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風の覇者I ―王威覚醒―  作者: 神竜王
39/56

紅き煌炎、示される覚悟

翌朝。


右腕に女体特有の柔らかさを感じながら、俺は目を覚ました。


首を傾けて右隣を見てみれば、一糸纏わぬレイラの姿がある。俺は額に手を当てて呻いた。


またやってしまった、という言葉が脳裏に浮上する。


目蓋を閉じれば、再生される情事の記憶。理性が本能に後事を託して逝ってしまった所為で、あまりの激しさに途中でレイラが失神してしまったのにも気付かなかったほどだ。


考えてみてほしい。戦いの面でも無尽蔵かと思えるほどの体力を有するノヴァは、性的な意味での体力があってもおかしくない。


実際に、初夜の時は夜に始めてから朝まで一睡もせずに交わっていたが、それでもまだ余裕があったほどだ。基本的に女は体力が尽きるまでは終わりと言うものがないので、ノヴァがそれだけの体力を有していたことが良く分かる。


そんなノヴァと同等、或いはそれ以上の体力を持つ俺が、あくまでも一般的な女性であるレイラに欲望の丈をぶつけたら、一体どうなるのか。


答えは言わずとも知れている。


「あー……レイラ、起きろ」


過ぎたことを思い悩むよりも、まずは現状をどうにかしようとレイラの頬を軽く叩く俺。


少ししてレイラはゆっくりと開眼し、まず俺を見て、自分の体を見て、そして再び俺の顔を見ると、覇気の無い声で言った。


「取り敢えず、お風呂に連れていってくれないかしら……?」


「……ああ」



―――――――――――


……起床してから二時間ほどして、俺とレイラはコールフラディス城を出た。


向かう先は〝風の覇者〟の屋敷。俺とレイラは人気のないところで転移すると、一瞬の暗闇を経て【覇者】の屋敷の門前に場面は移り変わっていた。


転移する前に、念の為にと路地裏でフード付きの外套をレイラに渡してある為、それを纏ったレイラはその素性を知られる心配はない。


いざ門を開けようとした時、門の近くの敷地内に生えている木から葉を散らして、銀髪の男が現れた。


突然のことだったので、前触れもなく現れた男に驚くレイラを余所に、気配に気付いていた俺は落ち着きを失わずに男に話しかけた。


「レイ。警備ご苦労だ」


「カハッ、そう思うんなら給料上げろ。趣味が捗らねェんだよ、今の給料だとなァ」


「なんだと、一月に八十万セル払っておるのだぞこちらは。他の者共は基本四十万セルで、重要な役割を担うユリウスとサイスですら、五十万セル以上は受け取らぬぞ。

すこしはあやつらを見習えと言うに! まったく、それだけ与えられておいて捗らぬ趣味とは何なのだ……」


「武器収集」


「汝には【葬送の双牙】〝スコル〟〝ハティ〟があるであろうに」


「それとこれとは話は別なんだよ……!」


「確かにそうだな」


「そこで納得しちまうのかよてめえは!」


屋敷の門前で、門を間に挟んで不毛な言い争いをしていると、痺れを切らしたようにレイラが口を開いた。


「……言い争うのは勝手だけど、時と場合を考えてほしいものね」


呆れたような、それでいて苛立ちも含んだ無表情で述べるレイラ。俺は「悪ィ。つい応対しちまった」と謝ると、屋敷の門をバックにレイラに一礼してみせた。


「ようこそ。〝風の覇者〟の屋敷へ」


開かれた門を通り、俺の後をレイラが庭を見回しながらついてくる。中でも、彩りな花が咲き乱れる花壇に目を止めたレイラは、感心したように言う。


「季節違いの花まで咲いてるなんて、よほど腕の良い庭師を雇ってるみたいね。お父様の城でも、季節の違う花をここまで上手く咲かせる庭師は居ないわよ」


「庭師か。まぁ、間違っちゃあいないが……」


敷地内に入ったことにより、口調を作るのをやめて普段の口調に戻る俺。


そいつらが自分から勝手にやってるだけで、雇ってるわけじゃねェんだけどな。精霊と妖精だし。


現に、こうしている今も花壇の上を様々な属性の精霊やら妖精やらが飛び交ってる。


要領を得ない曖昧な反応に、レイラが訝しげにこちらの様子を窺っているのに気付いた俺は、何でもないと弛く首を振った。


「じゃ、俺ァ持ち場に戻らせてもらうぜ。……っと、その前に」


こちらに背を向けて立ち去ろうとしていたレイが、思い直したように足を止めた。


視線をフード付きの黒い外套を身に纏ったレイラに固定させ、やがて納得したように顎を撫でた。


「もしかして、エアリアルのコレか?」


女性らしい声や肢体の曲線から、顔を見ずとも女だと分かったようだ。かうように笑い小指を立てるレイに、俺は何ら動揺する事なく頷いた。


「そうだが、それがどうかしたのか?」


「カハハハハッ。てめえの女じゃなきゃ口説こうかと思ってただけさ」


それを聞いたレイラの目が、フードの下ですっと細まる。


「あら、嬉しいことを言ってくれるのね。だけど残念、私はレオンが良いのよ。余所を当たってくれないかしら」


「は。こりゃあまた……エアリアルが気に入るわけだぜ」


レイラの堂々たる態度に、レイは目を丸くしてしきりに頷いた。その瞳は、興味深そうにレイラを眺めている。


それを見て些か不愉快になった俺は、さりげなくレイラの腰に手を廻して抱き寄せながら、やや強引に話を戻した。


「とにかく、後は頼んだぞ。『外に居る奴等は好きにして良い』からさァ」


「マジで? ヒャハハハハッ、なら有り難く殺らせてもらうとするぜ。ここ一週間程殆ど殺してなかったんだ、派手にぶちまけてやるぜッ」


言い終わるや否や、レイは嬉々として屋敷の外に飛び出していった。それを見送る俺とレイラ。


「ねぇ、今のやり取りの意味ってまさか……」


「大体お前の想像通りだと思うぜ?」


シニカルに笑ってみせると、レイラは「やっぱり」と言いたげな表情をした後、悔やむように唇を噛み締めた。


「不覚だったわ。まさかこの私が気付けなかったなんて!」


「そう悔しがるなって。複数に効果を分散していたとはいえ、姿隠しは姿隠しだ。気配を殺されたら、普通はまず気付けないモンだからさ」


そう、屋敷の外に俺の素性を詮索する隠密部隊が居たのだ。近頃は帝国は静観の意を見せているので、今頃レイに襲われているであろう隠密部隊は、帝国とはまた別の国の部隊だろう。


多分、と言うかほぼ確実に、グラーヴィア王国の手の者共だ。そのことをレイラに話すと、


「懲りない人達ね……」


「まったくだ」


レイラに心底同意し、ため息を吐く。レイにジェノサイドされている隠密部隊の悲鳴を余所に、レイラが首を傾げた。


「そういえば……この屋敷の敷地内に入った時からアンタって素で振る舞ってるけど、隠密部隊に監視されてたのに良かったの?」


「それについては心配ご無用。この敷地内全体を覆うように【神臨地】っつー固有結界が永久化してあってだな、それを顕現させる術式の中に【リジェクター・サークル】などの対物理・魔法両用の結界を始め、ある種の幻術にも近い性質を持ち合わせる【不可視結界】や、術式を構成・発動する時に、その術式に条件を刻む工程と、その効果……分かりやすく言うと『どんな事象を術式に組み込んで、発動時に如何にその事象を起こすか』を補助する禁術、【エゴイスト・ゾーン】とかが入ってるんだ。

そのお陰で、俺が許可した者以外はこの敷地内には入れねェし、外から敷地内の様子を探ってても、俺が許可した者を除けば、何も聞こえなければ何も見えないようになってんだ。

つまり、こうして屋敷の玄関前に俺とお前が立っていても、敷地の外からは屋敷の玄関前には誰も居ねェように見えてるってワケだ。

ちなみにこの固有結界は元々とある人物の為に張ったものでな、屋敷の防衛とは別に、固有結界を展開した領域内に於いての『神霊の具現化』を助長する性質、謂わば神殿化の――」


「分かった。分かったから、ちょっと落ち着きなさい」


言葉の途中で、レイラが俺の唇に人差し指を当てて話を止めさせた。


熱く語っていたところを遮られてムッとする俺だったが、不機嫌そうなレイラの視線とぶつかり、渋々語ることをやめる。


「……まぁ、そのことなら問題ないってことだ。じゃ、入ってくれ」


「お邪魔するわ」


扉を開けると、レイラが中に入っていく。俺も屋敷の中に入ると、扉をゆっくりと閉めた。


上品な赤いカーペットが敷かれた黒い大理石の床に、同色の頑丈な大理石で構成されている壁。


天井には燦然と光を放つ、シャンデリア。レイラの部屋の物ほどではないが、それでも十分な見栄えだ。


「へぇ……、良い屋敷じゃない。広さもかなりあると見た。費用はどのくらい掛かったの?」


なかなかに贅の凝らした造りの内装を見回して、レイラが明るい声音で訊いてくる。それに対して、俺は小さい声で答えた。


「六億九千七百七十万……」


「はぁ?」


想定外な値だったのか、素っ頓狂な声をあげるレイラ。険しい目でもう一度屋敷の内装を見回した後、眉をひそめた。


「でも、そんな高額になるような設備は見当たらないわよ。食堂や書庫を入れたって、一億か二億、いって三億くらいが良いとこね。アンタ、騙されてるんじゃないの?」


「そうでもねェよ。この屋敷の地下には武器庫と闘技場があってな、例によって空間魔法が掛けられてるから広さが半端じゃなくてな。

それに加えて、強度も凄まじく高い。下手な城壁よりも圧倒的に。そういう点から、費用が跳ね上がったんだよ」


と言うか多分、万単位で攻め込まれても、俺以前にまずこの屋敷が落とせないってくらいだからなァ。


レイラは床に視線を落として「流石【覇者】の屋敷ってトコかしら」と呟いていた。


それはともかく、と俺はレイラを促して階段を上がっていく。目指す先はノヴァの部屋。この時間なら部屋に居るはずだ。


予想通り、ノヴァの気配は私室にあり、三階まで来たところで俺はレイラに耳打ちした。


「今から逢ってもらうのが俺の言っていた恋人だ。仲良くしてくれよ?」


「分かってるわ。少なくとも、敵に回したりだけはしないから安心なさい」


「ならいい。……さて、行くとするか……」


レイラが頷くのを確認してから、俺はノヴァの部屋に向かって歩いていく。正直、ここまで緊張するモンだと思わんかった。


もし『私の気持ちを裏切ったな、主よ!』とか『私は認めぬぞ!』とか言われたらどうしようかと、一世一代の交渉時にリコールに怯える経営者のようなことを考えているうちに、ノヴァの部屋についてしまった。


……ああっ、もう! 悩んでても意味なんてねェか! 第一、何事に対してもいつまでも立ち止まってんのは性に合わねェ。


覚悟を決めた俺は、拳を固めてノヴァの部屋をノックした。


「ノヴァ、俺だ。ちょっと話がある」


『ふむ、話とな? 鍵は開いておるから、入ってくれて構わんぞ』


「把握した」


返事を聞いてドアを開けると、こちらに背を向けてベッドに寝そべるノヴァの姿があった。片手で虚空に魔法陣を描いては消しているのを見る限り、新しい魔法の創造をしていたようだ。


「――さて、話とは……」


ノヴァは魔法の創造を一旦中断すると、上体を起こしてこちらに向いたところで、ピタリと動きを止めた。


目を丸くしてまじまじと俺の横に立つレイラを見つめ、その後俺に視線を向けた。


「……そこの者は誰だ?」


「俺の新しい嫁さん」


「ほう……」


ノヴァのレイラを見る碧眼がすうっと細まる。先程までののんびりとした雰囲気は消え去り、室内を剣呑な空気が流れる。


なんか雲行きが怪しくなってきたな、ホントに大丈夫なんだろうか――そう思いハラハラしていると、不意にノヴァが口を開いた。


「すまないが、主は一旦席を外してもらえないだろうか」


「あん? 別に席を外さなきゃならないことなんて今さらないんじゃ――」


「すまないが、主は一旦席を外してもらえないだろうか」


「いや、だからだな――」


「すまないが、主は一旦席を外してもらえないだろうか」


「…………」


なんだろう……怒ってはいないように見えるが、俺が口答えする度に剣呑さが増していっているような気が。


喉元まで出かかっていた疑問を呑み込み、すごすごと退散する俺。まぁ大丈夫だろう。ノヴァには事前に他の女にも手を出すかもしれないという旨は伝えてあるし、ノヴァもそれを承諾してくれた。


だから大丈夫だ。ちょっと話し合う程度で、荒事にはならねェだろ……多分。


……いや、ホントに大丈夫なのか? 今になって心配になってくる俺だったが、その時には既に部屋から出てしまっており、背後でドアの閉まる音がした。


……ま、ノヴァを信じるとするかねェ。未来の嫁さんを信じられないようでは、男としての素質が疑われる。


俺は壁に背中を預けると、腕を組んで瞑目した。



―――――――――――


自分の意を受けて部屋からレオンが出ていくのを待って、ノヴァはレイラに話しかけた。


「さて、自己紹介の前にまずはそのフードを下ろしてもらいたいものだな。主が、私の永遠の伴侶が受け入れた女のことは、今後の為に良く知っておきたいのだ」


「良いわよ。もとより私もそのつもりだったから」


ノヴァの言葉に応じてレイラがフードを下ろした。その素顔を見た途端、ノヴァの顔に急激に理解が広がった。


「なるほど、あの主が結ばれることを良しとした理由が分かったぞ。お主の名はレイラで間違ってないはず。そうだろう?」


「ええ。で、貴女はレオンの妻のノヴァさんよね? はじめまして。この度レオンの二人目の妻として罷り越したレイラ=グレイシャルよ。

私についてはレオンから聞いていると思うけど、どうかしら」


臆することなく返答したレイラ。それを快く思い、密かにレイラの評価を高めつつノヴァは頷いた。


ベッドの上で胡座をかいて、豊満な胸の下で腕を組んで会話に興じる。


「聞いているとも。なんでも、主の初めてのまともな友人の一人だとか。それは嬉しそうに語っておったぞ」


嫣然と微笑みを湛え、ノヴァは言う。からかうようにこう続けた。


「――尤も、今では友人どころか生涯の伴侶となっているようだがな?」


「まぁね。この関係に至るまでに、様々な艱難辛苦があったわ」


ため息混じりに述べるレイラ。その言葉に同意するようにノヴァが苦笑した。


「だろうな。主の鈍さも腹立たしかっただろうが、それとはまた別の主関連の問題にそなたが一肌脱いだと聞き及んでおるぞ」


「実は『風の覇者』の覚醒に偶然立ち合ってしまったのよ。お陰で、後にロイ先生や学園長に力添えを頼まれた挙げ句、記憶を改竄されたりしたわね」


とんでもないことを平然と言ってのける辺り、流石にレオンが気に入った女だと納得するノヴァである。


まあ、だからこそレオンに惹かれて、レオンが受け入れたのだろうが。


ノヴァにとって、レイラはレオンから寵愛を受けた者同士、言うなれば同類のような存在だ。それゆえに、常人とはどこかかけ離れた一面があることを予測するのは容易かった。


レオンが只人の考え方とはかなり違った主観を持つように、レオンの周りに集まる女も常人からは程遠い主観をしているのだ。


勿論、自分とレイラも漏れなくこれに当てはまっている。そして恐らく、レーゼとリリス、カレンもそれは同じだろう。そのことを再確認したノヴァは、おかしそうに笑った。


「何かおかしなことでも言ったかしら、私」


「いや。過ぎたこととはいえ、下手をすれば今後の人生を大きく左右されるようなことを平然と言うのだな、そう思ってな」


「そう。でも、それは貴女も同じことなんでしょう? 何せ、私と同じくあのレオンと結ばれた女なんだし」


クスッと微笑みを浮かべ、ノヴァが考えていたことと全く変わらない発言をするレイラ。


ノヴァは答えず、ただ笑みを深めるのみだ。


暫くの間、学園でのレオンと【覇者】としてのレオンについて話し合っていると、唐突に会話が止んだ。


何事かとレイラが不思議そうにノヴァの様子を窺うと、自分をじっと見つめるノヴァの視線とぶつかった。


「……何かしら?」


「ふむ……必要最低限の力は有している、か……」


訝しげにレイラが問うと、ノヴァが独白を洩らした。脈絡のない言葉に、レイラはちょっと不機嫌になる。


「力? 突然黙ったかと思えば、何のことよ」


「主には敵が多いのは知っておろう? その飛び火で、この屋敷の者が襲われることがしばしばあるのだ。尤も、大体は盗賊や指名手配犯関係の逆恨みなのだが。

それを踏まえて、お主に最低限自分の身を守れるだけの戦闘能力が備わっているかどうか、確認していたのだよ。

お主はまだ素性が知られておらぬから、ターゲットになることはまずないのだが、主に深く関わってしまった以上は他人事ではおられぬだろう?」


「言われてみればそうね……」


レイラは腰に片手を当てて思案げな表情をする。彼女も『〝風の覇者〟に対する逆恨みにより、それに連なる者が襲われた』という話は聞いたことがあった。


しかし、それらの全てを〝風の覇者〟陣営は個人の能力で返り討ちにしており、中でも特に度が過ぎる者に対しては、〝風の覇者〟本人が報復に乗り出して手ずから一族郎党皆殺しにしており、最近ではめっきり聞かなくなったが、水面下ではまだそんなことが起きていたのか。


よくもまぁ、血と力と暴力の権化であり、畏怖を象徴するレオンの残虐性を知っていて、逆恨みに彼に連なる者を襲えるものだと思う。


いや、だからレオン本人には報復しようとはしないのか。


レオン本人に報復しなければ意味なんてないんでしょうに、などと心底思うレイラである。


「それと、来るべき大戦争を生き残る為でもある。どうせ、参戦するつもりなのだろ、お主も」


「……レオンは怒るかもしれないけどね」


レイラは肩を竦める。


ノヴァは「聞かずとも知れたことか」と苦笑すると、話を続けた。


「お主が参戦することは主も分かっているだろうさ。そして、それが逃れられぬ運命であることも。ゆえに、お主には今後私のもとで鍛練してもらうことになる」


「貴女のもとで? レオンのもとでではなく?」


レイラが聞き返すと、ノヴァは大きく頷いた。


レイラとしては、常に戦場の最前線に立っていると噂されるレオンに指導してもらいたかったのだが、次のノヴァの言葉にそれがどれほど無理難題なのかを知ることになる。


「相手が妻であるお主ともなれば、主は本気でお主の鍛練に向き合うだろうよ。だが、本当の意味での「本気」、主が『風の覇者』とこなしているような鍛練はできぬ。

現時点ではお主の身体がついてこれないのが目に見えているからな。主は普通レベルの鍛練の指導ができぬわけではないが、本分の鍛練法ではない為にどうしても私には劣ってしまう。

だから、まずは私の指導のもとで鍛練してもらおうとしているのだ。主の鍛練についていける程度になったと判断したら、その時こそ主に鍛練を申し出れば良いからな」


冷静に述べるノヴァ。


ノヴァの言葉に一理あると考えたレイラは、納得せざるを得なかった。


まだレオンの『本気の鍛練』とやらを見たことはないが、常軌を逸した鍛え方をしていることは容易に想像できたからだ。


レイラは目を閉じて少し考えた後、すっと開眼して答えた。


「分かったわ。以後よろしくね、ノヴァ。間違いなく永い付き合いになるだろうから」


「フフフッ。こちらこそ以後良しなに、レイラ」


――こうして。


二人の女は、互いに己の恋人との関係を認め合ったのだった。


その頃、レオンこと俺はと言うと――。


ドゴォォオオオオンッ!


