第6話 お金持ちの女性
職員室で星野花見が整理整頓された机に腰かけ、横向きに問いかけた。「呼んだ理由は分かっているわね?」
「はい」
「進捗は?」
「ご安心を。部活動の申請書は提出済みです」
「どの部?」教師がコップを口元に運ぶ。
「ATF部です」
「ぷっ!」
多崎司が素早く回避すると、背後で顔面を直撃された禿頭の数学教師が、濡れた小鹿のような瞳を上げた。
「……失礼…」星野は豊満な胸元を撫でながら謝罪を繰り返す。
武力値が桁外れな美女教師と知り、数学教師は無念そうに立ち上がり、独りトイレへ向かった。
多崎はその背中に哀悼の念を抱く。おそらく…自身の肋骨を守るための英断だろう。
その時、風が頬を撫でる。
危険!奇襲だ!
警告なく放たれたストレートが鼻先をかすめた。
星野は小ぶりな拳を振りかざし、刃のような眼光で言い渡す。「あの部への入部は認めない。次は本気だから」
【あなたの行動への不満により 星野花見株10ポイント急落 現在値:30】
多崎は首を傾げた。彼女を怒らせる覚えなどないのに、この突然の暴走は何だ?
自身に非はない。 教師の指示通り部活加入も果たした。だとすれば、この状況は教師の精神状態に起因すると考えるほかない。
これほどの美貌を持ちながら、実に惜しいことだ。
「先生…」多崎は彼女の整った瓜実顔を見据え、慇懃に述べた。「キャリアウーマンのご苦労は生徒ながら理解しております。 もし精神的な不調であれば、世間の目を気にせず早期治療をお勧めします。手遅れになる前に」
そう言い終えると、二歩後退して安全圏を確保し、教師の表情を警戒深く観察した。
星野花見は頬を膨らませ、幼女のように目の前の刘海を「ふーっ」と吹き飛ばした。
この無自覚な仕草に、年齢不相応な少女の色香が漂う。
正直なところ、彼女は多崎が現時点で出会った中で最上の魅力を持つ女性だ。 潜在的な暴力性さえなければ、攻略を試みても悪くないと思わせる。
そうだ、残資金19000円。新たな分析器を購入しよう。
星野が彼の修理法を思案している隙に、システム画面を開いて分析器を購入。教師へ向けて起動する。
【氏名:星野花見】
【知力:7】
【魅力:9】
【体力:6】
【個別情報:文武両道美少女自称/美食探求に熱中/孤高の一輪華/教師辞めれば百億資産継承者】
【株価向上案:武道陪練/美食提供/浪漫的行為】
百億資産…!
多崎は即座に大股で踏み込み、星野の膝まであるスカートに跪くように深々と礼。顔を上げた時、少年の端麗な面差しに白蓮のごとき清純な微笑が浮かんでいた。
「先生(富婆)、お詫び申し上げます(ご飯ください)」
金次第ではない。
金などどうでもよい。ただ教師という立場自体が好ましいのだ。
ただし彼女の資産額は…桁が違いすぎる!
「はあ…」
目の前の少年の笑顔は確かに鑑賞に値する清麗さだったが、星野花見は額を押さえ深いため息を落とした。
早く部活に入れと言った時は聞かず、従順になった途端、なぜATF部など選んだのか。
心底、殴り飛ばしたい衝動に駆られる。
「ATF部は論外。他を選びなさい」
「なぜです?」
今度は多崎が眉をひそめた。ようやく見つけた早退可能な部活なのに、なぜ皆が死刑台へ向かうような反応を示すのか。
星野は少し目線を外し、声にわずかな躊躇を滲ませた:「彼女の募集は真剣な部員募集じゃないの。単なる…ご乱心よ」
「ご安心を」多崎は彼女のスカートとストッキングの間の肌色の領域を盗み見ながら、厳めしい口調で応じた。「彼女の道化には付き合います」
「とにかくダメ!」星野が眉を吊り上げて睨みつける。
多崎は腹立たしげに言い返した。「教師だからって理不尽は困ります。部活に入れと言ったのは先生、今それを阻むのも先生。これ以上強要すれば…即刻切腹すると脅かす程度の覚悟です」
(無論冗談だ。脅しに過ぎない)
それを聞いた星野はまた深い息をつき、髪をかきむしるように悩み込んだ。暫く考えた末、諦めたように呟く。「…どうしてもと言うなら、お望み通りに」
「では試験に戻ります」多崎は胸を撫で下ろすように教室へ戻った。
星野花見が腕時計を瞥見し、第二科目の開始が迫っていることを確認すると手を振った。「最低でも最下位数脱出を。先生の面目にかけてね」
「ご期待に沿う驚きをお見せします」多崎はヴィクトリーサインを掲げ、退出した。
彼の姿が消えると、美女教師は蟻の囁きのような声で呟いた。
「どうせ選ばれっこないのに…」
続けて忍びの如く周囲を見回し、机の下に潜り込むように携帯を取った。
「もしもし…桜良?あの選考条件、追加できないかしら」
「例えば?」
「文武両道を必須事項にってのは?」
「承知した」
一年A組の教室で、栗山桜良は手機を置くと書類上の名簿に目を落とした。視線は「多崎司」の文字に固定される。
一瞬の思索の後、ペン先がその名を墨で塗り潰した。
整った容姿の少年よ。
お前はここで葬送された。
多崎司は教室に戻り、化学試験を受けた。
またもや時間の半分も経たぬうちに全問を解き終え、一字一句を検証した後、真っ先に答案を提出した。
理系科目の解答は絶対的である。文系のように再考すれば新たな解釈が生まれる類いのものではない。
食堂が混雑する前に昼食を済ませ、彼は図書室へ向かった。
昼休みの一時間──彼は屋上で風に吹かれるか、書架の森に潜むかのいずれかであった。
読書の趣向? 多崎は乱読の徒たるを誇り、小説に随筆、戯曲に詩歌は勿論、科学雑誌から料理本までを等しく渉猟した。
午後の世界史試験を終え、部活動の時間。
ATF部室を訪ねるも扉は固く閉ざされ、栗山桜良の姿もなし。
未加入の身軽さを活かし、彼は直ちにアルバイト先のコンビニへ向かう。
幸子さんから夕食をご馳走になり、勤務に就いた。
夜九時、帰宅。机に向かい勉学を再開する。
高一所持の知識は前世で習得済みとはいえ、この天才雲集の学園で頂点を射止めるのは容易ではない。何より、棲川唯という満点常連の怪物が控えている。
深夜十二時、翌日の数学試験対策を終え、多崎は身体を伸ばした。
明かりを消し、布団を敷き、就寝した。