59.黒い影
結局、いつもと同じ一日を過ごしたニコラは夕食を作っていた。
さっき、ゼノンが慌てた様子で尋ねてきた。
「あぁ、やっと会えた! ローリスはどうした!?」
話を聞くと、今朝のニュースを知って一日中ローリスを探し回っていたらしい。家を訪ねたが、無人だったので何かあったのではないかと心配していたそうだ。
「お兄ちゃん、逮捕されちゃうんですか……?」
ニコラは心配そうな顔でゼノンを見上げた。
「いや、治安軍にそんな通達は来ていない。あくまでもあの同居しているあの娘だけだ」
ゼノンは険しい顔で腕組みしている。何か考えながら話しているようだ。
「良かった……」
ひとまずローリスが逮捕される心配はないと言うことでニコラは胸を撫で下ろした。
「あぁ、だが、君もローリスも彼女と一緒に居れば、逃亡をほう助したとして逮捕されてしまう可能性がある。とにかく、今は疑われないように大人しくしておかないと危ない。それであいつはどこに居る?」
ニコラはドキリとした。ローリスはアマルティアを探しに行った。いずれ連れて帰ってくるかもしれない。
「……朝起きた時には居ませんでした。私、てっきり仕事に行ったと思って……」
ニコラは嘘を吐いた。
ただ、この嘘も時間稼ぎにしかならない。実際、ローリスは治安軍に姿を現していないのだから、何をしているかは大体想像がついてしまうだろう。
しかし、ゼノンは追求しなかった。
「……分かった。とにかく、戻ったら二人で真っ先に俺のところに来てくれ。頼むニコラちゃん、俺は味方だ」
ゼノンはそう言うと家を後にした。
彼は考え事をしながら通りを歩いていく。
あの少女がローリスの家に住んでいることは居住データベース上に記録されていない。なにせ元々浮浪者として施設に入る予定が、ローリスはそれを無視して家に住ませている。
だが、最初に住居データと称号したときにデータベース上に少なくとも彼女がここに住んでいることは登録したはず。
となると、普通は登録元の治安軍支部、つまりは自分のところに調べるよう通達があってもおかしくなさそうなものだが、今日一日、治安軍本部から何の沙汰もない。
(海底都市でも一番と思われる重要人物が襲撃された事件に対する態度とは思えん……。おかしいな)
通りを歩きながら、ゼノンは嫌な予感を感じていた。
家に残されたニコラは迷っていた。ローリスがアマルティアを連れて帰ってきたとして、ゼノンの家へ連れて行って良いものか。
とにかく、ローリスが帰って来ないことにはどうしようもない。
夕飯の支度も、もう住んだ。他にすることもない。
「早く帰って来ないかな……」
ニコラは呟いた。
連絡してみようかと思っていると、扉がコンコンと鳴った。
「だれ……?」
ニコラは首を傾げた。
ローリスとアマルティアが帰って来たなら、勝手に扉を開けて入ってくるはずだ。
ニコラが扉を開けると目の前に背の高い黒い影があった。
「あの、どちらさま……ですか?」
ニコラは目を丸くして見上げる。
「夜分遅くに失礼する」
男の真紅の瞳が少女を見下ろしていた。
アマルティアは両手に大きな金色の腕輪を下げている。いつも肌身離さず身につけているものだ。
その片方、左の腕輪を外して差し出した。
「ローリス、これを受け取って」
受け取って、その腕輪に左手を通してみる。いつもこんな大きな腕輪がよく歩いている途中に外れないものだと思っていたが、意味が分かった。
重量を感じない。まるで浮いているかのようだ。
「私の身につけてる衣服は全部私の力で形成した物……。私の一部のようなものだから、ローリスに、持ってて欲しいの」
アマルティアの眩い視線がローリスに向けられている。
「ありがとう」
ローリスは笑顔を返す。
「俺も何か渡せるものがあったら良かったんだけどな……」
急いで飛び出て来たせいもあって、あいにく今は何もなさそうだった。
アマルティアは首を振った。
「……もう十分もらったよ。あなたが付けてくれた名前とか」
「そんなに気に入ったのか?」
「うん、だからもっと呼んで?」
「あぁ、そっか……それじゃ、行こうぜ。アマルティア」
ローリスは照れくさそうに咳払いすると言った。
「うん」
アマルティアは笑顔でローリスの手を取る。
そして、急に駆け出す。
「えっ……?」
アマルティアはそのまま、胸壁の上に足をかけて跳び上がる。
そして、アマルティアの引っ張られるままに走っていたローリスは、いつの間にか地上から三十メートルはあろうかという空中に飛び出していた。
「おい! アマルティア落ちる! 落ちる落ちる落ちる!」
硬い石畳の地面が、二人に向けてものすごい勢いで迫ってくる。
衝突する寸前、大きな水球が現れて、柔らかいクッションのように二人の落下の衝撃を吸収した。
ぽよんと跳ねて、二人は小さな路地にソフトランディングする。
「次やるときは先に言えよ!?」
地面に降りたローリスがこめかみに青筋を立てて言う。
心臓が破裂せんばかりに高鳴っている。
「あはは! ごめんごめん!」
アマルティアは声をあげて無邪気に笑う。
ローリスが周囲を見回すと、誰もいなかった。人目につかないように大通りとは裏の路地に降りたようだ。
「これからどうする?」
アマルティアは聞いた。
「ああ、まず、ニコラを迎えに……おっと」
ローリスが言いかけたところで通信が入った。
「……お兄ちゃん?」
「ニコラ……? アマルティアが見つかったぞ」
ローリスから返事が返ってくる。
「よ、良かったね……」
ニコラは言いながら視線をあげる。
円卓の正面には椅子に足を組んで座っているカークスが、じっとこちらを睨んでいる。そしてニコラの背後を取り囲むように仮面とローブに身を包んだ教団兵四人が立っていた。首筋には教団兵の持つ短刀の刃が当てがわれている。
「どこに居るのか、聞け」
カークスは低い声で言う。
「……お兄ちゃん」
ニコラは恐怖で声に嗚咽が混じっている。
「おい! どうしたんだ……?」
ローリスは異常に気付いたようだ。
ニコラは正面のカークスを睨んだ。
「教団の人がお兄ちゃんを捕まえにきたの! 帰ってきちゃだめ!」
そして、一方的に通信を切った。
「度胸があるようだな」
カークスは口の端を釣り上げる。
「今の通信の経路は終えたか?」
立ち上がると傍に居た教団兵に目を向ける。
「いえ、それが……」
教団兵は首を振った。
「何……?」
カークスは眉をひそめた。
「どういうことだ? 十分に時間はあったと思うが……」
仮面に開いた二つの穴をカークスの視線が刺すように睨む。
「も、申し訳ありません……。何者かに魔力軌跡追尾を遮断されまして」
教団兵の体は震えている。
「成程、まぁいい……」
カークスは家の外へと足を向ける。
その背後を別の教団兵が追いかけた。
「如何いたしますか?」
「俺は大聖堂へ戻る。ローデリア様の様子が気がかりだ」
カークスは一度立ち止まる。
「幸い先ほどの通話のお陰で、奴らがここに来る可能性は高い。お前たちはここで待ち伏せしろ。それから……」
カークスは視線を家の方へ向ける。
「あの少女は騒ぎにならないように大人しくさせておけ」
「承知致しました」
教団兵は返事をすると共に姿が揺らめいて消えた。




