


そう述べてため息を吐く二人。


「そう言われてもだなァ……。生憎、俺は物語の主要人物達とは違って基本的に節操が無いんでね。良くも悪くも己の欲望に正直なのさ」


俺は肩を竦めた。


そもそも、一夫多妻制が認められている国で何故最終的に一人しか選ばないのか理解できない。本当に相手の女性達を異性として見てたの? って話だ。


そりゃ、誰か一人とじゃないと嫌だって相手側の女性達が言うのなら仕方ねェよ。その意思を汲んでやると良い。


だが、女性達がハレムを許してくれている場合は別だ。


自分を好いてくれている女性達に対して異性として一定以上の好感を抱いているのなら、全員幸せにするくらいの意気込みを見せてみろってンだ、情けねェ。


あと個人的に腹が立つのは、ハレムを許してくれている女性達に「皆同じくらい大切だよ!」とか言ったくせに全員と幸せになれるだけの手段がありながら最後には一人しか選ばないヤツだな。


皆同じくらい大切に思ってんなら、それこそ全員に対して責任を取ってみせろや。それもせずに何無責任なこと言ってンだこの塵がってわけよ。


もしくは、責任を取って幸せにする気がないなら最初からそう言えよ。「貴女とは付き合えません」ってな。


勿論、何らかの事情があってそうしたくてもどうしても出来ねェってのは俺も仕方ねェとは思うけどな。


「いや、それは流石に暴論ではないだろうか? 確かにそうであろうが……」


俺の胸の内に答えるようにノヴァが口を開いた。


レーゼとレイラの様子を見るに、どうやら考えていたことが口に出ていたらしい。


いつぞやのカルス某の時もそうだったが、ノヴァは物語の主要人物に対して甘さが抜けきっていないようだな、と思った俺だが――。


「そもそも、つまらぬ常識に縛られた物語の主要人物如きにそこまで求めるのも酷であろう?」


「おおっ」


ノヴァの麗しい唇が紡いだのは、容赦の無いそんな言葉だった。


ある意味俺より容赦の無い発言をしたノヴァは俺の反応にキョトンとしている。


「……? いや、だってそうであろ? その手の類いの人間がそういった案件にまともに対応するわけがないのだからな」


「ああ、まあその通りなんだが」


まさか俺の上を行く辛辣な台詞がノヴァの口から出てくるとは思っていなかった俺は、ポリポリと頬を掻いた。


「何か間違ったことを言ったか?」的な不思議そうな目でこちらを見ていたノヴァだったが、ふと視線を彷徨わせた。


「……しかし、これはまた突然すぎる進展だったな。相手がレーゼなら尚更な」


「…………」


それに対しピクッと反応したレーゼは無言でノヴァを見つめた。


仕方なく俺の方から事情を話そうと口を開きかけたが、レーゼが黙したまま目で制止してきた。その意を汲んだ俺は開きかけた口を閉じる。


それを確認したレーゼは再び視線をノヴァに向けた。


そして言う。何故昨夜あの時に限って俺との関係を進展させようと決断したのかを。


レーゼが話すことを二人は淡々と聞いていた。終始余計な茶々を入れることなく流すように、だ。


しかし、この二人ほど今のレーゼの相談役に相応しいヤツはいないし、流すように聞いているように見えてその実真剣に聞いているのだから、俺が口を出さずとも二人はレーゼが今どういう状況下にあるか理解してくれるはずだ。


