Piece19 「エナジーフロゥ、堕天使の、少しばかりの温情」
少しばかり調子にのって、つい相手の体温を高めてしまった。アルコールを摂取した相手の体は、オレの見込み以上に早くに、たちまち上気して、その瞬間オレは内心「いける!」と心の叫びを上げた。
バーカウンターでの横並び、斜に構えて向き合ったとき、瞳から瞳の奥に熱気を注入する。あまり成功した試しはないが、今宵、月が満ちているせいか、血が騒ぐのか、互いを対流する気に変化を感じ取れて、思わず発射した。
ビートシンク、鼓動が重なると、恋が始まる。このこと自体は錯覚なんだとは思うが、アルコールが判断力を弱め、緊張を緩める。オレが今、逢って間もない彼女とこうして手を触れ合っても、拒否されない不可思議空間が形成されている。
こんなことのために、オレは生まれ持った特殊能力にここまで磨きをかけた。使い道は、これしか知らない。そうして、彼女は火照った体を休めるために、オレと同調した波動にのせられて、手繰られるマリオネット。
今、人目を忍んでテーブルの下で絡み合う足から、さらに情熱的な想いを一方的に伝える。うまく同調できたためか、彼女から等しい反応が返ってくると、オレの喉も一層乾いてくる。
対流している、まさに上出来だ。このまま、ネオンを遠巻きにしけこんでしまえ。
悪魔じみてるって? 彼女も求めていたのさ、どうせ。天使なんて優しい存在は、この街には降りてこない。むしろ、堕天使だらけ、深夜ともなれば、腹をすかせたグレムリンへと皮を剥いでいくのさ。そうして、能力だって、欲望を満たすためのもの。小さきものにあるかないかといったところで、世界の大局は揺るがない。
こんなことならば、ペテン師の方がまし。
さて、夜な夜なうろつき童子で、いつものこじんまりとしたバールにたどり着く。
ここは、オレの唯一の憩いの場。ぼんやりクリスマス仕様に装飾されてはいるが、それほど客に媚びてはいないクラシカルというか。とにかく、この時期でも落ち着く。店内は、オレよりはるかにダンディーないつもの「男爵」が1人と、背伸びした若いカップル1組、アラフォー婦女が4人。婦女のカルテットがBGMの隙間に割り込んで高鳴る。それ以外は、いつもどおりの静けさか。
比較的座席が近いカップルの会話が、一人で瞑想しながらワイン傾けるオレの耳に滑り込む。聞く気は無いものの、遮蔽する要素が無いために、なかば強制的に脳裏に残り、オレの思考を揺り動かす。
ははーん。年下の彼氏は、お姉さまとこの先甘い関係を持ちたいと願う、まだ情の絡まない関係か。お姉さまのほうは、お嬢様そうだな、とガラスに映るその顔立ちを反射越しにうかがう。彼氏は、朴訥なのか、うまく流れをつくれないのが見て取れる上に、会話がもはやお座なりになってきている。
シチュエーションを、うまく使えばいいのに。間を取ることも大事、お姉さまはその様子から、今宵、おまえを待っているんだぞ。おい、草食男子!
でも、かつて、自身の能力のコントロールが出来なかったオレも、幾度チャンスを逃したことか。相手の流れに任せてはダメ。ラックだけに頼ってもダメ。チャンスは、自分で流れを起こして掴み取る。
まぁ、オレの場合は、この能力で、有無を言わせないだけなんだけど。
ガラス越しに二人を眺めていて、進展の無さそうな気配に思わずおせっかいが働く。
さぁ、二人は互いに目を見詰め合って、もう一度その瞳の奥を確認し合うんだ。漆黒の奥には、埋み火が見えるだろう。誰しもが宿す、情念の揺らぎ。そいつが互いの体温を次第に高め、やがていっしょになって激しく燃え上がるんだ。
ガラスに映る、二人の視線に絡むよう、オレは反射角を決めて、いつもの熱線を仕向けた。
二人の間の空気を対流させる。男爵のタバコの煙が、吸い寄せられるように二人の上空に流れ始める。ご婦人方のおしゃべりが、空気の層によって遮断された。
オレは、初めて自分が絡まない他人の関係に割り込み、能力を発揮したことになる。空間が、明らかにその作用によって変化したことに、オレだけが気付いていたのだが、それが可笑しくってガラスに顔を向けたまま、にやけてしまった。
当の二人は、直に互いの手を取り、ここの席を立って店を出るだろう。すでにその兆候は表れて、彼氏は情熱的に思いの丈を語り、お姉さまは心打たれて目が潤んでいる。
嗚呼、ロマンスナイト。この状況は、天使の分け前だぜ。
オレは、そんな天使になれるのか。他人の幸せを介助して、微笑ましく思って満足できる。あと一押し、その背中を押すようにして、この能力が発動するのであれば、そんな遠隔操作もおもしろいだろう。
今宵、オレはアザゼルとなる道を、歩みだした。
<おしまい>