月塊、于吉とおおいに腕をくらべ、琴箭、太平要術を天に還すこと⑥
于吉はふらつきながらも息を整える。
まだ大丈夫だ。「狼煙」はあがっておらぬ。まだ小娘は例の場にはたどり着けていないのだ。まだ間に合う。
『どこ行く気だ?』
文字どおり地の底から響く声に、于吉はぎくりとして、かえす踵をとどめた。
「っ!」
ハッと悟って身をそらす。刹那遅く、その下から戟の穂先が地を破って突き出、すんでのところで于吉の髭をかすめるに終わった。
「ぐ······おッ」
体勢を立て直そうとつとめるが、不意を突かれたことで身体の反応に瞬時の差が生じた。
ッおのれ────ッ!
さながら竜に食まれるがごとく、于吉の全身を無数の戟が貫いた。
ボコリ、と地面がわれて、月塊が這い出てきた。刃先に捕まって身動きのとれぬ于吉に歩み寄りながらのたまう。
「勝負ありだ。いいかげん降参しな」
于吉は恨み骨髄といった眼で月塊を睨みつけていた。が、にわかにニヤリとやった。
「何年生きようとしょせんは化物よな······」
バラバラッ、と彼の全身が白く散り崩れる。驚く暇もあたえず、背後から彼の頭を狙った護符刀の重い一撃が、今度こそ入った。
ゴスゥゥゥンッッ!
大気をすら震わせる手応えに、于吉は確信した。
「儂の勝ちじゃ! ······?」
月塊は倒れもせず、膝すらつくことはなかった。黙したまま、受けたままの恰好で立ち尽くしている。
「······わりィがよ。そのテはすでに見飽きてんだよな」
たしかに于吉の一撃は砕いていた。が、それは彼の頭ではなく、その手にある戟一本を、であった。
「!」
「しまいだ、ぜッ!」
素早く懐にすべり込んだ月塊の拳が于吉の腹を撃った。
残った護符刀がくずれて紙束に戻ると同時、于吉はどさりと大地に両膝をついて座り込んだ。
「············こんな、妖風情、に」
「そういうテメェはどうなんだ? ほれ、飛んで逃げねえのかよ。あの頑丈さはどうした? 泥人形は? もっと打ち合おうぜ」
于吉は応えない。月塊は苛立たしげに牙をむき出す。
「······やっぱりな。詰まんねェ所で仕掛けちまったもんだぜ······!」
そもそも、仙人でもない于吉に、剛力鋼体な月塊と互角に打ち合えるだけの肉体はなかった。
それが成せたのは、あくまで己の領域であった養春山のうちであったからである。
永年心血をそそいでつくり上げた蔵に蓄えた力の援けをかりてこその業だったのだ。とはいえ、その埒外でもこれだけ暴れられたのだから、その実力は充分といってよいのだろう。
「お······の······れっ」
震える手を延ばしてくる。
もはやその腕にはなんの脅威もないことは明らかである。月塊は仏頂面のまま払おうともしなかった。その指先が弱々しく腹のあたりにかかった。と、
「フンヌッ!」
急に勢いづいき、それは月塊の横腹を深々とえぐる。
「······戯けが! やったぞ! 己が基をさらに遡り、土へと還るがいい!」
昏い眼を見ひらく于吉の腕から、怪しげな光が月の身体へと流れ込み、なんと足の先からみるみる溶け、泥へと変じていく。
「カッカッカァーッ!」
だが、
「あー、やれやれ」
つぶやいた月塊のあまりに冷めた声音に、于吉は驚いてその表情を仰ぐ。
「言ってんだよ、俺は。終わりだってよ」
足から溶かされ、泥へと戻りながら、それでも月塊は異様なほどの落ち着きをみせていた。
掌底をゆっくりと構える。その手は不思議な、月の光にも似たゆらめきに彩られている。
フーッと静かに息を吐くと、
「フンっ」
トンッ、と于吉の額をつく。瞬間、その全身から押し出されるようにして、白い靄が背後から抜け、霧散した。
「────」
信じられないといった表情のまま、呆けたように天を仰ぐ于吉の姿は、白髪紫髭の老爺へと戻っていた。




