擬音語・擬声語について
ガラガラドっカーンばっしゃんヌガシャーっドドドドドっガシャン!
……はい、というわけで擬音語・擬声語について考えてみましょうか。
★擬音語・擬声語はとっても便利な言葉!★
まず擬音語・擬声語とは、『動物の音声や物体の音響を言語音によって表した語。「わんわん」「ざあざあ」「がらがら」の類。なお、広義には擬態語を含めていうことがある。(goo辞書より)』
当エッセイ内では擬態語も含めて考えます。
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犬がワンワンと鳴いた。
雨がざあざあと降っている。
がらがらと音を立てて戸が開いた。
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というような表現で使われます。
非常に分かりやすく、親しみやすい言葉です。ワンワン、とだけ書けば、私達は自然と「犬の鳴き声だな」と分かります。
なんて便利。
この言葉を使えば頭をこねくり回して変に着飾った表現を書かなくていいのです。一番最初に思いついた偉人に感謝ですね。
が!
たしかにこれらはとてもすばらしい言葉なのですけれど、ちょっと待ってください。
便利だからと言ってこれらばかりを使っていると自分の表現が身につきません。自分の表現とは、その書き手にしかない『味』のようなものです。
表現は無限大。人によって同じものを題材にしても違うのです。だから『好きな作家さん』『苦手な作家さん』がいるんですね。
なので私としては「あまり擬音語や擬声語に頼らず、自分なりの言葉で書いてみる」ことをまずオススメします。自分なりの言葉で書いた後、やはり擬音語の方がいいなと思ったら書き換えたらいいんです。
私は「先人が作り出した優れた擬音語に勝つぜ!」という心構えでなるべく擬音語に頼らず書いています(それでもどうしても使ってしまうのですが)。
まったく使ってはダメ、という話ではありません。「まずは『自分の言葉』で書いてみませんか?」という提案のようなものとお考えください。
でもきっと『自分の言葉』で書くことにより、文章力・表現力が鍛えられると思います。……きたえ、られているといいなぁ。
さて、では最後に、以前ご意見をいただいた『シリアスで擬音語を使う』ことについて(遅くなって申し訳ない)。
擬音語を使うか使わないかで、文章の雰囲気というのは大分異なります。
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・誰も言葉を発することができず、その場には深い沈黙がおりた。
・誰も言葉を発することができず、その場はシーンとした。
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この2つはそれぞれ同じ場面を現しています。どこかにありそうな文章ですな。
ではこの状況(雰囲気)について想像してみましょう。
仮に「登場人物Aの恋人Bが目の前で亡くなり、呆然としているAにかける言葉を誰も見つけられない」場面、ということにします。
さて、どちらの方がより「らしい」ですか?
好みの問題ではありますけれど、擬音語を使わない方が「らしく」思えますね。……え、思えない? そうですか。
まあとりありず、シリアスな場面に擬音語はあまり向きません。学園モノや児童文学、コメディーの方が得意です。
しかしながら使い方しだいではシリアスな場面でも擬音語が威力を発揮する場合もあります。
私にはうまく活用できる腕はありませんが、どういう使い方か、というと
『シリアスな場面をあえてぶちこわす』
たとえば「主人公がみんなを励ます場面である」とか「シリアスな場面からコメディーへの転換」だとか。たぶん一杯あるとはおもうんですが、私にはあまり思いつきません(すみません)。
他には『あえて擬音語を使うことでもっとシリアスな雰囲気にする』、のも可能かもしれません。
ということで、私は『シリアスで擬音語を使う』のは賛成です(申し訳ないことに)。
でも使い方をちょっとでも間違えると作品の雰囲気すべてを壊しかねないので、オススメはしません。使う際には自己責任の元、細心の注意を。
まあ今回は擬音語って奥が深いんですよ、というお話でした。
なにやら、お気に入り件数が100超えててびびりました。あれ、いつの間に……?
なんだか戦々恐々としつつ、久しぶりに更新します。
いや、ほんと。たいしたものじゃないですよ?