58.変
海底都市の魔力照明が「夜間」に切り替わった。
中央アクアリウムに、ひとつの石造りのアーチがある。メインストリートを跨ぐように聳えるその建造物は、周囲に広がる市場の街を見下ろすかのように高い。
その建物の上に装飾が施された胸壁がある。遥か昔には、この構造はここで活動するであろう兵士を守る役割があったというが、今はただの装飾となっている。
その胸壁の中に、暗い顔で膝を抱えて座るアマルティアの姿があった。
下から聞こえてくる街の喧騒が妙によそよそしい。
ある程度予想はしていたが、悪い予感の方が当たってしまった。
ローデリアは彼女の言葉を受け入れなかった。
指名手配されて治安軍に街中を追い回されたので、やむを得なく人目のつかない建物の屋上へと隠れた。
このような状況になっても中央アクアリウムを離れないのは、ローデリアのことが諦められないからであった。
本人は拒んでいるが、このまま放置すれば彼女は自我を失い、ただの種子が成長するための器となる。
もう一度、説得するためにもここを離れるわけにはいかない。
そう考えていた。
ただ、どう話せば……?
アマルティアの思考は重く沈んでいた。
冷たくて硬い石の上で、体を丸めて眠ろうとした。
荒れ果てた地上を旅していた頃はもっとひどい場所で眠ったこともあった。魔獣がひしめく枯れた森の中や、ゴツゴツした岩石、風が吹き荒れる大地。
しかし、この海底都市に来て、帰る場所ができた。
笑顔で迎えてくれるローリス、ニコラが作ってくれる食事、暖かなベッド。
目を閉じるとそれらが頭の中に思い起こされてしまう。
(眠れない……)
アマルティアは目を開いて、顔を上げた。
「……ア、アマルティア……」
突然、聞き覚えのある声がした。
驚いて顔を上げると、ローリスが胸壁の端にしがみついていた。
「ローリス!?」
アマルティアは立ち上がり、しがみつくローリスの腕を取った。
「はぁ……ったく、なんでこんな高いところに居るんだよ」
ローリスは屋根の上に上がりながら息絶え絶えに言った。彼はここまでよじ登ってきたらしい。
「ここなら、誰にも見つからないと思ってたのに……」
アマルティアは俯いて言う。
「どうしてここがわかったの?」
「ごめんなさい、私よ」
セレーネの声が聞こえた。
「そう……」
アマルティアは浮かない顔で呟いた。
「もう、会わないつもりだったのに」
ローリスに目を向ける。
「え!? 全部終わったら帰ってくるって言ってただろ?」
ローリスは驚いた顔をする。
アマルティアは首を振った。
「……そう言ったら、あなたは行かせてくれなかったかも知れないから」
「どうしてだ? 嫌、なのか?」
アマルティアは首を小さく横に振る。
「違うよ……」
悲しそうな顔をしていた。
「私は人間に似てるけど、『神堕ち』であって人間じゃないの。あなたとは生きる時間が違う。だから、一緒には居られない。それに、私が全てを捨ててまでここに来たのはみんなを救うためだから」
アマルティアは顔を俯ける。
「それなのに、あなたと居ると変なの……」
「変?」
ローリスは首を傾げる。
「ニコラよりも、エリアよりも、他の誰よりも、私のことを想っててほしい。ずっと、このまま一緒に居たいって……」
アマルティアの頬に一筋、涙が光っている。
「……だから、あなたとは一緒に居られない。私、みんなを救わなきゃ」
彼女は自分に言い聞かせるように言った。
ふと気がつくと、ローリスが目の前に立っていた。
「ローリス……?」
アマルティアは驚いた顔で見上げる。
ローリスは彼女の顔を見つめた。見上げた彼女の透き通る瞳の中にローリスの顔が映っている。
吸い込まれるように顔を近づけていく。
鼻先が触れるほど近づいた時、アマルティアはゆっくりと目を閉じた。
そして、刹那に唇を重ねあう。
次にアマルティアが目を開くと、ローリスが照れ笑いを浮かべていた。
「俺も……その……変になっちまった」
アマルティアの小さな手がローリスの肩を掴む。
そして、今度は自ら求めるようにローリスに向かって背伸びをした。
しばらく後、二人して座っていると、隣のアマルティアはため息を吐いた。
「どうして私、止められないの……?」
「アマルティア」
ローリスは自分がつけた彼女の名前を呼ぶ。
「俺も、一緒に行かせてくれ」
目を向けると、彼の表情はすでに決意が満ちていた。
「俺と居るのが嫌になったらその時は言ってくれ。でも、あんたが俺と一緒に居たいのに離れようとしてるんだったら、俺も一緒に行かせて欲しい」
ローリスは、ふっと表情を緩める。
「それに戦力的にはイマイチでも、少しは役に立つぜ。だよな? セレーネ」
視線をアマルティアから外すと呼びかけた。
「///……」
セレーネの返事はなかった。
「あれ? セレーネ? どうしたんだろ……」
ローリスが無邪気に言いながらアマルティアに視線を戻すと、彼女は気恥ずかしそうに顔を背けた。
「どうしたんだろうね」
薄暗い中でもわかるほど頬が赤みを帯びていた。




