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風の覇者I ―王威覚醒―  作者: 神竜王
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舞踏会 後編

おいおい、どういうことだ? さっきまでは最初の一回以外には踊るつもりはなかったのに、自分から二回目の約束をしてしまうとは。


本当、どうなってんのかね最近の俺は。自分でも何故こんなことをしているのかさっぱり分からない事だらけだ。


そんな事を考えていると、様々な楽器を持った楽士達が会場の隅に集まり始めた。


どうやら、始まるようだな。


「……なるべく早く終わらせてくる。【天使】はどうする?

俺がイリアと一曲踊っている間に他の誰かと踊っていたらどうだ?」


俺がそのように勧めてみると、カレンは首を横に振った。


「他の人とは遠慮しておくわ。何処の誰だか分からない相手と踊るつもりはないもの」


「そうか。では、また後でな」


「分かってるわよ。私はここで待ってるから」


それを聞いた俺は頷くと、こちらをじっと見ているイリアの方に近付いていった。


俺がカレンから離れた途端、それを待っていたかのように、貴族の男共がカレンにダンスの御相手を申し込もうと群がった。


オイオイ……あれじゃあカレンが返答に困っちまうのが分からねェのか、あの馬鹿貴族共は。


集まってきた貴族の男共によりできた人垣に、カレンが遠ざかる俺の背中を辟易したように見ているという事を、偶々近くの上の階にいた風の精霊である男性が教えてくれる。


俺はその精霊に感謝の念を伝えると、すぐさま行動に出た。


――響け、幻想の音色よ。


「――【ファンタジア・サーパス】」


俺が小さく詠唱した瞬間、カレンの周囲に集まっていた貴族の男共が首を傾げてキョロキョロし始め、目の前にカレンがいるというのに、カレンを探して散っていく。


驚いたようにそれを眺めた後、続いてカレンが俺の背に視線を向けたのが分かったので、俺は腰の辺りで小さく手を揺らして「気にするな」と伝える。


それを眺めて婉然と微笑むイリアの側に近付くと、低く問う。


「……なんだ。何か笑えるような事でもあったのか?」


「ふふ……いや、すまないな。【覇者】の意外な一面が見れた気がしてな」


「ふん……意外、か」


俺が言葉を反復したその時、会場が静まり返った。


周囲では男女のペアが軽く抱き合い、俺は見よう見まねでゆったりと腕を広げて待つイリアの腰に左手を回し、右手でイリアの手を緩く握り水平に伸ばした。


すると、一拍間を置いて楽士達が曲を奏で始めた。


ゆったりとしていて、例えるなら静かに湖の畔で佇んでいる時のような滑らかな音程の曲だ。


当然のごとく、俺はこんな曲は知らないので、踊り出して間もなく自然とイリアのステップに合わせなければならなくなった。


曲の流れにより半回転して立ち位置を入れ代わったりする中、俺は必死にイリアの動きに合わせるが、何度も足を踏みそうになり、フードの下で人知れずとして渋面を浮かべる。


駄目だ、全然上手くステップが踏めていない。


何故だ、何故なんだ。剣舞の修練や戦いの時には問題なく動けるのに、何故こういう時には俺の力が適用されてないんだ。


ちくしょうめっ。


……その後も暫しイリアと身を寄せ合って踊ったものの、結局上達することもなく最初の曲の節目になり、俺とイリアは踊るのを止めた。


俺はイリアから身を離すと、額に手を当てて口を開いた。


「一曲付き合ってもらったが……すまないな。上達出来なかった」


「ふむ。確かにそれは残念だったが、謝られる程の事でもなかろうに。

そもそも、始めに誘ったのは私の方だったからな。むしろ、付き合ってもらったのは私の方さ」


そう言って軽やかに笑うイリアに苦笑した後、俺はイリアに礼を述べる。


「しかし上達出来なかったとは言え、何もせずにじっとしているよりは有意義な時間が過ごせたと思う。

有り難う、イリア」


「ふふ、私から誘ったのだがな。でも、そう言ってくれるのならばどういたしまして、と言っておこう。

ほら、早く【天使】のもとへ行ってやったらどうだ? 女を待たせるのは良くないぞ」


「ククク、そうだな。では、良い夜を」


それを最後にイリアと別れると、俺はカレンの所へと戻っていった。


途中、未だにカレンを探してうろうろしていた馬鹿な貴族の野郎共が目に入り、俺は笑いそうになるのを堪えながら【ファンタジア・サーパス】を解いた。


すると貴族の野郎共はやっとカレンの姿を視認出来るようになったが、その時には既に俺がカレンの前まで移動を遂げており、貴族の野郎共は遠巻きに眺めるだけとなる。


いや、カレンも言ってはいたが……そんなに俺、危険人物に見られてんのかよ。


確かに敵対者には容赦はしないが、そうでなければ別に何もしやしないぞ?


まあ、あまり良い印象がしないような事をしてきた自覚はあるけどさ。


流石に、まさかここまで忌避されるとは思ってなかった。


周囲の反応からそんなことを思いつつも、俺はカレンに声を掛けた。


「待たせたな、【天使】。あの貴族共に何もされてはいまいな?」


「何もされてないわね。というか、そう仕向けたのは貴方でしょ、【覇者】」


呆れたように返すカレンに俺はゆっくりと数歩近付くと、


「では……一曲お付き合いしてくれませんか、レディ?」


綺麗に腰を曲げて悪ふざけ全開にして誘う俺に、カレンは慌てて肩を掴んで小声で言った。


「ちょっと! 貴方悪ふざけし過ぎよ。恥ずかしいからやめなさい!」


「ククク……悪ふざけ? 何の事やら。現に、貴族の男達はこうしてダンスの相手に申し込んでいるではないか」


同じく、俺も小声で言い返してやると、カレンはフードから僅かに覗く頬を引き攣らせた。


「貴方の場合は日頃の態度が不遜すぎるのよ。だから畏まってやられると逆に違和感がとんでもないの!」


失礼な!


俺だってやろうと思えば礼儀正しくしていられるぞ!


何故かその後に、「お前のそれは慇懃無礼だろうが!」とか言われるがな!


「それで、返事は先程自分から誘ってきたのだから、了承と言うことで良いのであろうな?」


「こんな時でもいつも通りの傲岸不遜な態度で来られると、それはそれで嫌になるわね……」


カレンは呆れたようにそう不平を鳴らすが、頷いて返した。


「私は別に良いわよ。その……さ、最初からそのつもりだったし。

……私もダンスなんて初めてだから……ち、ちゃんとリードしてよね?」


いや、無理ッス。


俺もさっき踊ったのが初めてだったし、しかもまったくもって上達しませんでしたから。


俺が内心でそんなことをボヤいていると、緩い曲調で曲を流していた楽士達が再び曲調を変え始めた。


おっと、もう次の曲に入るのか。思っていたより早いんだな。


俺は曲が完全に移り変わるその前に、急いでカレンを抱き寄せる。


それに驚いたのか、腕の中で身を震わせたカレンの耳元で、俺は素早く囁いた。


「それで、どうする? どんな風に踊るのかは悪いがお前が決めてくれ。

俺がそれに何とか合わせてみるから、思った通りに動いてくれて構わん。

先程一度踊っているから、恐らく合わせるくらいならどうにかなるだろう……」


「思った通りにって言われても……もう、分かったわよ!」


反論しかけたカレンだったが、曲が流れ始めたのを聞いて途中で諦める。


それを機に俺はカレンの手を取ると、先程イリアにしたのと同じ体勢になる。


そのまま踊りの形に移った時、丁度曲目が変わり、イリアの時と比べるとややテンポの速い、ムーディーなダンス向きの曲へと変わった。


それにより、より本格的な宴が始まってしまった。


一曲目よりも踊っている人数が多く、皆、それぞれのパートナーとともに、体を密着させて恋人同士のように踊っている。


現に、ちらほらと初々しい反応を見せながら踊っているペアもいて、実際にその者達は恋人同士なのだろう。


カレンの足の運びにより、クルリと体の位置を入れ換えた時、ある光景を目にして、俺は足の運びを真似つつ「んっ?」と注目する。


俺の視線の先では、リンス先生とカイルが体をぴったしとくっつけて踊っていた。


〝流水の舞姫〟という二つ名に相応しく、流れるような足運びを見せるリンス先生は流石だが、驚いたのはそれについていくカイルだ。


リンス先生の流水を思わせる足の運びに、カイルも素早くステップを踏んでついていっている。


まったくもって慌てた様子も無く踊っているカイルを見るに、どうやらまだ余裕があるらしい。


スゲー、カイルって踊れたのか。しかも、リンス先生をパートナーにして!


どうやら、カイルに対する考えを改める必要があるようだ。


俺は脳内のカイルの人物像にダンサーという項目を書き加えつつ、今度はロイ先生とクレアさんを探してみた。


あの二人の事だ、今日もイチャイチャしているのだろう。


本人達は否定してるが、ロイ先生とクレアさんが両想いなのは、俺達"覇者"後継者からしてみれば既に周知の事実である。


お熱いねぇ、クハハハハッ!


あ~あ、さっさとくっつけばいいのに。


ちなみに俺とノヴァは、もう一緒に風呂に入る所まで進展していたりする。


いやもう突然ノヴァがバスタオル一枚で風呂に入ってきた時には、理性がこう、ガッシャァアアアン!ってな感じで崩壊しそうになったね。


あの時はホントにヤバかった。体を洗っているノヴァを、背後から襲わないようにするのに精一杯だったからな。


ちなみにファランのヤローは、俺を通じて精神世界から悠々とノヴァの裸を眺めていやがったので、即座に「俺の未来の嫁さんの裸を見てんじゃねェよクソヤロウ」と、今の俺が発揮し得る全ての力を以てして、ファランの視界を遮断させてもらったぜ。


まぁどっちかっつーと、アレは珍しくファランの方から身を退いたって方が正しいがな。


認めたくないけど、俺の力はまだファランの足元にも及ばないからな……。


などと、以前あった出来事を思い出していると、俺達が踊っている場所から北側に位置する場所にロイ先生とクレアさんを見つけた。


俺とカレンが踊っているのが会場の南西だから、ロイ先生とクレアさんが踊っているのは会場の北西辺りに位置する。


ロイ先生とクレアさんは息をぴったり合わせて足を運んでおり、半回転して体の位置を入れ換える時にも、二人同時に足を運んでいる。


二人ともまったく息を乱す事無く踊っており、一歩動いてはそれに必死こいてついていっている俺とは大違いだ。


え、俺がそうならパートナーであるカレンはどうかって?


カレンは最初こそ足の運びがぎこちなかったもの、少しずつ動作が滑らかになり、今では楽しそうに踊っていますが、ナニか?


早い話が、思いっきり俺が足を引っ張っていますが、ナニか?


ええ、それはもう、あまりの下手さに地の底に引きずり込まんとするような感じで足を引っ張ってますとも。


カレンって歌って踊れる【天使】だったんだな……。


カレンに合わせて右へ左へと体を揺らしながら、俺は「あれ?」と思う。


リンス先生はもちろん、カイルもちゃんと踊れるし、ロイ先生とクレアさんも綺麗に踊れている。


そして、最初のウチは上手く踊れていなかったカレンも今ではしっかり踊れている。


つまり、"覇者"後継者の中で踊れないのは俺だけって事か……?


いや!


諦めるのはまだ早い!


