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へなへなと足の力が抜けて、僕はその場に尻もちをついてしまった。今のは、何だ? 大人の男の人が、女の子に食べられていた。女の子は、間違いない。さっきのセニアという子だ。これは現実か? それとも僕がおかしくなってしまって幻覚でも見ているのか?
遡ること30分前。僕はセニアと別れた後、どうしても気になってこっそり後をつけてしまった。だって、あの少女、どう考えたって言動がおかしい。自分をまるで人間じゃないかのように言うし、見た感じ、同い年くらいなのに妙に落ち着き払っている……と言うより、感情が無いかのようだった。そして何より、あの子の髪が、僕が知る唯一の手がかりと言っても良い、「トウモロコシのひげ」のように見えたのだ。少し癖のついた、焦げ茶色の、この辺では見ない独特な髪質。セニア、一体何者なんだ。
尾行なんてするのは初めてだったが、意外にも気づかれていないようだった。セニアは暗い路地だろうと怖い人がいる店の前だろうと平気でスタスタと歩いていく。何となく、人気のないところをわざと通っているような気はした。時々、茶化したかのように怖いおじさんが「お嬢ちゃん、こんなところに来ちゃいけないよ!帰りな」などと声をかけるが、気のない返事をして通り過ぎていた。
ところが、とある男に話しかけられた時だけ、セニアの態度が違っていた—先ほど殺された、あの男のことだ。僕や他の大人への態度とは打って変わって、まるで甘えるような態度で、急に幼い声を出して応じるセニア。最初は、男がセニアの父親なのかと思った。でも、すぐに違うと気づいた。会話が全部聞こえたわけではないが、男のセニアを見る目が……うまく言えないが、妙に優しいのにそれでいて獲物を狙うような、血走った目をしていた。セニアはどうしてこんな男に懐いて、手まで繋いで一緒に行こうとするのだろう。僕はセニアが父さんの事件の重要参考人であるということを忘れて、二人を慎重に尾行した。
そして事件は起きた。セニアが、その脇の下から伸びる植物のツルのようなもので男をいとも簡単に潰して食べたこともそうだが、まず衝撃だったのは、セニアの体を男がいきなり触り出したことだ。まだセニアは僕と同い年くらいなのに、何故? この男はセニアにそういう気持ちになっているということなのか。僕が呆気に取られている間にも、セニアは男の汚い部分を無理やり触らされている。赤黒く膨張したソレにセニアの小さな手があてがわれているという光景は、そういうことを初めて目にした僕にも異様であることが分かった。助けなきゃ。そう思っていても、理解を超えた男の行動に、僕は声を上げることが出来なかった。
僕がやられているわけではないのに、恐怖で足がすくむ。視覚的な猛毒を見せられているようだった。こんな大人がいるなんて信じたくない。今すぐここから逃げ出したい。でも駄目だ。僕が逃げてしまったら、あの子は……セニアは、一生癒えない傷を負うことになる。最悪、ニュースに出ている事件のように殺されてしまうかもしれない。まだ知り合ったばかりでよく分からない女の子だけれど、僕が助けたい。
「やめろ」と力一杯叫ぶため、震えながら何とか息を吸い込んだ時だった。セニアの脇から突然緑色の植物のようなものが伸びてきて、男のアレがあっという間にセニアのソレに食われた。その後はもう、僕には理解できないいくつもの現象が起こり、小さく潰されて肉塊になった男がセニアに飲み込まれていったという結末だった。
「ヨースケ、あなた大丈夫?」
「うわっ」
地面にへたり込んで呆然としていた僕に話しかけてきたのは、セニアだった。
「ずっと私をつけていたわね。こうなるから帰った方が良いと言ったのよ」
「え……ばれてたのか」
「当たり前じゃない。少なくとも私には、バレバレよ」
