Piece 10 「再起を誓え、女神の元へと舞い戻る時」
ニシハタさん、どうしているかな。まだ、あのデカい広告代理店で、ステキに仕事しているのかな。結婚できたのかな。
ニシハタさん、おれ、最近ようやく社会の仕組みが理解できてきたよ。
思い出すだけで、恥ずかしいけど、あの頃のおれはほんとにコドモだったなと。取引先の仕事相手として、なんて一切みられてなかったのは、よく理解している。なんか、弟みたいだって、いつも頼りないおれを諭すようにして、おれにとっては女神様だったけどな。
訪れるたびに、おれのカノジョとのことや、どこそこのお店の何がうまいとか、筋トレの話とか、大好きなニューヨークについてやら、そんな茶飲み話ばかり。持っていく手土産は、ニシハタさんが好きな、あの店のマドレーヌばかり。
仕事にやり甲斐を感じていられたのは、ただニシハタさんとのやりとりだけだったかな。納期がギリでも、徹夜でも、ズブ濡れになってもがんばれた、唯一の努力。けど、社内では認められない成果。
「月曜日の憂鬱、日曜の夜からのあれね。シンドロームみたいで、ワタシは今になっても慣れないよ。特に、早朝から定例待ってると思うとね。いくら週末に踊って発散しても、また始まるのかって思うと鬱蒼とした気分になるのはねー、どんだけ歳月経ても変わらないよね。サイクルだもんね、こういう」
諭すように、言いながらも共感してくれる。そこに癒しがあった。
あの頃、ビジネス界において、インターネットがにわかに活気づいてきていた。万能で、無限の可能性を秘めているような。しかし、パンドラの箱。おれは、ビジネスのなんたるかを大して知りもしないのに、目の前に大海が開けた感覚で、それからはまっしぐら。
「まだ若いから、チャンスはいくらでもあるよ。挑み続ける意気込みを忘れなければね。でも、なんか残念だな。ソウシくん来てくれると、結構和むから。いなくなると、さみしいかもね」
早すぎた。あの時点で、あのときの仕事すら、満足にこなせないままだったのに、雇用のミスマッチをいいことに早期離職。ITバブルに踊らされるとも知らずに、期待に胸を膨らませて、それはそれはニシハタさんの巨乳よりも膨らませて。
そうやって、飛び出した。
「卑屈になることはないし、胸張っていけば、そのうちうまくいくんだよ。自信を持つことだね。そのメガネだって、ワタシは似合うと思うよ」
営業行くにはハデだと言われたフレームのメガネで、早くもクリエーター気取りのおれ。
でも、おれはその言葉で、生き返った。やりたいことを通すわがまま。
お別れの挨拶のとき、オトコっぽくなったと、少し認めてもらったような言葉をくれた。胸を張って歩けるようにならなくちゃ。ニシハタさんも、「巨乳ですけど、なにか!」って、いつも胸張ってたもんな。
それから、会社を辞めて、浮き沈みを経て、しばらく不遇だったけど、這い上がってきたよ。失われた10年、流れて、流されて、それだけの時間を漂流したけれど、でも、再び、なんの縁だろう、こうしてまた、あの頃よりデカくなっている、ニシハタさんの広告代理店の前に立ってる。
おれ、また一段と、オトナになったんだぜ、ニシハタさん。
さあ、これからプレゼンだ。胸を張って、いこうか。
<おしまい>