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風の覇者I ―王威覚醒―  作者: 神竜王
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蠢動 後編

ノヴァの問い掛けに、カレンは小さく頷き、次いで小声でノヴァに囁きかける。


「……ここじゃ場所が悪いから、部屋に行ってから話すわ」


「分かった」


ただ事ではないことを悟ったノヴァは、この場では短くそう返すのみに留めた。


(……もしかすると、カレンのこの様子は主に関わっているのか?)


未だにレオンが戻ってこないことから、その可能性は高い。


そうとなれば、食事など摂っている場合じゃない――そう思いカレンと目を合わせると、カレンは僅かに首を縦に振った。


どうやら、同じ考えらしい。


ノヴァが無言で立ち上がると、カレンも席を立った。食堂に来たのに食事も摂らずに部屋に戻ろうとしているので、周囲の人達が何事かと見てくるが、構ってはいられない。


すぐに三階の部屋に戻ると、カレンとノヴァは壁際にある二つのベッドにそれぞれ腰掛けて向き合った。


ノヴァは話を聞く体勢になると、正面に座るカレンを見て単刀直入に訊いた。


「どうしたのだ? もしや、主の身に何かあったのか?」


「……うん」


カレンが肯定すると、ノヴァは険しい表情を浮かべて更に問うた。


「一体何があったのだ? まさか、主が倒されたのか!?」


「違うわ! 敵から空間に干渉を受けたの。だから、レオンは倒されてないわ!」


思わず立ち上がってまで否定していた事に気付いたカレンは、顔を赤くしてベッドに腰を降ろした。


そして、レオンの身に何があったのかを事細かに話した。


レオンが最後に、ノヴァと合流しろと叫んだ事を言うと、ノヴァは碧眼を閉じて考え込む。


「そうか……主はそんなことを。確かに、主なら言いそうな言葉だ」


「ノヴァさん……レオンの居場所は分かりますか? 使い魔の契約を結んでいるノヴァさんなら、どうにかしてレオンの魔力を辿れませんか?」


カレンの言葉に、ノヴァはふっと笑ってみせる。


「ああ、この世界から外れた場所にでもいない限り、私なら主の魔力を追えるだろう。暫し待て」


言うや否や、ノヴァは瞳を閉じて集中し始めた。


それを見て、ほっと安堵の息を吐くカレン。


レオンの使い魔であるノヴァならば、多少離れていてもレオンの魔力を感じ取れるだろう……そう分かっていても、不安だったのだ。


だが、その心配はなくなった……カレンは胸を撫で下ろしたが――


「……ッ!? 馬鹿な……!」


瞳を閉じていたノヴァが、その美貌にありありと焦りを浮かべて声を洩らす。


そんなノヴァの様子に、収まりかけていた不安が再び鎌首をもたげる。


「何か分かったんですか?」


カレンがひかえめに尋ねると、ノヴァは冷や汗を流して答える。


「感じないんだ……!」


「えっ?」


カレンが呆気に取られて声を出すと、ノヴァは震える声音で続けた。


「だから、感じられぬのだ! どれだけ感知の範囲を伸ばしても、共鳴する魔力が見当たらない。

この世界の何処にも、主の魔力を感じないんだ……」


そう言うノヴァの顔は蒼白であり、それが真実であることを物語っていた。


「う……そ」


カレンは呆然とする。


当然だ。総合的な力量では分からないが、少なくとも魔力だけで言えば"覇者"後継者の中で最強の男が、この世界から消えたと言うのだ。


カレンは力無くベッドに手をつくと、俯いた。


「そんな……」


あのレオンが、この世界から消えた? なら、私達にはどうしようもないの?


カレンはそう考えつつも、そっとノヴァの様子を窺った。


……大変不本意ながら、ノヴァがレオンと恋仲にあるのは知っている。だから、精神的にキツいだろうと思ったからだ。


しかし、その予想は良い意味で裏切られた。


レオンがこの世界から消えたのを知った当初こそ動揺を露にしたノヴァだったが、今は落ち着いた表情で何事か考え込んでいる。


カレンが目を丸くして見ていると、ノヴァは細く息を吐いて立ち上がった。


なんとなく目を離せずにいると、ノヴァはカレンの顔を見て口を開いた。


「今は食事を摂らないか? こうしていても、私達にはどうしようもないだろう?」


「なっ……こんな時に何を言って――」


カレンが責めるように言うと、それに対してノヴァは苦笑いを浮かべた。


「確かに、主のことは気掛かりだ。私達には手出し出来ない事態に陥っているのだろう」


「なら、尚更食事なんてしてる場合じゃ――」


尚も食い下がるカレンに、ノヴァはため息を吐いた。


豊満な胸の下で腕を組み、唇を湿らせてから言葉を紡ぐ。


「カレンの気持ちは痛いほど分かるが……私達にはどうしようもないのは事実だ。

だが、私達には無理でも、レオンなら……私の愛した男なら、絶対に何らかの手を打ち、行動を起こすだろう。

この世に絶対などと言う言葉はないが、あやつなら限りなく絶対に近い確率でそれをやる。

そして、最後には不敵に笑って帰ってくる。私はそう信じているのだ」


「……」


ノヴァの言葉に、カレンは閉口する。


そうだ……レオンのパートナーである私が、レオンを信じられないようでどうするの?


私達が手を出せない今、レオンのパートナーなら、レオンが自分の力で帰ってくると信じて待ち、レオンが帰ってきた時に笑顔で迎えてあげるのが、本当の意味でのパートナーなのよ。


ただ協力し、助け合うだけじゃない。お互いに信頼し合ってこそ、初めてパートナーになれるのだ。


私はそれを忘れていた。


「……そうね」


カレンは顔を上げると、ノヴァを見上げて言葉を紡いだ。


「――ありがとうございます、ノヴァさん。私はパートナーとして大切な事を忘れていました。

……なんとなく、レオンが貴女を愛している理由が分かった気がします」


「いや、礼には及ばない。それと、確かにレオンは私を愛してくれているが――」


ノヴァは、そこでカレンに妖艶な流し目などくれると、


「時々見せるあの様子から察するに、最近はカレンのことも気になっているようだぞ?」


「ほ、ホント!? あっ……」


思わず喜色を見せてしまったカレンは、顔を真っ赤にしてノヴァの顔を窺った。


そこにあったのは、苦笑するノヴァの姿だった。そんなノヴァの様子からある可能性に至ったカレンは、恐る恐る訊いてみた。


「あの……もしかして、私がレオンに、その……特殊な感情を抱いている事に気付いていたんですか?」


「ああ。あそこまで好き好きオーラを出していれば、誰だって気付く。

……最近になって少しは改善されてきたが、それでも主は鈍感だからな。

まだ、自分に対して向けられる好意には気付き難い。だから、主だけは気付いてないようだが」


「レオン本人はやっぱり気付いてないのね……。喜んで良いのやら悪いのやら」


はぁ~~っと大きなため息を吐くカレン。


しかし、よりにもよってレオンの恋人であるノヴァに、胸の内を吐露してしまった事に今更ながら気付いたカレンは、


『これは少し……まずいんじゃないだろうか?』


「……」


そう考えると……もの凄く気まずいものがある。


そんなカレンの心境に気付いたのか、ノヴァは苦笑をそのままに口を開いた。


「別に、主に恋心を抱いても私は構わないさ。……元より、主を独占できるとは思ってないからな」


「え?」


ノヴァの口から出た言葉に、カレンは戸惑ったように訊く。


「レオンを独占したいという気持ちはないんですか?」


その問い掛けに、ノヴァは仄かに頬を朱に染めて答える。


「気持ちは……それはもう、たっぷりとあるのだが……」


自分がレオンを独占した時の事を妄想したのか、ノヴァは無意識の内に魅力的な肢体をクネクネさせる。


どこか陶然とした声音が危ない。どうやら、独占欲はそれなりにあったらしい。


予想以上の反応に、カレンは引き攣った笑顔を浮かべたが、心中で渦巻いていた疑問を口にした。


「なら何故、レオンを独占しようとしないんですか?」


「……、主は私一人で独占出来るような男ではないからだ。

カレンももう分かっているとは思うが……レーゼも主に好意を抱いている。

それを踏まえた上で訊きたいことがある。カレン……お前は、ハーレムと言うのをどういうモノだと思っている?」


「は、ハーレムですか?」


突然話が飛んだことに驚くが、ノヴァが真剣な顔をして訊いてくるので、考え込む。


(何かに例えるとすれば……やっぱり英雄譚かしら? あの手の物語の主人公は、ほぼ確実に多くの女性を虜にしてるから……)


そして、その中でも特に仲の良い女性達を仲間に加え、最終的にはその中から一人を選んで――


「あっ……」


そこまで考えて、漸くノヴァが何を言いたいのかが理解できた。


「最終的に一人を選んで、他の女性達の恋は散っていく……」


「――そうだ。しかも、その手の人種は大抵が鈍感で、更に質の悪いことに、自分を想う女性に対してはっきりとした答えを出さない」


――だから、最後の最後で傷つく女性が沢山いるのだ。


ノヴァがそう続けたのを聞いて、カレンはコトの次第を理解した。


レオンは、もしレーゼが告白したとしたら、確実にレーゼを受け入れ、愛するだろう。


自分には既にノヴァという恋人がいるのにも関わらず。


それだけを聞けば、ただ単に浮気性の男にしか思えないが……その裏には、もっと深い意味があるのだろう。


レオンは、自分の中途半端な答えで、自分を想ってくれている女性を傷つけたくないのだろう。


もちろん、それにも限度はある。そう……ただの顔見知り程度の関係では、レオンはその程度の関係しかない女性に告白されても、はっきりと断るだろう。


その代わり、自分と深い関わりを持つ者……謂わば身内だとすれば、話は別だ。


自分と深い関わりを持ち、その上で自分を想ってくれている……そんな女性に限り、レオンは受け入れ、愛するのだ。


今なら分かる。レオンの『優しさ』と『欲深さ』が。


自分と深く関わった上で、愛してくれた女性を哀しませたくないという『優しさ』と、自分と深く関わった上で、愛してくれた女性を愛したいという『欲深さ』。


端から聞けばとんでもない事なのだろうが――実にレオンらしいと思う。


現状で言えば……私が知る限り、レオンと結ばれそうなのは後二人。


レーゼはもちろん、ノヴァの話が本当だとするなら……もう一人は私だ。


それを知ったカレンが、顔を真っ赤にしていると、ノヴァが口を開いた。


「どうだ? 主の、節操の無さという悪い点と、特定の相手の想いには何としてでも応える、優しさという良い点が理解できただろう?

だから、私は主を独占しようとは思わないんだ」


「はい。私にもレオンがどんな人か分かってきました。……節操が無いのは頂けませんけど」


「フフフッ、主も男だという事だ。まぁ、どれだけ相手が美しくとも、自分に少しでも関わりがなければあっさりとフるという、節操が無い割りには変わった男だが」


ノヴァが苦笑気味に言うと、カレンも苦笑した。


全く……困った奴よね、レオンって。


優柔不断で節操無しなのは頂けないけど……自分の身内の想いには、必ず応え、愛してくれる。


そう考えると、英雄譚に出てくる英雄よりも、自分の欲望の赴くままに人を愛せるレオンの方が、私は好きよ。


ちょっと……いや、かなり悪人染みている所があるのが玉に傷だけど。


クスリ、とカレンが笑みを洩らしていると、ノヴァは腹部を擦りながら述べる。


「それは兎も角、今は食事を摂りに行かないか?先程も言った通り、今の私達には出来ることがない。私が酒場で聞いた限りでは、むしろ下手に動いた方が危険になる。

なら、今日は英気を養って明日に備えるのが正解だと思うのだが」


今度こそ、カレンは頷いて返した。


「そうですね。こんな時に、私達だけ食事を摂るなんて少し不謹慎に思えますけど……流石に今日は、行動のしようがありませんから……」



―――――――――――


「心配はいらん! 俺に構わず、お前は今すぐ戻ってノヴァと合流しろっ」


自分がこの場から消えつつあることを悟った俺は、消える間際にカレンに向かって叫んだ。


しかし、俺が言葉を言い切る前に、俺の視界からカレンの姿が完全に消えてしまった為、俺の言葉がカレンに届いたかは分からない。


「だが、【天使】なら……理解してくれてるだろうな」


そう呟きつつ、俺は浮遊感を感じて眉をひそめる。


なんだ? この感じ……落ちているのか、俺は。


そう認識するや否や、俺は空中で身を捻り、着地の体勢を取った。


落下中に、周囲の様子を確認しようと首を巡らすも、何も見えない。


〝風の覇者〟としての視力を以てしても、何も見えないことを不審に思い、自分の掌を目の前まで持ってきても何も見えなかった。


それでも、段々と地面が近づいてきているのを直感で感じた俺は、ふわりと闇の中に舞い降りた。


そこでもう一度周囲に視線を走らせるも、やはり何も見えない。


しかし、視覚が全く役に立たない真の闇の中でも、俺は不敵に唇の端を吊り上げた。


例え視覚が封じられても、俺には魔法以外に気という力がある。


本来、気という力は身体能力を高めたり、攻撃に使ったりする力だが……俺の場合、少しだけ気の使い方が違う。


もちろん、気を発揮して身体能力を高めたり、「見えない衝撃」を放って攻撃したりすることも出来るが……気とは、探知にも使えるのだ。


この先何が待ち受けているのか分からない為、魔力の消費を避けた俺は、気を頼りに闇の中を彷徨う。


暫し彷徨っていると、不意に空間に揺らぎを感じ、俺は気を高めるのを止めて揺らぎを感じた方を凝視する。


それとほぼ時を同じくして、俺は奇妙な感覚にとらわれた。


全身に走るこの気味の悪い感触……まるで、粘液に手を突っ込んでいるようだ。


この感覚……どこかで感じたことがあるような――


「――まさかッ!」


この感覚、間違いない。よもやこの空間は――


「"虚世の空間"……!?」


馬鹿な! 何故"虚世の空間"に居るんだ!? "虚世の空間"は扉を開く者なしに行ける場所ではないぞ!?


いや待て――もしや、扉を開いた者が今この空間に居るのか?


"虚世の空間"内部から扉を開く事自体は出来てもおかしくない。


現に、俺は"虚世の空間"の内部から空間を切り裂き、脱出を果たしているのだから。


そもそも、魔族がこちらの世界に入り込んでいる時点で、魔族に取ってはそれくらい出来て当然か……。


恐らく、ユリウスでも"扉"を開くだけなら、魔族としての能力をフルに使えば出来るだろうからな。


……ここだけの話、俺も出来たりするのだが。


しかし、妙だな。俺は"虚世の空間"に『入って』きたと言うよりは、『跳ばされて』きたのだ。


ここまで言えばもう分かるだろう。扉を開く過程がなかったことに。


以前、俺が戦い、今では仲間になっているミスティは、"虚世の空間"へ行くための手段として、扉を開いていた。


そしてこの俺も、"虚世の空間"への出入りの際は、空間を切り裂き扉を開いている。


今回のように、扉もなく転移するかのように"虚世の空間"に入っているワケじゃない。


それとも、これも一つの形なのだろうか? "虚世の空間"への入る方法が一つだけとは限らないのだから。


俺は顔を引き締めると、力強く地を蹴り一瞬にして超音速の世界に突入した。


途端、粘液に手を突っ込んでいるかのような抵抗が激しくなり、俺は何も見えぬ闇の中から飛び出した。


脱出した先に見えたのは、空と大地、そして自然までも――世界の全てが漆黒に統一された"虚世の空間"特有の光景だった。


しかし、以前にも一度その光景を目にしている俺は驚かない。


むしろ、今現在"虚世の空間"に充満している濃密な力の波動の方に気を取られた。


俺の、戦闘者としての本能が反射的にその力を分析し、驚愕する。


(ばっ……馬鹿な……何だこの馬鹿みたいにデカい魔力は!?)


