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【完結】月琴伝  作者: 雲野 蜻蛉
哀別双詩
342/403

月塊、さらなる北方へと踏みだすこと②


 陽は西の山にはやくもかかり、草原は茜からやや影を濃くして、夕幻のうちに沈みつつある。

 あいかわらず風はあり、つよい。

 山々のたかみへと独りやってきた月塊は、野営によさそうな窪地をみつけた。ちょうどいい、今宵はここで過ごし、己を落ち着けよう。



 それにしても、何故自分はあんなことを口走ってしまったのか。いかに朧気(おぼろげ)であれども、あれが琴箭であろうはずのないことは判断がついたのだ。

 だが、あの女をみた途端、なぜだが凄く大切にしていたものを見つけた気がして、どうしても護らなければ、という気持ちが掻き立てられてしまった············



 峰間がぽかりと抜けていて、空がよく見える辺りに、床几(しょうぎ)替わりによさそうな小岩がある。座して過ごすのにもってこいだ。月塊はこれに目をつけて歩み寄った。


 一步、二歩、三歩、四──



 急に周囲の景色がぶっ飛んだ。



「んなッ!?」



 いや、ふっ飛んだ、では正確ではなかった。

 転移したのだ、まるで知らぬ山端に。

 いや、これも正確ではないのか。

 地形はもとの通りなのだ。変わったのは潤度。

 あれほど爽々としていた山谷の光景は一変し、涼しげに音をたてながらもそのじつ、湯気をあげる川がいきなり出現した。窪地をぐるり隠すように青々とした葉をもつ樹々が繁り、河原の岩には苔なぞも生えている。

 そしてなによりも目についたのは──


「······」

「······」


 湯河のなかへ腰をおろす、妙齢の女人。

 (まげ)を解いた、ごく自然なすき流しの髪に美しい顔立ち。いかにも湯浴びの最中であり、流れに心地よさそうに白い肌をあずけている。

 白い薄布の湯帷子(ゆかたびら)が所々に透けながらも、かろうじてその身を闖入者──つまり月塊の視線からまもっていた。



「············」

「······ガン見じゃの。たしかに主がくれば入れるようにはしておいたが、まさかこんな場に············まぁよいわ」


そうは言ったが、胸のあたりを隠したまま、女人は童女の姿へと変じる。

 麻姑はすっと白魚のような腕をのばし、ビシッと月塊に言いつけた。


「支度するゆえ、そこの(いおり)でまっておれ!」






 さすがに今回ばかりは分が悪い。月塊は言われるがまま、庵へとはいって待つことにした。

 何故だ。牢から出ていらい、ずっとこんな調子を押しつけられている気がする······



 庵のなかは、まさに山里の隠れ家といったふうで、日々生活をおくるのに必要な物だけはどっさりあり──藁だとか薪だとか水瓶だとか──逆に富貴なものは一切なかった。ゆいいつの贅沢品といえるのが、書机のわきの柱にかけられた青竹の花入れであり、一輪の清楚な白い花が活けてあった。



「待たせたの」


 カラリと表戸がひらき、きちんと衣をつけた、しかしまだ髪はおろしたままの麻姑が、幼い姿で入ってくる。

 いきなりあらぬ所をみてしまった時はピンとこなかったが、さすがにこの姿であれば月塊も見紛うことはない。


「······さて」

扉をしめて麻姑がこちらへ向きなおった。と思った瞬時。



「ぬおおッッ!?」



間抜けな声をだして月塊が上体をそらすと、その上をすさまじい剣戟が吹き抜け、庵の壁をぶち抜いた。


「──テメェっ! 今さら目を潰して何になるってんだ!」


(たわ)けッ、頭をすっ飛ばすつもりであったわッ!」


チン、と麻姑は、二度と見たくなかった妙に殺気満々な剣を納めた。


「──ふぅ〜。まぁ、これで良しとしてやる。

 そちらへ」




 彼女がしめしたのは、土間より一段たかい木張りの床におかれたながい卓である。ふたりは向かいあって座についた。

 麻姑が手をヒラリやると、どこから参じたか侍女がふたり現れ、(かまど)でわいていた湯茶を器にうつし、しずしずと卓上へはこんだ。もうひとりが持ってきてくれた木の茶筒に、麻姑てずから柄杓(ひしゃく)でそそぎ、ふてぶてしく半身をとった月塊の前へおく。


「············なんでアンタがこんな処にいんだよ。流刑にでもされたか?」


「······当たらずとも遠からず、じゃな。みんな蔡琴箭と主のおかげじゃよ」


 彼女の本願は、琴箭づたいに梅春からきいて知っている。


「? みょうな言い回しじゃねぇか。まるで関係があるみたいだぜ? アンタが此処(・・)にいることと」


 だが麻姑はこたえず、薬茶を呑むようすすめる。月塊はせっかちにそれをガブリとやってしまってトンとおく。仙女は呆れ顔でまた筒を茶でみたす。


「あらましは聞いておるようじゃから省くが、奴······蔡琴箭は漢の帝をたすけてくれた。

 だがそれで、ほんらい帝が背負うべき天命までも、おのが身の上に背負いこんでしまった、ということになっておる」


 ガタリ、と卓をゆらして月塊が立ちあがる。

「······それじゃ何か? アイツは天子を助けたせいで、十年もこんな目に遭ってるってことか」


 麻姑は答えなかった。だが、返らぬ答えこそが応えなのだ。

 ······くそったれ。それがいかにアイツ自身が望んだことだとしても、その褒美がこれかよ······!


「冗談じゃねえ、絶対、何としても救いだす! 今度こそ!」




 月塊の眼に光がもどったのを感じながら、麻姑はもっていた茶筒のなかへ視線をおとしていった。


「あやつの居場所······知りたいかえ?」


 おもいもしなかった言葉に月塊も麻姑を見返した。


 知りたいか、と訊かれれば勿論だ、知りたい。だがそれも妙な話である。そもそもが、この匈奴のどこかにいることには違いないのだから。それを頼みに自分たちはここまできたのだから。

 いったいなに企んでやがる············


「言っておくが、たとえ主の仙の験力をもってしても探しだすは叶わぬぞ」


 さらなる不可解な発言に、両者の眼があう。仙女の瞳は、なにやら意味深い光をやどして真っすぐこちらに据えられている。


 ······俺はヤツに借りがある。協力するなんつって、肝心な時に傍にいてやれなかった············




 月塊はふっきったようにドカリと座りなおすと、眼前の仙女に頭をさげた。

「たのむ、教えてくれ」





 空に星が耀きだしていた。おのれのやるべき事がハッキリして、険しい形相で去ってゆく妖の背が、宵闇に呑まれてボンヤリとかすんでいく。


 ······難儀なことよ。己の救うべき者の(かお)とて判らなくなっておるというに。

 刷り換えたのはおそらくあやつ······嫦娥(じょうが)、であろうな。

 なにゆえ、あやつがあの石くれにこだわるのかは知らぬが······いや、わかっておったとしても、今の儂にはどうしてやることも叶わぬ。できれば此度も、みごと天の采配をうち破ってほしいと願うてはおるが······


「奇蹟は二度もつづこうはずも無いものであるからな······」




いちどは書きたや、お約束······


毎日、お暑いですね。

バイクとかにのる人が、「風にずっと当たりつづけると疲れる」とか言っていたのを思い出し、ずっと扇風機にあたりながら「痩せねぇかな······」とか企んでいるのですが······


せいぜい腹が減るていどですね、やっぱり。


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