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【完結】月琴伝  作者: 雲野 蜻蛉
石胎箴緯
318/403

二将、ふたたび轡をおなじくし、張済、たち塞がること


 李傕ははじめ、郭汜が四分の一ほどになった兵を率いて駆けこんできたとき、内心そらみたことか、という気満々であった。とはいえそこは勝者の余裕、鷹揚(おうよう)に迎えることにした。

 だが憔悴してはいってきた郭汜をみたとき、さすがの彼にも、かつての仲間にたいしての同情が湧きあがったのである。


「これは一体どうしたことだ、友よ」


 李傕からの思いがけぬ情ある言葉がでたことで、屈辱で胸がいっぱいだった郭汜のほうも素直になることができた。

「面目ない······楊定と楊奉の奴にやられた」

「なに? 楊定と······楊奉にだと?」


 そんな馬鹿な。楊奉を俺の軍から追いだすべきと説いたのはその楊定のはず。ではあれも我らを謀る芝居だったというのか。

 それにしても二万といえば大軍である。戦においてはこの郭汜とてまんざら無能ではないことは承知しているし、本拠の守備にいくらか割いたとしても、たかだか三千にもみたぬであろう二楊の軍相手に敗れるなどしんじがたい話である。


「······わかった、君らをうけ容れよう。これまでの遺恨は黄河と朝臣どもの血ですすぎ、また共に参ろうではないか」


 この機におのれこそが、とおもっていた郭汜は、悔しさに歯も砕けん勢いだったが、こうなっては仕方がない。それにいまや、憎いのは目の前の李傕よりも、小馬鹿にしてくれた楊定と楊奉のほうである。この男とふたたび組めばやつらも圧倒できよう。そのときこそ我が復讐のときである。


「感謝いたす」


 こうしてまたひとつとなった涼州軍は、四万の兵をもって勢いをまし、官軍へと押し迫るのであった。





「いかがでございましたか?」


 戦陣。

 とおく目を凝らせば華陰の城をのぞめそうなほど目と鼻のさきにせまったなか、少数の兵を後ろにしたがえた琴箭は、おなじく馬上で書状をよんでいた楊彪に訊ねかけた。


「······問題はないようだ。段太守は食糧を融通してくれるとはいっておる」

 楊彪は密使がとどけた華陰太守、段煨(だんけい)の返事をつたえる。


「では、ひとまずは」

「うむ」


 目下官軍──どんなに貧弱であろうと皇帝の兵なのだ──の悩みのひとつは糧食にあった。  

 準備はしたが、もともとが充分とはいえないうえ、陛下の御身を気遣い気遣いここまできた。新豊でもかなり日数がかさんでしまったし、このさきを見すえ自力でのりきると考えるなら、とっくに底をついているといっていい。

 陛下といえば相変わらず、もち直しては落ちこみと、いっこう快復の兆しがみえてこない。()宮で拝謁した頃と変化がないことは、周囲のものの心労をよりかさませていた。これでは本当に、あの石胎箴緯(せきたいしんい)の示したとおりに事が運んでしまうではないか。ここまでやってきたことは全て不毛でおわるということなのか、と。




「しかし······まこと信用なるものでしょうか」


 种 (ちゅうしゅう)が眉根をよせて(あご)をかきかき不安を口にしたことで、琴箭は独考から意識をひっぱりもどした。


「段煨はたしかに陛下の臣。ですが、張済がここまで出張ってくるのを許してしまっています。なにか裏があるのでは」


「种 殿は段煨を疑っているのか」


「······それはおそらく、陛下の(しょう)命を奴から示されたからかと」


「そうだとしても、だ。長安の荒廃ぶりは奴とて知っているはずだろう。その原因が李・郭にあることも、陛下がそれらに苦しめられていることもだ。その同輩をむざむざ通してしまうとは呑気すぎる」


 反論の声はない。

 おもえばここまでの疲れでみな、沈着な判断ができなくなっていた。疑心の渦がひろまりはじめているのは危険な兆候といえよう。李傕が落ちこんだ病に、朝臣らも(かか)りつつある。


「まあそう言ってやるな。あの者も三将と折あいをつけねばこれまでやってこられなかったのだろう。重要なのはいまだ」


 そうだ、問題なのはこれからだ。そう思いなおして、琴箭も気持ちにひと踏んばりをいれる。うしろから詰めてくる李・郭もそうだが、なにより眼前にそびえる壁もけして低くはない。


 いま視界にズラリと精旗をそろえ、まるで山野を横断するくろい関のように兵をならべ立ちふさがるは涼州勢の最後のひとり、張済。


 でも············と、琴箭はかんがえる。


 楊定が郭汜を防ぎとめ、李傕も出遅れているいま、この張済をさえどうにかできれば東遷(とうせん)の成功もかなりみえてくる。

 じつのところ、さきのふたりに比べればまだ張済は抗しやすい。上手くころべばこちら側へとり込んでしまえる、とさえ彼女には思えていた。

 かえりみてごろうじろ。これまで散々、あちらの参謀たる賈 詡から無言の歩み寄りがあったではないか。

 秘密裏の献策、闇夜の訪問。なによりこうして段煨への使者が妨げられずに戻ってきた。いずれもそのための布石となりうる行為である。

 もっとも、切れ者の彼のことだ。逆にこちらを取りこむ仕込みともなるのだろうか。



「楊様、さいど、河東の王太守にも遣いをだしておくべきです。援軍をこいにいった徐公明も戻らぬいま、万一のさい、渡河だけでもできるように」


「もちろんだ。すぐに出そう」


楊彪が無言で指図すると、兵のひとりがハイ、と頭をさげ馬にのってとび出してゆく。


「それからもうひとつ······ぜひとも私めに賈 文和と」


 ここまで琴箭がいいかけた時、注進の兵が慌ただしくかけ込んできて、報告のため声をはりあげたのだった。



「もうし上げます! 新豊にて、楊整修将軍が郭汜軍と対峙! 駆けつけた楊奉殿とともにこれを退けたとの報告!」



「おおっ、やってくれたか!」


「月塊が? やはり生きていたっ」


 朝臣らは一様に色めきたち、琴箭が眉をゆるめるなか、しかし伝令は不吉な事実をつげた。


「なれど後、楊奉殿と将軍が不和となり一騎討ちのすえ両将は相討ち! また破れた郭汜はふたたび李傕をたより、両名で新豊へとせまる! 楊定軍これに抗えず退却して参っております!」


「なにっ!?」


おもわず楊彪は鞍から腰をうかせた。

 まさか······まさか李傕がここにきて郭汜をゆるすとは!


「いかん、こうなれば敵の足ははやいぞ! 」



サブタイの「轡」は「くつわ」と読みまする。

手綱をつけるために、お馬の口にふくませる金具であります。

辞書にそう書いてありました。

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