俺は、自分とほぼ同等にも等しい途方もない魔力に呆然としたが――何故か恐怖が湧いてこない。


むしろ、血が疼いてきた。


この心境の変化に、俺は自分のことならが驚愕する。


何だ!?


力が湧いてくる……。


内で高まる本能が叫ぶ!


相対し、戦い、殺し、奪い取れと!!


「く――」


俺は、フードの下で引き裂けそうな笑みを浮かべた。


「くく、クハハハ――」


何だってんだァ!?


まるで、俺の内で渦巻く悪意が暴走しているような――


そんな感覚が収まらねェッ!


「クハハハハハハハハハッ!」


湧き上がる衝動に身を委ね、俺は哄笑した。


しかし、"虚世の空間"を満たす力の波動に混じって、僅かに別の力の波動が在ることに気付いた俺は、哄笑を収める。


それと同時に謎の衝動も収まっていき、冷静な思考が戻ってくる。


何だ?


"虚世の空間"に満ちる力の波動とはまた別の力の波動を感じることに疑問を抱いた俺は、神経を研ぎ澄ませて集中した。


先程の謎の衝動も気にはなるが……今は措いておくしかない。


これは……"虚世の空間"を満たす力の波動の所為で分かり難いが、この力の波動の持ち主とは別に、何人かこの"虚世の空間"に居るのか……?


そこまで考えて、俺は目を見開いた。


まさか、行方不明になっていたギルド員達か!? これ程の力を感じさせる存在と相対していて、未だ生き延びていることに疑問を感じはするが……。


仕方ねェ、仕事だしな。取り敢えずそいつらだけルーレシア世界に帰すか。


……まぁ、問題はそいつらがどんな状態で生き延びているかだが。


俺はため息を吐くと、力の波動の根源を目指して移動を開始した。



―――――――――――


力の波動の根源を見た俺は、驚きのあまり目を見開いた。


何故なら、本来この世界に居るべきではない存在だったからだ。


今目の前に在る存在――その姿は、上半身は艶めかしい女神、下半身は不気味に蠢く大蛇のそれだ。


俺はこの存在を知っている。


一説では不死の存在とも呼ばれ、怪物でありながらも元は女神だったと言われている、古代神の一柱。


遥か遠き異世界の知識を持つ、俺だからこそ分かるその存在。


「エキドナ……!?」


『ほう……?』


俺がその名を呟くと、美しくも邪悪な古代神――エキドナがこちらに視線を向けてきた。


その金色の双眸が向ける、物理的な圧力すら伴う鋭い視線に対して、俺も負けじと睨み返す。


無限にも思える刹那の間、無言で視線をぶつけ合う俺とエキドナ。


やがて双方同時に瞬きすると、エキドナが口を開いた。


『これは驚いた……何故この世界の人間が我が名を知っている?』


「ふん……! 世界の秘密を知り得たのは何も魔族だけではない。

俺は中々過激な人生を送っているのでな。異世界の神の名前くらい知っていてもおかしくなかろう?

そういうお前は何故このルーレシア世界と魔界の狭間に居るのだ?」


俺がそう問い掛けると、エキドナはおかしそうに笑った。


『ククク……そんな事は決まっている。誘き寄せる為だ』


「なに……?」


意外とあっさり口を割ったな……いや、隠す必要がないだけか。

しかし、誘き寄せるだと? まさか――


エキドナが放った次の一言に、俺はフードの下で盛大に顔を歪めることとなる。


『現代に再臨せし七人の覇者――。その後継者を誘き寄せ、可能ならば殺せと我を喚んだ者に言われている』


「『喚んだ』だと!? 暫し待て、貴様を喚んだのは何者だ?」


『フ……まぁ、冥土の土産に教えてやろう。どのみち、口止めなどされていないのだからな。

私を喚んだのは『闇の覇者』と名乗る魔の者だったぞ』


「ちっ……やはりそうかっ」


思わず舌打ちを洩らした俺だが、内心では舌打ちどころの騒ぎではない。


おいおい……『闇の覇者』がヤバいのは十分理解していたつもりだったが、流石にここまでとは思っていなかった。


『闇の覇者』ってのはこんなのをホイホイ喚べるような力まで持ってんのか!?


そんな事を考えていた俺だったが、今になって妙な事に気付いた。


――どういう事だ?


恐らく行方不明になったギルド員のモノと思わしき気配は確かに感じられるのに、その姿が見当たらない。


これは一体……。


更に神経を研ぎ澄ませてギルド員達の気配を辿り、その所在を探るべきか考えたが、エキドナが動きを見せた為にそれを断念する。


『――さて、もう語る言の葉はなかろう。ゆくぞ、風理頂点なる蒼銀の覇者よッ!』


言い終えると同時に、エキドナはその体の構造とは裏腹に、一瞬にして音速を超え、俺目掛けて突っ込んできた。


俺も瞬時に音速を超え、俺の胴体を凪ぐように振り抜かれた腕を躱すと、刀の柄に右手を置いて素早く抜刀し居合いを放つ。


弧を描くようにして振られた刃は、空中に淡い蒼銀の残光を残してエキドナに命中する。


しかし、その一撃はエキドナの肌に浅い傷を付けるのみで、その傷も瞬く間に塞がっていく。


『人間にしては中々のスピードだが、それだけでは我は倒せぬぞ!』


《ふっ、確かにそのようだな。ならば、これならどうだ!?》


『させるわけなかろうに! 我が魔光よ!』


音速を超えた為互いに念話で思念を交わし、俺が黒刀を胸の前で水平に構えると、それを阻止するようにエキドナが灼熱の光線を放ってきた。


それを紙一重で躱した俺は、魔力を高めつつ吠える。


《神器再現! 魔剣<ディスヘルスラスト>!》


言下に、黒刀を眩い蒼銀の煌めきが覆っていき、所々に装飾が追加される。


禍々しい蒼銀のオーラを纏った黒刀を握り直すと、続けてエキドナが放った幾筋もの音速を超えた光の奔流を切り裂き、今度は自分から間合いを詰める。


エキドナの眼前に躍り出た俺は、下段から上段へと魔剣と化した黒刀を振り抜いた。


先程とは格の違うその斬撃を、エキドナも神気を以て強化した腕で防ぎ、俺とエキドナは刹那の間に数十合打ち合い、同時に後方へ跳躍して間合いを取った。


『ほう。この我に神気を使わせるとは、やるな人間!』


《フッ。よもや異界の神にそう評して貰えるとは、光栄だなッ!》


語尾を置き去りにする形で間合いを詰めた俺は、横凪ぎに黒刀を振るい、それが弾かれた瞬間返す刀で斬撃を送り込む。


エキドナも負けておらず、俺が放つ斬撃を悉く弾き返し、その上で腕や尾を用いて強烈な打撃を放ってくる。


互いに一歩も退かずに激しく打ち合い、斬り結ぶ。ここで少しでも隙を見せれば命を落とす。


俺は、エキドナの攻撃を迎撃仕切れなかったら、モノの一撃で体が消し飛ぶ。


エキドナは、神気による強化を解けば、魔剣と化した俺の黒刀がその身を切り裂く。


今の俺に、周囲の地形を気遣う余裕はない。故に、俺がエキドナに斬撃を放つ度に衝撃波により周囲の地面が深々と抉れ、エキドナが腕を振り下ろし、それを俺が受け止める度に地面に亀裂が走り陥没する。


エキドナの、外見を裏切る速度と予想以上の攻撃力、想定外な攻撃の多彩性に驚いた俺は、斬り結びつつも無意識の内に思考する。


果たして、このまま斬り結んでいて勝てるのだろうかと。


そして、俺は知る由もないが、それについてはエキドナも同じ事だった。


(この男――! 話しには聞いていたが、よもやここまでの戦闘力を見せようとは!)


エキドナは、今も激しく己と衝突している俺が奮う刀術を見て、内心では舌を巻いていた。


音速を超えた速度で振るわれる刃に対し、エキドナが素早く身を引いて避けたかと思えば、相手の一撃は呆れるほど簡単に方向を変え、正確にエキドナを追尾してくる。


しかも敵は、こちらの動きに合わせて己が最大限に刀を振るえるよう間合いを調節し、詰めてきている!


それだけではなく、秒単位でこの男の動きと剣撃速度がどんどん増している。


いや、それだけではない――こちらが動く前に既にその動きに反応している!?


相手の目や筋肉の動きから攻撃の予兆を読み取り、ある程度の先読みが可能なのはエキドナも知っていたが、この男の場合は先読みが速すぎる!


まさか、動きが読まれつつあるのか!? 女神であるこの我がっ。


《どうしたっ。動きが鈍いぞ!》


『――!』


叱声の直後、風斬り音を超えた速度で刃が振り抜かれ、一歩も退かずに戦っていたエキドナが遂に後退する。


しかし、エキドナも只では下がらず、己が後方へ跳躍する寸前に尾を激しく振り捌き、その直撃を受けた俺は吹き飛ばされた。


そのまま遥か後方まで吹き飛ばされるかに思われた俺だが、吹き飛ばされた瞬間に魔力で急制動を掛け、空中で体を捻って見事足で着地し、漆黒の大地を数メートル削り取って止まった。


音速を超えた世界から弾き出された俺は、すぐさま体勢を整えたが、苦々しく呟く。


「……とんでもない威力だな。本来の力の一割も発揮していなかったとはいえ、ファランが放った斬撃を遥かに超える威力だったぞ」


瞬時にディスヘルスラストを盾にして防いでいなかったら、正直ヤバかった。


埒外の生命力のお陰で死にはしないが、俺の再生じゃ間に合わないほどの傷を負っていただろう。


そう考えている間も、エキドナから目を離さない。目を離せば待つのは死のみだ。


しかし、俺の予想に反してエキドナは追撃を掛けようとはせずに、何事か考えるような表情を浮かべていた。


もちろん、考え事はしていてもその立ち姿に一分の隙もなく、俺は様子を窺うのみに留めた。


暫し動向を探っていると、やがてエキドナが口を開いた。


『待て……ファランだと? 今、ファランと言ったか貴様』


「確かに言ったが、俺の敵ならば知っていてもおかしくはなかろう」


俺がそう言い返すと、エキドナは低く独白する。


『……あの戦神の王たる者が『風の覇者』だと言うのか? 言われてみれば、確かに蒼銀の魔光を纏っていたが……』


……ん?


何だ?


エキドナの言葉を聞いて、俺は眉をひそめた。


こいつは、かつて何処かでファランと会ったことがあるのか?


いやしかし、ファランから閲覧を許されている知識の中には、エキドナについての知識はあっても、エキドナと会ったことがあるなんて知識はないぞ?


――いや、俺がまだ閲覧を許されていないだけか。


そこで、俺は思考を打ち切った。エキドナが神気を高め始めたのを感知したからだ。


俺が身構えるのと同時に、エキドナは音速を超えた速度で間合いを詰めてきた。


瞬間、俺も音速を超えた速度域に突入し、右から放たれたエキドナの腕による一撃をいなし、首筋に魔剣を叩き付ける。


しかしそれは、思わぬ形で止められる事となる。


《なにっ》


『この我に翼があるとは知識になかったのか?』


エキドナの背中から純白の双翼が生え、その内の片翼が蒼銀に煌めく刃を止めていた。


俺は舌打ちしながら答える。


《知識として識ってはいたが、今になって出すとは思わなかったのでなッ》


思念を発しつつも、俺はエキドナの間合いから身を退こうとはしない。


神気を以て強化したエキドナの体はあまりにも強靭過ぎる。


それこそ、俺のディスヘルスラストを弾ける程に。


だが、破壊に特化した『風の覇者』の奥義ならば、間違いなくダメージを負わせる事が出来る。


それ故に、ここで退くわけにはいかないのだ。それに、エキドナはまだ本来の力を発揮していないのだから――!


そのまま、時間は過ぎていき――戦闘開始から数時間が経過した頃、果たしてその時は訪れた。


『ぬっ!』


《貰ったッ!》


数時間もの間に戦いの場は空中へと移行しており、互いに空を自在に駆けて戦っていたが、エキドナの尾による一撃を躱したその時に、即座に尾を蹴り飛ばして尾の軌道を変え、エキドナの翼に自らの尾が命中する。


それによりエキドナの体勢が僅かに崩れた瞬間、俺は音速を遥かに超えた速度で大気を蹴りつけ、一気にエキドナの懐に飛び込んだ。


今こそ、『風の覇者』の奥義を!


「うおぉおおおおおおおおおおおおおぁああああああああああああああああぁぁぁぁぁッ!」


『貴様っ!』


エキドナが体勢を立て直す前に、俺は絶叫と共に限界まで魔力を注ぎ込んだディスヘルスラストを振り抜いた。





「《消し飛べッ! 覇者降臨【ディスペル・コア】!!》」


――言下に。


"虚世の空間"に、蒼銀の小規模な太陽が出現した。



―――――――――――


「……」


『風の覇者』の奥義を放った俺は、ゆっくりと地上に舞い降りた。


だが、気を抜けない。


むしろ、本当の戦いはこれからだ。


冗談ではなく、ここから先の戦いではエキドナが本来の力を発揮してくる。


「さて……果たして、今の俺でどこまで食い下がれるか……」


呟きつつ、未だ蒼銀の魔光が残っているエキドナがいた空域を見上げた。


俺の放った一撃により、小規模な太陽のような蒼銀の魔光が漂う空域には、確かにエキドナの力の波動が感じられる。


だが、戦闘者としての本能が、今あの空域に突入してはならぬと告げている。


今ここで動けば、死ぬのは俺の方だ。


直感で分かる。あの空域に突入した瞬間、間違いなく衝撃波を食らう。


それが分かる俺は、エキドナがいるであろう空域を睨んで神経を研ぎ澄ませたまま待機状態に入った……



―――――――――――


――王都システィーナ近郊、ロレスの森。


その深部にある、屋敷にて。


「――!」


書庫で、現在から見た過去の事柄を調べていたファランは、莫大な力の波動が集約し、なおも増大していく力を感知していた。


読んでいた本を本棚に戻し、遠くの方を見るような目つきをする。


――この力は……発生源はルーレシア世界と魔界の間かァ? っつー事ァ"虚世の空間"だな。


ファランは正確に場所を把握し、力の波動からその力量を予測する。


この世界から外れた空間……謂わば、別世界とも言える場所で発生した力すら感知するファラン。


普通ではなくても出来る事ではないが、ファランの異常性はただの異常とは格が違う。


さもあらん。かつて、数多の異世界を旅し、時には世界を滅亡に導いた存在なのだから。


尤も、滅ぼしたのには事情があるのだが――今はまだ語られるべき刻ではない。


ファランは近くの本棚に凭れつつ、この力の波動の発生源である存在の力量を分析していく。


――クククッ、中々の力じゃねェか。少なくとも、レオンよりは強い。間違いなく強い。


だが、こちらの世界に入り込もうとしているワケじゃねェな、これは。


今戦えば、十中八九ではなく、十中十死ぬのはレオンの方だ。幸運だったなァ、コイツが手を出してこないのは。


どォも、ルーレシア世界に干渉はしていたようだが……ここまで力を解放しているってンのは、今は"虚世の空間"内部で、この世界でどの程度まで力が発揮できるか試してやがるのか、こいつァ?