バキバキバキバキッ……


「うぉおおおおッ! あっぶねェ、なんだァ今のはァッ!?」


「俺がかつて使用していた無数の宝具の一つを再現しただけだが? まさかテメェ、もう音をあげるつもりじゃねェだろォなァ。この程度、まだまだ序の口だぜ?」


「今ので序の口!? 一瞬空間に亀裂が走っていたように見えたんだが!?」


「当たり前だろォが。対界宝具の再現だぜ? こんな紛い物なんかじゃねェ本物だったら、最大出力で複数の世界を一撃で消滅せしめる宝具だ。

それを今は対域宝具くらいまで威力を落としてンだぜ? しかも放出される力に指向性を持たせて、だ。これでも出力は最弱なんだがなァ」


「対界宝具ゥ!? 出力を抑えていたとしても、ンな物騒なモン、ここ(地下闘技場)で使うなよッ!!」


屋敷の地下にて、ファランと鍛練していた。相変わらず人智を越えた超絶の鍛練だが、戦闘中に昂りを覚えたファランがまさかの対界宝具を再現、発動。


勿論、本当に世界に対する干渉攻撃にならぬよう、出力を最小限に抑えての発動だったが、それでも空間に亀裂が走るのは抑えられなかった。


すぐに亀裂は消滅したものの、それを間近で見ていた俺の背筋に冷たいものが流れる。


いくら俺のスペックが規格外の域に到達していても、対界宝具による『対界』の属性を付加した一撃なんてモロに喰らえば、一瞬にしてオダブツだ。


しかし、ここは戦場だ。使うなら場所を考えろと、先程は流石に文句を付けたが、戦場ではそんなことは言っていられない。


瞬時に対処法を幾つか思い浮かべたが、それを敵が待ってくれるはずもない。


「さァて、お次は『勝利齎す闘戦の(ティエズマ・フリューゲル)』だ」


ボソリとその名が呟かれた瞬間、ファランの左手に血色に光り輝く透き通った剣が握られていた。透明感のある血色の刀身には、赤黒い濃い血色の紋様が浮かび上がっており、それを視界に収めた瞬間本能が危険を叫ぶ。


俺は幾つかある選択肢の内、どれを取るべきか悩んでいたが、ファランが宝具を解き放つべく血色の剣を振りかざしたのを見て、決断した。


良いだろう。そっちが『勝利の剣』で来るならこっちもそれ相応の宝具で応えさせてもらうぞ! 場所のことを考えれば、正直あまり使いたくなかったのだが、致し方ない。


俺の左手に黄金の光の粒子が収束し、一振りの黄金の剣が顕現する。


「『勝利齎す(ティエズマ)――』」


「『戦場制す(エクス)――』」


さぁ、今ここに示せ! 遥か遠き異世界にて未来の王とも呼ばれる騎士王が揮いし、闘戦勝利の剣光を!


「『闘戦の(フリューゲル)』!」


「『光明の(カリバー)』!」


叱声の直後、亜光速で振り抜かれた双方の剣から、片や赤黒い血色の光の束が、片や神々しい黄金の光の奔流が迸った。


二色の衝撃波は互いにぶつかり合い、せめぎ合う。それによりとてつもない魔力の余波が地下闘技場を襲い、守護を司る"覇者"後継者が渾身の権能で強化したはずのフィールドを崩壊させていく。


だが、今の俺にはそれに構う余裕がなかった。どのみち、ファランが本気を出したりしない限りはこの地下闘技場自体が崩れることはないので、ある種楽観していたのもあるが。


必死にファランの対域宝具『勝利齎す闘戦の(ティエズマ・フリューゲル)』に対抗する俺だったが、戦況は芳しくない。


というか、少しずつだが俺の『戦場制す光明の(エクスカリバー)』が放つ黄金の剣光が押され始めている。


唇を噛み締めて剣光越しにファランを睨むと、向こうもそれに気付いた。


ニヤリと不敵な笑みを浮かべると、何を思ったのか右手に持っていた黒刀をグサリとフィールドに突き立てて、空いた右手を真横に突き出した。


何をするつもりだ――? 眉根を寄せてそれを凝視していると、ファランの右手が輝き、翡翠色の槍が顕れた。


三メートルはあろう長大なその槍は、柄の部分が美しい翡翠色をしていて、穂先は薄い緑と金の装飾が成されている。


それだけなら美麗な槍と言うだけですんだが、ファランがただ美しいだけの槍を顕現させるわけがない。翡翠の槍から放たれる強大な魔力と、この流れからして、その槍が何なのかは明白であった。


瞬間、血が凍った。


確かに本気で鍛えてくれとは言ったが、まさかそこまでやるのか。既に一つ宝具を再現していて迎撃できない俺に。


もしそれをまともに受けたら、桁外れの生命力を持つ俺でも死ぬというのに。


俺は、ディスヘルスラストを別とすれば、一度に複数の宝具、神具を再現するのはまだ無理だ。二つまでなら確かにどうにかなるが、その場合再現対象となる物の格が下がるうえ、再現した宝具の属性が反発したりした日には、肉体に甚大なダメージを被ることになる。


――いや。そうこなくちゃ、ファランじゃねェよなァ。分かったぜ、精々この闘争を愉しませてもらうとしよう。


しかし、俺は笑ってみせた。確かに、恐怖はあると思う。だが、その恐怖を遥かに上回る甘美な衝動を、俺はファランとのぶつかり合いに感じているのだ。


俺の笑みの意図を察したファランが、ならば遠慮なくとばかりに左手で『勝利齎す闘戦の(ティエズマ・フリューゲル)』を保持したまま槍を持つ腕を引き絞り、「投げ」の体勢をとった。


同時に、俺もファランに倣うようにして右手に持っていた黒刀をフィールドに突き立てると、意識を集中した。


――来たれ。封印されし災禍なる焔の杖よ。


森羅万象を焼き尽くす、勝利の魔剣よ。


大いなる英知のもとに、忌まわしきその束縛を断ちここに顕現せよ!


俺が胸中で災禍なる理を唱えるのと、ファランが槍を投擲するのはほぼ同時だった。


「抹消しろォッ! 『夢想破砕す現世の(クレステッド・シュルーカン)』!」


「させるかってんだァ、『戦禍起こせし裏切りの焔杖剣(レーヴァテイン)』!」


新たな宝具、神具が解放された瞬間。


クレアさんの手によって造られた、ある種の異界にすら化している揺らぐはずのない世界(地下闘技場)が、竜脈の強化の限界すら越えた衝撃に空間を震わせた。



―――――――――――


「前もって聞いてはいたけど……、あの人の鍛練ってこれでも「普通」なわけ!?」


「ああ。この屋敷の住人からしてみれば、もはや日常的な風景と化しているな」


話を終えて、俺を捜して地下闘技場に降りてきたノヴァとレイラの第一声はこのような感じだった。


当然か。恋人が鍛練しているようなので、終わるのを待って様子を見に来てみれば、その当の本人が血溜まりに伏しているんだから。


はい、そうですよ。またファランにボッコボコにやられましたが何か!?


ええ、そりゃあもう清々しいまでのワンサイドゲームでしたとも!


……ちくしょう!


ちなみに、事前に俺の鍛練の異常性について聞いていたとはいえ、レイラがあの程度の反応で済んでいるのは、二人が来たことを察知した俺が、初見のレイラが騒ぐ前に「平気だ」という意味合いでプラプラと手を振ってみせたからである。


それにしても、痛い。とにかく痛い。ファランの手によって負った傷は、毎度のことながら異様に再生が遅い。多分、回復を妨げる系統の属性が付加されていたものと思われる。


一応、〝防御〟の〝絶対概念〟を発動させてたんだけどなァ……。ファランとの戦いだと、〝絶対概念〟が打ち負けることが多くて敵わん。


〝絶対概念〟とは、相手がそれに対抗する術を持っていた場合には、どちらが掌握度が高いか、またどちらの意志力が高いかでその勝敗が決まる。


意志力では負けてなかったと思うんだが、掌握度は圧倒的にファランが勝っているらしい。


未だに勝てる気配がない。


ま、闘争は愉しめたから良しとするか。


と、身体の再生が漸く損傷具合に追いついてきた。ゆっくりと両腕に力を籠めて体を持ち上げると、四つん這いの体勢で身を震わせる。


クソッ、服飾がボロボロだぜ。まあ、ランスさんお手製のこのコートは自動修復の魔法が永久化されてるから、放っておいても勝手に直るからいいんだが。


考えている間に、いつものように黒い光の粒子が収束し、服飾の腹部から胸部にかけて派手に破れていた裂け目が修復されていく。


それが済むのを待って、俺はゆっくりと立ち上がった。


すると、闘技場の壁に腕を組んでもたれていたファランがニヤリと笑って話しかけてきた。


「ふん……相変わらず、しぶとさだけは一級だな」


「うっせェ。いつか越えてやるから今に見てろ」


唇を尖らせて言い返すと、ファランは低く笑って壁から背を離した。


「ほォ? そいつァ楽しみだな、精々精進しろ。ま、絶対に無理だろォがな」


言い捨てると、ファランは背を向けて闘技場の真ん中の辺りにある階段を昇っていった。まだ昼飯には早いので、部屋で寝るか書庫に篭るかするんだろう。


俺がそれを見送っていると、コトの推移を見守っていたノヴァとレイラが歩み寄ってきた。


「アンタ、かなりの深傷を負っていたみたいだけど……。大丈夫なの?」


気遣わしげに体に視線を走らせるレイラに、俺は不敵に笑い返した。


「当然さ。この俺が、あの程度でくたばるかよ」


ちょっと危なかったのは認めるがなァ、と苦笑しつつも、無事をアピールするように両腕を軽く広げてみせる。


俺の滑らかな動作から、本当に問題ないのを見てとると、レイラは安堵したようにため息を吐いた。


「それは良かったわ。アンタに何かあったら、困るのは私だということを忘れないでよね」


「おや、「私達」の間違いではないのか、それは」


すかさずノヴァが突っ込むと、


「そうだったわね。失言だったわ」


レイラはおかしそうに笑い、次いで俺に目を向けた。その青い瞳は、何かを期待するような光がチラついている。


「ねぇレオン。アンタの伴侶になったからには、勿論私も部屋を使わせてもらえるのよね?」


「ん? ああ、構わねェぜ。三階なら結構空いてると思うから、好きに使ってくれ。空き部屋なら鍵は空いてるし、鍵も部屋の中に置いてあるから安心しろ。

あと、何か必要な物でもあったら遠慮なく言ってくれ。俺が創るからよ」


「そうさせてもらうわ。その前に、この屋敷の人達に同じ屋根の下に住む住人として、顔見せくらいはしておきたいのだけど、アンタのお仲間さん達が集まるのはいつ頃かしら?」


「大体七時から八時くらいかな。使用人として屋敷に残っている組と、情報収集に出払っている組が戻ってくるのがそんな時間帯だ。

そうだなァ、差し当たり今はユリウスに会わせておくとしよう。あいつには屋敷の管理を任せてるから、買い出しとかに出ていない限り基本この屋敷にいるんだ……って」


言いつつ、ユリウスの気配を探る俺だったが、敷地内にユリウスの力の波動は知覚できなかった。


仕方なくレイに念話を繋いでみると、


《あん? ユリウスゥ? あいつならさっきミスティっつー女に引っ張られて買い出しに出掛けたトコだぜ? あの調子だと、当分戻ってこねェンじゃねェの?

カハハハハハハハハッ!!》


だそうだ。ううむ、ユリウスの方は気があるのは知っていたが、もしかするとミスティも……。こりゃ、くっつく日も近いのかもしれねェな!


めでたいことだ。俺としては、ユリウスを応援してやりたいところだ。そりゃあ身内の恋だしな。


いくら俺が全悪の覇道を往く者だとしても、身内の恋は貶したりしない。是非とも幸せになってほしいものだ。


……サイスも、いつかはそんな人を見つけられるといいんだが。


いつも俺の側に控えている、寡黙な臣のことを思い出した俺は、心の底からそう思った。端正な顔立ちをしているのに、その雰囲気ゆえか浮わついた話の一つもないのがサイスという男だ。


まさか独り身を極めるつもりか?などと思考が逸れだしたところで、慌てて首を振る。


「どうもユリウスは居ねェみたいだ。っつーワケで、今は部屋関連について終わらせといてくれ。話はそれからだ」


「そ。じゃあまた後で」


「では、部屋の機能の説明は私がしよう」


レイラが階段を上がっていくと、ノヴァも俺にウインクしてからレイラについていった。


一人残った俺は、久しぶりに武器庫の中を覗きに行こうかとしたところで、踏み出した足を止めた。


念話の魔力が届いたからだ。この魔力は……カイルか。


用件については心当たりがある。というか、用件を作ったのは俺だからな。


《カイルか。どうしたァ? 俺と一緒に戦場にでも赴く気になったかァ、うん?》


《……ああ。今何処に居る? 今から会いに行きたいんだが》


ほォ……遂に覚悟を決めたか。無意識のうちにすっと目を細めつつ、俺は答える。


《フツーに屋敷に居るけど? 転移してこいよ、レイには伝えとくからさ》


《そうか。分かったぜ……》


カイルが了承するのを待って、カイルとの念話を切った。次いで、すぐにレイに念話を飛ばす。


《ンだよ、また何か用かァ? 俺ァお楽しみ中なんだがなァ》


《クハッ、そォかよ。そりゃあ悪かったな、だが来客があるからお前に伝えとこうと思ってな。今から全身深紅の男が来るから、そいつは襲うなよ?

俺の客だ》


返事はすぐに返ってきた。


《あいよ。どのみち、こっちはこっちで忙しいんでね。ざっと四百年ぶりの女だ、手を出してる場合じゃねェよ》


ああ、「お楽しみ」ってそっちの「お楽しみ」か。てっきり拷問的な意味合いでのお楽しみかと思ったんだが。


大方、敵の中に佳い女でも居たんだろう……。レイも鬼畜だよなァ、はっはっは!


そう指摘してやると、レイは心底不思議そうに訊いてきた。


《何言ってんだァ? 敗者が勝者に蹂躙されるのなんて当然だろーが》


《確かに》


言われてみれば、理に叶ってるな。ってことはだ、それはやって当然のことであって、レイは当然のことをしているだけってことになるなァ。


つまり、自分の主観的には別に悪道外道ってことにはならねェと。


むしろ、善行の部類に入るよな、自分にとっては。人それぞれ正義の形は違うし。


……あっ、言わずとも知れてるが、俺のデフォルトは「敵対者に対する非情無情悪道外道」だから。


早い話が、敵の成す悪道は許さないクセに、身内の成す悪道は肯定するっつー最低野郎ってことだ。


ま、自分のやること成すことが「悪」だとは認めているが、同時に「善」でもあるって考えているタイプの、その辺に何処にでも居そうな悪人だなァ、俺は。


それこそ、根本の部分まで探せば掃いて捨てるほど居るんじゃないか? 代表例を挙げれば、貴族贔屓の王族とか……。


普通の悪人と違うのは、自分の(ルール)は自分が決めて、それ以外の法はそもそも守る必要ナシ、むしろ破って当然という、あまりにも傲慢に過ぎる絶対的なまでの自己中な思考回路だな。


例外は勿論あるがなァ。


その点、俺って保有する力を別とすれば、序盤であっさり殺されてそうな三流の悪役だよなぁ……。いや、そうでもないか。少なくとも、身内だけは見棄てないし。


尤も、悪意の強さに於いてこの世の誰にも負けない自信があるが。それに関しては、暴虐の象徴たるファランにだって引けをとらんぞ。


……っと、俺の悪役談義は措いといて。


俺はレイにカイル来訪の件を伝えると、間もなく来るであろうカイルを出迎える為、武器庫を整理するのは止めて上の階に上がっていくのであった。


さて、と……何処の戦場に行こうかな。戦場なんて探せば結構在るもんだが、どうせなら濃密な死の気配に満ちてねェとなァ……ククククク。


――屋敷の玄関があるホールとも言える場所に行くと、既にカイルが扉を開けて入ってくる所だった。


「よう。来たか」


気安く片手など上げてみせると、カイルはぎこちない笑みを浮かべた。


「……ったく。これから重い話をしようって時にも、お前は全然動じた風もねーよな、レオン」


「いや、動じるまでもないからなァ。殺し関連の話なんて俺どころかこの屋敷では当たり前だぜ?」


と言うか、この屋敷の住人で、殺人したことのないヤツは一人として居ない。俺とそう変わらねェ歳のルナだって、平然と敵を引き裂いて捨てる戦士だ。


特にユリウスなんかは、穏健派の魔族を過激派――〝闇主側〟のことだ――から守る為、軽く見積もっても千人は殺害してるだろ。


サイスに到っては、こちら側の陣営についてからも進んで工作担当に回ってるから、その過程でそれなりの数の邪魔者を消しているだろう。


レイについては言わずもがな。現在進行形でどんどん殺してる。その他にも、普段穏やかそうなあのアウレアでさえ戦場では悪鬼の如く敵を蹂躙するのだ。


……今思ったんだが、俺個人の陣営の戦力が異様に高いよな。多分、俺の陣営だけで大陸の半分は確実に手中にできるぞ。


ってか、ロイ先生達クラスの敵さえ居なければ、統治することを別とすれば大陸統一できそうだ。


「まぁ、取り敢えず食堂に来いよ。この時間帯なら誰も居ないし、話すくらい困らねェだろ」


「だな。そうさせてもらうぜ」


カイルを伴って、食堂に行く俺。食堂は誰も居らずに静閑な空気が流れており、連日の、主に夜の騒がしさは微塵も感じなかった。


そんな中、近くにあった椅子に腰を落ち着けてテーブルを挟んで向き合う俺とカイル。


話に入る前に、創造でワインとグラスを出すと、並々と赤い液体をグラスに注ぐ。それをまじまじと見ているカイルに気付き、何気なく「お前も飲むか?」と訊いてみる。


「いや、飲まねぇよ。っつか十八歳未満が飲んじゃいかんだろ。どうせならジュースか何かにしてくれると有り難い」


そうだったな、と軽く笑い飛ばすと、注文通りにブドウのジュースを創造して、空のグラスと一緒にカイルの手元に滑らせた。


「おっ。悪いな」


カイルがグラスにジュースを注ぎ終わるのを待って、俺は話を切り出した。


「で、単刀直入に言うが……カイル、なぜお前は人を殺せないんだ?」


「……ちょっと単刀直入すぎやしないか?」


カイルは苦笑いするが、そのまま黙したりせずに言葉を続けた。


「そりゃ、人を殺すことはまずい事だって法で定められてるし、それ以前に常識として根付いているからさ。第一、人を殺すってことは……一つの人生を終わらせるってことだろ?

