于吉再来し、小賢、墜ちること⑤
振り返ると、大きな陰がザバリと水を割り、なにかを岸に押し上げようとしていた。琴箭はあわてて駆けよると助力する。
尻から倒れ込むようにして引き、なんとかそれを岸にひき揚げた。
息を切らせながら仰向けから四つん這いになると、いまだうつ伏せの男をなんとか仰向けにしてやった。
「!」
おもわず息を呑む。
それはひどい傷をおった小賢だった。おそらくは滝壺の底で切ったのだろう、身体のあちこちから出血している。その痛ましい姿からも、あの轟音をうちたてる水底の岩がいかに鋭いのか、そして落ちたものをかき回す渦の支配がどれほど強力なのかがみてとれる。むしろ、手足がちゃんと残っているだけましだったのかもしれない。
「カボッ」
「小賢さんっ」
自力で水を吐いた小賢は意識もあり、ゼーゼーと荒い呼吸をしてはいるが、目は開いている。
「良師様っ」
琴箭がよって身体をゆさぶると、良師はうう、と唸った。こちらもひどくは水を呑んでいないらしかった。ただ、痛々しいのは小賢と同様で、衣は裂け、あちこちから出血している。なかでも両脚のくるぶしあたりにある傷は深く、いったい何で切ったらこうなるのかと思わせるほどであった。
彼女はみずからの袖を裂くと、気休めとは知りつつも、それを巻いてやる。
「······どうして。なんでこんなことに」
なすすべなく呆然とする琴箭。小賢がなにやら呟いた気がした。
駆けよると、口元に耳を近づける。
「い、やだ。俺は······まだ、死にたくな、い」
両目を見開いて呟くのである。琴箭はゾッとした。
「ぐあおゥッ!」
にわかに苦しみだす。その全身から、白い煙のようななにかが宙に流れ出すのがはっきりと見えた。
限界がきたんだ!
思考よりもはやく、直感がそうだと告げる。
「小賢さんっ、小賢さんっ、しっかりして!」
小賢は地面をのたうちながら、自らから抜け出ようとするその何かを必死で繋ぎとめようともがく。苦しい。いや、もはやその感覚さえなくなってきた。抜ける、残された命が、時間が抜けていく────
ピタリと、苦しんでいた小賢がうつ伏せのまま止まった。すわと琴箭が青ざめたが、表にまわると、まだ息はある。だが、まるでその息をするのを忘れたかのように、その瞳はただ一点を凝視している。琴箭がその視線を追うと。
いまだ意識をなくして倒れ伏す太賢良師。その左腕に紐でまかれた木鈴──
「······駄目······それは駄目だよ。小賢さん······」
息がつまり、声がかすむ。小賢にではない。みずからの思いつきに嫌悪した。
だがそれを合図のように、いままで倒れていたとは思えない猛烈さで小賢は起き上がり、良師の左腕に殺到する。
「駄目ッ!」
「どけぇッ!」
おもわずむしゃぶりつくが、小賢からながれだす白い靄にはじき飛ばされる。
軽々と吹っ飛ばされた琴箭は草地にしずみ、静かになった。
「へ、へへ······」
ゆらりと、太賢良師の護符を手に小賢は立ちあがる。それを首にまいてとめると、流れでていた白い靄もピタリと止まる。替わるように、常人より早まった時の流れで、傷がじわじわとふさがっていく。
倒れ伏した師を一顧だにすることなく、そのまま小賢は、フラフラと丘を下って消えた。
「ええい! いい加減にせぬか! 時の変わり目たる交代劇を見逃してしまったではないかい!」
猛烈な勢いで襲いかかる拳や蹴りを、于吉はいなし、かわす。
小娘を気遣ってか、意識的に自分を後ずらせる化物のせいで、先程の地点からかなり離れてしまった。
それにしても此奴、凄まじき適応力だ。我が仙境でこれほど速く業を完遂するとは。たんなる妖にしては度が過ぎる。
「オラァッッ!」
月塊が繰り出した拳が、またもや身体の芯に迫る。于吉はたまらずそれを受ける。まるで不可視な壁でもあるかのように、その拳は若干柔らかさをともなった感触に受け切られる。
「そっちこそいい加減オネンネしたらどうだ! ジジィはそろそろお疲れだろーが!」
「抜かせ! 儂はまだ百そこそこよ! 主よりはるかに若かろうて!」