セニアはそう発言する割に、僕に現場を見られたことを大して問題とも思っていなさそうだった。殺人の現場を見られたというのに、全く取り乱さずに相変わらずの喜怒哀楽が読めない表情で淡々と喋る。……ただし、彼女の着衣は先ほどの一件でかなり乱れてはいるが。
「セニア、とりあえず服を着て」
僕は後ろを向きながらセニアにお願いする。先ほどセニアの体のかなりの部分を見てしまったが、思い出してはいけない。それを想像してしまったら、さっきの男と同類になってしまう。
「あら、そう。分かったわ。人間はこういうの、気にするものね」
「……そう言うってことは、やっぱり君は人間ではないってことなんだね」
「そうね。見ての通り、私は人間じゃないわ」
「じゃあ君は一体」
「う〜ん、そうね。あまり自分が何なのかって考えたこと無かったけど、昔、私をこう呼ぶ人がいたわ。『食人植物』って」
食人植物。明らかに食虫植物が由来だろう。この前行った植物園でもいくつか展示されていた。ハエトリソウ、モウセンゴケ、ウツボカズラ……いくつかの種類を覚えている。いずれも甘い蜜の香りなどでハエやアリなどの虫たちを誘い込み、ネバネバとした粘液で動けなくしたり、落とし穴のような袋状の葉に誘いこんで出られなくした後、餌として栄養を吸い取る。「食人」となれば、食べる対象が人となるわけで、セニアのことを指すのには確かに的確な名前に思えた。
「それじゃあ君は、人間じゃなくて植物なの?」
「難しい質問ね。まあ、植物に近いところもあるわ。さっきみたいに、体からツルを出すこともできるし、人間を食べない時はお日様の光を浴びてお腹を満たしているのよ」
「ええ…そんなことが。君は、いつから人を?」
「覚えていないわ。でも、50人以上は食べているわね」
「50人……」
うちの県では行方不明者が多いと大人たちから聞いたことがあるが、その中にはおそらく、セニアの栄養源となってしまった人がいるのではないだろうか。僕は身震いした。
「あら、怯えているの? あなたは大丈夫よ。私が食べていい人間ではないから」
「食べていい人間? 食べていい人間とそうでない人間がいるのか」
「ええ、いるわ。さっきの人間は食べていい人間だったの」
「それは、どうして」
「う〜ん、どうしてなんでしょう? 私にもうまく説明ができないわ。とにかく、見た瞬間に分かるのよ。あ、この人は食べて大丈夫だって」
ほとんど無表情なセニアだが、食べ物(人間)の話をしている時だけは少し笑みを浮かべて、得意げに語ってくる。ちょうど人間が好きなスイーツの話をしている時のように。
「そしてそういう人間は、必ずと言っていいほど私の体を触ったり、写真を撮ったりするの。酷い時は、首を締めてきたのもいたわ。あれは何なのか私にも理解できないわね」
「もしかして、セニアは、自分に危害を加えてくる人間だけを食べていい人間として認識している……とか?」
「う〜ん、そうなのかしら。言われてみればそうかもしれないわ。あなたに言われて初めて自覚したわ」
「嫌じゃ、ないの?」
正直僕は、さっきの光景を思い出しただけでもキツい。しかもそれを何回も自分の体にやられていると考えると、セニア本人の負担は相当なものと思うが。しかしセニアは首をブンブンと激しく横に降って否定した。
「嫌なものですか! むしろ、餌がやってきたと思って毎回心踊るわ。だって、食べていい人間は、食べちゃ駄目な人間に比べてすごーく少ないのよ。だから私、すごく必死に毎日探しているわ。前なんて、半年も人間にありつけなかったこともあるのよ」
凄すぎて、どこまで受け入れたら良いのか分からない話だ。ここで、僕はあることに思い当たる。
「ねえセニア……聞いてもいい?」
「なあに」
「もしかして僕の父さんも……君がこの間食べた男の人も、食べてもいい人間だったの?」
恐る恐る聞いた僕に、セニアは躊躇いなく答える。
