パーティーは盛大に
「あ、そういや今日誕生日じゃん、俺」
――始まりは何気なく口から溢れ出たそんな一言だった。
『むっ?』
「何?」
「……?」
その一言に反応して、下に居たフリードと俺の傍らに寄り添っていたノヴァとコアが首を傾げた。と言うのも、今現在俺達は馬上の身ならぬ竜上の身だからだ。
カイルとの真なる戦友の絆を深めた後、一旦屋敷に戻った俺は、珍しく神界から降りてきていたフリードと顔を合わせ、フリードと一緒に夜間の任務に駆り出していたのだ。
それについて来たのがノヴァとコアである。その時はまだ屋敷に滞在していたレイラとノヴァに、コアのことについてジト目で色々と問われたが、事情を説明してなんとか修羅場は回避した。
ちなみに、コアには既にルーレシア語を古代文字まで含めて全て教授してある。こんな短時間の間にどうやってそんな大量の事柄を教えたかっつーと……性魔術って言えば後は分かるよな?
先に言っとくが、双方合意の上で、かつノヴァとレイラに許可を得てからコトに及んだからな。
そこんとこ、勘違いすんじゃねェぜ?
と、まあそれは措いといてだ。
夜間の任務を終え、雲上を往く竜化したフリードの背に乗った俺達は、ワインを創造して――勿論、竜化したフリードも楽しめるよう、大量のワインが入った特大の酒樽をフリードに渡してある――グラスに注ぎ、赤い液体の入ったグラスを傾けながら楽しく談笑していたのだ。
その途中、『いつの間にか日を跨いでおったようだな』というノヴァの言葉に、何となく日付を思い浮かべた俺は、今日が自分の誕生日であることを思い出したのだ。
『ふむ、今日が主の誕生日であったか。シエルと誕生日が近かったのだな。何はともあれ、誕生日おめでとう』
「おう、ありがとな。しかし、シエルと誕生日が近いのか。シエルの誕生日はいつなんだ?」
フリードは考える素振りを見せず、すぐに返答した。
『九月二日だ。ちょうど主がサバイバルを繰り広げていた頃だな』
九月二日か。なるほど、確かに近いよな。
「ならば今夜はパーティーだな。主さえ良ければの話だが……」
グラスを片手に嫣然と微笑むノヴァ。月明かりに照らされて、ノヴァの持つグラスの中の赤い液体が妖しく揺らめく。それがノヴァの纏う妖艶な雰囲気を一層際立て、俺は目を細めた。
実に眼福だ。これほどの美女を自分の女にできるとは、俺も妙なところで運が良い。
などとノヴァに見惚れていると、視界の端にやや俯きがちのコアの姿が映った。同行しているうちに、基本的に表情を変えないのを知ったが、今の無表情はどこか寂しげに俺には見えた。
このまま無視してノヴァだけを見つめるのも良いだろう。何せ彼女は俺の従属神に過ぎないのだから――と、言うのが本来の主従の在り方なのだろうが。
生憎と、俺には正しき道を進むつもりはねェ。
本当は、一人の女を相手にしている時は、他の女に気を取られるのは褒められたことじゃねェが――俺はそんなことを一々気にするようなガラじゃなくてね。
俺はノヴァから視線を外すと、コアに意味有りげな笑みを向けてやった。
フードは下ろしているから、笑みはしっかり見えたはずだ。
コアがいつもの無表情に戻ったのを確認してから、俺は視線をノヴァに戻して返答した。
「そうだなァ……うん、悪くねェかもな。色々と楽しめそうだし、良いんじゃないか? 俺としても祝ってもらえるのは素直に嬉しいからな」
「そうか! であれば、準備をしなければな。本当はここは秘密にしておいて、主を屋敷に呼んだところをパーティーに迎えて驚かすのが普通なのだろうが……」
あー、確かに。誕生日パーティーっていや、それが主役を迎える時の常套手段だよな。
「ま、正直その辺りのことはどうでもいいさ。肝心なのはパーティーを楽しめるかどうかだろ?」
「フフフッ、そうだな。ならば、主の朋輩には後で私が念話を入れてみよう。だから主はパーティーまではゆっくりしておればよいぞ。
舞台は私達の方で整えさせてもらうさ」
そうか。まあ、確かに誕生日パーティーの準備で主役が働いてちゃ変だよな。それはそれでパーティーの舞台を整えようとする者達に失礼な気もするし。
「なら、精々好きにさせてもらおうかね。楽しみにしてるぜ、パーティー」
俺がそう言うと、ノヴァは満足げに頷いた。と、俺達を乗せて絶賛飛行中のフリードが首をもたげ、己の背の上で寛いでいた俺達を見た。
『話は決まったようだな。ならば俺も神界から良い酒を持ってくるとしよう。十六の歳を経たばかりの誕生日を祝うには、酒はまだ早すぎるのだろうが……今さらであろう?』
最後の方は苦笑混じりにフリードは述べる。それに対し俺は、唇の端を吊り上げて片目を瞑って見せるのみ。
それだけでも、俺達の間では答えとしては十分と分かっているからだ。フリードは前に向き直ると、蒼い鱗を月光に煌めかせ一路屋敷を目指す。
転移で帰らず、たまには俺の背に乗らないか?と、フリードに勧められたからだ。
雲上を飛んでいるので、地上からでは暗い曇天に阻まれて覗かせることのなかった星空を仰ぎ、ゆるりと息を吐き出す俺であった。
―――――――――――
「~~♪」
あの後、屋敷でじっくり七時間ほど睡眠を摂った俺は、王都システィーナへ駆り出していた。
屋敷の敷地内に降り立つ時に遠方から見た静けさは無く、王都は多くの人々で賑わっていた。
これから遊ぶ予定なのか、四、五人で集まって喋っている少年少女達や、威勢の良い客引きの声、王都に訪れた旅人達や、これから任務に臨もうとしていると思われるギルド員達の声を聞きつつ、俺は悠々と王都のメインストリートを歩く。
向かう先は孤児院。誕生日を迎えたので、自分が少なくとも十年間は育った場所を訪ねてみることにしたのだ。
以前までは、それこそファランと出会うまではそんなことできやしなかったのだが……今はもう、何の気兼ねもなく訪ねていける。
これも全て、宿命を以て決断を促してくれたファランのお陰だよなァと思う俺である。本当に、何らかの転機がなければあのままずっと帰らないかもしれなかったんだ――ファランには感謝している。
ファランの存在こそが俺の言う転機だったんだからな。
それから少しして、俺は孤児院の門前に到着した。
中からは子供達の楽しげな声が聞こえてくる。グラウンドとも言える広場に誰も居ないことから、どうやら施設の中で何かやっているんだろうと推測する。
時折聞こえる子供達の声に目を細めると、俺は施設の敷地内に入っていった。
所々に配置された遊具を眺めて思い出を遡及しながら、施設の建物へと歩いていく。
そのまま施設のドアの前まで行くと、壁に取り付けられているインターホンのボタンを押そうとして――
「――あら、無視して中に入っちゃうなんて、ちょっと冷たいよ。レオ」
「――ゼフィア」
施設の上から飛び降りてきた、黒髪黒眼の美女を振り返り、苦笑する俺。
「確かに気付いてはいたさ。だが、気配を消していたヤツにそれを言われる筋合いはねェんじゃねェか? っつーか、気配を消してたんなら自分から出てきてどーするよ」
「別に? 私は良いのよ、私は」
「なるほど、これは良い自己中だ」
「自己中に良いも悪いもないんじゃないの?」
「まァな」
……などと、馬鹿なやり取りをしてクスクス笑い合う俺とゼフィア。
ゼフィアは、俺の横を弾んだ足取りで通り過ぎてドアの取っ手に手を掛けると、「何でここに来たのかは分かってるよ。……さぁ、入って。此処は貴方の家でもあるんだから」
「……嬉しいことを言ってくれるじゃねェか。じゃ、遠慮なく入らせて――いや、帰って来させてもらうぜ」
ガチャリ、と開かれたドアを通りつつ言葉を紡ぐ。その後を、ゼフィアがドアを閉めながら続いた。
「うん。お帰り、レオ」
―――――――――――
「あっ、レオ兄!」
「帰ってきてたんだね! お帰りなさい!」
「おう。ただいま、だな」
早速出迎えてくれたカイとイルトに、俺は気安く片手を挙げて返す。
カイとイルトは笑顔を見せたが、すぐにカイは何かを期待するようにキョロキョロとする。始めは理由が分からずに首を傾げた俺だったが、少しして思い当たる節があることを思い出し、ニヤッと笑って問い掛けた。
「どうした、カイ。何か探し物でもあるのかァ?」
「なぁ、レオ兄……今日はレーゼさんは来てないのか?」
「ああ。だが、あいつは俺の使い魔だから、あいつさえ拒まなければいつでも喚び出せるぞ」
なんてこと無さそうに言ってやると、にわかにカイのよそよそしさが増した。
対して俺は、やにわにカイの肩に手を置くと、からかうように訊いてみた。
「――何なら喚んでやろうか? レーゼを、な」
「是非! お願いします!」
俺が切り出すなり、即座に頷くカイ。既に俺もイルトも、カイがレーゼに惚れているのは知っているので、カイは好意を隠そうともしない。
おうおう、素直じゃねェか――なんて思っていると、焦れたカイが急かしてくる。
「なぁなぁ、早く早くっ」
「そう急かすなって。ちゃんと喚んでみるからよっと……」
軽く瞑目し、俺は屋敷に居るであろうレーゼに呼び掛ける。
《レーゼ、今何してる?》
《……? 屋敷に居るだけ……特に何もしてない》
心中で語り掛けると、すぐに返答があった。良かった、ここで呼び掛けに応じたのがリリスでした、とかいうオチがなくて。
リリスがこっちに来ると色々と厄介なので、ちゃんとレーゼが応答したことに胸を撫で下ろす。
《そうか。なら、今から俺の所に来れそうかァ? お前に会いたがってるヤツがいるんだが》
《……分かった。すぐ行く》
レーゼが言葉を言い終えた直後、俺の隣に展開される魔法陣。
真紅の光を放つ魔法陣は、一際大きく輝いた後、一人の少女をこの場に転移させる。
長い銀髪に、雪のように白い肌と精巧な人形にも似た端正な顔立ち。俺と同じ血のような真紅の瞳。身に纏うのはいつもの黒いゴスロリ服。
魔法陣から現れた見慣れた銀髪の美少女に、俺は親しげに声を掛ける。
「悪ィな、寛いでたトコを急に喚び出しちまって」
「別に気にしてないから謝らなくても良い……」
眠たそうな半眼で言うレーゼ。
レーゼは俺を見上げると、カイとイルトの方を一瞥してから問うてきた。
「会いたがってる人って、この子達……?」
「ああ。厳密には蒼がかかった銀髪の方がお前に会いたがってな……」
「そこは名前で言ってくれよ、レオ兄っ!」
「そこは名前で言おうよ、レオ兄っ!」
さりげなく説明口調で言うと、すかさずカイとイルトがツッコミを入れてきた。
からからと笑ってそれを流すと、奥から聞こえてくる子供達の歓声と、それに続くドタバタとした音に耳を傾けた。
「で、この姦しさはなんだ? 鬼ごっこでもやってんのか?」
「何をやってるのかはレオ兄自身の目で見た方が良いと思うな」
カイがニヤッと笑って述べる。
そんなカイを一瞥してから、しげしげと奥に視線を投げ掛ける俺。
……この、俺が誕生日っつータイミングで、カイの思わせ振りなこの態度……。
まさか、な……。
そう思い口を引き結ぶが、俺が考えたことは頭から離れなかった。
人間、忘れたい事ほど忘れられないものだとはよく言うが……本当のことだな、それは。
「……どうしたの?」
「いや……」
俺は誤魔化すように首を振ると、奥の間へと足を進めた。
「ただいま――」
扉をスライドさせて部屋の中に入った俺は、そこに広がっていた光景を見て口をつぐむ。ああ、やっぱりそうだったのか、と。
「あっ、レオ兄だ! お帰りなさい!」
「皆、レオ姉が帰って来たよ!」
「レオ姉、今年は私達の所に帰って来てくれたんだね!」
「良かったぁ。これでレオ姉の誕生日をお祝いしてあげれるね」
口々にそう言い、俺の回りに駆け寄ってくる子供達。その手にはパーティーに用いられる飾りが握られており、所々にそれらが飾られた部屋からして、何をしていたのかは明白だった。
暫時、呆然とする俺だったが、嬉しそうに腰にしがみついてくる子供達にハッとなり、漸く反応した。
「……コラ、俺は女じゃねェっての。れっきとした男だよ」
そう否定する自分の声に、いつもより勢いがないのがはっきりと自覚できた。
それでも「レオ姉」と慕ってくる子供達に苦笑いしつつも、ちょうど対面に居た女の子の頭を撫でると、俺は優しく問うた。
「ところで、俺の勘違いじゃなければこれは俺の誕生日を祝う為の準備だと思うんだが……俺は今日此処に来るだなんて連絡は一切してなかったのに、何で準備をしてたんだ?」
そう。俺が知りたかったのはそこである。アポも何も取っていなかったのにも関わらず、何故パーティーの準備をしているのか。
俺がそう訊くと、女の子は満面の笑顔で答えた。
「パーティーの準備なら毎年やってるよ。もしもレオ姉が帰って来た時に、お祝いしてあげたかったから!」
……!!
