小賢、太平要術をぬすむこと
というわけで、二本めです。
師匠が俺を見捨ててるだって? 世迷い言を。あんなに俺を気遣ってくれるお方が。
小賢は養春山にむかって馬をとばした。
陽は西にとっくに傾き、せっかくの錦繍の山々の装いも、みなひとしく濃紺に沈もうとしている。小賢は疑念と不安に呑まれるのを怖れるように、乗騎にハッパをかける。
師匠が琴箭に太平要術を読ませたって? だからどうだといいたいんだ。いいじゃないか。大体仙道の修養をつんでもいない子供になにがわかる。師匠も稚児かわいさに戯れにそうしただけで、深い意味なぞあるはずもない。
「······」
だが、それは抜きにしても、俺の才に疑問をもっているという言は、少なからず無視はできない。その証拠に、木鈴をつけて修行することを奨められた。
この俺にほんとうに仙人になる素質があるのなら、生命をかけた本気の修行で、その素質がはっきりしないわけがないだろう。
そう。はっきりしないわけがない······
「ええい!」
小賢は大声で煩悩を制圧する。
「とにかく俺が才の証をたてればよいのだ! そうすれば、師匠も修行をつけて下さる!」
そのためなら、あの山に残るためなら何だってしてやる。
庵へと帰り着いたのは、とっぷりと暮れた頃だった。
小賢は厩に馬──治療の礼にと贈られた──をつないで、秣と水をあてがう。隣の馬房には槽がおり、やはりしずかに干し草を食んでいた。こいつがいるということは、琴箭もいる。
だが庵はすでに真っ暗だった。どうやら眠ってしまったらしい。そう思って、己も普段つかっている滝傍の庵へとむかおうとすると、暗闇からいきなり、ぬっとでかく白い塊がでできた。
それはおおきな白虎であり、つまり月塊である。
そう解ってはいても、山中、暗闇で虎に遭うとか、そんな場面に慣れるということはとにかくない。
「なんだ、お前か。いい加減忍び足はやめろ。ほんとに畜生になる気か?」
小賢の悪態に、グルルと唇の端をめくりあげて唸ってみせてから、月塊はだったと地を蹴って、あっという間に闇の向こう側へと消えた。
「チ、これだからバケモノは······」
小賢はその姿をおった目を、庵へともどす。そこは相変わらず真っ暗で、静まり返っている。
その向こう、離の側にも明かりはない。太賢良師も休眠をとっているのか、それともまだ戻っていないのか。
小賢はしらず、足音をしのばせて離の表にたった。
「······師匠、おられますか? 小賢、はいります」
そっと声をかけて、戸をあけた。中には誰もいる様子はなく、そもそも夜具なども部屋の隅につまれたままで、もう何日も使われていないらしかった。
小賢は、さすがに喉を鳴らして一瞬ためらったが、すぐに意を決して図太く奥へとすすんだ。于吉も曰く、小賢の天分とは、この腹括りの良さであるといってよかろう。
書棚に近よりいくつかみてみるが、どれも違うようだった。
埒があかぬ。
小賢は大胆にも机のうえにあった燭台に火をともし、注意しつつ室内をさがすと、書棚のかげに木箱が置いてあるのをみつけた。
とてもよい香りのする箱で、これで虫を除けているのだろう。
蓋をあけると、意外にも少々粗雑に、十巻ほどの巻物が納めてある。一本とり出して、火にかざしてみる。
「······あったぞ。こ、これが太平要術か············」