まだシリアさんが踊っているのを見てないからな。


正直、シリアさんもなんか踊れてそうだが、そうと決めるにはまだ早い。


俺はさっと視線を走らせると、シリアさんの姿を探した。


この流れだと、シリアさんも誰かと踊っていてもおかしくないはず。


しかし、シリアさんの姿は一向に見つからない。俺がんー?と内心で唸った時、ロイ先生と踊っていたクレアさんが誰かと交代するのを見た。


へぇ? やっぱロイ先生はモテるねー、とそれを眺めていると、代わって出てきたのがシリアさんなのを見て、俺は目を見開く。


少しばかり驚いたが、そのまま眺めているとシリアさんは洗練された足の運びで踊り始めた。


そう、洗練された足の運びで、だ。


要は素晴らしい踊りをしていたわけで。


ふっ……どうやら、踊れないのは俺だけらしい。


そう諦めかけた時。


視界の端に、パートナーであろう凛々しい顔立ちをした貴族の麗人に、必死についていっているヨーレンの姿が入った。


あいつ、服装を見るに今は護衛に付いてないんだな。


ヨーレンの相手の女性は青色の髪を背中半ばまで伸ばしており、慣れた足取りでステップを踏んでいるが、ヨーレンがそれについていけずに振り回されているようだ。


左へと足を動かしたカレンに合わせつつ、俺がそれを眺めていると、今まさに相手の女性の足を踏みそうになったヨーレンと目が合った。


(ヨーレン……まさかアイツ踊れないのか? ――俺と同じく……)


(レオン、全然踊れてないやさかい……なんや、まさかレオンも踊れないってクチかいな)


((――友よッ!))


……二人の心が、無駄に一致した瞬間であった。


ちなみに、ケイトさんにセナリアさんの二人と、アザトとハーディもそれぞれのパートナーと足並みを揃えて踊っており、踊れないのは俺とヨーレンだけである。


俺は内心ため息を吐くと、分散していた集中力をカレンの動きに集中した。


しかし、やはりと言うべきか上手くいかない。


何でだ?


自分で言うのは何だが、運動神経は良い方なんだけどな~……。


ここまでやれば、いい加減そろそろ少しは上達してもいい頃なのに、まったくもって上達する気配がない。


「あっ!」


「むっ」


カレンが左足を支点にクルリと半回転したのに合わせようとした時、カレンが支点にしていた左足を踏みそうになり、慌てて足の軌道をズラす。


しかしその所為で上半身を僅かに乗り出す形になってしまい、カレンの程よく膨らんだ胸をむにゅっと押してしまった。


ああ、これが噂に聞く主人公属性のラッキーセクハラってヤツだな?


主人公から程遠い俺がそれを発動させるとは、世も末だなこりゃ。


しっかしカレンもカレンでスタイルいいよなぁ、などと、不謹慎にも考えつつ、自分よりも若干下にあるカレンの顔を見下ろすと、フードで顔が見えないので表情までは分からないもの、羞恥で頬を赤くしている事が容易に分かる。


まあ、当然だよな。好きでもない男にこんなことされりゃあ、誰だってこうなる。


俺はすぐに体勢を戻すと、カレンにしか聞こえないように小声で謝る。


周囲にはどのみち聞き取ることなど出来ないので、口調は戻してだ。


「悪ィ、下らねェミスを犯しちまった……」


「べ、別に気にしてないわよ。その……貴方だから……」


カレンも俺にしか聞こえないような小声で返してきたが、後半が更に小さい声だったのでよく聞き取れなかった。


リミッターを掛けてなければ聞き取れたのだろうが、普段は常時リミッターをかけている状態なので、その辺りの事は致し方ない。


かと言って唇の動きを読もうにも、カレンが俯きがちに言った為、唇を見ることすら叶わない。


気まずくなった俺はややカレンから体を離し気味に踊るが、カレンの手にによって再び密着状態になり、目を見開いてカレンを見おろす。


「おい――」


「……」


しかしカレンは黙したまま踊るのみで、何も訊かない方がいいと判断した俺は、開きかけた口を閉じてダンスに専念する。


結局、あの後は何の会話もなくダンスの終わりがきて、俺は動きを止めてカレンから放れる。


するとカレンが名残惜しそうに手を見つめていたように思えたのは、俺の自惚れなのかもしれない。


俺は、踊り終わっても尚落ち着かない様子を見せているカレンに、給仕から紅茶を取ってきてカレンに渡した。


「……多少、疲れているだろう。【天使】の好みを知らなかったから、俺の好みであるアールグレイにしたのだが。

飲んでみたらどうだ? 少しは落ち着けると思うが……」


「あ……ありがとう」


紅茶に口を付けるカレンを一瞥して、俺は軽く息を吐いた。


ふぅ……やっぱり俺にはこういう場は似合わないみたいだな。


今回の舞踏会に出席してみて改めて分かった。場違いだって事がなァ。


俺はそっとカレンから離れると、そのままバルコニーへと向かう。


まあ、この手の事で場に馴染めずにバルコニーに行くってのは、もはや王道中の王道だからな。


カレンから物言いたげな視線が送られてきているのには気付いたが、カレンには悪いが流石に限界である。


何が限界かって場に馴染めずにいるのもそうだが、もう一つ理由があったりする。


先程から徐々に、恐らく俺の力目当てであろう貴族の娘達が、範囲網を縮めてきているのである。


場に馴染めてねェってのに、貴族の娘なんざ相手にできるかってんだァ。


俺は、俺が立ち去ろうとしている事に気付いたのか、僅かに速度を上げて近づいてくる貴族の娘達を微頭微尾完全絶無に無視すると、バルコニーに出た。


……が、出た瞬間に後悔した。


何故なら、月明かりに照らされたバルコニーで数組のカップル達がイチャイチャしていたからである。


……なるほど。これが異世界で噂に聞く「リア充」ってヤツなのか。


まあ、俺はなんとも思わないけどなぁ……俺自身ノヴァと恋愛関係に在るし。


が、しかし……この空間に一人で居るってのは中々辛いモンがあるよな。


仕方ねェなァ……。


俺はカップル達の視線が集まったのを見て、このまま上空に跳び上がろうか少し迷ったが、すぐに視線が戻された事でやっと気付いた。


そうか、カップル達がいるあの位置からだと、会場からの逆光の所為で俺が〝風の覇者〟だと分からないのか。


好都合だ。


俺は、空気の層によりあらゆる衝撃が周囲に伝わらないようにすると、その場でぐっと膝をたわめた。


次の瞬間には、そのままばんっとバルコニーの床を蹴って跳躍し、跳躍による上昇の勢いが弱まりそうになると、大気を蹴りつけ更に大きく上昇していき、やがてふわりと何もない虚空に降り立ち、空中で制止する。


上空一万八千フィート。


それが今、俺が居る場所だった。


俺は、まるで地をゆくかの如く平然と空中を歩きつつ、ふと視線を下に落とした。


遥か下の方に、月明かりに照らされた雲が点々と浮かんでおり、その更に下には、夜の闇の中に沈む街を彩る光に溢れた王都システィーナが一望できる。


上空にある星空が大地にも出現したような、そんな錯覚に囚われそうになるその景色に、俺は目を奪われた。


一つ一つの光は儚く、今にも消えてしまいそうにも感じられるそれが、王都を淡く煌めかせており、俺は目を離せなくなった。


ああ、なんて――


「なんて、綺麗な景色なんだろう……」


いつも見ている王都とは違う、夜の王都の美しき景色。


王都に灯る儚き光の琅扞が夜の闇に映え、星空が地上に出現したようなというのはあながち間違いではないのかもしれない。


――こんな夜景を見れるのも、全てはファランのお陰だな……。


ファランとの出逢いが無ければ、今の俺は居なかったし……こんな素晴らしい景色も見る事なく生涯を終えていただろう。


そっと真紅の瞳を閉じると、俺は想う。


ファランが精神世界に居ない今、真実の想いを秘める枷は無い。


――遥か太古の時代、数多の世界の戦場を駆け抜けた戦神にして風神――『風の覇者』ファラン。


感謝します。


貴方との出逢いを、貴方との戦いを。


貴方から継承された力を、貴方から積んだ経験を。


貴方と俺との間で交わされた言の葉を、貴方が見せてくれた異世界の記憶を。


総てに於いて、感謝します。


「……例え古から再臨した闘争の渦に巻き込まれたとしても、俺はファランと出逢った事を後悔しない」


独白すると、俺はうっすらと開眼して遥か下に見えるシスティーナを見下ろした。


すると、普段考えないようにしてきた事が脳裏に過った。


(この戦いが終わったら……ファランは俺の精神世界から居なくなってしまうのか……?)


そう、俺が考えないようにしてきた事とは、『闇の覇者』との戦いが終わったその時、ファランがどうするのかという事だった。


『風の覇者』と『光の覇者』であるファランとノーレ以外の"覇者"の肉体は、流石に不死性までは持ち合わせていないが、不老ではある。


つまり、精神――いや、魂と言うべきか――が抜けた後の抜け殻と言っても過言ではない肉体は、未だ消滅せずに何処かに置き去りになっているのである。


ん、ファランとノーレが何故例外なのかって? ファランとノーレは不老不死まで到達してるらしいんだよ、これが。


いや、より正確に言えば、異世界を旅するウチに生命の究極まで到達し、不老不死の性質を手に入れたファランが、双方合意の上でノーレも不老不死にしたみたいだけどな。


どうやって不老不死にしたか? それはアレだ、性質を転写する為に体を通じ合わせたっつーか、その……男と女がヤるコトって言えば分かるよな?


まあ、ファランとノーレの不老不死については、肝心な所の記憶をファランが渡してくれなかったので、まだ説明し難い所があるのだが。


ともかく、"覇者"達の肉体は未だ消滅を迎えずに何処かにある事は確かなのだ。


そこで、戦いが終わったその時までに、ファランが肉体を取り戻していたら、多分ファランはこの世界を離れるであろう。


完全に勘でしかないが、そんな気がする。


問題は、ファランが俺の同行を許すかだ。


この戦いが終わるその頃には、恐らく俺も必要なレベルに達しているだろう。


次元の壁を切り裂き、世界を渡る事が出来るレベルに。


次元を渡るにも、かなりの力が必要だという事が知識にあるが……次元の壁を切り裂く俺は勿論、ノヴァだって次元の壁を切り裂けずとも、次元を渡れるだけの力はある。


俺が、次元の壁を切り裂けるレベルに達しているなら、ノヴァと二人で異世界を渡るくらい、どうにもなる。


元の世界に恋人を置いていくのなんて俺は嫌だからな。


……まぁ、レーゼが俺をどう想っているのかはまだはっきりしていないが。


ちなみに、フリードもレーゼも道さえあれば次元を渡る事が可能なだけの力はある。


つまり、俺は自分自身と使い魔の次元を渡る事に関する力量の問題は、今の俺は無理でも、戦いが終わるその頃には無くなっているだろう。


つまり、ファランさえ同行を許してくれれば、何の問題も無いのである。


尤も、何故俺がファランにこだわるのかは、もっと深い意味があるのだが……。


ん、表面的な理由だって? んなもん決まってんだろ……その、さ、寂しいからだよコノヤロウ!


