Piece 8 「未来のアーティスト、幸せのピスタチオの魔法」
「ぴしゅたちお、うまい? マナ、じょうず?」
我が子ながら、マナミは天才的に絵がうまい、と思う。いつみても、ウケる。
今日の傑作は、僕が昨晩食べていた、ピスタチオの残り。これが、そのうちに、ピスタチオマンになるんだよ、なんて冗談を言ったとたんに真に受けて、いつも愛用のお絵かき帳に、たちまちピスタチオみたいなのに目鼻がついて、手足まで伸びた、怪人ピスタチオが出来上がった。“アホ絵”と僕は呼んでいるが、幼子が描くイタズラな絵なのだから、当然、自由奔放、のびのびとした感性、なんだろう。頭の中までは、よくわからないが、そのまま体現されているんだと思う。それもめいっぱいに。
僕は、そんな3歳の彼女の成長を優しく見守っているものの、そんな自由に家のあちこちに落書きするアーティストに対して、母親である僕の妻ミナコは厳しくしつけようとする。当然、甘いのは僕の方。
「また、変なこと教えないでよ。このコお嫁にいけなくなっちゃうでしょ」
カゴいっぱいの洗濯物を運びながら、疎ましげに横切るミナコ。
「マナミの絵はすごくウケるよ。おれ、ケータイの待ち受けにしてるし。見せるたびに、みんな、感性がすごいって言うもんね。マナミの絵をみんなに配ってるんだ。壁紙ダウンロードサービス、できそうだな。これだけ人気があるから、マナちゃん、将来はモテモテだね」
「マナ、もてもてー? いっぱい、けっこんできるー?」
「いっぱいは、しちゃあいけないなー。パパだけにしておこうか」
「うん。そうするー」
て言ったあと、僕はマナミの頭をくしゃくしゃーってしてやると、彼女は顔をくすぐったそうにして喜ぶ。やわらかい髪の毛だ。ママに似てる。
ピスタチオの殻をむいて、マナミに与えてみる。子猫みたいに僕の掌に口をつけて、ついばむようにして食べようとする。
「ちょっと、そんなかたいもの食べさせないでよ」
「いいじゃん。興味あるもんねー、マナ?」
「マナ、それ食べちゃうと、ピスタチオマンになっちゃうよ。ちょっとパパ、マナミが喉に詰まらせちゃうって」
マナミは、自分が描いたピスタチオマンに大喜びで、ずっと見せつけては、自分が一番笑っている。彼女にとっては“ぴしゅたちおまん”だが。
「そろそろマナミに英語習わせたいんだけど」
「早くないか? 今から習わせたら、ペラペラ上達しちゃって、アメリカとかに留学したい、とかなっちゃうじゃん」
「そこまでは。だけど、早いうちからやっといたら、将来、英語で苦労しないんじゃないの。これからは、私たちのときより国際化が進むよ、きっと」
「マナミは、それよりもダンスとかやりたいんじゃないの? まぁ、英語でも何でも楽しんでやるタイプだろうけれど」
と、先ほどから、背中によじ登りたがっているとばかり思っていた、いたずらな天使が、ふいに「できたー」と声を上げてはしゃいだ。彼女の手には、大好きな青のクレヨンが。 いやな予感が。
「あっ」と向かい合っているミナコが察したように僕の背中をのぞく。
「やっちゃったね。マナ、なーに、これ」
「ぴしゅたちおパパ」
屈託のない笑顔の指し示す眼前には、というか僕の無地のTシャツの背中には、いつのまにか大迫力のアホ絵“ぴしゅたちおパパ”が、バックプリントになっていた。こいつは、やりますなぁ。
Tシャツを脱いで、確認してみる。おもしろっ。でも、これ、気に入ってたTシャツなんだけど。
「ふはははー。うまいー? うまいー? ねー、ねー」
上手だねって言ってもらいたいんだろうなー、いつもの地団駄踏むみたいなダンスをしながら、また笑ってる。
僕は、マナミのくすぐったがるわき腹を捕まえてから、その小さな頭をくしゃくしゃくしゃくしゃーといつもの倍の回数掻き混ぜてやった。
勢いのいい甲高い笑い声がパタパタと遠のきながら、洗濯カゴを蹴散らすと、洗濯物が散らばって、一層にぎやかな空間になった。
ミナコがあきれたふうに笑っている。これも、幸せ、なんだよだな。
僕はピスタチオの殻の隙間から様子を覗きながら、”ピース、タチオ”なんてフレーズをつぶやいていた。
<おしまい>