「お前ら……」
気付けば、俺はしゃがみこみ、子供達を総じて抱き込むように腕を回していた。
それでも胸に込み上げてくる想いを堪えきれず、口に出していた。
「ずっと待っててくれたんだな……」
「うん。だから、レオ姉が帰って来てくれた時はすっごく嬉しかったんだ!」
「……! ……!……!!」
何かを言いかけて、言葉にできずに俺は唇を噛み締めた。
ここまで俺のことを慕ってくれていたなんて……夢想だにしていなかった。慕われている、とは分かっていたが、これほど大きく考えてくれているとは気付けなかったのだ。
俺がいつ帰って来ても良いように、毎年パーティの準備をしていたということは、少なくとも五回はその努力が無駄になったと言うことだ。
なのになのに、それなのに……子供達は一分の不満さえ洩らさず、今もこうして俺を受け入れてくれている。
これは、俺みたいな悪人の安っぽい言葉では決して言い表せない、言い表してはいけないようなことだった。
俺は確かに悪人だが、身内からのこういった善意のある純粋な行動だけは、どう在ろうとも否定できなかったのだ。
身内を優遇するのは元からなので、今さら何も思う所はないが……この時、俺の胸中では確かに暖かいものが溢れていた。
「……っ、そうか。ありがとな」
そう言うのが精一杯だった。
俺の手で撫でられて嬉しそうにしている子供達を見やり、俺は胸の内に秘めた決意をさらに強固にする。
いずれ魔族が本格的にこのルーレシア世界に進出して来た時は、"覇者"後継者達が勢揃いしている学園は勿論、王都が戦火の中に呑まれるのは目に見えている。
例え俺達"覇者"後継者が学園に居らず、そもそも王都周辺にすら居なかったとしても、この未来は不変のものだろう。
何故なら、俺達が学園に所属する以前の問題として、既にロイ先生達の代で学園や王都に深い関わりを持っているからだ。
まさかロイ先生達も、自分達がそんなことに巻き込まれるだなんて思ってもなかっただろう。
漸くそれに気付けた時には、既に深い関わりを、ロイ先生達の場合なら学園に所属していたという経歴と、国王と親友だという事実が確固たるものとしてできあがってしまっていた。
シリアさんを例外として、ロイ先生達が総じて学園に関する職に就いているのは、そういった事情もあるのだ。
ここまで深く関わってしまった以上、学園が狙われるのは避けようもない未来だ。
ただでさえ学園などの施設は戦争では真っ先に狙われる場所だと言うのに、そこに敵の主要人物である"覇者"後継者達が所属していたという経歴など加われば、最早見れたものではない。
中でも、クレアさんとティーン魔法学園の関係がまずかった。
クレアさんは"覇者"後継者が云々とかいう以前に、血縁上教員としての経験を積んだ後、将来は学園の長たる者になることが決まっており、本人もそれを快諾していたからだ。
要は後継ぎと言うことだ。後続としてそうなることが決まっていた時点で、その後の身の振り方に構わずクレアさんは学園との間に深い関係性を残してしまうことになる。
そこでロイ先生達は学園に結集することになったのだ。いざという時、真っ先に学園を守れるように。
学園さえ先に守ってしまえば、後は王都のみ。その他の街などが襲撃される可能性もあるにはあるが、そこは軍がどうにかするだろう。
その場合、魔族の主力が王都や学園に回っている為、軍が数で押せばまだどうにかなるはずだ。
その他諸々、そういった計算の末にロイ先生達の今の立場がある。
このことから、いずれにせよ学園や王都が戦火に呑まれるのは分かり切ったことだ。学園にはディアス達が居れば、王都には当然孤児院の皆が居る。
ランスさんのように、高い戦闘能力を有する戦士ならば問題ないが、孤児院の子供達にそんな力は当然のことだが無い。
ゼフィアという戦士は居ても、流石にランスさんクラスの戦闘能力を期待するのは酷だと言うものだろう。一対一ならばゼフィアは高位の魔族に引けを取らない実力はあるかもしれないが、複数で来られればどうにもならない。
だから、学園はロイ先生達に任せて、王都を――この孤児院のみに限ってだが――最優先して守ろうと、心に決めた。
「レオ姉?」
「ん? ああ、何でもねェよ。ってかいい加減「姉」って呼ぶのは止めれ」
顔に出ていたのか、近くにいた男の子が首を傾げて俺を見つめた。それに対し俺は軽く笑ってみせると、ついでに呼び名について指摘してみたりもした。
「やーだよ。だってもう言い慣れちゃったもん」
「あ、言ったな?」
うりうりとその男の子の頬を指でつつく。そんなことをしていると、レーゼがカイとイルトを伴って部屋に入ってきた。そのさらに後ろには、ゼフィアの姿もある。
レーゼは室内を見回すと、「これって……」とポツリと呟いた。
「ああ。どうやら俺の為に準備していてくれたらしい」
小さな呟きにそう返すと、レーゼはやっぱり、と言いたげな表情をした。しかし特に何も言うことなく、俺の隣に歩いてきた。
視界の端に、さりげなくレーゼが俺の側に行ったことにショックを受けているカイの姿が映ったが、いくら身内といえどこればっかりは無視した。
カイならそのイケメンフェイスで女くらい堕とせるだろう。レーゼは諦めて余所を当たってくれ。レーゼはやらんぞ。
ま、レーゼに他に男ができれば話は別だが……。
レーゼに俺以外の男が……あ、やべ。想像したら無性に腹立たしくなってきた。
などと、勝手に腹を立てていると後ろからゼフィアが声を投げかけてきた。
「そういえばレオ。今日は何時まで此処に居られるの?」
「あー……七時からちょっと予定があってだな。七時より少し前には此処を発つ予定だ。夜まで残っていたいのは山々なんだが……なァ?」
生憎体は一つでね――そう続けると、ゼフィアは残念そうに微笑んだ。
「そう。できればパーティーはパーティーらしく夜にやりたかったんだけど……こうなったら昼下がりから始めちゃおうかな」
「悪ィな、俺の為に準備してくれたのに、我儘言っちまって……」
後ろ髪を掻きつつ苦笑混じりに述べると、ゼフィアはパチンとウインクした。
「良いのよ、気にしないで。自分の子供の我儘に付き合うのも母親の仕事でしょ? それに、そんなことを言い出したらキリがないよ。
何せ、準備して待っていてもレオ自体が来なかった時もあるんだし」
「その節は本当に悪かった。折角の努力を水の泡にさせちまったな……」
項垂れる俺。ゼフィアや子供達がした努力の意味を無に帰したのは間違いなく俺だ。
ったく、我ながら情けねェ。あれだけ身内の想いは受け止めるってほざいてたのに、翻ってみればこのザマか……。
「だから気にしないでってば。私達が好きで勝手に準備していたんだし、それにレオはこうして私達の所へ帰ってきてくれたでしょ?
それだけで十分だよ」
……っ。
ここまで言われてまだウジウジしているようじゃ、逆に失礼だよなァ、ずっと俺を待っていてくれたゼフィア達に。
「……っはは、そうか。ならもう謝罪はしねェよ。ただ、ケジメとして礼だけ言わせてもらおう。ありがとな」
「ふふっ。どういたしまして」
ふんわりと微笑むゼフィア。俺もフッと笑ってみせると、ゆっくりと立ち上がった。
「じゃ、俺はちょっとレーゼと一緒にその辺をブラついてくるから……パーティー、楽しみにしてるぜ?」
準備の方は任せていいか、だなんてことは訊きはしない。事ここまでに到ってそれは無粋以外の何物でもないからだ。
「うん。楽しみにしててね」
ゼフィアが頷くのを見て、俺は傍らに立って俺の服の端を掴んでいるレーゼに声をかける。
「行くぞレーゼ。ちょっとその辺で時間を潰すぞ」
「うん」
コクリと頷くレーゼ。俺はそんなレーゼの銀髪を撫でた後、ゼフィアの隣を通り過ぎて一旦孤児院から離れるのだった。
―――――――――――
王都システィーナの近郊。拓けた草原。
そこで俺は黒刀を振るっていた。
ただ振るっているのではなく、恐ろしいまでに『遅い』速度で黒刀を振るっているのだ。
型をなぞる時にゆっくりと刃を振るうのは何ら珍しいことではなく、むしろ剣術や刀術に生きる者なら誰しも一度は通る道だが、俺が黒刀を振るう速度はその型をなぞる速度にすら及んでいない。
例えこの場にロイ先生が居たとしても、俺のこれを鍛練だとは見抜けなかっただろう。
だが、見る者――ファランやレイ、ノヴァやリリスのことだ――が見れば、これが鍛練だと気付き、のみならずこの鍛練の凄まじさを〝視〟ることができる。
とろくさい速度で振るわれている黒刀は、その様からは威力など伺い知れない。だが、実際には絶大な破壊力を秘めているのだ。
俺は今、筋力のリミッターのみ外して全身の筋繊維の一本一本に到るまでを熟知し、それを操作している。
俺ほどの力を有する者ともなれば、筋力のリミッターを外しただけで全身全勁が放つ力の波動で周囲に被害を及ぼしかねないが、そこは俺の戦士としての技量の見せ所だ。
自らの内なる力を抑制し、力の流れを制御することによって、力の波動を体外に放たぬよう全身全勁の内部で力を巡らせることにより、周囲への被害を完全に抑え込んでいるのだ。
それ故に、今の俺は周囲に被害を及ぼすことはない。
付け加えれば、力の波動の指向性を完全に制御している為、筋力のリミッターを外しているのにも関わらずその真の実力を悟らせない。
最近になって遂に体得した、秘匿性に於いて〝静かな強さ〟をも越えた〝伝わらぬ強さ〟。
敵に己の力量を悟らせぬどころか、そもそも力量を疑わせぬ技巧である。
なので、今の俺は筋力だけとはいえ心置き無く解放して鍛練を積んでいる。
誕生日を迎えてまで鍛練を怠らぬとは、自分でも自画自賛したくなってくる。鍛練することを何ら苦にも思ってないのも相まって、余計にだ。
尤もそれはあくまで気持ちの問題で、思考の中では常に〝鍛練をして当然だ〟という冷徹なまでの概念が根付いているのだが。
これもまあ、ファランの教育の成果ということなのだろう。……認めるのは癪だが。
恐ろしくゆっくりとした速度で振るわれる黒刀を持つ俺の腕には、今や鍛練を開始した時とは比べ物にならないほどの筋力が備わっていた。
筋繊維の一本一本に到るまでを把握し、操作し、浸透させるが如く身体全体を使って腕に力を籠めて振るった黒刀は本来なら空間を容易く破砕していただろうが、それは俺が持つ〝絶対概念〟で前以て守ってある為に、その心配はない。
「ふうん……そうなんだ」
少し離れた所で俺の鍛練を眺めていたレーゼが、不意にそんなことを呟いた。
どうやらリリスからこの鍛練について教えてもらったらしい。
先ほどまで青い瞳に困惑の色を浮かべて首を傾げて俺の鍛練を眺めていたレーゼの表情には急激に理解の色が広がり、俺を見る視線が驚嘆したような視線に変わっていた。
それに構わず、俺はただひたすらゆっくりとした速度で刀の舞踏を続ける。
黒刀を振る事で起こる筋繊維の伸縮と収縮を把握し、体幹を捻ったり軸足を変えた時に生み出される力の向き・大きさまでも完全に知覚する。
自らの身体構造や力のベクトルを掌握することにより、今の自分が出せる最高速度である亜光速の速度域に在っても、同じことを自然と行えるよう文字通り体に教え込む俺。
「レオン、お腹空いた」
「ん、そうか」
鍛練を始めて三時間ほど経過した頃だろうか。レーゼの申し出に俺は黒刀を鞘に収め、レーゼの方を見やる。
何処からか持ってきたのか、いつの間にか岩の上に腰を下ろしていたレーゼはお腹に手を当ててこちらを見ており、お腹を擦って空腹感を表していた。
なんともまあ、可愛らしいことである。
いの一番にそんな感想が脳裏に浮上した俺は、どうも最近色ボケしつつあるなと自分自身に内心嘆息しつつも、レーゼに話しかけた。
「さて、昼食には何が食いたい? 俺は特に希望はねェからレーゼが決めていいぞ。あ、安心しろよ。前以て金は下ろしてあるから、大抵の物は問題ねェぜ」
付け加えるように懐事情を言うと、レーゼは少し悩んだ後、口を開いた。
「なら、〝カースト〟のパンを全種類食べてみたい」
「ん? カースト?」
はて、聞かぬ名だな。
店の名前だというのは確実だが、システィーナにそんな店があったかな……。
少なくとも、メインストリートにある店じゃねェだろォな。
王都システィーナのメインストリートにある店は大体把握してるからな。俺の記憶に間違いがなければ、その中にカーストだなんて店は無かったはずだ。
となると、メインストリートから外れた入り組んだ位置にあるってことになるなァ。
試しにその辺のことを訊いてみると、レーゼはコクンと頷いた。
俺は本気で疑問に感じ、首を傾げてレーゼに尋ねた。
「何でレーゼがそんなトコにある穴場みてェな店を知ってんだ? 基本的にそういう所にはお前を連れてった覚えはねェんだが……」
レーゼはあっさりと答える。
「この前サイスに訊いてみたら、良い店だって教えてもらえた。……レオンは聞いてなかったの?」
「いや、初耳なんだが……」
え、マジで? サイスがそんなことを教えてたの? よく王都に駆り出しているミスティやルナとかじゃなくて、あのサイスが?
結構ガチで意外なんだが。予想の斜め上どころか垂直に上を行き過ぎてる気さえするんだが。ってか、最近サイスの意外な一面に驚かされる頻度が増えてる気が……。
余計な方向に思考が逸れそうになったところを、首を振って軌道を正す。
そんなことよりも今はレーゼの腹を満たす方が先決だな。
「レーゼ、そのカーストとやらの場所は分かるか?」
「うん」
「よし。なら案内を頼めるか? この際だ、俺もカーストとかいう店の場所を覚えておこうかと思ってな」
あのサイスが教えたくらいだ。当然それだけの食を提供してくれるに違いない。
俺としては俄然興味が湧いてくるってもんだ。教えたっつーことは、サイスも認めた味ってことだろ?
