終わりへのカウントダウン
翌朝。
「…………」
屋敷の地下闘技場で目を覚ました俺は、数回目をしばたたかせた後、無言で辺りを見回す。
地下闘技場には俺とレイの戦いの爪跡が未だに残っており、修復が間に合っていないことを知らしめていた。
立ち合いの場であるフィールドのみならず、フィールド外の壁にまで穿たれたような痕跡が残っているのを見て、俺は安堵の息を吐く。
……危ねェ危ねェ。もう少しで、地下闘技場を崩落させるトコだった。
別に、地下闘技場が崩落しても地上の屋敷には何ら問題のないように出来ているし、地下闘技場にしたって暫くすれば元通りになるのは知っているが、やはり生き埋めは気分が悪いので。
ちなみに、ファランと立ち合う時にはファランが権能で地下闘技場自体の強度を上げてくれているので、ファランが絶大な破壊力を秘めた一撃を放つ度に冷や冷やすることはあるものの、ファランが程度を越えた攻撃さえしなければ地下闘技場が崩落することはない。
……いつぞやの対界宝具には、心胆寒からしめるものを感じたが。
周囲の状況の確認を済ませた俺は、仰向けに大の字を描く体勢を整えようと、上半身を起こそうとするが――。
「……?」
漸く俺は自分の胸から下に感じる圧迫感に気付き、首を起こしてそっと視線を胸元に向けた。
するとそこには――
「うへへ……」
仰向けに寝ていた俺の上にのし掛かるようにして眠っていた、レイの姿が。
いや、この場合は気絶していたという方が正しいか。
レイを見て鮮明に思い出したが、昨夜レイと戦闘に及んだ際、互いに目先の闘争に熱くなり過ぎてしまい、最終的に地下闘技場のフィールドが耐えきれる程度の力に制限した上での一発勝負になり、その結果引き分けて互いに一撃喰らいノックダウンしたのだった。
その時、何の偶然か折り重なるようにして倒れた為、今に至る。
…………。
俺は本気で判断に困っていた。
何の判断かといえば、当然レイの扱いについてだ。
いつもの俺ならすぐにレイをはね除けて起き上がっているところだが、生憎と今の俺はいつもの俺じゃない。
そう、未だにファランの掛けた性転換の魔法が解けていなかったのだ。
前回は女体化してから一時間後には男に戻れてたのに! ファランの野郎、今回は性転換の魔法に一体どんだけの魔力を籠めやがったんだ!?
それだけならまだ良かった。いや良くはないが、まだマシな方だったのだ。
だが思い出してみてくれ、俺とレイの今の体勢を。俺が仰向けに大の字で倒れていて、レイは俺の上にうつ伏せに倒れている……。
そして、胸から下に感じる圧迫感。勘の良い人なら、もうお分かり頂けただろう。
――レイのヤツが、俺の胸の谷間に顔を突っ込んで気絶していることに!
ああ、胸元がレイの垂らした涎でベトベトに……! 不快だ……。
あァン、胸に触れられているのは良いのかって? 精神が男だから胸触られても何も思わんわ! っつーかぶっちゃけどうでも良い……。
揉みたきゃ勝手に揉んでろ。あまりにも鬱陶しければ当然追い払うが。
それはともかく、この状況は拙い。
ここで俺がレイをはね除けて無理に起きようとすれば、目を覚ましたレイに何て言われるか分かったモンじゃねェ。
かといってこのままの体勢だと、誰かが見に来たりしたらその時点でアウトだ。どのみち、恥をかくことになる。
仕方ねェ、かくなる上は【瞬転】か境界操作でこの場を切り抜けるか――そう思い、いざ行動に移そうとした時。
「――っ!」
俺は後方――今の俺の体勢だと、頭上と言う方が正しい――に人の気配を感じ、思わず硬直する。
今になってやっと気付けたことに関しては確かに悔しいが、自らの弱さを痛感している場合ではなかった。
この、研ぎ澄まされた刃のような鋭さを併せ持つ、絶大な力を内包した者の気配は。
――思いっきり、覚えがある。というか、こんな力の波動を放つヤツはこの屋敷に一人しか居ない。
冷や汗を流しつつ、ギクシャクとした動きで後ろを振り返ると……。
「…………」
「…………」
やはりと言うべきか、そこにはファランが居た。
いつの間に? たぶん、最初からだ。何故地下闘技場に? 恐らく気まぐれだろう。というか、何なんだこの空気は――。
重苦しい沈黙が流れる。
いや、あのファランさぁ、何故に無言? お前ならこういう時真っ先にからかってくるものだと思ってたんだが。
からかわれるのは勿論不快だが、からかわれないというのも何か調子が狂う。ってかこの際からかうのが目的でも良いから、この居心地の悪い空気を取っ払ってくれねェかな――。
そんな俺の願いが届いたのか。ファランは口を開いた。
――だが、ファランの口から紡がれた言葉は予想とは少し違った赴きであった。
「――そいつとは肌を重ねたのかァ?」
「……は?」
予想の斜め上どころか垂直に上を行き過ぎているファランの発言に、俺は素っ頓狂な声を発した。
今の発言も、こいつらしいふてぶてしい笑みを浮かべて成されたのならまだ予想の範囲内だ。
しかし、今のファランは眼光も鋭く、今までにも幾度かあった『今の俺が知るには過ぎたことだ』と判断した事柄が関与する会話の時や、戦闘時に垣間見る真剣な表情をしていた。
な、何なんだ? 俺とファランって今現在どういう状況下に身を置いているんだ?
いや、ファランの方は当然の如く何の意図があって問いを投げ掛けたのか分かっているだろうから、この場合、正確にはファランの問い掛けに返答すべき俺が、か……。
などと、戸惑っていると。
黙り込んだ俺の様子を見ていたファランは、すっと目を閉じた。
「その様子を見るに、どうやらそいつと肌を重ねてはいねェようだな」
「当たり前だろ。何でこの俺が男と肌を重ねなきゃならねェンだ」
ファランの言う「そいつ」ってのがレイを指す言葉だということは、この状況を鑑みれば分かりきったことだ。
しかし解せんな。何故ファランはそんなことを訊いてきたんだ? いや、俺とレイの今の体勢を何も知らぬ者が見ればその手の疑問が沸き上がるだろうが、相手はあのファランだ。
勘違いなんてしねェはずだが。
そう指摘すると、ファランは尊大な態度で口を開く。
「女のテメェが誰かにその純潔を捧げるとしたら、それはこの俺を於いて他ならねェ。だから訊いたまでだ」
「えっ」
いや、あの……えっ? つまりファラン、お前はこう言いたいワケか?
もし女の時の俺が誰かと交わるとしたら、自分以外に有り得ぬと?
「だから俺は何があっても男とはしねェって言ってんじゃん」
呆れたように言うと、ファランは俺をジロリと見据えた。
「テメェにその気が無くとも、俺にはある。こちとら千年前封印されてからまだ一度も女を抱いてねェんだよ……理解できねェか?」
「あー……」
なるほどな、と頷く俺。漸くファランの言わんとすることが理解できた。
余計なことは一切気にせず単刀直入に、単純明解に言えば、だ。
――どうもファランは色々と持て余しているらしい。それも、俺を性の対象として見てしまうほどに。
「…………」
重症だ。この上無く重症だ。もとよりファラン、種族を問わず並みの存在では比較にならないほど欲望が強い。
そんな女好きなファランが、果たして千年もの間女を抱かずに我慢していられるだろうか? 答えは否だ。
――どうやら俺、現在進行形で貞操の危機に曝されているらしい。
……まさかとは思うが、その為か? その為に今回の性転換の魔法には未だに魔法の効果が切れねェほどの魔力を籠めたと?