薄笑いすら浮かべて思考するファランだったが、妙な事に気付き眉をひそめる。


(なんだァ? 力を試しているにしちゃあヤケに本格的な敵意の混じった力の波動だな……まさか、誰かコイツと敵対してやがるのか?)


だとしたらそいつは馬鹿だな。少なくとも、この世界の人間では手に終えん存在だからなァ。


まぁ、本当にヤバくなればレオンの体を借りて俺が直々に始末すれば良いさ。


ファランはそう考えてもいたが、興が乗って件の馬鹿の力に感知を向けた事により、ファランの顔色が変わる。


(オイ、待て……この力の波動……)


「――ッ、あの馬鹿……!」


ファランはさっと踵を返すと、書庫から出た。


そして、深夜である今でも活動しているライカンスロープの獣人の執事に暫く居なくなる事を告げると、すぐに精神体に戻り姿を消す。


『クソが……間に合えよ……!』



―――――――――――


それは突然の事だった。


蒼銀の魔光が漂う空域を睨んでいると、元々莫大だったエキドナの力が更に高まり、より強大な力に変貌していくのを感じた。


もちろん、俺もそれを黙って見ている程馬鹿ではない。


相手に動きがあったと見るや、即座に【天外魔境】、神力、【世凌想外】を以て強化を果たし、今の自分が到達し得る高みに到達する。


この状態になった俺は、総てのパラメーターに於いて他の"覇者"後継者達に少し劣るか同等、一部に於いては越えている。


流石に、素の状態では一芸に於いて他の"覇者"後継者達に圧倒的に劣っている部分があるが、この三つの力を以て強化したとなれば話は別だ。


攻撃力に於いてカイルを凌駕し。


速度に於いてロイ先生と同等になり。


ベクトル操作に於いてリンス先生に追随し。


空間停止に於いてシリアさんに追随し。


防御力に於いてクレアさんと同等になり。


元々特化していた破壊力は更に強化され。


補助に於いてカレンに追随する。


つまり、元々特化していた破壊力を更に強化した上で、専門外だった力ですら強化しているのだ。


カイルの〝攻撃力〟と俺の〝破壊力〟は同じように思えるが、似て非なるものだ。


カイルの攻撃力は衝撃によって表面的に攻撃するのに対して、俺の破壊力は震動による内部破壊に近い。


そして何より、ロイ先生と同等の速度と、リンス先生の流動支配によるベクトル操作の力を身に付けれたのは幸運だったな。


特にベクトル操作なんかは、相手の攻撃はもちろん、自分が弾かれた攻撃の力すら上乗せして攻撃を放てるのだから。


もちろん、都合良くその力を俺が容易く使えるワケもなく、例え強化を果たしてもリンス先生には追い付けやしない。


それはシリアさんの空間停止や、カレンの補助に於いても言える事だが。


そして、クレアさんと同等の域に達した防御力。ある意味、これが一番の儲け物かもしれない。


俺の障壁では、殆ど一撃で突破されてしまうからな。


――果たして、今の俺でどこまで食い下がれるか。


俺が身構え、気を引き締めた時だった。


「……あ?」


何だ?


いきなり視点が低くなった――


不審に思った俺は、下を見て目を見開いた。


何故なら、膝から下が千切られ、無くなっていたからだ。


「ぐっ……あァ!?」


遅れて、激痛が襲ってきた。


神経が痛みを感じる前に、既に攻撃を受けていたというのか、この俺が!


俺は唇を噛み締めるが、冷や汗を流しつつもニヤリと笑う。


(いや、この程度なら治癒するまでもなく俺の再生力で十分間に合うはず――)


しかし、そこで俺は気付いた。


再生が機能していない事に。


それを疑問に思ったが、戦闘者としての本能が【ゴッド・ブレス】で即座に失った足を再生させ、万全の状態まで快復させる。


その間にも、俺は素早くエキドナの力の波動を感じる空域から遠ざかり、距離を取る。


迂闊だった。今なら分かる。今のは試しに力を奮っただけだと思うが、エキドナは俺の認識の外から攻撃してきたんだ。


だから、反応する事すら出来ずに攻撃を受けたのだ。


しかし、この時点で俺は理解してしまった。


先程の一撃に、この強大な力の波動。


間違いなくエキドナは俺より格上だ。


俺が冷や汗を流してエキドナの方を見ていると、突如としてエキドナがいる空域に漂う蒼銀の魔光が消え去った。


そこに在るのは、絶対的な力を内包したエキドナの姿だった。


一対二枚だった双翼は二対四枚の翼へと変わり。


下半身の大蛇の体に生える鱗は、禍々しい暗緑色から眩い純白の鱗へと色変わりし。


裸体だった女神の上半身は、胸に金色の胸当てを、腕には金色の手甲を纏った。


先程までの邪悪な雰囲気など、最早微塵も感じられない。


エキドナの神々しい姿と力の波動に、俺は頬を引き攣らせた。


「随分な変わり様だな。お前は数々の魔獣の特殊個体を産んだ、邪神の類いではなかったのか?」


『フ……我の根源は女神だぞ? それに、確かに我は母なる存在だが、直接番って産んだワケではない。

テュポーンなどが良い例だな……仮にも女神である我とあやつでは交われなかった。

そこで、自分の肉体を一旦放棄して別の魔なる肉体に憑依して交わり、産まれてきたのが貴様の言う特殊個体の魔獣達だ。

故に、我は確かに母なる存在ではあるが、我が憑依した肉体が産んだのであって、我が直接産んだワケではない。

我が女神である事に変わりはないのだ。理解できたか?』


「ふん。なるほどな、それなら理解も出来よう。伝承も総てが真実というワケではないということか」


おかしそうに言うエキドナ。それに対して俺は軽口を叩くが、内心では焦っていた。


ヤバい……こいつァ本格的にヤバい! この力の波動、俺よりも格上なんて生易しいモンじゃねェ。


本能に頼らずとも、理性で分かってしまう。現在の俺がエキドナと戦闘に及ぶという事は、俺の死を意味するという事が。


しかし、ここまで来てエキドナが退いてくれるとは思えない。


現に、エキドナは言葉を交わしつつも、少しずつ間合いを詰めてきている!


――覚悟を決めるか。


俺が魔剣と化した黒刀を握り直すのと同時に、エキドナが突貫してきた。


――いや、正確には既に突貫されていた。


『反応が遅いぞ』


《――ッ!》


俺が反応出来たのは、エキドナが懐に入ってきた後だった。


俺が後方に跳躍する前に、エキドナの腕に光剣が顕現し、胸に向けて突き出された。


全力で身を捻りそれを躱したが、それでも俺の右胸を貫通し、俺の右脇腹から胸までの肉が消し飛んだ。


痛みに意識が飛びそうになるのをなんとか堪え、後方に跳躍しつつ【ゴッド・ブレス】で瞬時に再生するが、その時俺は見てしまった。


光剣を突き出した体勢のまま固まっていたエキドナが、〝俺の目にも止まらぬ〟速度で追撃してきているのを。


《速――》


この瞬間、俺は理解した。


これは、雷速なんて生易しいモンじゃねェ! こいつは――


《亜光速――》


加速された思考で理解すると同時に、胴を薙ぐように振り抜かれた光剣が、俺の上半身と下半身を分断した。


(馬鹿な……この、俺が……こうも容易く――)


ブシャアアアアアッ、ビチャビチャビチャ!


下半身を失った上半身の腹部から臓物が溢れ落ちても、俺はすぐには死なない。


だが、即死しないだけで死なないワケではないのだ。


【ゴッド・ブレス】で再生を開始するも、俺がまだ死んでいない事に気付いたエキドナが光剣を振りかざしたのが視界に映った。


『終わりだ――』


言下に、亜光速すら超え、純光速で振り下ろされる光剣。


躱すことが出来ない俺は、目を見開いて振り下ろされる光剣を見ていた。


純光速の速度域に突入したエキドナの動きが、死ぬ間際の所為かスローに見える中――俺は自問する。


――死ぬのか?


――この俺が


――『闇の覇者』と戦ってすらいないのに?


こんな所で――終わるのか?


……ドクンッ


そこまで考えた時、異変は起こる。


――冗談じゃねェ


冗談じゃねェぞォ!


このッ!


俺がァ!


こンな所で死ンで堪るかァァァァァァァァッ!!


――瞬間、世界は速度を取り戻す。


エキドナの光剣は振り下ろされ、漆黒の空に禍々しい血泉が噴き上がった。


紛れもなく噴き上がった血は俺のモノだ。


しかし、エキドナは驚愕に目を見開いた。


『なにっ』


「ク……クケケ……ゴヒュヒュ……」


振り下ろされた光剣は確かに俺の体を切り裂いていた。


しかし、頭から真っ二つにするように振り下ろされた光剣は、寸前で俺が反射神経も越えた速度で首を横に倒した事により、首から胸にかけて深々と切り裂いて止まっていた。


切り裂かれた首筋からは気味の悪いピンク色の肉や神経、血管などが覗き、胸に至っては気管支から肺まで痛々しく露出していた。


普通ならば絶対に死んでいる。だが――俺は死ななかった。


それを見て動きを止めていたのも刹那、エキドナが左手にも光剣を生じさせ、俺目掛けて振り下ろした。


今度こそ、終わりだ――そんなエキドナの呟きは、次の瞬間覆された。


他でもない、この俺に。


振り下ろされる光剣を見て、俺は大きく後方に跳躍した。


そう、跳躍したのだ。高速――いや、光速で再生された俺の下半身は、再生と同時に切り裂かれて粒子化していた黒衣を纏い、完全に元通りになっていた。


上半身の傷も同様に、蒼銀の光の粒子が収束したかと思うと、瞬時に傷が癒え、再生される。


完全に復活を果たした俺は、エキドナを見て引き裂けそうな笑みを浮かべた。


――まただ。


また、あの衝動が沸き上がってきた……!


しかも、この衝動は先刻よりも更に大きい!


俺の内部で悪意の衝動が高まると同時に、快復したとはいえ、瀕死の重傷を負わされた事により生存本能が全開になり、並行して闘争本能も全開になる。


しかし、その意に反して体から力が抜け始めた。


ああ……


やはりな。


何故エキドナから受けた攻撃が再生しなかったのか、漸く理解できた。


エキドナの攻撃は魂まで届いていたんだ。


故に再生が機能せず、魔法じゃないと再生仕切れなかったんだ。


だけど魔法で再生したとしても、体は治っても魂までは治らない。


だから、ここにきて魂が消耗してきたのだ。


クソッたれがァ……!


そんな俺の様子に気付いたエキドナは、様子見を止めて俺に向けて右手を翳し、魔力を集中し始めた。


途方もない魔力がエキドナの右手に集約し、黄金に輝き始める。


俺も、それを見てはいるが、〝視えては〟いなかった。


エキドナがその行動を光速の速度域で行ったからだ。


先程も再生が光速で行われたのであって、光速で俺が動いたワケじゃない。


躱すのだって、エキドナが光剣を振り上げた時には偶々回避動作に移っていただけであって、光速で振り下ろされる光剣が〝視え〟ていたワケではないのだ。


『――疾く去れ』


エキドナが鋭く言い放つと同時に、金色に輝く光の奔流がエキドナの右手から迸った。


その速度は光速を超えており、俺は回避体勢に入る間もなく金色の奔流に呑まれた。


「っがぁああああああああ」


俺の視界は黄金に染まり――意識が飛んだ。


しかし、完全に意識を失う寸前、俺はカッと目を見開き無意識の内に唇を動かしていた。





『〝―――〟……』



―――――――――――


「――ッ、これは……?」


レオンが姿を消した日の次の朝。


再びフォールン海岸を訪れていたノヴァが突如として呟き、同行していたカレンは首を傾げる。


「どうかしたんですか?」


「いや、今一瞬だけ主の力の波動を感じたような……気の所為か?」


ノヴァは額に手を当て考える。


カレンはノヴァを少し見つめてから視線を外し、朝陽に照らされてきらびやかに輝く海を眺めてため息を吐いた。


「全く……今頃どうしてるのかしら、【覇者】は」


独白するが、答えが出るワケではない。


カレンが再度ため息を吐いた時、ノヴァが疑問の声を出した。


「む? なんだ?」


「? 何か感じたの?」


「ああ。この辺り一帯の空間の位相が一瞬だけズレたような気がしたのだが。

【天使】は何も感じなかったのか?」


辺りを見回しつつ述べるノヴァに、カレンは眉をひそめる。


カレンも周囲の景色を眺めてみるも、おかしな所は見られない。


そんなカレンの様子を見たノヴァは、


「その様子から察するに、【天使】は何も感じなかったようだな。

となると、私の気の所為か……? いやしかし、それにしては……」


左手を腰に当て、右手を顎の辺りまで持ってきて本格的に考え込むノヴァ。


カレンは、自分の力量が足りていない所為で気付けなかったのかと考えたが、そんな考えは直ぐ様打ち砕かれる事となる。


「――……?」


カレンがふと、何気なく視線を向けた先で、一瞬だけ空間がズレたように見えたのだ。


しかし、目を疑って見直すと何ら変わらぬ空間に戻り、カレンは目をしばたたかせる。


しかし、すぐにこれがノヴァの言っていた異変だと気付くと、カレンはノヴァを振り返って口を開く。


「ノヴァさん――」


だが、ノヴァの周囲の空間がブレているのを見て、カレンは言葉を切った。


これは――あの時と同じ――


「気を付けてください、ノヴァさん!」


「む? どうかしたのか――」


カレンの呼び掛けに瞳を閉じて考え込んでいたノヴァが目を開き、歪む空間に気付いて驚きを露にする。


「馬鹿な! 私の感知は反応していなかったぞ!? ……いや、違う。これは――」


――まさか、感知には引っ掛からない転移魔法か?


