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椿月迷い出づゞ白い影

 陸王睦の田舎は、関西の田園地帯である。田園地帯というのは耳にいい言葉を選んだもので、山の中の盆地に作られた村が最初であろう、見渡す限り山の青、空の青、田畑には猪の蹄の跡がある、そんな農村部だ。フリーWi-Fiまで歩いて一時間弱。しかし対戦型スマホアプリはラグが無い。ほんの数年前まで過疎地だなんだと言われてきたが、のんびりと家の裏を耕す曽祖母は元気であるし、押し入れの一部を利用する大きな仏壇のある家は、睦には悪いものではなかった。

 冬は黄昏が早いから、と昼食を食べて直ぐに家を出た。昔は村一番の土地持ちであった家は靴箱がやたらと多いし、年末年始となれば親戚中集まって随分と騒がしくなるが、今日は餅つきの機械に曽祖母も伯母も構っきりだ。

 「来たよ。」

 曽祖母が拵えた巾着袋には、線香が入った茶色い筒、精米、ライターのお参りセットが入っており、途中の無人販売所で百円の仏花を買ってきた。聳え立つ石塔は二つ、一つは石塔の上部が尖った神式で、もう一つは苔むしかけた四角い石塔で、どちらも時代のかかった墓である。曽祖父の骨壷を収めてどれくらいであったか、と睦は墓石の花入を抜き取った。

 椎の実やどんぐりを踏み潰した先に有るのはこの村の墓地である。菩薩像のある六畳程度の小屋と、村々の家の数の石塔があるだけの、どこの田舎にでもある墓地である。曽祖母と来ると、あれはどこの家、これはあすこの家、と講釈とも独り言ともつかぬ解説があって、後継がいないから墓を共同に移動した家もある。

 花入を古屋の前の蛇口でそろそろ洗う。冬場はこれが辛いのだ。夏場は信じられないくらい面白い水遊びになるが、流石にこの季節に水遊びをする根性なんて育たなくて良い。

 線香は二本、精米をひとつまみ、曽祖母は米寿を超えて少女趣味であるから、お参りセットの巾着も時代遅れの愛らしさがある。花の裏表だけ気にする程度、華道も齧っていないから、なんとなく形になればいいのだ。

 「陸王睦、年末の挨拶に来ました。」

 親は来週にこちらに来る予定、睦は冬季休暇で先に田舎入りになった。線香の煙の流れが石塔の上部で掻き消えるから、きっと今夜は風が強い。睦が顔を会わせたのは、まずは曽祖父だ。丁度この秋七回忌であった。顔も遺影を見るとぼんやり思い出せる程度になってしまったが、悪態を豪快に笑ってかっ飛ばすような男だった。

 仏式の墓には睦の何代前なのか、所謂ご先祖様が骨を収めており、神式の墓には第二次大戦でアッツ島付近に沈んだ写真すら残らぬ親戚だ。線香が消えるまでは、曽祖父への報告の時間で、なんだかんだ、完全に農地を耕していた曽祖父は首を傾げるようである。そんな学問があるのか、英語なんぞわからんぞ、と矢張り無神経と豪快の間くらいで笑い飛ばすのだ。

 墓とはその家そのものだ。

 死んだ人の最終的な棲家だ。

 ちいさな骨になって、誰も彼も最終的には土の中だ。

 後継たる墓守がいないので引っ越しだって、さながらよくある事だとしても。

 「そこ、T田さんのお墓だったって聞いてるけど?」

 「ええと、そのはずなのだけれど。」

 白のマキシムワンピース姿の女が、ポッカリと空いた土地を見てる。後継が絶えたから、寺に共同供養を頼み、たま抜きを終えて、完全な空き地は二畳程だろうか、子供がごっこ遊びで家族をやるにはいい広さだ。

 「久しぶりに来たら、無くなっていて。」

 彼女は細面に睫毛の長い、抱き締めれば折れそうな、そんな女だ。睦はお参りセットとは別に腰に下げたシガレットケースから、煙草を一本、ライターを取り出す。

 「特養に一応いるらしいよ。」

 「とくよう?」

 「特別養護老人ホーム。農機具は町内会が共同で使えるようにしたの、T田さんでしょ。」

 T田は土地こそ少ないが商才に秀でた子供がよく産まれたらしい。段々畑の効率の悪さを農地改革し、トラクターや耕運機をこの村に導入したのはT田家だ。T田家がなければいまだにこの村は手で苗を植えていたかも知れない。