……ホンッとに思うわ。今ファランがいなくてよかった、と。


本人を前にこんなこと言えるかってんだ。


「……まあ、今こんな事を考えたって、答えなんて出るワケないか」


俺は黒風を召喚すると、鞘に納まったままのそれを水平に浮かせ、鞘の部分を椅子にするように腰掛けた。


なんとなくすうっと上を向き、地上で見るよりも巨大に見える月を眺める。


遥か上空に位置する為か、本来この時間帯に聞こえてくるべき虫の鳴き声や、人々の生活の音もない。


――これは、いいな。思っていたよりもかなり落ち着ける。


これからは落ち着きたい時には、上空に来るのも良いのかもしれないな。


そう考える俺を、身を切るような冷気が襲うが、俺には涼風にしか感じられなかった。


夏とは言え、夜にこんな上空まで来ていれば当然冷え込む。


だが、俺には涼風に過ぎなかった。……つくづく、人間から遠くかけ離れた身体になってきたと思う。


そんな自分に思わず苦笑を浮かべたその時、俺の前方に魔法陣が現れた。


突然だった為に俺は身構えかけたが、その魔法陣から伝わってくる力の波動を感じて、すぐに警戒をといた。


直後、魔法陣が輝きを増し、誰かが転移してきた。


俺は魔法陣から現れた人影を見て、問うてみた。


「どうした、ノヴァ。こんな所まで来て……何かあったのか?」


「いや、それはこちらのセリフなのだがな、主よ」


魔法陣から現れた人影――ノヴァは、金髪をかき揚げつつ風の魔法で空中に足場を作り、そこへ降り立った。


月をバックに佇むノヴァの金髪は月光を浴びて艶やかに輝き、その均整のとれた肢体に纏う白いローブ姿から、いつになく幻想的な美しさを醸し出していた。


俺はそんなノヴァの姿に少しだけ見とれた後、首を振って我に返った。


「……俺はただ単に、居心地の悪い空間から逃れてきただけだ。

ノヴァは何故ここへ?」


「私か? 私は主の所在を探った時に、遥か上空の方に主の気配を感じたのでな。

何かあったのかと思って来たのだが……その様子だと、問題はないみたいだな」


頷いて言うノヴァを、俺は呆れて見返す。


「この高さについて何も驚かないなんて、お前も大概だなノヴァ。

普通、驚いたりするもんなんだが」


この高さに来れるのは、人間じゃ"覇者"後継者クラスだけだからな。


もう取り繕う必要もないだろう。


そう判断した俺は、いつもの口調に戻ってノヴァに語りかける。


ついでに、フードを外すのも忘れない。


「む、確かにそうかもしれぬが……主の行く先に一々驚いていたらキリがなかろうに。

これでも、主の居場所を感知した時には驚いたのだぞ?」


言葉とは裏腹に、まったく驚いた様子もなく述べるノヴァに、俺はため息を吐いたが、ふと思い出した。


「あー……ノヴァ。ちょっといいか?」


「ん、どうした主?」


「いや、ひじょーに言い難いんだが……ちょっと血を貰っていいか?」


「は? 血を?」


まだ俺が吸血出来ることを知らないノヴァは、怪訝そうな顔をして俺を見返してきた。


「どういうコトかはすぐに分かるさ」と言って了承を求めると、ノヴァは首を傾げつつも承諾してくれた。


俺は唇の端に笑みを刻むと、パンッと小さく手を打った。


「話は決まりだ! よし、じゃあそんなトコに浮いてないで、ちょっとこっちに来てくれ。

足場なら、俺みたく黒風の刀身に座ってくれても構わないからな」


「ああ。そうさせてもらおう」


何も知らないノヴァは、風の魔法で作った足場を歩いて素直に俺に近付いてきて、水平に浮かんでいる黒風の鞘に納まった刀身に座った。


必然的に俺とノヴァは並んで座る形になり、互いの腕が接触する程接近して座っていた。


端から見れば、俺とノヴァは恋人同士のように見えただろう。


まあ、実際に恋人同士なのだが。


そのことに遅れ馳せながら気付いたのか、頬を朱に染めてチラチラと俺を窺ってくるノヴァの方に、上半身を捻って向き直ると、俺は早速ノヴァの両肩に手を置いた。


体勢的に今からキスでもしそうな体勢になったのに、ノヴァが慌てて碧眼を閉じる。


いや……キスじゃないんだけどな。


俺はそう教えてやろうかと思ったが、悪戯心が湧いてしまって、結局何も言わずに唇をノヴァの白いうなじに近づけた。


その時になって漸くキスではないと言うことに気付いたノヴァが、違和感を感じて碧眼を開くが、俺はそのままノヴァの首筋に舌を這わせる。


そのまま素肌に牙を突き刺しちまうのは、あまり良くないからな。


レーゼはともかく、あのリリスですら俺から血を吸う時には唾液をたっぷりと口に含んで、牙を刺す首筋を湿らせつつ血を吸うからな。


つまり、俺にはそれ以外の意味など無かったのだが、ノヴァはそうは思わなかったらしい。


俺が首筋に舌を這わせた瞬間、ビクンッと大きく身を震わせ、


「あ、主! こ、こここんな所でするのか!? まだ心の準備が――」


「……? 悪いが、待たない。やらせてもらうぞ」


吸血という意図しか無かった俺は、急に騒ぎ出したノヴァに構わず、そっとノヴァの首筋に牙を突き立てた。


当然、牙を突き立てた当初は痛みがあったようで、小さく声を洩らしかけたが、数秒も経つとすぐに頬に朱が差し、呼気を速めて体をピクピクと痙攣させ始めた。


俺が、「吸血した相手に快楽を与える吸血」をしているからなんだけどな。


これは本来なら、ヴァンパイアが吸血する相手が逃げたりしないようにする為の力なのだが……痛いよりは気持ち良い方がいいだろ?


相手が身内であるノヴァなら尚更だ。


えっ、身内以外にするならどうかって? そんな配慮なんてするワケねェじゃん。


にしても、どういう理屈で相手に快楽を与えてんだろうな。


恐らく、サキュバスなどの吸精魔とかと同じような力だと思うんだけど。


つーか、ヤバい。ヤバすぎる。ノヴァの血の味が。


プラーナ……つまり生命力が強いヤツの血が美味だと言うことは聞いてはいたが、ここまでとはな。


戦いの最中に吸血した魔人の女よりも遥かに美味い。俺は今、高級酒でも飲んでいるのかと思うほどだ。


俺は、腕の中で快楽に身を震わせるノヴァの血を夢中になって飲むが、僅かに残っていた冷静な部分が警告を発する。


普段、レーゼとリリスに吸血されている俺だから分かる。


――吸いすぎだ、これ以上はまずいっ!


俺は目を見開き、残っていた理性を総動員してノヴァの真っ白なうなじから牙を抜いた。


血が流出する前に、牙を刺していた部分に唇を近づけ、一舐めする。


かつてレーゼがしてくれたように、傷を癒す為だ。


「ふぅ……サンキューな、ノヴァ――」


「――んッ……」


俺は手の甲で口元を軽く拭い、礼を述べようとするが、ノヴァの姿を見て言葉を切った。


……普段は強い意志の光を宿していた碧眼には今は霞みがかかっており、白い頬は仄かに赤く色付き、唇の端からは涎が垂れ、呼気を荒くし、下半身は――。


「うぅん……」


「……」


これはちょっと……まずくはないだろうか?


何がまずいって、今のこの状況全てがまずい。


高い鼻梁といい、切れ長の真っ青な瞳といい、まさに絶世の美女であるノヴァがこんなあられもない姿を見せるなんて――ヤバい、理性が……。


事実、この状況はとてもまずい。


『闇の覇者』との戦いが終わるまでは、その手の関係にまで及ばないようにしている俺の理性が、今まさに崩れ去ろうとしている。


なに、どんだけ弱い理性してんだ、だって?


当たり前だろうが。何度でも言うが、俺はどこぞの物語の主人公じゃねェんだよ。


据え膳食わねば男の恥とは言うが、『闇の覇者』との戦いが終わっていない今はまだ駄目だ。


しかし、このままでは理性が保たない。と、いうわけで――


「自分でやっといて何だが、さっさと正気に戻れノヴァ! 【マインドブラスト】」


精神干渉系攻撃魔法【マインドブラスト】。


本来なら、受けた相手の精神を破壊して廃人にする、精神崩壊レベルの魔法なのだが、魔力を操作して威力は気付け程度に抑えてある。


「ひゃあっ!?」


ノヴァは奇声を発して飛び起きたが、その所為で腰かけていた黒刀の鞘から【レビテーション】(空中浮揚)の魔法も使わずに落ちてしまい、俺は慌ててノヴァの腹部に手を回して落下を止めた。


「おい! エキサイトするのは構わんが【レビテーション】くらい行使してからにしてくれ!

見ているこっちがヒヤヒヤするっ」


「あ、すまない主……」


ノヴァが大人しく黒刀の鞘に座り直すのを見て、俺も安堵してその横に座る。


既に落ち着きを取り戻しているノヴァは自分の首筋を撫でた後、俺に顔を向けた。


「主……先程私から吸血したようだが、主はヴァンパイアになってしまったのか?

それにしては、気配は人間のそれのようだが……」


探るような瞳を向けるノヴァを横目に、俺は首を横に振った。


「いや、俺はレーゼとの契約により吸血という力を得ただけで、ヴァンパイアにはなってないんだ。

だから俺の吸血はヴァンパイアの吸血とは違って、吸血した相手をヴァンパイアに変える程の力は無ェ。

吸血した相手を支配下に置くってのも不可能ってワケだ。

俺の吸血じゃあ出来て力を回復する程度のモンだ。

後は、吸血した相手に快楽を与えるとか。

これが、俺の吸血で起こせる事象の限界だな」


手をプラプラさせつつ述べると、ノヴァは得心がいったように頷いた。


「なるほど、そういう事だったのか。

しかし、吸血の力を転写していたとは。主に吸血の力を与える程の力……やはりレーゼは"始祖の女王"だったのか」


真剣な顔をして言うノヴァに、俺も肯定する。


「そうだ。もう間違いねェな、ただ単に種族の頂点にいるだけじゃねェ、あいつはこの世界に於けるヴァンパイアの始祖にして真祖、『The Vampire Queen(ヴァンパイア・クイーン)』……文字通り、"吸血鬼の女王"ってヤツだな」


多分……つーか絶対にフリードより歳上だぞ、レーゼのヤツ。


俺が淡々と答えると、ノヴァは豊満な胸の下で腕を組んで唸った。


「しかし、それでは魔界のヴァンパイア達は一体何をしているのだ?

女王が不在の今、主達の戦争に参加はせぬと思うが……」


「さーな。現状じゃ何も言えねェよ。確かに、戦の最中にヴァンパイアを見かける事はなかったが、レーゼが――」


そう言ってから俺は首を捻って言葉を切り、少し考えた後、


「……いや、この場合はリリスっつった方がいいか?

リリスがもし俺を裏切るようならば、話は違ってくる。

今この現状で俺を裏切るってのは、"闇主側"に付くって事しかないからな。

そうなれば、ヴァンパイア達も明確な敵となってこの戦いに参戦してくるだろうな」


冷静に言い放つ俺を、ノヴァは濡れたように光る碧眼で見つめてきた。


そんなノヴァの瞳を俺も至近から覗き込み、俺達は暫時見つめ合った。


僅かに青みがかかったように光る銀月が、黙したまま見つめ合う俺達を照らし出す。


もしも地上から見える高度にいたのなら、さぞかし絵になる光景だっただろう。


特にノヴァなんかは、俺には勿体無い程の美女だからな。


……先に沈黙を破ったのは、ノヴァだった。


「主は……もしもレーゼが"闇主側"に付くとしたら、どうするつもりなのだ?