そう思うとなんか、不安になると共に怖くなっちまってな……」


「――まずはそのくだらん常識を打ち砕くのが先決か……」


弱々しいカイルの言葉に、俺は無表情で独白した。俺の言葉に反応したカイルが俯き気味な顔を少し上げた時には、俺は決断していた。


俺のように、本当に戦場の根本まで見るのはカイルの精神衛生上かなりまずいことになるだろう。だが、この程度ならまだどうにかなるはずだ。


或いは、これだけで覚悟を持たせられるかもしれねェ。


思い立ったが吉日、俺はカイルに問うてみた。


「時にカイルよ。お前ってさ、かつての大戦争の記憶をアレクから見せてもらったりしたことは?」


「言われてみればないな。そういや、何でアレクは大戦争当時の記憶を開示してくれないんだろうな。"覇者"後継者の中でレオンだけじゃないのか、大戦争の記憶を閲覧したっていうのは」


首を傾げていたカイルだが、突然ハッとした表情になって俺の顔を見た。


低い声で問いかけてくる。


「もしかして、お前が殺しに禁忌がない理由は大戦争の記憶に隠されてたりするのか?」


「着眼点が良いなァ。まぁ理由の一つとしては確かにそれだよ。ついでに言うと、最大の理由はただ単に殺すのは生来好きだったみたいだからかな。

ファランと出会うまではなぜ殺しをしなかったのかと言うと、それは自分の悪に染まりきった本質に気付けてなかっただけだな。

心の奥底では、いつだって殺しを渇望していたはずさ」


頬を歪めて笑ってみせると、カイルは引き攣った笑みを浮かべた。


「そりゃまた……レオンらしい理由だな」


「だろォ?」


ぶち殺しサイコー。もうホント、やめられない止まらない。ルーレシア世界での戦争が終わっちまったら、別の世界に戦いに行くのもいいな。


いや、いっそのこと俺が火種に……。などと危ないことを考えていると、カイルが弛く頭を振った。


ジュースを一気飲みし、グラスをテーブルに音を立てて置くと、膝に手を置いて立ち上がった。


「取り敢えず、ギルドに行かないか? ギルドなら、その……その手の任務もあるだろうし」


「だな。じゃあ、早速行くとするか」


【覇者】のバトルドレスは着たままだったので、ワインを飲み干すとフードだけ被った。これで準備万端だ。


ゆっくりと立ち上がると、深紅の仮面で素顔を隠したカイルに歩み寄った。そのまま肩に手を置く。


「ンンッ……あーあー。……よし。では行こうか、【炎帝】よ」


「……ホント、変わり身が早いよなお前」


「では行こうか、【童帝】よ」


「ひどっ!? そんなに気に入らなかったのか!? ってか好きで童貞やってるわけじゃねえよ!!」


聞き捨てならんとばかりに食い付いてくるカイル。そんなカイルの様子を見て、俺は頷いた。


小さい声で、確認するように言う。


「……少しは固さがなくなってきたか?」


「……っ」


カイルが意表を衝かれたように目を見開く。


が、すぐに持ち直すと、ふて腐れたように言う。


「ああ、なくなったね。いやでも固さなんてなくなるさ」


「クハハハハハッ。それは重畳、だが勘違いするではないぞ、【炎帝】。そんなガチガチに固まられてたら、戦場で役に立たなくなるから言っただけのこと。

別に、汝を心配して言ったワケではないのだからな」


言ってる内に、こっ恥ずかしくなってきた俺は、補足するように付け加えた。


「……」


カイルの返答がないことを妙に思い、首を傾けてそちらを見やると、じーっとこちらを見つめているカイルと目が合った。


「なんだ」


眉をひそめて声をかけてみると、カイルがぽつりと唇を動かした。


「……【覇者】。お前ってさぁ、実はツンデレ――」


「時に【炎帝】、対軍宝具か対域宝具、喰らうのならばどちらが良い?」


「いやどっちもヤバいだろってゴスペラッ!?」



―――――――――――


――屋敷内に局所的な結界が展開され、その内部で血色の奔流が迸ってから数十分後。


「【覇者】テメー、覚えてろよ」


「否、と言ったら?」


「そりゃアレだ、何かこう……爆発するぞ」


「ほう。それは興味深いな、何が爆発すると言うのだ?」


「俺の内に眠りし力(主に憤怒と嫉妬)だ」


……何て阿呆な掛け合いはともかく。


俺とカイルはギルド本部に来ていた。例によってシリアさんが居る本部長室に通されているワケだが、生憎とシリアさんは、昨日の夜から任務に出払っているようなので、この部屋には居ない。


ならばなぜ本部長室に入っているのか? それは、この部屋の隅でめでたく「壁の花」と化している美女が関わっていた。


その美女を見てまず思うことは、「蒼い」という一点だった。


肌も蒼ければ、目の色も澄んだ蒼。スリムだが女性らしい豊満な肢体に纏う服飾も蒼を基調としていて、唯一長い髪の色だけが水色だった。


顔立ちは恐ろしいほどに整っており、冷淡な眼差しと相まって女帝のような雰囲気を醸し出していた。


いや、この表現は間違っている。なぜなら彼女は本当に『女帝』なのだから。


神界にその名も高き氷の女帝、『統べし霜天の氷帝』〝ルディア〟。


話には聞いていたが、俺も会うのは今日が初めてである。


彼女は、シリアさんが任務の前に呼び出して本部長室を任せていたらしく、その為シリアさんに変わって出迎えてくれたのだ。


とは言っても、何か話をしたわけでもない。というか、この部屋に入って既に数分経過しているが、未だに声すら聞いた試しがない。


別に機嫌を損ねてはいないと思う――無表情なので実際どうかは分からないが――のだが、視線が合っても会話の糸口にはならなかった。


どうやらかの氷帝は無口のようだ。


まあ、無理に会話しようとしたところで話が続くわけもないか――と無理矢理ルディアの存在を呑み込んだ俺は、先ほどから目を通していた書類をテーブルの上に滑らせた。


その書類には、各地から集められた魔族関連の事柄が記されている。


魔族がこの世界に進出するに当たって、何らかの異変が起きているのだ。主な例としては、周辺魔獣の狂化や連続殺人など。


前者に関しては、別に疑問に思うことはない。魔獣を狂化させれば当然それなりの力量の者達がそれに当たることになり、来るべき大戦争に参戦するであろう強者達の数が否応なしに間引かれる。


いくら強い力を持っていても、所詮は普通の人間レベルに収まった力だ。狂化した魔獣に殺されてもおかしくない。


場合によっては俺達が直々に出向かなければならないような魔獣が狂化したことさえあったほどだ。その時には、俺達がその魔獣を討伐するまでに二十名ものAランク以上の戦士達が散っていった。


だが俺は、戦力を削られるのは確かに由々しき事態だが、それよりも後者の方に注目していた。


ここ最近でのこの手の事件の下手人は魔族だ。それだけならまだしも、ファラン曰く殺された連中の魂が悉く抜かれているらしい。


ファランのように魂そのものを見透かすことはできないが、ある程度までなら知覚できる俺にも、この事件の被害者のがらんどうさはよく分かった。


死んだ者達から総じて魂が感じられなかったのだ。


例え命を落としたとしても、そんなすぐには魂が消えたりはしない。


大部分は確かに昇天するが、残魂とでも言うべき魂の残り粕は肉体に残滓として残されるのだ。


それこそ、よほど魂が弱体化していたり、消えかけでもない限りは。


しかし、殺害された連中の魂の抜け方はやはり妙だ。何かこう、強引に魂を引き抜かれているのだ。


魂が奪われている点については、以前からファランに話は聞いていたものの……、考えれば考えるほど思考の泥沼に嵌まり、知れば知るほど深みに嵌まっていく。


この際、魂を奪われているのはまぁいいとしよう。だが、敵方は何の為に禁呪まで使って魂を奪っているんだ?


……嫌な予感しかしねェなァ。大方、ロクでもないことでもしてるんだろう。俺が言えた義理ではないが。


まぁ今は措いておくとして――と、俺は先ほどテーブルに投げ出した書類を見やる。


確かに魔族との戦闘は避けられない任務もある。だが、敵が単体だったり相手取るにはお粗末過ぎる任務ばかりで、一度に複数の敵を殺せる任務はなかなか見当たらない。


本来なら、取り敢えず一人殺させてその感覚を覚えさせ、少しずつ慣れさせていくのが戦士を育成する常套手段だ。


しかし、俺は敢えて定石を無視することにした。カイルには悪ィが、初っ端から大人数殺害してもらう。その方が手っ取り早く、何より――『負担が少ないかもしれない』。


人間っていうのは不思議なモンで、一人殺めて悩むのと複数殺めて悩むのでは、複数殺めた方が悩みが軽かったりする。


勿論個人差はあるだろうが、ある種の開き直りとでも言うべきか。それと同様の感覚で、そんなことがよくあるのだ。


考え方としては、『一人に対する責任感』の重さと『複数に別れた責任感』の重さの違いである。


一人の場合は、とことんその一人に思考が傾倒してしまい、そのまま罪悪感に呑まれてしまうのがオチだが、複数の場合は一人に思考が傾倒したりはせずに、延々と巡り続けるのだ。


そこで堕落してしまうのならそこまでだが、そこから持ち直したりすれば……凄まじく強靭な精神を手にすることだろう。


これは実際に前例のあった話だ。かつての大戦争の記憶の中に、同じような覚悟の決め方をした英雄豪傑達が大勢いる。


それに、時間がないのもあるのだ。少しずつ慣れさせていくのが大戦争に間に合うとは限らない。


大戦争の先端が切り開かれるのは、俺とファランの見立てでは十月下旬。もう後一ヶ月程度しか残っていないのだ。


その点、カレンに関しては完全に俺の失策だったと言えよう。幸い、言い方が悪いが、カレンは殺人の適正が高かったらしく、数日後には例え相手が人間であろうと殺しも躊躇しない、強靭な精神を見せつけてくれたが、カイルもその道を辿るかは分からないのだ。


それに、俺だってやることがある。ずっとカイル一人に掛かりっきりになってはいられない。ならば、最短の時間でカイルに戦士として一皮剥けてもらうしかない。


ふとテーブルの上にばらまかれた書類を忙しなく眺めていた視線が止まる。俺は一枚の書類に手を伸ばした。


今ここにある書類は、"覇者"関係者以外には閲覧を許されない、魔族関連の任務について書かれた書類のみしかない。


それゆえに、当然テーブルの上の書類は、カイルの精神面を鍛えるということを除いても重要なことばかりが記されているのだが、その中でもその任務は俺の目を引いたのだ。


そこにはこう書かれていた。


―――――――――――


グラーヴィア王国北東の街『コーラル』にて不吉の卦あり。


既に被害が及んでおり、四歳以上十歳以下の子供が一度に消息不明になるなど、見過ごせぬ問題が起きている模様。


集められた情報を統合した結果、普通の事件にしては不可解な点が幾つか挙がった。恐らく魔族が関与していると思われる。


至急原因を突き止め、乱を治に還せ。


シリア=クレヴァス


―――――――――――


基本クレアさんが――俺にも書類処理が回ってくることがある。アレは地獄だった――纏めた書類が多いが、これは本人が書いたものだろうか。だとしたら、字が上手い。なんというか、達筆である。


書類の内容に目を通した俺は、律儀に『危険度不明』と書いてあるのを見て、ちょっと笑ってしまった。


そんなこと分かりきったことだと言うのに、しっかり書いてあるのがちょっと意外だったからだ。


シリアさんは無駄を好まないからな。その性格からして、『必要ない』と判断したことは書かないだろうと思っていた。


「…………」


……と、そこで、カイルのモノとは別種の視線を感じた。


その視線の主が誰かは考えるまでもない。ないが、それゆえにちょっと驚いた。


ゆっくりと首を巡らせてみれば、斜め後方で壁に背を預けていた氷帝ルディアが俺の方をじっと見ていた。


ガン見である。氷のような無表情で、俺をガン見している。怜利な美貌と相まって、その視線を受け止める俺としてはものっそい居心地が悪い。


何だ、俺が一体何をしたって言うんだ。心の中で叫ぶ俺に対し、麗しの氷帝は口を開いた。


「その書類……何かおかしな点でもあったかえ?」


「……は?」


俺が頭上にクエスチョンマークを浮かべていると、彼女は若干の苛立ちを籠めて再度問いかけてきた。


「お主は言葉が通じんのか。今お主が見ていた書類に、不備がないか訊いておるのじゃ」


「いや……別になかったが?」


内心の困惑を押し殺しつつ、平静を装って返す俺。ルディアはフンと鼻を鳴らすと、


「なんじゃ。なれば、目を止めた途端に笑うのはやめよ。書き手に礼を失する行為じゃぞ、それは」


「それは悪かったな。しかし……」


俺は書類を一瞥した後、すぐに視線をルディアに戻した。


「……なんじゃ」


眉根を寄せてこちらを睨むルディア。不機嫌そうなその美貌に、俺は試しに問いを投げかけてみた。


「まさかとは思うが、この書類を書いたのはあんたか?」


「!? そんなわけなかろう! いくらマスターの朋輩とは言え、無礼にも程があるぞ! 妾を誰だと思っている!?」


「神界に名高き氷の女帝、氷帝ルディアだと思っているが?」


なんとなくセリフが予測できていた俺は、考えておいた言葉をスラスラ口に出した。


ルディアは半開きにさせた唇を戦慄かせている。


室内の温度が急激に低下し、吐息が白くなる。巻き添えを喰らったカイルが、要らぬことを言った俺に非難の視線を突き刺した後、自分だけを覆うように『炎の覇者』の権能で過ごしやすい領域を生じさせた。


「お主……お主という男は……」


暫く俺を射殺すような目で睨んでいたルディアだが、視線を絡ませている内に愉快そうに笑う俺の心中を察したのだろう。やがて深々とため息を吐いた。


脱力したように壁にもたれ、疲れたような声音で言う。それに応じて、部屋の温度も元に戻った。


「それは、その書類はな。お主が申した通り妾の直筆じゃ。先の言は戯れだと思って忘れよ」


あらら……意外と落ち着くのが早いんだなァ、この女帝さん。この手のタイプはもっとからかえるものだと思ってたんだが、世の中上手くいかないもんだ。


などと不謹慎なことを考える一方で、いやでもあんまりからかいすぎると戦場でフレンドリーファイア(後ろ弾とも言う)かまされそうだしなァと、若干の危機感も覚える。


というか、絶対そうなるだろう。前線で俺が敵を食い止めている間に、遠隔魔法で俺諸とも敵をドカンと……怖。


心胆寒からしめる光景を思い描いて、笑みがちょっと引き攣る。不思議そうなカイルの視線を感じるが、耳に届いた恨めしそうな独白に、俺の関心はまたもやルディアに戻る。


「マスターも人が悪い……女帝たる妾が何故書類など……」


なるほど、そういうことか。ルディアの呟きを聞いた俺は、得心がいった。何故氷帝ともあろう者が書類など処理していたのか、疑問だったのだ。


〝帝〟を名乗る者が自発的にそんなことをやるとは思えなかったがゆえ。


〝覇者〟の名を冠する俺も、書類の大半をユリウスに押し付けていたりする――それでもたまに俺もやらされたりしているのだが――ので、暴君の気質を持つ者同士、通じ合うモノが合ったのだ。


「クックック、その気持ち分かるぞ……。性に合わんことをするのは、どうにも気が滅入るからな」


「分かるのか? マスターの話を聞く限り、お主は周囲が何と言おうと、我が道を往く唯我独尊の覇者だと聞いておるが……」


「何事にも例外はあるさ。そう、どうしようもない例外がな……」


ファランと言う名の例外がね……。


げんなりとした表情で述べると、ルディアは相変わらずの無表情だが、どこか穏やかな表情を浮かべた。


普段傲慢な癖に、妙なところで苦労人な者同士、共感する覇者と女帝。それを今まで蚊帳の外だったカイルが咳払いして断ち切った。


「……ルディアさんはともかく、【覇者】。テメーは俺が一皮剥ける手伝いをしてくれんじゃなかったのか?」


「――フッ。そうだったな、すまん【炎帝】。忘却しておった」


「てんめっ……言い出しっぺがそんなんでどーするよ!!」


「クハハ。そうだな、では」


すっと目を細め、仮面の隙間から覗く赤色の――本来は茶色だが、仮面の力で赤く変色している――カイルの瞳をひたと見据えた。


「そこに、他国からの依頼があるだろう。今回はその任務に行くぞ」


「えーっと……これか。なになに、場所はグラーヴィア王国領北東の街コーラルで、任務内容は……んだこりゃ」


書類の内容に目を通したカイルは、絞り出すように疑問の声をあげた。続いて、俺の方を胡散臭げに見た。


「俺達って精神を鍛えようとしてたんだよな?」


「ああ」


「で、それには魔族を大人数殺してもらうって言ってたよな、【覇者】は」


「そうだ。それがどうかしたのか?」


普通に聞き返した俺に、カイルは手に持った書類をヒラヒラさせて言う。


「この任務、魔族が関わっていたとしてもあんまり人数はいないと思うぞ? 被害は確かに甚大に見えるんだが、それでも魔族なら造作もないことなんじゃないか?