空間の異変に思考を巡らせつつも、ノヴァは内心笑っていた。


あわよくば、レオンと合流できるかもしれないと思ったからだ。


しかし、そうなるとカレンだけがこちらに取り残される事になる――それに気付いたノヴァはカレンの方を見て、それが杞憂だった事を悟る。


何故なら、自分だけではなくカレンも、湾曲した空間の中でも唯一何ら変わりなく見えており、この空間では異質に見て取れたからだ。


この湾曲した空間の中でも明確に姿が見える者が跳ばされる――それは、レオンの一件で分かっていた事だった。


そうと決まれば、離ればなれにならぬように手を繋いでおくのが得策か。


もしかしたら、それでも離される危険性があるが、このまま何もしないで跳ばされるよりはマシだろう。


カレンも、ノヴァだけではなく自分も跳ばされる対象に加わっている事に気付くと、同じ事を考えたのかノヴァに向けて手を伸ばしてきた。


「ノヴァさん、手を――!」


「分かっておる!」


ノヴァはさっと手を伸ばしてカレンの手を握ると、カレンの体を引き寄せた。


同じくカレンもノヴァの体を引き寄せており、二人は抱き合うような形で密着した。


直後、二人の姿が急速に薄れていき、フォールン海岸から姿を消した。


後には、打ち寄せる波の音のみが残された……



―――――――――――


――ドサッ。


「きゃあっ!」


「うっ」


フォールン海岸から姿を消した二人は、一瞬の暗闇を経て違う場所に放り出された。


しかも、放り出されたのが地面から一メートルも離れていない場所で、体勢も整っていなかった事もあり、上手く着地が出来ずに二人は縺れ合うようにして地面に落ちた。


カレンは慌てて身を起こそうと地面に手をついたが、明らかに地面のモノではない柔らかい感触がして、カレンは視線を下に落とす。


――ムニュ。


「あ……」


「……」


カレンは呆然と自分の手が掴んでいるモノを見て、なんとなく揉んでみた。


――ムニュムニュ……


「……大きい」


「いや、大きいではなくてだな……退いて貰えないだろうか?」


カレンの下敷きになる形で地面に落ちたノヴァは、カレンに胸を揉まれて苦笑いしながら告げる。


そこでカレンが漸く正気に戻り、フードの下でぼぼっと頬を真っ赤にしてノヴァの腹部から退いた。


「ご、ごめんなさい! その、つい……」


「いや、同じ女性なのだから構いはしないさ。それよりも――」


カレンに続いて立ち上がったノヴァは、周囲を見回して呟く。


「……なるほど。ここが主の言っていた"虚世の空間"とやらか。

話しには聞いていたが、本当に全てが黒く染まっている場所だな……」


「ここが以前【覇者】が言っていた"虚世の空間"? 確かに聞いていた通りですけど……ここに来るには〝扉〟と言うか、通り道が必要だったんじゃないんですか?」


そんなモノは無かったように思えるんですけど、とカレンは続ける。


それにノヴァも頷いて返し、自分の考えを述べる。


「うむ、私もそう聞いていたが……今回は少し特殊なケースのようだな。

もしくは、これも一つの形なのかもしれぬ。この空間に来るための、な」


ノヴァは漆黒の空間を眺めて言うと、碧眼を閉じた。


どうやら、感知の領域を拡大しているらしい。


現に、今もノヴァは魔力をソナーのように飛ばして感知している。


レオンが創ったオリジナル魔法、【脈絡探知】だ。


ノヴァはレオンが使うのを見て、それを使えるようになっていたようだ。


本当にノヴァさんは凄い――カレンはそう思い、瞑目しているノヴァを上目遣いで見やった。


思えば、魔法と言う一点に於いて、ノヴァに限界はあるのだろうか?


ノヴァの魔力は無限――それを考えれば、如何なる魔法でも行使できるように思える。


正直、『闇の覇者』との戦争だって、ノヴァ一人で勝てそうな気もしてくる。

聞けば、現時点での『闇の覇者』は、かつてのように無限の魔力を有しているワケじゃないようだし。


いや……そういえば、レオンがノヴァの事について話していた時に、レオンとノヴァは〝無限の魔力〟について何か考えがあるみたいだった。


そうなると、ノヴァの限界についてレオンとノヴァ自身は理解しているのかもしれない。


(……レオンとノヴァさんはどこまでお互いの事を知っているのかしら)


レオンとノヴァが恋人同士なのは知っている。なら、一体どこまで関係が進展しているのだろう。


抱き合っているのは見た事があるし、キスだってしているのを見た事がある。


そうすると、もう一緒にお風呂に入っていたりするのだろうか? いや、もう同じベッドで寝たりしているんじゃないだろうか? いや、もしかすると既に夜の営みまで……


(って、何考えてんのよ私は!)


カレンは慌てて首を振ると、瞑目しているノヴァに尋ねた。


「何か分かりましたか?」


「ん……分かったと言えば分かっている。やはり主はこの空間に居るようだ。少し力の波動が妙な気もするが、主の気配は確かに感じ取れた」


「そうですか! なら――」


「暫し待て!」


弾んだ声音で早速方角を聞こうとしたカレンだったが、それをノヴァが制止する。


何事かとカレンが動きを止めたのが分かると、ノヴァはうっすらと開眼して口を開いた。


「確かに主の存在は確認できたのだが……主のすぐ近くに、強大な力を感じさせる存在が居る。

それと、何人かの気配も感じる。こちらは力の波動は普通だな……恐らく、行方不明になっていた者達だろう」


「【覇者】だけじゃなくて行方不明者もこの空間に居るのね。

なら、早く助けに行きませんか?」


カレンは急かすように言うが、ノヴァは首を横に振った。


それを見たカレンは、怒りと焦りを含んだ声音で問うた。


「何でですか!? レオンも見つけて、行方不明者も生きているのなら早く助けに行かないと――」


「だから暫し待てと言っておるだろうに」


ノヴァはにべもなくカレンの言葉を遮ると、諭すように言った。


「主の力の波動が少し妙な感じがすると言っただろう? その事なのだが……今はまだ、私達が駆けつけるべきではない気がする。

これと言った根拠は無いが――強いて言えば、主の力の波動から感情が感じ取れたような気がしてな。

そう、『今はまだ、こちらには来るな』……という感情がな」


遠くの方を見るような目つきで言葉を紡ぐノヴァ。


しかし、声音が震えていることから、決してそれが本意では無いのが分かる。


本当はノヴァも今すぐレオンのもとに駆けつけたいのだ。


その気持ちを押し殺して、ノヴァは口にしている――それを理解したカレンは、ノヴァを咎める言葉を口にしようと開きかけていた口を閉じた。


暫し経ってから、再び口を開く。


今度は責めるためではなく、謝罪の意を現すために。


「ノヴァさん……早とちりしてすみませんでした。今思えば、私も考えが足りてなかったです」


「――いや。そう気にしてくれるな。端から聞けば、私は大切な人を見放しているようにしか聞こえないのだからな……」


自嘲気味な笑みを浮かべるノヴァ。


そんなノヴァに、カレンは苦笑いした。


フードの下で、唇を尖らせながら言う。


「それを言うなら、曖昧な感情を送ってくる【覇者】の方が悪いですよ。

全く、また危険なコトに首を突っ込んで……何でもかんでも一人で成し遂げようとしすぎよ」


「フフッ、そう言ってやるな。あれで主は必死に遣り繰りしているのだからな」


不満そうなカレンの心境に気付いたのか、ノヴァは苦笑混じりに言う。


カレンも軽く笑うが、一転して真面目な雰囲気になった。


ある事を思い出したからだ。


カレンは一度、ノヴァのように感知の範囲を拡大させてみる。ノヴァが感じられたのなら、自分が感じれてもおかしくはないはずだ。


相手が気配を隠しているならともかく、気配を隠さず、それでいて強大な力を持つ相手なら普通に感知できてもいいのだから。


しかし、カレンの感知にはレオンの気配も敵の気配も、何一つとして引っ掛からなかった。


おかしいわね――そう思い首を傾げたカレンは、ノヴァに訊いてみた。


「ノヴァさん、ちょっといいですか?」


「なんだ?」


「ノヴァさんの感知にはレオンや敵の気配が引っ掛かったんですよね?

でも、私の感知には何も引っ掛からなかったんですけど……これはどういうことなんですか?」


「む? そう言われてみれば……確かにおかしいな」


カレンの言葉にちょっと目を見開いたノヴァは、豊満な胸の下で腕を組んで考える。


続いて、何かしらの答えに至ったのか、再び感知の範囲を拡大して、ある程度まで感知の領域を広げると、ピタリと拡大を止めた。


そのまま暫し〝何か〟を探り、納得したようにノヴァは頷いた。


「やはりな……」


感知を止めて、カレンに答える。


「どうやら、現在主が居る空間と私達が居る空間とでは、空間の層に少しだけ誤差があるらしい。

私の魔力が主に届くまでの間と、主から反響した魔力が帰ってくるまでの間。

その途中で、全く同じ座標で僅かに魔力の位相にズレが生じたのだ。恐らく、この考えで間違いはないだろうな」


「空間の層に誤差……? 例えば、私達が今居る空間が一階で、【覇者】が居る空間が二階――そんな感じですか?」


「ああ。イメージとしてはそれで良いと思う。となると、主が居る空間の層に行く方法を考えねばならんが――そちらはどうとでもなる」


「ああ……それなら確かに、空間系の魔法を使えばどうにかなりそうですね。

尤も、"虚世の空間"から元の世界に戻る時にはその手段が通用しないかもしれませんけど……」


「フフフッ、確かにそうだな」


ノヴァは軽く苦笑いすると、レオンの力の波動を感じた方を見つめて目を細めた。


(主……必ず帰ってくるのだぞ)



―――――――――――


精神体となり屋敷から離れたファランは、精神体を粒子化させて即座にレオンの精神世界へと帰還を試みた。


精神世界へ帰還する事は、それこそ本当に世界の境界線を越えていない限り一瞬で帰還できる為、世界から多少外れた程度の位置である"虚世の空間"に居るレオンの精神世界には、瞬時に帰還できる〝はずだった〟。


そう、はずだったのだ。


しかし、レオンの精神世界に入るか入らないかの地点……謂わば、精神世界と表層意識の狭間のような場所で、ファランは精神世界への帰還を阻まれた。


真っ暗な狭間の空間に一人浮かぶファランは、苛立たしげに唸った。


(クソったれがァ……精神世界への干渉が強引に断ち切られやがる!

まさか、〝あの封印〟が解けかかってンのかァ!? ったく、次から次にめんどくせェヤツだなオイ……!)


ファランは舌打ちすると、目の前の虚空を睨んで左手を翳し、叱声を放った。


蒼銀のオーラに覆われた左手が輝きを増し、莫大な力が集約する。


「響き壊せ零の螺旋! 【零禍音(イディオノイズ)】!」


言下に、ファランの左手から螺旋を描くかの如く渦巻く不可視の衝撃波が放たれ、轟音と共に眼前の空間を打ち砕く。


レオンには悪いが、背に腹は換えられない。一時的に表層意識と深層意識を繋げた状態にする。


この状態になると、意識を失っても精神が休まらず、身体にも莫大な負担がかかってしまうのだが、〝今のレオンには〟意味を成さないであろう。


(今ならまだ、抑えられるか――!?)


ファランは打ち砕いた空間の先へと飛び込むと、今度こそ精神世界へと帰還を果たした。


ファランはレオンの精神に広がる、幻想的な秘境の一角に静かに舞い降りる。


続いて、ファランはくっと顔を上げた。


そして、眼下に広がる光景を見て表情を歪める。


「……厄介だなァオイ」


――堪えろよ、レオン!



―――――――――――


――〝それ〟はあまりにも突然の事だった。


故に、〝それ〟を目にしたエキドナは己の目を疑った。


『なんだ……?』


金色の奔流が呑み込んだ、先程までは敵が立っていた場所を、蒼銀に輝く風が球体状となって渦巻いている。


不可解な光景を目にしたエキドナは、一度は解いた警戒を再び張り巡らせる。


確かに、あの黒衣の男はエキドナの放った黄金の光条に呑み込まれたはずだ。


光の奔流に呑まれた後も、消えゆく力の波動を奔流の爆心地に感じられたので、間違いはない。


確実に殺したと言えるだろう。


現に、つい先程まではエキドナも敵が死んだと思っていた。


だが、そんな考えは次の瞬間脆くも打ち砕かれた。


「ガガガガガ……」


『……?』


突如として蒼銀の風の球体から不気味な声が聞こえ、エキドナは前方に視線を固定させたままゆっくりと後退する。


敵に動きがあったその時、すぐに迎え撃つ為だ。神気による強化も抜りはない。


エキドナは再び始まるであろう戦闘に備えると、金色の手甲を纏った繊手を振り上げ鋭く叫ぶ。


『我が魔光よっ』


言下に、エキドナから眩い金色の光の奔流が迸り、瞬く間に蒼銀の風の球体を呑み込んだ。


まるで、先程の光景のリプレイを見ているかのように、蒼銀の風の球体は光の奔流に呑まれたが――エキドナはカッと金色の瞳を見開き、呟いた。


『来るかっ』


エキドナは両手に光剣を生じさせ、それをクロスした。


直後――





『グギャァアアアアアアアアアアアアアアッ!』





人ならざる咆哮が響き渡り、轟音と共に光の奔流が両断された。


両断された光条は周囲に四散し、これまた轟音を立てて"虚世の空間"特有の漆黒の大地を派手に抉った。


その余波はエキドナにも襲い掛かったが、クロスさせていた光剣を振り抜く事で衝撃を相殺させ、事なきを得る。


しかし、エキドナは流れ弾となった己の魔法に穿たれた大地には見向きもせず、ただひたすらに金色の光の奔流が両断された先を凝視していた。


『あれは……』


未だ金色の粒子が蛍火のように舞う魔法の爆心地には、一人の男が立っていた。


先程まで目深に被られていたフードは吹き飛び、腰まである長い黒髪が風に靡いている。


明かされた素顔は女性のように整っており、冷たい印象を与える美貌は今は何も感じさせぬ氷のような無表情を浮かべていて、怜利な美貌により一層磨きをかけている。


エキドナは男だと思っていた者の姿を金色の瞳に映し、密かに認識を改める。


(この者……声からして男だと思っておったが、女だったのか)


――だが、油断はしない。


男だろうと女だろうと、強さは変わらない。性別だけでは力は計り得ないのだから。


エキドナは気を弛めずにレオンの様子を窺うが、レオンは軽く瞑目したまま動かない。


まるで時が止まっているかのように微動たにしなかった。


(そちらからは動かんか……ならばっ)


思考したのも刹那、エキドナは先程よりも更に魔力を高めていく。


それに呼応するようにエキドナに閃光が収束していき、金色の光がエキドナを覆う。


淡く輝いていたエキドナのオーラが、眩しい閃光と共に拡大した。"虚世の空間"の大気が震え、不気味な鳴動が始まる。


その音が高まりきった時、エキドナは金色に煌めく片腕をさっとレオンに伸ばした。


『我が力で虚無へと帰せ! 【ヴィヴィ・ヴァローネ】!』


瞬間、世界を貫く閃光が迸った。


放たれた光の奔流は膨張し、漆黒の世界を金色に染め上げて走り抜ける。


籠められた魔力も尋常ではなく、莫大なエネルギーで空間を湾曲させながら、静止しているレオンへ迫る。


光速すら超えた速度の一撃がレオンに直撃した瞬間、この世の終わりを告げるかのような爆音が世界の音を独占した。


――しかし、エキドナには聴こえていた。


爆音が世界の音を独占する中、幽かに高い音が混じっているのが。


キィィイイイイイイィィィン……


段々高くなっていくその音が鳴り止んだその時――


『グギャアアアアアアアッ!』


天にも届けと言わんばかりの咆哮が上がり、次いで金色の光のベールを引き裂いて黒影が飛び出した。


エキドナはその姿を見て目を見開き、その表情を驚愕に染め上げた。


『馬鹿な……その瞳は、まさか――』


瞳だけではなく体にも変化は見られるが、そちらは問題ではない。真に問題なのは、真紅だった瞳が色変わりし、右目は金色、左目は灰色になっている事だ。


エキドナは知る由もないが、今までこの状態になった時には、目に関しては両目共に金色に変わる程度で済んでいた。


だが、今回の変貌は違う。左目だけ、灰色へと移り変わっている。明らかに何らかの異変が進行しているのだ。


そして、レオンの身に起きている異変が完全に進行した姿を過去に目にした事があるエキドナは、レオンの正体について一つの答えに辿り着いていた。


奇しくも、ファランと同じく戦闘中にだ。


そして、その正体に行き着いたエキドナがこの戦いで初めて明確な焦燥感を露にする。


(何故だ、何故『混沌』がこの世界にいる!? 『混沌』は現在このルーレシア世界には居ないはず……となると、まさか"四人目"の『混沌』か!?)


