55.邪教徒
「どこから入ったの? 私の部屋の周りには見張りが大勢居たはずよ」
絶対的な自信の表れなのか、ローデリアは多少身構えたものの、見知らぬ人間が部屋の中にいたというのに騒ぎもしない。
「窓から……」
とアマルティアは部屋の端を指差す。
ローデリアは怪訝そうな顔で窓の方を見た。
確かに窓は施錠されていない。
しかし、地上からこの窓までは十メートル以上の高さがある。その上よじ登ろうにも壁には何の突起物もない。
ローデリアは視線を少女へ戻した。
「……話って、何のことかしら?」
「あなたは……昔、原因不明の病気に掛かっていた」
アマルティアと名乗った少女は、影から出てぼんやりとした明かりが照らす場所まで出てくる。姿が明らかになるが、やはり見覚えはない。
「あなたは水神教団の教会で祈りを捧げた後、急に体が動くようになった」
「ええ……」
ローデリアは静かに答えた。
それは周知の事実で、海底都市の誰が知っていてもおかしくない。
「それが水神の奇跡だと信じたからあなたは教団に入った。そうよね?」
「ええ、水神様が私をお救いになったの。だから……」
「それは、違うわ……」
目の前の少女は浮かない表情で俯きがちに言った。
「なんですって?」
ローデリアの整った弓形の眉がぴくりと反応する。
「そんなこと、してないの」
言葉の含みを察して、ローデリアは嘲笑する。
「あははっ! まさか、あなたは自分が水神様だと言っているの?」
ローデリアは当然信じない。
「正確には違う。私はもう水神じゃない。人の体になってしまったから……」
ここまで聞くと、ローデリアは安堵したように息を吐いた。
おおかた心を患った人間か何かだと思ったらしい。
「もう分かったわ。外に出してあげるから私について来て」
彼女は端正な顔に優しい微笑を浮かべる。
「……最近、どこか身体の様子がおかしいことはない?」
アマルティアの言葉に、歩み寄ろうとしたローデリアの体が硬直する。
今日、体調を崩したことは教団の一部の者と晩餐会に出席していた者にしか知られていない筈であった。この少女はそのどちらでもない。
「……あるのね?」
少女は少し首を傾げて、ローデリアの反応を見ると言った。
「だとしたら何だと言うの?」
浮かべていた微笑はしぼんで消え、ローデリアは俄に目の前の少女に警戒を戻した。今度は胸の前に手を置いている。いつでも魔術を放てるようにするためだ。
「それは神々が人を呪うための力。今、歩けてるのはその力が病気を覆い隠しているだけ。でも、このままいけば最後にあなたは自我すらも失う。そうなれば、もう歯止めは効かない。そして、この海底都市は滅びるわ」
「都市が……滅びる?」
ローデリアはこの少女が不気味に思えて来た。
彼女自信も自分の力に得体の知れないものを感じていた。
歩けるようになったときは良かったが、練習も何もしていないと言うのに急に熟練した魔術師よりも強力な魔術を扱えるようになり、日に日にその威力も増している。
近頃は上手く加減をしないと力が暴れて、思った以上に強力な魔術が発動してしまう。
その事実の端々を結びつけると、この少女の突拍子もない話が真実であるという結論に収束していくように感じられた。
「でも、私ならその力を打ち消すことができるかも。私はあなたを助けたいの」
少女は優しく微笑むと歩み寄ろうとする。
ローデリアは胸の前に置いていた手を少女に向けて突き出す。
「馬鹿なことを言わないで! ちょっと眩暈がしただけよ。それくらい、疲れていればあることじゃない! そんな話、信用できるはずがないわ」
少女は首を振る。
「いいえ、眩暈だけじゃない。あの広場であなたが発した異質な魔力。あれはあなたにしかできないはず」
「……仮にあなたが言っていることが真実だとしたら、私に何をするつもり?」
ローデリアの内心は半信半疑になって揺れ動いている。
しかし、彼女の意思がそれを必死に否定していた。
「少しの間だけ、そこに膝をついて待っていてくれるだけで良いの。あとは私の力であなたの中にある『呪い』を打ち消せないか試してみる」
だけど、と少女は言う。
「もし、『呪い』の力が消えれば、あなたの体は元に戻ってしまう。あの動けない頃の体に……」
ローデリアは身を堅くする。
(なんですって? 元に……戻る?)