やべェ。途方もなくやべェ。気付かぬ間に俺はファランのターゲットにされていたらしい。
喩え逃走を図ったとしても、一秒も経たぬ内にファランに捕まって試合終了だ。逃げようにも逃げようがない。
転移を行使して逃げようにも、転移先をトレースされるのは火を見るより明らかなので、この案もアウト。
ってか、それ以前にまず逃げ場自体存在してねェや。
最早絶対的とも言える己の窮地を悟った俺の額に、冷や汗が浮かぶ。
ヤバいヤバいヤ・バ・い。
この地下闘技場は既にファランの独壇場と化している。戦闘時はいつもそうだが、今回は違う意味でだ。
そんな感じで俺が戦々恐々としていると、ファランが不愉快そうに鼻を鳴らした。
「テメェはいつまでその体勢でいるつもりだァ? さっさとその汚物を躯の上から退けろ。テメェは俺の所有物だ」
「誰がテメェの所有物だって?」
聞き捨てならぬことを耳にした俺はすかさず言い返す。まあ、野郎なんか上に乗せてても不快なだけだから、取り敢えず【瞬転】でこの体勢から脱するとするか。
善は急げとばかりに即座に【瞬転】を発動した俺は、ファランの前方に現れた。……心なしファランから距離を置いて。
当然の如くそれに気付いたファランは、仏頂面で言い放つ。
「ハッ。そうビビるなよ。今のところ襲うつもりはねェンだからよォ」
「今のところ、ねぇ……」
つまり、いつか気まぐれに襲うかもしれないと。
思わず尻の辺りを押さえたくなった俺だが、一先ず警戒は解いた。
そこで漸く胸元がレイの垂らした涎で湿っているのを思い出し、【浄化】の魔法を使って念入りに汚れを落とす。
黒衣が肌に張り付く不快な粘着感が消え、俺は未だに寝ているレイを一瞥して深々とため息を吐く。
全く、過去最悪の目覚めだったぜ。
一息吐いて落ち着いてきた俺は、ふと疑問に思い問う。
「そういやファランって何でここに来たんだ?」
「特に理由はねェよ。気の赴くまま足の赴くままに敷地内を彷徨っていたら最終的に此処についただけだ。強いて言うなら、まだ戦いが続いているようなら俺も参戦しようとしてただけだなァ」
そしていざ来てみりゃあ、戦いは終わってテメェが無様なトコを曝してたっつゥことだ――と、ファランは吐き捨てる。
そんなファランの言い草に苦笑いしつつも、俺は地下闘技場の倉庫の方にある時計を見やった。
ふむ、もう九時過ぎか。随分と気絶してたもんだ、我ながら情けない。
……と、俺は自分がまだ女の姿のままだということを思い出し、重要なことを訊いてなかったのに気付いた。
「ところで、俺は一体いつになったら男に戻れるんだ? 明日からまた学園に行かなきゃならねェから、最低でも今日中には男に戻っておきたいんだが」
長い黒髪を整えつつ、ファランに問いを投げ掛ける。
対してファランは、俺に背を向けてそれに答える。
「案じずとも、それの効果は今夜までだ。日を跨ぐ頃には既に男に戻ってるんじゃねェの?」
「そうか。なら良かった」
素っ気ないが嘘は感じられないファランの言葉に、取り敢えず胸を撫で下ろす。
流石に性別を偽装して学園に行って女だとバレない自信はない。身長の高さは男の時と同じなのでそれについては問題ないが、どうしても胸がね……。
サラシか何かで押さえ付けていると、その圧迫感の所為でどうしても普段の俺の動作とは違った動きをしてしまうかもしれないのだ。
なまじ体の異変に沿った動作を可能にするよう鍛えているだけあって、そういった普段の俺には見られない動作からバレる可能性は非常に高い。
というか、ディアスとユイにはほぼ確実にバレるな、うん。
なんとも嫌な確信を抱いてしまった俺は、そんな自分に苦笑いした。
「こりゃあ今日は外を出歩かない方が良いな」
今の自分の状態からすると当然の判断だと思ったが、どうやらファランは俺の考えとは違うようだ。
その証拠に、何かを思い付いたような愉快げな表情を浮かべてこちらを見ている。
「良いじゃねェか。試しに王都にでも繰り出してみろよ」
「馬鹿言え。それで俺の女体化について知らねェ知り合いと出会したらどうしてくれんだ」
俺の場合、大変遺憾ながら元々女みたいな容姿だったから、女になっても面貌的特徴自体は殆ど変わってないのだ。
そんな俺が王都を彷徨いて事情について知らねェ知り合いと出会したら、最早見るに堪えない状況になること間違いなしだ。
ファランもそれは分かっているはず。分かっていてなお平然と口に出すのだから、なおさら質が悪い。
苦虫を噛み潰したような渋面を露骨に浮かばせる俺に、ファランは肩を竦めた。
「ふん……面白みの無いヤツめ。言っておくが、今日は鍛練には付き合わねェぜ。俺にも予定ってモンがあるからなァ」
「えっ」
「ぶっ飛ばすぞテメェ」
予定? ファランにそんなものあったの? と思って声を洩らすと、案の定ファランに睨まれた。どうやら彼にも予定なんていう概念はあったらしい。
心底驚いている俺から気に入らなさげに視線を逸らすファラン。
「……まあ良い。とにかく、今日の鍛練については今伝えた通りだ。じゃあな」
「あっ、おい」
くるりとこちらに背を向けたファランを呼び止めようと声を掛けるも、その時には既に彼の姿は地下闘技場の何処にも見当たらなかった。
リミッターを外していてもこれである。一体、どのくらいの速度域に突入しているのか、甚だ疑問である。
……まず確実に、光速は超えているだろうな。
何となくやるせない気持ちになってきた俺である。度々思うんだが、『闇の覇者』との戦いではもうあいつが表層意識に出てきて戦えばいいんじゃねェのか?