パーティーまではまだ時間があるし、場合によってはパーティーに持ってくのも悪くねェしな。
「じゃあついてきて……」
「ん」
鷹揚に頷き、レーゼの後を追う俺だった。
―――――――――――
「ここ」
「ほう?」
レーゼに案内された先で、俺は瞠目していた。
王都のメインストリートから少し外れた位置にあったそのパン屋は、俺の想像以上に店として良い雰囲気を醸し出していた。
静かなわけでもなければ、姦ましいわけでもない。店内には落ち着いた、それでいて和気藹々とした空気が流れており、俺が今までに訪れたことのないタイプの店だった。
店自体も広すぎず狭すぎず、ちょっとした人間関係を育むには適した広さだ。内装はログハウスのような素朴なもの。
驚いたな、まさかこんな店が埋もれていたとは。
俺もまともな意味で王都を巡りだして勝手を知った気になっていたが、これは認識を改めねェとな。
「サイスのヤツ、こんな店を知ってたなんて……もっと早く教えてくれれば……」
思わず愚痴を溢す俺に、レーゼが鋭く言い放つ。
「……自分からは一度もそんなことを引き合いに出してなかったんだから、もっと早くも何もないと思う」
正論だな……。
俺は苦笑いすると、親指で〝カースト〟と刻まれた看板を掲げた店を示した。
「取り敢えず店に入ってみようぜ。パンが焼ける香ばしい匂いを嗅いでたら、何か俺も腹が減ってきたからなァ」
「うん」
そうと決まれば、と店の扉を開けて店内に入っていく俺。後ろからトコトコとレーゼがついてくる。
俺が店内を見渡していると、店の奥から人の良さそうな――実際人が良いのだろう――青年が現れた。
「いらっしゃいませ。二名様でよろしいですか?」
「ああ」
俺が頷くと、青年は続いてこう訊いてきた。
「本日は此処でお召し上がりになさいますか? それともお持ち帰りでしょうか」
「ここで食べていこうかと思ってる」
「畏まりました。では、席の方へご案内させていただきます」
青年が一礼した後、席へ通される俺とレーゼ。その途中、壁際に並べられていたパンの中から食べたい物を選ぶと、俺とレーゼは早速注文する。
勿論、今のはメニューを見ている時間が惜しかったので軽く注文した程度だ。パンを用いて一つの料理にもなっているようなものは、注文したパンやコーヒーを楽しみつつ注文していく予定だ。
「――へぇ、生地の中にシチューを包んだパンか……珍しいってわけでもねェが、美味そうじゃん」
「……私はこのウインナーとカレーを使ったパンがいい」
出されたパンをかじりながら食べたい物を選んでいき、店員の青年に纏めて注文する。
やはりと言うべきか常識はずれな注文量に青年は呆気に取られていたものの、すぐに持ち直して用意に取り掛かったのはなかなかだと思う。
そんな風に、人を勝手に評価しつつ少し経って運ばれてきたパンの数々を食べ進める俺とレーゼだった。
―――――――――――
……途中、情報収集の合間に昼食を摂りに来たサイスと店で行き合ったりしながらも、俺とレーゼは会計を済ませて店を出た。
メインストリートまで戻ってきたところで、首を巡らせ中央広場の高い位置にある大きな時計を見てみると、時刻は二時半を過ぎようとしていた。
孤児院までの距離を考えると、俺とレーゼの歩くペースからしてちょうど良いくらいの時間だ。ふむ、いい感じに時間を潰せたみてェだな。
そんなことを考えていると、レーゼが俺の黒衣の袖を引っ張った。
「レオン、行こ」
「ん、そうだな」
レーゼの言葉を聞いて、時計から視線を外すと俺は孤児院のある方向に歩き出す。確かに、このまま突っ立ってたらもしかしたら三時までに間に合わねェかもしれんからな。
少なくとも、俺にそう思わせるだけの距離はある。
まあ、亜光速の速度域に在れば一瞬なんだがな……。
レーゼと他愛のない会話をしながら歩くこと暫し、俺とレーゼは孤児院まで戻ってきた。そこでチラリと時間を確認してみれば、謀ったかのように三時直前。
いや、実際にそうなるように歩くスピードを調節して歩いていたのだが、ともかく俺とレーゼは施設の中へと入っていく。
そして、ちょうど時刻が三時を刻んだ時。俺が先程パーティーの準備をしていた部屋の扉を開くと、俺はクラッカーの破裂音と紙やら紐やらの雨で迎えられた。
「「「「お帰りなさい、レオ兄(姉)。そして、お誕生日おめでとう!!」」」」
左右と前方からのクラッカーの内容物の雨を受けていると、部屋中から子供達の祝福の言葉が投げ掛けられた。
室内を見回すと、パーティーセットを身に付けた子供達が俺に笑顔を向けていた。部屋の中央に配置されたテーブルには、砂糖でできた俺のミニチュアの人形やチョコレートなどで飾られた三段の巨大なケーキが鎮座している。
予想していた通りの光景とはいえ、頬が弛むのを止められない。思わず、俺にはとても似つかわしくない弾んだ笑いなど洩らしてしまった。
俺が部屋の入り口で扉に手を掛けたまま固まっていると、テーブルの前に佇んでいたゼフィアが歩み寄ってくる。
「レオ、誕生日おめでとう。今日は楽しんでいってね、勿論レーゼちゃんも!」
「――ああっ。ホントにありがとな、お前ら! このパーティ、楽しませてもらおうじゃねェか、存分になァ!」
最早笑みを抑える気にもならず、笑みを多分に含んだ声音で声高に宣言する俺。それを機に、盛大に騒ぎだす子供達。
俺とレーゼもその輪の中に加わって皆と一緒に飲み食いし、場を盛り上げる。
孤児院でのパーティはこうして始まったのだった。
―――――――――――
「ったく、あいつら。誕生日だってのに「レオ姉」だなんて呼びやがって……仕方ねェ奴等だな」
「言葉の割りにはそこまで怒ってないように感じるけど……」
「まあ、な。あいつらには昔っからあんな感じで女扱いされてたし、慣れってヤツだよ。正直こんなことに慣れたくなかったんだけどなァ……」
慣れちまったモンは仕方ねェ、と俺は苦笑する。
現在、俺とレーゼはロレスの森まで転移して屋敷に向かっている最中だった。
俺は〝風の覇者〟の姿となり、レーゼはフード付きの外套で素性を隠している。ノヴァならばいざ知らず、レーゼは〝風の覇者〟である俺と一緒に居るところが見られてはまずいからだ。
レーゼの立場はあくまで『学園の使い魔召喚で契約した使い魔』というものだからな。
俺とレーゼが屋敷の門前まで行くと、レイラを迎えた時と同じく門の近くの木から音も無くレイが飛び降りてきた。
勿論着地の際も全くの無音で葉の一枚すら散らさず、レイは俺を見るとニヤッと笑った。
「よォ、帰ってきやがったか。もう屋敷の中の様子は知ってんだろォから言わせてもらうが、テメエでもパーティーなんてするんだなァ」
「ふん、何を言い出すかと思えば……。当たり前であろう、むしろ"覇者"たる者が宴を楽しめずしてどうする?」
「ほォ? その割りには王城だかで開かれたパーティーの時にはあまり乗り気じゃなかったそうじゃねェか」
「たわけ、それは身内での宴ではなかったからだ。今は身内と認めてはいるが、その時にはまだ身内とは認識し切ってなかったのでな。
身内で行われる宴は勝手知ったるのでな、普通に愉しんでいるさ。とは言っても、王城の方の宴もなかなかに愉しませてもらったぞ?」
「ハッ、言われてみりゃそうか。取り敢えず中に入れよ、パーティーの準備は出来てるぜ」
言われなくとも、そのつもりだ。俺とレーゼが門を通って敷地内に足を踏み入れると、背後で門が閉まる音がした。
それに構うこと無く歩を進め、俺は屋敷の扉の前で立ち止まると、扉を開け放った。
今度はクラッカーでの出迎えはなかった。
その代わりとばかりに、タキシードやドレスなどで着飾ったこの屋敷の住人達が、屋敷のエントランスに全員集まっていた。
さりげなく視線を巡らせてみると、連絡が行ったのかランスさんを加えたロイ先生達の姿まであった。
レイラが居る前で平然と素顔を晒していることから、どうやら正体を明かしたらしいと俺は判断した。
驚いたことに、ファランまでエントランスに来ていた。三階の階段の手摺にもたれて腕を組んで瞑目している。
不機嫌そうな表情からして本意ではないのは分かるが、例え不本意でも、いや不本意だからこそファランが俺の出迎えに加わっているのには驚かされた。
内心驚愕しつつも、俺はフードを外しながらさらに数歩歩んだ。
すると、それに合わせるようにして紫色のドレスで着飾ったノヴァと藍色のドレスを纏ったレイラが歩み出てきた。
「主よ、誕生日おめでとう。今宵は存分に愉しんでくれ」
「ささやかだけど、これは私達からのプレゼントよ」
「プレゼントだって?」
レイラの掌の上に乗っている高級感漂わせる紺色の小箱を受け取り、パカリと開いて中を確認する。
小箱の外見からして気付いてはいたが、これはやはり指輪入れだったようだ。中には黒金色の指輪が収められている。
ただの指輪ではないのは明白だった。
〝識〟ろうと思えばこの黒金色の指輪に封じられた効果くらい、智属性の力を以てすれば〝識〟ることができるが、それでは芸がないだろう。何よりそれではつまらない。
俺はノヴァとレイラの方を見やると、首を傾げて問うてみた。
「これは?」
「その指輪は普段主が嵌めている〝風の覇者〟のロングコートを収めているものと同じ効果のものだ。ただし、粒子化されているのは〝風の覇者〟としての主のロングコートではなく、普段正体を隠している状態の主用の黒衣が粒子化された指輪だ」
ノヴァが答えると、クスッと笑ってレイラがそれに続いた。
「ほら、アンタって私服は同じような種類ばかりでしょう? 話を聞く限り、ここでも私服の時は同じような服しか着てないみたいだから……後は分かるでしょう?」
「は。なーる」
指輪を取り出して、早速左手の人差し指に嵌めてみる。どうやら自動的にサイズを合わせるようになっているらしく、指に通すと同時にサイズがピッタリ合わさった。
しかもこの指輪、付けていても全く邪魔にならない。右手の人差し指には今はロングコートと化している指輪を嵌めているのだが、これなら邪魔にならなさそうだ。
流体金属の一種でも使用しているのか?と考えた時、期せずして俺は〝識〟ってしまった。
これ……オリハルコン製じゃねェか! しかもノヴァ渾身の魔力で創られた、格上げのオリハルコンだと!?
普通のオリハルコンなら俺でも創造可能だが、オリハルコンを格上げして創造するのはまだ出来ない。
以前ランスさんに〝風の覇者〟の服飾をこしらえてもらった時に挙げたが、あまりにも存在としての格が高位すぎる物を創造する時には、創造された物は格落ちされた状態で創造されるのが常だ。
逆に存在としての格が低い物は格上げして創造するのは容易いが、オリハルコンといった物になってくると格上げして創造するのは至難の業だ。
精々純度をごく僅かに高める程度で終わるのが関の山だ。俺ならもう少し上の段階まで行けるが、明確に格上げしたと分かる領域までは行ってない。
それをこうも容易くこなすとは……ノヴァは実際どのくらいの力を秘めているんだろォな。
それを考えると戦士として昂りを覚えずにはいられないが、俺はそれを抑えると指輪からノヴァとレイラの方へと視線を移した。
すぐにその意図を察したのか、ノヴァがおかしそうに笑った。
「案ずるな。服飾のデザインは違うが、主が普段着ているような黒衣だからな」
「使う時は念じるだけでいいわよ。詠唱は要らないわ」
「そうか。じゃ、早速――」
服が出るように念じてみると、黒金色の指輪は揺らめくようにして粒子と化し、俺の全身にまとわりついていく。
一瞬後には〝風の覇者〟のロングコートは指輪へと変換され、入れ換わるようにして黒金色の指輪はいつも俺が来ているただの黒服とは少しばかり趣の違う、スタイリッシュな黒服に変換していた。
「おおっ」
自分が今まで着たことがないタイプの黒服を見下ろして、思わず声を洩らす。
普段俺が着ていたような、正直センスを疑われる――勿論なぜ疑われるのか未だに理解できてなかったりするが――ちょっと弛んだような黒服ではなく、ピッシリとした黒服だった。
いやでも確かに、この黒服と比べたら今まで俺が好んで着ていた黒服って……などと考えていると、ノヴァがじんわりと微笑んだ。
「どうやら気に入ってもらえたようだな。その黒衣のデザインはレイラが考案したものだ。私は素材を用意して、オリハルコンにレイラが考案した黒衣の情報を刻んだのだ。
私達からはそれを送らせてもらおうか」
「大切にしなさいよ?」
釘を刺すように言ってくるレイラに、俺は唇の端に笑みを刻んだ。そんなこと言われずとも――。
「分かってるさ。ありがとな、急な話だったのにプレゼントなんて用意してくれて」
「フフフッ。そう言ってくれると私達まで嬉しくなってくるな、レイラよ」
「そうね。用意した甲斐があったわ」
嫣然と微笑みを交わし合うノヴァとレイラ。自然と俺も笑みを浮かべるが、その時ふと屋敷のエントランスを流れる微妙な空気に気付いた。
なんというか、申し訳なさそうな、そんな感じの空気が空間を支配している。はて、と首を傾げる俺だったが、状況を翻っている内にその意味を理解できた。
なるほど、つまりそういうことか。
恐らくあまりに急な話だった為に、プレゼントの準備なんて出来ていなかったのだろう。それで今、ノヴァとレイラが俺にプレゼントを渡しているのを見て気を重くした……大方、そんなトコだろう。
ならここはパーティーの主役である俺が口火を切るべきだろう。
そう判断した俺は、善は急げとばかりに口を開いた。
「――さて、じゃあ早速パーティーを始めるとするか。折角の宴だァ、今宵は派手に騒ごォぜェェェェッ!!」
声高にパーティーの始まりを告げると、それまで流れていた気まずそうな雰囲気があっという間に消え去り、宴に相応しい雰囲気へと様変わりした。
気を重くしていた連中も、俺がパーティーの始まりを宣言した意図を察したらしい。
今までの少し影のある表情を消し去り、純粋に宴を愉しむ笑みに変わっている。それを見て満足げに頷く俺。
ノヴァの手により広々としたエントランスに瞬時に幾つかテーブルや椅子が創造され、テーブルの上には厨房で作られて保管されていた料理の数々が転移されてきて、同じく酒蔵からワインなどの酒類が転移されてきた。
この場に集まった全員にそれぞれ酒が飲める者は酒が、飲めない者はアルコールの入っていない飲料が入ったグラスが行き渡るのを待つ。
それが済むと、俺はワインの入ったグラスを掲げて言い放った。
「では、今日というこの日を祝って――乾杯!!」
―――――――――――
「ふうん、なるほどね。従属神か……そういう理由でコアを味方陣営に入れることになったんだ」
「まあな。あれで竜蛇の神格の中でも最高位と言っても過言じゃない存在だぜ。しかも女神ときた。ケツァルコアトルの中でもレア中のレアだな、コアは。
いやはや、俺ってなかなか美女と縁が合うとは思わねェか?」
「ええ、本当に。良いご身分ね、一度酷い目に遭えばいいのよ、レオンなんて」
「クハハハハハッ! 何だったらお前も俺とそういう関係になってみるか、うん?」
「なっななな……張り倒すわよ!?」
「冗談だって。ま、実際身内だったら美女・美少女の類いは大歓迎なんだけどな。勿論カレン、お前も余裕で守備範囲内だぜ?」
「~~~ッ! レオン、そこに直りなさいッ!! その忌々しい口を利けなくしてあげる!」
「クハッ、そいつァ御免被る」
――パーティーが始まってすぐのこと。何やらノヴァとレイラ、ついでにコアを眺めて険しい表情をしていたカレンの所に行った俺は、カレンに問われてコアの身の上について話していた。
しかし、全て語り終えてもなおカレンはどこか浮かない表情をしていた。思い詰めたような、そんな感じだ。
内心首を傾げた俺は、ちょっとした悪戯半分本気半分でカレンをからかってみたところ、カレンは浮かない表情を薄くして真っ赤になる。
そこにさらに追撃を掛けてみたところ、完全に暗い雰囲気がカレンの表情から消え去り、代わりとばかりに羞恥に目を吊り上げるのを確認したところで、俺はカレンの罵詈雑言を背にグラスを片手に手摺から飛び降りてその場から退避した。
最近女慣れしてきた所為か、ああいった際どい言葉も平然と口にするようになったよな、と俺は自覚する。
ノヴァと結ばれる以前の俺なら、雰囲気を変える為とはいえ絶対にあんなことは言わなかっただろう。
慣れとは本当に恐ろしいものだよなァ、と考えつつ一階に着地。勿論、グラスから一滴たりともワインを溢さずにだ。
「よォ、飲んでるかァエアリアル?」
「まあな、この短時間の間に既にボトル一本分は飲んでるぜ。そーいうテメーはどうだよ、レイ」
「ぼちぼちってトコだな、カハハハハハッ」
愉快げに笑うレイ。片手に酒の入ったグラスを持ち、空いている方の手にはワインのボトルを持っていた。
上位魔人、それも《魔人の王》の《先代王》のレイは酒を飲んでも酔うことはできないが、酒の味は普通に楽しめる。
今レイが飲んでいるワインは、フリードがわざわざ神界から持ち込んだ見ただけで上等なものだと理解できる酒だ。故に、俺やファランと同じく酒好きなレイは上機嫌だ。
レイはグラスの中身をグイッと一気飲みし、新たにドボドボと酒を注ぎながら言う。
「カハハ。美味い料理を食らい、美酒を味わう。やっぱり宴ってのはこうでなくちゃねェ。これで美女の酌でも付けば最高なんだがなァ」
「美女だったら今この屋敷に居る女性陣は全員美女・美少女の類いに入ってるじゃねェか。俺の女であるノヴァとレイラは勿論、ロイ先生とくっつきそうなクレアさんとかの男が出来そうな女以外の女性陣に酌を頼んだらどうだァ?」
「確かにこの屋敷に居る女どもが全員美女・美少女の類いなのは認めるがなァ、その中でも特に佳い女は殆ど男が出来そうじゃねーか」
俺はグラスに口を付けつつ、素っ気なく言葉を紡ぐ。
「それでも男が出来そうな女以外の女性陣が美女・美少女の類いに括られるのは間違いないだろ? ちょっと行って口説いてこいよ」
「バカ、それじゃあつまらねえだろォが。美女・美少女の中でも特に美しい女を侍らせた方が気分が良いに決まってんだろ?」
「クククッ、まあな」
大真面目に語るレイに、俺は頷いて返す。一応気持ちは理解できるし、真実俺も何だかんだ言って容姿も重要な選定基準だと思っているからだ。
なに、容姿よりも人格の方が重要だ? 何言ってんだ、現実を見ろと言ってやりたい。
いくら人格が良くても突然容姿が良くなるワケじゃねェだろ? 反面、容姿が良くても人格が悪い女は、人格を矯正してやれば良いだけの話だ。
なあ? そう考えると、選定基準は人格よりも容姿の方が重要になってくるだろ?