敵対者には死の制裁を。以前、主はそう言っていたはずだが、レーゼまでも手にかけるつもりなのか?」


「ふん……」


俺は鼻で笑って見せると、確固たる口調で言い放った。


「レーゼが裏切ったらどうするかって? んなもん決まってる、力ずくでも引き戻すさ。

俺の自惚れじゃないのだとすれば……少なくとも、レーゼは俺から離れたがっているということはなさそうだからな。

尤も、リリスの方がどう思っているかは知らんがな。

とにかく、レーゼ本人の意思で裏切らない限りは、俺はレーゼを殺すつもりなどない……毛頭ない!」


「ふふっ。そうか、それを聞いて安堵した」


俺が静かに言い切ると、ノヴァは気が抜けたように微笑んだ。


俺も喉の奥で笑いつつ重心を前に移動させると、そのまま黒刀の鞘から腰を浮かせた。


常人ならば絶叫ものの光景だが、生憎俺もノヴァも常人ではない。


ノヴァも何てことなさそうに腰を浮かせると、空中を闊歩する俺の後をついてきた。


それを見て、先程まで椅子代わりにしていた黒風を手に呼び寄せて腰に帯びると、俺とノヴァは肩を並べて空中を歩く。


互いに、言葉はない。


ただひたすらに、月明かりに満ちた夜空をふわりふわりと散歩する。


暫し空中散歩を続けていると、やがてノヴァがぽつりと言った。


「主……何故あの夜、私を抱かなかったのだ? 私はそこまで魅力がないのか?」


「……ああ、あの夜のことか」


ノヴァが紡いだ言葉にすぐに思い当たり、俺は歩む速度を弛める。


「別に、ノヴァの魅力ががないワケじゃないさ。この前だって、理性を保つので精一杯だったくらいだしな。

ただ、その手の事は今はまだできない……するべきではない。

この戦いが終わるまで待ってくれ。その時は……まあ、問題ないと思うしな」


「……そうか」


俺が自分の考えを告げると、ノヴァは俺から視線を外して月を見上げた。


もはや、完全に俺の足は止まってしまっていた。


寂しそうなノヴァを見て、俺は黒髪を荒々しく梳いてちょっと考え込む。


俺はノヴァを哀しませたいワケじゃないんだ、どうにかノヴァを喜ばせる事はできないものか。


しかし、今までの経験の無さから、良い案など浮かぼうはずもない。


思わず、自分自身への罵詈雑言が脳裏に浮上した俺だったが、首を振って決断した。


ちょっと……いや、かなり恥ずかしいが、この場合仕方ないだろう。


俺はそっとノヴァの背後に忍び寄ると、名を呼んだ。


「ノヴァ」


「なんだ、主――んんッ!?」


俺はこちらに振り向いたノヴァを抱き締め、可憐な唇に自分の唇を重ねた。


俺の唇にノヴァの柔らかい唇の感触が弾け、そのまま、ノヴァの唇を割って互いに舌を絡ませる。


無限にも感じられる刹那の間、深く口づけを交わした俺とノヴァは、やがて唇を離した。


互いの唇から口づけの証である銀の糸が引き、その糸が途切れると、俺はノヴァの碧眼を覗き込んで告げる。


「悪ィな……今はまだ、これで我慢してくれ。お前の気持ちには、この戦いが終わるまでは完全には応えれそうにない」


俺が静かに言葉を紡ぐと、ノヴァは寂しそうに微笑んだ。


「分かっているさ。主という人を知ってから、長期戦は覚悟していたからな。

いざとなれば、私はいくらでも待てる。主は薄々気付いていたのかもしれないが……私は不死ではないが、不老ではあるからな」


紡がれた言葉の端々に隠された寂寥感に、俺は雰囲気を明るくしようと努めた。


「はっはっは! 美人にそう言ってもらうと、実に良い気分だ」


「ふふっ。そうか、それは良かった。主に美人と言われるのは、実に良い気分だからな」


俺の言い方を真似て返してきたノヴァに、今度は本当に笑ってしまう。


思えば、最近心の底から笑う回数が増えてきた気がする。


以前までは……特に、力を手に入れる前までは心の底から笑うことなど、ほぼ皆無に等しかったのに。


そして、最近の俺の明るい感情の裏には、ノヴァの姿が在ることが多い。


つまり、最近の俺に癒しをもたらしているのは、ノヴァだという事だ。


常に一緒に居るレーゼはもちろん、フリードもだが……既にお互いに心の伴った関係であるノヴァは、特に大きな影響力を持っている。


俺はその事に気付くと、内心でふっと微笑んだ。


ノヴァと契約した当初は、距離感の近さに辟易していたものだが。


今では、この距離感の近さが心地よく感じられる。


これが、心境の変化ってヤツなのかもな。


それに、この心地よさは――かつて、ディアナと共に過ごしたいた時、まだ優しい世界に居たあの時の感覚に良く似ている。


似ているだけで、完全に同じ心地よさというわけではないが、その内に秘められた想いだけは、かつてディアナと過ごした時のそれと同じだ。


ならば、と俺は思う。


――今度こそ。


今度こそ、守り抜いて見せる。もう、哀しい結末なんて要らない。


いや、この俺がさせない! 無力だったあの時とは違う。もう二度と、大切な人を失ないはしない。


ディアス達やロイ先生達。孤児院の皆や、フリードとノヴァ、レーゼの三人。


そして、新たに仲間に加わったユリウス達や、"覇者"に関して深く関わっているランスさん達。


それが、俺が大切に想っている人達だ。


だから、俺は俺の大切な人達を守る。その為なら、如何なる犠牲も厭わない。


無意識の内に魔力を放出していたのか、俺の全身から蒼銀のオーラが洩れていた。


力の波動を感じたのか、腕の中でノヴァがぶるっと震えた。


そこで漸く魔力の放出に気付いた俺は、すぐに魔力を収めようとするが、次の瞬間、俺は驚愕する。


「なんだっ」


「これは……主!?」


二人揃って驚きの声をあげ、俺は左腕をノヴァの腰から離して、眼の高さまで持ち上げた。


「これは……まさか、また上昇しているのか!? 俺の魔力がっ」


自らの意思とは関係なく、更に魔力が放出されていき、魔力量の増大が始まる。


呆れたことに、また俺の魔力が更なる成長を見せるらしい。


俺は素早くそれを悟ると、叱声を放った。


「ノヴァっ」


「分かっているっ!」


すぐにその意味を理解したノヴァが周囲に結界を張ったのを見届けて、俺は魔力の解放を制御するのを止めた。


途端、高まり始める俺の魔力。


俺は、複雑な心境で己の内で高まりゆく魔力を感じ取る。


全身に……特に心臓に激痛が走るが、既に苦痛に慣れてしまった為に、微動たにせず魔力の増大のみに意識を回す。


尤も、俺が苦痛にのたうち回らずに済んでいるのは、今回の苦痛が今までよりはマシだったという事もあるが。


(しかし……何故、何故なんだ?)


今もなお増大し続ける魔力を感じつつ、俺は考えを巡らす。


何故、俺だけが魔力の増大の条件が不明なんだ?


ロイ先生達の魔力が、ここ最近急成長を見せているのは知っている。


恐らく、最低でも〝五十億〟にまで成長を遂げている事だろう。


っはははははは……。七億から五十億。流石に無理があるように思えるかもしれないが、そうでもないんだな、これが。


先程、成長のプロセスがあると言ったが、その内の一つが『"覇者"後継者が全員揃うこと』だ。


別に、"覇者"の間に何かしらの関係性があるってワケじゃない。


関係があるのは、かつて『闇の覇者』を封じた封術の方だ。


元々、『闇の覇者』を封印する為に構成されていた封術に、『闇の覇者』の最後の抵抗によるイレギュラーで他の"覇者"まで巻き込まれたってのは話してたよな?


その所為か、俺達の魔力の成長には封術を受けた時と同じく、"覇者"全員が覚醒し、揃う必要があったんだよな。


そこで初めて、魔力の成長が始まる。


いや、正確には"成長"ではなく"快復"と言う方が相応しいか。


……ここまで言えばもう薄々勘づいているとは思うが、俺達の魔力は増大しているわけではなく、かつての魔力に戻り始めているのである。


そのプロセスと言うのも、極単純かつシンプルなものだ。


まず始めに、力を使っていく事で身体が力に慣れていく。


力が身体に馴染めば、馴染んだ分だけ力が増していき、それを繰り返す事でどんどん力を快復させていくのだ。


簡単に言えば、『身体という器の強度が増せば増すほど、それに伴って使える力も増していく』という事だ。


早い話が、自分の身体が新たな力に耐えきれるだけのレベルに達すれば、自然に力が増していくのだ。


別に不自然じゃあるまい。増していく力って言うのも、元々兼ね備えていた力が快復しているだけなのだから。


それはもちろん、俺も同じ事なのだが……俺の場合、あまりにも力が快復するのが早すぎるのだ。


それこそ、力の成長に自分の身体がついていけない程に。


いや、それ以前に……なんかこれ、ファランから受け渡されてる魔力じゃなくね?


契約を結んだ今、ファランが精神世界にいなくても力の受け渡しくらいは問題ない。


少なくとも、ファランはな? 他の"覇者"達がどうかは知らん。ファランは別格だからな。


だから、普通に考えれば、こうしている今も増大し続けている魔力はファランから受け渡されている魔力だと考えてもいいはずなんだけどさ。


なんかなー……ファランが渡してくる魔力のそれとは、何かが違う気がするんだよな。


そうだな、例えるとすれば。


ファランの魔力は荒々しい反面、その裏には凪いだ水面のように静まり返った感じがあるんだが……今増大しているこの魔力は、抑えきれなかったモノが溢れ出しているっつーか、本当にただ単純に荒々しい感じがするんだよ。


簡単に言えばアレだ、暴走気味なんだよこの魔力は。


お陰で、魔力は確かに増大しているが、シャレにならない勢いで身体に負担が掛かってやがるんだ。


って言うか、今の今まで忘れてたんだが。


もしかして、今も増大しているこの魔力の出所って、俺自身じゃないのか?


ファランが俺に何か細工をしたとかそんなんじゃなくて、俺自身に何らかの異変が起こっている。


可能性としては否めないだろ?