まあ、そうしたくとも出来ないのが現実だし、何よりそんな魅力的な戦いは誰にも譲りたくないと思っている俺が居るのもまた事実なのだが。
……さて、ファランは用事があるみたいだし、一先ず上に上がるとするか。
昨夜レイと戦闘に及んでからというもの、一度も地上に出ていない。もし宴の後片付けがまだ済んでいないようなら、それを手伝うのもいいだろう。
ずっと妙な体勢で寝ていたために固まった体を解そうと、手を組んで大きく上に伸び上がると、体の節々からパキパキと小気味の良い音が鳴った。
さて、体も良い具合に解れたところで、早速上に上がるとするか――そう思い、上に上がる階段に足を向けた矢先である。
「……そんなに怖がるなって、エアリアル……痛いのは始めだけで、じきに気持ち良くなるからさァ……へへへ」
「…………」
少し離れた位置で未だに夢の中にあったレイが、胡乱なことを呟いた。寝言だということは言わずとも知れているが。
――今の一言で、この馬鹿がどんな夢を見ているのかは明白だった。
俺は急きょレイの方に方向転換し、端正な顔にいやらしい笑みを浮かべているレイの傍らに立つと――
「……テメーはいつまで眠りこけてるつもりだ、三下ァッ!!」
「バハマッ!?」
左足を軸足に右足を大きく引いて、強烈な蹴りをレイの顔面に叩き込むのであった。
―――――――――――
屋敷の主が地下闘技場で不逞の輩に制裁を加えている頃。
サイスは以前報告に上がった、東西南北に存在する魔法陣の様子を見に来ていた。
何故サイスが此処に来ているのか。発端は、定期的に送っていた部下の内の一人が、昨夜の宴の席でぽろりと洩らした一言だった。
「そういえばさぁ、この国の東西南北に敵方の仕掛けた魔法陣ってあったじゃない? あれって常に明滅してるものなの?」
――宴の途中、部下である女性悪魔が席を同じくした時にそう問うてきたことがあった。
その時、サイスは事象としては十分に有り得ることだと答えたが、実際はそうではない。
あの時は無用な混乱を招かぬためにそう言ったが……通常の魔法陣ならまだ有り得る。だが、次元転移系の魔法陣は少しわけが違う。
サイスの知る次元転移系の魔法陣に見られる事象は二つ。
常に光り輝いていて、いざ誰かが召喚される時により強い輝きを放つタイプと、普段は光りを放たず、誰かが召喚される時に光りを放つタイプだ。
この場合、今現在も東西南北に展開されているだろう次元転移の魔法陣は後者の方だ。普段は光りを放たず、沈黙を保ったまま発動の時を待つ……。
その中でも特に隠匿性が高く、周囲の地形を魔法陣として機能させているのがレオン陣営が要注意としている魔法陣だ。
そして今、魔法陣と化している地にサイスは居る。
「…………」
サイスは黒い翼を羽ばたかせ、中空から無言で地上を見下ろす。
所々に点在している岩の位置や木の位置、または植物の位置や小川の位置などから構成された地形魔法陣は、こういった魔法陣に関する知識のある者が高い位置から見下ろしてやっと気付けるほどに隠匿性に優れていた。
この魔法陣が発動する時は、中心部を流れている小川を起点に魔法陣の一部となっている岩や木などにそれぞれ魔法陣が刻まれ、その魔法陣が一条の光線を放って魔法陣間を繋ぐことにより次元転移魔法陣を構成し、起点となっている中心で二分するように一直線に流れている小川の地形的概念が扉の役割を果たし、魔法陣となっている光線が強い輝きを放ち、対象が次元を超えて転移してくる……といったところだ。
故に、魔法陣が顕現して明滅していることなど有り得ないのだ。
しかし、部下の話が事実なら、魔法陣は明滅していた……。
光り輝いていたのではなく、明滅していたということは大人数が転移してくることはないが……少人数、それも一人か二人ならば或いは有り得ることかもしれない。
何故なら、この次元転移魔法陣はもとより大軍を転移することを想定されて構成された魔法陣だからだ。
そんな魔法陣が一人か二人しか転移させなかったとすれば、発動しても反応が弱かったのも頷ける。
早い話が、敵がルーレシア世界にこの魔法陣経由で入り込んだ恐れがあるのだ。
サイスは上空から魔法陣と化している一帯にさっと視線を走らせるも、敵の存在を表す痕跡は一切見られない。
――敵はこの魔法陣経由でルーレシア世界に侵入して来ていると仮定して動くのが得策。
だが、ここに痕跡が見られない以上、早々に立ち去るのが正解か。
冷静に決断を下したサイスは、判断した通りにこの場を後にしようとした。
その時だった。
「おや? おかしいですね、こんな所で同族と会うなんて」
サイスの背に丁寧な疑問の声が投げ掛けられた。
今まさにこの場を立ち去ろうとしていたサイスは完全に虚を衝かれる形になったものの、動揺を顔に出さず落ち着いた動作で振り返る。
サイスから十メートルほど離れた位置に、白い青年が居た。
その青年は、清潔感を漂わせる純白の燕尾服に、これまた純白のズボンを穿いていた。
肌も病的に白く、背に生えた翼も白い。肩に掛かる程度の長さの髪も色が抜けたような白。
唯一、幼さを残した端正な面貌を飾る瞳だけが金色に煌めいていた。
その容姿と服飾はまさに天使と呼ぶに相応しい。しかし、この青年は間違っても天使などではない。
それどころか、立派な魔族だ。
青年自体己が魔族であることを隠してはいないようだ。そうでなければ、サイスを同族と称するはずがない。
何よりサイスは、同族の――魔族特有の気配を白い青年から感じ取れていたのだ。
ここまで要素が揃えばもう間違えない。この白い青年は、自らと同じ魔族だ。恐らく、いや間違いなく〝闇主側〟に属する者。
確信すると同時に、サイスは密かに戦闘態勢に移行した。
そんなサイスに構わず、白い青年は穏やかに微笑んで口を開いた。
「何故君は此処に居るんだい? こっちの世界に進出した仲間達は総じて何らかの役割があるはずなんだけど。その中にこの魔法陣を守護する任は無かったと思うよ。
君は――……、ああ、そういうことなのか」
白い青年は端正な顔に理解の色を広げて言葉を重ねる。
「君が噂に聞く〝覇主側〟に付いた反戦派の魔族達の一人だね? それなら此処に居るのも頷ける」
「……ならば、どうするおつもりで? 此処で私と戦いますか」
ここまで言われて沈黙は逆効果だと悟ったサイスは、すかさず言い返した。
右手を魔剣の柄に置き、いつでも抜剣できる構えで。
しかし白い青年は、戦闘の意思を明確に表に出したサイスを見て、ただ苦笑を浮かべて首を振るのみだ。
「そのつもりは無いよ。僕が魔王様から賜った任はこの大陸の偵察だけだからね、今日はこの大陸を見て回っていただけさ」
それに――と、白い青年は続ける。
「元々戦いが好きっていう気性じゃないんだ、僕は。嫌いではないけれど、積極的に戦おうとは思わない。つまり、そういうことさ」
朗らかに笑う白い青年の言葉に、サイスは内心判断を迷っていた。
彼の言葉に嘘はない。それは直感で分かる。このままいけば戦闘は避けられそうだが、その実サイスの諜報員としての勘は戦闘すべきだと囁いていた。
戦士としての勘ではなく、あくまでも諜報員としての勘がだ。
確かに、このまま白い青年に余計なことをせず見逃せば戦闘は避けられるだろう。
しかし、もし此処で彼を見逃すと何か重要なことを聞きそびれるかもしれないのだ。時には手を出さねば情報が手に入らないこともある。
そして何より、サイスに判断を迷わせていることがある。
今向き合っているこの白い青年の正確な実力が分からないのだ。
弱いわけではないが、特別強い力の波動を感じるわけでもない。しかし、今度はサイスの戦士としての勘が彼に余力のようなものを感じているのだ。
――この男、何者だ?
内なる警戒心をさらに高めたサイスが、黙したまま白い青年を見据えていると、白い青年は軽く息を吐き出した。
「さて、僕はここらで帰還させてもらいます。ああ、安心してください。この魔法陣、まだ本来の機能通りには発動出来てませんから。
それでは、ごきげんよう」
別れの言葉を述べると、未練なくこの場を立ち去ろうとする白い青年。
それを見て、サイスは決断した。この青年をこのまま行かせてはならない。
深追いは危険だが、今ここで後一歩だけでも踏み込めれば何らかの情報が得られると、サイスの直感が訴えていた。
それが原因で命を落とす可能性は否めないが、もし此処で自分が死んだとしてもレオン陣営に強敵の情報が行くという算段がサイスにはあった。
サイスは自分の力量をそこそこ高い方だと理解できており、そんな自分が死んだ場合、『どうやらこの世界にサイスを降すほどの力を有する敵が侵入を果たしているようだ』と、レオン陣営に伝わることを計算の内に含めていた。
付け加えて、サイスはレオンの屋敷の自室にとある魔石を置いてある。
その魔石は所有者として魔力を籠めた者が強く思い描いた光景を記録する性質を持ち、死が直前に迫った時にはそれにこの白い青年の情報を託せば、強敵の存在だけではなく特徴までレオン陣営に伝わることになる。
勿論そんな魔石にも有効距離という弱点はあるが、此処から屋敷までなら十分にカバー可能だ。
それに、此処で死ぬかどうかについて、サイスはある賭けに出ていた。
「…………ッ!」
白い青年が背を向けた瞬間、サイスは即座に抜剣し、黒い翼を羽ばたかせて突きの構えでこちらに背を見せている彼に突進した。
「――おや」
白い青年は僅かに驚いたような表情を見せたが――次の瞬間。
――――!?