エキドナは信じられないモノを見るような目でレオンの姿を見ると、唇を噛み締める。


(それこそおかしい! 『混沌』は三人目を最後に金輪際現れないのではなかったのか!?

だが、間違いなくこの気配は『混沌』のもの。かつて我が殺してきた勇者や英雄の類いも、死の危機に瀕すると力を覚醒させたりはしておったが……こやつからは英傑達が持つ善意の波動が感じられぬ。

その対極である悪意の波動しか感じられぬ! こやつは善なる存在たる英傑ではない。系列で言えば間違いなく悪神よりの存在――つまり、条件的に当てはまるのはやはり『混沌』でしか有り得ぬ!)


しかし――と、エキドナは見方を変えてみる。


(もしこの女が『混沌』だったとしても、髪と瞳の色が〝銀色〟ではない。

つまり、現在はまだ『混沌』としての高みには到達しておらぬのではないか?

もしそうだとすれば、今なら討滅する事も可能かもしれぬな)


ならば――


『今ここで、我が直々に引導を渡してくれよう!』


光速へと至った思考速度で結論を出すや否や、エキドナはレオンに向かって踏み込み、光速の速度域に突入した。


途端、宙に浮いて静止していたレオンが目をギラつかせて動きを見せた。


エキドナが己の間合いに突入しようと疾走して来るのを確かに視界に捉え、力強く踏み込んだのだ。


レオンが踏み込んだ瞬間蹴飛ばされた大気が震え、空間が歪んだ。


そして、加速したレオンの体は――


エキドナと同等の速度――光へと到達した。


『――ッ、やはりこの速度域に突入してくるかっ』


『ガァアアアアアアアッ!』


両者共に光速の速度域へと到達した所為か、レオンとエキドナ以外の世界は静止し、速度を失った世界でレオンとエキドナは激しく斬り結ぶ。


レオンが魔剣を振ればエキドナが光剣でそれを弾き返し、エキドナが光剣を振ればレオンがそれを防ぎ、受け流す。


数万合それが続いた時、レオンが振るった魔剣を受け止めたエキドナが突如として後退し、突然の事に対応しきれなかったレオンの上体が大きく前のめりに倒れる。


それにより、レオンの体勢が僅かに崩れた。完璧な舞いにも似たレオンの動きに乱れが生じた。


とはいえそれも刹那の間で、すぐにレオンも体勢を立て直したが、一瞬とはいえ隙ができたのには違いはなかった。


本来、その乱れは瞬く間に回復する程度のもので、普通なら隙と呼べるようなものでもなかっただろう。


だかエキドナは、反射的にそこに付け込んでいる。刹那の間攻撃の手が止まったレオンを目指し、後退した位置から一気に躍り込む。


残像がエキドナの背後に無数に連なり、金色の残光を伴って綺麗に流れていった。


レオンに防御する暇を与えず、レオンの眼前で光剣を振り上げた。


『これで終わりだっ!』


莫大な魔力に呼応するように輝く光剣が振り下ろされ、レオンを真っ二つに叩き斬らんと迫る。


ところがレオンの顔を見た時、レオンががぱっと大きく口を開いているのが見えた。


まさか、この距離でブレスでも吐くつもりか――!とエキドナは戦慄したが、すぐにそれが思い違いである事を知る。


『――――――――――!』


眼前でレオンが咆哮を発したが、その声は発される事はなく無音。エキドナはその辺りに疑惑を抱いたが、その刹那、エキドナの戦士としての勘が危険を感じ取った。


そしてその光速の思考が追いつく暇すらなく身体が反応し、エキドナは光剣を振り下ろす軌道を無理やり横一文字に振り抜く軌道に変え、その動作と連動するように大きく横に跳躍した。


直後、エキドナの耳を、不意に不思議な感覚が通り抜けた。正体が掴めない。強いて言えば、気圧が変化したようだったが。


(……? なんだ、今のは――)


エキドナが眉をひそめた時、奇怪な出来事が起こった。先程までエキドナがいた場所の地面が歪み、崩れ始めたのである。


崩れる。


崩れていく。


爆発するのではない。


轟音が響くのではない。


殆ど音らしい音も立てず崩壊していくのだ。砂の山が波に洗われるよりも静かに、虚しく、儚く。


無音のうちに消滅した大地を見たエキドナは、全てを理解する。


風と音は同じようなものだ。


そう、空気の震動という一点に於いて。


そもそも、風属性と音属性ではそれぞれ特化している部分が違うものの、空気に干渉している点だけは変わりない。


ここで考えられるのはレオンが音属性を使ったという事だが、レオンは音属性を使ったワケではなかった。


いや――〝使ってはいるが、使ってはいなかった〟のだ。


レオンがした事。それは――


『こやつ……! 己の風属性に音属性を完全に融合させたのか!』


『魔法』の融合ではなく、『属性』の融合。


いや、それだけではない。こやつは己が『風の覇者』としての権能すら融合させて――!


エキドナがそれに勘づいたのと同時に、レオンが顔をこちらに向け、再び大きく口を開いた。


戦いの中で進化を遂げた力が、エキドナに奮われる。


――無音の衝撃――





――【ソニック・ブラスト】――!


エキドナの驚愕も意に介さず、レオンはエキドナに向けて口を大きく開き咆哮する。


レオンの咆哮により、空気のみならず空間に満ちたありとあらゆる力の波動までもが光速で超振動し、それによってソニック・ビームを遥かに超越した破壊力が一斉にエキドナへと襲い掛かる。


咆哮は完全に指向性が制御されていた。破壊規模を一点に限定して威力のみを更なる超常の域に高めた咆哮には、流石のエキドナもその表情に余裕がない。


これだけを見るとエキドナの力量が現在のコレだと勘違いをするだろうが、実はエキドナにはまだ余力が有り余っていた。


しかし、とある事情によりファランと同じくエキドナは完全に力を発揮する事が出来ない。


それ故に、エキドナは今現在発揮出来る全力を以て咆哮を防御する。


両手に生じさせた光剣を大上段でクロスさせるように構え、Xを描くように一気に振り下ろしたのだ。


不可視の衝撃波と金色の軌跡がぶつかり合い、せめぎ合う。


『グガガッ』


『くっ……』


空間ごと斬り裂いて咆哮を相殺させたが、その際に生じた衝撃波により両者共に後方に大きく吹き飛ばされる。


しかし、レオンよりも速く着地を果たしたエキドナはすぐに追撃に備えて光剣を下段に構える。


その行動は正しかった。宙を滑空していたレオンが急制動を掛け、今にも間合いを詰めようとしていたからだ。


――さて、ここからがまた長くなりそうだ。


そう密かに考えていたエキドナだったが、そんな考えは次の瞬間覆される事となる。


『グルルルル……――ッ、ガガ?』


(――?)


つい先程まで確かな闘志を宿していたレオンの金色と灰色の瞳が、ふいに不安定に揺らいだ。


しかし、レオンが警戒を解いたワケではないので、エキドナは様子を見る事にした。


無論、敵に動きがあればすぐに反応できるよう、神経を研ぎ澄ませたまま待機状態に入っているが。


エキドナが冷静に観察していると、レオンに動きがあった。


しかし、それは戦意を示すモノではなかった。未だに戦意は失われてはいないが、レオンは再び戦闘に入ろうとはせず、ただ表情に苦痛の色を見せた。


『グ……ガァ……「く、くうぅ」


次いで、人ならざる声音に人間らしさが戻り、身体に見られていた爪が伸びるなどの変化も元に戻っていき、最後に瞳の色が真紅へと戻った。


同時に、レオンは光速の速度域に存在していられなくなり、レオンとエキドナのみが君臨していた世界から外れた。


「がぁああああ! うっ……ゴホッ」


身体に見られていた変化の全てが元に戻るや否や、レオンは胸の辺りを押さえて苦しみ始め、激しく咳き込んだ。


すると、ビチャビチャと生々しい音を立てて血が吐き出され、レオンはそのままふらりと前のめりに倒れかけた。


「あっ……ぐ、ぐううううう……」


しかし、倒れそうになるのを何とか踏み留まると、正気に戻ったレオンは呟いた。


「くっ……一体何が」


そう呟きつつも、エキドナの力の波動を感じると、ダメージの所為で一度は下ろした魔剣をまた持ち上げようとした。


余程身体に負担が掛かっていたのか腕は震えていたが、停止するには至らない。


魔剣はゆっくりと持ち上がり、唇から鮮血を垂らしながらも再び全身に蒼銀のオーラを纏う。


そんなレオンの姿を見て、エキドナは感心したようにすっと目を細めた。


『ほう。まだそんな力が残っていたのか。尤も、先程までの力と比べれば雀の涙にも等しいが……』


「黙れ……」


レオンは低い声でそう返したが、その声音も苦痛に震えているのが分かる。


エキドナはそんなレオンを見て、考える。


――果たして、今ここでこの女を殺してもいいのかと。


ここまで戦っておいて何だが、事情を知る者が聞けば理解するだろう。


もしレオンが『混沌』だと知らなければ、エキドナは躊躇わずレオンを殺していただろう。


しかし、レオンが『混沌』である可能性が高い事が分かった今、エキドナとしては選択に迷う。


何故ならば、エキドナにとって『混沌』とは実は味方に近いのだから。


確かにエキドナは、『闇の覇者』の召喚に応じてこの〝本来ならば介入できない〟はずのルーレシア世界に来訪した。


そして、その際に命じられた事は、"覇者"後継者の殺害。その代償として、莫大な魔力を『闇の覇者』はエキドナに支払っている。


普通なら、このまま命令通りにレオンの命を絶つべきなのだろう。


しかし、今ここでレオンを殺せば、後々エキドナに取ってあまりよろしくない状況が待っている。尤も、何故かは今はまだ語られるべきではないのだが。


兎も角、先程までは深く考える事よりも戦う事に集中していた為、殺す気で攻撃していたが……こうして考えてみると、どっちに転んでもエキドナの立場が非情に危険な事になる。


殺さなければ召喚された時の契約が破棄され、この世界に存在していられなくなり強制送還されるし、殺せば味方が減る事になるどころか、もし他の『混沌』に伝われば、『混沌』が敵に回る事すら有り得る。


その少しの迷いが、結果としてレオンの命を救った。





『おい、今すぐ俺と交代しろ! そいつには俺が話を付けてやるっ』



―――――――――――


「――ッ、ファラン!?」


突如として心の穴が塞がるような感覚がして、それと同時にファランの声が心中に響き渡る。


いきなり何の脈絡もない呟きを洩らした所為か、エキドナが不審そうに見てくるが、俺は何も言わずに思考をエキドナに向ける事とファランに応じる事とで分割させ、精神を集中させる。


『ファラン、戻ってきたのか! それより、〝戦う〟ではなく〝話を付ける〟とはどういう事だ?

エキドナは敵だぞ?』


俺がそう問い掛けると、唸るように返事が返ってきた。


『それはまだテメェが知るべき事じゃねェンだよ……! 時が来たら必ず話すから、今は大人しく俺と代われェ!

大体、今のテメェじゃ勝てる相手じゃねェ事くらい分からねェのか、あァン!?』


『くっ……分かった、代わろう』


ファランの言葉に俺は何とも言えない怒りと悔しさを感じたが、状況が理解できない程馬鹿ではないので、素直に返答した。


――今のテメェじゃ勝てる相手じゃねェ事くらい分からねェのか、か。


確かにそうだ。エキドナは強い。俺よりも遥かに強い。俺が到達し得ていない高みに到達している。


それでも諦めるつもりは毛頭ないが、正直、このまま戦っていたら死ぬのは俺の方だろう。戦士としての勘がそう告げている。


――悔しい。


俺は弱い。だから、こうしてファランに頼らないといけないような状況に陥るんだ。


そして何より、そんな弱い自分自身が腹立たしい。


……俺は何なんだ? 普段あれだけ偉そうな事を言っておいて、結局はファランが居ないと何も出来ねェのかよ。


冗談じゃねェ! いつまでもファランに迷惑を掛けてられるかっ。今は無理でも、いずれ必ず、俺は――。


想いを胸の内で巡らせているうちに、表層意識へとファランが上がってくるのを感じる。


反対に、俺の意識は深層意識へと沈んでいき――。


やがて、俺の意識は暗闇に落ちていった。



―――――――――――


『なんだ?』


様子を窺っていたエキドナは、ふいにぽつりと疑惑の言葉を洩らした。


勘違いかも知れないが、レオンを纏う雰囲気が微妙に変化したように思えたからである。


そんなレオンを戸惑ったようにエキドナが観察していると、レオンが動きを見せた。


よろめく身体を強く保ち、前傾していた姿勢をゆっくりと起こしたのだ。


血を流しながらも、背筋を伸ばして魔剣を肩に担いだその姿からは、先程まではなかった何かを感じさせる。


エキドナが静観していると、様子が変わったレオンが口火を切った。





「よう。久しぶりじゃねェか、エキドナ」


『……? 何を言って――』


レオンの言葉に眉をひそめたエキドナだったが、その端正な顔に急激に理解が広がった。


下半身である大蛇の身体をくねらせて若干後退すると、エキドナは誰何の声を放った。


『貴様っ。まさかとは思うが、〝秩序無き乱世王〟【戦神王】ファランか!?』


「カカカカカカッ。 分かってんじゃねェか! ざっと三千年ぶりかァ?」


封印の刻から幾星霜――再び己が二つ名を耳にしたレオン――いや、ファランは嬉しそうに頬を歪めた。


三千年――数千年前に【神格化】という魔法が失われたというだけで、ファラン達の世代の覇者の起源は今から約七千年程前だ。


その内の三千年だ。つまり、ファランはエキドナとは肉体を失う二千年前、遠き異世界で会った事があるのだ。


それも、戦場の真っ只中でだ。


あの時のファランと敵対してはいなかったが、味方でもなかったのは事実。


そして何より、ファランの圧倒的な絶対者の力は、エキドナも過去に目にした事があり、その力の強大さも理解している。


それ故に、信じられなかった。


『その小娘が貴様の名を言った時、まさかとは思っていたが……本当にこの世界に居ようとはっ』


「居ようとはも何も、元より俺はルーレシア世界の出身だからなァ。

むしろ、俺としてはテメェがこの世界に居る事の方が驚きだぜ。

どォやってこの不可侵の世界に入ってきたかはコイツの記憶を覗いたから分かってるとはいえ、なァ。

それと一つ言っとくが、コイツは男だぜ?」


ファランが悠々と言い終えると、エキドナは苦々しい表情になる。


『よりにもよって貴様がこの世界の出身だったとは……! しかも、『混沌』と契約していようとはな!』


「ほォ? その様子だとやはり気付いたみてェだな、コイツの正体によ」


そう言って、ファランは己の胸……レオンの胸の辺りをトントンと指で軽く叩いて見せる。


それを見たエキドナは、強張った表情のまま口を開いた。


『やはり貴様も気付いていたか。ならば、何故契約を破棄しない?

