1.ローリスとゼノン隊長
治安軍。
海底都市セレーネにおいて、犯罪や暴動、住民同士の諍いなどから治安を守るのがこの治安軍の仕事である。
その中に、ローリスという十八歳の青年が居た。
彼は緊迫した表情で、目の前の男と向かい合っている。
ブラウンの前髪をかき上げて、後ろへと流している。
あらわになっている額から、一筋の汗が流れ落ちた。
青に染め抜かれた布鎧のギャンべゾン肩の部分には治安軍の紋章が描かれている。胸部と背中を覆う薄いプレート。どちらも耐魔法特殊加工が施されているが、簡素なもので、大きな魔法の直撃を喰らえば全く役に立たない。あとは、腕に肘から手の甲までを保護する金属のヴァンブレイズ、下半身は長い丈のボトムスに膝から脛まで金属製のグリーヴで気持ちばかり覆われている。
治安軍の平兵士に支給される防具はせいぜいこんなところだ。
対して、向かいの大柄の男は白銀の甲冑に身を包み、手足も立派な鎧で固めている。
大柄なだけあって、右手に持つ剣、左手の盾も普通の兵士が持つそれよりひとまわり以上は大きい。
兜は被っておらず、短く切りそろえた黒髪に蓄えた無精髭の精悍な顔つきの男は、こちらの動きをつぶさに伺っている。
先に、大柄の男が動いた。
ローリスは手にした槍でその剣を受け流す。普通ならばリーチの差がある分、槍の方が有利なはずだが、この男の手にした長剣を相手にするときは別であった。おまけに剛腕で、お互いに訓練用の武器とはいえ、まともに受ければ武器を真っ二つにされかねない。
男はすかさず左手に持った、大盾でバッシュを狙う。
ローリスは後ろに飛び退いて、盾の直撃を避ける。
勢いよく突き出された、自分の身の丈にほどもある大盾によって起こされた風圧が、ローリスを煽った。
刹那、青年は苦笑いを浮かべる。
(当たったらひとたまりもないな)
ローリスは少し体を沈めて後ろ足を踏ん張ると、男の左手にある大きな盾に隠れるようにステップを踏んだ。
一瞬、男はローリスを見失った。
頭に残る残像を頼りに剣を振るが、空を切った。
ローリスは男が剣を振る寸前に、盾の陰から飛び出していた。
さらに姿勢を低くして剣の下を潜りつつ、ガラ空きになった右脇へと移動して、槍を差し込む。
「ぬおっ!」
と男の声が漏れた。
(取ったか?)
ローリスが思ったとき、男は前に姿勢を崩しながら強引に身体を捩り、槍の軌道から逸らした。
脇に入るはずだった槍が空を突く。
同時に男が片膝をつきながら振るった剣が、ローリスの脇腹に向かってくる。
(嘘だろ!?)
ローリスの体は、まだ伸びきっている。
これはかわしきれない。
剣は脇腹の上でぴたりと止まった。
「俺の勝ちだな」
男は膝をついたまま、にやりとする。
「くっそ~、今日こそは勝てると思ったのに!」
日課の市中巡回でネオンの街中を歩きながら、ローリスは悔しそうに言った。
隣を歩く男、ゼノン隊長と同期の二十八歳、隊長補佐のマルティンが「いやいや」と手を振った。
「あのゼノン隊長に飛び道具の一つもなしで数分間やりあえるやつなんて、お前以外に居ないって。本物の化け物だぞ、あの人は。」
有事の際に身辺を任されている彼は、隊長の恐ろしさを身をもって知っていた。
「普通の兵士なら束になっても勝てない人だ。大して筋力もなさそうなお前が、なんであのゼノン隊長相手にあんだけやれるんだよ」
マルティンの問いに、ローリスは歩きながら考え込む。
「なんて言うか、力で優位な相手は、力を込めようとして大振りになりやすいんですよね。俺はいつもその隙をついてるというか……」
マルティンの人の利発そうな顔が、首を傾げて困り笑いを浮かべている。
「あるか? そんな隙……」
マルティン自身も近接戦闘の訓練で何度かゼノン隊長と組んだことがあるが、大体いつも隙を見る間もなく、地を舐めていた。そんなこともあって自分には剣の才能がないと思っているのか、今、彼の肩にはライフルが掛かっている。
「それが分かれば、苦労しないんだがな」
彼は頭をかきながら言う。
やがて、二人はアクアリウムの端へと至った。