 「土地は、Kさんとこと、D田さんで折半して、Kさんは借地にするんだって。」

 田舎というのは大変に風通しがいい。曽祖母も睦と共通の話題がないから、あの家はこの家はと随分睦に教えた。

 「そうだったの……。」

 「一服やります?」

 煙草のボックスを向けると、女は、まあ、と長い睫毛を上下させ、とんでもないわ、と綺麗に笑う。

 「そう、D田さんとの喧嘩は終わったの。」

 「田んぼの水がどうのってやつ?えーと、何年前かな……。」

 くちびるに噛ませた煙草から、ゆらゆら白い煙が上がる。まるで線香の煙のように。カチ、カチ、と睦の左腕からは秒針が弾かれる音がする。墓参りだからと地味に選んだ睦の黒のハイネックではオニキスの石が輝いている。この時期はお八つ時に天然石はよくひかる。ブルゾンのファーに火が移らないよう、器用に細い灰を落としていれば、話題が尽きる。

 「そう、喧嘩はもう、していないのね。」

 「してないみたいですよ。ばあちゃんに聞いた限り。」

 「君はどこの子?」

 「陸王っす。」

 「あら、絵描きさんのいる家ね。」

 細い頬に彼女は手をやって、近所の子供を微笑ましそうに見た。白のマキシムワンピースは細身の彼女によく似合っているのに、その裾に見える踝は酷く寒そうだ。

 「いい靴ですね。」

 「そうなの!」

 ベージュのベースに桃色のラインストーンが帯状に並び、ラインストーンと同じ色のリボンがあしらわれたローヒール。つま先に向かって徐々に色味が深くなっている靴は、一つの汚れもなく、椎の実を踏んでいないしどんぐりも蹴っていない。

 「しきび、と、鶏頭でいい?もっと華やかなのがいい?」

 「榊はいいわ、そこの鶏頭をちょうだい。」

 そこの、と彼女の細い指先が示したのは、墓地の奥にある芥場だ。古くなった花や途中で折れた線香が破棄されており、古くなった花がそのまま芽吹くこともある。鶏頭と三角草がひょろひょろと生えている。お参りセットの中には花の高さを揃えるための植木鋏も入ってい、なかなかあれば役に立つのだ。一等に高い位置にある鶏頭の花は赤に近い橙色。確かに鶏冠のようである。だから鶏頭、と睦は鋏を入れながら考えた。

 「じゃあ、えーと……。」

 鶏頭を一輪、彼女に差し出した睦は、どうするか逡巡する。

 「ここに、置きましょうか。」

 彼女の心配したT田家は、もうないのだ。墓すらないのだ。生きた人が参ることもないし、死んだ人が入る事もない。寺の拝みは見事なもので、もうそこは真っ新な、新たしい墓が入るための場所だった。その大きな家があったと思われる、屋敷の、門の前なんて、睦はレポート作成のフィールドワークでしか見たことがない。

 鶏頭が供されたのは墓の前に当たる場所。他の墓の邪魔をしない、老若男女集まって世間話に興じる縁側のような場所。

 「ありがとぅ、ねぇ……

 風で蝋燭の火が消えるように、彼女は消えた。

 音も立てずに、お礼だけ述べて、白いワンピースに綺麗な靴に、痩せ細った体で綺麗に微笑った。

 「どういたしまして。」

 睦はその場で小さく頭を下げた。鉄線細工に彩られたオニキスを指先で転がし、完全に燃え切った煙草は携帯灰皿に押し込んだ。線香はもう一分持つかどうか、寒いなと考えると、誰かの手がブランケットを被せようとするが、それでは恩が勝ちすぎる。この墓地の中央には、昔は大きな銀杏の樹があった、と伯母は言っていた。おそらくこの墓地の首領のような存在であったのだろう、夏場はいい遊び場であったとも語られた。

 陸王睦は少し変わった子供だった。生きた先に死ぬことを知る年齢になっても、墓場を怖がらず、寧ろ墓場で遊ぶような子供だった。両親が離婚する頃には、生きている人と死んだ人の見分け方を身につけていた。陸王家に過去にそんな人はあったかどうか、居たかどうか、しかし本を読むことが好きな親の子は本を読むのが好きだろう。自然な事である。

 「そんじゃ、また、お彼岸に来ますね。」

 睦は、また来いよ、と曽祖父が膝を叩く様子に苦笑しながら、実に気軽に手を振った。曽祖父が曽孫を心配しないように、折を見て、話をして、そうして帰る。冬の夕焼けが近づいている。轟々と遠くで音がするから、雨戸を閉める手伝いをしなければ行けない。

 「ねえ、むっちゃん、つぎは、あまいの、もってきて?」

 「了解、大祖母さん。」

 陸王睦は、死んだ人と話ができる。




この物語はフィクションです。

現実の人物、団体とは一切関係ありません。

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