(消えた!?)
多数の羽虫が立てるような低い音を発し、白い青年の後ろ姿が掻き消えた。
目を見開いて一瞬前まで白い青年が居た空間を凝視するサイスだが、惚けている暇も無く戦士としての本能が割れ鐘のような警鐘を響かせる。
それに従い、ほぼ反射的にその場で半回転して、胸の前で真紅のオーラを纏った剣を構える。
瞬間、まるで謀ったかのようなタイミングで襲い来る蹴り足。
超音速で迫るそれが魔剣にぶち当たった途端、けたたましい金属音と共に魔剣を持つ腕と剣腹に添えていた手を、凄まじい衝撃が襲った。
両腕に堪え難い激痛が走るが、サイスは歯を食いしばって口を割って出そうになる呻き声を抑え、無表情のまま強烈な蹴りを耐えきった。
サイスが後退すると同時に、斜めに構えられた魔剣が血の如き真紅の残光を引いて後を追う。
「――積極的に戦おうとは思わないのでは?」
サイスは己の背後に――否。正面に現れた白い青年を睨み、そう嘯いた。
それに対し白い青年は困ったような笑みを浮かべて言う。
「流石に背後から剣突を放たれては、普通は反撃をしてしまうものですよ」
平然と先の言を覆すようなことを言う白い青年。
本当に積極的に戦おうとしない者は、自分が圧倒的に戦闘能力で勝っている場合、攻撃されても流すばかりで反撃したりしようとは思わないことが多い。
そう、刹那の間に行われた攻防の中で、サイスは敵の力量を理解していた。
――この男は、総合力の面を見ればレオンに追随するだけの力を持っていると。
勝りはしていなくとも追随することができるだけの力を持つということは、レオンを除く"覇者"後継者達と同等レベルの戦闘能力を有しているということだ。
いくらサイスが普通の魔族の戦士の水準よりも遥かに高い戦闘能力を持っていても、"覇者"後継者クラスの相手が敵では、勝利は難しい。
もしこのまま本格的な戦闘になれば、サイスに勝ち目は薄いのだ。
しかし、サイスはそれを承知のうえで先制して攻撃を放っている。無論、何も考えずに攻撃したのではない。
白い青年にはああ言ったが、サイスの中では彼が反撃してくるところまで織り込み済みだったのだ。
サイスが賭けに出たのは正にそこだった。刹那の間とはいえ、矛を交えたことにより白い青年のおおよその実力は理解できた。
後は、敵の動向だけだ。このまま敵が退くのならよし。戦闘になるのなら――その時は全力で応戦するまでだ。
そして、サイスは敵が前者を採る可能性が高いことを見抜いていた。
サイスの思惑は的中し、それは現実となる。
「……まあ、今のはお互い無かったことにしようか。見ての通り僕は無傷だし、君は――」
と、そこで白い青年はサイスの腕を一瞥した。
正確には、魔剣も含めた肩から先全てを。白い青年は一旦言葉を切り、考える素振りを見せた。
やがて考えが纏まったのか、諦念にも似た感情を声に滲ませて言う。
「……申し遅れたけど、僕は序列七位の〝ライト=ファング〟って言うんだ。君は二ヶ月ほど前には既にそちら側の陣営に立っていたそうだけど、序列について何か知ってるかい?」
唐突に名乗りを上げた白い青年――ライトに、サイスは眉をひそめたくなった。
本来ここは取り合うことなく沈黙を保つのが定石なのだが、折角敵が何か重要そうなことを言っているのだ。わざと話に興じてみるのも一つの手だ。
そう考えたサイスは、唇を湿らせて言葉を紡ぎ出す。
「生憎と、そんな形式は存じておりません。それが何か?」
「なら、君の主に伝えると良い。僕達の陣営には序列を持つ十二人の戦士達が居ると」
「…………?」
含み笑いをして言うライトに、今度こそサイスは眉をひそめる。
何故それを敵である自分に? と言いたげなサイスの視線に、ライトは何度めかになる苦笑を見せた。
「いえ、君の腕と魔剣に掛かった負担の代価にでもと思っただけですよ。それにこの情報について特に口止めされてるわけでもありませんし、僕としては喋っても問題ないことなんです」
口止めされていたのなら考えますけどね――とライトは嘯いた。
それに対しサイスは視線を己の腕と魔剣に落とし、胸の内で呟く。
――やはり気付かれていたようだ、と。
しかしそれも一瞬のことで、何事もなかったかのようにライトを眺める。
ライトは、そんなカケラも弱みを見せようとしないサイスの態度に感心したように頷いた後、改めて別れの言葉を言う。
「それでは、今度こそここらで僕はお暇させて頂きます。また会えるのを楽しみにしていますよ」
「そうですか。できれば私としては二度と会いたくないものですが」
真っ正面から切って捨てるような物言いのサイスに、ライトは「これは手厳しい」と苦笑いしつつも、いつの間にか発動していた次元転移魔法陣の発動圏内に移動して、姿を消した。
本来の用途からして不完全な為か、淡い燐光を発して転移を行った次元転移魔法陣を見下ろしていたサイスは、役目を果たした魔法陣の燐光が空気に溶けるようにして消えた後も、暫時その場を動かなかった。
遠くの景色を見るように無表情で虚空を見つめているその様からは、彼が何を思い、考えているかは分からない。
ライトが去って数分ほど経った頃だろうか。
漸く動き始めたサイスは、高度を下げて地面に降り立った。地に足がつくと同時に黒い翼を消しながら、ゆっくりと。
そして、着地した時に緩かに曲げていた膝を戻して真っ直ぐに立った直後、まるで限界を迎えたようにサイスが右手に保持していた魔剣が半ばからへし折れた。
普通に折れたのではなく、刀身の半ばが完膚なきまでに破砕していた。
サイスの強力な魔力がチャージされていたはずの魔剣が、あろうことか砕け折れていたのだ。
血飛沫の如く真紅のオーラを散らして砕け折れた己の魔剣を他人事のように見下ろしていたサイスは、地面に散った魔剣の刃の破片に、砕けた魔剣の切っ先を向けた。
低い声で呟く。
「修復」
紡がれた言霊に応じて、砕け散っていた魔剣の刃が独りでに収束していき、やがて元の魔剣の形に戻った。
しかし、形は元に戻ってもそれがもう魔剣として機能していないことは誰の目から見ても明白だった。
鮮血にも似た真紅のオーラは刀身から消えており、そればかりか刀身の半ばにはケロイド状に薄く亀裂のようなものが見て取れた。
「…………」
無惨な姿になった長年揮ってきた愛剣を目にして、しかしサイスは表情に変化を見せなかった。
「剣を変えねばなりませんな」
ただ、そう独白を洩らすのみだった。
そのまま剣を鞘に納めたサイスは、この地に最早何の未練も見せず、主であるレオンの本拠地たる屋敷に転移した。
新たな剣を入手することも大切だが、まずはこのことをレオンに報告するのが先決だと判断したのだ。
―――――――――――
「――以上が、今回の報告です」
「…………」
サイスから今回起きた出来事について話を聞いた俺は、真紅の瞳を閉じて思う。
これはまた、厄介な奴等が居たものだと。
――俺が目覚めてから時間は進み、時刻は丁度十二時を刻もうとしていた時のことだった。
いつものように厨房に立とうと身支度を整えていた俺のもとへ、サイスが来たのは。