そんな確信は結果となって表れる。


「なるほどな……」


「そんなことが……」


余程思考を加速させているのか、二人は難しい顔で眉間の辺りを揉んでいる。ノヴァは豊満な胸の下で腕を組み、レイラは片手を細腰に当ててだ。


やがてレイラの方が早くその状態から脱すると、レーゼに小さく尋ねた。


「何か事情があるのは分かったけど……何にせよ、レーゼが魔界に帰還するのはもう揺るがぬ事実なのね?」


「うん……」


事も無げに頷くレーゼ。その陰りのある表情に不安を覚えたノヴァが心配そうに訊いた。


「帰還するとして、やはり無事に私達とまた逢えるとは限らないのだろうな。その辺りの対策は立てているのか?」


最後の部分は俺の方も見ながら述べるノヴァ。俺は大きく頷いてみせた。


「案ずるな、布石は打ってある。レーゼとリリスの身に危機が迫ったその時、必ず救ってみせることが出来るほどの忌まわしき大禁呪を施してあるからなァ」


「なに?」


その言葉にノヴァが目を見開く。


「忌まわしき大禁呪? 今、そう言ったか主よ」


「ああ。しかもだ、俺が手を加えた結果、元々の術式から大きく外れて術者である俺に全てのリスクが振り掛かるっつうおまけ付きだ。

どーよ、スゴくね?」


自慢たらしくニヤニヤ笑って言ってやると、ノヴァはこめかみの辺りを押さえながら――頭が痛くなってきたのだろう――訊いてきた。


「……参考までに訊くが。主はその大禁呪を成立させる為に何を犠牲にした?」


「ん? ああ、三百年くらいの寿命と心臓、十リットルくらいの血液と魔力の凡そ八割近くに、後は魂の一割。この程度だな」


俺は夕食の献立を読み上げる感覚で述べた。それを聞いたノヴァの端正な顔が豪快に引き攣る。


「えっ、なにこの人」的な目で俺を見ているらしいことが分かった。


俺は顔をしかめた。


「おいおい、そんな目で見るなっての。忘れたのか、俺のスペックを。寿命を消費するその時だけ鏡属性の境界操作で不老になりゃ寿命って概念が消えるから実質上消費は無いし、術式もその矛盾を書き換えて発動する。

心臓にしたって俺の生命力なら大丈夫だ。再生不能な脳さえ損傷しなきゃ例え首を切り落とされても何の問題もねェようなヤツだぞ、俺は。

血液にしたって、一気に消費したりせずに消費する量と体内生成で補充される量を考えて消費すれば問題はねェのさ。ってか、人間の体内には十リットルも血液はねェし、むしろこれは当然だろ。

魔力に到っては言わずもがな。総合的に結果として見ると、最終的な結論は「問題ない」の一択で決まりだ。それを踏まえた上で、まだ何か言いたいことでもあるのか?」


自分のスペックに応じた代償のリスクについての理論を並べ立てた上で意地悪く問い掛ける俺だったが。


「ああ、あるとも。大いにある」


ノヴァは俺の発言など意にも介さず、あっさりとそう言い切った。


瞠目して俺がノヴァを見つめると、向こうも俺を見つめ返してきた。


「そもそも、主は妙なところで自分の身体に気を遣わなさすぎだ。大切にしたい存在を命を賭してまで守ろうとする姿勢は、守られる側としてはそこまでして守ろうとしてくれることに感激はするさ。

だがな、それと同じくらい心配なのだよ。例え大丈夫だと分かっていても、予想外の事態で命を落としてしまったりしないか? そう思うと胸が締め付けられるような気持ちになる。

正直、守ってくれることは嬉しいし誇らしいが、主が命懸けで守ろうとする場面を見たり知ったりする度に私は胸が苦しいよ。レイラとレーゼとカレンとて同じ気持ちだろうさ。

だから――」


と、そこでノヴァは一拍間を置き、


「真に私達のことを想うのなら……するなとは言わないが、出来れば、今後はそのような行動は控えてほしい」


ノヴァの切実な想いの籠った声音が耳朶を打つ。静かだが不思議と心に響くその声は、確かに俺の心に届いていた。


青いグラデーションの碧眼は澄みきっており、一途な想いを宿していた。


思わず視線を逸らした先にはレーゼとレイラが佇んでおり、その傍らにはノヴァとレイラと同じく俺の気配を知覚して来たのか、カレンの姿もあった。


カレンの訪れは俺も疾うに知覚していた。ちょうどノヴァが語り始めた時にこの場所に転移してきたのだが、その時はノヴァの言葉が分割した思考までも埋め尽くしており、気に掛ける余裕が無かったのだ。


