Piece20 「青春のハリセン、粉砕する想い出にララバイ」
一面銀世界のまぶしさを、今となっては懐かしく感じる歳になった。
わたしはまだひとり、雪が降り積もることも珍しい都会に縛られて、この小さな部屋でいくつかの巡り合わせを謳歌している。昔から「王子様」を待ちわびていた性格。のんびりとした時間の中で憧れのシーンを想い描き、遠くから眺めていても、時折背伸びした。
ほぼ、妄想に近いシチュエーションを親友のマミとおしゃべりしながら、ただそのことが楽しくて。なんだか分かち合っていた気分もあり、運命共同体の意識があったから「友情」だなんて思ってもいられた。少しばかり当時の熱病から醒めてみれば、永遠である部分もあるだろうが、多くの部分は、マミとのことも含みながら、せせこましい流れに削ぎ落とされて形状を変えてきている。
「カナコ、おぼえてる? マサキ先輩のこと」
不意に、目の前のマミの口から、忘れていた名前が飛び出して、一気にわたしの周囲が雪景色に戻る。シアトルコーヒーの、エスプレッソの香り漂う店内から暖気とともにあったそれらが失われ、視線を落としていた目の前の、マミの薬指の指輪が徐々に薄れていき、記憶の底の方にわたしの意識は引っ張られていく。
ホワイトアウトだ。
一瞬にして、小さな駅舎の中にたたずむ女子高生、に場面は巻き戻される。
何かが詰まったカバンを大事に抱えて、気がつけば高鳴る鼓動を抑えきれずに、吐く息が白くとも、誰かをそうやって待っている、十代のわたし。
空の青さを照り返すのは、一面に雪が覆った後の銀世界。ホームの向こうには雪をかぶった田んぼが、なにも横切らない変わらない風景をたたえている、静止した世界。
人もまばらな待合室。ストーブを囲む老人。
ああ、そうだ。わたし、あのバレンタインの日、駅で東京に受験に行ったというマサキ先輩の帰りを待っていた。
初めて、告白。そして、これが最後のチャンス。
前日に旅立ったマサキ先輩の姿を、マミはしたたかに捕まえていて、お守りを渡した上に、次の日がバレンタインデイだからと、学校で待っていると周到に計画し、その意思を伝えて実行していた。
その一部始終は、わたしの目の前で繰り広げられ、唖然として事を見納めた後に「出遅れた」と気がついた始末。
だから、こうして、先回りするようにこっそり、いつになるかわからないマサキ先輩の帰りを朝から一人で待っている。
このときに、わたしとマミの間にメールがあったら、わたしたちは、何を送信し合ったかな。悠久の時間、いくつか駆け引きめいたやりとりをするのか、それとも正直に、自分が今立っている状況と心境を言葉に託して、送信していたのかな。
それほどに、あのときのわたしの頭の中では、いくつもの想定問答が繰り返されていた。もちろん、マサキ先輩にも、何と伝えたらいいのかシミュレートしながら。引き返そうか、学校に行こうか、この気持ちでいるまま、マサキ先輩に告白できるのか。
カバンの中には、確かチョコだけじゃなくって、手紙も添えてあったと思う。だから、勝負は一瞬のはず。「これ、読んでください」って渡したんだっけ。
そうして、青空に散った、返事がこなかった手紙。
それから、微妙にぎくしゃくしてしまったわたしとマミとの関係修復のために書いた、懺悔の手紙なんて、あったな。その後、マミが笑いながら「あたしもフラれたけど」って、結局、少女の憧れで終わったふたつのホワイトラブだったけど、二人して卒業式のマサキ先輩にハリセンを食らわしてやったこと、鮮やかに覚えている。
「今度、高校の同窓会あるじゃない。そこで、マサキさん来るみたいだから、もっかいハリセン食らわしてやろうよ」
「あの有名人を、また叩けるチャンスか。いいわね、今度はわたしが作るよ、マミ。今度は厚紙じゃなくて、牛革とかにグレード上げちゃう」
「死んじゃうから。しかも、ムチじゃん、それ」
あの頃の銀世界に埋もれてた手紙を、いまビリビリに破いた紙吹雪が、二月の蒼穹に舞う。乙女だった、わたしたち。
マミは先にママになって貫禄が出たけど、まだ落ち着かないわたしは、今度の同窓会にでも期待しようか。
ゲストとして来る、柏原マサキの頭上に青春のハリセンを再び叩き落とし、皆の注目と喝采を集めることができたなら、わたしは胸を張って次のステージに向かおう。
腕が鳴る。
銀世界に、あの乾いた音が、すぱーんっと響くのがイメージ出来た。
<おしまい>