琴箭、太賢良師に善をみること②
琴箭があおざめて注視するなか、太賢良師もまた、じっと彼女をみていた。が、琴箭はその瞳のなかになじみのものをみつけて、おやと思う。
「南華老仙? そりゃいったいどこの御仁だ。聞き覚えはないが······おまえ仙と知己なのか。ほーむ、運のよいやつだ」
「へあぇっ? ······あ、いや、知己というまでには」
助かったぁ。どうやらこの人は向こうのことを知らないみたいだ。てっきり顔なじみだと思ってたけど。
横で、えっ、お師匠は仙人ではないのですか? という張易の驚きと、馬鹿者ワシはいまだ修行中の方士だ、という良師のやりとりをききながら、ひそかに琴箭は胸をなでおろす。
「ん? それはそうとお師匠っていうのは?」
琴箭の疑問に、張易はよくぞ気づいてくれたとばかり、上機嫌でこたえた。
「驚け? なんと太賢良師様は、俺の弟子入りをお許しになられたんだ。いまや俺は、張易あらため、張小賢だ!」
「へえー」
琴箭が、この一見とっつきにくそうな野朴な男に目をむけると、意外にも良師はすこし照れ隠しのように頬をかいた。
「まあ、熱意にまけて、というやつだ。それに独りでは少々いき詰まっていてな。こやつといることで、また何かあらたな発見があるやもしれぬ」
ぺこぺこ頭をさげる易、あらため小賢に、さっさと水を汲んでこいといいつけておっ払い、良師はあらためて琴箭の額に手をあてて、熱の具合をたしかめた。
「うむ。まあいいだろう。しかし重ねて運のよい小童だ。流疫寸前の病にかかりながら助かるとは」
「あ、救っていただいたのに、お礼もまだでした」
琴箭は床の上に身を正すと、良師にむかって頭を下げた。
「命をお助けいただいて、ほんとうにありがとうございました。なにかご恩にお報いできることがありましたら、どうぞ仰ってください」
見かけによらぬ童女の立ちふるまいに、良師はすこし驚いていたが、ハッハッハと愉快そうにわらった。
「そうこられては困る。童にきっちり恩を返されてはこちらの立つ瀬がないわ。まあ、しばらくゆっくりしていくといい。元気になった姿こそ、ワシのような者にはいちばんの薬だ」
なにが愉快なのか、いまだハッハとわらいながら、良師もまた、何事か用でもあるのだろう。庵をあとにした。
すこしの間、シンと庵のなかが静かになる。
琴箭は胸のなかに、すこしチリチリとした痛みをかんじて、表情をくもらせた。もちろん、本物の痛みではなく、気の痛みというやつだ。
「太賢良師。てっきりわるい奴だとおもってたのに、結構──ううん、間違いなく善い人だ。あんな人から大切な書を盗めっていうの? それに、彼は南華老仙なんてしらないといった。夢のあの口ぶりじゃ、まるでその仙人が彼に書を授けたようだったのに······」
南華老仙っていったい何者なの? ほんとうにこのまま、その言葉に従ってていいものなの?
つぎは翌月曜日の更新となります。
誤字を修正しました。




