于吉再来し、小賢、墜ちること②
太賢良師はかさねてあった山の葉の裏に、薬硯ですった薬を塗り、うつ伏せにさせた小賢の肩や背中に貼った。
「それを用いて何とする。あんなものでは民の苦しみは癒されはせぬ」
「······だが無知なものの横暴は正せます」
「正してなんとする」良師の声には、若干焦れた感が混じった。
「いったい主は何がしたいのだ? 民を救いたいのだろう。ならば、左様なことは忘れよ。励むのだ、嵐を起こす術よりも慈雨を与うることに専念するのだ。それが主を仙へと近づける」
小賢は押し黙った。あれほど慕い、敬っていた師匠の言葉が、なにやら誤魔化しのようにきこえる。
使えるのなら使えばよいではないか。祓って、そして護ればよい。みずからの羽根の下にきたる者らを護るのに、なんの躊躇があろう。
······やはり、師匠は俺の才に見切りをつけている。ていのよい分身としかみておらぬ。
治療をおえて良師がさり、暗くなった天井を、小賢はいつまでも睨みつけていた。
ドン、っとなにか弾かれるような衝撃があって、老人は二の足を踏んだ。
「む。あやつめ、勝手にいじくりおったな。相変わらず用心ぶかいことだ」
袂から一枚の紙片を取りだすと、そのなにもないであろう宙にぺたりとそれを貼りつけ、なにやら口内でモゴモゴいった。
少々の気を入れてその紙片を指先ではじくと、紙片はまるで夜明けの光に溶けるように、大気へ滲んできえる。
紫髭をなびかせ、于吉はニヤリと嗤う。
ふたたびその空間に手を突っ込むと、こんどは拒まれることなく、その右手は透明な穴のなかに消えた。
と、わずかながらその透明な幕がゆれたかとみれば、まるで呑まれるように于吉の腕に集約していく。怪しげな燐光が彼の全身を満たしていく。
長く伸びていた眉毛は縮んでいき、よりその鋭い眼光を際立たせる。白い髭はグッ、グッと巻戻るように短く、艶めいた黒さをとり戻していき、曲がった腰はいつしかすっくとのびた。痩せ細った身体には肉がもどり、在りし日の壮健さをみごとに再臨させる。
「さあて、世にも稀な見物。とくと興じようぞ」
養春山はいつも決まった頃に日が昇る。
それもそのはず、季節はつねに春であり、おなじ春の中でも一応の時節の変化はあるものの、春が終わらんとすれば、またつぎの春がやってくる。
そんな朝日のもとを、まだ暗いうちから小賢の様子をみにいっていた琴箭が、転がるように駆けてくる。
離の扉をはげしく叩くは、なにやら尋常ではない様子。たまたまいた太賢良師が何事かと扉を押し開くと、勢いのついた琴箭が胸のなかに飛びこんできた。
「どうしたどうした。いったい何をそんなに──」
「大変なの!」
琴箭はひと息に吐きだすと、おおきく息を吸いこんで言った。
「小賢さんが、滝の上にッ!」




