8.子供の時間
「そんなお金ないでしょ」
ニコラは、ローリスより三つ下の妹だが、金勘定に疎い兄に代わって家計を管理している。
「そんなに美味しいの?」
ローリスの向かいに座るアマルティアは聞いた。
肉が、という話の続きだ。
「そりゃあ、もう……」
とローリスはその味を思い出すが、肉を口にした時の感動を上手く言葉にできない。
さらに隣から妹の不機嫌そうな空気が漂って来たので、ローリスは空恐ろしげに退散するように席を立って、テーブルの上を片付け始める。
大体いつも料理を作るのはニコラの仕事、後片付けをするのはローリスの仕事である。
ただ、明確に決まっているわけではない。二人で暮らしているから、自然とそれぞれが自分のできることを分担してやるようになった。
「アマルティアは食べたことないの?」
ニコラは聞く。
アマルティアは「うん」と頷いた。
「ずっと木の実ばかり食べてた」
「き、きのみ?」
ニコラは目が点になっている。
確かに果樹園なども農業区と指定されているアクアリウムの一部には存在するが、それにしても魚が豊富に獲れるこの海底都市で木の実だけとなると、かなりの偏食化と言える。
「ひょっとして、アマルティアは農家の人なの?」
ニコラはアマルティアをまじまじと見つめる。
その割には、農業をしている人の格好には見えない。
そのまま、他愛のない会話を続けていると、皿を片付け終えたローリスが戻ってきた。
「ほらほら、明日も早いだろ」
三人はかわるがわるシャワーを済ませた。
「アマルティアは俺の部屋のベッドを使えよ。俺はそこで寝るからさ」
とローリスは部屋の隅にある座面が固そうな木の長椅子に後ろ指を立てた。
「だーめ!」
アマルティアが何か反応を見せるよりも先に、ニコラが言った
「そんなことして体を痛めたら兵士として働けなくなっちゃうよ」
ニコラは両手を腰に当てて長椅子の前に立ち塞がる。
「アマルティア、私の部屋のベッドを使って」
ニコラはアマルティアに向かって言う。
「うん、わかった」
アマルティアは素直に頷いた。
「え、じゃあお前は……?」
ローリスは妹を見下ろした。
「私はお兄ちゃんと一緒」
「は? いや、俺は長椅子でもだいじょ……」
「いいから行くの!」
ニコラはローリスの背中をどん、と押して階段を指差す。
階段を登ってすぐに、人が二人ぎりぎり並べるくらいの細い廊下があり、両側に扉が一つずつある。
ローリスとニコラはそれを一部屋ずつ使っていた。
「この部屋を使って」
とニコラは片方の部屋のドアを開く。それがニコラの自室らしい。
アマルティアを中へと招き入れる。
円筒形の家の二階を半分に割ったような形なので、自然と半円形の部屋となる。
正面、窓のそばに置いてあるベッドと、その脇には背の低い箪笥があり、上にランタンが置かれている。部屋の端には小さな一人用の机。
それだけでほとんど一杯となってしまう小さな部屋である。白塗りの部屋の壁は年季が入って少しくすんでいるが、部屋は片付いていてそれなりに綺麗にしている。
部屋に入ると、アマルティアは自然とベッドに腰を下ろしていた。
ニコラはベッド脇の箪笥の上のランタンを手に取ると、念じるように目を閉じた。
すぐにランタンの中に小さな火が灯る。
「ニコラは魔法が上手なんだ」
部屋の入り口で腕組みをしているローリスは、アマルティアに言った。
ニコラはローリスの隣に戻り
「それじゃ、おやすみなさい」
とアマルティアに笑顔を向けた。
「うん、ありがとう」
アマルティアが笑顔で応えると、天上の照明を消灯して、ローリスとニコラはドアの向こうに姿を消した。
静かになった部屋を、ランプの中でゆらめく温かな火が照らしている。一人になったアマルティアは、静かにベッドへと体を横たえた。
そして、ずっしりとした疲れが体にのしかかるのを感じる。
アマルティアはベッドの柔らかな感触に身を委ね、眠りについた。
向かいの部屋では、ローリスとニコラが一つのベッドで並んで横になっていた。
三年前、ローリスとニコラが共に働き出すまでは、こうして一緒に寝たものだった。
そうでないとニコラは眠れなかったのだ。
しかし、仕事を始めてからは「大人」にならなければいけなかったニコラは、別の部屋で寝ることにした。
「仕事、大変じゃないか?」
ローリスはニコラの方に顔を向けると言った。
ニコラは元々こちらを向いていたようで、目が合った。
「うん、平気。周りの人もやさしいし」
「そっか」
ローリスは天井に顔を向ける。
「ねぇ、しばらくはあの人、ここに居るんだよね?」
ニコラは聞いた。
「ああ、とりあえずな」
「それなら、しばらくはまた一緒だね」
声をひそめてニコラは笑う。
「昔に戻ったみたい」
「いや、俺は長椅子でもいいぞ?」
「だから、駄目だってば」
ニコラは先ほどと違って囁くような静かな声で言う。本当に心配してくれていたのだろう。
「迷惑かけてごめんな」
ローリスは天井に目を向けたまま、妹の頭を探って撫でた。
「ううん、家族だもん」
ニコラがふふっ、と息を漏らすのが聞こえ、身体の側面に温もりを感じる。
妹の軽い体重が寄りかかって来た。
いつまでも人の家に厄介になるわけにもいかず、こうして二人暮らしを始めた三年前。ニコラは他の子供達よりもさらに早く、わずか十二歳から働き始めた。
ニコラには子供である時間がほとんどなかったと言っていい。
わがままを言うことも、弱音を吐くことも、環境が許さなかった。
気が緩んだ時に、こうして子供の顔をする妹を見ると、ふとそれを感じてしまう。
上目遣いでこちらを見るニコラの顔には数年前の幼さが戻っていた。
もっと自分がしっかりしていれば、ニコラの子供の時間はもっと長かったかもしれない。
そんなことを思いながら、ローリスは妹の頭を撫でていた。