その時の俺はいつもの定期報告だと思い、昼食を全て作ってしまってから話そうと言ったのだが、サイスが新たに有力な情報を得てきたと聞き、急きょ厨房を女性魔族に任せて自室に直行した。
そして、順を追って今回の案件について報告された俺は、念の為にとサイスに訊いてみた。
「敵の言葉に嘘は?」
「感じませんでした。恐らく事実かと」
「そうか」
ベッドの上に胡座をかき、俺は腕を組んで考え込む。
序列……、序列ねぇ。てっきり王道らしく四天王的な存在が居るかと思ってたんだが、序列ときたか。
しかも十二人。妙なところでとことん王道から外れてるよなァと思う瞬間である。
ともあれ、真面目な話その十二人全員が"覇者"後継者クラスの戦士だとしたら、相等旗色が悪い。
一対一での戦いなら、相手が余程の強者でない限りは連戦になっても俺ならば切り抜けられるだろう。
ロイ先生達にしたって、いくら総合力で追い付かれようと一芸に於いては圧倒的に秀でている為、そこを衝ければ問題なく勝てるだろう。
上手く戦えば、連戦連勝だって可能なはずだ。それだけのポテンシャルがロイ先生達には備わっている。
……が、しかし。そう上手くいかないのがこの世の常というヤツだ。
敵の言葉を信じるのなら十二人居るという強敵の内、序列の若い上位陣は単独行動を好む可能性が高いので、その点だけなら上位陣についての懸念は少ない。
反面、下位陣の連中がどんな行動に出るかだ。そういった集団の中で下位に位置する奴等は、自然と他の者と組んでいる可能性が高くなる。
最悪の場合下位陣の奴等が全員揃い踏みして襲い掛かってくることすら有り得る。
もしそうなれば、基本的に二人でチームを組んでいる俺達はかなり不利だ。
まさか敵も好き好んで三つのチームが同じ場所で戦っている時に攻めては来るまい。それでは組んだ意味が無くなってしまう。
それ以前に、三つのチームが同じ場所で戦うことなどあってはならない。そもそも、チーム分けしたのは効率良く敵を撃破する為であって、間違ってもチーム同士で協力する為ではない。
それくらいなら、端から七人を一つのチームとして動いた方がマシだ。
基本的に、協力するのはあくまでも自分のパートナーだけだ。俺の場合、協力するのはカレンだな。
それ以外のチームのことは、余裕がある時以外は自分のチームを優先すること。それが俺達の間で決められた事柄だ。
そうでなくとも、戦場では自然とバラけて戦うことになるだろうが……敵の下位陣が狙うとしたら、そこだな。
一つのチームを集中的に狙い、確実に叩き潰す。各個撃破を狙う時の常套手段だ。
そうと分かっていても案外この策から逃れられないのは、強大な力を有する者ほど戦場では孤立しやすいことから為る。
当然俺達もその範疇に収まっているので、三つのチームは何らかの形で絶対に離れる。前述した「自然とバラけて戦うことになる」というのはそういうことだ。
で、もしこれをやられると……相当キツいんじゃないか、実際。
ロイ先生達のチームは体力的な問題だとして、これは俺とカレンにしても言えることだ。
流石に俺も"覇者"後継者クラスの敵に囲まれてまともに戦える自信はない。
二人か三人までなら同時に相手取ってもどうにかなるだろうが、十二人も居る中で下位陣がたったの三名とは考え難い。
……ちなみに、俺の予想だと敵の下位陣は恐らく五人。報告にあった序列七位よりも下の五人だ。
「……ったく、こっちはエキドナやらコアやらでもうお腹一杯だってのに」
苛立ちのあまり、長い黒髪をガシガシと乱暴に掻き乱す。
敵の主格である『闇の覇者』の実力が未知数だというのに、そこに序列持ちの魔族の戦士とやらが加わりやがった。
ただでさえ開いていた戦力差がまたさらに開いた。いくら俺の陣営にノヴァやコアといったチートが居ても、これは酷い。
……えっ、そんなに戦力差があるのかって? あるんだよそれが。
何せこっちは"覇者"後継者とその使い魔、または協力者と、後は魔族と戦える実力を備えた限られた戦士達だけしか戦力が居ないんだからな。
システィールは勿論、帝国も共に戦ってくれるだろうが、動員できる兵は多く見積もって三十万程度だろう。
それでも十分多く見える? 甘い、甘すぎる。たかが三十万の軍勢を心強いと思えるのは、それが通常の戦争であった時だけだ。
考えてもみろ、敵はちょっと手を出してみた感覚で軽く十万もの軍勢を動かせる相手だぞ?
そんな相手が、本格的な戦争が始まったら一体どれほどの軍勢を動員してくるか……想像するのも恐ろしい。
俺個人の心境としては、それだけの大軍と戦えるというだけで昂りを抑えきれないが、これは俺個人の戦いではない。"覇者"後継者の戦いなのだ。
――時が経つほど、状況が悪化していくな。
そう思わずにはいられない。だが、こちらから仕掛けるのはまだ不可能だ。敵のアクションを待つしかないのである。
「…………」
茫洋とした瞳で虚空を見つめ、考え込む。
かつてこれほどまでに進行が遅く、イレギュラーな事態の多い戦争があっただろうか? いや、ない。
進行が遅い戦争はあっても、それがもとよりそういう類いの争いになる戦争なだけで、俺達のように侵略者から世界を守る類いの戦いはコトが始まれば大抵スムーズに進行する。
今までの歴史を振り返ってみれば分かるが、大体はそんな感じだったのだ。
確かにコトが始まるまでは長いが、一度状況が動けば連動するように事態は進行する。それがこの世の常。
――だが、俺達の戦いはそうもいかない。進行の遅さもそうだが、それ以上にイレギュラーの多さがね。
「……なんて、嘆いていても意味はない、か……」
独白すると、俺は深くため息を吐いてからサイスを見据えた。
「ご苦労だったなァ。何か褒美を取らせようと思うんだが、何か希望はあるか?」
返ってくるであろう返事は予想できたが、取り敢えず訊いてみた。
すると予想通り、
「いえ。当然のことをしたまでです。褒美を賜るほどのことなどしておりません」
サイスらしいお堅い言葉が返ってきた。
俺が難しい表情をしていると、サイスは「それに」と言葉を重ねた。
「私に必要な物は既にレオン様から賜っております。なのでお気になさらず――」
「いや、そいつァ嘘だな」
サイスの言葉を遮るように否定の言葉を被せた。
軽く礼をしつつ話していたサイスが俺の顔に視線を向けるのを待って、俺は話し始める。
「それは違うんじゃねェか、サイス。その証拠に、現時点でお前には欠損している物がある」
言いつつ、視線をサイスが腰に帯びている魔剣に向ける。
サイスは僅かに瞠目した。
「……恐れ入りました。まさか気付かれておられたとは……」
「そりゃあ気付くさ。俺に余計な心配をかけないよう、少しばかり刀身に細工をしたみたいだが、生憎臣下の装備品の変調に気付けぬほど鈍くはねェんだ」
そう述べると、俺はベッドから身を乗り出してサイスの腰に手を伸ばした。
パチンという音を立ててサイスの腰から魔剣を鞘ごと外す。その間、サイスは終始俺の行動を見守るのみで、身動ぎ一つしなかった。
サイスほどの戦士が、俺が魔剣を取るのを抵抗の一つもせずに見守るとは、どうやら俺は本当に信頼されているらしいなァ。
そう思い苦笑する俺だったが、信頼されているのは素直に嬉しい。
