Piece 4 「ミッドナイト・ダンサー、天使の翼が羽ばたいた」
僕がサチと出会ったのは、まだコンクリートの路面がひんやりしている頃だった。
また、くだらないミスをして、上司に怒鳴られた。結構、応えた。
仕事がうまくいかず、日々いやだいやだと溜息ばかり。僕は憔悴しきって、覇気を失い、暗闇の底を行脚するように、夜な夜なビルの谷間を徘徊していた。
ある大きな箱舟のような施設に辿り着いた。コンベンションホールを擁する巨大空間も、夜中になると、そのパブリックスペースの一部では秘め事のような二人やら、うろつく怪しい影が僕以外にもいくつかたむろしている。そんな中、テンパライトに映る影と対峙しながら、蒸気を上げている集団。一隅から裏拍子のリズムに合わせて、天使の髪が揺れていた。制服姿の短いスカートが高速でなびく。
楽しそうに、ひたむき。そんな女子高生数人の姿に、見とれてしゃがんでいた。
いや、パンチラに期待したわけではなく、当然彼女らはスパッツ履いているし、なんだか若いっていいなと、単純に羨ましく眺めていた。R&Bにノッた天使が舞うたびに、僕の体も自然と揺れ始める。彼女らのダンスに呼応して、心地よくノッてきているのがわかる。
スピーカーからの曲が一段落。動きがするするーと、止まる。
「すげーすげー。かっこいいじゃん」
僕は、悪気無く心からの感動を伝えるべく拍手を贈る。
「なにみてんの。アンタ、酔っ払い?」
そりゃあそうか。ニンマリしそうにうっとり見てたら、普通はそう映るよな。
威勢のいい、長身の痩身。金髪に近い長髪をツインテールに結っている。息の乱れが無い、ハスキーぽくも通る声が僕に突き刺さる。
「違う違う。ほら、見ての通りカメラマンだよ。写真撮ってもいいかな?」
「フザけんなよっ! とっとと、帰んな」
言葉は乱暴だが、凛としている、リーダーの品格。大天使。地べたにへたっていた他の天使たちも、彼女の言葉に臨戦態勢。邪魔すんなよ、帰れと一触即発。
「違う違う。マジでカンドーしたんだって。すごく、躍動感があったよ。ずっと見てるうちに、おれの腐った魂が、なんか、こう、解放されて。それからフレッシュな何かが、そう、エナジーがどどっと、あ、生きているって気力、覇気だ、そう、覇気が伝播してきた! 写真撮ったら、それがよく伝わるんじゃないかと」
「なに言ってるか、よくわかんないよ。別に今は見世物じゃないし、アタシたち、ダンス好きでやってるだけだし。冷やかしなら、だまっててくんないかな」
「邪魔するつもりは無かったんだ。ごめん。退屈な毎日を生きるストレスから開放されてさ、少しネジが緩んでしまったかな」
僕はそう言って、その場にへたり込んだ。それでも、強がって、なんでだろう、彼女に水平に拳を向けて親指を立てた。作り笑顔。
「悪用しないから、今度、写真撮らしてよ」
「ダメ」
踵を返して、曲を再び鳴らすと、みんな立ち上がり、彼女を軸にして、テンションを上げていく。天使たちは、寸分の狂いも無く、見事にシンクロしている。キレイじゃないか。そうして、僕はしばらく、植込みのようになって、動かずに黙って見ている。ロンリーギャラリー。
「ねー、アンタも踊ってみる? まだ、若いんでしょっ」
「ありがとう、リーダー。おれ、まだ、イケてるかな」
「イケてないけど、なんとかなるよ。『リーダー』はやめて。あたしはサチ」
「スギハラと申します」
僕は、懐から名刺を出してかしこまると、サチもみんなも笑った。
受け入れられたのかな。名刺の束を、夜空に撒いた。ひらひらと舞う、天使の羽に変わった。
「サチ、おれにダンスを教えてよ」
「タダじゃないかんね」
天使のイタズラな笑顔。
僕は、不慣れながら、なんとなくビートを刻んでみる。
昔、何を血迷ったのか、夜の路上でギター掻き鳴らしてみた、青い気持ちが甦る。
本気で、取り組む気も無く、中途半端に始めたそれは、瞬く間にマイブームとして黒歴史に綴られ、その頃の仲間も今や普通に社会人として生活している。
甦る思いと、現実に走っている時間を対比させながら、そんな交錯する葛藤みたいな気分のモヤモヤをストレスと呼ぶのであれば、いいだろう、このビートに預けて粉砕させてやれ。
非日常を欲していたんだなと、このとき気づかされた。
真夜中の魔法なのかな。ふと、そんな気がしてきた。不思議とそう考えたら気が晴れたようで、少し、日常にも前向きになれそうな。
真夜中の天使が僕の支えだ。違う自分がいるってことに、気分を奮い立たせて、僕も天使に舞い戻る。翼を隠した彼女の背中を見ながら、僕は必死に真似して踊ってる。
<おしまい>