多分、魔族なら二人か三人で余裕を持って行えるだろ」


その言葉に、しかし俺は首を横に振った。


確かに、カイルの言葉には一理ある。もし魔族が下手人ならば、被害はもっと大きかったはずだ。それこそ、上位魔人ならば単独で街一つくらいなら余裕で落とせるし、何故子供を拐っているのかは分からないが、それにしたって現時点よりも捗っていたことだろう。


が、そこに穴がある。恐らくこれは罠だろう。ある種の『釣り』にも近い。


子供が拐われたりした場合には、必ずと言って良いほどの確率で高ランクのギルド員が任に就く。または、その国の軍から隊員が派遣される。


何故なら、誘拐した犯人と戦いながら子供を守らなければならない可能性が高いからだ。


下手にランクの低い者にその任務を任せたりすれば、自分のことに精一杯で、子供を救出するという最も重要なことを達成できないかもしれない。


ゆえに、高ランク保持者や軍の隊員が事件の解決に身を乗り出すのだ。どちらも標準以上の魔力を持ち、力の程も確かなものと考えて間違いはない。


しかし、魔族からしてみれば、その程度の力など然したる問題ではない。


赤子の手を捻るが如く、いとも容易く殺せよう。


そして、その魂を奪う。そこだけを見れば今までとやっていることは変わりないように思えるが、見方を変えればそうもいかない。


高ランクのギルド員が立て続けに任務に失敗すればどうなる? 簡単だ、さらに人数を増やすか、それ以上のランク保持者が出てくるだけのこと。


この場合、後者がまさに俺達のことだと言えよう。


魔族は恐らく少数ではない。少なくとも一個小隊くらいの人数がいるはずだ。しかも、揃いも揃って自爆覚悟の魔族達が。


随分と忠誠心の高い奴等である。実力が及ばぬと見れば、自らの身を犠牲にしてまでも俺達に手傷を負わせたいか。


俺達"覇者"後継者は、並大抵の攻撃では傷一つ付かない。例え強力な魔法を使ったとしても、それぞれが持つ固有の障壁で――俺に到っては障壁ナシで――防がれるのが落ちだ。


しかし、そんな"覇者"後継者にも傷を負わせられる手段はある。


一つは、ただ単純に圧倒的な手数の局所突破にて障壁を穿ち、攻撃を届かせること。火力が足りなくとも人数を揃えられれば、この戦法で攻撃が届くだろう。


しかし、敵は恐らくこの戦法は使わない。例え攻撃が届いたところで負わせられる傷は知れたものだし、何より成功する確率が限り無く低いからだ。


では、どのような手法で攻めてくるのか? そんなこと決まっている。確実に、癒え難い傷を負わせるには――。


――『絶対禁忌』。


これに尽きる。いくら"覇者"後継者と言えども、流石に『絶対禁忌』の禁術まではただ障壁を張るだけでは防げない。


それこそ〝絶対概念〟を持たない俺以外の"覇者"後継者では、障壁を強化した上に重ね掛けまでせねばならないだろう。


今まで散々『絶対禁忌』の禁術を駆使してきた敵のことだ、『絶対禁忌』の中でも最高クラスの『自己犠牲魔法』を使ってくる可能性が大だ。


この時、俺は敵の本当の狙いに大体の予想ができていた。


「誘い伏せ、か……」


「は? 何か言ったか?」


暫時黙してからの唐突な発言に、カイルは虚を衝かれたように問うてきた。


それに対し俺は、


「いや、何でもないさ。ただ、少しは愉しめそうだと思ってな、クックック……」


喉の奥で笑いながら言うと、カイルは微妙な反応をした。


「何か、お前がそれを言うとロクなことになりそうにない気がするんだが……本当に大丈夫なのか?」


「大丈夫だ、問題ない」


フッと笑って断言する俺。そう、何も問題はないのだ。俺が愉しめさえすれば。


「……何だろうな、【覇者】の言葉を聞いたら余計に心配になってきたぜ」


「フハハハハハハハハハッ! まぁ良い、とにかくこの任務を果たしにゆこうではないか、【炎帝】よ」


哄笑して言い放つと、カイルはため息を吐いて立ち上がった。


「分ぁーったよ。ったく、これから人を殺さないといけないって時に、何でそんな愉しそうなんだか……」


理解できない、と言うように首を振るカイルに、俺は大真面目な表情で頷いた。


「決まっている。戦うのが愉しければ、殺すのも愉しいからだ」


「とんでもないことをサラッと言うな」


ガシガシと赤に染まった髪を掻きむしるカイル。書類を丁寧に折り畳んで懐に仕舞うと、立ち上がって俺を見下ろした。


「【覇者】はグラーヴィア王国のどっかに転移できるか? 俺、あっち方面はあんまり行かねぇから、転移できないんだ」


「そうか。ならば俺の転移に便乗するがいい。俺はルーレシア大陸の各地を訪れているのでな。少し目的地からは遠い場所になるが、転移できぬわけではない」


膝に手をついて立ち上がり、フードを被りながら答える。思案げな雰囲気を纏っていたカイルは、頷いた。


「よし。なら、早速頼めるか? 善は急げって言うしな」


「俺に触れてろ。すぐに跳ぶぞ」


そう言って腕を差し出すと、カイルが腕を掴んだ。


直後、俺とカイルの足元に転移の魔法陣が展開され、一瞬光った後には俺とカイルの姿は消えていた。



―――――――――――


「ここがコーラルか……」


俺の隣で街中の風景を見回していたカイルが、ありふれた呟きを洩らした。


その雰囲気は初めて来る街を見て回る旅人のそれであり、興味深そうに店の中を覗いていた。


街に到着してからはずっとこんな感じである。何だかんだ言ってこいつも気楽そうじゃねェか、と思わんでもない。


しかし、その傍らを歩く俺はそんな浮かれた様子はなく、街に入ってからというもの終始黙したままだった。


別に落ち込んでいるわけでも、不機嫌なわけでもない。


例の如く門番には怖れられたり、現在進行形で絶賛畏怖の目で見られている真っ最中なのだが、もう慣れっこなので大して気にしていない。


ならばどうしたのかというと、ギルドを出てからこっち、嫌な予感が途絶えないからである。


たかが嫌な予感と思うことなかれ。


俺の感覚はもはや超常の域に達しており、ファランによればほぼスキルと化しているとのこと。


言うなれば、『直感』。


幾多の戦場を駆けているうちに、いつの間にか備わっていた力だ。


ファラン曰く、自らの往く道に危険が迫った時、本能の部分でそれを感じとることができるという、ある種の未来予知にも近い力だそうだが……今の俺は、まさにこれが発動している状態では?


そう思うと、そのことが頭から離れなくなるのだ。巡り巡って、また結局原点回帰してしまう。


……これ以上の思考は無価値、か……。


早々に見切りをつけると、本格的に思考の泥沼に嵌まってしまう前に思考するのをやめた。もしこれで想定外なことが起きたりすれば、それこそ混乱してしまう。


高望みして広げすぎた翼は、いずれ太陽の光に焼き尽くされる。それは思考に対しても言えることだった。


「……ん? 考え事か?」


一旦街並みから視線を外して、俺に向けたところで、どこか上の空な俺の様子に気付いたのか、カイルがそう訊いてきた。


それに対し俺は、「何でもないさ」とだけ返すと、歩くスピードを上げる。目的地は酒場だ。情報収集にはうってつけの場所だからなァ。


カイルが首を傾げて俺の背中を見ているのが分かったが、俺の『直感』は確実性や根拠があるものではなく、『なんとなくそんな気がした』という説明のしようがないものなので、下手に話したりはできないのだ。


それで士気を下げられても困るしな。


……やれやれ。


その点、この力もやはり使い勝手が良いわけじゃねェなァと、細く息を吐き出す俺だった。



―――――――――――


――それから数時間後。


酒場で有力な情報を得た俺とカイルは、コーラルから北に十キロほど北上したところにある、標高九百メートルくらいの山に来ていた。


情報によれば、この山の山頂から百メートルくらい下った所に、古ぼけた教会があるはずなんだが……。


今のところ、それらしき建造物は見当たらない。かれこれ一時間は探しているんだが……。


これは妙だ、と俺はフードの下で目を細めた。ここまで探索して見当たらないとなると、もしや幻術か何かで隠されているのでは?


そう考えた俺は、すぐさま【脈絡探知】を発動して辺り一帯の様子を探る。すると、異様な力が満ちた空間があることに気付いた。


場所は今俺達が居る場所の反対側。山を挟んだ向こう側に、もはやお馴染みとなったあの反応を感じる。


「禁呪反応、か……」


またしても『絶対禁忌』の禁術である。しかも、数ある『絶対禁忌』の禁術の中でも稀少な空間系の禁呪である。


【脈絡探知】に『風の覇者』の権能の一つである『風の便り』の力を重ねてより深く知覚してみれば、その術式の構成も段々理解できてきた。


そして、その禁術の魔法名も。


恐らくこれは、【呪域・縛】と呼ばれる禁呪結界だろう。指定した空間を別の空間断層に縛り付け、あたかもそこには何もないかのように思わせる空間系の禁術だ。


いや、この表現は違うな。この禁術にも色々使い方があるが、今現在の使用法は、別の空間断層に指定した領域内にある何かを閉じ込めたという方が正しい。


そしてこの場合、その『別の空間断層』とやらは当然虚世の空間と考えていいだろう。最も手短で魔族にとって容易なのは、これに尽きる。


道理で気付けないはずだ。これを素で知覚しようとするのは、現時点の俺ではまだ力不足だ。【脈絡探知】がなければ気付くことすら叶わなかったであろう。


『風の覇者』の権能をある程度掌握できていたのも大きい。重ね掛けしなければ、術式の構成もその魔法名も見破れなかっただろうしな。


……ファランならあっさり看破したことだろうが。


「【炎帝】、こちらに来い。教会と思わしき所を見つけたぞ」


俺は、少し離れた所で探索していたカイルに手招きをした。


「マジかっ。で、場所は?」


「落ち着くがよい。その様では、却って敵を取り逃がしかねんぞ」


手に持っていた長めの木の枝を放り捨てて、駆け寄ってくるなり早速問い掛けてきたカイルに、俺は釘を刺した。


漸く見つけたという気持ちは分かるが、このまま舞い上がった気分のままでいられたら些か気が削がれるし、何より危険だ。


「あ、悪ぃ悪ぃ。落ち着いたからさ、教えてくれよ」


「ならばよかろう。敵が潜伏していると思われる教会は、山頂を越えた向こう側……つまり今俺達が居る場所の反対側に在るだろう」


そう言いながら、俺は山頂への道を見やった。あの向こうに、教会が隠されている可能性はかなり高い。


「そうか! なら――」


「暫し待て!」


すぐにでも向かおうとしたカイルを、俺は咄嗟に手で制した。


「どうも、敵は『絶対禁忌』の禁術を以て教会を隠匿しているらしい。教会があると思われる一帯に禁呪反応を感知した」


「禁っ……!?」


低い声で告げると、カイルは顎を引いて俺が見やった方向を見た。まさか、そこまでやっているとは思っていなかったらしい。


『闇の覇者』からの魔力の供給があっただろうとはいえ、俺も同感だ。本来、『絶対禁忌』はそんなホイホイ使えるものではないのだ。


それをここまで惜し気もなく駆使してくるとは、こりゃあかつての大戦争まではいかずとも、禁術の飛び交う戦場が経験できそうだ。


などと不謹慎なことを考えつつも、俺は無言で山道を――その向こう側を睥睨しているカイルに声をかけた。


「行くぞ。気を引き締めろ」


それを皮切りに、俺とカイルは音も無く音速を遥かに超えた速度域に突入し、次の瞬間には問題となっている一帯に踏み込んでいた。


途端、俺の体が何かを感じ取った。チラリと視線を隣に向けてみれば、カイルも何かを感じたらしく、反射的にかいつでも戦えるように身構えている。


俺達が怪しいと踏んだ一帯は崖の近くであり、木々が途切れることなく乱立して森を成しているので、森のすぐ横には崖があるという危険な地形をしている。


軽い気持ちでこの森を歩いていれば、崖の存在に気付けずに真っ逆さまに転落すること間違いナシだ。


そんな危険な森林地帯に、妙な空白を見つけた。


崖沿いのとある一角だけ、草木が生えていないのだ。まるで最近まではそこに何かがあったかのように、そこだけ周囲の風景から浮いていた。


「コイツは……」


「恐らく間違いないだろう。此処が俺達の目的地だ」


カイルもすぐに妙な空白地帯に気付き、ぼそりと呟きを洩らした。その後を俺が引き取った。


それを耳にしたカイルは、両の拳を胸の前で打ち合わせた。打ち合ったのが拳とは思えない爆音の直後、カイルの両腕両脚が紅蓮の焔に覆われ、やがて焔が風に煽られるようにして消えると、そこには武装を済ませたカイルの姿があった。


肘から下を深紅の籠手に包み、膝から爪先に到るまでを同色の脚甲で覆う。


これがカイル本来の魔武器だ。学園では深紅の籠手しか使っていなかったし、その籠手の外見も大きく違うが、これは学園で使っていた物と同一だ。


別に、幻視の術で真の姿を隠していたわけじゃない。ただ単純に、武具召喚の規模を抑えただけだろう。


俺の〝黒風〟のように、『顕現』などの変換(コンバート)系の能力を有さないカイルは、学園では姿形の違う籠手だけを召喚していたのだ。


しかし、実はこれは容易なことではない。籠手だけを呼び出すのは誰でもできるだろうが、一度魔武器として定まってしまった形をその手の能力ナシで変えるのは普通は無理だ。


下手したら魔武器の修復能力を損なって、魔武器自体を失ってしまうかもしれない。その場合、早くとも一年は新たな魔武器を持つことは叶わない。


魔武器とのリンクは深く根付いているものだ。それが消滅するまでに、大体一年は掛かる。それまでは、前の魔武器とのリンクがある為に、新しく魔武器とのリンクを築けないのだ。


魔武器とは基本一人につき一つしか持てない。少なくとも、『この世界では』。


魔武器とのリンクが強すぎて、一つの魔武器に掌握度が片寄ってしまうのだ。かつて複数の魔武器を持つことを可能にしようと、多くの賢者達が研究に身を費やしたが、その成果は一向に上がらず、やがて諦めてしまった。


……ま、俺なら複数の魔武器を持つことは可能だがなァ。とは言っても、どうしても〝黒風〟には劣るので、今のところ複数の魔武器を持つつもりはないけどな。


「さて……いよいよか」


カイルは、胸元まで持ち上げた深紅の籠手に覆われた己の拳を見下ろして、そっと言葉を紡いだ。


その言葉の端々からは、並々ならぬ覚悟と怖れ、緊張感がひしひしと伝わってきた。


これから自分は、人を殺す。それはつまり、相手の人生に理不尽な終止符を打つということだ。


その行為に対するありとあらゆる感情がない交ぜになって、いつも明るいカイルの雰囲気を一変させていた。


「……」


しかし俺は、カイルに何も言おうとはしなかった。これから戦いに臨むに当たって、むしろこのくらいの緊張感は必要だと思ったからだ。


黒刀の柄に手を置いて、


「行くぞ」


ただ一言、そう声を掛けた。


「ああ……! いつでもいいぜ!」


簡潔なその一言に、カイルは力強く頷いた。俺は満足げにフードの下で微笑を広げると、黒刀を抜き放った。


音速を遥かに超えた速度で虚空に半円を描いた黒刃が、確かに何かを斬り伏せた手応えを感じる。途端、快音を響かせて空間に亀裂が走り、裂け目ができた。


心得たように、迷いのない動きで裂け目目掛けて跳躍する俺とカイル。


裂け目の中に突入した瞬間、重苦しい生暖かい空気に全身を包まれ、痺れるような感覚に囚われる。そんな不快感を無視して突き進むと、突如として視界が開けた。


空も大地も、全てが漆黒に塗り潰された空間。この世界はもはや目に馴染んでいる。


――虚世の空間。


ただ一つ違うものがあるとすれば、この空間に於いても俺達や魔族と同じように色を保ち続ける古ぼけた建造物だけだ。


それ以外は全く変わってない、愛想のない黒い景色だ。


「ここが度々話に出てきた『虚世の空間』ってトコか。ホントに真っ黒じゃん、シケた景色だなぁ……」


スタッと地面に着地するなり、キョロキョロと周囲を見渡して暢気に感想など述べているカイル。


しかし体は軽薄な反応などしておらず、この空間に入るなり知覚の領域を大幅に広げ、脚の筋肉に緊張を保たせていた。


いつでも動ける状態だ。既に俺も、カイルと同じ状態に移行していた。尤も、俺は常時この状態なので最初から戦闘体勢ではあったが。


視線を一点に留めたカイルが、確認するように低く囁いた。


「……アレか?」


その目が捉えて離さないのは、二百メートルほど前方にある古ぼけた教会。いや、もっと率直に「寂れた」と言った方が正しいかもしれない。


その教会を眺めていた俺は、廃墟同然の建造物の内部からまだ未熟な弱々しい力の波動を感じて、それが拐われたという子供達のものだと瞬時に理解した。


前回と同じ轍を踏まないよう、子供達の力の波動を辿って、魔法を掛けられてないか念入りに探ってみたが、一般的な――俺達"覇者"後継者からしてみればの話だが――洗脳の魔法を掛けられているだけで、禁呪反応は感じられなかった。


この程度なら、どうということはない。洗脳の魔法にしろ、誘拐事件には付き物だ。俺達なら解除することくらい容易い。


そう判断した俺は、傍らに立つカイルに目を移した。


カイルも子供達の気配に気付いているらしく、真剣な声で言った。


「子供達は無事みたいだな……どうする、【覇者】。俺かお前、どっちかが子供達の救出に行くのが得策だと思うぜ、俺は」


カイルの言葉は一理ある。誰かが敵陣に斬り込んで陽動している間に、拐われた子供達を救出する。この手の事件ではもはや常套手段と化している到ってシンプルな作戦だが、単純が故に手堅い作戦である。


俺としてもその作戦で異論はなく、頷こうとしたが――。


「――ッ!?」


突如として、俺の体に〝何か〟が奔った。それは、この任務を始めた時からずっと感じていた嫌な予感が鮮烈な感覚を伴った結果であり、俺は開きかけた口を閉ざした。


まただ……また、この感覚だ。エキドナとの一戦以降、時折思い出したかのように感じるこの閃き。


ファラン曰く、『直感』と呼ばれる力。これは任意の時に発動できる力ではなく、いつ発動するかも分からない力である。


しかも、発動したとしてもその危機がいつ来るのかは分からず、挙げ句根拠らしい根拠がない。


自分の力ながら、随分とまた信用できない力である。何でもかんでも『直感』が囁きかけることを鵜呑みにするのは、度し難い愚行だ。


それに、本当にそうしなければ望まぬ未来が訪れる、というわけじゃねェンだ――そう自分を納得させると、突然口を閉ざした俺に、訝しげな視線を投げかけてくるカイルに今度こそ頷いて返した。


「そうだな。では、俺が拐われた童達を救出に行こう。その間、こちらに敵意を示す魔族共の排除は任せた」


言外に『敵は抑えるのではなく、容赦なく殺せ』と告げると、カイルは無言で頷いた。


そんなカイルを暫し視界に収めると、俺はすぅっと空気に溶け込むようにして消え、その場を後にする。


勿論、本当に消えたわけではなく、極限まで無駄を省いた疾駆を音速を遥かに超えた速度で行っただけである。


元々二百メートルほどの距離しかなかった為、文字通り一瞬にして教会に辿り着いた俺は、ただでさえ消していた気配をさらに押し殺し、扉の軋む音すら立てずに教会の中に侵入を果たした。


――さて。


俺は深く息を吐き出し、フードの下で真紅の瞳を細めた。


俺は俺の成すべきことをしようか。



―――――――――――


一方、残されたカイルはというと――。


飛び出していったレオンの後を追うような形で、一拍間を空けて教会の中に躍り込んでいた。


だが、レオンのように隠密に、ではない。


教会の大きな両開きの扉に弾丸……砲弾の如き超音速の拳を叩き込み、教会の扉を盛大に破壊したのだ。


当然のように教会の扉は吹き飛び、教会の奥まった位置にある女神像の、上方にあったステンドグラスをその破片が粉々に割り砕いた。


陶器が割れる音を大きくしたような轟音が響き、きらきらと煌めきながらステンドグラスが床に落ちていく。


直後、教会の中にあった扉の内の一つが叩き割らんばかりの勢いで開かれ、そこから銀髪の男女が十数人飛び出してくる。


レオンの屋敷でも感じた、独特のこの気配。それは、彼ら彼女らが人間ではないことをカイルに悟らせるには十分だった。


「遂に来たかっ」


「この深紅の服飾は……〝蓮獄の炎帝〟か! 総員、逃がすではないぞ!」


リーダー格らしい悪魔の青年が叫ぶと、魔族達は一瞬にしてカイルを囲んだ。


濃密な殺気が空間を満たし、それを一身に受けるカイルは静かに息を吐いて拳を固める。


――次の瞬間、カイルは床を蹴った。


踏み込んだ先に居るのは、リーダー格の悪魔の青年。まずは敵の頭を潰し、指揮系統を乱そうとカイルは考えたのだ。


悪魔の青年の眼前に拳を大きく引いた姿勢で現れ、超音速の右ストレートを打ち出すカイル。しかし、悪魔の青年は寸前でカイルの拳を見切り、見事躱して見せた。


上位魔人とはいえ、その中でも下位の相手に躱されたのには内心驚いたが、相手が『絶対禁忌』を使うような輩だということを思い出し、カイルの中から驚嘆の念は消え去った。


レオンから聞いたことがあるからだ。『絶対禁忌』の中でも身体強化系の禁術の存在を。


上位魔人の中でも高位の力を持つ魔人ならば、確かに音速を超えた速度にもある程度の対応はできる。しかし、上位魔人でも低位の者は、反応はできても体の方がついていかないのが常だということは、姉であるリンスから度々知らされていたのだ。


だが、自分の音速を超えた攻撃を躱した悪魔の青年は、贔屓目に見ても上位魔人中位が精々だ。ここまで完全に避けることなど、実力的に不可能なのだ。


ならば何故それができたのか? 答えは簡単、この悪魔の青年は自分に『絶対禁忌』の魔力強化を施しているのだ。


レオンほど高い感知能力は有していないが、感知することに意識を集中させてみれば確かに感じる。不協和音にも似た、不純な魔力。


そして何より、異様な魔力を感知して初めて知覚できる、通常の魔力強化や特殊な強化術式とは大きく違う呪術の存在。


これが――身体強化系の『絶対禁忌』に見られる禁呪反応。


レオンよろしく遠方からそれを感知することはできないが、近くに居ればカイルにもはっきりと知覚できた。


『絶対禁忌』を冒しているのなら、たかだか一撃避けられた程度驚くことでもない。


むしろ今のカイルの力量を鑑みて、避けられて当然なのだ。ロイやレオン程の敏捷をカイルは兼ね備えていない。


瞬時に心を落ち着けたカイルは、右の拳を引いて左の拳を放り込んだ。


下から掬い上げるようにして放たれたそれを、後方に体を倒して紙一重で躱した悪魔の青年だが、それを予期していたカイルが拳を放った勢いを殺さずに独楽のように体を回転させ、伸ばした右脚で悪魔の青年の軸足を払い、体勢を崩した。


横倒しになりそうになるのを、魔力で一瞬だけ急制動を掛けて防いだ悪魔の青年だったが、一瞬とはいえ禁呪に当てられていた魔力が別の方向に向いたのは、カイル相手には大きな隙だった。


それを悟ったのか否か、周囲の魔族達がカイルに襲いかかったが、カイルが左の脇を引き締めて右の拳を上段から振り降ろす方が速い。


(……ッ!!)