「褒美と言っては何だが、ここは一つ、俺がお前の魔剣を修復しようと思うんだが?」
「しかし、そのようなことにレオン様の手を煩わせるわけにはいきません。それに褒美については既に十分すぎるほど賜っていると――」
「……サイス」
俺は、どこまでも欲の無い股肱の臣を見やり、真剣な表情で語った。
「君主たる者、功績を上げた臣下に何の褒美も取らせぬようでは、王としての器が知れる。そう考えてみてくれ」
「――承知しました」
サイスはすぐに理解の意を示すと、ただ一言こう言った。
「では、褒美として私の魔剣を修復して頂けませんか?」
「任せろ。こう見えて、この手の作業にはかなり自信があるんだぜ」
サイスの魔剣を片手に自信満々に言い放つ。実際、俺は武器の手入れや修復、または製造まで、自分で言うのは何だが結構芸達者なのだ。
ファランの後継者となってからというもの、使い魔召喚の末にノヴァと使い魔の契約を結んだことにより、創造と破壊の力を手に入れたことでさらに磨きがかかったと言っても良い。
そんな俺が修復するんだ――至高の一振りに仕上げてみせる。
だが、その前に――と、俺は立ち尽くすサイスを見上げる。
「先刻は修復という言い方をしたが、もう一つの選択肢として一から魔剣を鍛えるっつー手段もある。ってかぶっちゃけその方が俺としては楽なんだが――サイス、お前の意見を聞かせてくれ。
もとよりこの剣、お前の物だからな。ここで手放しても良いのか、それともやはり修復する方を選ぶのか。さぁ、どうする?」
「……、私は――」
サイスは、今は俺の手にある己の魔剣を一瞥すると、迷うことなく自分の意見を口にした。
「私は、やはり修復することを望みますな。その一振りは永年私と幾多の修羅場をくぐり抜けてきた愛剣でして、愛着が無いと言えば嘘になる。
レオン様にはお手数お掛け致しますが、できればそのような方針にして頂きたく」
「くくくカカ。そうだ、それで良い。やっと己の本来の望みを自分から口にしてくれたなァ。俺の臣下たる者、やはりそう在るべきだッ!!
臣下の成長、主として好ましく思うぞ!」
サイスの返答に俺は喜悦を隠しきれなかった。
そうだ、やはり俺の臣たる者はそうでなくてはなァッ! 自分の欲に忠実で自由であってこそ、俺の臣下だ。
従順なのはいいことだが、従順すぎても面白くない。時には思いきった言動、行動ができる臣下の方が俺は好ましい。
そんな、主としてねじ曲がった主観を持つ俺としては、今のサイスの言葉は非常に良かった。
喩えそれで手間が増えたとしても、喜悦の感情の方がデカくて全く気にならない。
そんな些事、構ってられるかってんだァ。ハハハハハハッ。
そうと決まれば、早速取りかかるとするか。
「地下闘技場は……よし、誰も使ってないな」
視線を床に落とし、地下闘技場の気配を探って頷く。流石に此処(自室)じゃ場所が悪い。あくまでも修復するのであって、実際に打ち直したりするわけではないが、やはりもう少し広い場所でやるのが良いだろう。
そう判断すると、俺はサイスの魔剣を片手にベッドから飛び下りて、真横に立っていたサイスの肩に手を置き、地下闘技場へと転移するのであった。
―――――――――――
場所は変わり、屋敷の地下闘技場では。
「さて……と」
必要になる素材を創造した俺は、それらを地面に置いて合成手順を吟味していた。
傍らには、それを見守るサイスが一本の剣のように直立している。
今目の前にある素材は、精神感応金属であるオリハルコンを始めとして、ミスリルや神代の魔石、『魔狼縛りし無限の連鎖』の概念が籠められた結晶に、後はいつぞやの勇者(笑)から戦利品として強奪した聖剣『フールクラリス』だ。
他の素材はともかく、何で聖剣なんて物が混ざってるのかって? そりゃ、この聖剣には一応光神の神格の一部が内包されてるからだ。
『魔狼縛りし無限の連鎖』の概念が籠められた結晶を創造したのも、この為だ。
勿論全部修復に使用するつもりだ。
俺がサイスに説明した修復方法は到ってシンプル。
サイスの魔剣の刃の破片を構築し直し、その繋ぎとして創造した素材を使う。ただそれだけ。
しかし、少しでも手順とタイミングをミスれば、どうなることか分かったもんじゃねェ。
下手すりゃ、もうこの魔剣を修復するのは諦めないといけないかもしれないのだ。
……よし、これでいこう。
一通り考えを纏めた俺は、まず始めに聖剣を手に取った。
聖剣の刀身に行き渡る光神の力の核を集中力を研ぎ澄ませて感覚のみで探り出し、おおよその見当を付けると呟いた。
「【ブレイク】」
破壊の魔力を籠めた言霊に応じて、剣としては頑丈なはずの聖剣があっさりと無に還った。
残ったのは柄の部分だけだ。それを摘み上げた俺は、瞳術『叡知の瞳』を発動して柄を〝視〟た。
「なるほどねぇ……光神つっても原初の属性神とはまた違った神格の力が籠ってるみたいだな。なら、後はそれを結晶化させればいいか……」
そう嘯くと、柄に宿っている加護の力を強引に収束させ、創造の力で実体を与えた。
柄は靄のように消滅し、後には透き通った金の水晶が残された。
さて、まずはこれを合成したいところだが、その前に神耐性のあるオリハルコンを魔剣に組み込まなきゃなァ。
そう思いオリハルコンに意識を向けると、オリハルコンは独りでに地面に置かれたサイスの魔剣に吸い寄せられていき、魔剣の形に重なりあった。
途端、魔剣は淡い光に包まれた。魔剣自体が霞んで見え、刀身半ばに見られた亀裂はすうっと消える。
これで第一段階はクリアだ。それを確認すると、俺は手の内にあった金の水晶を魔剣の柄に押し当てた。
すると、魔剣の柄に溶け込むようにして金の水晶が沈んでいく。元々聖剣に付加されていた力を他の剣に移すとなると、力が消滅してしまうのが関の山だが、前以て魔剣に組み込んでおいたオリハルコンのお陰で、問題なく合成できた。
一呼吸ほど様子を見て、魔剣に異常がないのを確かめた後、次に神代の魔石を魔剣に組み込んだ。
そこへ『魔狼縛りし無限の連鎖』の概念が籠められた結晶を捩じ込んだ。それは神代の魔石と混淆した後、魔剣に組み込まれているオリハルコンと同化した。
そこにミスリルを加え、オリハルコンと並行して魔力の伝導率を高める。これで準備完了だ。
「よし……『創造――魔剣創製』」
直後、魔剣が強い光を放った。バチバチという放電音を伴う発光に、俺とサイスは目を細める。
光が治まると、そこには元通りになったサイスの魔剣があった。
以前と変わらぬ黒塗りの刀身。外見は特に変わった様子はなかった。しかし、付加されているであろう力には大きな変化があるはずだ。
「サイス、ちょっと試し斬りしてみないか? 俺としてもどの程度の切れ味があるか、完成度を確認してェンだけどよ」
「承知しました」
一礼したサイスは、俺が差し出した魔剣を握った。途端、刀身を血のような真紅の魔力のオーラが覆う。
「これは……」
魔剣特有の輝きを目にしたサイスは、俺の顔を横目で伺う。それに対して俺は、気付いたか、と頷きかけた。
以前よりも魔剣が放つ魔力の出力が跳ね上がっているのだ。大体五~六倍ってトコか?
