于吉再来し、小賢、墜ちること③
珍しいことに、良師が全速力で野山をかける。一見堅太りしてみえる彼が腹をゆらして走る様は、さながら猪が野を駆けるが如くだ。琴箭なぞはとても着いていけないので、彼に小脇に抱えられるようにして運ばれる。
「あやつは儂が与えた試練をすっとばして、いきなり最後のやつを試す気なのだ」
「それっ、は、いっ、たいっ、どういった?」
「流れ落ちる滝のうえから麓まで、両の足のみで歩ききる。それが最後の修行だ」
琴箭は想像してみる。
まず水の上をあるくという点からピンとはこないが、それを仙人の業というのならわからぬでもない。そしてきっと、池のように静かな水よりも、波立ち、激しく動く水の上を歩くほうが難度は高かろう。
さらにくわえて、滝の降り口からはそれと垂直に、滝壺に近づくようにして下っていかねばならぬ。その心圧は相当なもののはずで、進めば進むほど、あと少し、というほんの微かな気のゆるみも、甘い罠となる。
「あの滝はああみえて気が荒い。滝壺の内は岩だらけだ。あやまって墜ちれば命はない!」
小賢は、まだ膏薬をはりつけた包帯もそのままの痛々しい身で肌脱ぎとなり、水のなかに入った。春の気候とはいえ、その水はやはり、透明度におうじて冴えて凍みる。
小賢はふうっと息を吐いて、集中する。口内でなにやらたえずつぶやきながら、さらにそれを高めていく。
ゆったりと片足を上げ、踵からそっと、足の指で水の腹を撫でるように着水する。
と、ふわりと身体が浮きあがった。
おなじようにもう一方も水にのせ、彼は完全に水面のうえに直立する。
みずからを劣才と卑下する小賢だが、環境にたすけられ、生真面目に修行にとりくんだこともあって、並ではないほどの術は、すでに身についていたのだ。ただ、彼の憧れはさらにその先にある。
バサバサと音高く、良師は近道とばかり藪をつっ切って滝の麓ちかくに躍りでる。
カッと目を見開いて天を仰げば、小賢は流れにのり、いましも滝の口にさしかからんとするところだった。
「小賢さんっ、無茶しないで!」
腕のなかから降りた琴箭が声をはりあげるのを、良師はあわてて抑える。
「いかん、もはや業に入っている! 奴の集心を乱してはならぬ。目の端にもはいらぬよう下がるぞ」
ゆっくりと、滑るように小賢は滝の口までやってきた。足の裏は心地よく水につき、いくばくも危うさを感じない。
やはり俺の直感はただしかった。今日はすこぶる調子が良い。これならいける。今をおいて仙人の力を、資格を手にする機なし!
静かに、やや長く呼吸をたもつ。はるかに開けた視界からは、空も鳥も、山の緑もすべてが見渡せる。その景色がすうっと頭の後ろのほうへ下がるとほぼ同時、若干の浮遊感のあと、身体の前にのしりと重みがのった。
小賢はそこでぴたりと止まり、はるか下に煙る滝壺を直視した。とてつもない水の嵩と落下の勢いによって、そこは真っ白く霧につつまれよく見えぬ。それが逆に恐怖心を薄らがせた。
一歩踏みだす。足は変わらず水についたままだ。いける、もう一歩!
────────水の冷たさを感じたのは足裏ではなく膝であった。
「小賢さんッッ!」
「ぬおぅううんッ」
良師が吠えた。
セリフを修正しました。