翻ってみれば、俺には色々と不可解な事があったはずだ。


ファランとの契約時、戦いの最中にファランが洩らしていた意味深な言葉。


契約後に告げられた、俺に掛けられた何らかの封印。


閾値を超えた苦痛を伴う、力の増大。


毒物に対する絶対的な耐性と、超速再生。


そして最後に、秘密裏にファランが抑え込んでいるらしい『何か』。


実のところ、俺としてはファランが抑え込んでいる何かの方が気になっている。


憶測に過ぎないが、ファランが抑え込んでいる『何か』と俺が封印されている何かは、同一性のあるモノに思えたからだ。


今だファランは俺に真実を教えてくれはしないが、俺もそれなりに考えてはいたのだ、自分の力について。


どっぷりと思考の海に潜っていると、魔力の増大が徐々に小さくなっていくのを感じた。


それと同時に、全身を襲っていた苦痛が引いていき、俺は強張った表情をやや弛める。


俺は完全に治まるのを待つと、大きくため息を吐いた。


「んんっ……やっと治まったか。ったく、今度はどんだけ魔力が上昇してんだろォなァ……」


「主? また急激に力を増したようだが……身体の方は大丈夫なのか?」


もし何か問題があれば、出来る限り力になろう。そう続けたノヴァに、俺は首を横に振った。


「いや。今のところ、身体に異常は無さそうだ。問題なく普段通りに活動できる。

それに、今回は以前程苦痛が酷かったワケじゃないしな」


平然と言って見せた俺に、どうやら本当に問題ないのが分かったらしいノヴァは、ほっと息を吐いた。


「そうか。それは何よりだ。やはり今回も苦痛があったようだが、以前に比べて少しはマシだったようだな」


「まーな。その点、確かに助かったさ。また気を失なうなんて二度と御免だぜ。

何せ、気を失っても苦痛が和らぐ事はなかったしなぁ」


俺が冗談半分に笑い飛ばすと、ノヴァは「笑い事ではなかろうに」と額に手を当てた。


俺は笑いを収めると、無造作に左腕を振り捌いた。


その動作が終わった直後、ワインの入った瓶とグラスが二つ創造され、空中に浮かぶグラスを一つノヴァの方へ移動させた。


それを受け取り、こちらを見つめてくるノヴァに、俺は片目を瞑って見せた。


「どうだ? 折角こんな所に居るんだし、月でも見ながら一杯やらないか?」


「まったく……主はまだ飲酒が許されるような年齢ではあるまいに。

まあ、実際に主の身体には何の問題もないのは分かったから、付き合わせて貰おうか」


苦笑しながら言うノヴァを見て軽く笑いつつ、俺はノヴァのグラスにワインをなみなみとついでやる。


すると、ノヴァが俺の手から酒瓶を取って、今度はノヴァが俺のグラスに赤い液体を見目よくついだ。


「おっ、悪ィな」


「いや、ついで貰ったらつぎ返すのが正解であろう? 礼を言われる程ではないさ」


当然の事をしたまでだ、と頷くノヴァに、俺はふっと表情を崩した。


「それでもだ。相手に何かしてもらった時には、礼を述べるのが常識ってモンさ。

尤も、俺が常識とか言えた義理じゃあねェけどな! はっはっは!」


俺は笑いつつも、すっとグラスをノヴァの方に近づけ、


「さて……二人きりの月夜を祝して、乾杯(トスト)!」


「ああ。乾杯!」


ノヴァとグラスをキンッと音を立てて合わせて、俺とノヴァはグラスを傾けた。


こうして、システィールより遥か上空にて、二人きりのささやかな祝杯が始まる。


俺とノヴァは、出逢った当初の話からギルドで二人で任務に行った時の事、フリードとレーゼも連れて王都を回った時の事を、グラスを傾けつつ語り合った。


……それから、約三十分が経った。


酒瓶とグラスを片付けた俺は、やや頬を紅潮させたノヴァの前に立っていた。


いや、ここは空中なのだから、本来なら「浮いていた」という表現が正しいのだろうが、俺の場合は本当に空中立っている為、この表現で間違いはないはずだ。


酔っているのか、身体をゆらゆら揺らしては、慌てて首を振っているノヴァを見て、俺は苦笑した。


「ノヴァ、その様子を見るにお前少し酔ってないか? 【浄化】でも使って治したらどうだ?」


「む……この程度、問題ないさ。わざわざ【浄化】を使う程でも――」


そう言っている途中、また少しゆらゆら身体が揺れ、ノヴァは顔をしかめる。


ま、当たり前だよな。度数もそうだが、飲んだ量が量だし。


こう見えてノヴァは酒は恐ろしく強い方だが、やっぱあの量はキツかったか。


「……やはり、治しておくか。【浄化】」


そんな事を考えている間に、思い直したノヴァは【浄化】を使って酔いを覚ました。


本来なら【浄化】ってのは呪術の類いを消す為の魔法なんだが、俺達クラスになるともうなんでもアリだよなぁ……。


聖なる魔法が物凄くどうでもいい事に使われているのを見ると、なんとなくやるせない気持ちになってくるが、かくいう俺もどうでもいいことにその手の魔法を使うので、特に口には出さない。


「ふう……さて、主の言っていた屋敷に私は帰ろうかな。

これ以上居ては流石に迷惑になるだろうし」


「あん? 別に迷惑にはならねェだろ。このまま会場に行ってもいいくらいだぜ?

俺の使い魔なんだし、問題にはならないはずだぞ? そして何より、美人と一緒に居ると俺も気分がいいしな」


あっけからんと述べる俺に、ノヴァは碧眼を輝かせた。


「そうか? では、私も連れていってくれないか。舞踏会とやらに興味がある」


「別にいいけど、間違っても俺を踊りに誘うなよ? 俺は踊りに才能がないらしいからな」


もうあんな、パートナーの足を何度も踏みそうになるような無様な姿を晒したくはない。


ノヴァの前では尚更だ。


俺が顔をしかめて言うと、ノヴァは落胆したような表情を浮かべた。


それを見ていると何かこう、罪悪感がシャレにならない勢いで沸き上がってきて、後先考えない内に口にしてしまった。


「まあ、お前の望みとあらば、後でどっかに行って二人だけで踊ってやってもいいけどな」


――おいィィィィッ! 何言っちゃってんの俺!?


俺はすぐに今の発言をナシにしようとしたが、


「その話は本当か!?」


「あ、ああ。別に構わないぜ?」


めちゃくちゃ嬉しそうに見つめてくるノヴァに、俺はあっさり陥落した。


はっはっは、こりゃもう駄目だな。前言を撤回できそうにもない。


ってか、撤回する度胸がない。なに、ヘタレだって? ほっといてくれ。


まあ、二人だけでとは言ってあるし、人前で踊らなくて済むだけまだマシか。


そう思い直すと、俺は地上を一瞥して左腕を振り捌いた。


すると、俺とノヴァの身体が下降を始め、お互い特に騒ぐ事もなく行きに比べればゆっくりとした速度で降りていく。


【瞬転】を使ってもよかったんだが、それだとつまらんからな。


折角だし、夜景でも眺めながら降りるさ。


俺とノヴァは、眼下に広がる琅扞の煌めきを見下ろしつつ、地上へと降りていった……



―――――――――――


「よっと……ここなら人目に付かないだろ」


「流石に主も降りる場所くらいは選んだか。安堵したぞ」


「ちょっと待てコラ、お前は俺をどんな風に思ってんだ。

俺程内気なヤツは中々いないぞ」


「なるほど、傲岸不遜を内気と言うのは初めて知ったな」


「良かったな、また一つ知識が増えたぞ。喜べ」


……冗談はさておき。


俺とノヴァは、そのままバルコニーには降りずに城の屋上に降り立った。


バルコニーには、俺が上空に跳び上がった時と同じく、まだ人影が多数あったからな。


流石に、このまま人前に降り立つのはまずいだろ。


その点、俺も配慮くらいはするさ。


「さて……と。んー、会場への入り口は彼処(バルコニー)だけだし……この塔から中へ入るか」


俺はバルコニーをチラリと一瞥した後、自分達が降り立った塔を見下ろし、神経を研ぎ澄ませて気配を探った。


うん、やはり大体は会場の警護に回されてるらしいな。


巡回の騎士達も居ないみたいだ。


それを感知すると、俺はノヴァを連れて屋上の端の方にある扉を開けて、塔の中に入った。


塔の中に入ると、下に向かって螺旋階段が続いていて、壁に取り付けられている魔力光はまだ点いていない。


俺は、すぐ真横の壁に魔力光を点ける為の装置があるのを一瞥するも、何もせずにそのまま足を進めた。


同様に、ノヴァも魔力光を点ける装置をチラリと見たのみで、魔力光を点けようとはせずに俺の後を着いてくる。


俺とノヴァは、足元も見えぬ暗闇の中、螺旋階段を軽い足取りで降りていく。


この程度の暗闇なら、光が無くても全然余裕で見えてるからな。


そして、階段を降りてその塔から出た俺とノヴァは、会場へと歩を進める。


今出てきた塔から会場までの道は知らないが、気配が集まっている所を目指せば自然と辿り着けるだろう。


それに、先程塔の屋上から会場に隣接しているバルコニーを見ていたからな。


後は、方向感覚さえ良ければちゃんと着けるはずだ。


そうたかを括って歩いていると、途中から見覚えのある回廊に変わり、俺とノヴァは会場に辿り着いた。


この時点で、既にノヴァには髪の毛の色を染色魔法で黒く染めて、幻視の術で顔立ちを少し変えてもらっている。


以前、そうして俺とギルドの任務を受けていたからな。


素のままで動く時は、俺が〝風の覇者〟としての活動をしていない時だ。


普通なら逆なんだろうが、何か起きた時にすぐに動ける方が良いと判断し、そのような対策を取っていたのだ。


〝風の覇者〟としての俺なら、何か起きたとしても大抵の理不尽を更なる理不尽を以てして反撃出来るので、俺のこの判断は間違ってはいないと思う。


「さて、それでは入ろうか」


「……暫し待て、ノヴァ」


早速会場に入ろうと扉に手を掛けたノヴァを、俺は言葉で制する。


もちろん、口調を【覇者】のそれに変えるのも忘れない。


不思議そうな顔をしてこちらを見返すノヴァに、俺は低く囁いた。


「このまま入れば、かなり目立つであろう。だから、気配を殺して会場に入るぞ。

……刻んだか? ノヴァ」


「ああ、そういう事か。分かったぞ」


言下に、俺とノヴァは気配を殺して、扉を人一人が入れる程度に開けると、瞬時に身体を会場の中へと滑り込ませた。


この間、半秒にも満たなかった。


もちろん、常人には俺とノヴァが会場に入り込んだのが気付けなかったが、ロイ先生達はバッチリ気付いていた。


こちらを『何してんだあいつ?』的な視線で眺めているロイ先生達を見て内心苦笑すると、ノヴァを連れてそちらに向かって歩き出した。


途端、俺とノヴァに視線が集中する。もちろん、俺には隣に美女を侍らせているという嫉妬と満ちた視線が、ノヴァにはその美しさから羨望に満ちた視線がだ。


フハハハハハハハハハッ! モテない貴族の野郎共、羨ましいだろ!