――こりゃ、善人には理解されない考え方だな。主に勇者や英雄とか。いや、一部についてはそうでもないかもしれんな。『英雄は色を好む』の通りに、勇者や英雄の類いにも悪もまた善しとする奴等も実際に居るし。
ま、そんな奴等が勇者や英雄の概念に含まれるかどうかは知らんが。
かくいう俺も英雄の風が、それこそ死後英霊、下手すりゃ神霊と化しそうな勇士の卦があるが、実際には魔王よ邪神よと畏怖されそうな悪の権化だしな、俺は。
というか、今まで成してきた悪行の数が半端ない。
さらに『至上悪』だなんて権能を有している為、死後英霊や神霊の類いになったとしても絶対に清純な存在とは程遠いだろう。
……ま、俺が死ぬだなんてことは万が一、いや億が一有り得ないが。
ノヴァと結ばれる以前の俺は、自らの死に対して矢鱈と敏感だったが……二人の恋人を持った今、俺の辞書に『己の死』という言葉は無い。
時が来たら不老になるつもりだし、あと少し力を付ければ不死にすらなれる。自分よりも圧倒的な強者を相手に戦ったとしても、戦いの中で成長――進化してみせる。
目指す頂は唯一絶対の最強にして不死不滅の絶対者だ。
とはいえ、孤高を気取って孤独に生きるのなんて御免だね。不老不死だから親友や恋人は作らずに独りで生きていく……? は? 馬鹿じゃねェの。
独りで生きるなんて寂しいし、何よりつまらねェじゃねェか。そもそも、孤独こそが不老不死の存在にあるはずの無い死を与えると何故分からないのか。
ンな格好付けてる暇があったら、俺は仲の良い奴等と遊び回り、恋人といちゃこいてるね。
――などと、己の異性の選定基準やら価値観やらについて考えを巡らせていると。
目の前でワインを呷っていたレイが、ふと何かを思い出したかのような表情をした。
「そういや、エアリアルは女になれるんだったな……」
「あん?」
突然呟かれた独り言に、俺は一瞬意味が分からずに疑問の声をあげた。
しかしその言葉の意味を理解した途端、俺はピクリと頬を引き攣らせた。
「テメー……まさか俺に酌をさせようと考えてんじゃねェだろォな」
「そのまさかだ。話に聞いた限りエアリアルは女になるとただでさえ絶世の美女な容姿に磨きが掛かるみてえじゃねーか。是非ともご相伴に預かりたい所だなァ」
レイの言い様に俺は思いっきりドン引きして、
「生憎俺は男色の趣味はカケラたりとも持ち合わせてねェよ。第一、例え女顔だとしても絶世とまではいかねェっつーの。
男の時は精々女に見えるだけ、女になっても多少胸がデカイだけの普通の女でしかねェ。しかも体は女になっても心は完全に男だ。
ついでに言っとくが、体が女になったからそれに応じて心も女になるだなんてことは俺には有り得ないからな。例えファランが精神構造を変える魔法を全力で行使してもだ。
つーワケで余所当たれ、余所」
鬱陶しい蝿でも追い払うかのようにシッシと片手をプラプラさせる。しかしレイは気にせず、むしろ興味深そうに呟いた。
「へぇ……女のエアリアルは胸がデカイのか。今のエアリアルの体型からして、女になっても無駄な肉は無さそうだなァ……つまりプロポーションは悪くないワケだ」
「…………」
やっちまった、と顔をしかめる俺。
興味を失わさせる為に言ったことが、完全に裏目に出た。
現時点の俺の体つきからして女になるとデブになるだとか、そんなことを言えば考える間もなく嘘だと断言されるのは請け合いだ。
かといってこのまま黙っているのもよろしくない……が、これはもう仕方ねェか。
俺はレイから視線を逸らすと、「この話題はこれで終わり」とばかりに無言でその場から離れようとした。
しかし俺がサイス達の方へ姿を眩ます前に、レイが三階の手摺に身を預けているファランを仰いだ。
それを見て思わず足を止めかける俺だったが、気を取り直して歩を進めようとする。
大方レイがファランに俺を女にしてくれだとか要らんことを言ってんだろォが、ファランがそれに乗るとは思えないので。
あの時ファランが俺を女にしたのは吸血する為であって、理由も無く女にするはずないだろう……と、俺は思っていた。
ましてや今日は誕生日だ、流石のファランもその辺りのことは配慮してくれるんじゃねェの?
そう思考に切りを着けて、ちょっとだけ気が晴れたように歩む俺だったが。
――俺は知らなかった。以前精神世界にノヴァを招き入れた時、ファランが平然と俺を女にするということを口にしていたことを。
……ん?
何か、物凄く嫌な予感を感じた俺は、チラッと後方を振り返って三階の手摺の辺りを仰ぎ見た。
先程まではファランしか居なかったそこにはレイの姿が加わっており、頻りにファランに何事か囁き掛けている。
それを見てさらに嫌な予感を募らせる俺。
アレ? これホントに大丈夫なのか? レイが何をファランに吹き込んでんのかは知らねェが、何かファランもたまに頷いてない?
何かこう、「その言には確かに理がある」とでも言いたげに。あ、今また頷いたぞ……。
いよいよ嫌な予感が確信に近付いてきたところで、遂に俺は亜光速の速度域に突入してその場から一気に離れようとするも、遅かった。
俺を嘲笑うかの如く――というか、実際に嘲笑っているのだが――いとも容易く純光速の速度域へと加速したファランが、三階から俺に向けて左手を振るった。
ファランより遅い速度域ながらもそれを知覚していた俺は顔を引き攣らせる。あの動作は、まさか……!
――まさかもへったくれもなかった。いつぞやにも感じたあの灼熱感が俺の全身を苛んだかと思えば、胸の辺りに先程まではなかった重みを感じる。
この時点で、俺はもう己の身に何が起こったのかを理解していた。いや理解したくもないが、理解せざるを得なかった。
「レ、レオンさん!?」
たまたま近くでミスティと喋っていたアウレアが、一瞬にして俺が女になったのを目撃して、大声で俺の名を叫んだ。
パーティーの会場となっている屋敷のエントランスは、集まった者達が喋る声で溢れ返っており、多少大声を出そうとも対して目立たないのだが――それは相手が常人だったらの話だ。
超人的な身体能力を有する魔族や"覇者"後継者を始めとする実力者には、今の大声だけで十分だったのだ。
「……ッ! レオン様」
「レオン!?」
俺の様子がおかしかったことに気付いていたのか、近寄ってきていたサイスとユリウスが驚いて俺の名を呼び、
「レオンさん……その姿は一体……」
「ふん。良い気味だ」
一拍送れてアウレアが当惑に満ちた声音で言い、ミスティが鼻で笑って吐き捨てる。
悪口に反応した俺がほぼ反射的にミスティを睨むのと同時、混乱は流布していく。
「おお……! 見ろ父上、やはりレオは女ではないか!」
「いや、あれはだな――」
フリードが冷静に事情を話そうとするが、それはレストさんの声に阻まれる。
「キャーッ、やっぱりレオン君はそっちの方があってるんじゃないかしら!」
「そうでしょ? 気が合うわね、レスト」
レストさんに同意するリンス先生。どうやら、趣味(?)の合う者同士で飲んでいたらしい。
と、そこで、俺はリンス先生とレストさんの向こう側にカイルの姿を見つけた。
カイルは俺を凝視――視線の動き方からして、主に胸と尻の辺りを見ているようだ――していて、話していたのか傍らに居たルナに苦笑されている。
その困ったような笑いにハッとしてカイルが首を振り、何やら弁解をしている。あそこまで必死に弁解するっつーことは、アイツまさか……。
――まあ、人の恋路にまで口を挟むまい。そう考えた俺は、今度はロイ先生達に視線を移した。
何だかんだ言って案外落ち着いて状況判断している俺は、不本意ながら二回目にして早々に女体化にも慣れてしまったようである。
こういう時、自分の順応性の高さが恨めしい。
肉体に応じて精神まで女になるといった、性転換時にありがちな現象は一切無い為、心は完全に男のそれだ。
恋愛対象は当然女だし、男に胸を触られたところで心が男なので、生理的現象はあっても特に振り払おうという気すら起こらない。
つまり、喩え女になったとしても俺の言動も行動も男の時のそれと変わらず、男としての心の揺らぎが微塵もないのだ。
前述した通り、女としての性感帯を弄られれば生理的現象として快感を感じるものの、それだけだ。
これらの事柄を纏めると、女になったことで変わったのは容姿と性感帯くらいのものだ。容姿は、認めたくないが最初から女顔だったので、胸などのスタイルの面を除けば少し女らしさが増した程度だろう。
はっきり言って、女になったところで俺の在り方には何ら変化は見られない。それと相まって、慣れるのが余計に早くなっていたのだ。
付け加えると「ファランのやること成すことに一々驚いていられない」という、ヤケクソ染みた若干の諦念もそれを助長しているのだが。
「お、レオンのヤツまーた女にされてら」
「……本当に、レオン君は性別を間違えて産まれてきたのでは?」
「あー……レオン君も大変ねぇ」
「ちょっと待て! アレが【覇者】!? あの美人さんが!?」
ロイ先生とクレアさんとシリアさんの三人は揃って遠くを見つめるような目で俺を見ており、初めて女としての俺の姿を見たランスさんは一人騒いでいる。
「また女にされちゃったみたいね。それにしても、あの胸……見れば見るほど、腹が立つほど大きいわね。……理不尽だわ」
「……女の人は胸で決まるわけじゃない」
「レーゼに言われても慰めになってないからね?」
カレンの方を見てみれば、いつもの如く黒ゴス姿のレーゼとそんなやり取りをしていた。
確かに俺は胸だけはデカイが、カレンもなかなか胸はある方だと思うぞ。C……いや、Dはあるか?
……などと、カレンを観察していると、そのカレンと目が合った。どうやら胸を見ていたのがバレたらしい。
……睨まれた。
まあ当然か――そう思いつつ次に恋人であるノヴァとレイラに視線を移す。
「アレがレオン? ……凄いわね、男の時でも容姿は胸がないだけの絶世の美女だったのに、女としての美貌にも磨きがかかってプロポーション抜群って、もう完全に絶世の美女としか表現のしようがないじゃない」
「で、あろう? 私も正直、容姿には多少の自信はあるのだが……主の容姿には、何と言うか……〝美〟という概念をそのまま形にしたらこうなるのでは、と思ってしまうほどのものを感じるな。
その内、〝絶世の美女〟どころか〝傾世の美女〟と呼ばれるのではないか?」
ノヴァとレイラは二人してそんなことを喋っている。嗚呼、どんどん俺の男としてのアドバンテージが減じていく……。
いたたまれなくなった俺が最後に視線を移した先に居たのは、やはりと言うべきかファランとレイである。
ファランは三階の手摺にもたれて首を後ろに傾けて横目で俺を見下ろしており、右手にはワインの入ったグラスがある。
その横にはレイの姿があり、コイツはワイングラス片手に俺をガン見していた。
思えば、やったのはファランでもファランを唆したコイツの所為で――と思って睨み付けていると、レイの唇が動いた。
「上から92・53・89ってトコか……? ヤベェなこりゃ、俺の好みにピッタリじゃねーか」
顎を撫で思案げな表情で独白するレイ。今呟かれた数字が何のことかは言わずとも知れている。
正確な数値を計ったことは勿論ねェが、大体そのぐらいだ。ってか多分あってるな。何だアイツは、女の体を見ただけでスリーサイズを数値化できる魔眼でも持ってんのか。
何はともあれ――と、俺は俄然目つきを鋭くする。
誕生日という日にまで俺が女になっちまった要因を作ったバカは制裁してやらねェとな……!
