【ニ章完】琴箭、家門をくぐりて顔をほころばせ、月塊、東西に意を走らせること
はたして彼女らの出会いには意味があったのか。琴箭は付託に応えられなかったのか。
それは一概にはいえない。
ただわかるのは、琴箭と月塊。このふたりが太賢良師の真の姿をみ、その願いをはたした、ということのみである。
于吉の言をかりるのなら、乱は起こるべくして起こった。
ただそれは本来の完全な形ではなく、その原因は、張角をなのった張易本人だった。
月塊という存在をしった彼は焦って命をけずり、琴箭がいたから、太平要術の奥底に秘められたものを見逃した。
結果、官軍をおおいに苦しめたであろう仙術も亜流のものに過ぎず、乱は急速に勢いを失ってゆく。
話を琴箭一行へともどそう。
過日よりの案どおり、冀州をたった一行は南下し、濮陽へとはいった。そのままこれに従うのなら、そこから黄河に沿って遡り、中牟あたりから舟で順に陳留、彭城、広陵とくだる、という流れになる。
だがいかんせん時が経ちすぎていた。月塊は迷うことなく、奥の手をつかうことを提案した。
許昌。
盤の大旦那は、見送りの門口にたち、驚き半分、呆れ半分といった具合に月塊をみつめた。手には槽の手綱が握られている。
「本気か。わざわざ私に、驢馬一頭を呉まで送り届けよと?」
「しゃあねえだろ。ソイツも約定のうちに入ってんだからよ」
盤はふう、と端正な顔立ちでため息をついてみせる。
「わかっていると思うが、前回で君への借りはなくなっている。そして今回だ。いま、君は私にかなりの貸しが出来ているが······」
月塊も、フンと鼻からの息で応える。
「わかってるよ。チビを送り届けたら、テメェの頼みを借り分聞いてやらぁ」
ならば結構、とばかり盤はうなずく。
「それにしても」
盤は涼し気な瞳でちらりと月塊を見定めてから笑んだ。
「君がちいさな命を憐れむか。仙境での修業で善心に目覚めたかな?」
「ありえないね。この許昌のボロ瓦がひと月でそっくり入れ替わるくらいありえねえ」
「おもしろい。いいだろう、賭けようか。もっともその喩えでは、私に有利とでるだろうね」
謎の自信をみせ、盤は槽の身柄をひきうけてくれた。
置いていくには忍びなかったが、琴箭にしても、とにかく急がなくてはならない。冬に追いつかれてはさすがに命にかかわる。槽にはここでしばらく休んでもらって、元気になってから戻ってきてもらおう。
ふたたび月塊におぶわれた琴箭は、一直線に──言葉に違わず──呉をめざした。
月塊は風を切り、猛烈な勢いで駆けた。あまりに疾いので琴箭は寒さをおぼえて、もうすこしぴったりと月の背にくっついた。その背から、これでも抑えてくれているのだ、という気遣いが伝わってきた。
そうするうちに、ほんとうに月塊は許昌から呉までの道のりを、二日ほどで駆け切ってしまった。
その日の夕。月塊の背からおりた琴箭は、なつかしき我が家の門をくぐり、戸口にたって出迎えてくれた父、伯昭にただいま戻りましたと挨拶をした。
ほんとうは飛びつきたいほど感動したのだが、この旅をへて自分も大人になったのだ。そうおもい控えておいた。
父娘が睦まじい様子で扉の奥へきえると、月塊は大きく伸びをして、ハーッと息を吐く。
ここ呉の地にも確実に冬は近づいているようだ。旅立つ前よりもいくぶんか大気が冷えた。月塊は輝きはじめた星をぼんやりと見上げ、首を二、三度ポキポキと鳴らした。
「さって、と。俺は盤のオッサンに借りを返さねーとな。その後は······」
にわかにその眼が鋭さをおびる。
「探しもん再開だ。ったく、どこに潜り込みやがった······」
南にはいない。北にもそんな気配はなかった。
「だとしたら東か、やっぱり西か······絶対に逃さねぇぞ、あの下衆仙人······ッ」
「ごめーん、忘れてた。ねえねえ、アンタも食べてくでしょ?」
琴箭はあわてて戸口へとひき返した。だがすでに月塊の姿はそこにない。
「なによ、お別れくらい言ってったらいいじゃないの······」
すこし拗ねてみせてから、琴箭はあかるいため息とともにそのモヤモヤを吐き出す。
まあ、いいか。また会えるよね······
琴箭は戸口へと戻ると、闇のなかへどこともなく告げて扉をしめた。
「またね」
おわり
お読みくださいまして、まことにありがとうございました。
今回の投稿をもって、「月琴伝」第二章の完結となります。
気ままに進めるうち、いつの間にかオッサンたちが乱舞するという、謎なお話になってしまいました。
相変わらず三國志感はほぼゼロ。なにより華がね〜。
つぎこそは、なんかこう軍勢的なものを······
というわけでして、まだこのお話はしつこく続けていくつもりではおりますが、いったん、ここでひと区切りとなります。
つたない今作にお付き合いくださいました皆様。
たいへん、ありがとうございました。