それだけではなく、聖剣から移植した光神の加護を、『魔狼縛りし無限の連鎖』に内包されている概念で縛り、グレイプニルに付与されている俺の『風の覇者』としての神格で染め上げて能力の傾向を変換し、魔剣の主であるサイスの潜在能力を引き出している。
今のサイスには、喩えユリウスとミスティが同時に挑んだとしても勝てないだろう。アウレアとグリアが加わって互角、さらにルナが加勢して漸く勝ち目が見えてくるくらいだ。
試し斬り用にと俺が創造した直径六十センチの鋼の棒を、サイスが軽く振っただけで魔剣は両断してみせた。
その切れ味の冴えに俺は満足げに頷く。よしよし、ここまでは完璧だな。
「なら、次は魔剣の能力だなァ。サイス、ちょっと俺と立ち合ってみねェか?」
「レオン様と?」
「ああ。――構えろサイス。いくぞっ!」
言い終えると同時に、俺は黒刀を召喚してサイスに居合いを放った。
事前に宣言したとはいえ、あまりにいきなりすぎる攻撃だとは自分でも思ったが、相手がサイスなら問題ないだろうという信頼もあった。
ガキンッ、バチバチバチ!
その信頼に応え、サイスは見事俺の居合いを受け止めてみせた。
「やるじゃないか! 流石サイス、俺の見込んだ男だっ」
「勿体なきお言葉。至極光栄です、レオン様」
魔剣越しに語りかけると、サイスは目礼をしてそう返してきた。こんな時にも変わらぬサイスの慇懃な態度に苦笑しつつ、俺は腕に力を籠めてサイスを弾き飛ばした。
すぐさま俺は後退したサイスを追い、斬撃を雨のように浴びせかける。それをサイスは最小の動作で躱し、弾き、受け流す。
音速を遥かに超えた速度域に在る俺の刃を、サイスは"覇者"後継者よりも若干遅い速度域とはいえ、同等に近い速度域に突入して防いでみせた。
元々サイスは音速を超えた速度での戦闘が可能だったが、魔剣の強化により超音速での戦闘を可能にしていた。
我ながら素晴らしい魔剣を創製したものである。そして、恐らく生まれて初めて味わうであろう超音速の速度域を上手く御しているサイスにも感心せざるを得ない。
普通、突然速度が上昇したりすれば、その速度を制御できずに壁にぶつかったり、剣を振るうタイミングを間違えてしまったりするものだ。
しかしサイスはそれを初体験でモノにしている。これで感心せずにいられようか。否、いられるはずがない。
今のサイスならば、勝利まではできずとも、ロイ先生達が相手でもなかなかいい線いくんじゃないか?
そう思うと、昂りが抑えられない。
魔剣を創製し直せば、誰しもサイスのように強くなるわけではない。その魔剣を使いこなせなければ、むしろ弱くなる。
最悪、魔剣の力に振り回されるがままに壁に激突したり転んだり、身体の捻りを間違えて関節の駆動域外の動きをしてしまったりで、最終的には自滅してあの世逝きだ。
そんな魔剣に創製し直したのも、サイスの実力を信じてのことだったが……。
「――っと! 危ねェ危ねェ……」
危うく今回の目的には行き過ぎた闘争心に身を任せるところだった。
今は抑えなければなァ……。
この場に於いては己の欲望を自制する俺。
ん、俺が欲望を抑えるのが意外だって? 何か勘違いしていたようだな。普段、俺は欲望に負けていたワケじゃねェンだわ、これが。
自らの欲望を制御下に置いたうえで暴走してただけで、この通り抑えようと思えばいつでも抑えられる。
幾度も激しく打ち合った末にガシッと斬り結んだ俺は、鍔迫り合いながら魔剣の向こう側に居るサイスに囁いた。
「サイス、これから再びお前を押し戻して距離をとる。その時にお前に対して殺意を向けるから、俺の〝鎖〟を使いこなしてみせろ」
「委細承知」
俺の不可解な言葉に、しかしサイスは悩むことなく応えてみせた。
どうやら〝視〟えたようだな、と唇の端を吊り上げる俺。魔剣に封じられた〝鎖〟は創造者である俺の性質を僅かながらも残しているからな。
効率よく覚醒させるには戦闘に及んだ方が良いと踏んだが、やはりそうなったか。
そんな思考を置き去りに、俺はサイスを先程の再現をするかのように弾き返した。先程と違うのは、今回は追撃をかけずその場に留まったことだ。
「覇者の鎖よ!」
そして、俺との距離が大きく開いた直後、サイスの低くもよく通る声が響いた。
―――――――――――
レオンが戦いの途中で突然妙なことを言ってきたが、サイスにはそれがどういうことか理解できていた。
レオンと打ち合っている時からだろうか。鈍い銀色の〝鎖〟のイメージが閃き、脳裏から離れないのだ。
戦っているうちに自然と浮かび上がってきたこのイメージ。これこそがレオンの言う〝鎖〟だということは最早間違いないだろう。
前言の通りレオンが距離を取るべく、鍔迫り合いの体勢からサイスを押し返してきた。強化されたはずの己の筋力すら軽く凌駕するレオンの筋力に感嘆しつつも、サイスはレオンの言葉通りにレオンから大きく距離を取った。
即座に魔剣に意識を向けると、またあのイメージが脳裏を掠めた。
鈍い銀色の鎖。レオンが創造した、究極無比の捕縛の鎖。
途端、サイスの脳裏に鎖のイメージと入れ換わるようにして言葉が浮上した。それは、この鎖を顕現させるに相応しい呪言。
その呪言をサイスは唱えた。
「覇者の鎖よ!」
――ジャララララララッ!
言下に、虚空に四つの歪みが生じた。それぞれの歪みから鈍い銀色の鎖が勢いよく射出され、それはこちらに殺意を向けていたレオンに殺到した。
「ここまではいいなァ。であれば……」
それに対してレオンは鎖の軌道を予測して回避の動作を取った。その目は、何かを確認するように鎖を追い続けている。
レオンが回避した為に、鎖はそのまま地面に激突するかに見えたが――。
ギャルンッ、ジャララララララッ!