ほらほら羨ましいと言ってみろ、あァン!? ……と、まぁ阿呆かつ厚顔無恥な事を考えるのはここまでにしておいて。


「……ノヴァ、こっちだ。周囲の貴族共の視線など気にするな。

あまりにも鬱陶しいようなら、俺が視認出来ぬよう魔法を使うが……」


「いや、それ程ではないさ」


俺に向けてノヴァが微笑んだ途端、ノヴァの笑顔に視線が集まる。


それに少しばかり辟易してしまったのか、ノヴァが僅かに笑顔を暗くさせたのを見て、フードの下で俺の真紅の瞳が妖しく輝く。


比喩ではなく、俺の内に内包された莫大な力が僅かに漏れだし、瞳の輝きとなって現れているのだ。


俺はゆっくりと首を巡らすと、じろりと貴族の男共を睨んだ。


特に殺気を放っているワケではないが、不穏な何かを感じた貴族の男共が次々に視線を逸らしていく。


会場に溢れていた喧騒が、俺が睨んだ一角だけ空白が空いたかのように静まり返った。


よろしい、少しはマシになった……そう一つ頷いてノヴァを振り返ると、


「では、行こうか」


何事もなかったかのように言った。


まあ、実際に俺は睨んだだけなんだけどね。


俺とノヴァが歩き出すと、まるでモーゼの十戒のごとく貴族達が道を開けていく。


おいおい、道を開けてくれるのは有り難いが、俺ってそんなに忌避されてんのかよ。


割れていく人垣を見て、ついそんなことを思ってしまったが、今までの俺の所業からして忌避されても不思議ではないので、俺は呆れた表情を浮かべるのみで特に何も言わない。


そのままロイ先生達の方へ行くと、ロイ先生に苦笑しているような雰囲気で迎えられた。


「殺気とかは放ってなかったみたいだが、なんだあの有様は。

何か怪しげな術でも使ったのか?」


「……そのようなこと、この俺がしていたはずが無かろうに。

そもそも、そんな術など使わずとも、あやつら程度なら少し威圧するだけで十分黙らせられる」


俺が素っ気なく言い放つと、ロイ先生は呆れたように俺を見てから、ふとノヴァに視線を移した。


そして、俺とノヴァを等分に見た後、物言いたげな雰囲気を漂わせる。


気になった俺が「なんだ?」と問おうとした時、ロイ先生の横に座っていたクレアさんが首を傾げて呟いた。


「何か……以前見た時よりも距離感が近すぎませんか、二人とも?」


「……当たり前だ。知らなかったのなら教えてやるが、ノヴァは俺の恋人だぞ?」


「あ、主! そんな、人前で……フフフッ」


俺の言葉にノヴァは少し慌てた様子を見せたが、言葉とは裏腹に頬は仄かに朱に染まっており、笑みがまるで隠しきれていない。


……ってか、そこまで想われてんのか、俺って。ヤバいな、こりゃ素直に嬉しいぞ。


嬉しすぎて、今なら次元の壁でも切り裂けそうだ。


ま、それは流石にブラフだろうが。


ってか、俺も随分とはっきり言いづらい事を言うようになってきたな。


いかんな、こりゃ確実にファランの影響を受けている――などと、俺が思考している一方、近くの席で話を聞いていたリンス先生が、飲んでいたワインを吹き出しかけた。


同じく、リンス先生と同席していたカイルは、飲んでいたジュースが気管支に入ったのか激しく噎せる。


そのまた近くの席にいたカレンは何故か不機嫌そうに顔を背け、同席していたイリアは驚いたような表情でこちらを見ていた。


少し離れた位置に居たマーナ達も同様に、驚いてこちらを眺めている。


それに気付いた俺は数ミリ程首を巡らせ、低い声で問う。


「……なんだ? 俺に何か用でもあるのか? あるなら言ってくれ、成せる事なら手を貸そう……」


「いや、用と言うわけではないのだが。そこの方とは一体いつからそのような関係に至ったのだ?


「少し前からだが……何かあるのか?」


「いや、なんでもないさ」


そう問い返した俺に、イリアは何故かチラリとカレンの方を見た後、あっさりと引き下がる。


するとカレンは俺の方を一瞥した後、再び視線を外してしまう。


だから、一体なんなんだよ?


言葉にしてくれなきゃ、理解できんぞ。


俺がむっとしていると、急に念話が繋がった。


身に覚えのある魔力に僅かに身動ぎした後、軽く息を吐いてそれに応じる。


《なんだよ? お前も何か用があるのか、カイル》


《いや、用ってワケじゃないが、ノヴァさんがお前の恋人ってマジかよ!》


《ああ、マジだけど。それがどうかしたのか?》


つーか、俺としては今頃になって漸くお前らがそのことに気付いた事の方が驚きだけどな。


度々一緒に任務を受けてたじゃん、俺とノヴァって。


てっきりお前らには周知の事実だと思ってたんだが?


そんな事を思っていると、カイルが何やらヤケに強い念を送ってきた。


《ちくしょ~、何で俺はモテないんだ。それに比べてレオンときたら……羨ましい妬ましい》


《何でモテないんだってお前……お前が変態的な言動ばっかするからじゃねェの?

俺としてはお前のその男前イケメンフェイスが羨ましいぜ。

大体お前は、顔は良いんだから普通にしてりゃモテると思うのに……》


俺が嫉妬と呆れの混じった声音で伝えると、ついにカイルはがばっとこちらを見てきた。


《なにィッ、その話は本当かレェオォォン! ってか、俺の顔ってイケメンの域に到達してんのか!?

ヤベッ、夏休みが明けたらCOOLに決めていくしかないだろこりゃあ!》


今にもガッツポーズでもしそうな程――あっ、たった今小さくガッツポーズしたわ。


バリバリ『ッシャア!』とか歓喜の声が聞こえてきたな。


そんな感じで次からの計画など立てているカイルに、俺は冷静に言ってやる。


《いや、お前の場合は今までが今までだからなァ。

急にそんなCOOLに決めるったって、今度は逆に不自然になるんじゃね?》


ってか、何でCOOLだけめちゃくちゃ発音よく言ってんの?


俺もそれに乗って返しちまったけど。


《ぬおおおおお! マジかよ、もう手遅れってヤツか?》


《いや、何もそこまでは――》


《あークソッ、モテるヤツは良いよなぁ……羨ましい妬ましい彼女欲しい》


《あのだな《いや、諦めるのはまだ早い。諦めたらそこで試合終了だ!》


《だから《よし、何としてでも彼女を作るぜ!》


《お《見てろよレオン! 俺もモテる男になってやるからなっ》


《……》


……こいつ、ワザとか? ワザとなんだろ? ワザとだと言ってみろコラァ。


「……相手にした俺が馬鹿だったか」


《えっ、ちょっ、レオンさーん? 俺にモテるアドバイスでもくれるんじゃなかったのか?

おい、レオン……いや、何か反応してくんない? 何これ、このままだと一人で念を飛ばし続けてる可哀想な人みたいなんだけど。

なあ、反応しろよ……反応してくれ……反応してください……いやちょっ、マジで――》


――ブツッ。


俺は、物も言わずに念話を切った。


その後、横目で傍らに佇んでいたノヴァを見やると、


「……ノヴァ、まだ酒は飲めそうか?」


「む? そうだな、少しくらいなら問題ないぞ」


やや思案げな表情を浮かべながら言った後、頬を赤くして続ける。


「いくら酒を飲んだところで、酔うだけで身体自体に害はないが飲み過ぎると、その……ち、近くなるから」


そう言いつつ、下腹部を擦る。


ああ、飲み過ぎるとトイレが近くなるってことか。


すぐにその意図を察した俺は、その点には特に突っ込まずに言う。


「ならばどうだ? もう少し俺に付き合ってみないか?」


「もちろん付き合わせてもらうさ。それで……給仕は何処にあるのだ?」


周囲を見回しているノヴァに、俺は給仕の方に視線を移して教えてやる。


「給仕はあそこだ。丁度貴族達は踊っている最中だからな……今は空いているようだな」


俺が会場から出ていった時と同じく、今も続いているダンスと並ぶ人の居ない給仕を一瞥して、俺は呟いた。


するとノヴァも同意するように頷き、苦笑した。


「確かに。私も貴族に囲まれるのはあまり良しとせん質のようでな。

舞踏会は楽しそうだが、しつこい貴族に絡まれるのだけは御免だからな」


そんな感じで言葉を交わしつつ、俺とノヴァは給仕へと向かう。


その後方では、俺と念話を繋ごうとして、無駄に思念を飛ばしている自らの弟の姿にドン引きしたリンス先生が、今も思念を飛ばしている弟に、テーブルの下から軽度の血流操作を食らわせていたりしたが、給仕に向かっていた俺とノヴァは知らなかった。


ただ、カイルの苦悶の声だけは届いていたので、何かしらあったのだろうとは思っていたが。



―――――――――――


あの後、給仕でワインの入ったグラスを手にした俺とノヴァは、二人揃って壁に背を預けて、広間で踊る男女を眺めていた。


途中、何らかのダメージを負ったらしい【炎帝】が、人目に付かない所でダメージを癒しているのを見た気がするが、気の所為だろう。


つーか、さっきからカレンに目で追われてるんだが、マジでなんなのさ。


アレか、新しい力にでも目覚めたのか。魔眼<ストーカーアイ>とか。


うわっ、自分で考えといて何だけど、何て嫌な能力なんだ。


何かヴァン辺りが持ってそうな力だな。あいつ、最近は俺のプライベートにまで侵入する(無意識で)ようになったし。


女なら兎も角、男に付け回されるとか俺は御免だね。


それにしても、マジで何か用でもあんのかな。 俺はただ単に、ノヴァと壁際でワインを飲んでいるだけなんだが?


少なくとも、カレンに不快感をもたらすような事はしていないはずだ。


俺は内心首を傾げつつ、右手に持っていたグラスを持ち上げ、口を付ける。


(……ん?)


その時、他国の使者らしき人物と話し合っているケイトさんが視界に入り、俺はゆっくりとグラスを下げてそちらを見やる。


ケイトさんの顔には余裕と、普段は見せぬ冷徹な表情があり、使者らしき人物の方は額に汗を浮かべて今も何かをケイトさんに言っている。


……何してんだ、あれ。


そう考えた俺だったが、その考えはすぐに四散した。


そちらに視線を向けたまま、俺はフードの下で真紅の瞳を細める。


何故なら、使者らしき人物が纏っているローブの背に、紋章のようなものが刻まれていたからだ。


翼あるライオンが天を駆けている、そんな感じの紋章が刻まれており、そしてその紋章には俺も見覚えがあった。


確か……ありゃ、グラーヴィア王国の紋章じゃなかったか――?


それを認識するなり、俺はすぐさま隣のノヴァに目配せした。


ノヴァがこちらを見返すなり、俺は視線でケイトさんと使者らしき人物の方を示した。


するとノヴァも何かを察したのか、小さく頷いて壁から背を離した。


そのまま、目立たぬようひっそりと移動を遂げた俺とノヴァは、ケイトさんと使者らしき人物の近くまで来ていた。


俺達が今居る場所は丁度使者らしき人物の後方であり、使者らしき人物と向かい合って話し合っていたケイトさんは当然のごとく俺の動きに気付き、あるかなきかの苦笑を見せる。


《おお、【覇者】じゃないか。今少しばかり立て込んだ話をしているトコなんだが、何か用か?》


《ふっ。立て込んだ話をしていると言うのに、俺の用の方を優先するのか?》


《まぁな。何故なら、コイツと話しても得られるものはないからな。

つーか、出来れば今すぐ介入してくれないか? 俺としても、これ以上コイツの無駄な話に付き合いたくはないんでね》


相も変わらず使者らしき人物の言葉を聞き流しつつ念話を送ってきたケイトさんに、大体話の内容が掴めていた俺は了承した。


《良かろう。確かに、聞いていてこれ程無駄な話はないからな》


そう念話で伝えるなり、俺はすぐさま行動に出た。


即ち、グラーヴィア王国の使者を押し退けて、強引にケイトさんの前に立ったのである。


これ程分かりやすく、それでもって礼儀のカケラもない介入はないだろう。


どうやら使者は、〝風の覇者〟である俺に対して怒りよりも恐怖が勝ったらしく、何も言えないでいる。


まぁ、世間での俺の凶悪な評判を聞けばそんなモンなのか?


それよりも見ろよこの使者の顔。赤くなったり青くなったり……テメーはリトマス紙ですかァ、あァん?


遥か遠き異世界で、学校の授業に使われてたりするのか、ん?