俺はその場で膝をたわめると、音も立てずにふわりと跳躍した。勿論、三階に向けてだ。
跳躍した時と同様に無音で着地した俺は、未だに俺の体を眺めているレイに低い声で怒鳴る。
「テメーなァ……あんま調子くれてっと痛い目見るぜェ?」
「カハハ。やれるもんならやってみろ。その代わりそれが出来なかったら……分かるよなァ?」
「ほぉ……」
いやらしい笑みを浮かべたレイに、俺はピクリと頬を引き攣らせる。
上等じゃねェか……テメーこそ、俺の権能から逃れてみろってんだァッ!
いざ権能を発動しようとしたところで、俺はふとあることを思い付いた。レイのような男には特に絶大な効果を期待できそうな攻撃を。
――こりゃあ良い。テメーにはお似合いの一撃をくれてやるぜェ、レイ。
俺はニヤッと唇の端に不敵な笑みを刻むと、さっと左手を持ち上げてレイに向けた。
〝貫通〟の〝絶対概念〟を解放。並行して想力による〝幻痛強化〟を対象に付加。
〝絶対概念〟と想力により、レイが展開するであろう装甲障壁を突破し、さらに痛みが引いた後も幻痛を感じてしまうように力を発揮する。
レイは魔族だからな。大抵の傷は容易に治癒してしまう。なので、幻痛として味わってもらうことにしたのだ。
それらの下準備を済ませると、俺は魔法を発動した。
「【コンプレッション・エアリアル】」
「ハッ、その程度――」
蒼銀の力場がレイの周囲に発生し、そのまま空間ごとレイを圧縮しようと襲い掛かる。しかしレイは余裕の笑みを浮かべてそれに耐えようと――
「――あ?」
――したところで、装甲のように展開した障壁が突破されたことに気付いた。
無論瞬時に障壁を展開し直したものの、その時今まで全身を圧迫するように襲っていた圧縮領域が突如変化した。
圧縮領域が縮小したのだ。それにより威力が先程の数倍にまで跳ね上がり、レイの障壁を貫通し障壁が修復されるよりも早く圧縮がレイの体に届いた。
そして、その圧縮が届いた部位と言うのが――
「ギャハァァァァァッ!?」
突然絶叫したレイが眼をかっと見開き、股間を押さえてうつ伏せに倒れ込む。その表情は苦悶に満ちており、壮絶な苦痛を味わっていることを体現していた。
そんなレイを見下ろし高笑いする俺。
「フハハハハハハハハハハハハハハハハッ! 馬鹿め! バカめ! ヴァカめ!! 俺がそこを狙うことくらい予測してなかったのかァ、うん?」
俺は、やると決めたらそれがどんな外道なことでもやる男だぜ。
股間を狙った一撃が見事レイにダメージを与え、満足げに頷く俺。いや愉快愉快……。
勝ち誇ったように高笑いしていると、そこでレイが想定外の行動に出た。
「てんめっ……上等だァ……! 喰らえッ……」
「んッ――!?」
レイが真紅の魔力のオーラを纏った人差し指で、俺を指差したのだ。いや、それは問題じゃない。何らかのアクションを取る程度、誰だって普通に予測し得ることだ。
それでは、何が想定外だったのかというと――
「んあっ……あぁう……!?」
下腹部を襲う切ない疼きに、思わず俺は自分に似合わない甘い吐息など洩らしてカーペットが敷かれた床に膝をついた。
最悪なことに脚の筋肉が弛緩してしまっていた為に、足の間に腰を落とすという、俗に言う『女の子座り』になってしまっていた。
初めて感じた痺れるような感覚に、最初は戸惑うばかりだった俺も、自分自身女を抱いた経験があるので、すぐにこの甘美な感覚の正体に気付いた。
というか、つい先程まで考察していた内容の中に含まれていたことだ。
ノヴァやレイラを抱いた時に、俺が愛撫する度にあの二人も今の俺みたいな反応をしていたからな……。
この、下腹部から全身に広がる甘く切ない感覚は――
「んっ……れ、レイ! テメー……くぅっ、俺に何しやがった……はんっ」
「へっ……ザマー見やがれ。流石のエアリアルも、こればっかりは防げなかったみてェだな……」
真っ青な顔をして、股間を押さえながらも不敵に笑うレイ。
ゆっくりと体勢を整えつつ、吹き出た玉のような冷や汗を手の甲で拭いつつレイは言葉を続ける。
「エアリアル……てめえはよ、リミッターを外している時は普段から無意識の内に障壁を装甲のように纏ってるだろォ?」
「ふぅっ……それがどうしたっ」
全身を苛む快楽を堪えつつ、俺はギロッとレイを睨んだ。
レイの言っている障壁と言うのは、自らが内包した魔力が敵から投射された魔力に対抗しようとする、謂わば魔力の抵抗力のようなもののことだ。
ほら、聞いたことがあるだろう? 圧倒的な魔力を有する者は、わざわざ障壁を展開せずとも、籠められた魔力の少ない魔法ならば自らが有する魔力が意図せずしてその魔法を打ち消してしまうとか。
原理や強度については、俺が無意識に行っている障壁の展開の方がよほど高度なものだが、分かりやすく認識するとすれば間違ってはないはずだ。
さらに分かりやすく言うとすれば、武術を修めている者が、敵に奇襲されたとしてもすぐに戦うことができるように、日常的に特殊な歩法で歩いているのと同じことだ。
カハハ、と笑ってレイは言う。
「てめえが無意識に展開しているそれは、己に害を成す効果のある物理的干渉や魔法による干渉を防ぐものだろォ?」
「くっんん……だから、なん――」
なんだ、と言いかけて、あることを思い出して途中で言葉が切れる。
俺は確かに、常時そういった魔力装甲的なものを纏ってはいる。
これは別に妙なことではない。現にこの屋敷の住人である魔族達は一人も残らず常時魔力装甲を纏っているし、ロイ先生達に到っては言わずもがな。
それでは『ただ単に俺の周囲に居る奴等のレベルが高いだけ』と思うヤツもいるかもしれない。
だが、これに関しては本当に珍しいことでもないのだ。
ギルドランクで言うと、Sランクになるような奴等は等しく無意識の内に魔力装甲を纏っているしな。
自分が意図せず魔力装甲を纏っているのに気付けるかは別として、これで俺の言っていることが本当だと分かるだろう?
で、だ。
そういった魔力装甲は、先刻も述べたように物理的な干渉や魔法による干渉を阻むものだが、それにも例外はある。
則ち、攻撃を目的とした干渉ではなく、治癒や補助といった干渉なら障壁を透過してしまうのだ。
こればっかりは仕方ない。いざとなった時、味方からの治癒や補助まで阻んでしまい、通らなければ困るだろう?
それが原因で命を落としたりすれば本末転倒だ。
故に、治癒や補助の効果を持つ魔法などは意外なほどあっさりと障壁を透過するものだが……ここで一つ疑問がある。
媚薬って知ってるよな? あの、使ったヤツを矢鱈と敏感にするアレだ。
さて、その媚薬について問題だ。媚薬は体に害を齎すものなのか、もしくは体に良い効能を齎すものなのか。果たして、どっちだと思う?
まあ、人によっちゃあ賛否両論だろうなァ。媚薬が齎す効果を害だと言う者もいれば、逆に良いものだと言う者もいる。
実際、使う者や使われる者によっては害にしかならない場合もあれば、良い効果を得る場合もある。
そういったことも考慮の内に入れれば、やはり答えは曖昧なものになってしまう。
それはまあ、人それぞれ主観もあるしどうしようもないことだ。
だが、その手の複雑な事柄については一切放棄し、ただ単に媚薬という物についてだけ考え、答えを出すとするならば、媚薬とは間違いなく良薬の類いにカテゴライズされる。
そもそも媚薬とは使った者の感覚神経を鋭敏にするものである。
感覚神経を鈍らせる、謂わば『阻害する』ような物ではなく、感覚神経を鋭敏にして『補助』する物なのだ。
それが媚薬の本来の使用目的だ。それはつまり、媚薬によって、いや媚薬に限らず快感とは『己に害を成す』ものではなく、むしろ感覚神経を鋭敏にする補助の扱いと同じだ。
実際、媚薬とは医療の場にも使われることがあるほどだ。
それだけではなく、あくまでも使う者によってはだが、媚薬は精神安定剤にすらなり得る。
――そんな、どちらかと言えば間違いなく良薬の部類に入る媚薬が齎す効果は、無意識の内に展開されている魔力装甲では簡単に通り抜けてしまうのだ。
防ぐには、しっかりと確かな意図を持って障壁を張らなければ。
それを踏まえて今の俺の状態を考えるに、レイが行使した魔法は間違いなく対象に性的な快楽を与えるチャームの類いに括られる魔法だ。
しかし、ただのチャームならば精神汚染と見なされて当然障壁が反応しているはず。ならば何故魔法が俺に届いたのかというと――
「まさか……んうっ、感覚逆転系の魔法に感覚共有の術式を……ふぅっ、掛け合わせた魔法を……使いやがったのかァ? ……くぅぅぅっ」
全身を駆け巡る快感に呻き声を洩らしつつ問うと、レイはゆっくりと頷いた。
「ご名答……さて、今てめえが味わっているその快感は、俺が逆転した感覚と比べればまだまだ序の口もいいトコだ。
そこでだ――」
レイは人差し指をぴっと突き立てると、いやらしい笑みを深めた。
そして、言い放つ。
「俺が逆転した感覚を一気にてめえに送り込んだとしたら……てめえはどうなっちまうんだろォな?」
「は――?」
俺の思考が止まる。
この、名状しがたき感覚が序の口だと――?
いや、それだけではなく俺が逆転した感覚を一気に送り込んだとしたらどうなるかだと……?
そんなの――
「……ッ!!」
レイの言葉の意味することを嫌すぎるくらい正確に理解した俺は、快感に頬を赤く染めながらもさぁっと蒼褪めるという、器用な顔をした。
ただの一端でさえ気が狂いそうなほどの快感を感じるってのに、それが一気に来たら――
「くぁ、レイ! まさかテメー……」
「カハハハハハッ」
確認するように睨み付けると、レイは怪しく笑った。妖しく、ではなく、怪しく、だ。
「あんっ……はぁはぁ、クソッタレがァ……。ひぁっ、止めろやめろヤメロ――」
嫌な予感が確信へと変わりつつある俺は、徐々に強くなっていく快楽に堪えながらレイに制止を呼び掛ける。
当たり前ェだろォがァ! 確かに鏡属性の境界操作の能力を以てすれば男に戻ることは可能だが、現時点の俺の境界操作じゃ、男に戻るまでに最低でも七時間は掛かるんだ!
どう足掻いたって間に合わねェって! 俺が男に戻る前に、女性が絶頂に達する時の生理的現象を起こしちまう……!!
なので、凄絶なまでの必死さを露にレイを説得しようとする俺だったが、当然の如くレイはそれを無視し。
「淫楽に堕ちな――エアリアル」
パチンと、指を鳴らした。
途端、一瞬今まで感じていた快楽が嘘のように消え去った。
しかし、それが何を意味するかを分かってしまった俺は、頬を引き攣らせた。
ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい――!
コトがここまで来てしまってはもう手の打ち様がない。加速した思考の中で早々にそれを悟った俺は、せめて体勢だけはと近くにあった手摺の棒にすがり付く。
次の瞬間、下腹部を中心として今まで感じていた快楽とは比べ物にならないほどの快楽が全身に広がり――
「くぁっ、ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――ッ!!」
―――――――――――
「やべーよ。勃っちまった」
「言うな、俺もだ」
――レオンの艶かしい嬌声を聞き、屋敷の男性陣は一部の例外――といっても、ユリウスとサイス、フリードのみだが――を除き、一様に前屈みになっていた。
何故かは言わずとも分かるだろう。
レオンの嬌声がそんじょそこらの女とは次元が違う艶かしさを含んでいた為に、男性陣のある部分が男としての健全さを主張していたのだ。
その辺に漂っていた、性欲が希薄になっているはずのゴーストやレイスの男性陣まで前屈みになっている辺り、レオンの嬌声がどれだけ色っぽかったのかが伺える。
例に漏れず前屈みになっているのは、ロイとカイルである。
カイルは、ルナとの間にまずは友好関係を成立できたことに満足して、"覇者"後継者の女性陣から、男が一人しかいなかった為に自然とあぶれる形になっていたロイと組んで会話しつつ食事をしていたのだ。
勿論、話題になったのはその時には既に女体化済みだったレオンのことである。
レオンの女としての評価と男としての評価の圧倒的とも言える格差について笑いながら、目の前にある料理をロイとカイルが食べ終えた時、レオンの嬌声は響いたのだ。
その声には凄絶なまでの色気が感じられ、屋敷に居た男性陣の殆どを前屈みにさせたのだ。
「ウホッ、堪らぁぁぁん! 神界で美女と言える存在を幾度となく見てきたが、あの女は別格だぜ! 体つきもエロければ、声もエロいっ!」
「あ、ヴリドラ。何だよ、現界する気になったのか」
突如背後から高レベルの変態度を内包した声が発されても、カイルは慌てた様子もなく応じる。
声を発したのが己の使い魔であると分かっているからだ。
カイルの背後には赤紫色の長髪が特徴的な貴公子然とした美青年が立っていた。
名をヴリドラと言い、神界では〝毒炎竜〟と名高い伝説の存在である。
ヴリドラは元を辿れば炎竜の一族の者だったのだが、今から八百年ほど前神界で起きたとある戦争の折に敵から竜殺しの毒の呪法を受け、生死の境を彷徨った末に見事生き残ったことにより、彼はこの世界で唯一の〝毒炎竜〟という種族と化したのである。
世界に唯一の存在であるというだけでも伝説とされるには十分すぎるのだが、『炎の覇者』後継者たるカイルが使い魔として召喚しただけのことはあり、桁外れの戦闘能力も有している。
……が、しかし。
それ以上に、変態だ。どのくらい変態かというと、〝毒炎竜〟という本来なら畏怖の念を覚えざるを得ないほどの名が脳裏からデリートされてしまうほど、変態なのだ。
これは由々しき事態である。
そもそも、人間という生物は一度でも自分が畏怖した存在に対しては、喩え何があろうとも瞬時にその畏怖を忘れるということはまずない。
分かりやすく例えるとだな、自分が何の力もない脆弱な一人の人間に過ぎなかったとして、ある日森の中で人喰いとして有名な熊に遭遇してしまったとしよう。
そんな熊が本心から『ハハハ、今日は良い天気だねえ』的なほんわかとした雰囲気を放っていたとしても、畏怖の念は無くならないだろう?