地面に激突するかに見えた銀の鎖は、突然その進行方向を変えた。――回避したレオンの方へと。
それはレオンの四肢に蔓のように巻き付き、スラリとした長い足にまとわりついた鎖が胴体ごとレオンの躯を捕縛した。
「くはッ!」
ギリギリと躯を締め上げられ、レオンが苦痛に息を吐き出した。
「レオン様――」
「……ッ、案ずるな。その必要はねェ」
それを目にしたサイスは即座に鎖を消そうと魔剣に意識を向けたが、それよりも早くレオンは自力で鎖を弛めていた。
自由に動ける程度に鎖を弛めたレオンは、深く息を吐き出しながら言う。
「この分なら問題なさそうだなァ。あぁ、これがその魔剣に組み込んだ〝鎖〟だ」
そう言って、レオンは未だに己にまとわりついている鎖を持ち上げてみせた。ジャラ、という金属の擦れる音が鳴る。
レオンの言う〝鎖〟と言うのがグレイプニルのことを示しているのは間違いない。魔剣創製の時に組み込んだ結晶だ。
「『魔狼縛りし無限の連鎖』は聖剣から取り出した光神の神格を制御下に置き、レオン様の神格で染め上げる為だけの物ではなかったようですな」
鎖が出現した空間の歪みを眺めていたサイスは、感嘆の意を籠めてレオンを見やった。
「まァな。それと、本来そいつァ捕縛専門の鎖なんだが。ちょっとばかし手を加えてあるから、攻撃にも使えるぞ、その鎖」
言いつつ、鎖を完全に解くレオン。
サイスが鎖を消すのを待ち、レオンは言葉を重ねた。
「これであの鎖はいつでも使えるぞ。無論発動には少し魔力を使うが、それとて微々たるものさ。アレは覚醒さえ済ませておけばかなり使い勝手の良い武具だからなァ」
「確かにそのようです。このような武具を賜れるとは――」
「あー、いいって別に! 気にすんな」
礼を述べようとしたサイスに対し、レオンは苦笑混じりにそれを押し留める。
サイスが一礼してそれに応えると、この話はこれで終わったとばかりにレオンが両手を上げて大きく伸びをした。
それにより、レオンの形良く突起した胸が黒衣越しに突き出される。
忘れてはいけないが、レオンはファランの気まぐれによりまだ女の体のままなのだ。
「…………」
サイスは目を瞑った。正直、目の毒にしかならない。まさか、自らの主に不埒な考えを抱くわけにもいくまい。いや、しかし……。
サイスとて男である。レオンのそんな姿を見て煩悩が湧くが、それを持ち前の精神力で捩じ伏せて、あまりに無防備な主に諫言する。
「レオン様。今の御身のお体では、その体勢は如何なものかと」
「ん? 何を言って――って、ああ……」
パキパキと小気味の良い音を鳴らしていたレオンは、サイスの言葉に一瞬怪訝そうな表情になるものの、自分の体を見下ろした先に豊満な胸を目にして、げんなりした表情になる。
「そういや、まだ女だったんだな、俺……」
そんなことを呟いている。どうやら今の今まで自分が女であることを忘れていたらしい。
深いため息を吐くレオン。
「にしても、そんな敵が出てくるとはなァ……」
気をまぎらわすように口を割って出たのは、そんな言葉だった。
レオンが女体化についての話題から離れたがっているのを察したサイスは、追従するように口を開いた。
「これでまた、敵の正確な戦力が定かではなくなってきましたな」
「ああ。――しかし、コアみたいな敵は多分もう出てこないと見ていいだろうなァ……」
遠くの方を見るような目で洩らすレオン。コアみたいな、というのは恐らく神の類いということだろう。
以前レオンはエキドナという蛇の女神と交戦している。そして一昨日、神名をケツァルコアトルという女神コアと戦い、見事降してみせただけではなく、従属神にするという偉業を成し遂げている。
まさか〝闇主側〟も従属神になるとは思ってもみなかっただろう。今後このようなことがないとも言い切れない為に、異界の神を召喚して戦線に加えることは控えるはず。
『闇の覇者』は大抵の定石を敢えて無視する嫌いがあるが、異界の神の召喚は少しわけが違う。
「――ルーレシア世界に関する、ファランの妙な言葉を信じればの話だが……」
レオンは目を細めてそう呟いた後、横目でサイスを見つつ言った。
「……時にサイスよ。お前は"闇の頂点"についてどう考えている?」
「"闇の頂点"ですか……」
どう、とは何か訊かずとも知れている。近い未来に再臨するであろう大戦争に、"闇の頂点"である者達が参戦するか否かだ。
サイスは暫し考えた後、
「これはまだ私が魔界に居た頃の話ですが、"闇の頂点"の内、《魔人の王》は《先代王》であるレイ殿が玉座を降りてからというもの、未だに空席という話を聞いたことがあります。
今現在は形式上《魔王》である『闇の覇者』が《魔人の王》の座に当て嵌まりますが――それ故に、実質上の《魔人の王》に関しては警戒する必要はないかと」
「そうか……となると残りは悪魔、獣人、魔竜、吸血鬼といった一族になるが」
レオンは顎に手を当てて考える。
「"闇の頂点"の一角であり、女王でもあるリリスがあれだと、女王の意向を重んじる吸血鬼が大戦争に参戦してくることはなさそうだな」
「はい。それに付け加えて、《魔竜の王》も参戦の意は無いでしょうな。《魔竜の王》は私達反戦派の魔族と同じく、魔族の大部分の様子がおかしいと感じた為に中立の立場に居た存在なので、間違いはないかと」
「ふうん? じゃあ大戦争に対する方針が分かってねェのは、実質悪魔と獣人の王だけになるなァ」
――尤も、それは《吸血鬼の女王》リリスや《魔竜の王》の考えにもよるが。と、レオンは話を完結させた。
―――――――――――
あの後、サイスと敵戦力について話し合った俺は、屋敷の自室にある窓から外の景色を眺めていた。
傍らのベッドには、暇を持て余したらしいレーゼがうつ伏せに寝そべって黒革表紙の本を読んでいる。
俺が異世界の知識を纏めた書物〝Another World〟だ。俺が異世界の知識を解析するにつれて日々更新されているので、いつの間にかレーゼの愛読書となっていた。
「……平和だな」
ただぼんやりと外の景色を眺めていた俺は、無意識の内にそんな言葉を洩らしていた。
正直、永らく続く平和は好きではない。そんなつまらない日常が続くかと思うと虫酸が走る。
生温いぬるま湯に浸かった平和が続くのなら、俺が戦争の火種になってやると思うくらい永らく続く平和は嫌いなのだ。
しかし――……。と、考えていると。
「レオン」
「……ん」
声に応じて視線を巡らすと、起き上がってベッドの上に両膝を立てて座っているレーゼの姿があった。
レーゼは〝Another World〟の黒革の表紙を見つめると、ぽつりと言った。
「レオンは、戦いが終わったらいろんな世界を旅して回るって言ってたよね……」
「まあ、な。そのつもりだ」
隠すことなく頷く俺。
もとより隠すつもりはなかったし、普段からレーゼにもそう話していたことがあったからな。
レーゼは膝を抱えたままベッドに横向きに倒れると、視界に俺を収めて問うた。
「その時は、私も一緒に連れてってくれるの……?」
「前にも言ったじゃねェか。お前さえ望むのなら連れてってやるって。どうしたァ、急に。何か不都合なことでも?」
「ううん。訊いてみただけ」
不思議に思い問い返してみるも、レーゼはそう答えたっきり俺の布団を被ってしまった。
「レーゼ?」
レーゼの妙な言動に一抹の不安を覚えて名を呼んでみるも、レーゼは布団の中で丸まったまま返事をしなかった。
無理にでも話してみるべきか眉をひそめて思案する俺だったが、ちょうどその時ファランから念話が届き、それを繋げた。
《なんだよ。今日は鍛練に付き合わないんじゃなかったのか?》
《予定変更だ。厄介な奴等が〝闇主側〟に居るみてェだからなァ。最低限対人宝具くらいは網羅してもらうぜ》
《対人宝具ゥ? もう三百は使えるようになったってのに、まだあるのかよ?》
《当たり前だ。すぐに地下闘技場に来い。《先代王》のヤツも呼んであるからよォ》
それを皮切りに、念話が途絶えた。
「ったく、何でこういう時に限って予定が入るのかねぇ……」
舌打ちして黒髪を荒々しく掻き乱した俺は、腰を曲げて布団の端から除くレーゼの銀髪にそっと触れた後、手を頭の位置に移動させて撫でた。
「俺はちょっと地下闘技場に行ってくるから、何か用があったら地下闘技場まで来いよ。一段落したら話を聞くからさ」
「……うん」
今度はコクリと頷いて返答したレーゼを見下ろして、少しだけ先程の不安が薄れた俺は、服飾を〝風の覇者〟のそれに改めて屋敷の地下にある闘技場に向かう。
――この時、この平和な日常が終わるカウントダウンが始まったことを、俺は感じていた。




