43.羨望
「……そうだわ」
少女は思い出したように言った。
「私の存在は、あなたたち二人の秘密にしておいて欲しいの。私が自我を持つことは、私の創造主でさえ予期してなかった。私の存在が知れ渡ったら、今後の活動がやりにくくなるわ。あなたたちを助けるっていうこともね」
「へへ……うっかり言っちまわないように気をつけないとな」
ローリスは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「言ったら、あなた個人の金銭情報を改竄して『0』にするわ。それから気付かれないように治安軍のブラックリストにあなたの名前を加えて……」
「わ、わかった! 絶対に言わないから!」
少女の顔が無表情から笑顔に変わる。
「……あら、冗談よ? でも、言わないでもらえると助かるわ」
「ははは……な、なんだ……冗談か」
ローリスは強張った顔で笑う。
「ええ。でも、冗談で済ませるかどうかはあなた次第よ」
「やっぱり脅しじゃねぇか!」
⚪︎
「……それじゃ、お話はここまでにしましょ」
ローリスが秘密を守ることを固く心に誓ったところで、少女は言った。
「何かあれば、私に話しかけて。いつでもあなたたちを見ているわ」
「うん、ありがとう」
アマルティアは笑顔で頷く。
「帰りも、このまますんなり帰れるんだよな……? 治安軍に逮捕されたりしないか?」
ローリスが恐る恐る聞く。
「もちろんよ」
少女は頷く。
「あなたたちをここへ呼ぶために、この塔の名簿をデータベース上で少し弄らせてもらったの。それから、あなたたちに注目が集まらないように誤情報を治安軍の報告に紛れ込ませたわ」
少女はぺろりと舌を出してウインクする。
「先日、別のアクアリウムを騒がせた死霊術領域が中央アクアリウムで観測された、という誤情報をね。だから、まだ下は大騒ぎだと思うわ。あなたたちに構う余裕はないはずよ」
「やりすぎじゃないか!?」
「いいえ、ここの警備を手薄にするには、これくらいが適切よ。でも、それも誤情報と分かればすぐに収束するわ。その前にここから出て」
「行こう、ローリス」
アマルティアは繋いだローリスの手を引いて、部屋を出ていく。
少女は微笑ましく二人を見送った。
二人の姿が部屋から消え、静かな空間に少女の幻影だけが佇んでいる。
少女はおもむろに、空間に表示された自分の手を見つめた。
「いいな……」
ポツリと呟く。
⚪︎
「カークス司祭!」
しゃがれた老人の声が頭に響いた。
「大変だ! とうとう中央アクアリウムでも死霊術領域が観測された! それも第四地区だ!」
第四地区とは、水神教団本拠地の大聖堂がある区域にあたる。
「馬鹿な……」
カークスと呼ばれた男は、不審そうに眉根を寄せて呟いた。
男の長身を包む金の刺繍があしらわれた黒の祭服。
彼は水神教団の中枢部である九人の司祭の一人であるが、他の司祭に比べてはるかに若い。見かけは二十台前半くらいに見えるが、落ち着いた振る舞いからはそれほどの若さは感じられない。
漆黒のような髪の下から真紅色の瞳が眼光を放っている。
彼は今、プランクトスの座席に座っていた。人員輸送に使用されるプランクトスで、幅三メートルほどの船内に、十人はかけられるであろう長い金属製のベンチが向かい合っている。
周囲には、教団の関係者たちが座っている。ここ最近、各アクアリウムの教会へ神官ローデリアが巡礼を行っている。その帰りの道中のことだった。
彼の役目は、このローデリアという教団の最重要人物を護衛することだ。
カークスは席を立ってプランクトスの進行方向側、先頭にある薄い透明の操作盤に触れる。操作盤にアクアリウムを示す円形の図が表示され、ある一点に光点が表示されている。
カークスはその光点の位置を変更する操作をした。
「何か、あったのですか?」
その背後から、澄んだうら若き女性の声がする。金色の髪にヒスイ色の眩い瞳。年齢は、彼と同じく二十代前半くらいに見える。
ローデリアはカークスの異変に気が付いて、いち早く声を掛けて来たらしい。
「ご心配なく、少々行き先を変更しただけです」
カークス司祭は平静な顔をローデリアへと向ける。この男は何が起きてもこのような顔で、どんなに危険な状況であっても冷静さを崩さない。
それ故にローデリアは、彼の「心配ない」という言葉はあまり信用していない様子だった。
「今、誰かと通信を……」
と言い掛けたローデリアの言葉を、カークスが人差し指で制す。
彼は通信に意識を向けている。
「ーー司祭、如何なさいますか?」
先ほどの通信とは別に、無機質な男の声が聞こえてくる。
「他の司祭たちは全員、大聖堂に居るのか?」
「はい」
「では、俺が行くまで会議室に全員をまとめて護衛しておけ」
指示を終えると、通信を終了させる。
「カークス司祭、何が起きているのです? 説明して!」
近くで今しがたカークスの口にした言葉を聞いていたローデリアは詰め寄る。
可能な限り船内をパニックにするような手間は省きたかったが、説明せざるを得ない。
すでに周囲の教団の関係者は二人の異変に気がつき、全員こちらを注視している。
「中央アクアリウム内で死霊術領域が確認されたとの事です」
カークスはため息を吐きたい気持ちを抑えて平静に言う。
周囲の教団関係者たちから驚きの声が上がった。
「ならば、戻ってはなりません! ローデリア様が居られるのですぞ!」
船内の一人の男が声を上げた。
水神教を信仰する、ということとローデリアを信仰する、と言うことはニアリーイコールのような関係になっている。
生まれつき病弱の身でありながら、信仰の力一本でそれを克服し、造詣の深い魔術師と同等の強力な魔術を操る。そんな奇跡的な存在である彼女は、今や水神教団を象徴する存在となっている。
信徒たちが彼女へ寄せる信頼は、なかば信仰じみている。
「いいえ」
ローデリアの透き通った声が、船内に響く。
騒然としていた関係者たちは静まり返った。
「……戻らなくてはなりません。信徒の心の拠り所である大聖堂を襲撃されるなど、あってはならないこと」
「それならば、私たちも戻ります」
今度はローデリア付きの修道女が言った。船内のあちこちから「私も!」と次々に声が上がる。
「いいえ、到着したら、皆は船内に残ってください」
ローデリアは言った。
ちょうど、プランクトスが目的地へと到着したらしく、後部ハッチが開き始めた。
ローデリアはハッチまでゆっくりと歩いていく。
一同はそれを見守り、次の一言を待った。
「私のこの力は、水神様が私に教団を守る役目をお与えになったものと信じています。それならば、水神様は今日を生き延びる役目を皆にお与えになる筈……」
後部ハッチへと至ったローデリアは船内を振り返ると、安心させるように笑顔を浮かべた。その向こうから街の光が差し込んで来る。外ではパニックになった人々の声も聞こえて来る。
乗っていた教団関係者たちは目に涙を浮かべ、手を組んでいる。
「ローデリア様、どうか水神様のご加護を」
口々に教団関係者たちが言う。
「カークス司祭、良いですね?」
なかば強要するようにローデリアは、船内の先頭側に立ったままのカークスを見る。
(この女は……)
護衛する側の考えを汲みもしない。
「……承知しました」
舌打ちしたい気持ちを抑えて、彼の口が発する。
今回は文字数がそこそこ多くなりましたので一話のみの投稿とさせて頂きます。
次回は二話連続投稿になるかと思います。よろしくお願い致します。