拳を振り降ろす直前、カイルの胸中に若干の躊躇いが生じた。


いくらレオンやカレンに諭されたとしても、いざ相手の命を奪うとなると心に躊躇いが湧き上がってくる。


――本当にこのまま拳を振り降ろしても良いのか?


――振り降ろせば、魔族とはいえ一人の人生を終わらせることになるんだぞ?


――常識的に考えて、それはしてはいけないことだ。そうでなくとも、殺される覚悟が無いヤツがしていい行為ではない。


カイルの胸中に渦巻く思いは、人として当たり前のことだ。


レオンやファランといった、己が欲望を優先する悪の体現者からしてみればお笑い草だろうが、どちらかと言えば善人の類いに属するカイルは、どうしても「殺し」への罪悪感を拭いきれなかった。


――だが。


(この期に及んで、なに甘ったれたことを考えてんだ俺はッ!)


そう自分を叱咤すると、カイルは心に根付いたあらゆる躊躇いを振り払い、振り上げた右腕に力を籠めた。


「――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」


猛々しい雄叫びの声をあげ、カイルの拳が振り降ろされた。


圧倒的な破壊力を秘めた拳が悪魔の青年の端正な顔に叩き込まれ、頭部を破砕するに留まらず首から下の肉体までも粉砕した。


血が湧き出る泉のように床や壁に飛び散り、肉片がビチャビチャと生々しい音を立てて血溜まりの中へ落ちていく。


それを目にした魔族達が一旦散開しようと距離を開けようとするも――


「哈ァッ!!」


その前にカイルの凶拳が魔族達の腹部に深く突き刺さり、腹部を粉砕してその命を奪った。


瞬く間に築かれた屍山血河の中心で、カイルは一人佇んでいた。その瞳は、たった今一度に十数人の命を奪った深紅の籠手に覆われた拳に向けられている。


(――これが、「殺し」と言うものなのか)


拳を振り降ろした時垣間見た、死の恐怖に引き攣る敵の顔。


その顔に自分は容赦なく拳を打ち込み肉体ごと破砕し、そればかりか他の魔族達も血の海に沈めた――。


(――全部、覚えている)


敵の肉を打つ感触も、骨を砕く手応えも、恐怖に歪む敵の顔も――


全て、この身体に刻み込まれた。


全て、この心に刻み込まれた。


全て――自分の経験と化した。


「…………」


と、不意にカイルの視線が血の海にプカプカと浮いている肉片へと向けられた。


そのまま、じっと見つめる。自分が成したことを確かめるように、カイルは血の海に視線を送っていた。不気味なほど静かに。


三十秒ほど経過して、漸くカイルは血が広がっている位置から歩み出た。それなりに広いこの教会はまだ血が広がっていない場所があり、カイルがそこを歩くと点々と血に彩られた足跡が残る。


血の海から出て数歩ほど進んだ所で、カイルはゆっくりと血の海に向き直った。おもむろに右手を胸の高さで前に伸ばして、低く詠唱した。


「……葬送せよ、我が紅の双牙。【クリムゾンファング】」


カイルが唱え終わると同時に、伸ばされた右手の先に紅く煌めく火球が顕現した。


その火球は勢いよくカイルの手から放たれると、魔族達だったモノが散らばる血の海に着弾する寸前に膨張し、巨大な紅い狼に化身した。


その焔の狼は大きく口を開けると、未だ広がりつつある血の海全体を呑み込んだ。途端、狼の形が崩れて紅の炎が血の海を蒸発させんばかりの勢いで燃え盛る。


それを眺めて、カイルはぽつりと独白した。


「悪いな」


カイルは弛く首を振ると、


「あんたらには、俺が大切な人達を守る為の礎となってもらう」


人が焼ける臭いを気にもせず、一言一句はっきりと言い放つ。


「あんた達の犠牲を俺が背負おう。敵とはいえ殺したんだ、あんた達の分まで生きて、戦い抜いてみせる。それが殺した者の務めだ」


眼前で燃え盛る深紅の炎。教会ごと燃やしているのではなく、血と肉片のみを焼き尽くす紅き煌炎に、カイルは宣誓するかのように断言した。


「――あんた達の犠牲は無駄にはしない。この戦いで死を知り、俺もあいつらのように真の戦士になれた。感謝するぜ、あんた達のお陰で漸く俺は本当の戦場に立てるようになったんだからな」


――もう、躊躇いはしないさ。


そう呟くと、カイルは煌々と静かに燃える深紅の炎を微動たにせず眺めていた。


暫時、そのまま動かなかった。



―――――――――――


カイルが決意を示している頃、俺は教会の地下に居た。


教会の女神像が鎮座している台座の後ろに隠し階段を発見し、そこを降りてきたのだ。


螺旋式の階段は狭く、大人一人通れる程度の幅しかなかった。壁には蝋燭が幾つか灯されているが、気休め程度にしかならない。


しかし卓越した身体能力を有する"覇者"後継者の一人として、薄暗い階段を何の苦にもせず俺は軽々と降りていく。


螺旋階段を降り始めて何分経っただろうか。未だに終わりは見えてこない。


教会に地下があること自体は別段珍しいことでもない。これは純粋な信者達が祈りを捧げる為のまともな教会でも、裏で色々悪事に手を染めている教会でも同じことだ。


教会で奉られているのは、如何なる神格の持ち主であれ天上の神々が殆どだ。例外は死後の世界を治めると言われる『冥界神』の系列のみで、その他の神……『魔神』や『邪神』、『禍津神』といった神を信仰対象にしている教会は当然と言うべきか存在していない。


いや、あるにはあるのだが、それらは俗に言う狂信教の類いで、正規に認められている信教ではないのだ。


故に、悪神系列の神は少なくとも一般の信仰に於いては全く信仰されていないと言っても過言ではないのだが、実は違う。


元々教会と言う場所は天上の神々に祈りを捧げると同時に、悪神系列の神々も同じ神族として例外なく敬う場だった。


その為、地上には天上の神々に祈りを捧げる場を、地下には悪神系列の神々にも敬意を払う場を設けたのが教会の始まりだ。


如何に悪神とはいえ、偉大なる神々には違いない。それに一部の悪神に到っては、他の神話体系からしてみれば元は守護神だったりする――例を挙げると、戦争で負けた国で信仰されていた神が貶められたりした場合そうなる――のだから、多少の差はあれど敬って当然のこと。


教会の創始者は、そんな考えのもとに教会という場を設けたのだ。


教会で天上の神々に祈りを捧げるということは、その当時悪神系列の神々にも敬意を払うことと同義だった。


それは公共の場にも伝わっており、衆知の事実だったのだが……、時が経つに連れて、いつしかそんな考えは消えてしまっていた。


今では、悪神は悪神として敬う者などおらず、地下もただ単に他の教会が地下に部屋を持っていたから作った、レベルの話まで落ち込んでいる。


親の心子知らずとは言うが、まさにこの事だと思う。


そんなこんなで、教会に地下室か何かがあっても何らおかしくはないのだが――この教会の地下は何かおかしい。


まず第一に、底が深すぎる。既に地下五十メートルに達しているのに、未だに終わりが見えてこないとは何事か。


次に、地下に潜ってからと言うものの、感知系の魔法が正常に発動しなくなった。樹海で方位磁石が狂うように、知覚領域が乱れているのだ。


そして最後に――なぜ『神殿化』などしているのだ、この教会の地下空間は。


これは俺自身途中で気付いたことなのだが、この教会の地下がある種の聖域と化しているのだ。


この場合、この教会の地下空間が神殿を成していると見た方が正しい。しかしなぜそんな御大層なモンができてるんだか。これじゃあまるで――


「……まるで邪神か何かが降臨している様ではないか……」


場所が地下なだけに、天上の神々が降臨してきた可能性は薄い。となれば、条件的にバッチリ当てはまるのは悪神系列の神々くらいのもの。


しかし、悪神系列の神々を降臨させるには多大な供物が必要となる。例え今回拐われたガキどもが供物として捧げられていたとしても、邪神招来には全然足りていない。


はっきり言って、ガキどもを供物にしても何の足しにもならないのだ。先に大量の供物を捧げていたのならともかく、その様子も見られない。


そもそも、それならこんな中途半端な神殿化などしていないだろう。地上にまで聖域が広がっていき、降臨した悪神系列の神が好き放題していたはずだ。


それを思考の内に捉えて考えると、ガキどもはそれとはまた違った目的で連れてこられたという結論に達するが、この線も本当にそうなのか怪しいものだ。


あらゆる可能性を含んだ思考の果てに、問題が原点回帰してしまった俺は、思考するのをやめた。


この際、余計なことを考えるよりも斬り込んだ方が正解だと見なしたからだ。


諦念の境地に達したとも言える。


俺は階段を降りる足を速めると、ただひたすらに底を目指した。


それから更に十分後――漸く俺は底に到達した。


もはや自分が地下何メートルにいるのかすら分からない。それだけ深く降りてきたのだ。


途中、神殿化の影響が薄い場所で瞳術『叡知の瞳』を発動した結果、やはりと言うべきかこの螺旋階段は距離的概念を弄られた形跡があった。


その所為で螺旋階段が異常に長かったのだろう。俺はそう解釈すると、神殿化の影響が薄いその場所一帯に〝破壊〟の〝絶対概念〟を魔力に乗せて撒き散らし、距離的概念を打ち消してやった。


結果、螺旋階段は元の長さに戻り、今に至るというわけだ。


「――居るな」


感知が正確にできるようになった俺は、目の前にある木製の扉の向こうに地上でも感知した複数の子供の気配を感じた。


数は四十人ほど。総じて催眠系の魔法に掛かっているようだが、『絶対禁忌』の魔力は感じられない。地上でも念入りに探ってはいたが、ここまで近くに来て『絶対禁忌』の色を感じないとなると、拐われた子供達は確かに無事みたいだな。


ただ、子供達のさらに奥の方から妙な力の波動を感じる。現時点でも十分に強大な力が伝わってくるが……。


これは……余力、だろうか? この力の波動の主がまだ真の力を解放していないような、そんな感じがする。


そして何より、俺はこの奇妙な力の波動に覚えがあった。今もひしひしと伝わってくるこの力の波動、その本質の部分が、エキドナのそれと共通する点があったのだ。


この瞬間、俺の中で点と線が繋がった。


『子供』『神殿化』『エキドナと共通する点のある力の波動』。これらのキーワードから導き出される答えは……。


「『神格降臨の儀』か……!」


俺は唸るようにそう洩らした。


『神格降臨の儀』。この言葉自体は先程から幾度となく脳裏を過っていたが、その度に打ち消していた。


何故なら『神格降臨の儀』とは本来もっと多くの人数、それこそ数千単位の信者達が一週間ぶっ続けで儀式場で祈りを捧げて初めて成功するかしないかという儀式で、条件的に合わなかったからである。


しかし現実には、どういうわけか『神格降臨の儀』が成っており、何の神だかは知らないがどこぞの神格が降臨している。


……なぜ『神格降臨の儀』が成ったのかは分からないが、手法だけは分かる。


恐らく、子供達の純粋な祈りを供物として扱ったのだろう。子供とは純粋な生き物だ。何か一つのことを信ずることにかけては一流とも言える。


例を挙げるとすれば、幼くして銃を握らされ戦場に送り込まれる子供のゲリラ兵なんかが分かりやすいか。


ああいうのは洗脳によって成り立っていると言っても過言ではない。『君達は銃を握って戦いに行くのが普通なんだよ』とか、『あいつらは悪い人だから、見つけたらその銃で撃つんだよ?』とか、日々刷り込まれていれば大抵そうなる。


子供の純粋無垢な性質を最大限利用した、素晴らしい戦術だ。何せ、子供だからと敵を油断させた所をズドン……だからなァ。


それが叶わなければ、爆弾を括り付けて敵陣で自爆させるのも良い。


なァ? こうして例を挙げてみると、『子供』と言う名の道具って意外な活用法がてんこ盛りだろォ?


最初に考え付いたヤツって相当頭が良いよなァ。それプラス、きっと子供が嫌いで子供が好きなんだろォぜ。矛盾してるが、多分間違いはねェだろ。ま、聞く人によるがなァ。


……とは言え、ことこの件に関しては、俺ァそう思うだけで実際に行動に移したりはしねェがなァ。だって俺、孤児院に居たから子供はわりと好きな方だし。


と、まぁこんな感じで子供とは恐ろしいほどに純粋なんだ。


それゆえに、『この神様はとても善い神様だから、祈れば良いことがあるかもね』なんて吹き込めば、神父顔負けの祈りを捧げるだろうさ。催眠系の魔法で洗脳なんてすれば尚更だ。


多分この考えで正しいと思うんだが……だとしたら一体どんな手段で儀式を成功させやがったんだ?


エキドナのように、既に現界している神を呼び出すのとはわけが違うんだぞ?


そこまで考えて、俺の脳裏にとある手段が浮かんだ。この方法なら、確かに……。


「――! いや、まさか……な」


俺は、首を振って直ちにその方法を脳裏から消そうとした。


これは常識云々以前に、確率的な問題で流石に有り得んだろう……! 『神の遺骸を媒介となる聖遺物にしている』など!


そう分かってはいる……分かってはいるが……。


「今まで、有り得ないことばかり見てきたからな……」


ファランから力を受け継いでからというもの、数多の非常識且つ理解不能な出来事に遭遇してきたんだ。少しでも可能性があることは起こりうる事態だと認識した方が良いだろう。


――もしそうだとしたら、エキドナクラスの敵を相手にすることになりそうだ。


瞑目すれば、目蓋の裏に甦る敗戦と胸の内に去来する苦い想い。エキドナの圧倒的な力の前に、手も足も出なかったあの時の記憶。


だが、俺の戦意が鈍ることはなかった。むしろ、敗戦の記憶がさらに戦意を増大させていく。


――上等じゃねェか。


前回は光速の速度域に反応できずにまともに戦うことすらできなかったが、今の俺は違う。


光速に到達できなくとも、亜光速の速度域に在れば十分反応することは可能だ。カウンターも織り交ぜれば敵を打倒することすらできよう。


――ならば、迷う必要はどこにある? 少しでも可能性があるのならば、何処までだって往こうじゃないか。己が覇道を!


「……相手は違ェが、再戦といかせてもらおうじゃねェか」


もはや口調を作ることすらせず、昂りのままに言葉を紡ぐ俺。その心の赴くままに、俺は眼前の扉に手をかけた。



―――――――――――


扉を開いてまず視界に入ったのは、石造りの床に言葉もなく立ち尽くす四十人ほどの子供達だった。


その瞳は虚ろで生気は感じられず、洗脳の色を浮かべている。


俺が子供達に近寄っても敵の気配に動きは見られず、俺はまだ見ぬ敵を警戒しつつも子供達を見下ろした。


……ここは先に子供達を避難させるべきだな。


冷静に判断を下すと、俺は子供達の洗脳の主導権を奪い取ることにした。下手に洗脳を解いて騒がれるよりは、こうした方が良いと思ったからだ。


カイルの手で洗脳していた術者が殺された所為か、案外あっさりと奪い取ることができた。これで子供達の支配権は俺にある。


俺は、子供達全員に一人ずつ結界を張ると、カイルに念話で語りかけた。


《カイル。頼みがあるんだが》


すると、一拍間を置いて返事があった。


《……レオンか。どうした?》


《子供達を発見した。全員無事だったぞ。ただ、洗脳は主導権を奪っただけでまだ解いてないからな。勿論、何でかは分かってるよな?》


確認するように問い掛けると、カイルは肯定の思念を返してきた。


それに満足した俺は、洗脳の主導権が俺に変わった為か俺の周囲に集まってきた子供達を一瞥してから、カイルに念話を飛ばした。


《じゃあ、今から子供達をお前の方に向かわせるから、俺が地上に戻るまでの間子供達のことは頼んだぞ。子供達には一人ずつ結界を張ってあるから、子供達だけで向かわせても問題ないはずだ。

……もうすぐ魔族の軍勢が来ると思うが、子供達のことを思うなら無理に戦おうとはせずに防御に徹してくれ。

先に言っとくが、こっち(地下)に残しとくってのは無理だ。……神殿化が解けた今なら、お前も感じているだろう?