少女に言われてローデリアは忘れかけていた、あるいは忘れようとしていた感覚を思い出していた。
「私はあなたも救いたい。だから、真実を知った上であなた自信に決めて欲しいの」
自らを水神と名乗った少女は願いを込めた眼差しをこちらに向けている、まるで人々が神に祈るように。
ローデリアは絶句した。
幼い頃、立つことができなかった彼女は地面を這いつくばって生きた。その時の床の冷たい感覚がありありと脳裏に蘇ってくる。
今さらになってあの頃に、また戻れと言うのか。
胸の奥に存在しない心の質量が、身体の底へ沈み込むように感じた。
「馬鹿……言わないで……!」
ローデリアは震えた声でつぶやいた。
怒りに近かった。
突然、自分の何もかもを奪われる絶望。
失う恐れ。
体の中心でそれらが混ざり合い、怒りに近い感情を形成していた。
「そんなの信じない!」
ローデリアの身体の周りに金色の光のオーラが渦巻き始める。
暗かった部屋の中は、あっという間に煌々とした光で溢れた。
「嘘じゃないわ! あなたが……動けなくなっても……私が傍に居るって約束するから!」
アマルティアは凄まじい力と眩い光に顔を歪めながらも目をローデリアへと向け、必死に呼びかける。
「黙りなさい! それ以上その戯言を続けるなら、容赦しないわ!」
ローデリアの目に、はっきりとした殺意が満ちる。
彼女は部屋中に充満した魔力全体で今にもアマルティアを押し潰さんとばかりに威圧し、呼吸をすることすら憚られた。
それでも、なおアマルティアは退こうとしない。
「……もし、歩けなくなったら……私があなたの足になるから……手が動かなくなったら、私があなたの手になる……だから……」
「いい加減なことを言わないで!」
ローデリアは悲鳴にも似た金切り声で叫んだ。
「あなたにはわからないわ! 生まれながらに絶望の底で這いつくばって生きるしかなかった私の気持ちなんて!」
その部屋の外に一人の少女がいた。
日頃、ローデリアの身の回りの世話をしている修道女が異変に気がついたらしかった。
部屋のドアの隙間から眩い光が漏れ出ている。
中からは何か叫ぶ声も聞こえる。
「ロ、ローデリア様……!?」
怯えた少女はドアを開けずに呼びかけた。
「お願い! 誰か兵士を呼んで! ここに邪教の者が居るわ!」
ローデリアの声が響いて来た。
少女は息を呑むと慌てて廊下を走り、近くの兵士に伝えようとした。
廊下を下っていくと、ちょうど帰って来たカークス司祭を見つけた。
少女はカークス司祭に飛びつくと
「カークス司祭! ローデリア様が! ローデリア様が!」
と泣いた。
それを聞いたカークス司祭は顔面を蒼白にし、飛びついて来た少女を慌てて振り解くと、廊下を飛ぶように駆けてローデリアの部屋の前に立った。
「ローデリア様!」
扉を叩くが返事がない。
ドアノブに手をかけても内から鍵が掛かったままだ。
カークスは舌打ちすると、腰の剣を抜いて扉を縦に真っ二つに切断した。
部屋の中には、ローデリアが呆然と立ち尽くしていた。
「ローデリア様! お怪我は!? 何かされましたか!?」
カークスは聞くが、ローデリアは答えない。
「ローデリア様、何があったのです!? 邪教徒は……」
と部屋の端で開けっ広げになった窓の方へと駆け寄る。
窓の外を見下ろすが、見える場所に人影はない。闇に浸かった街が見えるだけだった。
ローデリアは立ち尽くしたまま、心が複雑な感情に満たされていくのを感じていた。
あの少女の言っていたことが、なぜか真実であると直感が告げている。
そして、今一度、絶望の底へと身を落とすことを考えると身がすくんだ。
最後、窓から飛び出す前に、こちらを振り返ってまるで懇願するように少女が言い放った言葉が、耳鳴りのように頭から離れなかった。
「お願い……信じて」