その者は己の力を制御できていないどころか、力の存在すら知らないのだぞ?

下手をすれば、我等とて身を滅ぼしかねん存在だと言うのに』


「カカカカカカッ、ンな事ァどうでもいいんだよ。それに、コイツにはまだまだ強くなって貰わなきゃならねェンでな。

来るべき戦いに備えてなァ」


『……そうか』


エキドナは静かにそう答えると、光剣を構えた。


それを皮切りに、エキドナの雰囲気が話し合いの場から戦いの場のそれへと変わっていき、金色の瞳には戦意が宿る。


それを見たファランは目を細めたが、ただつまらなさそうにあろう事か神器再現を解いてしまった。


エキドナは怪訝そうにファランを見やる。


『どうした。戦うのではないのか?』


「ハン! 俺としては殺り合っても構わねェンだがな……俺が力を解放すると、コイツの身体が俺の力に耐えきれずにブッ壊れる。

それだけはなるべく避けたいんでなァ。そこでだが――エキドナ。俺に免じてこの戦いは退け」


『……』


ファランの傲慢な言葉に、エキドナは沈黙する。


確かに言い様は傲慢だが、エキドナに取って悪い話ではない。実際、今ここでファランとかち合えばエキドナが負ける可能性が非常に高いからだ。


元より、エキドナは「"覇者"後継者の相手をしろ」としか言われておらず、例え"覇者"後継者でも『混沌』や"覇者"本人の相手をしろとまで言われてはいない。


エキドナはそれらの事を踏まえて思考すると、結論を出した。


『いいだろう。この場は我が退くとしよう。いかに我とて、『混沌』と【戦神王】を相手取って無事でいられる程の自信はないからな』


ファランを睨んで吐き捨てながら、両手に顕現させていた光剣を消した。


蛍火のように散っていく金色の煌めきの向こう側、ファランは唇の端を吊り上げた。


「ハッ! 流石に悠久の時を生き、戦い続けてきただけの事はあるじゃねェか。下らねェ意地に囚われない良い判断だ」


尤も、昔っから喧嘩で先に背中を見せた奴が負けって言うがなァ――と、ファランは続ける。


それに対してエキドナは、ファランから視線を外した。


黙って純白の翼を広げる。


低い声で言い捨てた。


『……挑発には乗らん。我はこれでも、幾多の戦いをくぐり抜けている。

絶対の勝算が無ければ戦わぬ』


最後にじろっとファランを見る。


『貴様の無礼については、いずれ必ず礼をするがな……』


「クカカカカッ。その時はお互い本気の力で殺し合えれば良いんだがなァ」


ファランがそう言った頃には、エキドナは既に大きく翼を広げて飛び立った所であり、ファランを振り返る事はなかった。


風切り音のみを残し、亜光速の速度域へと加速して空の彼方へ消えた。


目線を上げた時には、ファランの視力を以てしてももう豆粒みたいな大きさになっている。


やがて、エキドナが次元を跳躍したのを感じた。本当に撤退してしまったようだ。


と、背筋を伸ばして堂々と立っていたファランが、いきなりふらっとよろめいた。


片足を前に出して何とか体を支える。


「ぐっ……ちいっ、やはり〝アレ〟を抑え込んだ後に表層意識に出てくるのは負担がデカ過ぎるかァ……!?」


それもあるのだろォが、何より御しきれていないあの力を使った所為で、レオンの身体自体にダメージが蓄積しているのか――と、ファランは冷静に思考する。


(ったく……世話の掛かるヤツだ)


ファランは舌打ちすると、【ゴッド・ブレス】で自分の――レオンの体の治癒を始めた。


レオンが行使するよりも遥かに複雑な構成の【ゴッド・ブレス】には、術式を構成する魔法文字の一文字一文字に、恐ろしく精密に再生・及び治癒力を促進させる無数の情報が内包されている。


それ故に、その効果もレオンが行使する【ゴッド・ブレス】の比ではなく、体の深奥に残っていたダメージどころか、体力的な疲労ですら完全に治癒させ、快復させる。


治癒が済むと、ファランはため息を吐いて真紅の瞳を閉じた。


小さく口を動かす。


「さて……後はテメェで上手くやるんだな、レオン」


言い残すと、ファランは表層意識から沈んでいき、深層意識へと戻っていった……



―――――――――――


『さて……後はテメェで上手くやるんだな、レオン』


『――!』


何故か精神世界に入れず真っ暗な暗闇の中に片膝を立てて座り込んでいた俺の耳に、ファランの声が聴こえてきた。


先程までは外の様子を知られたくないのか、ファランが意識のリンクを断っていたのだが……どうやら、ファランも無事にコトが終わったらしい。


意識のリンクが繋がれたから分かる。ファランと入れ換わってからの経緯は分からないが、結果としてエキドナは立ち去ったらしい。


その事を知った俺はほっとため息を吐くと、立ち上がり上を見上げて足を緩やかにバタつかせた。


すると、身体がゆっくりと浮上した。


イメージとしては、水中から水上へと浮上するイメージ。つまり、先程までは湖の底に座っていたって感じだな。


本当に水中にいるような感覚はないが、足を動かすと身体が浮上していくので、比喩としては間違いない……と、思う。


浮上していくに連れ、真っ暗な暗闇のみが支配していた空間に、僅かな光が射し込んできた。


その光の色は禍々しい蒼銀色。普通ここは明るい白光か金色の光が射し込む場面だろ、と内心で――深層意識にいるので内心で正しいのかは分からないが――思う。


まぁ、俺の深層意識だしなぁと無理に納得すると、俺は禍々しく煌めく蒼銀の光に入っていった。



―――――――――――


「ん……」


表層意識の支配権が俺に戻り、俺はゆっくりと開眼した。


すると、最早見慣れた"虚世の空間"特有の愛想のない漆黒の空と大地が視界に映り、俺はため息を吐いた。


また……負けたか。


精神世界でファランに負けて、少し前に"虚世の空間"で『闇の覇者』にも負けて、そして今、エキドナにまで負けた……


『闇の覇者』に関してはただ単に攻撃を耐え凌がれただけだが、あそこまで完全に耐えきられると負けたようなモンだ。


そして、今回のエキドナとの戦い。幾ら生き残ったとはいえ、戦闘中に意識を失なうなんて負けも同然だ。


挙げ句の果てには、ファランに助けて貰っている。話しにならないな……。


「クソッたれがァ……!」


どうやら、まだまだ鍛錬が足りてないみたいだな。元よりこの身体、人とは強度が違う。


ならば、今よりも更に限界まで鍛錬しなければ。多少ガタが来ようが、本当に危険な状態に近づけばすぐに分かる。


戦士として、身体にガタを来すのは褒められたモノではないが……仕方ない。


戦いに支障を来さない程度なら、問題ないだろう。


俺は内心で決意を新たにすると、精神を研ぎ澄ませて感知の領域を拡大させた。


エキドナが立ち去った事により、漸く本題に入れる。


そう、エキドナと戦闘を始める前に感じた複数の気配の事である。


その気配は恐らく、消息を断っていた行方不明者達だろうからな。


あの時はエキドナが居たからそっちに気を回している場合じゃなかったが、やっとまともに任務に着手出来るってモンだ。


(これは――空間に層があるのか? 位相が僅かにズレてるな)


俺は冷静に気配を感じる辺りを分析し、その結果から答えを割り出していく。


そうと決まれば、以前"虚世の空間"から脱出した時みたく空間を斬り裂けば違う層に渡れそうだな。


と、考えていた時、血が凍った。何故なら俺の感知に大量の魔獣の気配と、よく身に覚えのある気配が引っ掛かったからである。


馬鹿なっ……この気配、カレンとノヴァか!? 何故"虚世の空間"に居るんだ?


いや、それなら俺が送り返せば良い事だし、どうとでもなる。


だが、この濃密な魔獣の気配はなんだ!? 一万や二万じゃない、五万……いや、十万!? 駄目だ、感知しきれん……!


俺の力を以てしても総数が割り出せない魔獣の大軍の気配を感じた俺は、即座に右手を横に突き出した。


低い声で言う。


「来い、〝覇黒〟」


言下に、黒い粒子が収束して見慣れた黒い刀が顕現する。


今は〝覇黒〟と銘を偽っている、〝黒風〟だ。


俺は黒刀を腰に帯びると、ふと思い出して肩の辺りにわだかまっていたフードを被った。


危ない危ない……もう少しで素顔を曝したまま行く所だったぜ。


まぁ、例え素顔を見られたとしても、あまりにも大人数過ぎなければその部分だけ記憶をぶっ飛ばせばいいんですけどね。


さーてと、早速行くとするかァ!?


俺は腰を低くして鞘に左手を添え、柄に右手を置いた。


瞬間、虚空を一筋の蒼銀の軌跡が斜めに走った。


衝撃波が走り、一拍遅れて空間そのものが蒼銀の残光に沿ってズレた。


そのズレた裂け目の向こうに、俺が今居る場所とよく似た空間が広がっている。


違うのは地形だけで、後は全てここと同じ漆黒の空と大地だ。


――濃密な魔獣の気配を別とすれば。


ビシュッと斜めに黒刀を振り捌くと、俺は裂け目の向こう側をぎろっと睨み付け、駆け出した。


低い声で呟く。


「今行くぞ、【天使】、ノヴァ……!」


独白した後、俺は裂け目の向こう側に消えていった。


それから間もなく、役目を終えたように裂け目は静かに閉じていった。


後には、誰もいない静けさのみが残された……



―――――――――――


「――! 捉えたッ」


裂け目を抜けて別の空間に移動してから、黒き曇天の下を数分ほど疾走を続けて、俺は遂に魔獣の大軍を目視した。


その眺めたるや、実に壮観なものだった。


地平線の彼方まで様々な魔獣達が犇めいており、無限に居るのではないかとすら思えるほどだ。


それを目の当たりにした時点で頬が引き攣るのが自覚できたが、魔獣達の種族を見た俺は更に表情を歪めた。


忌々しげに独白する。


「エキドナのヤツ、置き土産のつもりか……!」


魔獣の大軍とは、その大軍がどの種族で構成されているかは本来判別仕切れないモノだ。


魔獣の総数が多すぎたりするのもそうだが、理由はもっと別にある。


いや、有名所の魔獣なら大体の判別は出来るのだが、魔獣が大軍を成す時には多くの場合名も知らぬ魔獣が居る事がある。


魔獣の名前や特徴が記載された文献は沢山あるが、その文献には記載されていない魔獣も確かに居るのだから。


もしくは、かなりマイナーな魔獣だったりとかな。


だから判別仕切れないのだが――今回の場合は別だ。


少なくとも、今目で確認出来る範囲に居る魔獣の大軍がどの種族で構成されているか、俺は全て言い当てる事が出来る。


一般人にはまず無理だろう。


確かにこの大軍の大体の種族はこのルーレシア世界にも存在しているが、中にはルーレシア世界に存在していない種族も居るからな。


そして、遥か遠き異世界の知識を持つ俺だからこそ分かる。


この大軍が、エキドナが残していった魔獣達である事が。


何故そう言い切れるのかは、大軍を構成している魔獣の種族を見れば分かる。


三つの首を持つ黒く巨大な犬の姿をした魔獣、ケルベロス。


黒い双頭の犬で、鬣一本一本と尻尾が細長い蛇になっているオルトロス。


巨大な胴体と九つの首に、強靭な前足と後ろ足を持つヒュドラ。


百の頭と茶色い鱗を持つ不眠のドラゴン、ラドン。


鈍色の鱗を持つ護宝竜、金羊毛の番竜。


茶色い毛皮に力強い四肢を持つ大猪、パイア。


獅子の頭と山羊の胴体、毒蛇の姿をした尻尾を持つキマイラ。


分厚い皮に筋肉と同化した強靭な甲羅を持つ獅子、ネメアーの獅子。


その魔獣達が大軍を成していたのである。


存在を確認出来ていない種族の中でも、デルピュネとスキュラの存在が確認できていない事に疑問を抱いたが、間違いなくこの大軍はエキドナの子供達の種族で構成されている。


勿論、本当にエキドナが産んだ子供である一体しか存在しない特殊個体の魔獣はこの大軍の中には居ない。


あくまでもそれに連なる種族と言うだけだが、ここまで来るともうエキドナの仕業と見て間違いないだろう。


あの女神、何て奴等を残して行きやがる。少数なら兎も角、この数は流石にシャレにならんぞ。


今度会ったら素っ首叩き落としてやる。


そう考えつつも、俺は身体能力のギアを上げた。


結果、音速を遥かに超えた速度域へと突入し、距離を一気に縮めて瞬く間に魔獣の大軍に斬り込んだ。


「クハハハハハッ」


――ガヒュッ!


眼前にいたキマイラの首をかっ斬ると、首が乖離する音と呼吸が切れる音が同時に聞こえた。


それに反応して、遅れて俺の存在に気付き、襲い掛かってくる名だたる魔獣達。


遅い来る魔獣達を見据えて、俺は歪な笑みを浮かべた。


皆殺しだ――。



―――――――――――


「ノヴァさん、超広域殲滅魔法を行使してください! 此方は私が障壁を強化しておきますから!」


「ああ。障壁の方は頼んだぞ!」


魔獣の大軍、その中心部でこの場に似つかわしくない女性の澄んだ声が響く。


至る所で魔獣達の雄叫びが上がる中、再び女性の声音が響いた。


「――古の聖約の下


汝は殺す、崩世の刻を


世界は顕す、創世の開闢


満たせ、黄金の聖杯を


満たせ、闇天に浮かぶ琅扞の輝蘿めき以てして


集いし輝蘿めきは美し雫と成し


天に連なる金色の軌跡を齎す」


魔獣の大軍の中心部で、神々しい金色のオーラが立ち上る。


金色の輝きが更に光量を上げた。


膨張して弾けたように見える魔力のオーラが、魔法陣と化し、黒き空に浮かび上がった。





「【流星(ミーティア)】」


言下に、曇天から僅かに覗く黒い空に、無数の煌めきが生じた。


その魔法を発動した女性――ノヴァは、カレンが強化した障壁の中で未だ帰ってこない愛しい男を思い浮かべた。


(主……見ているか? これが私の真の魔法の一つ、流星だ――)


流星(ミーティア)





想いを乗せた流れ星が全土に降り注ぐ。



―――――――――――


「――ッ、この魔力は……!」


戦闘開始から凡そ十分が経過した頃、ただひたすらに魔獣を斬り倒していた俺はノヴァの魔力が急速に高まるのを感じた。


どれだけ魔獣の大軍が放つ力の波動に覆い隠されていようと、愛しい女の魔力だけは絶対に間違えない。


この異常な魔力の大きさからして、ノヴァがデカいのを放とうとしているのを悟った。


それとほぼ時を同じくして、戦場に歌が流れた。





『――古の聖約の下


汝は殺す、崩世の刻を


世界は顕す、創世の開闢


満たせ、黄金の聖杯を


満たせ、闇天に浮かぶ琅扞の輝蘿めき以てして


集いし輝蘿めきは美し雫と成し


天に連なる金色の軌跡を齎す』


「……この歌は」


魔獣を斬り捨てながらも、俺はその歌に耳を傾けていた。


この歌は……詠唱だ。


俺が首を巡らせると、遥か遠くの方で金色の魔力のオーラが立ち上るのが視界に入った。


そこから感じる大いなる力の波動に、俺は息を呑む。


魔力の底が見えない――これがノヴァの力なのか!?