よし、今からテメーは歩くリトマス検出器っつー名前で決定な。反論は認めん。


などと、頭の片隅で考えていると、


「どうかしたのか、【覇者】? 私は今グラーヴィア王国からの使者と会談していたのだが?」


「ふむ。少しばかり耳寄りな情報があってな……それを貴様に提供しに来てやったのだ」


王を前にしてもなお、傲岸不遜な口調で語る俺に、漸く歩くリトマス検出器(使者)が反応した。


歩くリトマス検出器(使者)は大きく叫びそうになるが、周囲の視線を考えてか声を低くして怒声を発する。


「貴様、今は王との会談中だぞ!たかがギルド員風情が、なんたる無礼な――」


「黙れ」


にべもなく歩くリトマス検出器(使者)の言葉を遮ると、俺はケイトさんに問うた。


「少しばかり話を聞いてもらっても構わんな?」


「ああ、構わない。話してみよ」


ケイトさんがゆるりと首を回して言うなり、俺はケイトさんの耳元に口を運んで素早く囁いた。


「……先刻、グラーヴィア王国からの刺客を始末した。標的は第二王女のイースだったようだ」


「そうか」


ケイトさんは鷹揚に頷くと、射るような目で歩くリトマス検出器(使者)を見た。


声音を低くして、俺と歩くリトマス検出器(使者)だけに聞こえるように言う。


「使者殿。どうやら貴国は我が国のギルドの戦力のみならず、我が妹イースの命まで狙ったそうな。

言っておくが、今更惚けるのはよした方が良いぞ……」


「なっ……何の事ですか! 我が国はギルドの戦力については確かに口出ししましたが、王族の暗殺など――」


――惚けるのはよした方が良いってケイトさんが言ってんのに。


あァもうめんどくせェな、オイ。やめだ、やめ。この歩くリトマス検出器(使者)が真実を語るワケないよな。


俺はギャーギャー喚いている歩くリトマス検出器(使者)を醒めた目で見やると、軽く息を吐いた。


――つーワケで、心を読ませてもらう。


即座に脳裏で術式を編んで発動させるなり、歩くリトマ――ええい、長いッ!

もう馬鹿でいいか。馬鹿の心の内が聞こえてきた。


(馬鹿なっ、あの男が見つかったと言うのか!? 我が国のSランクのギルド員がこうもあっさりと……)


ぶはっ……だっせェ! アレでSランクかよ! いくらなんでも練度低すぎるだろ、オイ。ブランを見習え、アイツあれから結構力を付けてきたからな。


馬鹿の心を読んだ俺は思わず人目も気にせず爆笑しそうになり、何とか失笑程度に抑えた。


すると馬鹿がこちらを睨んできたので、俺は失笑を収めて告げた。


「グラーヴィア王国の使者よ。胸の内に秘めたモノを隠せておらんぞ。悪いが読ませてもらった」


「なにっ……だが、物的証拠は――」


「物的証拠ならあるぞ。刺客が所持していた魔法銃の残骸がな」


目を剥いてこちらを見返す馬鹿に構わず、俺はケイトさんに視線を移す。


すると、ケイトさんは腕を組んで馬鹿を睥睨し、口を開いた。


「聞いての通りだ。今回の事は一先ず私の胸の内に仕舞っておく事にする。

もはや話す事などあるまい。さぁ、早急に立ち去られよ」


「……!」


またもや、リトマス紙の如く顔を赤くしたり青くしたりした馬鹿は、物も言わずに立ち去っていった。


おいコラ、目礼くらいしてけや。俺は兎も角、ケイトさんは王だぞ?


俺がジロリと遠ざかる馬鹿の背中を睨んでやると、不穏な何かを感じたのか、心なし遠ざかるスピードが上がった気がした。


ふん、小心者が。


鼻で笑って馬鹿から視線を外すと、俺はケイトさんに向き直った。


「……邪魔者はいなくなったな。話は聞かせてもらったぞ。

どうも、グラーヴィア王国が俺達を引き抜きに来たようだな?」


俺が確認するように問うと、ケイトさんは頷いた。


ため息を吐いて言う。


「ああ、その通りだ。たかが小国のくせに戦力を持ちすぎだの、我が国の方がお前達を厚待遇できるだの、喚くだけ喚いていたな」


ケイトさんは呆れたように言うと、身動ぎして座り直した。


俺も、先刻までは馬鹿が座っていた椅子を引くと、ケイトさんの正面に向かい合うように腰を下ろした。


そして、身体ごと横に向いて高々と足を組むと、僅かに目を横に向けてケイトさんを視界に入れる。


「念の為訊いておくが。よもや俺達を他国に戦力として引き渡すなどということはやるまいな?

もし引き渡す考えが少しでもあるのなら、それは愚かな選択と言うモノだぞ、ケイト王よ」


声音に若干不吉な響きを含ませて述べると、ケイトさんは苦笑した。


「当たり前だ。グラーヴィア王国の思う通りになどさせぬ。

例えそれが戦争の火種になろうと、私はこの信念を揺るがすつもりはないさ」


最後は不敵な笑みと共に言い切ったケイトさんに、俺は「戦争の火種になるのは感心せんな」と心にも無い事を述べる。


ケイトさんも「確かにそうだな」と肯定の意を示すと、ふと何かを探すように視線を巡らせた。


俺もその視線を追い、その先に恐らく上辺だけではなく、内面まで親密な関係であろう貴族の女性と話しているセナリアさんを見つけると、口角を吊り上げた。


「ふっ。傍に居ないと不安か、ケイト王」


「否定はせぬよ。セナリアは私などより余程人望があろうが、こういった人が多数集まる場では何が起こるか分からぬからな。

時々、大丈夫だとは分かっていても捜してしまうのだ」


と、そこで、朗らかに笑うケイトさんが悪戯っぽい表情を浮かべ、続けて言い放った言葉には俺もフードの下で苦笑してしまった。


「時に【覇者】よ。お前には私に取ってのセナリアのような者は居るのか?

お前くらいの年齢なら居てもおかしくないと思うのだが?」


――お前くらいの年齢なら、ねぇ。


上手い言い方をするよなぁ、ケイトさんも。


学生くらいの年齢だと受け取ったのなら、彼女くらいいるのか?


成人していると受け取ったのなら、妻くらいいるのか?


そんな、二重の意味に受け取れる言い方だったのだ。


さりげない会話でも、相手を気遣って年齢を曖昧に出来るように話す。


簡単そうに見えて、案外難しい事なんだぜ? 相手を気遣って話すってのは。


ちなみに俺は、相手を気遣って話せるほど殊勝な性格はしてないので、俺は『相手を気遣って話す』などという高度なスキルは持ち合わせていない。


その点、尊敬に値するね、ケイトさんは。


内心でケイトさんを好評価していると、ケイトさんは苦笑混じりに訊いてきた。


「やはりその手の事は話し難いか、【覇者】。まぁ、無理に訊こうと言う気はないから別に良いのだが」


「いや、話し難いワケではない。少し考え事をしていただけだ。

……それで、想い人の話だったな? 想い人ならいるさ。今も――」


「主?」


俺は、傍らに控えていたノヴァが不思議がるのを気にせずその手を握ると、組んでいた足を解いて、その手を軽く引いて膝の上にノヴァを座らせた。


当然のごとく、ノヴァは驚いて身を固くする。


「あ、主? いきなり何を――」


「……嫌だったか?」


「……嫌じゃない」


耳元で囁くと、ノヴァは頬を朱に染めて消え入りそうな声で返す。


いやぁ、ホンット最近ノヴァの扱いに慣れてきたよな、俺。


契約当時の俺が見たら何て言うか。


……間違いなく『うわっ、キザなヤツがいる。キモッ』って言うんだろうな、うん。


勝手に自己完結して若干落ち込むが、そんなことはおくびにも出さずに続けた。


「――こうして、傍に居てくれている。……ふっ、俺もまだ捨てたものではないのかもしれんな」


「はははははっ、これはいい。まさか、そこまで堂々と言うとは思ってなかったぞ。

正直、答えは期待していなかったからな」


一点の曇りも無く言い切って見せた俺に、ケイトさんは愉快そうに笑う。


それに吊られて、俺もフードの下で口角を吊り上げた。


「さて」


俺は膝の上からノヴァを下ろして立たせると、自分も椅子を引いて立ち上がった。


「……用件は済んだ。宴も十分に楽しませてもらったところで、一足先に俺達は帰ろうと思う。

今宵は楽しませてもらったぞ」


俺がそう言って背を向けると、後ろからケイトさんが声を投げ掛けてきた。


「そうか。ならば、都合の良い日にまた来るがいい。歓迎するぞ」


背に投げ掛けられた言葉に、俺は半身だけ振り返ると、鼻で笑って返した。


「ふん。では、良い夜を」


「ああ。【覇者】の方こそ、良い夜を」


それに対して片手を上げて返すと、俺はノヴァを伴って会場を後にした。



―――――――――――


「ん。ん、んー。やっと一息吐けるぜ」


王城を出てすぐに転移した俺とノヴァは、現在ロレスの森に居た。


夜の森は不気味な程静かであり、静寂な空間には木々の葉が奏でる僅かな音と、虫の鳴き声のみが聞こえてくる。


そんな、夜の森特有の雰囲気をぶち壊しにするように、両手を夜空に突き出して伸びをする俺に、横に居たノヴァは苦笑した。


「それはそうであろうな。あそこまで気を張って口調を変えていると、精神的にキツかろう。

今はもう慣れたが、私も初めて〝風の覇者〟としての主と行動を共にした時には、内心ではかなり驚いていたのだぞ?」


そう言ってノヴァは軽く両手を広げて見せ、俺は嘆息した。


周囲に人が居ないのを再度確認してから、フードを下ろしながら言う。


「そうか? 俺には最初から普通に馴染んでいたように見えたけど」


「だから内心でと言っておるだろうに。

と言うか、よくもあんなに口調や雰囲気を変えていられるものだ。

私なら確実にボロを出してしまうぞ……」


唸るように言うノヴァに軽く笑った後、俺は屋敷がある方を見据えて口を開いた。


「今日はもう遅い。さっさと帰って寝るか」


「そうだな。ちょうど私も眠くなってきたところ……だ。ふぁ……」


小さくあくびを洩らすノヴァを連れて、俺は夜の森を進んでいった。


――それから少しして。


俺とノヴァは屋敷の前まで来て、門を開けて敷地内に入っていく。


この屋敷の主である俺と、その使い魔であるノヴァだからこそこの敷地内に入れるのだが、その他の資格無き者達はこの屋敷の敷地内に入ることは叶わないだろう。


侵入者対策の結界があるからな。


まぁ、これについては『神格降臨セシ幻想ノ領域【神臨地】』の副産物みたいなモンなんだけどね。


俺は、そのまま敷地内を真っ直ぐに進んで屋敷の扉に手を掛けると、扉を開けた。


キィ、とすんなり開いた扉を通ってノヴァが屋敷の中に入るのを見届けてから、俺も続いて屋敷の中に入ると、扉を閉めた。


すると、音もなく鍵が掛けられ、俺はちょっと目を見張る。


なるほどね、感知系の魔法だなこりゃ。


外から扉に手を掛けたのが俺か俺に列なる者だった場合にだけ、鍵が開くようになってんのか。


道理で、あっさりと俺とノヴァが入ってこれたワケだ。


普通こんな時間になれば鍵くらい掛けられているはずだからな。


感心した後、俺はきょろきょろと屋敷の中を見回しているノヴァに、上の階を指差して告げる。


「気配でどの部屋が空いているかはわかるだろ? 空いている部屋から適当に自分の部屋を選んでくれ」


そこまで言って思い出し、一言付け加える。


「それと、三階の一番右から二番目の部屋は俺の部屋だからな。

それ以外の空き部屋は好きにしてくれ」


そう告げると、ノヴァは頷いた。


「分かった。それでは、私は主の横の部屋を使わせて貰おう」


「ノヴァは俺の隣か。分かったぜ。後はレーゼだな」


俺はノヴァの方を見ると、気安く片手を上げて言う。


「んじゃ、俺は今からレーゼを迎えに行ってくるから……先に休んでいてもいいぞ」


「そうさせて貰おう。では、また明日」


「ああ。……さて、と。レーゼのヤツまだ起きててくれてんのかな……【トラベラー】」


そう言い残して階段を昇っていくノヴァの背中を一瞥した後、俺は転移を使って屋敷から姿を消した。



―――――――――――


最早見慣れた一瞬の暗闇を経て、俺は少し前に皆で王都を巡った時にノヴァ達と合流した、学園の近くの森に帰ってきた。


もちろん、服装は私服に戻してからな。


俺は軽く息を吐いた後、〝風の覇者〟のコートを脱いだ所為か、やや蒸し暑く感じる夜の空気に眉をひそめながら、その森を後にして一路学園を目指して疾走を開始した。


疾走を開始して僅か三秒も経たないうちに、俺は痛感した。


出来損ないとしての俺……弱い上に遅すぎじゃね?、と。


リミッターを掛け直した結果、俺の力は身体能力共々全てに於いて出来損ないの俺に戻っているため、今の俺は身体能力と剣技以外は一般人以下の弱卒に過ぎない。


そこまでの弱体化を、つい先程まで強大な力を持っていた状態ですると、出来損ないとしての俺の弱さがありありと伝わってくる。


力を解放している時の俺なら、音速を超えた速度で動けるため、自分以外の全てがスローに見える、ある種別世界とも言える光景を目にしているため、そう思えるのが当然と言うべきか。