この、絶大な力の波動を》


《神殿化だか何だか知らないが……確かに強大な力の波動が伝わってくるな。だけどお前には勝算があるんだろ? なら、それについては今は何も言おうと思わねぇよ。

しかし、魔族の軍勢が来るってのはどういうことだ? 今のところそれらしき気配は感じないぜ》


怪訝そうなカイルの声に、俺は吐き捨てるように思念を送った。


《誘い伏せだ。前回エキドナの件で同じことをされたから、今回は事前に分かってたんだよ。まぁ、ちょっと想定外なことはあったがなァ……》


視線を力の波動を感じる方に向けて言う俺。明確な姿は未だ顕れず、地下儀式場には俺と子供達の姿しかないが……空間を満たす不気味な力の波動が、敵対者の存在を示している。


まだ姿を顕さんか……。子供達を逃すのは構わないということか……?


フードの下で眉をひそめる俺だったが、とにかく今はこちらが先決だ。


《誘い伏せ? 誘い伏せっつーと、確か……こちらに大した戦力が揃っていないように見せ掛けて、敵が攻め込んで来たところを伏兵を以て殲滅するっつーアレのことか?》


《そうだ。単純だが、かなり効果的な戦術だぜ。敵は恐らくそれを狙ってくると俺は見ている》


《だけどよ、敵の気配は微塵も感じられないぜ? こうして周囲を見渡してみても敵影は見当たらないし、辺りは拓けた平原だ。伏兵なんて成立しねぇだろ、こりゃ》


《それを可能にしてくるのが魔族ってヤツさ。現に俺も煮え湯を飲まされたことがある》


その時のことを思い出してちょっと不機嫌そうに語り掛けると、カイルは笑いの思念を飛ばしてきた。


《ハハハハッ。『経験者は語る』ってヤツか、なぁ?》


《そ。だからテメーも油断せずコトに当たれ。いいな?》


《はいよ。任せとけって》


承諾の意を示すカイルに、俺は早速子供達を地上に向かわせつつ、念話を切る前に思念を送った。


《……悪ィな。人を殺すことを強制した直後にこんなこと頼んじまって……》


《……気にすんな。実は、カレンにその話を持ち出される前から、人を殺すということについて考え始めてたんだよ。そして"覇者"後継者として生きていくんなら、どうしても避けられねえことだって分かってたんだ。

むしろ渡りに船だったぜ。これは、俺にとって必要なことだった。そう思ったからレオンは無理にでも行動を起こさせたんだろ?

……聞いてるぜ。お前が殺しを知らない俺やカレンのことを、頭を悩ませて必死に考えていてくれたってことはよ》


笑みを含んだ声音で言われ、俺は苦々しい表情をした。


神経を敵の力の波動に集中させていても、羞恥に頬が赤くなるのが分かる。


《……別に、そんなんじゃねェよ。っつーか誰だ、そんな世迷い言を吐かしやがったのは》


それを誤魔化すように問いを投げかける俺。俺がそれを相談した相手で、カイルにバラしそうなのは……ユリウスか? ユリウスなのか?


などと疑心暗鬼に陥っていると、カイルが想定外の人物の名を出した。


《お前の臣下を名乗るサイスって人から聞いたぜ。『我が主は、貴方のことを一人の戦士として案じて居られる』……って感じでな》


……ッ。まさかの人物からの情報である。サイス……サイスゥ! 何故そんなことを言ってしまったんだァ!?


《おおっと、サイスさんを悪く思うなよ。あの人が前以て話してくれていたお陰で俺は、人を殺してもこうして平然としてんだからな。

ま、人っつーか魔族だけどな。同じようなもんか》


……。サイス、お前……まさかそれを見越して……。もしそうなら、相当なお手柄である。生きて帰ったら褒美を取らせないとな、主君として。


……あっやべ、さりげなく死亡フラグ立てちまった。しかも自分に。


《お。子供達が来たぜ。大体四十人は居るけど欠けた子はいないよな?》


《ああ。ちゃんと全員お前の所に行ってるぜ。じゃ、後は頼んだ。こっちはこっちで……やっとやる気になったみてェだからなァ、敵さん》


子供達が全員地上に脱出したと同時に、姿なき敵の気配に動きがあったのを察知した。


地下室全域に広まっていた力の波動がみるみる内に収束を始め、やがて白い光の繭を形成する。


《――ッ!? 何だこのバカげた力の波動はッ! いきなり膨れ上がったぞ!?》


絶叫に近い強い思念が、地上に居るカイルから飛ばされてくる。当然か。ついさっきまではまだ戦えないことはない程度の力の波動だったのが、突然数倍に跳ね上がったんだからな。


力の波動はそれを放つ者の力量を如実に表す。故に、カイルも理解しちまったんだろォな。このままだと、戦って負けるのは俺の方だと。


――だが。


《撤退しろ、レオン! そいつはいくらお前でも荷が重いんじゃないか? 現に、力の波動はお前と比べても遜色ないんだぞ!?

今でも上昇してる真っ最中だってのに!》


《断る! 確かにこのままだと俺の力を上回るだろォな。だがなァ、まさかとは思うが、お前は今の俺の力が本気だとでも思っているのか?

だとしたら、それは見過ごせねェ油断ってヤツだぜ、カイルよ》


俺は前回、エキドナに無様な敗北を喫した。それは揺るがぬ事実だし、言い訳のしようがない圧倒的な敗北だったさ。


――しかしだ。エキドナ戦での敗北をきっかけに、俺はさらなる超絶の鍛練に取り組んだ。しかもその相手となったのは旧世代最強の覇者と、魔界最強の一族にして血族の女王たる者だぞ?


そんな神話クラスの化け物二人に鍛えられて、何の進歩もしてないとでも?


《俺をナメるなよ、カイルッ! 今の俺は、かつてよりさらに強いぞっ》


言い切ると同時に、内なる力を解き放つ。途端、増大していく俺の力の波動。


俺は基本、苦戦はしても戦いで負けることはよほどのことがない限りありはしなかった。


ファランやノヴァと言う例外はあるが、少なくとも本当に敵として向き合ってきた奴等にはいつだって最終的には勝利を収めてきた。


虚世の空間での『闇の覇者』との僅かばかりの邂逅は、俺の中では負け同然だと思っているが、論理的に考えればそもそもまともにかち合ったワケじゃないので、いくら俺が負けを認めていても第三者の目から見て、アレが「負け」に見えるかは人により違う。


だが、エキドナとの戦いでは違う。誰の目から見てもまごうことなき、完膚なきまでの敗北だ。


だからこそ、俺はさらなる力を求めた。そして、これがその成果だ。あくなき力への渇望こそが俺を強くするッ!


力に溺れた結果討たれるのは、例外なくその力を把握し、制御し得なかった者達だ。と言うか、力に溺れて最期まで戦い抜けるヤツなんて、どんな世界だって極少数だ。


その点、俺も怪しいところだが、俺はその数少ない例外に属する自信があるぜッ!


力とは、溺れてこそ意味があるッ! 問題なのは、力に溺れてもなお自らを高めることに対する意欲を失わず、先に進んでいけるかだ!


俺が内なる力を解放したことにより、俺を上回って上昇し続けていた敵の力の波動と俺の力の波動が、今度こそ拮抗した。


《なっ……底が見えねえ。レオンお前、何だその力は……!》


《日々積み重ねてきた鍛練の成果だ。さて、これでも何か文句があるのか? っつっても、敵が動きを見せた時点で既に退路なんてねェンだがなァ》


からかうように言ってやると、カイルは今になってそれに気付いたのか、気まずげな思念が伝わってくる。


《言われてみりゃそうか……なら、もう止めようとはしねえよ。――健闘を祈る》


《クハハハハハッ! 任せておけ、必ず勝利を収めて見せようじゃねェか!》


そのやり取りを最後に、念話が断たれた。俺は念話に向けていた思考を敵に戻して、光の繭に話しかけた。


「さて、どういうつもりで童達を救出するのを見逃したのかは知らんが……そろそろ姿を見せたらどうだ?」


『…………』


返答はなかった。しかし光の繭はゆっくりと綻び始め、光の粒子と化して虚空にその姿を崩れさせていく。


次第に、薄くなった繭の中にシルエットが浮かび上がってくる。この起伏に富んだ身体のラインは……女か。


つまり、こいつは女神。問題は何を司る神なのかだ。それにより、戦い方が変わってくる。


そして遂に、光の繭が完全に取り払われ、中から一柱の女神が現れた。


エキドナのように、下半身が大蛇の姿をしてはおらず、完全に人形の女神だった。美しい裸体を隠すことなく曝している。ただ一つ人間と違うところがあるとすれば、灰色の翼が一対背中から生えていることくらいだ。


しかし、俺はそれよりも女神の瞳を注視していた。女神の真紅の瞳の瞳孔の部分が、縦に裂けていたからである。


このことから、俺はこの女神が竜蛇に深い関わりを持つ神格だろうと予測していた。


この時点で、俺の脳裏に一つの神名が浮かび上がっていた。竜蛇と深い関わりを持ち、灰色の翼を持つ神格といえば、真っ先に浮かぶ神名である。


しかし、そうだと断定することができなかった。なぜなら女神の髪の色が紫であり、何より女性の神格であった為だ。


俺が考えている神名の神は、灰色の翼に灰色の髪を持つ、男性の神格だったからだ。つまりは男神。女神ではないのだ。


いや、同じ神名を持つ女神なら、珍しいが探せばいると思う。だが、それは本当に珍しいパターンで、しかも例外なくこのルーレシア世界から恐ろしく遠い世界を探さねば見つけられないだろう。


それほど稀少なのだ、この神名を持ちながら女神である神格は。少なくとも、こんなところに気軽に顕れるような存在じゃない。


正体不明の女神の神格を見破ろうと、目を細めて観察する俺。


先ほど子供達を脱出させるのを見逃してくれたように、このまま神格を見破るのを待っててくれるのではとほんの少しだけ期待した俺だったが、それとこれは別らしい。


俺をじっと見つめていた女神の真紅の瞳に、確かな戦意の光が宿った。俺がそれを認識した次の瞬間、女神が石造りの床を蹴りつけて襲いかかってきたからだ。


紫色の長髪が揺らめき、瞬時に俺の眼前に体勢を低く構えた女神が躍り込んできた。その手には、鮮やかな紫色のオーラを放つ光剣が生じている。


勿論、俺もそれを迎え撃とうと、女神が踏み込んだ瞬間に同等の速度域に突入しており、禍々しい蒼銀のオーラを纏った黒刀を上段から振り降ろしていた。


双方、音速を遥かに超えた速度で刃を相手に叩き込もうと、片や光剣を斜め上段へ振り抜き、片や刃を上段から振り降ろす。


刃がぶつかり合った余波で地下室が激震するが、神殿化している為に崩落することはなく、互いに気にすることなく刃を引いて、回転しながら敵に二の太刀を叩き込む。


ガキィィィン、バチバチバチバチバチッ!


けたたましい金属音の後、互いが持つ得物に籠った力が反発し、放電音にも似たものを立てると同時に、俺と女神を中心として衝撃波が放たれる。


俺は鍔迫り合いながら右足を持ち上げ、女神の鳩尾目掛けて膝蹴りを叩き込んだ。


それを女神は後方に跳躍して躱し、俺と女神の間に距離が開く。


今の攻防で、俺はあることを察知していた。


この名も知れぬ女神、どうやら力を発揮できていないようだ。


いや、発揮できていないと言っても、ファランやエキドナのように何らかの制約があって力を出し切れていないわけではなく、こいつの場合力はあっても身体の方がついていけてないと言う方が正しい。


現界して間もない為、本来のスペックを発揮できていないのだろう。どうやら女神もそれを痛感しているらしく、形の良い眉をひそめていた。


しかしそれも一瞬のことで、すぐに開いた距離は零になる。


今度は全く同じタイミングで間合いを詰めた俺と女神の刃が、互いの急所を狙って振り抜かれ、また迎撃していく。


それは次第に激しさを増していき、女神が力に慣れていくに連れて俺も徐々に力を解放していく。


遂には亜光速の速度域に到達し、その時には俺も神器再現状態に入っており、自らの内で渦巻く悪意を糧に魔力を増大させ、〝絶対概念〟や宝具の解放まで並行して戦っていた。


複数の力の同時行使に脳が焼き尽くされ、心臓を起点に全身を耐え難い苦痛の波が襲うが、歯を食い縛ってそれを堪え、力を揮う。


「――来たれ、冥府の底より闇冥から」


俺が紡いだ言霊に呼応し、俺の左手に二頭の蛇が絡み合った装飾の黒い杖が顕現した。蛇はそれぞれ青と黒の宝玉をくわえており、杖からは膨大な魔力が滾々と湧き出ている。


それを石造りの床にカツッ!と高らかな音を立てて突き立てると、俺は叫んだ。


さぁ、思い知れッ。対界宝具の力をッッ!





「冥道の神威を示せッ! 『大地割き裂く闇天の冥征(レイペルディオス・ハーデス)』ッ!」


俺がその杖の真名を告げると、杖をついた場所に青黒い不気味な穴が出現した。


発動させまいと間合いを詰めてきていた女神の顔が引き攣った。発動までに間に合わないのを本能の部分で悟ったのだろう。


攻撃するのを止めて、紫色の障壁を自分を覆うように無数に張り巡らせ、防御の姿勢に移る。


直後、音もなくすぅっと青黒い線が地下室を半々に分けるように走った。


無音の内に起こった、不可解な光景。それが意味することを、しかし女神は理解していた。


――次の瞬間、大地が割れた。


冗談ではなく、青黒い線が走った場所がまるで巨大な刃に裂かれたように割り砕かれていき、みるみるその規模を広げていた。


神殿化により干渉されることのないはずの床が割れた。大規模に、今もなお大地を裂き割きながら。


その宝具の力は完全に神殿化の力を越えており――。


地下室を崩壊させ、宝具を解放した俺は勿論、見事対界宝具の神威から生き残った女神は、地上へと飛び出していった。



―――――――――――


一方、地上ではカイルが一万を越える魔族の大軍を相手に、孤軍奮闘をしていた。


とは言うものの、カイルはレオンの忠告通り守りに徹しており、必要最低限の攻撃しかしていなかった。


それを弱気と見たのか、魔族達は勢い込んでどんどん攻撃してくる。それをカイルは、ドーム状に展開した紅の炎の壁の中から眺め、ため息を吐いた。


「いやはや、まさか本当に伏兵があるなんてなぁ……」


レオンの読み通りの展開になった現状を見て、その先見の明に感心せざるを得ないカイル。


あいつって本当、戦いに関係することだけは鋭いよなぁと思う瞬間である。なぜそれを他のことにも活かさないのか。


ともあれ、こんなことを考えていられるだけの心理的余裕を持ち合わせているように、魔族達の思惑とは違ってカイルは敵の攻撃を何の苦にもしていなかった。


積極的に攻撃しないのは、同じく炎の結界内に居る子供達の為にただ単に専守防衛に徹しているだけで、実際カイルは余裕だったのだ。


炎の結界にしろ、ドーム状に展開しても酸素が全く消費されない特別製の結界だ。魔族の攻撃も物ともしておらず、安全面はほぼ完璧と言ってもいい。


そこでカイルは、牽制程度にと一発デカいのを放とうとした。


「煌々たる紅の台座よ、闇を切り裂く静閑に燃ゆる炎を疾く顕せ! 【エストラー……】」


いざ魔法を放とうと、右手を魔族の方に向けて魔力に指向性を与え、魔法名を詠唱しようとした時だった。


「――ッッ!?」


不意に足元からゾワリとした何かを感じた。正確には、先ほどから不可解な力がぶつかり合っている地下からだ。


カイルが思わず詠唱を途中で中断したのと同時に、それは起きた。


――ピシッ……パキパキパキ……


前方……それもちょうど魔族の大軍が居る辺りに、魔族の怒号に紛れてそんな音が聞こえてきたのだ。


カイル以下、それに気付いた者達は戦いの手を止めて何事かと自らが立つ地面を見下ろし――。


ドオォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!


突如、大地が上に吹き飛んだ。比喩ではなく、"覇者"後継者の視力を以てしても果てが見えないほど大規模な地割れが生じたのだ。


下から上へと迸った謎の力が、地中から大地を割き裂いたのだ。


これだけでも十分損害を受けていた魔族達だったが、災厄はまだ終わらない。


青黒い力の奔流が地割れの中から立ち上ったと思うと、地割れがさらに規模を増していき、ある者は反応できずに裂け目の中に呑み込まれていき、ある者は自前の翼や魔法で空中に逃れても、裂け目から滾々と湧き出てくる力の奔流が齎す衝撃波に襲われ、僅かな肉片すら残さずこの世から消滅した。


幸い、恐らく当事者がそのように調節したのだろうが、カイルと子供達が居る場所だけは亀裂が広がってこず、被害はなかったが……カイルは無意識の内に喉を鳴らしていた。


――こんなことができるヤツが居るとすれば、この空間に二人しかいない。


一人は、地下でレオンが対峙していた何者かだ。あれほどの力を持っていれば、多分可能だろう。


もう一人は、レオンだ。あいつは、不可能だと思われることを可能にするだけの力がある。現にレオンは、地下で対峙していた何者かと同等の力を有しているのだ。


そして、この現状を生んだのは間違いなく後者だ。今もなお大地を引き裂いている青黒いオーラから、カイルは確かに戦友の魔力を感じていた。


と、その時、崩落していく大地から紫色の何かが飛び上がっていくのを見た気がした。


気がしたと言うのも、一瞬視界に紫色の残像が入ったかと思った時には、既に視界には崩落する大地しか写っていなかったからである。


(――気のせいか?)


そう思ったカイルが視線を余所へ向けようとした時、移ろいゆく視界の端に蒼銀に煌めく黒影が見えた気がした。


(――今のは)


今度ばかりは気のせいで済まされなかった。またもや一瞬のことだったが、あの蒼銀の黒影だけは間違いようもない。


カイルの思考がそこに及んだ時になって、漸くカイルは大気を震わす莫大な力の波動を知覚した。


ハッとして上空を見上げてみれば、黒天を背景に一対の灰色の翼を生やした、美しい色白の裸体を曝した紫色の長髪の美女と、神器と化した黒刀を片手に蒼銀のオーラを纏ったレオンの姿があった。


(――何やってんだ、あいつは!?)


突然地下から姿を現したかと思えば、全裸の美女と空中で対峙するレオンを目にして、思わず罵声をあげそうになるカイル。


しかし、レオンは戦闘中に女の衣服を剥ぎ取るような男ではないことから、あの美女は元から裸だったのだろうと推測する。


――なんて羨ましい。


真剣な戦いをしている真っ最中であろうレオンと謎の美女を見上げて、不謹慎にもそんなことを考えてしまうカイル。


仮面の下で、タラリと鼻血が顎を伝ったのが自覚できた。


と、そこで正気に戻ったカイルは、先ほど目にしたことを思い出した。


〝蓮獄の炎帝〟としてのカイルは、戦闘中は勿論自分の知覚領域内で戦闘の気配があれば、反射的に音速を遥かに超えた速度域に突入している。


それゆえに体感時間も長くなっており、それに応じて身体の方も超音速の速度域での行動が可能だ。


――だってのに、何であの二人が地下から上空へ飛翔したのに気付けなかったんだ?