そうか、契約者である俺の力が増しているのだから、ノヴァも使える力の上限が上がっているのか……!


神々しい金色の光が膨張し、弾けた光が魔法陣と化していく。


籠められた計り知れない魔力に、金色の魔法陣――黒き空に浮かび上がった金色の魔法陣を見た俺は、その魔法陣を読み取り、考え込む。


だがその思考も直ぐに中断させられる。突然"虚世の空間"の空とでも言うべき黒い上の空間が点滅するように光り始めた。


「何だ……?」


魔獣の大軍の中にあっても不思議と響いた、詠唱を紡いだノヴァの声。





流星(ミーティア)


「――まさか」


その声を聞いた瞬間、俺は思わず、遥かなる天空の高みを仰いだ。


予想通り、薄く曇天に閉ざされた黒天の彼方にて、無数の『何か』がチカチカッと明滅した。


――甲高い笛のような風切り音も。俺はフードの下で青褪めた。


これは……凄まじく大規模な魔法攻撃が来るぞ!


それも、このまま何もしないでいると俺も巻き込まれるクラスのヤツが!


だが、ノヴァが俺を巻き込むつもりでこの魔法を発動させたのではない事が俺には分かっている。


ノヴァは、まだ俺がこの戦場に来ている事を知らないんだ。


この戦場に到着したその時に、ノヴァに念話で到着した事を伝えなかった俺の落ち度だ。


『ガァァァァァッ』


「鬱陶しい!」


飛び掛かってきたケルベロスを俺が、音速を超えた一刀のもとに三つの頭を横一文字に断ち切って殺した直後に、最初のインパクトが来た。


至近を、金色の輝蘿めきが通り過ぎたと思った途端、大地を壮絶な轟音が覆い尽くす。


足下から巨大な振動が突き上げ、他愛なく身体が浮きそうになるのを堪える。


――遂に来たかっ。


遥かなる天空から落ちてくる流れ星に魔獣達が混乱した隙に、俺は一度だけ黒天を仰ぐと、覚悟を決めた。


これほどの大軍となると、いくら広域殲滅魔法と言えども一度だけでは全滅させられないだろう。


だから、俺もこの戦場に立ち続けて少しでも多くの敵を屠ろう。


遥かなる空の高みにて創造され、破壊の魔力を帯びて降り注ぐ流れ星。天に連なる金色の軌跡を瞳に写した俺は、今まで駆け抜けた戦場をも越える死の危険が溢れる戦場になるだろう事を予見して、冷や汗を流しながらも戦いへの昂りを抑えきれずに歪んだ笑みを浮かべた。


――魅せてやるよ。


これが俺の戦いだ!


流れ星が降り注ぐ戦場に残った俺は、音速を遥かに超えた速度域に存在しながら精神を集中させた。


冷静になれ。


知覚の領域を広げて、魔獣の動きと流星の軌道を捉えるんだ。


そして予測しろ。流星の落ちる地点を予測して、戦うのに最も最良な道を導き出せ。


俺の真紅の瞳が妖しく煌めき、白目の部分は蒼銀に光る。それだけではなく、瞳孔の辺りで無数の白い閃光が渦巻いている。


――属性封印解除。


宿れ、外なる図書館より戦士の魂を伝いて! 理外万象の叡知!


解放概念――『智属性』。


発動、『叡知の瞳』。


智属性を解放した途端知覚領域が一気に広がり、視界は冴え渡り、無数に降り注ぐ流星の位置と流星の着弾点から逃げようとする敵の動きを、俺は完全に把握した。


瞬間、音速を超えた思考速度が脳裏にこの戦場に於いて最も最良な道を浮かべ、その思考の赴くままに俺は動き出した。


絶え間無く降り注ぐ金色の球体の中を、逃げようとした魔獣を斬り捨てながら流れるような動作で駆け抜ける。


俺の動きは空中にまで及び、金色の球体の着弾点から逃れるだけではなく、時には金色の球体の真上を駆け抜けたり、金色の球体の真下をそれが落ちるよりも速く駆け抜けるまでに至っていた。


《――主!》


流星降り注ぐ戦場を駆け抜ける一陣の風と化していた俺に、突然強い思念が送られてきた。


一瞬だけ思念のした方に目を向けると、遥か遠方にこちらを見て驚愕に目を見開いているノヴァの姿があった。


ノヴァは純白の障壁の内部に居て、その後ろには純白の障壁を展開している本人であるカレンの姿もある。


その姿を見るに、二人ともまだ傷を負った様子もなく無事のようだ。


それを見て俺は内心安堵するが、戦場に立つ俺の姿を見たノヴァが魔法を止めようとするのを見て、即座に思念を送った。


《俺の事なら構わん! そのまま魔法を放ち続けてくれ!》


《しかし、それでは主が――》


音速を超えた速度域で互いの思念を交える。このまま魔法を放ち続けるか迷うノヴァに、俺はすかさず怒鳴り返す。


落ち着き払い、自信に満ちた声になるよう、己の声音を調整する。


戦いの真っ最中なので、なかなかに難事だった。


《流星が降り注ごうが、魔獣の大軍が混乱しようが――。俺は全部、見切っている。

動きさえ把握できてれば、絶対に俺が死ぬ事はない。戦いに特化した俺の言葉を信じてくれ、今だけでもいいから!》


最後の方は、懇願するような口調になってしまった。自信に満ちた声どころではない。


そしてノヴァは――


《――分かった。主を信じよう》


俺の言葉を信じて、魔法を放ち続ける事を了承した。


信じてくれるのか、ノヴァ。


俺はニヤッと笑い、念話に割いていた注意を全て戦いに戻す。


さァて、恋人が見てるんだ。男として、格好良いとこ見せてェしな――


更に解放して行くぜェ、オイ!



―――――――――――


「ちょっと……! 今の【覇者】よね? 何で今まさに魔法が炸裂してるこの戦場に居るのよ。

障壁すら展開してないじゃない。っていうか、何で退こうとしないワケ!?」


ノヴァの後ろで障壁を維持していたカレンは、隕石が降り注ぐ戦場の真っ只中に見慣れた黒衣の男を見つけて思わずそう洩らしていた。


それを耳にしたノヴァは、苦笑いを浮かべながら口を開いた。


「そう言ってやるな。主には主なりの考えがあるらしい。どうも、私が【流星】を発動させている間に、混乱した魔獣達を一気に片付けようとしているみたいだな」


「だからってあんな戦場に残るなんて! 全く……馬鹿な人ね、ホントに」


カレンは思わず深々とため息を吐いた。少し姿を見なかったと思えば、すぐにこれである。


その内、「ついうっかり」とか言って一人で魔界まで行ってしまうのでは、とカレンが考えてしまうほど、レオンは危険な場所に現れる。


額に手を当てたカレンの後ろから、驚きの声が上がる。


「先程の魔光が魔力だったのなら……蒼銀の魔力に【覇者】の呼び名……まさか、〝蒼銀の絶対者〟!?」


「なんだって! 確かにさっき遠くの方に蒼銀の光が見えたけど、彼がここに来ているのか!?」


(〝蒼銀の絶対者〟……それってレオンのあだ名というか、通り名の一つよね)


と言うよりも、レオンの姿自体は見てなかったのかしら――そこまで考えて、漸く思い出した。自分とノヴァの身体能力が常人のそれでは無い事を。


今の今まで失念していたが、あまりにも距離が開きすぎていると、カレンとノヴァが見えていたとしてもそれが周囲の者には見えていないのだ。


つまり、カレンの後方に居る者達の視力と反応速度では、先程姿を見せたレオンを捉えられなかったのだ。


しかし、何故そんなに過剰な反応をするのだろう、この四人は。


そう思い、カレンはチラリと後方を一瞥する。そこには、気を失っている数十人のギルド員と、四人の男女が居た。


声を上げたのは四人の男女の内、白い鎧を纏った金髪の美青年と、何処かの神殿の神官服を着た青い髪の綺麗な女性だ。


後の二人は、黒いタンクトップを着た精悍な顔立ちの茶髪の青年と、黒いローブ姿の赤髪の美少女だ。


二人は白鎧の青年や青髪の女性のように声を上げたりはしなかったが、〝蒼銀の絶対者〟という通り名を聞いて青褪めていた。


思えば、この四人は合流した当初、カレンが〝風の覇者〟であるレオンのパートナーだと知った時から妙に反応していたような。


カレンにではなく、レオンにだ。その事から察するに、レオンと何らかの関わりがあるのかもしれないが、カレンはレオンから一言もそんな事は聞いていない。


カレンだけではなく、聞いてみたところノヴァもレオンからそんな事は聞いた覚えはないようだ。


ただ、ノヴァは「私は彼らと街で会った事はあるが、それはつい昨日の事だ。

私の記憶に間違いが無ければ、それ以前の関わりはなかったはずだぞ?」と言っていたので、ノヴァだけは彼らと面識があるようだが。


だが、それにしたってノヴァの言葉通り昨日の事で、やはり昨日よりも以前の関わりはない事に変わりはない。


だとしたら、何故彼らはここまでレオンに対して反応を見せるのだろうか――結局、思考の果てに辿り着くのはそんな言葉だ。原点回帰するだけで、疑問は解消されない。


そんなカレンの疑問についてはノヴァも同じらしく、時々戸惑ったような視線を彼らに向けている。


カレンとノヴァが四人の事を気にしつつも見つめる先で、戦場は更に激化していく。


『ギュイイイイイィィ!』


降り注ぐ隕石に混乱した魔獣達が、遂に敵味方問わず灼熱の炎を吐いたり、光熱波を放ったりし始めたからである。


無差別に放たれるそれらは魔獣達に多大な被害を与えるが、元々の数が数なので、魔獣の大軍からすれば大した被害にはなっていない。


むしろ、隕石を躱すルートが更に制限され、戦場を駆け抜けるレオンに甚大な負担を掛けている。


何故障壁を展開しないのか――そう思っていたカレンだが、レオンの魔力を感じて漸くその理由が分かった。


レオンは消耗していたのだ。


戦場に立つその姿からは消耗した様子など微塵も感じさせないが、内在魔力を感知すれば分かる。


今のレオンには、既に一割以下の魔力しか残っていない。


常人の感覚で考えれば、それでも途撤もなく膨大な魔力に思えるだろう。だが、"覇者"後継者からしてみれば話しは別である。


"覇者"後継者が駆使する魔法は、例外無く消費魔力が大きい。特に、レオンが駆使する"破壊の風"は、『闇の覇者』を除く七人の覇者の中でも最大級の魔力を消費するのだ。


それをレオンは莫大な魔力だけではなく、〝少ない魔力の消費で如何に強大な威力を発揮させるか〟という魔力の使い方を体得して、魔法の威力はそのままに、魔力の消費のみを最小限に抑えてカバーしていたのだ。


だからこそ、バンバン魔法を行使していたのだが……今のレオンにはそんな余裕は無い。


障壁を展開できなくとも、レオンには異常な耐久性があり、大体の攻撃は無効化できるだろう。


だが、その耐久性にも限界はあり、無敵ではないのだ。魔獣の攻撃が重なったりしたら負傷するし、降り注ぐ隕石を一発でも喰らえば即死してしまうだろう。


故に、障壁を展開できないレオンはいつも以上に命懸けだ。少しの綻びが、そのまま死に直結するのだから。


「はァァァァァァァッ!」


天にも届けとばかりにレオンは雄叫びの声を上げ、戦場を――命の瀬戸際を駆け抜ける。


レオンが魔獣の横を通り過ぎれば、レオンが次の敵に向かった頃になって思い出したかのように真っ二つになり、黒刀を振るって虚空に軌跡を残せば、離れた位置に居た魔獣が両断される。


それを音速を遥かに超えた速度域で、隕石と魔獣の攻撃を悉く躱し、迎撃しながら行っているのだ。


しかも、音速を超えた速度域に突入しているのにも関わらず、秒単位で動きと剣速が上昇している。


間違いない。レオンは、昨日姿を消してから今までの間で、更なる成長を遂げている。


本来常人が上がるべき階段を、一段飛ばしかつ凄まじい勢いで上っているのだ。


しかも、〝産まれ持った才能によって〟ではない。〝常人でなくとも死んでしまうような地獄を経て〟、格段に強くなっているのだ。


そんなレオンの姿を見たカレンは、ふと思う。一体何が彼をそこまで衝き動かし、高みにまで持ち上げているのだろうと。


聞けば、元々レオンには剣術の才能も魔法の才能も無かったそうだ。


いや、出来損ないと呼ばれていた時のレオンも、剣術だけは光る物があったそうだが……実は、それは才能によるものではないらしい。


魔法の才能が無かったのは知っていたが、剣術の才能も無かったのを聞いた時には、驚かされた。


だから聞いた。『なら、出来損ないの時の力量でも、何で才能がある人を超える剣の腕を持ってるのよ』と。


……その問いに答えた時のレオンの顔は、今でも覚えている。


レオンは困ったように笑った後、こう答えたのだ。


『ん、ん。んー……俺の剣技はだな、〝才能の無い者が才能の有る者に勝つ〟ために、俺が自分で編み出した独自の剣術なんだよ。

それに、身体能力を併せただけだな。身体能力だけは、鍛え方次第では才能の有無を問わず、かなりのモンが望めるからなァ。

他にも様々な言い方や理由はあるが……一言で纏めると、〝弱者だったからこそ、剣術だけは俺は強い〟んだ。

あー、結局矛盾してるような分かり難い答えになっちまったが……理解できたか?』


言い終えた時のレオンの顔には、自嘲と嘲笑の混ざった歪な笑みが浮かんでいた。


それは、そんな剣術と鍛え方でないと才能の有る者に勝てない自分への嘲りと、産まれ持った才能の上で胡座をかいている者達よりも、結果として上位の力を持っている事からの、才能の有る者達への嘲りを意味していた。


あの時は、レオンの性格の悪さが如実に現れているだけだと思っていたが……もしかして、これこそがレオンを衝き動かしている事なのではないだろうか。


才能云々よりも更に深い部分に。


レオンは何故独自の剣術を編み出したの? それは、才能の有る者に負けたくなかったから。

……それだけじゃないわね。もっと深い部分、根源にこそ答えはある。レオンが独自の剣術を何故編み出したのは、勝ち負けの問題じゃなくて――





「ただ単純に、力が欲しいと思ったから……?」


果て無き力への渇望。それこそが、レオンを戦いへと衝き動かしているものではないのだろうか。


そう思ったカレンは、戦場を駆け抜けるレオンを切なそうに見つめた。


(もしそうだとしたら……レオンが戦わなくても良い時は来るの?)



