小賢、世の理に憤ること③
どれくらいそうしていただろうか。
涙も声も枯れつくした小賢は、ふらふらと力なく立ち上がった。
「どうするつもりだ」
間近で唐突に声がした。だかいまの小賢には驚くには値しない。
「······知れたこと。県令殿にこの処罰をつけてもらいにいくのです」
群青に染まりかけの空を背に、于吉は嘆息していう。
「判らぬか。これはその県令の命によってなされたことだ。死ぬぞ?」
「結構! あんたは俺が仙人にはなれないという! ならばひと口でもふた口でも、連中に噛みついてやる!」
「······いい加減目を開け。そんな行き当たりの怒りなど無駄だ。主が決しさえすれば、もっとおおくのそれを彼奴らにぶつけ、世を変えられるというのに······」
「黙れ!」
小賢は腹から声をしぼり出すと、脱兎の如くに駆けだした。
「だから通してくれ! 私は太賢良師だ!」
県城の壁門までたどり着いた小賢は、ちょうど門を閉じようとしていた衛士どもに進行を止められた。
「ええい、ならぬといったらならぬ! もはや刻限だ、去れっ」
どれだけ自分は県令殿の知己だ、医者だといっても一向きかぬ。職務に忠実なその衛士は、はなから小賢の汚い形貌を見下し、信用していなかった。
「一回でいい! 県令殿に取り次いでくれ!」
「いい加減黙らぬか! お前のような下郎が県令様と知り合いのはずがない! これ以上無礼な口をきくとこうだぞ!」
いって、持っていた槍の柄で、小賢のふくらはぎをしたたかに打ちすえた。
小賢はおもわず呻いて膝を屈したが、それでも眼光するどく衛士を睨みあげる。
「頑固な小童どもめ······後悔するぞ!」
「なにをッ!」
彼の恐れ知らずな態度に、衛士たちは完全に頭にきた。ふたりでもって、彼を意識を失うまでしこたま打ち据えた。
もう夜も更けようという頃。
つめたい月が宙空に顔をだし地をほのかに照らすなか、ゆるりとあゆむ一頭の馬の背に、身を屈めるようにして男はいた。
ただ一心に前方を見すえながら、彼がは馬にまかせて養春山への道をあゆむ。
············おのれッ、おのれッ! 県令に意見するどころか、たかが門番ごときにこのような辱めを受けようとはッ。病の民をすくおうとしたッ。俺は正しい、俺のほうが正しいのに!
俺が仙の力を持ってさえいれば! 結局はなにも救えぬ術なぞではなく、奴らを罰するだけの力をもってさえいれば············ッ!!
「ねぇ月塊、どこ行くのよ。はやく元に戻る方法考えましょうよ、ねえ」
今夜は徹してでも知恵をひねり出そうとした琴箭だったが、とうの白虎月塊はどうにも協力的ではなかった。
のそりと起き上がると、いつもの習慣とばかり、戸口へとむかう。それを追いかけて扉をあけてやりながら、琴箭は唇をとがらせた。
月塊はそれを、やれやれといった具合にみて、欠伸をひとつ。
そのとき、前方の暗闇からぬっと、いまの月塊にも劣らぬおおきな影が姿をあらわした。
まったく、何度みても慣れない。いいかげんこの月塊で耐性もできそうなものだが、さすがに飼われているのと野生のそれでは話が違う。
橙色をした虎が、こころもち殊勝げな様子でそこにのすっと座った。とたんに月塊白虎はうんざりするような顔をし、耳と瞼を寝かせる。
それでもむこうの虎は懲りぬようで、しぶしぶ出ていく月塊をおい、尻の方に手をかけたり、横っ面に身体をすり付けたりしている。
「驚いた。アンタたち、いつの間にそんな仲良しになったの? あれ? ひょっとしてあなた、女の子?」
ガル、とまるで物の分かっているように、虎は琴箭にむかってないた。
へえ〜と感心する琴箭。その隙に、月塊はいいかげんにしてくれ、といわんばかり、ウゴルとか唸って、だっと駆けだす。あわてたように橙色のほうがその跡を追って消えた。
「やれやれねえ」
琴箭は不肖の息子をおくりだす賢母のように、腰に両手をあてて嘆息した。と、そのとき。
突然馬の嘶きがきこえたかと思うと、ドサリとなにか重たいものが地面に投げだされる音。
何事かと駆けよった琴箭は、ひと目見て顔色を変えた。
「ちょっと! どうしよう大変ッ! 月!」