っつーか、むしろ増加すると思う。『今日が俺の命日か……』的な意味で。
根付いた畏怖を取り除くには、多少の時間を必要とするのがこの世の常だ。
それは人間に限らず、どんな生物だって同じことだ。
少なくとも、生物としての本能がまともなら、な。
……ところが、ヴリドラに到っては少し事情が違うワケで。
ヴリドラを召喚した時、まだカイルは『炎の覇者』としての力を継承したばかりだった。
当然、精神の方は継承した人外の力に慣れていない状態だ。
当時のカイルが、ヴリドラの素性を知って畏怖の念に縛られてしまうのは無理もないことかもしれない。
というか、普通そうなる。
フリード達を喚んだ時、初っ端から平然と接していたレオンの方が変なのだ。
ま、レオンには自分が変だなんて考えはこれっぽっちもないだろうが。
レオンにとってはそれが普通だし、それで何か文句を付けられたとしても、普通のことを普通にしてるだけじゃねェかって声を大にして反論すること間違いナシだ。
だがそれはレオンの話であってカイルのことではない。
一般的な普通の例に漏れなかったカイルは、ヴリドラを喚んだ当初その正体を知って思わず固まってしまっていた。
しかしカイルの内に生じた畏怖の念は、その時ヴリドラが口にした程度を超過した変態的な言葉に一瞬にして消え去ったのだった。
それ以来、カイルはヴリドラの脈絡のない行動や言動には慣れている。
むしろ話す内容が変態的なことばかりなので、カイルまでノリノリになってしまうことがしばしばだ。
一度、結託してどこぞの女湯を覗きに行ったその姿からは、最早威名に相応しき威厳など皆無だ。
結論を言えば、ヴリドラとは力は確かに威名に相応しきものだが、性格や思考回路はただの『残念なイケメン』そのものだったということだ。
「何で急に現界してきたんだ? 気でも変わったのか、それとも……」
「あんなもの見せられて出てこられずにいられるかってんだ」
ヴリドラはニヤニヤ笑うと、三階の手摺にしがみついて果てているレオンを見上げた。
レオンは青息吐息で喘いでおり、仄かに赤く染まった頬やうなじに浮かぶ冷や汗がこの世のものとは思えぬ妖艶な色香をさらに際立てている。
その美貌には快楽の余韻と羞恥心、それを上回る激しい憤怒が浮かんでおり、唇を噛み締めて心と躯を鎮めようとしていた。
そんな、何時になく妖艶で凄艶なレオンの様子に、さしものカイルも瞠目する。
「くっ、俺にはクレアが……」
「くっ、俺にはルナが……」
二人揃って同じような内容のことを呟いたロイとカイルは、互いに顔を見合わせて苦笑いする。
逆にそれがきっかけとなり、ロイとカイルはどうにか自分を落ち着けることが出来たものの、生憎主が落ち着けば使い魔も鎮静化するだなんて都合の良いことはない為、ヴリドラは興奮したままだ。
「よっしゃ、今すぐ口説いてベッドインまで持ち込んでやるぜっ!」
そう意気込んで、レオンのもとへ行こうと跳躍の体勢をとった時だった。
自分に向けられた劣情にまみれた視線に気付いたのか、レオンが閉じていた真紅の瞳を見開いた。
不埒な視線の主であるヴリドラを目視し、レオンが何事か呟いた。
唇の動きから何と言っているのか理解したカイルは、すぐさま己の使い魔へと視線を移した。
「おおっ、こっち見てるぜあの綺麗な姉ちゃん! そんな熱っぽい瞳で見つめちゃって、俺に気があるってことですね分かります――えっ?」
阿呆なことを嘯いていたヴリドラが、驚いて視線を下に落とす。
するとそこには、青白く輝く魔法陣が。
「えっ、これってまさか――」
ヴリドラがそう独白したと同時に、ヴリドラの足が魔法陣へと沈んだ。
それを目にしたヴリドラは大いに慌てる。
「やっぱ強制送還陣じゃねーか! 嘘だろ、何でカイルの命令無く強制送還陣が……うおおっ、送還される――!」
ヴリドラはジタバタ暴れているが、強制送還陣はヴリドラの体を呑み込んでいく。
遂に下半身が強制送還陣の中に沈んだのを見て、ヴリドラは近くにあったテーブルの足を掴んで意地でもこの場に留まろうとするが――
「ちょっ、何だあんたらは。男に用は無ェって! そっちの姉ちゃんは、後でいくらでも愛でてやるから、取り敢えずその足を退けようか!?」
そこへサイスとコアが駆けつけ、サイスは床に屈んで手で丁重に、コアは誰に似たのか無遠慮に足でテーブルを掴む手を踏みつけて引き剥がそうとした。
あくまでも丁重に、手で引き剥がそうとしているサイスはまだ良いが、足でグリグリしているコアの存在が拙い。
何とか止めさせようと、ヴリドラは胸の内を叫ぶ。
「止めろ! このまま送還されたら、あの綺麗な姉ちゃんとベッドイン出来ねーじゃないか!」
「…………」
「提案します。今すぐお帰りになられた方がよろしいかと」
その魂の叫びに、サイスは引き剥がそうとしていた手を止め、コアは丁寧だが無表情で言い放ち、足に籠める力を強くした。
それでもサイスの手が止まったことを希望と見たのか、ヴリドラは再度口を開こうとしたが。
「――レオン様にそのような下劣な行為を働くのは、この私が阻止させて頂きましょう」
「へっ?」
サイスはそう述べると、衣擦れの音とともにすっと立ち上がった。
そのまま、右脚を若干後ろに引いた。その意図を察したヴリドラが頬を引き攣らせる。
当然だが、サイスはヴリドラの言い分を認めてなどいなかったのだ。
ただ単にこの方法ではヴリドラがテーブルから手を離さないと考え、違う手段を模索していただけだったのだ。
……実際にはそれは建前でしかなく、レオンに下劣な行為を働こうとするヴリドラに対して腹を立てていただけだというのは、サイスだけの秘密である。
だが、感情と言うのは行動にも影響を及ぼすワケで。
「早々にお引き取り願えますか」
「ちょっま――ぐおっ!」
サイスが採ったのは蹴りという手段だった。
基本的に、サイスは非常に安定した人格の持ち主である。
冷静沈着な普段の彼ならば、余程余裕が無い時でなければ味方陣営と言える相手にこんな荒々しい挙動はしないのだが、この時のサイスはちょっと……いやかなり腹を立てていたので、自然と思考が過激な方向に傾いていたのだ。
永年共に居たこともあって、ユリウスとミスティが驚いたようにサイスを見やるが、彼に気にした様子は見られない。
「ああああああ――……」
サイスらしく、余計な動作は一切無くしたコンパクトだが強力な蹴りにより、遂に手がテーブルの足から外れたヴリドラが、情けない声と共に強制送還陣に落ちていく。
それを見ていたロイとカイルは、再度顔を見合わせて頷き合った。
『主じゃないヤツが制送還陣を展開するって……ホント、レオンのヤツは何処まで規格外な力を持ってんだよ……』
申し合わせたかのように、ロイとカイルは同時に洩らすのだった。
―――――――――――
「……ふぅ」
不逞の輩を追い返した俺は、ゆっくりと息を吐き出した。
――嬌声をあげはしたが、どうにかそれ以上に無様なところだけは見られずに済んだか。
咄嗟に身体の分泌物を限界まで抑え、公衆の面前で漏らしてしまうだなんてことを避けた俺は、冷や汗を流しながらも一先ず胸を撫で下ろす。
しかし、まさか女にされただけではなくこんなことになろうとはなァ……。
そう思いレイが居た方を見やるが、いつの間にかレイは姿を消していた。
あの野郎、何処行きやがったァ? 見つけ出して落とし前付けてやる……。
殺意に目をギラギラ光らせてレイの姿を捜す。そんな俺に、後ろから声がかかった。
「ハッ。無様だなァ、オイ」
「あァ?」
声のした方に目を向けると、手摺に腰掛けてコトの成り行きを静観していたファランの姿があった。
俺は口元を引き攣らせてそれに応じる。
「テメーも片棒を担いでた癖に言ってくれるじゃねェか。元凶は確かにレイだが、そもそもファランがレイの申し出に応じなければだなァ――」
そう言ってファランを見やる俺だったが、そこであることに気付き言葉を切る。
こちらを見つめているファランの頬が僅かに赤く色付いている。
そこだけ見るとまるでファランが俺に懸想しているように思うかもしれないが、ファランに到ってはそんなことは有り得ない。
今まで共に在ったお陰でそれは分かっているので、俺の中からその選択肢は最初から抹消されている。
なので、俺はそれとは違った一つの答えに辿り着いた。
――こいつまさか、酔ってやがるのか?
俺は唖然としてファランを見つめた。
いや、確かに酒精に対する免疫力を限界まで落とせば、酔えるには酔えると聞いている。
だが、そこまでしても、ファランの素での酒精に対する抵抗力と分解力が高すぎる為に、最高位に位置する神楽酒、御神酒の類いでなければ酔うことは出来ないはずだが。
神界からわざわざ持ち込んでくれたフリードには悪いが、最高位の神酒なんて物は無かったはずだ。
しかし、現にファランはほろ酔い気味だ。となると、可能性として残るのは――
「…………」
俺は無言で手摺に腰掛けているファランの傍らにある酒瓶に目を留めた。
ファランは自分が腰掛けている手摺の上に酒瓶を置いており、ラベルには『八塩折』と書かれていた。
それを見た俺は眉をひそめる。
八塩折、八塩折ねェ……何処かで聞いたような名だな。はて、何だったか。
俺が脳内で検索していると、ファランが目を細めてグラスの中の透明の液体を見つめ、呟いた。
「しかし、流石は竜蛇殺しと名高き神酒『八塩折』だ……もしやと思い創ってみたが、予想通り酔うことが出来る程度の格は維持したまま創造出来たみてェだなァ。
ククククククッ……」
愉快げに肩を揺らして笑うファラン。
「竜蛇殺しと名高き神酒『八塩折』……?」
やはり何処かで聞いた、いや〝識〟ったことのあるフレーズに、俺は無意識の内にファランの言葉を復唱していた。
何だったか……確か、そう、遥か遠き異世界の神話にそんなのがあったような。
その時、俺はハッとした。
オイオイ……マジか!? ルーレシア世界の神酒なら俺やファランの手に掛かれば創造可能だが、ファランは異世界の、しかもあの『八塩折』を創ったってんのか!?
竜蛇にまつわる神酒、そして『八塩折』という銘柄。この二つのキーワードに確答する神酒は一つしかない。
すなわち、遥か遠き異世界の神話に語られる竜蛇として有名な、八つの首を持つ竜蛇『八岐大蛇』。
それを討つ為、用意された神酒こそ八塩折。つまり、ファランが創造した神酒であった。
「おまっ、神酒ってのも一応神性を内包した神具みたいなモンだぞ!? 下級や中級、高くとも上級の神酒なら確かに創造可能だが、最高位の神酒を創造ってどんだけだよ!」
「あァ? この俺をテメェの物差しで計ってンじゃねェよ。このくらい、簡単すぎるンだよ、俺にはよォ」
ファランは喉の奥で笑う。いつもと変わらぬ様子を見るに、酔いはしているがその酔いは完全に制御下に置かれたものらしい。
まあ、ファランが酔い潰れるところなんて想像もできねェけどな――そう思いつつ、俺はグラスを手にしてファランの方に突き出した。
ファランが眉をひそめて見返してきたので、俺はファランが持つ神酒を顎で示して言う。
「それ、俺にもちょっと分けてくれよ」
「断る。欲しけりゃ自分で創るンだな」
「それは俺がまだ神酒を神性を落とさずに創造できるほどの高みに到ってないのを分かって言ってるのか」
「そうだが?」
悠々と自分のグラスに口を付けつつ、ファランは鷹揚に頷いてみせた。
そんなファランを見て俺の額に青筋が浮かぶ。
「こっちはテメーに女にされてんだぞ? 代わりに酒くらい分けてくれたって良いじゃねェか。お前なら幾らでもその神酒を創造できるんだろ?」
「可能だ。だが、分けてやるつもりはねェよ」
それにだ、とファランは続ける。
「テメェが女になったのは、ただ単にテメェが俺が行使した性転換の魔法を防げなかったのが悪ィ。自分の弱さを俺に押し付けてンじゃねェぞ、三下ァ」
「ンだとテメー……!」
俺も大概理不尽なことを言う自覚はあったが、流石にここまでではない。
ファランの言い様に今にも飛び掛かりそうになるが、そこでファランはふと思い出したかのように告げる。
「しかし、テメェが酌をすると言うのならば、少しくらいはくれてやっても良いぜ。どォする?」
「……もういい、結構だ」
色々と虚しくなってきた為、俺は早々にこの話題は切り上げることにした。このまま問答を続けてても、ことこの件に到っては平行線だろうと思ったからだ。
ファランの持つ神酒を未練がましく見やった後、俺は下の階を見下ろして言う。
「――話は変わるが。新たに俺の臣下に加わったコアの存在についてなんだが、ファランはどう思う?」
「どう、と言うと?」
急な話題の変換にも動じず、俺の疑問に対して悠然とした態度でファランは応じた。
「テメェが言う『どう』ってのはコアとか言う女自体についてか? それとも、『コアの存在から見えてくるルーレシア世界の異常性』についてか?」
「答えずとも知れているだろうに」
面白がるように述べるファランに、俺は苦笑して返した。
しかしそれでも、俺は律儀にその問い返しに答える。
「勿論、俺が知りたいのは後者についてだ。このルーレシア世界……何か、おかしくねェか?」
「フン……具体的に、どうおかしいと思ってンだァ?」
「そうだな。まず第一に、『このルーレシア世界の強度と抑制力の強さ』のことだ」
「ほう……」
静かに自分が妙に思った点を口にすると、ファランがすっと目を細めた。
「続けろ」
先を促すファランの言葉に頷くと、俺は話を続けた。
「これについては、このルーレシア世界に於いてはファランやエキドナが真の力を発揮できねェと聞いた時から考えていたことだ。
エキドナならまだしも、ファランまで真の力を発揮できねェってのは明らかにおかしい。お前ほどの戦士ならば、〝制約〟とやらを別としても、たかが単一世界の束縛には囚われずに戦えるはずなんだが……」
俺はそこで言葉を切り、ファランをまっすぐに見つめた。
「――何故だ? 何故真の力を発揮しねェんだ? それはお前に掛かっている〝制約〟とやらは本当は関係ねェんじゃねェの?」
「クックック……。なるほど、そこまで辿り着いていたか」
ファランは肩を竦めると、グラスを手で弄びながら言う。
「先に言っておくと――お前の読みは正しい。少なくとも、俺に掛けられている〝制約〟は関係ねェってことはなァ。――だが、だ」
「だが……なんだ?」
「俺が真の力を発揮できねェってのは少し事情が綯い交ぜになっててだなァ……一つは単純にこの世界の抑制力が強いこと。もう一つは今の俺はあくまでテメェに憑いている状態で、肉体を失っている所為だ。
さらに言うなら、神器の有無。これも要因の一つだ。……ここまで話してやったんだ、テメェならもう分かるだろォ?」
流し目などくれ、試すように言うファラン。ファランの言う通り、俺はファランの現状を理解していた。
世界の抑制力に、肉体を失っていること。それに加えて神器の有無。
ここまでヒントが揃っていれば、誰だってその真実に辿り着くだろう。
現時点では、まだ何とも言えないが……取り敢えず、ここまで把握できていれば問題ないだろう。
俺はそう判断した。しかし、これではまだ根本的に解決していないことがある。
「しかし、そうなるとさらにこの世界について疑問に思えることが増えるなァ。そもそも、お前についてはこの世界の強度がおかしいことから発展した話だ。
肝心の、『ルーレシア世界の強度と抑制力の強さの異常性』に関して解き明かされてねェ」
手摺に腰掛けているファランの横にもたれ、腕を組んで述べる。
そうだ、これではまだその点について理解できてねェ。――それについて、ファランの返答は如何に?