カイルが上空に居る二人に気付いたのは、上空から二人の力の波動を感じたからだ。だが、上空から力の波動を感じる直前までは二人の気配は確かに地下にあった……。


しかし、その僅かな間に何も妙なことはなかったわけでもない。なぜならカイルは目撃していたからだ。二人が地下から飛び出して来るところを。


――そう。先ほど視界に入った紫色の何かがあの美女の長髪で、それを追うように飛び出してきた蒼銀の黒影がレオンだとすれば、全て納得できるのだ。


まさか、とカイルは上空で対峙する二人を見上げた。紫髪紅眼の美女のプロポーション抜群の裸体が視界に入り、またもやブバッと仮面の下で派手に鼻血を噴出するが、構わず視線を上空へ投げかける。


まさか、そんなバカな――そう思い見上げる視線の先で、二人が同時に間合いを詰めた。


否、間合いを〝詰めていた〟。


初動が視えなければ、攻撃の過程すら視えなかった。超音速の速度域に突入していたカイルが、だ。


(なっ――!?)


カイルは驚愕し、言葉を失う。どういうことかは薄々理解していたが、実際に目にすると驚きを隠せなかった。


"覇者"後継者の中でも最速で知られているロイの動きは、まだ目で追えるものだった。超音速よりもさらに上の雷速でも、超音速の速度域に在れば十分に対応できるのだ。


しかし、今レオンと謎の美女が見せた速度は、雷速だなんて生易しいものではなかった。


亜光速――。そんな言葉が、カイルの脳裏に浮かんだ。


呆然とするカイルを余所に、空中をまるで地面に足を着いているかの如く自由自在に舞うレオンと美女。


カイルの目はその動きに追いついておらず、刃を打ち合わせた時と魔法を放った時の姿しか視えなかった。


レオンが地上近くで美女と鍔迫り合っていたかと思えば、遥か黒天の彼方で蒼銀に光り輝く巨大な竜巻が巻き起こり、それを紫色の光線が撃ち破る。


広範囲に渡って点々と現れては消え、レオンと美女はその度に超常の攻防を繰り広げる。


大地は砕け、空は割れ、空間を無数の剣戟と無数の魔法が飛び交い、さらにはレオンの宝具と美女の宝具らしき物まで解放され始め、戦いは苛烈さを増していく。


何故自分と子供達だけは無事なのか、カイルは不思議でならなかったが――周囲を見回していて、気付いた。


カイルの展開した炎の障壁の回りだけ、地面に円が描かれていたのだ。


コンパスで描かれたようなその線は蒼銀に輝いており、どんな効果があるのかは分からないがそのお陰で自分達が無事なのは明白だった。


どうやら、レオンにはこちらを確認する程度の余裕はまだあったらしい。こうして何らかの術式を自分達の周囲に展開している辺り、レオンの視野の広さが伺える。


――あんな次元の違う戦いをしていて、周囲を気遣う余裕があるのか。


そう思うと、頼もしく思う反面悔しさが湧き上がってきた。戦友はいつの間にあそこまでの力を付けたのか。


カイルは壮絶な戦いを繰り広げるレオンと名も知れぬ美女を見つめ、拳を握り締めた。


――待ってろよ。いつか必ず、俺もその域に到達してやる。


――などと、固く心に決めたカイルであったが。


ちょうどその時、レオンの剣戟と拮抗して動きを止めた謎の美女の一糸纏わぬ肢体が視界に写って、再び鼻血を噴出させるのだった。



―――――――――――


空中での戦いは激化する一方だった。


今や女神も宝具のような物を顕現させ始めていたが、いざ真名解放しようとするとそれをさせまいと俺が剣戟や魔法を以て邪魔をし、俺が宝具の真名解放を成そうとすれば、女神が光球を飛ばしてそれを阻止する。


何とも嫌な悪循環だ。まともに相手の宝具の真名解放を受けてしまえば、その時点で勝敗が付いてしまうので、互いになかなか思い切れずにいたのだ。


先程俺が宝具の真名解放を行えたのは、事前に威力の低い宝具を使用しておくというフェイントがあったからこそ、成立した攻撃だ。


だが、一度こちらにそれほどの切り札があると知られれば、それ以降は警戒されてしまうので真名解放することは困難だ。


あの時、女神に致命的な傷を負わせられなかったのが悔やまれる。やはり、不完全な状態で対界宝具など使用するべきではなかったか――。


決定打が無いわけではないが、それを放つことができない。これじゃあ画竜点睛を欠くのと同じじゃねェか、と舌打ちする俺。


俺は宝具の真名解放を一旦諦めると、剣と魔法での戦いに集中した。決め技に訴えるのをやめたわけではない。


――決め技が放てないのなら、絡め手も織り交ぜていくまでだ。


俺は右手で黒刀を操り、女神が揮う光剣の流星群の如き剣戟を凌ぎつつ、女神が光剣を突きの体勢で引いたその時を狙って、後方に向けて大気を蹴りつけ、後退しながら左手を女神に向けた。


追撃も兼ねて女神が光剣を突き出してくる。その切っ先が左手に食い込み、ブチブチと貫くのを無視して俺は叫んだ。


「『死境――【神威侵す蟲毒の封土】』!」


途端、女神を中心に異空間が広がった。血のような赤い瘴気が漂うその空間を女神は不快に思ったのか、その場に留まろうとはせずに俺の横を光剣を振り抜きながら通り過ぎようとする。


それに合わせて、俺は光剣の突き刺さった左手に魔力を集中して強度を上げ、光剣が左手を斬り裂くのを僅かに遅延させたところを、さらに黒刀を右から光剣に当てて左手ごと無理矢理振り抜くことにより、左手以外は斬られることなくやり過ごす。


左手を再生させつつ振り返った先で、女神が魔力を全方位に放出させて赤い瘴気を振り払っていた。


しかし、俺は頬を歪めて笑っていた。


この瘴気はどこに逃げようとも纏わりついてくる反面、膨大な魔力にものを言わせて振り払われたりされれば、あっさりと振り払われてしまう。


当然、瘴気は消えてしまうわけだが……。


――さぁ、布石は打たせてもらったぞ。


『――!』


「【エアリアル・サークル】」


声を立てずに笑うと、俺は紫色に煌めく灼熱の光線を風の障壁で防ぎ、戦闘を続行する。


女神も宝具(神具?)の真名解放を控えることにしたのか、戦法は光剣と魔法による攻撃に戻っていた。


灰色の翼を目一杯に広げ、亜光速で空中を滑空してきた女神は、俺との距離が残っているうちに左手から紫色の光線を放ち、袈裟懸けに凪いだ。


それを俺が避けると、光線は下にあった風景を焼き払い、大地に一直線の溶けた焼け跡ができる。


それを確認する間もなく、避けた方向に女神が現れ斜め下方から光剣を振り上げてくる。


それに対し俺は、光剣の軌道に沿うようにして黒刀を動かし、最大限に引き付けたところで黒刀を力任せに振り上げた。


俺の黒刀と絡むようにして上段に跳ね上げられる光剣。


それにより女神のしなやかな腹部ががら空きになり、俺はすかさず膝を持ち上げ、鳩尾に蹴りを叩き込んだ。


女神の肢体がくの字に折れ、呻き声と共に鮮血が吐き出された。


しかし女神は、腹部を襲っているだろう苦痛に構わず、上段に跳ね上げられていた光剣を旋回させて俺の上半身と下半身を背後から分断せんと、斬戟を放っていた。


無防備になった女神の背中に刃を突き立てようと黒刀を逆手に構えていた俺は、長大な黒刀を手の内で半回転させて元の持ち方に戻し、両手で柄を握り背中越しに黒刀を回して、腰の辺りを薙ごうとした光剣を受け止めた。


「ぐっ」


背後からの攻撃を防いだ俺は、腕に伝わってくる衝撃に表情を歪めた。


女神の筋力が凄まじかったのもあるが、それ以上に体勢が悪かった。


攻撃を受け止めた時の衝撃で、柄を握っていた両手から肩までの骨が耐えきれずに粉砕されたのだ。


絶え間無く両腕を襲う激痛。なまじ感覚が鋭い為に、感じる痛みも尋常ではない。


かと言って、痛覚を遮断するのは愚か者のすることだ。もし毒か何かを受けていたりした時に、痛覚を断っていた所為でそれに気付けなかったのでは話しにならない。


俺は歯を食い縛って苦痛を堪えると、負傷した両腕を魔力で強化して保たせながら左回転し、女神を後方へ受け流した。


バサッ、と翼をはためかせて旋回する女神。


俺の両腕の骨が再生するよりも早く追撃してくる女神を見て、俺は両腕の再生が済むまでは無理に黒刀を振るわず、魔法のみで保ち堪えた方が良いと判断した。


それにはまず、女神の突貫を遅延させなければ。


「捕えろ、【ヴィア・コールイリュストル】!」


俺の詠唱に呼応し、女神の進行方向に蒼銀の巨大な渦が出現した。


タイミングを読んで発動した甲斐もあって、女神は回避が間に合わずに渦の中に飛び込んでしまう。


すると、蒼銀の渦がその勢いを増し、女神を渦の中心部に閉じ込めた。これは捕縛系の覇級魔法で、渦潮と言うよりはブラックホールに近い魔法だ。


【ヴィア・コールイリュストル】は、内部に入り込んできた対象を圧縮して中心部に捕える効果を持つ。


並みの強者では逃れることはおろか、抵抗すら叶わないだろう。だが、あの女神は並みの相手じゃない。現に、既に渦が乱され始めている。


あわよくばこの隙に両腕が回復しないか期待していた俺だったが、どうやら女神は狙って俺の腕を粉砕していたらしく、傷の治りが遅い。


そうでなくとも、今相手取っている女神のような敵から受けた傷は治癒が遅れるというのに、これではもう少し時間を稼ぐ必要があるようだ。


両腕の治癒もそうだが、先刻打った布石の為にも……な。


「【エアリアル・サークル】」


俺は、蒼銀の風の結界を自分の周囲に多重展開した。


本当は【リジェクター・サークル】辺りを使いたいところだが、生憎【リジェクター・サークル】は術者に従属して移動してくる性能は低い。


分かりやすく説明すると、A地点からB地点まで術者が移動した時、障壁も術者を中心として展開されたまま、A地点からB地点へと術者の動きに応じてついてくる性能が低いのだ、【リジェクター・サークル】は。


そういった性能面まで含めて展開する防御魔法を脳内で探ってみれば、浮かび上がるのは比較的自由度の高い【エアリアル・サークル】だけ。


強度では【リジェクター・サークル】に劣るが、致し方ない。


そこは多少の消耗は目を瞑って多重展開することで補うとして、今は時間を稼がなくては。


俺が結界を展開し終えたところで、遂に女神が【ヴィア・コールイリュストル】を打ち破った。


蒼銀の渦が儚く消えていき、そこから女神が飛び出してくる。


その瞬間、俺は叱声を放つ。


「【エアリアル・クロムディンクション】ッ!」


蒼銀の風が螺旋を描き、球体を成す。その球体が水泡のように弾け、絶大な破壊力を誇る蒼銀の暴風を巻き起こした。


『……!』


流石にこれをまともに受けて無傷でいられる自信はないのか、女神は障壁を展開してこれを防ぐ。


女神が守勢に出たところを、俺は魔法をフルバーストさせて立て続けに攻め立てる。


本来なら、ここは宝具を顕現して真名解放といきたいところだが、両腕の具合を考えるとそれはできない。


やろうと思えばできるのだが、両腕がこの状態で真名解放などすれば、その反動に堪えきれずに大きく体勢を崩すことになるのは目に見えている。


最悪の場合、狙いが逸れる恐れすらある。どちらにせよ、今の身体状況で無理に真名解放を行えば、大きな隙を見せることになるのだ。


そうなれば命はない。例え宝具を発動できたとしても、今の俺の力量では女神を一撃で倒しきれないからだ。


――せめて片腕だけでも無事だったらこんなことにはならなかったのだが。


そう思わんでもないが、無い物ねだりをしても仕方がない。


『――――!』


障壁で身を守っていた女神の唇が動き、俺の識らぬ言語で言霊が紡がれる。途端、荒々しく渦巻いていた蒼銀の暴風がその勢いを弱めた。


それを見た俺は苦々しく呟く。


「風鎮めの言霊か……!」


風鎮めの言霊――文字通り、風や嵐を鎮める効果のある言霊である。


風の神や嵐の神など、『風神』の類いに括られる神々が持つ権能を抑える言霊で、遥か遠き異世界で巫女や魔女といった『言霊使い』の力を持つ者達が体得する術だが、まさかこの女神がそれを会得していようとは!


「厄介な……」


舌打ちしたくなる衝動を抑えられない俺。


完全に想定外だった。打ち消されるまではいかずとも、俺の魔法の威力は激減されているだろう。


それでもまだ十分過ぎるほどの威力は維持しているものの、それは相手が普通の上位魔族程度だったらの話だ。


蒼銀の暴風に押されていた女神が、障壁を解いて強引に突破してきた。瞬く間に俺の眼前まで躍り込むと、光剣を心臓目掛けて突き出してくる。


しかし、タッチの差で両腕が動かせる程度にまで再生が済んでいた俺は、黒刀を持ち上げてそれに対抗した。


下段から掬い上げるように振られた黒刀が、女神の光剣を弾く。予想よりも早く俺が治癒した所為か、女神が目を見開いて俺の腕を見た。


女神の完璧な舞いにも似た動きに綻びが生じる。それを見逃さず、俺は黒刀に魔力を注ぎ込んだ。


魔剣と化していた黒刀を覆う蒼銀のオーラが輝きを増し、大気を震わす力の波動が圧倒的な存在感を示す。


本能で危険を感じ取ったのか、女神が守りの体勢になる。それに構わず、俺は黒刀を振り上げる。


禍々しい蒼銀の光が集う。まるでその黒刀を照らし飾ることこそ至上の務めであるかのように、輝きはさらなる輝きを呼び集め、眩く束ねていく。


苛烈にして壮麗なるその赫耀に、それをいままさに受けようとしている女神と、地上で見守るカイルは言葉を失った。


かつて数多の世界を駆け抜けた覇者の一撃が、刻を超え甦る。


その力を誇りと掲げ、その覇道を往けと糾し、いま『風の覇者』後継者たる俺は高らかに、手に執る覇の刃を振り降ろす。


「覇者降臨――【ウェルムトゥリア・キュリアス】ッ!!」





光が奔る。


光が吼える。


風が乱舞する。


解き放たれた覇の理に、加速された魔力は暴風を纏う閃光と化し、亜光速の速度域に在ってもなお速度を失わぬ風光の奔流が、虚世の空間の黒もろともに女神を呑み込んでいく。


それは女神の障壁を揺るがし、女神を下へ下へと押し下げていく。勿論女神も『風鎮めの言霊』を唱えて抵抗はしているが、それでもなお女神は反撃に移れなかった。


蒼銀の光の向こう側で、俺は女神の顔に当惑の色がちらつくのを見た。当然か。何せ、魔力やら神気やらの出力が低下しつつあるんだからな。


『死境――【神威侵す蟲毒の封土】』。事前に行使したあの鏡属性魔法の境界の力が、漸く効力を発揮してきたのだ。


あれは、対象となる存在に対してその力を変える千変万化の魔法で、鏡属性と毒属性の魔法を混合した俺のオリジナル魔法だ。


と言うよりは、鏡属性の境界操作の力を基盤に毒属性を織り込んだと言った方が正しい。


指定した空間を境界操作の力で隔離し、隔絶された空間を蠱毒という手法の毒で満たす。それが『死境――【神威侵す蟲毒の封土】』の力だ。


あらゆる毒の情報を内包した素粒子を赤い瘴気として散布し、対象がそれに触れた時点でこの魔法は成立する。


対象となる存在に赤い瘴気が触れることが、この魔法を掛ける最大条件なのだ。


後は、対象に掛けられた術式の内部で無数の毒の情報が重なり合い、最終的に一つの毒を生み出す。


最後に生み出されたその毒は、この魔法を受けた対象に対して特に強い悪影響を及ぼすようにできている。


早い話が、魔法自体が対象に最も強い悪影響を及ぼす毒を検索し、それを調合するのだ。その過程で有力な毒だけを咀嚼し、必要のない毒は消去される。


その様は呪術として有名な『巫蠱の術』、『蟲毒の法』に近い。その為この名で呼ばれることになったのだ、この境界は。


毒が効力を見せ始めたことにより、女神は蒼銀の風光の奔流を押し返せずに押される一方だ。そしてそれは、宝具、神具の真名を唱えるには十分すぎる時間を俺に与えた。


俺の左手に真紅の光の粒子が収束する。集った光はルビーをそのまま槍の形にしたかのような、透き通った真紅の槍となり俺の左手に収まった。


自らの左手にあるそれをグッと握り、俺は投擲の構えをとった。


途端、真紅の槍が眩い紅の輝きを帯びた。そして一際強く輝いた時、俺はその真名を謳う。


「『勝利齎す必中の(グングニル)』!」





――一筋の光の矢が失墜する。


それは真紅の煌めきを中空に描き、先の蒼銀の風光を倣うが如く亜光速の速度域に在ってもなお疾く、己が敵の胸元へと駆け抜ける。


そして、真紅の光の矢と化していた槍の穂先は――弱まっていた女神の障壁を貫き、女神の左胸に赤い華を咲かせた。


女神の真紅の瞳が見開かれ、己の豊満な胸を見下ろした。そこに突き刺さる真紅の槍の柄にそっと触れて――最後に、上空で蒼銀の煌めきを後光の如く纏った俺を見つめた。


最期の刻を迎えようとする女神の瞳が、俺に何を見たのかは分からない。


しかし、うっすらと満足そうに微笑を浮かべると、弱々しく羽ばたいていた女神の灰色の翼は、その動きを止めた。


胸元に真紅の槍を抱いたまま、紫髪紅眼の女神は対界宝具によって断裂された大地の裂け目へと落ちていく。


麗しき女神と蒼銀の覇者による戦いの勝利の天秤は――蒼銀の覇者に傾いたようだ。



―――――――――――


「勝ったな……」


己が勝利を確信した俺は、ふわりと大地に降り立った。


それと同時に、カイルが駆け寄ってきた。俺がゆっくりと振り返ると、興奮した口調で言う。


「スゲェじゃねーかオイ! 覇者になってからと言うもの、どれだけ自分をいじめ抜いた!? 生半可な想いで鍛えられたものじゃないだろ、その力は!」


勢いよくまくし立てるカイル。その後さらに言葉を続けようとする前に、すかさず俺は口を開いた。


「まあな。少なくとも、尋常ではない鍛練ではあった。もう二度と、成す術もなくやられていくのは御免だからな。極論を言えば、それだけ力に対する想いが強かった、と言うだけなのかもしれぬが」


むしろ、これこそが真の理由だろう。しかしカイルは、それを聞いても気を悪くした風もなく笑っている。


「ハハハハ! 理由はどうあれ、それがプラスに働くんならもっと誇っても良いことだと思うぜ。俺もアレクに稽古を付けてもらってはいるんだが、こりゃ鍛練量を増やすべきかなぁ……」


しみじみと呟くカイル。しかし俺は首を横に振った。


「そう生き急ぐでない。自分に適した鍛練量でなければ、強くなるものも強くなれんぞ。汝は汝に合った鍛練を積めばいいさ」


いきなり鍛練量を増やしたとしても、それで身体を壊したのでは元も子もない。自分の体力面のことも踏まえて鍛練をすべきだろう。


かくいう俺も、その点だけは計算の内で鍛練しているのだ。それであの鍛練量と濃度なのだから、自分の事ながら恐れ入る。


「さて、……ここで戦争中だった魔族達はどうなったんだ?」


首を巡らせて周囲を見渡すもの、それらしき姿は見当たらない。まさか、俺が使用した対界宝具の力に巻き込まれて全員めでたくあの世逝きになった、なんてことはないよな?


