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第5話 クレイジー、きれいな女性はあなたの妻ですか?

一年F組の教室に戻り、多崎司は窓際の後方席に着くと、今日の月例試験に向け静かに復習を始めた。

これらの知識は前世で既に修得済みとはいえ、決して油断は許されぬ。 一億を超える人口を擁するこの国では、鬼才が現れやすい土壌が確かに存在するのだ。


多崎は悟っていた──上位の席次を占め、高額な奨学金を手中にするには、血の滲むような努力が不可欠だと。

遊興に溺れる日々は確かに甘美であろう。

しかし惰性という人間の最大の弱点に囚われれば、 人生は半ば台無しと言えよう。


試験開始が迫るにつれ、教室は次第に活気を帯びてきた。窓から流れ込む微風が潮香を運び、鼻腔を爽やかに撫でる。


「おはよう...多崎」

サッカー部の朝練を終えた村上水色が、前の席に腰を下ろしながら声をかけた。


「ああ」

転生から十日。 まだ環境に馴染めず同学年との交流も乏しい多崎にとって、地理的利便性に恵まれた村上は数少ない会話相手だった。


「最近お前、別人みたいだぜ...」

汗を拭いながら村上は興味深そうに多崎を観察した。「四月の初めは授業中ずっと爆睡かゲームだったのに、急に学問の徒と化すとは?」


「学びは流れに逆らう舟の如し(まなびはながれにさからうふねのごとし)」

多崎は顔も上げずに箴言を返した。


「後退?どこへ後退するんだ?」

村上が呆けたように頭を掻き、やがて意味を悟ると腹を抱えて笑い転げた。「入学試験でビリだったお前が?それ以上堕ちる余地あんのかよ?」


多崎の手が震えた。

パチリ、と芯が折れる音。

真っ白なノートに墨痕がぽつりと滲んだ。


三階の窓から級友を放り投げる行為は、法に触れますか?


「はあはあ…落ちこぼれの自尊心はそっとしておくか」村上水色は笑いを噛み殺し、話題を転じた。「で、昨夜はどの部に入った?」


多崎司はシャープペンの芯を軽く押し込みながら:「仮入部だ。正式には決めてない」


「どこに仮登録した? サッカー部に勧めた時は断ったくせに。うちのマネージャー娘がなかなかで…」


「ATF部」


「美人で…」


多崎が顔を上げる:「何が美人だ?」


「ATF部!?」村上は問いを無視し声を弾ませた。「おいおい、俺の嫁に手を出す気か?」


一瞬呆けた多崎は呆れ返って言い返した:「頭おかしいんじゃないか? 美人は全部お前の嫁かよ」


「何が違うんだよ?」村上は胸を叩いた。「俺たちの関係は半分成功してるんだからな」


「いつからだ? 聞いてないぞ」


「こっちの了承は取れてる。あとは彼女の承諾待ち。つまり1/2達成ってわけさ。数学的に見事な50%の進捗だ」


この詭弁には唖然とした。 一見でたらめに思えるが、確率論的に見れば微かな理が潜む。多崎は論理の迷路に囚われ、反駁の糸口を見失う。


この理論を敷衍すれば、自分もビル・ゲイツの資産の半分を所有していることになるのか?


よし、承認は済んだ。後は本人の承諾を待つのみだ。

冗談はさておき、村上水色が突然真顔で言った。「まさか栗山桜良の美貌目当てで、チャンスを窺ってるんじゃないだろうな?」


多崎司の手が一瞬止まる。「無起伏な対象に興味を持つ理由がどこにある?」


「そ、それは超絶お金持ちのギャル令嬢だぞ!」村上は額を押さえ、「お前には降参だ」 という表情を浮かべた。


「令嬢がそんなに珍しいか?」

多崎は無関心そうに俯き、視線を教科書に戻した。

令嬢様とは男女を超越した独立した第三の性別だ。 北川学園の屋上からレンガを投げれば、二人くらいは確実に当たるほど存在する。


「多崎よ...」村上が口を開いたが、言葉を飲み込んだ。

言いたげな表情を見せたその時、国語のテスト用紙を抱えた星野先生が教室に入ってきた。


四月二十七日、晴れ。

多崎司の高校生活における最初の試験が始まる。


開始のベルと共に配られる問題用紙。教室にはシャープペンの走る音がサラサラと響いた。


名前と学籍番号を記入し、問題を一瞥する。

最初は課内読解、次に川端康成『雪国』からの出題。原作を読んでいた多崎に困難はない。

文法知識、漢字填空、作文...


一時間少々で全問を終える。 残り時間で幾度も見直しを重ね、終了ベルと共に答案を提出した。


緻密なる準備!

今回こそ高得点は確実だ。


教壇で星野花見が「トントン」と答案用紙を揃え、多崎司へ視線を流す。「多崎君、職員室まで来なさい」


彼は仕方なく後を追い、一メートル半の距離を保ちながら職員室へ向かう。後ろ姿の先生のシルエットが、曖昧な誘惑を描いていた。


地味なダークスーツの奥に、完璧な曲線が潜んでいる。 細い肩幅と腰周りに、不釣り合いなほどの豊満な胸元。黒髪がだらりと腰まで届き、その先にはタイトスカートが括り出した果実のような臀部の輪郭。


そして黒いストッキングに包まれた脚のライン…


完全なる美脚フェチである多崎は、この背後観察の機会を貪るように味わった。ましてや相手が学園随一の美貌と認められた教師であればなおさらだ。


「多崎ー!生きて帰ってこいよー!」教室から村上の声が響く。


廊下の曲がり角で振り返り、中指を立てて応酬する。


これは日常的な冗談の応酬に過ぎない。星野先生は美人で声も甘く、テコンドーの黒帯保持者ではあるが、別に人を喰う鬼ではないのだから。


…かつてしつこいアプローチをかけた男の肋骨を何本か折ったことくらいで。


多崎は突然胸に鈍い痛みを覚え、歩みを緩めた。あの折れた肋骨の記憶が蘇るように。

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