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Piece 13 「エンドレスサマー、でも、ヌードにならない」

 蝉時雨、いや、木漏れ日とともに降り注ぐ合奏のシャワー。

 熱風が、そこを抜ける刹那、涼風に生まれ変わる、都会の森。風の胎内潜り、僕のお気に入りの帰り道だ。

 普段は忙しいオフィス街のほとりなので、公園でもあるちょっとしたこの森の小道は、ランチタイムともなると人々が憩う場所となる。

 僕は、運動不足の体を気にして最近はウオーキング。会社からの帰宅路は、一駅分そこを含めた行程でスタスタ歩く。

 炎天下の日曜日。梅雨明けの強烈な日差しが、「待っていました!」とばかりに、僕の心を海へと誘うのものの、ヴァケーションまでには一塊の仕事をやっつけたい。休日出勤が続く中、がまん、ガマン。ほとばしりそうな露を受けながらも、ぐっと堪えるのも、おとこ(漢)の見せ所。今日は、そんな気分で、いつもの小道を逆に歩いていく。

 さすがに日頃の疲れが出て、日曜日という甘えにスタートが出遅れ、お昼を回ってしまった。急いで会社でネジ巻いてやらなくちゃ。でも、少しでもカロリー消費を。しかし、そのセコい考えもすぐさま後悔させられるほどの暑さ。「ここはアンダルシアか?」と疑ってしまうくらいに、日向の直射日光は殺人的だ。

 行き交う人もまばらな、日曜正午過ぎの、森のトンネル。時折吹き抜ける涼風が、朦朧とする意識を撫でて、やさしく揺り起こす。ふうっと深呼吸すると、草葉の緑濃い香りが懐かしさを呼び起こす。

 目の前のベンチに、疲れたわけではないが、滴る汗を拭いながら腰掛ける。

 頭上から垂れてきている松の枝に語りかける。

「夏に、届いたかね。みんな、にぎやかそうで」。

 ここしばらくは松林。そのうち雑木が混じり、やがて桜の並木道となる。

 蝉の声、うまく聞き分けられないほどに雑多。シャワシャワ……、ジーワジーワジーワ……、ミーンミーンミンミン……。姿は見えなくとも、相当の数が、一帯を支配して、真夏を謳歌している。様々な種類が、少しづつ音色や奏法を変えて、時に独奏してみたりしながら、日が昇っている間は懸命に響かせ合う。

 かつては、町のどこに居ても、この一部ではある合奏が聞こえていたんだ。音色に包まれながら、僕は少しの間、回想。純粋で、熱かった、10代の頃の、それも田舎の夏空が、恥ずかしい思い出し笑いとともに、甦る。

 僕の田舎の夏は、短い。その短い夏の間に、僕らは蝉同様に情熱を傾ける。命までは費やさないのだけれど。高校最後の夏も、同じようにして過ごしたっけ。夏休みが終わるのが早いわけだけど、そのあたりがちょうど夏祭のピーク。たった二晩だけの、小さな町の、盛大な盆祭。そうそう、この2~3日だけは、過疎の町の人口が2~3倍に膨れ上がる。

 祭はというと、巨大な山車を一晩かけて町中曳き回すもので、その山車はというと、いわば巨大な行灯だろうか。ねぶたの小規模版ともいえる。各ブロックで山車を作成し、祭の夜に備える。巨大な和紙に巨大な絵を描き、彩色し、少ない人手で組み上げて、そそり立たせる。あわせて、その間に囃子を整える。慌しく、祭の用意が進められる。

 そうして、夏の旧盆の最中は、青春を制作に捧げていた。

 絵を描くのが好きだと主張したのが災いして、爾来、中学生になってからは、裏方で山車の制作を手伝う羽目になった。

 ほぼサウナ状態の公民館の中で、日中からねじり鉢巻で障子紙に墨を引く。師匠は齢80を超えて、この時期にあってもいささかも怒号が衰えず、さらには昼間から日本酒をあけている。気合が入っているのか、酔っ払っているのか。とにかく、怖くて、暑苦しくって、いやな作業場だった。