試しに訊いてみると、カイルはため息を吐いて肯定した。


「そうだよ。さっきのバカみたいな力の炸裂に巻き込まれて、少なくとも見える位置にいた魔族達は全員オダブツさ。

いやはや……【覇者】を前にすると、命の重さがどうのとか考えるのがバカらしくなってくるな」


苦笑混じりに笑うカイル。俺はそんなカイルを見つめ、問うてみた。


「どうだ? "覇者"後継者として戦っていく覚悟はできたのか?」


「ああ。……魔族とはいえ、姿形は人と変わらねぇ。殺すのは正直辛いけどな……」


そこでカイルは籠手に覆われた拳を固めて、


「――自分が殺した者達の分まで生きる。それがせめてもの償いで、生き残った者としての責任なんだと、割り切った。もう、甘ったれたことなんて言わないさ」


そう言い切るカイルの雰囲気からは固い決意が伝わってくる。無理して言葉を口にしているわけではないと悟った俺は、フードの下でフッと笑った。


「そうか。では――改めてよろしく頼む、〝戦友〟」


右手を差し出して告げると、カイルは嬉しそうにその手を握り返した。


「おうよ。こちらこそ、よろしく頼んだぜ。〝戦友〟」


片やフードの下で、片や仮面の下で――純粋な喜悦のみを含んだ笑みを浮かべ合う。


斯くして、俺とカイルは真に〝戦友〟としての絆で結ばれたのであった。





「む……?」


事も済んだところで、救出した子供達を連れてルーレシア世界に帰還しようと黒刀の柄に手を置いた俺だったが、後方に広がる大地の裂け目から微弱な力の波動を感じ、後ろを振り返った。


「どうした?」


隣でカイルが不思議そうに声を掛けてくるが、それには応えず俺は自らが生じさせた裂け目をジッと眺めた。


大地の裂け目には対界の属性を付加した魔力の残滓が未だに残っている。しかし、その魔力の残滓が感じさせる力とは別に、確かに力の波動を感じるのだ。


そして、この力の波動は――


「……まだ息があったか」


俺はぼそりと呟いた。


それを隣で聞いていたカイルはにわかに表情を険しくさせ、剣呑な雰囲気を纏った。


しかし、俺は特に身構えるまでもなくただ眉をひそめるのみだ。勿論何かあればすぐに対応できるよう気を引き締めているが……。


この感じ……何か妙だな。


エキドナがそうしたように、女神が真の力を発揮したとか、そういうわけではない。弱々しいが確かに伝わってくるこの力の波動からは、覚醒したとかそういった類いの力は微塵も感じられない。


では何が妙なのかというと――


「敵意が感じられねェなァ……」


どうなってんだ、と首を傾げる俺。口にしてから素の口調に戻ってしまっていることに気付いたが、子供達はまだ洗脳の術中にあるので、この際まあ良いとしよう。


しかし、何故急に敵意が消えた? 先刻までは、確かに戦意と殺意があったじゃねェか。


「敵意が感じられないだって? 冗談だろ?」


ついさっきまで思いっきり殺し合ってたじゃん、とぼやくカイル。


知るか、俺に訊くな。俺だって意味不明で悩んでる真っ最中なんだよ、と心中で言い返す。


不用意に動くわけにもいかず、そのまま大地の裂け目の方向に視線を送ること数分。


灰色の翼を弱々しく羽ばたかせ、紫髪紅眼の女神が地上に姿を現した。左胸から大量の血を流し、口元には鮮血が散っているが、それでも女神は生きていた。


不完全とはいえ『対神宝具』でその胸を穿たれてなお生き残るとは、敵ながら天晴れと言うべきか。少なくとも、そんじょそこらの神格より遥かに高い生命力の持ち主だということは間違いない。


「ほう。アレを受けて生き永らえるとは、やるじゃねェか」


『…………』


心から称賛の言葉を送ると、女神は低頭してからゆっくりと地面に降り立った。


続いて、俺の前までおぼつかない足取りで来ると、片膝をついて――。


「はっ?」


俺は目の前に広がっている光景の意味が分からず、思わず素っ頓狂な声をあげた。


な、何だこいつ? 何で俺の前で片膝ついてんだ? 意味分かんねェんだけど。どうなってんだ、いやマジで。


戦闘を再開する気満々で黒刀の柄に手を置いていた俺は、混乱して眼下に跪く女神を見下ろすも、恭しく片膝をついて頭を垂れるその姿からは、敵意の類いはカケラも見て取れない。


むしろその逆の気配を感じるような――


「――ッ!!」


考えを巡らせているうちに、俺は一つの答えに辿り着いた。警戒しながらゆっくりと恭しい体勢をとったまま微動たにしない女神に近づき、艶やかな紫髪の上に手を置いた。


「【覇者】っ!? いきなり何してんだ!?」


「少し黙ってろ」


カイルが驚愕の声を背中に投げ掛けてきたが、俺はそれを一蹴して智属性を最大限に活用し、女神の情報を探る。


この女神を降臨させた降霊術者は――いない。やはり、洗脳してどんな神格なのかを刷り込んだ子供達の純粋な信仰力を供物に降臨させた所為か、契約者となるべきマスターが不在の状態でこの女神は降臨したのだ。


続いて、何を媒介にして降臨したのかを調べる。何らかの聖遺物の類いを用意しなければ、いくら信仰力を集めたところで神は顕現しないからだ。


調べてみた結果、とある蛇の脱け殻を使用していたことが判明した。


それと同時に、女神の神名が俺の予想していた神名で正しかったことも分かった。


思わぬ所で遭遇した、灰色の翼を持つ紫髪紅眼の女神。その神名は――


「やはり『ケツァルコアトル』だったか……!」


ケツァルコアトル。遥か遠き異世界では、この神名を知る者は多いだろう。


『翼ある蛇』とも呼ばれ、『文化神』や『農耕神』とも名高く、別名をククルカンと呼ばれる竜蛇の至高神、創造神ケツァルコアトル。


本来は男神だが、女神としてのケツァルコアトルがいないわけではない。ないが、とにかくその比率が低いのだ。


例えば、千柱ものケツァルコアトルが一度に降臨したとしよう。しかし、女神としてのケツァルコアトルはその中に三柱居ればまだ多い方だ。


それほど低い確率でしか顕現しないのが女神としてのケツァルコアトルなのだが……。


「……あァ!?」


その情報を読み取った時、俺はもう声を抑える気にもなれなかった。


何でこんな辺境の世界に女神のケツァルコアトルが顕現したのか。そして、何故自分に従順になっているのか。俺は全てを理解した。


そして、ケツァルコアトルほどのビッグネームな神が、何故エキドナクラスの戦闘能力を有していなかったのか。


まず戦闘能力についての話をすると、これはただ単純にケツァルコアトルの抜け殻を使用して呼ばれてしまった所為だろう。


いくら神にまつわる聖遺物、それも神の肉体の一部だった物だとしても、抜け殻というチョイスが酷すぎたのだ。


いや、本来ならば抜け殻でも問題なかっただろう。そう、『その世界でのケツァルコアトルが既に死んでいた』のなら。それならば、死したケツァルコアトルの神霊を呼び寄せ、エキドナクラスの力を有した状態でこの世に降臨できていたはずだ。


しかし、恐らくこの抜け殻の持ち主であるケツァルコアトルは未だに健在だったのだろう。そしてそのケツァルコアトルは、どんな世界のどんな環境に居るのかは不明だが、本人(神?)の召喚拒否とはまた違った理由でこの世界に降臨することができなかったのだろう。


ここで召喚陣に混乱が生じる。この抜け殻の主であるケツァルコアトルは召喚拒否していない。ゆえに、召喚できたはずなのにも関わらず、実際には召喚に失敗している。


それでも召喚陣はただケツァルコアトルを呼び寄せようとして、一つの誤作動を起こすのだ。


即ち、抜け殻から『ケツァルコアトル』の神格の情報を読み取り、抜け殻を素材にして再現しようとすること。


しかし、たかが抜け殻から読み取れる情報など程度が知れている。そこで、召喚陣は想定外の場所から情報を書き足したのだ。


召喚陣は元々異界の神を喚び寄せる為のもの。ならば、空間位相断裂の際に世界の記憶にも触れていておかしくないわけで――


「そこで書き足された情報ってのが、創造神繋がりで『破創神』の情報だと……?」


――そう。何を隠そう、この女神はケツァルコアトルとノヴァの混淆(ハイブリッド)。それゆえに本来の姿とは違った容姿で降臨したのだ。


ケツァルコアトルの象徴となる色は灰色。瞳の色が異なる場合はまあ前例がないわけでもないが、本来ケツァルコアトルが人の姿をとった時には、髪から翼に到るまで灰色で統一されているのだ。


しかしこの女神は、ケツァルコアトルでありながら灰色なのは翼のみで、紫髪紅眼という容姿で顕れた。その原因が破創神ノヴァの情報が加わったことによる神格の混淆であり、なぜ男神としてではなく女神として降臨したのかの要因でもあるのだ。


つまり、ソースとなったノヴァ自身が破創の女神だった為に、情報を元に喚ばれたケツァルコアトルも女神となったのだ。


そして、最大の疑問である俺に対する従順な態度は、ケツァルコアトルが『風の神』としても知られていることに起因する。


こんな話を聞いたことはないだろうか? ある所に二つの国があり、それぞれ違った神を信仰していたとしよう。しかしある時、その二つの国の間に争い――戦争が起こった。


そして、その戦争に片方の国が勝利した。当然、負けた国は勝った国に吸収される。それは信仰にも及び、負けた国で信仰されていた神はある時は堕とされ、またある時は勝利した国で信仰されている神の従属神となる。


そしていま、それと同じことが俺と女神・ケツァルコアトルとの間で起きていた。


俺との戦いに敗れた女神・ケツァルコアトルは、俺の従属神と化していたのだ。


契約者となるマスター不在の状況下で行われた戦闘。普通ならそれだけでは女神が俺の従属神となることはないのだが、女神は風の神としての神格を持ち合わせていた。


その風の神としての神格が、俺を格上だと認めてしまったのである。それでも従属神になる確率など皆無に等しいのだが、なんと美女との縁ができやすいことか。


これでこの女神は、俺が生きている間は勿論、死んだ後も従属神として俺に仕え続けることになる。


嬉しい誤算である。思わぬ所で凄まじい戦力が味方に加わった。


それにしても、俺個人の陣営がまた一際強大になったな。今なら多分、大陸どころか海を越えての支配も可能そうだ……。


などと、女神との関係を理解して一人納得して頷いていると、未だに状況を理解できずにいたカイルが痺れを切らした。


「何か分かったんなら俺にも教えてくれよ。一体全体何がどうなってこの美人さんはお前に跪いてんだ?」


そう言いつつ、跪いた体勢の為に強調された女神の胸をガン見して鼻血を噴き出すカイル。


そんなカイルに呆れつつ、俺は答える。


「ああ、つまりだな――」


俺は懇切丁寧に今現在の女神と俺の主従関係を教えてやった。


この紫髪紅眼の美女が異界の女神だと知った時のカイルの表情たるや、なかなかに見物だった。まず初めにポカンとした表情をしてから急激に理解の色が広がり、そこに俺がこの女神の主君だという追い撃ちがかかり、唖然とした表情をしたのだ。


カイル、仮面の上からでもまる分かりだぜ、雰囲気とか声からして。第一、何で女神が女神だと知って驚くんだ? このくらい最近じゃよくあることだし、驚くことでもないだろ、別に。


そう指摘してやると、カイルは拳を震わせて叫んだ。


「いや、そんな過激過ぎる経験してるのお前だけだからな!?」


「……そういやそうだったか。悪ィ悪ィ、失言だった」


フードの端を摘んで述べる。カイルは軽くため息を吐いてから、今もなお恭しい体勢を崩さない女神を見下ろした。


「で、話を聞いているとどうやらこの女神さんはお前の臣下か何かみたいだが……実際どうするつもりなんだ?」


「どうする、と言うと?」


カイルの言わんとすることを理解しながらもあえて問い返すと、カイルは真剣な雰囲気で言った。


「この女神さんの今後の扱いについてだよ。お前のことだからもう色々と考えてんだろうが……どうなんだ?」


確認するように訊いてくるカイル。


「無論、連れていくつもりだが?」


特に隠すまでもなく、平然とした口調で答える俺。するとカイルはほっとしたように息を吐いた。


「そりゃ良かった。お前のことだから、この場で即斬り捨てるんじゃないかと思ってたよ」


「心外だな。俺がそんなヤツに見えるのかァ?」


「それ以外にどう見ろと?」


「否定できねェな。むしろ正論だ」


俺は肩を揺らして笑う。その後、再び女神の頭に手を置いた。途端、蒼銀の光に包まれる女神の肢体。


俺が手を退けると、そこには黒いドレスに身を包んだ女神の姿があった。サイズについてはノヴァと同じようだったので、問題ない。


傷の方も、取り敢えず外傷だけは治しておいた。勿論この場で完治できればそれに越したことはないのだが、俺の治癒魔法じゃこれが限界だ。


なので、見目問題なくとも実際にはまだ甚大なダメージが残っている状態だ。これはまあ、女神に対して使用したのが不完全とはいえ『対神宝具』だったので、仕方ないとしよう。


「……ああ、お前も別に跪いてないで良いぞ。楽な姿勢になってくれ」


と、そこで、俺は未だに跪いたままだった女神のことを思い出し、そう言ってやった。その言葉に応じ、俺を見上げて一礼した後立ち上がる女神。


しかし、その時になって漸く呼び名を決めていないことに気付いた。誰の呼び名かは言わずもがな。


一々ケツァルコアトルと呼ぶのは長ったらしいので、その案は却下。となると、略称かレーゼのように新しく名前をつけることになる。


「……長々と考えるのも億劫だしな」


俺はそう洩らすと、即座に女神の呼び名を決めてそれを告げた。


「これからお前は『コア』と名乗れ。それがお前の名だ」


『――――』


何事か述べながらコクリと頷く女神――コア。


取り敢えず名を決めたところで、俺はもう一つ気になっていたことがあった。分かっているとは思うが、コアが使っている言語についてである。


コアの様子を見るに、向こうはこちらの言葉を理解できているようだが、逆にコアの話す言葉が何を言っているのか、俺達にはさっぱり分からないのだ。


俺は最初、神が扱う言語体系の言葉を話しているのかと思ったが、それとはどうも赴きが違うようだった。かといってこれが日本語なのかと言われれば、全く以て違う。


というか、ルーレシア語と日本語は同一の言語である。平仮名があれば漢字だってある。その言葉がどのような流れで伝わったのかを除けば、完全に同じだ。


なので、コアが話しているのは日本語――ルーレシア語ではない。となると、考えられる言語は地球系列世界やルーレシアとはまた別の異世界の言語ということだ。


ならば何故コアが全く関係のない異世界の言語を知っているのかというと、多分召喚途中にリンクされた二つの世界とは違う世界の知識がくっついて来てしまったのだろう。


そんなことが本当にあるのかというと、正直俺にもよく分からない。ファランなら何か知ってそうだが、都合良くそんな話を聞いていたりはしない。


ちなみに、コアが俺達の言葉を理解できているのはただ単純に召喚補正のお陰だろう。


分かりやすい例を挙げるとすれば……召喚勇者なんかが説明しやすいか。勇者が召喚された時、多くの場合言語に関しての補正がかかっていることをご存知だろうか?


ほら、唇の動きは違うのに、言ってることが自分が元居た世界の言葉に聞こえるとかいうアレだよ。


アレは召喚する時に、召喚陣に刻まれた術式が勇者となる者を喚び出される世界に適合させた際に起こる、副作用のようなものだ。


コアも例に漏れず、召喚された際に言語に関しての補正が掛かっている。それゆえにこちらの言葉を理解できるのだ。


尤も、コアの場合は元居た世界の言語をくっついてきた言語だと思っている為、実質ルーレシア語を理解できているわけではないのだが。


なんと言うか、これは……困ったことになった。こちらの言葉が通じるだけで向こうの言葉が理解できないとは、連れて帰ったらまずはルーレシア語を覚えてもらわねェとな。


……あっ、何故俺達がコアが使っている言語を覚えるという選択肢がないのかは、勿論理解できてるよな?


「それにしても、従属神ねぇ。これはただ単純に好奇心で訊くが、それってどの程度まで従順なんだ?」


「んんっ……汝が言いたいのは従属神に対する行為の自由度のことか? だとしたら、良い着眼点だな」


そろそろ口調を【覇者】としてのそれに改めようと声の調子を確かめつつ、俺は答える。


「それに関してはまだ良く分かっておらん。そこまで深く探りを入れたわけではないのでな。最低限、コアが味方か否かという判断をできるところまで探っただけだ。

……まあ、それでも十分すぎるほどのことが分かっておるが」


「ほー。で、どんな感じだったんだ?」


「そうだな……少なくとも、大抵のことには絶対服従するということが分かっておる。コアの場合、自害的な内容も勿論『大抵のこと』の中に入っているだろうよ」


平然と語る俺。しかし、カイルは目を剥いたような反応をした。


「自害的な内容ってのはつまり、捨て駒扱いや盾扱いってことか? それじゃあまるで、戦争で足止め役として最前線に立たされる一兵卒と変わらないじゃないか」


「一兵卒どころではないさ。こやつ、俺が行うのならば性的な行為まで善しとするようだからな。はっきり言って、戦闘能力に優れた性奴隷と何ら変わらぬな」


宣言通りストレートに物を言う俺。カイルは乾いた笑い声を漏らす。


「性奴隷ってお前……そういうことはもう少しオブラートに包んで言おうぜ」


「知らん。事実を分かりやすく述べたまでだ」


良く言えば素直に、悪く言えば女慣れしているから、躊躇いもなくすらすら言葉を吐き出す俺。いやはや、女に関しては常に辟易としていた俺なんて、もはやカケラも残ってねェな。


そのことを改めて実感しつつ、俺は子供達を一瞥してから、カイルとコアを等分に見やった。


「――帰還するぞ。もうここに用は無いだろう」


黒刀を一閃させ、虚空にルーレシア世界直通の裂け目を生じさせる俺。いい加減、空間を斬り裂くのも慣れてきた。


子供達に裂け目を通るよう命令を下すと、虚ろな目をした子供達は裂け目の向こうに消えてゆく。カイルとコアもそれに続き、最後に俺がルーレシア世界へと帰還する。


想定外の遭遇戦もあったカイルと俺の共同戦線は、最後にコアを俺の臣下に迎えて幕を下ろした。

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