「ええ、そうよ。久しぶりの食事だったわ」
心臓が高鳴り、一気に喉の辺りが苦しくなる。僕の予想が正しければ、きっとそうだ。父さんはきっと……
「あなたに言われて思い出したわ。確かに、この間の食事……つまり、あなたの父親にあたる人間も、例に漏れず私の体を触ってきたわ。固そうなヒモで私の手足を拘束して、どこかへ連れて行こうとしたの」
もちろんそんなもの噛みちぎったけどね、とセニアは脇から伸びる触手を揺らして言った。
「その人間、ちょっと触り方に癖がある人間だったから覚えてるわ。優しく触ってきたかと思ったら、突然私を引っ叩いたり、噛み跡をつけてきたり、少し暴力的なところがあったわわね」
「……」
「あら、どうしたの黙り込んで」
「ごめん。僕には信じられない」
「嘘じゃないわ。人間と違って、私は嘘をつかないわ。……あらあなた、目から水が出ているわ。それは「泣いている」のね? 久しぶりに見たわ!」
「うるさい! 当たり前だろ。だって父さんが……」
セニアが100%悪気があるわけでも嫌味を言っているわけでもないのは何となく分かった。だけど、そんなことをいきなり言われて受け入れられるはずがなかった。
「何かの間違いなんじゃないの? 僕の父さんが、さっき君に食べられたあの男と同じだったっていうの? どうしてそんな酷いことを君は平気で息子の僕に言うんだ」
「間違いじゃないわ。人間ほどじゃないけど私、ご飯に関する記憶力は良いの」
「ご飯って言うな! 君が食べたのは僕父さんなんだ! 君には分からないと思うけど」
僕が泣きじゃくると、セニアは困ったように眉の端を下げた。
「そうね、ごめんなさい。人間の感情は複雑すぎて私には分からないわ。あなたではなく他の個体が食べられたわけではないのにあなたが怒る意味も、今あなたが目から水を流している行為も。……とりあえず、これ返すわね。さっき落として行ったから」
セニアは僕の手にメモ帳を握らせた。僕は咄嗟に彼女の腕を掴む。本当は有らん限りの力で握りたかったが、相手が見た目は細い女の子だからだろうか、つい力を緩めてしまう。だが、逃げるようなら絶対に離さない。
「警察に一緒に来てくれ。君のやっていることは犯罪だ」
セニアは逃げようとはしなかった。しかし、それはあくまで僕ごときの力では彼女を連れて行けないことが分かっているからだろう。彼女は僕に腕を掴ませたまま淡々と言う。
「ケーサツね。知ってるわ。でもそれは出来ないわ。ご飯を食べられなくなってしまうし、下手をするとお日様の光の無い暗いところに閉じ込められて死んでしまうわ」
「人を殺しておいて、何を言うんだよ」
「私はただ、食事をしているの。お日様の光も大事だけど、人間からもお日様からは得られない重要な栄養を取っているわ。ヨースケ、あなたはいつも何を食べているの? 人間も、虫も、猫も、何か他の生き物を食べて生きているわ。私の場合はそれがたまたま人間だったというだけよ」
一瞬反論に困ったが、すぐに僕は言い返す。
「人間の姿をした君が人間を食べるなんて異常だよ。君が食べた人間には、家族がいたかもしれない。大事な仕事があったかもしれない。そういうことを考えたことがある?」
「無いわ。ごめんなさい。私は家族のいない食人植物だもの」
何を言っても響かないこの感じに、もはや疲れてきた。すると、僕が気を抜いた一瞬の隙をついてセニアは僕の手をすり抜けた。
「あっ、待て!」
「ごめんなさい。でも、ケーサツが私を捕まえることは不可能よ。」
だって私は植物なんだもの、と言い終わった時には、セニアの姿は消えていた。まるで手品のように、瞬きした間に見えなくなってしまったのだ。
「セニア……? セニア! どこへ行った!」
僕が声が枯れるまで叫んでも、辺りをどんなに探し回っても彼女の姿はもう見えなかった。路地裏に残ったのは、名前も知らない雑草の群れと、夜の街で出たゴミだけだった。