「駄目だ」
「……は?」
返ってきたのは期待していたものとは違う言葉だった。
いくら思わせ振りなトコがあるファランと言えども、これくらいなら教えてくれるだろう――とたかを括っていた俺は、間抜けな声を出してしまった。
何でだ? この件に関してはファランが秘匿している俺の力か何かのことには関係してないと思うんだが……。
そう考えていた俺だったが、どうやらその考えは甘かったらしい。
「テメェの疑問に答えるには、今のテメェが知るべきではない事柄が多数含まれる解答しか存在してねェンだよ。それ以前に現時点のテメェじゃ話したとしても理解が追い付かねェトコが多々ある。
それが分かったら、この案件については正確な解答は諦めな」
「……オーライ」
納得できない所はあるが、仕方なく引き下がる。
こういう時、ファランの言葉に嘘は無いことは十分に理解しているからだ。
今の俺では理解しきれず、聞くには不足なほどの事柄があるというのは正直信じられない。
それだけの知識はあるつもりだし、知らずとも事実を事実として受け入れることができる程度の心的余裕はある。
それでもまだ不足だったとしても、今の俺ならいざとなったら叡智の極致へと至り、『外なる図書館』の能力を以て全ての情報を統括し、解き明かすことができる。
早い話が、今の俺は知識面に於いて『全知』とまではいかずとも、『全知の欠片』と言える程度の能力を有しているのだ。あくまで言える程度で、本当の意味での『全知の欠片』ではないが。
それ故に、今の俺ですら理解不能なことがあるのは到底納得し難いのだが、それもまた一つの事実なのだろう。
そういった思考の果てに俺は引き下がったのだ。ファランの言葉に嘘は無いと理解しているとはいえ、理由も無く引き下がったワケではない。
「テメェにしては賢明な判断だ。……他に何か気付いたことはあるかァ?」
素直に引き下がった俺を見てファランは満足そうに頷き、問いを投げ掛けてきた。
それに対して俺はゆるく首を振り、
「……いや。気付いたことはまだあるが、どれも先刻の質問の答えが得られなかった原因に引っ掛かりそうだと分かったんでなァ。
話に付き合ってもらっといて悪ィが、この件については忘れてくれ」
苦笑いして言うと、ファランは軽く息を吐き出して俺から視線を外した。
「ならば良い。これはテメェが主役のパーティーだ、今宵は精々楽しむンだな」
手摺から降りて、何処かへと歩き去ろうとするファラン。その背中に、すかさず俺は声を掛けた。
「このパーティーの主役が俺だって分かってんなら、男に戻してくれよ」
「――断る。テメェは女の方が良い。少なくとも、男の時のあの不自然さはねェンだからよォ」
つゥか、テメェは男でも女でも容姿的にはそう変わりねェじゃねェか――そう続け、ファランは今度こそ未練無く歩き去っていく。
それを俺は肩を竦めて見送る。
え、男に戻してもらえなくて良いのかって? 良くねェに決まってんだろ。
が、ファランの気まぐれは慣れてるし、不本意ながらこの女の躯にも既に慣れが来ており、俺自身の感情さえ別とすれば何も問題はなかったからだ。
こういう時、大抵のことにはすぐに慣れてしまう自分の順応性の高さが本っ当に恨めしい。いやマジで……。
まあ、ファランがしつこく食い下がったところで取り合ってくれるようなタマじゃねェからってのが最大の理由だけどな。
むしろ、あまりにも度が過ぎると却って状況が悪化することになるだろう。
俺はため息を一つ吐くと、新しくグラスを創造して、酒をつぐ為に下に降りていくのだった。
―――――――――――
「お、カレン。ちょっとそこの酒を取ってくれよ」
「別に良いけど……そこの酒ってどっちのことよ」
「あー、その琥珀色の液体じゃなくて、そっちの赤色の液体が入ってる方だ。……そう、それそれ。そのまま投げて寄越してくれていいぜ」
「……何なら私が酌をしてあげようか?」
「ほう。そりゃあいい、お前みたいな美少女に酌をしてもらえるならそれに越したことはねェよ。それじゃあ、一杯付き合ってもらおう」
偶々カレンが居たテーブルの近くに飛び降りてきた俺は、カレンに酒を取ってくれるよう頼んだ。
酒を取ってもらったら、ノヴァとレイラに酌をしてもらおうかと考えていたのだが、その役をカレンが買って出た為、カレンの居るテーブルに行く俺。
早速とばかりにグラスを持った手をカレンに差し出すと、カレンは栓を抜いたワインのボトルの口をそっとグラスに当て、ゆっくりとボトルを傾けた。
小川のせせらぎにも似た音を立て、血のように赤い液体が並々と注がれる。
カレンがグラスからボトルを外したのを見計らって、腕を引いてグラスを胸元の高さに戻した俺は、その後のカレンの行動に僅かに瞠目する。
「カレンも飲むのか」
「え、ええ。今日くらい、貴方の趣向に付き合ってあげてもいいと思ったから」
ちょっと気恥ずかしそうに言うカレンに、俺は軽く笑った。
「そうか。なら、これを機に酒の味を知ると良い。安酒はどこまでいっても安酒だが、俺の屋敷に安酒は一本たりとも置いちゃいねェ。
どれも上等な酒だ。しかも、今宵は神界の酒まであるからな。味は保証するぜ」
「……そう。なら、ちょっとだけ……」
自分のグラスにワインを並々とつぐカレン。そんなカレンに、俺はふと思い付いて言ってみた。
「念の為、境界を弄くってそう簡単には酔わないようにしてやろうか?」
カレンは首を横に振る。
「結構よ。前に飲んだ時は、少しくらいなら別になんともなかったから」
「前に飲んだ時?」
意外な言葉を聞き、俺はカレンの言葉の要所を復唱していた。
そんな俺にカレンは苦笑を漏らして、視線を俺から外した。
「まあ、ね……ちょっと前にノヴァさんに付き合って、少しだけ飲んだの」
「ほう。ノヴァとか」
カレンの視線の先を見やると、やはりというべきかその先にはノヴァが居た。
ワインの入ったグラスを片手に、レイラやコアと話し込んでいる。聞こえてきた内容に、俺は苦笑いした。
主に、情事の時に於ける俺の意外な激しさについて話していたからだ。
カレンも俺並みとはいかずとも聴覚は人外のそれなので、一部内容が聞こえてしまったらしい。顔を真っ赤にして俺をチラチラ横目で伺っている。
……と、その時、俺やカレンが視界に入る位置に立って話していたノヴァが俺とカレンの視線に気付いた。
……嫣然と微笑まれてしまった。
ノヴァ達が話していた内容が内容なだけに、俺は早々に視線を逸らした。
そしてワインを一気飲みすると、空になったグラスをカレンの方に差し出した。
顔を真っ赤にしてぼ~っとしていたカレンはハッとすると、ボトルを手に取って中身を俺のグラスに注ぐ。
新たに注がれた赤い液体をグラスを傾けて口に含み、その味を舌の上で転がしてから、俺はしみじみと呟く。
「いやしかし……やはり、美少女に酌をされるといっそう美味く感じられるなァ」
「……ちょっと。からかうのはよしてよ」
怒ったような顔をするも、恥ずかしそうに俯くカレン。
「からかう? 何をバカな……。俺が言ってることは本心だぜ? それに、酒ってのは誰と飲むかも重要でなァ。お前と飲むのはこれが初めてだが、ノヴァと杯を交わした時と何ら遜色はないぞ」
俺は到って大真面目な表情で述べる。
実際、酒ってのは誰と飲むかが重要だと俺は思っている。酒の質もさることながら、気に入らないヤツと酒を飲んでも何も楽しくねェじゃねェか。
むしろ、折角の酒が不味くなる。本当に酒を楽しむつもりがあるなら、パートナーも自分に合ったヤツを選んだ方が良いに決まっている。
その分、カレンは申し分ないパートナーだ。
仕事面でもパートナーやってるだけあって、俺の主義思想思念は理解してくれているし、俺も遠慮なく酒を飲み交わし、言葉を交わすことができる。
互いに余計な気を遣わずに済むのだ。そして何より、カレンは美人だからな。男として、そんな女が酌を務めてくれれば嬉しいもんだ。
「もうっ……仕方ないヤツね、レオンは」
俺が本心からそう思っていることが伝わったのか、カレンは思いきったようにワインを飲み干し、新たについだ。
その飲みっぷりに俺は感心した。
「おお、なかなかイケる口みてェじゃねェか」
「そうでもないわ。調子に乗って今のを繰り返すと、すぐに酔っちゃうから」
今度は一口含む程度に留めたカレン。ふぅん、と俺が声を返した時、思い出したようにカレンが俺の方を向いた。
怪訝そうに俺が見返していると、カレンは思案げな表情で問い掛けてきた。
「そういえば……今日って貴方の誕生日なのよね?」
「? ああ、そうだが……それがどうかしたのか?」
別に疑問に思うトコなんて何もねェと思うんだが――そう言おうとしたところで、俺はカレンが何故そんなことを訊いてきたのか分かった。
「もしかしてアレか、孤児なのに誕生日がはっきりしてるなんて珍しい――そう言いたいのか、お前は」
「そうよ。誕生日がはっきりしてるなんて、孤児にしては珍しいんじゃないかしら?」
確認するように訊いてくるカレンに、俺は特に迷うこともなく頷く。
「そうだな。その通りだ。なら俺は何故誕生日がはっきりしてるかっつーと、誕生日が分からねェからだ」
「え?」
カレンは不思議そうな声をあげるが、俺は特に反応することなく言葉を続ける。
「簡単だ。俺のこの誕生日は、俺がゼフィアが院長を務める孤児院に拾われた日なんだよ。孤児院ではよくある話だぜ? 誕生日が分からねェ場合、拾われた日を誕生日にするってのはなァ」
「そうなんだ。だから、誕生日が分からないから誕生日がはっきりしてるってことなのね」
「そ。ま、その辺りの事情は気にすんなや。俺自身、気にしてないしなァ」
まあ、今さら親だとか名乗るヤツが出てきたら吸い殺してやるがなァ……ククク。
俺はグラスの中身を飲み干しつつ、カレンに笑いかけた。
「今宵は酒に付き合ってくれてありがとな。いつか必ずこの埋め合わせはする」
「いいのよ、別に。それにこれは貴方が主役のパーティーなのよ? なのに埋め合わせだなんて、されることもないのにできるわけないじゃないの」
「ハハハハハハッ。言われてみりゃそうだなァ、うん」
一頻り哄笑すると、俺はカレンに背を向けた。
「じゃ、俺はそろそろ別の場所を回ろうかな。――今宵は楽しんでいけ、カレン」
「勿論よ」
「良い返事だ」
それを皮切りに、俺はノヴァとレイラの方へ足を向けた。
「……ホント、女になってもレオンはレオンのままよねぇ。性別が反転してもあそこまで変わらない人って珍しいんじゃないかしら」
そんなカレンの呟きが耳に届いた気がしたが、俺は別段反応しようとは思わなかった。
―――――――――――
「おお、やっと私達のもとへ来たか主よ。遅かったではないか」
俺が歩み寄った時のノヴァの第一声はこれだった。
しかしその声音には言葉ほどの不満は感じられず、俺をからかっているのは明白だった。
それでも、どっかのド阿呆の所為で予定よりも回ってくるのが遅くなったのには違いない為、俺は素直に謝罪する。
「悪ィ悪ィ、俺としてももう少し早くお前達の所に来る予定だったんだが、あのバカの所為で少しばかり……いやかなり凄まじい邪魔が入ってな。
この俺ともあろう者が、存外待たせちまった」
後ろ髪を梳きつつ謝ると、ノヴァは「構わんよ」とばかりに首を傾げた。
そのやり取りを見ていたレイラが、ため息を吐いて言う。
「アンタもアンタで、色々苦労してるのねぇ……」
「分かってくれるか!」
「ええ、まあ。意外性は禁じ得ないけど、まさかアンタがそんな有様にされるなんて……」
女にされた俺の姿を見て、レイラは額に手を当てて首を振った。
「世界は広いみたいね。アンタをそんな風にできる人が居るなんて」
「まあな。……あいつは別格さ」
背中を向けて歩み去っていくファランの姿を思い出しながら、俺は嘆息する。
今思えば、ファランって実際どれほどの力を有してんだろうな。
さっきもそうだが、ファランって歩くだけで光速の速度域に容易く突入してるよな。それはつまり、それ以上の速度を出せるということだ。
最低でも光速の数倍……下手したら数十倍。或いはそれすら凌駕した速度をファランは出せるのかもしれない。
今の俺からすれば「有り得るのか?」と疑うような領域にファランは存在しているのだ。
「だとすると、ファランの限界は一体どれほどの高みに……?」
「む? 何か言ったか?」
無意識の内に洩らした言葉に、ノヴァが怪訝そうな表情で訊いてきた。
それに対して「何でもない」と答えつつ、俺は軽く息を吐き出して思考を切り換えた。
こういう時、ついつい深く思考の海にダイブしてしまうのは俺の悪い癖だ。とは言うもの、時にはそのお陰で答えに辿り着けることもあるのだから、却って質が悪い。
話題を切り替える為に、俺はノヴァに話を振った。
「――そういえば、ノヴァには誕生日はあるのか? 初めは創始の空間に居たと聞くが……」