――やはり、出来損ないとしての俺はいつまで経っても弱いままか。


考えているだけでなんとも情けなくなり、思わず嘆息などしそうになる。


しかし、取り敢えず今は学園に行くことが先なので、余計なことは考えずに走り続ける。


それから少しして、学園の門に辿り着いた俺は、門を抜けてそのまま学生寮に向かう。


学生寮に入ると、受付にはもう誰も居なく、夜も遅いので所々に明かりが点いているだけだった。


ついでに言えば、人の気配もかなり少なくなっている。


この様子だと、大体八割くらいが家に帰っているな。学生寮に残っているのは、ただ単に夏休みを学生寮で過ごそうと思っているヤツか、俺みたくワケありなヤツだけだろう。


「それでも二割は学生寮に残ってるのか……割りと多い方なのか?」


俺は一割も残らないものだと思ってたんだがなぁ。


そんなことを考えつつ階段を昇っていき、自分の部屋がある三階へと上がった。


そして自室の部屋の鍵を開けようと鍵穴に鍵を入れた時、あるかなきかのプレッシャーを感じ、俺は回そうとした鍵を止める。


この気配は……入れ替わっているのか、今は?


「となると、貧血は覚悟しといた方がいいだろうな、こりゃ」


独白し、今度こそ鍵を回して開けると、ドアを開けて部屋の中へ入った。


すると、入ってすぐにこちらに背を向けている銀髪の少女の姿が目に入り、俺はその正体に薄々勘づきながらも声を掛けた。


「ただいま。遅くなって悪ィな、レーゼ。にしても、まだ起きていたのか――」


「……」


俺は言葉を全て言い切れなかった。


何故なら、俺が言葉を言い切る前に、こちらに背を向けていたレーゼがさっと振り返り、物も言わずに俺の首筋に噛みついたからだ。


「ちょっ、リリステメー! 話し掛けただけでいきなり吸血しに来るかフツー!?」


「チュルッ……五月蝿いわね。私の勝手じゃない」


「なんつー理不尽なッ」


「あら、お前が理不尽とか言えた義理かしら? 何よりも理不尽なのはお前でしょうに」


「……それでもだ!」


「自分が理不尽なことは否定しないのね」


吸血が終わり、俺の首筋を一舐めしてから顔を放したレーゼ……いや、リリスは醒めた瞳で俺を見つめる。


「否定したくても出来んからな」


俺が堂々と言い返してやると、醒めた瞳が呆れたように揺れ、リリスは深々とため息を吐いた。


えっ、何この雰囲気。何か負けたような気がするんですけど。


何か知らんが、物凄く敗北感が半端じゃない。


「ってか、何でお前が表に出てきてんだ? 何か用でもあったのかよ」


「別に? 用なんてないわ。出てきたかったから表に出てきただけ……それだけのことよ」


リリスはそう言いつつ、部屋の隅に置かれている手提げを持って戻ってきた。


そんなリリスの行動に、俺は首を傾げて問い掛ける。


「なんだその手提げ。何が入ってんだ?」


「別に何でもいいでしょ? アンタが気にする事じゃないわ。

それより、屋敷とやらに行くのなら早くしてくれないかしら」


再び醒めた光を宿し始めた瞳をこちらに向け、リリスは腕を掴んでくる。


俺はこちらを見上げているリリスを見下ろし、難しい顔をする。


「いやちょっと待て。なんで俺が今から屋敷に行くと分かった?」


「アンタが出ていく前に言ってたじゃない。『私も来れるよう、早めに手は打っておく』って。

このタイミングでアンタが帰ってくるなんて、私も屋敷に連れていこうとか、そんな事を考えているのが手に取るように分かるわ。

お前、意外と顔に出やすいのよ?」


「マジで? ってか、不自然に『お前』とか『アンタ』とか呼ぶのは止めてくんね?

俺としては別に構わねェんだが、端から見りゃ何か聞こえが悪く聞こえるぞ?」


片手をぷらぷらさせて言ってみると、やはりと言うべきかリリスは不機嫌そうな表情になる。


心なしか、俺の手を掴む力が強くなった気がする。


「そんなこと、私の知るところじゃないわね。それとも、この私がお前の言葉で動くとでも?」


「んー、内容によっては動くだろ」


俺が身体を伸ばしながら返すと、リリスは押し黙って俺から視線を外した。


今度はしっかり伝わるように手に力を籠めてくる。


これはアレだ、『もういいからさっさと転移しろや』ということだろう。


……俺はお前の従者か何かですか、うん?


まぁそれはそれで面白そうだし、いいんですけどね。


俺は、室内から鍵を閉めつつ軽くため息を吐くと、さっと手を振り捌いて呟いた。


「【トラベラー】」


言下に、俺とリリスの姿は霞むようにしてその場から消え、後には静寂のみが残された。



―――――――――――


「よっと。到着~」


「へぇ……ここがアンタの屋敷ね。アンタには勿体ないわ」


屋敷に着いて開口一番、リリスが吐いた毒に俺は苦笑いする。


「随分とはっきり言ってくれるな。俺もその点気にしてたけど、自分で言うのなら兎も角他のヤツが言うのはどうかと思うぞ?」


そう言ってやると、リリスは形の良い眉をひそめた。


「それ、アンタが言えた事なのかしら」


「まぁ、確かにそうだな」


両手を軽く開いてそう返すと、俺はリリスを振り返った。


「で、早速だが。今空いている部屋から好きな部屋を選んでくれ。

どの部屋が空いているかは気配で分かるだろう? それと、三階の一番右から二番目の部屋には気配は感じられないけど、そこは俺の部屋だから空いているワケじゃないから注意してくれ。

刻んだか?」


「ふん……、分かったわよ。けど、それなら私は引っ込んだ方がいいわね。

この身体は私のものだけど、あの子のものでもあるんだから。

それに、身体の支配権の大半はあの子にあるから……」


「――っ、おい!」


リリスは言い終わるや否や、ふらりとよろめき、そのまま崩れ落ちそうになる。


それを寸前で、俺はリリスの身体を支えた。


俺は、腕の中でくたっとなり気を失っているリリスを覗き込み、呆れてぼやく。


「ったく……入れ替わりが唐突過ぎるんだよ、お前は」


「んっ……」


その時、腕の中でリリスが身動ぎし、うっすらとその瞳を開眼させる。


その瞳の色はいつもの澄んだ青色に戻っており、リリスからレーゼへと戻っているのが分かった。


「よう。やっとお目覚めか、お姫さんよ」


「ん……レオン?」


茫洋とした青い瞳を俺に当て、小首を傾げて訊いてくる。


「それ以外に誰がいるってんだ? ああ、俺だよ」


「……五月蝿い」


おどけたように答えてやると、レーゼは唇を尖らせてそう返した。


訊かれた事を答えたら、返ってきた言葉が五月蝿い。


いや、訊いてきたのはお前だろ、レーゼ。


などと思ったが、もちろん口には出さない。


その代わりとばかりに深々とため息を吐くと、レーゼに確認する。


「……で、だ。事情の方はリリスから訊いているだろうし、問題ないと思うが……大丈夫だよな?」


念の為訊いてみると、レーゼはコクンと頷いた。


俺の腕の中から出て、眠たそうに目を擦りながらふぁっと小さくあくびを洩らしつつ言う。


可愛いヤツだなコンチクショウ。


「……うん。夢の中でお姉ちゃんから聞いたから。部屋の事よね?」


「そうだが……その『お姉ちゃん』ってのは何だよ」


怪訝に思い訊いてみると、レーゼは小首を傾げて少し考える素振りを見せた後、答える。


「私の中に居る、リリスって言う私に似ている女の子……頼れるお姉ちゃんみたいな感じだったから……」


「なーる……」


にしても、頼れるお姉ちゃんねぇ。


ちょっとした好奇心が湧き、俺は問うてみる。


「じゃあさ、俺とリリスならどっちの方が頼れるヤツなんだ?」


「お姉ちゃん」


「ぐおっ」


即答ッスか、レーゼさん。


自分で訊いといて何だが、もの凄いダメージを受けた。


「だってレオン、ひ弱そうだもん」


「がはっ」


「女みたいだし……」


「ぐああああぁぁ!」


ちょっ、何か追撃まで来たんですけど。


モノ凄まじい追加ダメージまで食らったんですけど!?


しかも、時間が経つに連れて大きくなっていく毒を付与してやがる。


ひ弱……女みたい……そうか、俺は今までずっとレーゼにそう思われていたのか。


フハハハハハハハハッ……はぁ~。


ねぇ、泣いていい? ってか、もう泣いてもいいよね?


「……まぁ、それは見た目だけで実際には頼りになるけどね」


「だろ? 分かってんじゃねェかレーゼ!」


俺の様子を見てぼそりと付け加えたレーゼに、途端俺は機嫌が良くなりその背中を軽くどやしつける。


「やっぱりさっきのはなかったことにするわ」


「そう言うなって。それよりも、部屋を選んできたらどうだ?

何か欲しい家具があれば、言ってくれれば創るしな」


ふざけるのは止めて真面目に言うと、レーゼはチラリと上の階を眺めて口を開いた。


「三階の……ノヴァの隣がいい。私はそこにする」


「そうか。……今日はもう遅いし、屋敷を見て回りたいのなら明日にしたらどうだ?」


屋敷の中を見回しているレーゼにそう言うと、レーゼは小さく頷いて階段を昇り始めた。


俺もその後を追う。


そして、部屋の前でレーゼが俺を振り返り、


「おやすみ」


「ああ、おやすみ」


そう言葉を交わした後、俺はドアを開けて部屋の中へと入り、寝室に行くと即座にベッドにダイブした。


「ふぁ……」


疲れが溜まっていたのか、すぐに意識が薄れ始め、程無くして俺は眠りに就いた。

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