その三人もノヴァと同様の想いを瞳に宿しており、ノヴァが自分の想いを語ることで三人の胸の内も同時に代弁していたのだと物語っていた。


いよいよ目のやり場を無くした俺は視線を地面に落とした。そのまま、自分とノヴァ達の立場を入れ換えて考えてみる。


もしも自分が逆の立場だったら……烈火の如く怒り狂うだろう。特に、ノヴァ達にそこまでさせてしまった自分については。


そこまで考えて、俺は目を見開いた。俺としたことが……こんな簡単なことに気付いてやれなかったなんて。


つまり、そういうことなのか。俺の身を心配すると同時に、もっと自分達のことを信じてほしいと、そう思っていたのではないか、ノヴァ達は。


多分、間違いないはずだ。俺だって守られてばかりなのは御免だ。もっと俺を信じてくれと願うだろう。


だとしたら、俺は……大きな思い違いをしているのではないか? そうだとすると、これは誰でもない俺が全面的に悪い。


「悪ィ……善処するよ」


「むぅ。本当か? こういう時の主は信用ならぬからなぁ……」


唇を尖らせて悩むノヴァ。俺は心当たりがありすぎる為にそれを否定できない。


暫くじとっと俺を見つめていたノヴァだったが、やがてため息を吐くと俺から視線を外した。


「……とにかく、今後はそういった行動は控えるのだな。主自身と私達の為にも」


「分かってる。するとしても、なるべくお前達に話を通してからにしよう」


「……まあ、分かってくれれば良いのだ。出来れば止めてくれと言いたいところだが、どのみち、命を賭けるのを止めろと言っても止まぬのだろう?」


諦念の表情で語るノヴァに俺は苦笑いを返す。それだけで十分伝わったようだ。話の推移を見守っていた三人にも。


こいつらにはこれからも心配を掛けるだろうなァ、なんて思っていると思い出したかのようにカレンがポンと手を打った。


「ああ、そうだ、忘れるところだった」


「ん? そういや此処に転移してきた当初の様子からして、ただ単に俺の気配を知覚したから来ただけってわけじゃねェ風だったが……。

此処に来たんだ、俺に用があるってことで間違いねェよな?」


頭の後ろで手を組んで言うと、カレンは頷いた。


「うん。今日の出し物の演劇で貴方がやる役の件でちょっと……」


それを聞いて俺は眉をひそめた。


「俺が演劇? ちょっと待て、そいつァどういうことだ? 俺は午後からの武闘会に出るから今日は何の役割もねェはずだぞ」


クラス代表として武闘会に出る選手となった生徒は、武具の手入れや鍛練、体調管理の為に二日目は武闘会以外は基本何の役割もない。


そのクラス代表選手である俺は無論演劇には参加しなくてもいいはずだし、俺もそのつもりだったのだが。


「それが、お姫様役の子が体調を崩しちゃってね。役が役なだけに恥ずかしがって誰もやりたがらなくて、困ってるのよ」


本当に困ったようにカレンは言う。


それに対して俺の反応は、


「ふーん、そう。大変だねェ」


という、なんとも淡白なものになった。


……いや、だって……当然だろ? このパターンは――


「で? 俺にやってほしい役ってのはなんだ?」


湧き上がる嫌な予感を抑え込み、あたかも何も聞いていなかったかのように問い掛けると。


「その、ね。お姫様役なんだけど……」


「やだ」


…………。


……やっぱりこうなったかコンチクショー!!


来ると思ってた。演劇の話を切り出されたその時から、薄々こう来ると思ってた。だが流石にそれはないだろう、既に昨日女装させられてるし二日続けては――そう考えていた数十秒前までの俺を殴りたい。


嗚呼、ノヴァとの話が終わった時点で姿を消しておくべきだったんだ。カレンが余計なことを思い出す前に立ち去っておくべきだったんだ。


俺は自分が生ける時代の世界の運命を担う主要人物、複数の運命を束ねた末に生まれる一つの物語の主格たる存在、あるはずのない奇跡を呼び起こす者、運命の愛し子……俗に言う主人公格ではない。


ないが、主人公格に有りがちなこのフラグは最早回避不能なフラグに思えてならねェ……!