 それでも、過疎の町とはいえ、祭は途絶えず、しかし、絵描きの後継者は僕以降途絶えつつあり、後輩がいないながらも、高校生の間は続けていた。毎年、夏に、暑苦しい(いつまでたってもクーラーなんてしつらえられない)作業場で、黙々と絵を描く。

 戦国武者、花魁、浮世絵、歌舞伎絵。いくつもその背景の意図がわからないまま、師匠の爺さんが持ってくる図案を引き伸ばして、彩色する。さすがに、出来上がると、一仕事終えた達成感が毎回あるが、その歳ではまだ、美酒を味わえない。

 大した褒美も無い下っ端のまま、その恒例の行事は、僕が高校生活を最後に、田舎を離れたことで終わった。思えば、あの公民館の中で、朝から晩まで蝉にどやされるようにして過ごした日々、ヒグラシが鳴きやんで、スズムシの声に変わる時間まで、それでも夢中で、無心で描いていた。集中すると、音が消える。

 高校最後の夏、僕は当時好きだったコに、いっちょまえに仕事ぶりを見せてやりたくて、初めて女の子を祭に誘った。芽生えたばかりのプライドみたいなものを、初めて大切に思える人に、見てもらいたかった。わかってほしかった。そんな初心なハート。

 祭囃子の中を二人抜け出して、肝試しみたいに小学校のグラウンドに出ると、隅っこのジャングルジムの天辺に並んで腰掛けた。町の中心からは賑やかな音・声が溢れてくる。

お互いが、何か言いたげで、でも言い出せない。うつむいたり、途切れた会話を取り繕うように、無理に笑い話を始めて。

 あの頃は、まだ流れをつくること、できなかったよな。でも、他愛ない、ドキドキしただけのその時間も、ゆったり夜風に吹かれていたと思うと、清らかなものだった。「好きだ」とも「付き合おう」とも言えなかったアノ瞬間は、今でも思い出すと照れくさい。

 それから、確か、太鼓の音が激しくなって、町の中央の交差点に山車が勢ぞろいした合図が轟く。その見せ場を見逃さないためにも遠くから見ているだけではおさまりきらず、僕は彼女の手をとって、あわてて交差点に駆けていった。

 太鼓が雷雨のように鳴り、それを乱れ打つ若衆の気合が飛び交う。交差点の四方を巨大な山車が塞ぎ、二階建て相当の行灯となっている山車の放つ明かりで眩いばかり。中央には群集が溢れ、その雑踏の中で、僕ら二人ももみくちゃになりながら、その当時流行っていた、なんちゃらサンバを踊った。

 祭が終わると、僕は原チャリのハンドルに、露天で捕まえた二匹の金魚が入った水袋を結わえて、彼女を背中に乗せて、家まで送っていった。ただ、田んぼの続く暗い道を、彼女のかすかに汗ばんだ体温を感じながら、極めて安全運転で、慎重に、慎重に。ムネの感触と、胸の高鳴りを感じながら。

 ……おっと、いけない、のんびりしすぎた。懐かしさに浸りながら、時を忘れてトリップ。

 相変わらず、蝉が容赦なく浴びせてくれる。もはや通奏低音のごとく心にまで染み付いた、幼い頃までも遡り思い起こさせる、変わらない季節の音。

 この音が続く限り、僕は幾度となく思い出すのだろう。そして、「夏休み」という幻想。

 ベンチから立ち上がると、歓声が響き渡るような木立のトンネルを抜けていく。

 早く片付けて、あの夏の日に帰ろう。

 この緑のトンネルはタイムワープのゲート。蝉の声が途絶えない限りは、ゲートは在り続けて、真夏の方々へとつながっていく。

 南中高度から逸れた陽光が、キラリ木陰を射して、微妙なプリズムの変化を生み出す。迷い込んだ僕は、聞きなれた蝉の声に誘われ、今や、奏でられる音が過去か現在か区別がつかないまま、遠い遠いときめきの彼方へ、魂ごと羽ばたいていった。

 心、ここにあらず。

 夏空が生んだ、蜃気楼。





<おしまい>

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