「へぇ、それは私も気になるわね。どうなのノヴァ? その辺りのことは」
「ぬ、私の誕生日か……」
ノヴァはちょっと難しい表情をする。
「私の誕生日、つまりは降臨日に関しては……私自身、よく分かっておらんよ」
「えっ……でもノヴァ、貴女って確か、神話では世界を創造した女神って記されてるわよね。虚無に満ちた空間を始原の炎を以て焼き払い、破壊と創造の果てに宇宙開闢の奇跡を成したと」
「ああ。そうだな」
「その神話を調べていると、最終的な結論としては破創神ノヴァは初めは一種の思念体のような存在であり、ルーレシア世界の創造を以て初めて神格を有する〝生命〟として降臨を果たしたってあるのだけど、その場合このルーレシア世界が創世された時が誕生日……降臨日で良いんじゃないかしら」
「そうだな。そうであろうよ。レイラ、お主が知っておる神話に嘘偽りがないのなら、な」
ノヴァが冷静にそう述べると、レイラは目を見開いた。
低い声で言う。
「その言い様から察するに……どうやら、文献に記されてる神話は間違いみたいね」
「その通りだ。そもそも、ルーレシア世界を創造したのは私ではないのだからな」
――ああ、そうだな。
そのことを疾うに知っていた俺は驚かなかったが、レイラはそうはいかなかった。
目を見開いて驚き、おずおずと問うた。
「それじゃあ、貴女はルーレシア世界創世には関与していないってこと? なら貴女の神格って……」
「ん……、そうでもないのだよ、レイラ」
ノヴァは複雑そうな表情を浮かべる。
「私はこの世界を創世したわけではないが、その実世界創世に関与していないわけでもない。世界創世には関与していたようだな、私は」
「関与していたようだ……?」
ノヴァの言葉を復唱し、レイラは形の良い眉をひそめる。
ノヴァの妙な言い様からして、無理もないことだろう。
俺もノヴァの話は聞いていたが、やはり既に知っていた為に反応はせず、合いの手を入れることもない。
レイラが答えを求めるようにこちらを見ても、俺は肩を竦めるのみに留めた。
そんな俺の様子を見て俺から答えを得ることを諦めたレイラは、視線をノヴァに戻した。
「何か他人事みたいな言い方をしたけど、何でそんな言葉を選んだのかしら?」
「ふむ……さて、どう言えば良いものか」
ノヴァはこめかみの辺りを手で押さえながら言葉を絞り出す。
「まず初めに言えるのは、私が創始の空間にて明確に自己を確立、つまりは降臨した時には既に世界は存在していたということだ。
まずこの時点で私がルーレシア世界を創世したという神話には誤りがあるというのは分かるな?」
「ええ。続けて頂戴」
「では」
レイラが頷いて先を促すと、ノヴァは話を進めた。
「それでも私は世界創世に関与していたらしい。その中でも最も分かりやすく関与していた例を挙げるのならば、そうだな……世界を構成する素材の一つとして、私は世界創世に関与していたようだな」
「そ、素材……?」
あまりにも想定外な言葉だったのか、レイラは衝撃を受けて口を半開きにした。
そんなレイラに構わず、ノヴァは静かに語り続ける。
「より正確に言うならば、世界創世の折〝世界概念〟の内最も重要な要素となる〝創造〟と〝破壊〟の概念を構成するのに一役買ったらしいのだ。
それと同時に、〝世界概念〟の内〝創造〟と〝破壊〟を神格化した存在こそ私である。そんな存在の順序の矛盾を内包した神格が私なのだよ」
「存在の順序の矛盾……卵が先か鶏が先かってことね」
レイラがそう呟くと、ノヴァは苦笑した。
「まあ、認識としてはそれで間違いないであろうよ。この他にも、私の神格については色々な事情があったりするのだが、それらは説明のしようがないので諦めてくれ。
さぁ、他に何か質問はあるか、レイラ」
ノヴァの問いに、レイラはちょっと考えてから質問する。
「女にこんなこと訊くのは失礼だと思うけど……ノヴァ、貴女っていくつ?」
「少なくとも二万年に及ぶ歳月は生きておるな。自分で言うのも何だが、私は神族の中ではこう見えて結構年寄りなのだぞ」
まあ、唯一私だけが分類される〝破創神〟という種族は不老なので、実質若いだとか老いだとか、そういった概念はないのだが――と、ノヴァは続ける。
「二万!?」
レイラはまず、単純に驚いてノヴァを爪先から頭までさっと視線を走らせた。
ノヴァの姿は美しく、一切の衰えは見られない。そこから二万年の歳月は感じられない。
これが〝不老〟ということなのか――と、女として戦慄しつつも、レイラはふと気付く。
――そもそも、ノヴァには幼少期という時期が存在していたのだろうか?
そのことについて指摘すると、案の定ノヴァは首を振った。
「私には幼少の時期などありはせぬよ。生まれたその時には、既にこの大人の姿だったからな」
「本当に普通の神族とは全く違う形質の神格なのね、ノヴァは」
「まあな」
カレンは納得したように頷き、ノヴァはそれを肯定する。
……そのやり取りを傍らで傍観していた俺は、不満に思い眉間に皺を寄せる。
このままでは、とある重要なことに気付かぬままにこの話が終わってしまう。
宴という席で真剣に話し合うような案件ではないと分かってはいるが、ここまで話しておきながらその答えに辿り着かずに話を終えるのはあまりに口惜しい。
……世界創世と共に降臨したノヴァの年齢というところまで辿り着いておきながら、何故そこで納得してしまうのか。
レイラもまだまだだなァ。
俺の考えに気付いたノヴァも、俺の動向を伺っている。
――仕方ない。レイラの蒙を啓く機会だ、ここは俺が口を挟むとしよう。
「――解せんな。そうなると、ルーレシア世界は二万前に創世されたことになる。世界としてはあまりにも若すぎないか?」
「…………」
突如口を利いた俺にレイラは視線を向けたが、それ以上に俺の言葉の意味を理解して押し黙った。
そう、もし本当にノヴァが世界創世と同時に生まれた存在だとすると、ルーレシア世界は世界としてあまりにも歴史が新しすぎるのだ。
それ以前に、世界創世から二万如き経った程度の年月では、通常、世界が世界としてまだ機能していない時期だ。
ほら、分かりやすく例えるとすれば……地球系列世界なんかが分かりやすいんじゃねェの?
地球系列世界は、世界の基盤となるべき『地球』という星がまともに機能するまでに、世界創世から永き時を必要としているだろう?
それはどの世界だって同じことだ。勿論例外はあるが、その例外とやらはこの世界のとある事情を鑑みると有り得ない。
故に、ルーレシア世界も例に漏れず、世界創世から世界の基盤となるこの星が機能するまでに、永き時を必要としたはずだ。
それなのに、世界創世と同時に生まれたはずのノヴァが創始の空間から見下ろした時には、既に世界の基盤となるべきこの星が機能していた?
有り得ねェっての。
かといって、ノヴァが世界創世と同時に生まれたのは嘘なのかというと、そうでもない……。
ノヴァは自分の神格は多数の矛盾を内包していると言っていたが、それはこのルーレシア世界にしたって同じことなのだ。
ノヴァの場合は、ノヴァと概念、どちらが先に生まれたのかという矛盾。
ルーレシア世界の場合は、世界創世に於けるノヴァの存在と時の必要性という矛盾。
行き着く先は、結局『矛盾』という言葉の吹き溜まりでしかないのだ。
「私達が暮らしている世界って……謎があまりにも多すぎないかしら……」
「……その様子から察するに、どうやら主の言葉の意味をちゃんと理解できたようだな」
呆然と呟いたレイラに、ノヴァが労うように言葉を投げ掛ける。
自分が当たり前のように暮らしている世界の実態を知り、余程驚いたのだろう。無理もない。
低く笑うと、俺はレイラの撫で肩を叩いた。
「ま、そう深く考えるな。事実を事実として呑み込むんだ。どのみち今辿り着いている以上の答えなんざ出ねェンだからよ」
「……そうね。そうするわ」
釈然としない面持ちながらも、レイラはこのことについての思考を止めたようだ。
それを見計らって、ノヴァが酒瓶を目で示してレイラに問い掛けた。
「どうだレイラ。お主も一杯」
「頂くわ。こう見えて私も酒量には割りと自信がある方なの」
平然と受け答え、自分のグラスをノヴァの方へ滑らすレイラ。
レイラも俺と同じく未成年のはずだが、そんなことはお構い無しである。
まあ、貴族は華やかな場に出た時の為に酒には早い内に慣れているというのは最早暗黙の了解にも似た領域のことなので、誰も驚いていないが。
「ノヴァ、俺にも一杯貰えるか?」
テーブルの上に鎮座しているグラスの山から一つ取り出し、レイラを倣う形でノヴァの方にグラスを滑らせた。
すぐに並々と赤い液体が入って返ってきたグラスを片手に、俺はクルリと反転してテーブルに腰掛けるようにしてもたれた。
そこには、宴を愉しむ者達の姿がある。酒と料理を楽しみつつ会話する者も居れば、賭け事をする者も居る。
ゴーストやらレイスやらまでいつの間にか宴の席に混ざっていた。俺の長い黒髪が不意に揺らめいたのに反応して背後を見やれば、こういった宴に目がない妖精はともかく、ありとあらゆる属性の精霊達まで宴に引き寄せられて来ていた。
俺の黒髪を揺らめかせたのは俺よりも二つくらい年下の少年の姿をした風の精霊で、精霊の少年は笑みを浮かべて俺に話し掛けてきた。
『楽しそうですね』
「まあな。何ならお前達も混ざるか?」
試しに訊いてみると、精霊の少年は微笑んだ。
『この屋敷の主であり、宴の主役たる貴女さえよろしければ』
「許す。存分に愉しめ」
俺が許可すると、精霊の少年は目を閉じて俺の横を通過していった。
「ほう?」
「あら……」
実体化した妖精や精霊達が宴の輪の中に入っていくのを見たノヴァとレイラが、僅かに声を洩らす。
だが、それだけだった。ノヴァは勿論、この屋敷が建っている土地の特殊さについては既にレイラに教えてあるので、レイラも少し驚いた程度で、突然現れた人影に混乱した様子は見られない。
ただ、突然現れた――少なくとも、精霊が視えないレイラにはそう見えていただろう――精霊達を興味深そうに眺めるのみだ。
「この人達が精霊、か……文献に載ってた精霊本人の意思で自由に実体化できるって話、本当のことだったのね」
「ああ。当たり前だろ?」
「当たり前ってアンタね。こっちはついこの間まで常人の視点からの世界しか知らなかったのよ? 当たり前じゃなくても仕方ないじゃない」
「クハッ、言われてみりゃそうか」
精霊が実体化して人族の前に姿を現してたのなんて、もう千年以上前のことだからなァ。お伽噺の中だけの事実になってたって何らおかしくねェ。
それもこれも、俺達人間の愚かしさが招いた結果だがなァ……ククククク。
俺は愉快げに肩を揺らして笑い、酒を呷りながら言う。
「ま、これからはこんなんが当たり前になるさ。まだ慣れきれてねェなら、今のうちに慣れときな」
――さもねェと、俺の陣営じゃやっていけねェぜ? と、俺は続けた。
「……そうしとくわ」
レイラは素直に首肯する。その表情には何処か達観した色があり、こんなレアごとが日常になるだなんて言われりゃ仕方ねェか、と俺は苦笑いする。
そんな時だった。
「――っ!」
後方にとある気配を知覚した俺は、即座に体を反転させて自らの背後に裏拳を放った。
「ぶっ!?」
それは俺の背後に忍び寄っていた人物の頬に炸裂し、裏拳を受けた人物は何とか踏み留まって吹っ飛ぶことだけは回避したが、その分豪快に顔を背けていた。
俺はその男の肩をガッチリと掴み、真紅の瞳をギラつかせて語りかける。
「よォう、レイ。何をしに出てきたのかは知らんが、取り敢えず殺らせろ」
「あァン、犯らせろ? 俺ァどっちかっつーと攻めの方なんだが……」
「死ね」
ふざけた解答をした男――レイに、俺はオリハルコン製のナイフを手元に創造してそれを心臓目掛けて突き出してやった。
「おおっとォ、危ねェ危ねェ」
しかしレイにこの程度の奇襲が通るはずもなく、危なげ無く腹部に突き出された凶刃を躱す。
そればかりか、何処のテーブルから持ってきたのか食事用のナイフに魔力を纏わせて切れ味と強度を圧倒的に引き上げたもので反撃さえしてきた。
それを軽くいなし、レイから僅かに距離をとる。
「ちっ……避けたか」
「カハハ、そいつァ俺のセリフでもあるなァ。綺麗にいなしやがって、女になっても錆び付いた所一つもねェじゃんかよ」
「当たり前だろォが。こちとら女になった程度で失われる程甘い鍛え方はしてねェンだよ」
俺は手元にある酒を全て飲み干すと、腕で口元を拭いつつあることを提案した。
「ああ、そういえば……お前からの誕生日プレゼントなんだが、今すぐに一つ貰えるモノがあるよなァおい」
「ほォう……いいぜ。くれてやるよ」
俺の意図を察したレイは、俺ごと地下闘技場に転移した。
そして、双剣を喚び出しながら叫ぶ。
「――楽しい愉しい、闘争をなァッ!」
――こうして、宴の夜は過ぎていく。俺への贈り物として、盛大な剣戟の音を奏でながら。