―――――――――――


(ちっ……流石に数が多いな)


ノヴァが放っている『流星』が降り注ぐ中、常時動きながら黒刀を縦横無尽に振るって魔獣を斬り殺していた俺は、己の魔力が尽きかけているのを理解して唇を噛み締める。


そもそも、何で俺はこんなに消耗してんだ? エキドナとの戦いの最中に意識を失なうまでは魔力の貯蔵は十分だったはず。


だが、次に意識を取り戻した時には、既に魔力が底を尽きかけている状態だった。つまり、意識を失っていた間に魔力を使っていたはずなのだが……分からない。


最悪だ――。魔力の異常消費もそうだが、何があったのかが分からない事もだ。


……まぁいい。そんな事よりも、今は敵を片付けるのが先決だ。


魔力の残量を鑑みて、障壁に魔力を使うだなんて事は出来ない。それ故に、天空から降り注ぐ隕石は全て避けて、魔獣の攻撃は避けるか迎撃するしかない。


それでも、相手が小規模な軍勢程度ならまだどうにかなる。だが、今回の敵は凄まじく大規模な軍勢だ。敵の数が多すぎる。


だからといって、瞳術『叡知の瞳』を解けば知覚領域が下がり、今のように隕石と敵の動きを予測する事が困難になる。


クソッたれがァ……!


魔力が……。


魔力が足りねェ……。


今よりも更に高みの力を……!


――ピシッ……パキパキ……


力を寄越せェェェェェェェェェェ!


『ぐっ!? あああああああああああぁぁ!』


――パリィィィィィン!


『ファラン!? ――ッ、なんだっ』


ファランの苦痛の叫びを聞いて俺はすぐに精神下に声を響かせたが、その直後にそれは起きた。


陶器が割れるような音を立て、己の内で『何か』が解放されていくのを感じる。


これは一体――


と、俺が一瞬だけ動きを止めたその時、真横から鈍色の護宝竜が爪を振りかざして俺を切り裂かんとした。


明確な殺意の籠った一撃が俺に向けられた瞬間――


ドクンッ


「――ッ」


突如として、俺の魔力が急速に回復し始めた。


それと同時に、俺は理解する。新たな力が解放された事を。


殺意、嫉妬、憎悪、情欲、憤怒――この世に溢れしあらゆる悪意を我が力に。





頂点に立つ全悪――『至上悪(イーブルワン)


「……クククッ」


俺自身の悪意と俺に向けられた悪意を魔力に変換した俺は、喉の奥で低く笑った。


最高だ。


最ッ高だぞ、この力ァ!


「ククク、ハハハハハ――」


戦場に渦巻くあらゆる悪意は我が力と成す! もう魔力の消費を抑える必要は無ェ! ブッ放して行くぜェ、おい!


「クハハハハハハハハハハハハッ!」


哄笑と共に、俺は体内で魔力を高めた。高まりきった魔力は蒼銀の煌めきとなり、俺の総身を覆っていく。


『グガアアアアアアア!』


『ギュアアアアアアアア!』


俺の魔力に本能的な恐怖を抱いたのか、左右両側から挟み込むようにケルベロスとキマイラが襲い掛かってきた。


俺はそれに対して、先行してきたケルベロスを筋力にモノを言わせてタイミング良く左手で右側に受け流し、右後方にいた別の魔獣にぶち当てた。


その時の勢いを殺す事無く身体を右回転させた俺は、後から来たキマイラを右手に握る黒刀で両断した。


そこにタイミング良く至近に隕石が降ってきて、一瞬だけ魔獣達の攻撃が収まる。


俺はその一瞬を見逃さなかった。


――さァて、一気にブッ壊すとしようかァ?


蒼銀のオーラを纏った左手を空に向けて突き上げ、高まりきった魔力を解放して詠唱する。


――絶滅せよ。

風理頂点なる覇者に仇なす非かなる者共よ。


「【エクスティンクション・スパイル・テンペスト】!」


言下に、金色の軌跡が連なる空に蒼銀の風が渦巻き、球体を成した。そして、一点に収束した蒼銀の球体が弾けた。


――瞬間、轟音が世界の音を独占した。


弾けた蒼銀の球体は無数の風の刃と化し、魔獣達を切り刻んでいく。


戦場の至る所から上がる魔獣達の断末魔の声に目を細めつつ、俺は唇の端に笑みを刻んだ。


さぁ、ここからは惜しみ無く魔力を使わせて貰うぜ。


そこで俺はふと思い出し、隕石と魔獣達の攻撃を避けながら笑みを深めた。


――そうだ、良い機会だしあの魔法陣を使ってみるか。となると、二人掛けした方が魔獣を殲滅するのに効率が良い。ノヴァと合流しなきゃな。


そうと決まれば――と、俺は金色のオーラが立ち上る方向を見やった。


音速を遥かに超えた速度域に存在しているため、ほぼ同等の速度で降り注ぐ金色に煌めく流星以外はスローに見える。


それに加えて、流星と俺が放った魔法により、空を飛べる魔獣達までもが総じて混乱状態に陥っているため、今ならノヴァ達が居る場所まで到達できるだろう。


俺は地を蹴り跳躍すると、そこから更に大気を蹴りつけ空を駆けた。



―――――――――――


「主の魔力が急速に回復した……?」


魔法を持続させていたノヴァが、レオンの方を見て眉をひそめた。


全方位を覆う障壁を維持していたカレンも、レオンの魔力を感じ取って首を傾げる。


確かにレオンの魔力回復速度は瞠目に値するが、あそこまでのものではなかったはずだ。


だが実際にレオンの魔力は急速に回復し、レオンも魔力を惜しみ無く使い始めている。


……後ろの四人は先程から一言も喋っていない。どうやら、今頃になってノヴァの金色の流星やカレンの補助が為された障壁、レオンの蒼銀の風など、三人が駆使する魔法の次元の違いに気付いたらしい。


いや、いくら何でも気付くのが遅すぎるんじゃないの? カレンはそう思ったが、特に何も言わない。


気持ちは痛いほどに分かるからだ。カレンも、『光の覇者』と契約した当初は、自分自身が行使する魔法に驚かされ、パートナーとして任務に赴いた先では、レオンが何事も無かったかのような表情で普通に広域殲滅魔法を放ったりして唖然としたり、そんな光景に慣れるまでは四人と同じような反応をしていたのだから。


カレンがそっとため息を吐いたその時、レオンが上空に飛び上がった。そのまま、宙を滑空してこちらに向かってくる。


「【天使】、ノヴァ!」


「魔力が尽きかけてたから驚いたけど……案外元気そうね、【覇者】」


「主も早く障壁の中へ!」


「ああ。お前達も怪我は無かったか?」


カレンが障壁の一部を消すと、一瞬でレオンが障壁の中に入り舞い降りた。その時には既に障壁は戻っており、流星の衝撃波やら魔獣の攻撃やら、はたまた吹っ飛んできた魔獣を防いでいた。


「む……二人とも、後ろの奴等はなん――」


『ギュエエエエエッ』


「……」


――バシュッ


レオンは、自分のセリフを遮るようにして吹っ飛ばされてきて障壁にぶつかりベチャッと張り付いたパイアを白い眼で見た後、物も言わずに消し飛ばした。


「――二人とも、後ろの奴等はなんだ?」


そして、何事も無かったかのように再び口火を切った。


そんなレオンに、ノヴァは肩を震わせて笑いを堪えている。仕方無く、カレンは口を開いた。


「気を失っている人達は行方不明になっていたギルド員よ。そして、そこの四人は私とノヴァさんがここに跳ばされてくるよりも少し前にここに跳ばされてきた人達だそうよ」


「そうか。ならば、後は"道"を斬り開いてルーレシア世界に帰れば良いな。

取り敢えずこれで任務を果たせそうだが……」


そこで、レオンはチラリと障壁の外に視線を投げ掛けた。そこには、未だに数が減った気がしない魔獣達が犇めく戦場があった。


レオンはため息を吐くと、疲れたように続けた。


「この調子だと、まだまだ時間が掛かりそうだな。……ノヴァ」


「なんだ?」


レオンは、魔法を行使しながら戦場を眺めていたノヴァに声を掛けた。


ノヴァが振り向くと、レオンは確認するように問うた。


「必要無いとは思うが、念の為に訊いておこう。ノヴァ、魔力の貯蔵は十分か?」


「ああ、勿論だ。一応これでも〝無限の魔力〟の持ち主なのでな。

それを言うなら、主の方こそ大丈夫なのか? 急速に回復したようだが……」


「クククッ、そうか。それは重畳。俺については問題ない。悪意の貯蔵は十分だ」


「悪意?」と怪訝そうに小首を傾げるノヴァ。それに構わず、レオンはさっと左手を空に向けて突き出すと、小さな声でぼそっと呟いた。


「……展開」


言下に、蒼銀のオーラが立ち上り一定の高さで漂うと、それが蒼銀の円盤と化した。


それを見上げて首を傾げているノヴァに、レオンは告げる。


「ノヴァ。今からは、あの魔法陣に向けて魔力を放て。いいな?」


「分かったが……あれが魔法陣なのか? それにしては、紋様が見られぬが」


不思議そうな表情をしているノヴァに、レオンは「どういう事かはすぐに分かる」と言って笑ってみせた。


それに対して難しい表情を浮かべたノヴァだったが、レオンの言葉通りに魔力の流れを蒼銀の円盤へと向ける。


それを見たレオンは、笑みを消して詠唱を始めた。


「蒼煌なる銀風


天地を巻く蒼銀の螺旋


常世を覆う理の守護


最果てを隠す神の秘


その内に眠りし光芒


醒ます覇者の言の葉を


深深なる心想の湖にて


永久の音柄を持たせ


螺旋より零れ唱えん


静閑なる空を揺さり


轟轟と荒み


虚無へと還す」


レオンの魔力が蒼銀の輝きを伴って上昇していき、周囲の大気が揺らぎ、不気味な鳴動が続く。


次いで、空間全域に歪むような音が走った。レオンを起点に"虚世の空間"全体が細かく揺れ始める。


さらに閃光が幾筋も走り、レオンに収束していく。無限の魔力を持つノヴァですら瞠目するほどの魔力が、レオンに集約していた。


それらが総じて高まりきった時、レオンがさっと左手を空に浮かぶ蒼銀の円盤に向けて、叫んだ。


溢れんばかりの、『風の覇者』の想いを籠めて。


「【烈風渦巻く幽世(ケイオス・ヴィア・コキュートス)】!」


――言下に。


金色の軌跡が連なる黒き天に、蒼銀の魔光が閃き――巨大な渦を成した。


かつて、『風の覇者』と呼ばれていた男が駆使していた魔法の中でも、最大級の破壊力を誇る魔法は戦場で再び顕現した。


想いを乗せた魔法は強い力を持つ。


さぁ、刮目せよ、魂に刻め、消え去れ。


世界に届く覇者の力を。



―――――――――――


魔法発動と同時に、傍らに立つノヴァに俺は言った。


「ノヴァ。魔法の範囲を更に拡大させろ。世界への攻撃すら可能なほどに!」


「いや、それは流石に今の私の魔力解放能力では厳しい。これ以上拡大させると、威力が――」


「案ずるな。そのための魔法陣だろう?」


俺がそう言って意識を蒼銀の円盤に向けると、ノヴァも頷いて返した。


金色の魔力のオーラに覆われた繊手を蒼銀の円盤に向けると、


「分かった。やってみよう」


途端、流星の動きに変化が見られた。元々広域を攻撃する魔法だったが、今までよりさらに規模を広げ、それに応じて生み出される流れ星も増えていく。


俺も自らの悪意を魔力に変換すると、遂に発動させた魔法を解き放った。


直後、空に成った蒼銀の大気の渦に変化が起きた。元より規模の大きかった渦がより大規模なものとなり、空一面を覆ったその時、蒼銀の渦から莫大な魔力の籠った風の刃が雨霰のように降り注ぎ始めたのだ。


それだけではなく、落ちた風刃の一つ一つが巨大な竜巻となり、その絶大なる破壊力を遺憾無く発揮している。


それはノヴァの『流星(ミーティア)』を打ち消す事無く、共に降り注ぐ。


「降り注げ覇者の風刃!」


「降り注げ流星(ミーティア)!」


俺は風刃をノヴァは流星を世界へと放つ。


俺達の上に浮かんでいた蒼銀の円盤はいつしか巨大な魔法陣へと変わっていた。


『魔力増幅魔法陣』


世界が光と音で包まれる。


黒き世界に落ちる無数の風刃。

それと同じくして空より降り注ぐ隕石。


まるで世界滅亡の場面を見ているかのような現状。超広域殲滅魔法を遥かに超えた、この魔法。


『世界規模殲滅魔法』


世界への攻撃。


それが意味するのは、逃げることの出来ない絶対的攻撃を有するということ。


この【烈風渦巻く幽世(ケイオス・ヴィア・コキュートス)】こそ、かつて『風の覇者』ファランが遠き異世界にて、一大陸だけではなく文字通り世界全体を敵に回した時に行使した真の魔法の一つ。


以前の俺には、この魔法は使えなかっただろう。だが、『至上悪(イーブルワン)』の力に目覚めた今の俺なら使える。


悪意を魔力に変換できる、今の俺になら……なァ!


俺とノヴァの魔力は弱まることなく解放され続け、世界には蒼銀の風刃と金色の流れ星が降り注ぎ、無数にいた魔獣達を殲滅していく。


"虚世の空間"だからこそ行使できたこの魔法。もしルーレシア世界で使えば、世界は目も当てられない有様になる事は間違いない。


何故なら、この魔法は『一大陸』ではなく『世界』へ届く魔法なのだから。


果たして、そんな魔法が放たれて魔獣の大軍は生き残れるだろうか? 答えは単純明快、否だ。


十万を軽く越える程の大軍を成していた魔獣達は、死体はおろか、血も肉すら残さず消え失せていた。


文字通り、"消滅"してしまったのだ。この、"虚世の空間"から。


魔獣の大軍が全滅したのを確認した俺とノヴァは、魔力の解放を収めていく。それに応じて、世界に降り注ぎ、吹き荒れていた蒼銀の風刃と竜巻は、徐々に勢いを無くしていき――消えた。


流星も天に金色の軌跡、その残光のみを残し、消えた。


全ての乱が治に返ると、俺は蒼銀の魔力のオーラに覆われた左手を下ろし、呟いた。


「終わったか……」


「そのようだな」


俺の言葉にノヴァが静かにそう返した時、俺達の上に浮かんでいた蒼銀の魔法陣が、短い間だけ強く光り、蛍火のように儚く散った。


なんとなく、俺は上を見上げてそれを見つめた。


淡く蒼銀に輝く光の粒子が、粉雪のように俺達の上から降り注ぐ。


――此度の戦の終わりを告げるかのように、幻想的に……

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