月塊、白栗鼠となり、琴箭、太平要術にたいすること
「昨夜、離にでっかい猿がでてなぁ」
朝。母屋に顔を出した太賢良師は、髭をしごきながらどっかとあがり框に腰を下ろしていった。
お食事中──もちろん外界から戴いてきた材料でこさえたもの──だった琴箭は、匙をおくと、もごもごと動く口を隠し、訊ねる。
「猿ですか?」
「猪ともいうかな」
「はぁ」
この人との会話は妙に要領をえない。なぜかいつも問答のようになった。短気な者ははぐらかされていると感じるかも知れないが、たんにそういう人なのだ。
「よほと腹でもすいたのか、ワシの書棚を引っかき回しおったのでな。捕まえておいた、ホレ」
いって袖に手をつっ込み、何か小さなものをポテンと床に投げだした。
琴箭がちかよってみると、一匹の白栗鼠が、気を失っているのか時折ピクリと腕をふるわせて横たわっている。
なにやら違和を感じて鼻をよせると、よい匂いが──
「くさっ! いい匂いすぎて逆に臭い! ······ってまさかこれ、月塊!」
「おう、よくわかったな。まこと大した聡さだのう、お主」
「そんな。なんてこと······」
そっと手にすくいあげ、その柔毛におおわれた腹を指先でやさしく撫ぜる。と、びくびくっとして、パチッと目を開けた。
はじめボーッとこちらの顔を見上げていたが、ハッとしたように二本足で立ちあがると、自分の身体をさわっては見回したりして、はては珍妙な狼狽ぶりを披露しはじめた。
「良師様。これではあんまり酷すぎます」
「心配いらん。時期がくれば自ずと戻る。それにやったのは儂ではないぞ。山がやったのだ」
「山が?」
良師は髭をしごくと、入口のからはいる光を目を細めるようにしてみつめ、いった。
「この山は元々、儂のお師匠が長いときをかけてこさえたものだ。弟子の修行場としてな。なので詳しいことは儂も知らんし、知ろうともおもわぬ。ただ、相応しいものには相応しい試練が訪れるようになっとる。
儂のもとは猟師だといったろう」
琴箭はうなずく。
「たくさんの獣を殺した。ときに食うために。ときに財をえるために。師匠にとっつかまってこの山に放りこまれたとき、儂も此奴とおなじ目にあったのだ。このネズ公もおそらく、たくさんの者を手にかけてきたはずだ。狩る者から狩られる者へ。狩られる側の心をしるための行だということなのだろう」
琴箭は掌の月塊をみつめた。
あの殷秋史にかんする事件で知りあうまで、彼はどういう思い込みからか、同族ともいえる妖に誅罰のため手をかけてきた。仙人に、仙人を志すものに殺生は禁忌だという、ただその一事を知らなかったのだ。




