潮騒と怒れる人魚
これは田舎の漁師町で育った俺の、青臭いガキの頃の話だ。
親父も兄貴も漁師だったし、近所の男衆もほぼほぼ漁師だったから、中学出れば漁の手伝いをするのが当たり前だった。
俺も例外ではなく、卒業式の次の朝から親父の船に乗ることになった。
朝は夜明け前に船を出さないと魚が捕れないし、揺れる甲板の上から落っこちないように踏ん張りながらの漁は、気力体力ともに消耗する大仕事だった。
今みたいにハイテク機器に手の届く時代じゃなかったからか、願掛けとか験担ぎとか色々古臭いしきたりがおおかったが、その中に一つだけ毛色の違うヤツがあった。
漁を終えたら遅くても正午までに片付けを済ませて陸にあがることってヤツで、午後になっても船に残ってると人魚に呼ばれて掠われてしまうからだと。
四つや五つの洟垂れ小僧じゃあるまいし、迷信もいいところだ。
十五の俺は「どうせ早く帰って酒盛りしたいだけだろう」と考えて丸っきり信じちゃいなかった。
ところが夏の盛りのある日、絡まった網を解こうと四苦八苦してたら、正午の漁協放送が流れてきたことがあった。
その時の俺は「絡まったままにしてたら親父の雷が落ちるか兄貴の拳骨が降ってくる」と思って、そのまま網をいじってたんだ。
そしたら放送が終わったあとに、波音の狭間から女の声がしたんだ。
はじめは、周波数の合わないラジオみたいにザーザー言ってるだけ。
次第に、ところどころ「みの」とか「ばった」とか単語らしきものが聞き取れるようになった。
最後には、はっきり「うみのさかなをうばったぬすっとめ」と怒っているのがわかった。
文章になる頃には、いつしか空は曇天で大時化になりそうな具合だったから、網を放ったらかしにして慌てて陸に上がって、そのまま一目散に家路に就いた。
帰り道に一度だけ振り返って港の方を見たら、親父の船にだけ二本の腕が生えた黒い影が這いずり上がって来てたから、人魚かは知らないが、アヤカシかモノノケの類が居るのは確かだろうな。
……まぁ、目が合ったら夢に化けて出てくるじゃないかという気がして一瞬しか見なかったから、ひょっとしたら放り投げた網を遠目で見間違えたのかもしれないけどな。
※
ほら、要望に応えて怖い話をしてやったんだから、大人しく寝ろよ。
なに? 便所についてこいだと?
だから馬鹿みたいに西瓜を食うなと言ったんだ。臍から芽が出ても知らないぞ。
いや、西瓜食べ放題って意味じゃないからな。まったく、誰に似たんだか……