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インデックスゼロの魔王  作者: あめたす


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第5話:計算外の抵抗

第5話:計算外の抵抗


 中央統治府「アイアン・アイ」の最上階。そこは、地上の喧騒も、廃坑の湿り気も、すべてを等しく濾過した、純粋な静寂だけが結晶化している場所だ。

 無機質な白磁の壁に囲まれた執務室で、兄・アモンは彫刻のような横顔をディスプレイの青白い光に晒していた。彼の前には、今まさに下界で繰り広げられている掃討作戦のログが、滝のような数字の羅列となって流れ落ちている。それは、死神の鎌が規則正しく、そして慈悲深く振るわれる音に似ていた。


「生存効率、0.04パーセントの低下。許容範囲内です」


 背後に控える側近の少年、ハルが、まるでレゴブロックの不足を報告するかのような無邪気さで呟いた。彼の瞳には、人々の悲鳴も、焦げた肉の匂いも映らない。網膜に焼き付いているのは、幾何学的に整理された死亡統計の折れ線グラフだけだ。彼にとって、命の灯が消えるのは、演算を美しく完結させるための単なる「引き算」に過ぎない。


「アモン様。シリンダー・シティのドゴーンより報告。スラムの『ノイズ』は、予定通り82パーセントがデリートされました。ですが……」


 ハルが首を傾げ、空中にホログラムを投影する。そこに映し出されたのは、血塗れの顔で笑いながら、数人の機械兵を道連れに爆炎の中に消えた男――ジャンの記録映像だった。


「この個体、IQ 70という下等な数値でありながら、生存本能を無視した行動パターンを計測しました。自らの生存確率を限りなくゼロに近づけ、他個体の逃走時間を稼ぐ。論理的な整合性が取れません。エラーです。なぜ不快なはずの痛みを自ら引き受けるのか、理解不能です」


 アモンは、表情一つ変えずにその映像を見つめていた。彼の瞳は、燃え盛るジャンの魂を、まるで冷たい顕微鏡で覗き込むように冷徹に捉えている。


「エラーではない、ハル。それは『不合理』という名の変数だ」


 アモンの声は、凍てついた湖の底のように静かだった。


「人間は、救いようのないほどに不完全だ。ゆえに、自由を与えれば互いに傷つけ合い、破滅へと向かう。私がこの世界を数字で縛るのは、支配したいからではない。管理という名の檻に入れなければ、人類という種そのものが絶滅を免れないからだ。これは、究極の利他主義だ。私が悪魔を引き受けることで、神の不在を補完する」


 アモンはゆっくりと目を閉じる。その瞼の裏には、自分がスラムへ放り投げた、数値を持たない弟・セトの姿があった。

 IQ 210という、もはや呪いに近い神の如き知性を持ちながら、アモンはただ一人、絶望的な論理に到達していた。――「人は、言葉を尽くしても、互いを理解することなど決してできない」。

 だからこそ、彼は自らを「魔王」という名の変数に置き換えた。全世界の憎悪を自分一点に集約し、共通の敵として君臨することで、逆説的な団結と平和を維持する。その冷酷な計算式の最終行に、彼は「唯一のバグ」であるセトを配置したのだ。


「アモン様。審判官ゼノビアが、逃走した『インデックス・ゼロ』の追跡を開始しました。デリートしますか?」


 ハルの問いに、アモンはすぐには答えなかった。彼の視線は、ディスプレイの端に表示された、一輪の萎れた花のようなノイズに固定されている。それは、システムの奥底に隔離された、かつての「家族」の笑い声の残滓。


「……泳がせておけ。ゼロという数字は、時にすべての計算を無効化する。セトが、私が作り上げたこの完璧な地獄を、その不格好な手でどれだけかき回すか。それもまた、人類存続のための検証の一つだ」


 一方、その頃。

 夕闇の迫るリムボ・ジャンクションの廃墟で、僕はレオンの背中を追っていた。

 レオンは時折、ゴーグルの奥の瞳を険しく光らせ、空気中の不可視な信号を読み取っているようだった。


「おい、ゼロ。今、統治府の監視網が一時的に緩んだ。アモンか、あるいはあのクソガキのハルが、わざと門を開けた可能性があるな」


 レオンは皮肉げに唇を歪める。彼の歩調は速く、まるで世界の終末を追い越そうとしているかのようだ。


「俺たちは、盤上の駒だ。だがな、駒には駒なりの意地がある。あいつらの想定外の場所で、とびきり汚くて、美しくもないノイズを響かせてやろうぜ。不条理こそが人間の特権だ」


 僕は、黙って頷いた。胸の奥で、ジャンのあの無骨な掌の熱さが、まだ脈打っているのを感じていた。


 アモン。兄さん。

 あなたが美しい数式で世界を救おうとしているのだとしたら、僕は、あなたの数式には決して現れない「痛みの温度」を、この空っぽな手に集めていこう。

 たとえ、その先に待っているのが、さらなる絶望だとしても。

 足元に転がっていた、誰かの大切にしていたであろう、泥にまみれた古いオルゴール。僕はそれを拾い上げ、壊れたネジを一度だけ回した。


 不協和音のような、けれど確かにそこにあった命の記憶が、静かな夜に溶けていった。それは、計算機が検知できないほど微かな、けれど確かな生の証だった。

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