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Piece 16 「金木犀、期待感高める芳香」

 金木犀の香りが、街に溢れ出した。

 なんだろう、今まで、桜もそうだったけど、これといって子どもの頃を思い出しながら、こんなに漂っていたかなとか、昔からこんなに咲いていたんだっけとか、花や自然で季節を感じることがなかったのが、不思議。

 里には紅葉が降りてくる気配はまだない。銀杏並木も、当分は緑でいることだろう。でも、空気だけは澄んできているようで、清々しいと感じる。同じ街並みを、建物が、景観が変わるのを刻々と見てきたつもりだったけど、こうして年老いた母と並んで歩いていると、道程はセピアに溶け込んで封じられそうだ。

 そうして、ロマンスの風が吹いている、めっきり欧米人が増えたこの地区の、洒落たテラスが並ぶ“カフェ”の前を、どちらが異邦人やらという気分で通り抜ける。

 変わっていく、スピード。

 今、わたしたち親子の足並みほどにゆっくりだったろうに、気にも留めないうちに、その気づかなかった者たちは置いてけぼり。気がつけば、もう秋へ。

 季節を先取りするべきか、夏の名残に浸っているべきか、まだ迷う。最近では、すぐ見切りをつけてしまう。

 この夏に終わった恋も、過去最速のスピードでの破局だった。足並みが、そろわなかった、というか、年下のカレに合わせてもらうのは億劫だった。「結婚」を意識すると、なんだか無味乾燥に儀礼めいて、自分の中ではいっこうに気持ちが高ぶらない。パサパサしてくると、ひどく淡白に物事を処理できるようになって、情も何も介在しないせいか、気に入らないとなるや、関係を丸ごと“えいやっ”と巴投げ出来てしまう。

 わたしは、格闘家か。燃えるような、他流試合がしてみたい。それから、引退には、花を添えてほしい。

 アホなことを考えながら歩いていたら、目の前の小さな犬を踏みつけそうになっていた。わたしよりも若いコが、ぷるぷる震えるチワワに、悪趣味なボーダーの服を押し着せて、あれはきっと、この先のペット同伴可能のカフェに行くつもりだわ。若いから、余裕なのね。そんな頃から、優雅に気取っちゃって。この土地を、知ったかぶりで、我が物顔で歩くなんて! 30年早いわ!

 すれ違い様に降臨した、発散しようのないルサンチマンに、わたしの顔はおそらく夜叉に変化していたろう。でも、次の瞬間、ぽつりと母にむかって「わたしも、犬飼おうかな」なんて力なくつぶやいていた。

「やめてよ、うちはただでさえ、あんたっていうおっきなハスキー犬みたいなのいるんだから」

 小柄な母は、そう言って豪快に笑う。そうね、この母にして、なぜシベリアンハスキーみたいなわたしが生まれたのか。なぜか、兄よりもわたしのほうがデカい。家族で一番、デカい。

 そうこうしていると、目の前には庭園の立派な結婚式場が。古式ゆかしい門構えをくぐると、都会の真ん中にあるとは思えないほどに静寂にしてワビサビの空間。緑がまだ力強い日本庭園を眺めながら、今日は母と割烹で御膳をいただく。

 天候ともに良き日、なのか会場はいっぱいのようで、割烹の外も賑わっている。遠くには、式を終えたばかりの両家の記念撮影。小柄で可愛らしい姫を真っ白で包む幸せ。

「あんたに合うドレスって、あるのかしらねぇ」

 ぼんやり見ていたわたしを見透かして、隣で百合根を転がしながら、母があははと笑った。

 娘の幸せを、果たして願っているのだろうか。

「オートクチュールででも、つくらせてやるわよっ」

 人より背が高いだけだと思っていたが、少し不安になってきた。クイーンサイズ、あるのかしら。外国製? ほんとにオーダーメイドになったりするの? いやいや、大きい方が着こなせるはずなんだわ!

 それから、母と庭園を散策しながら、他人の幸せで胸を満たし、小さな丘の上で、風を待った。

 来月は、ここで結婚式。お呼ばれだけど。

 これだけ幸せがこぼれていれば、まだまだきっと巡りあわせがあるに違いない。

 「いい風ね」

 小柄な母の頭上を通り抜けて、わたしにも金木犀のやさしい香りをのせた風が届いた。

 これは、貿易風なのだろうか。渡り鳥のように、軽やかに新天地へ向かいたい。

 とにかく今は、ほどよい気流を、心穏やかにして待っている。





<おしまい>

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