そりゃ、主人公格に有りがちな覚醒を遂げたし、これまた主人公格に有りがち、と言うかある意味無くてはならない「ピンチになったら都合良く覚醒する」とかいった奇跡的な事象も起こしてきたさ!


だけどアレ、奇跡ちゃうから! 意味不明だが一応力の出所は在るみたいだし、最近分かった、いや〝識〟ったことによるとどうも隠された力ってわけでもないっぽかったから!


主人公格に有りがちな「強き想いが力に――!」的なのも――ちなみに、俺は善意に属する想いを〝想力〟に、悪意に属する想いを〝至上悪(イーブルワン)〟に回している――違ったし、「実は封印されていた力が――!」的な内容でも無かった。


いや、何かしら封印されてはいるみたいだが、俺の〝知〟で〝識〟り得たことを鑑みるに、アレは表面上は封印に思える何か――って、こんなことは今はどうでもいい。


とにかく、主人公格ではないことは確かだ。なのに何で俺がこんな目に――!


「…………ッ!」


……否! と揺らぎまくった心を立て直す俺。まだだ、まだ希望はある!


何かこう、上手い具合にカレンを丸め込むことが出来れば、女装フラグを回避する手立ては十分だ。


舌先三寸口八丁。何とか丸め込まなければ。そう決心した俺は早速カレンを説得しに掛かろうとする。


「なあカレン。ちょっと話が――」


「あ、そうそう。レオン、ちょっとこれを見てくれない?」


「あ、ああ?」


が、話を切り出す前にカレンが紙切れを制服のポケットから取り出し、それを俺に突きつけた。


些か出鼻を挫かれた俺は言葉を切り、鼻先に突き出された紙切れを見やる。これは、写真?


一体何の――そう言いかけて、その言葉は遂に口から出てくることは無かった。


変わりに出てきたのは、首を絞められた鶏のような声。


「こっ……これはァッああああ!?」


馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿なBA・KA・NA!! 何故この忌まわしきアイテムがカレンの手にィ――ッ!?


予想外のものを視認した俺が混乱の境地に陥っていると、カレンが如何にもついでっぽく呟いた。


「此処に転移してくる前に……リンス先生に会ったのよ」


「…………」


その一言だけで十分だった。


ぐらりと力を失った俺はガクリと膝から崩れ落ち、四肢を地面について項垂れる。


自分でも見事、いやいっそ美事と思えてくるほど綺麗な挫折の体勢。絵文字で表すとorzと表記される絶望している時によく見られるあの体勢だ。


そんな俺を見下ろしつつ、再びカレンが口を開いた。


「それで、お姫様役の件なんだけど。レオン、やってくれない? やってくれなきゃ……ね?」


対レオン用リーサルウェポン(写真)をヒラヒラはためかせるカレン。


そんなカレンに、俺は――


「……はい」


――そう答えざるを得なかった。





「カレンよ。一体主に何をしたのだ? あの主があそこまで素直に女装を受け入れるとは……」


ふらふらと足元も覚束ずに俺が立ち去った後、ノヴァが首を傾げてカレンに問うた。


白皙の美貌は信じられないものを見たかのように困惑一色に染め上げられており、傍らに居るレーゼとレイラも同じような表情をしている。


「想像を絶するわね。その写真でレオンを動かしたみたいだけど……」


「……見せて」


レイラの視線がカレンの手に摘まれた写真に注がれ、トコトコと近寄ったレーゼがカレンに片手の掌を上にして差し出す。


「良いけど……先に言っておくわ。想像を絶するってレベルを遥かに超えてると思うんだ、これ」


そう断りを入れてからカレンはレーゼに件の写真を渡した。


あのレオンを脅し得た写真ということで、後学の為ノヴァとレイラも写真を胸の辺りで表にして視線を落としているレーゼの後ろに回って一緒になって写真を見ると。


想像を遥かに超えた光景が……そこには、あった。


それを見たノヴァとレーゼとレイラの目が隠しきれない驚愕に大きく見開かれる。


―― な ん だ こ れ は。

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