月塊、お持ちかえりされていたと知ること
かすかな波の音がする。
そんな馬鹿な。自分は漢の西の果てで戦っていたはず。それとも、まさか東海の際までぶっ飛ばされたとでもいうのか。
「それかいよいよあの世ってとこに来ちまったのかね············」
減らず口をもらしながら、月塊はゆっくりと瞼をひらいた。
不思議と重くはない。ああ、これはやはり、と思ったとたん、視界に白い塊がヌッと入ってきた。
「!?」
おもわずガバと身をおこす。と、そこはなにやら森のなかのよう。気持ちのよい木陰となったところに自分は寝ており、そのまわりを黒い顔をした白い毛玉どもにとり囲まれているではないか。
「うおっ、なんだテメェらは!」
「おゥ、やっト目が覚めたノカ」
ガサゴソとなにやら樹上から降りてくる音がして、どけどけと密集した白毛玉たちをおしのけて出てきたのは、おなじく黒い顔の白毛玉だった。ただし、ほかの者よりも若干おおきい。
「よゥ、まさかまタ会えるナんてナ、しカもこんなとこロで」
憶えているかといわんばかりのドヤ顔で、ぐうっとのぞき込んでくる。
「──おまえ、ひょっとして山海経ン中で琴箭を探していた············?」
「そうダ、萊萊様だゾ!」
狌狌・萊萊はご満悦の笑顔でぴょこんととび退き、えっへんと胸をはった。
俺はまだ頭が混乱しているのか? 奴らは山海経のなかにのみ生きる存在で、だいいちその山海経じたい失われたはずだろう。そう、俺がこの手でやった。
「ん~?」萊萊はくりっ、と首を半回転させてまるい目玉で月塊をみつめる。
「ダレに聞いたかシらなイけド、山海境がホロびるコトなんてあるわけないゾ。ダってココは天仙様や霊獣様の世なんだからナ」
「あぁ?」
いや、たしかにそう聞いたぞ。乙越の野郎もそういっていたし、げんにココを抜けるさいは随分と骨がおれた。そのおかげで李傕の奴に借りをつくる羽目になったわけだし。
「んン~?」
と、萊萊はまた反対方向に頭を回転させる。
「ナンでその仙人様ハそんな嘘ツいたんだローナ。エラい妖獣さんの言うことにゃ、『この世は拡がる力はうしなったが、この世がこの世としてあり続けることに変わりはない。天仙界もそれを望んでいる』ってことらしいケド?」
あの野郎、ただはやく追っ払いたかっただけか。
「ったく、つまりココはあの世にゃ違いねぇってことかよ······んで? お前らはそろってここで何してやがる」
「フッフッフ、よくぞ聞いたナ」
萊萊はまた胸をはる。
「私タチは、狌狌探検隊を組織したのダ! これデもすでにカクカクたる成果をアげているんだゾ」
「探検隊だぁ?」
そう言えばコイツと出会ったのがこの世の真ん中、中山域にはいるかはいらないかといった所だったな。そしてここが、自分が出入りした終南山にある窓口だとするなら、たしかに遠大な距離の開きがある。それをコイツらのようなあまり強くはない妖獣が踏破したのだとしたら、なるほど、確かになかなか見上げた根性をしている。
よく見回してみると、月塊のまわりにはなにやら色んな物がなげ出してある。枝葉のついた清浄な花だの、いい感じに苔のはえた岩だの、先の欠けた農具の折れたやつだの、なかにはどうみても畑からひっこ抜いてきたであろう作物まであった。
「我ら探索隊の成果ダ。珍しいモノばかリ、隊員タチよくやっタ」
うおーっ、と狌狌たちから拍手と歓声がおこった。
つまり、俺はゴミといっしょくたにされたわけか······
月塊は、ぐっと足腰に力を入れて立ちあがる。やはり不思議とまったく痛みはないし重くもない。
「怪我ならナオったロ? お前カラはこちらの臭いがしたカらナ。イれば自然と直ルだろうトは思ってタ」
「······」
月塊はブンと右拳を突きだしてみる。次に右腕をかかげ木漏れ陽に透かしてみると、影のなかに白い光がおち、そこから光の戟を抜き出すこともできた。
「ナナナナっ、なんだソレは、なにスル気っ?」
ズザッ、と落枝や草をならしていっせいに狌狌たちが怯えてのくなか、月塊は光に透けて輝く右拳を握ったり開いたりしてみる。
なるほど、こちらなら術が使える。
ならばあの仙妖どもをこっちにひき込みさえできれば互角にやり合えるかもしれない。まあ、現実にはほぼ不可能な話ではあるだろうが。
「ま、なんにせよ助かったぜ。なんせ向こう十年は身動きできねぇと請け負われたからなぁ」
月塊はふたたび窓口であるボロ井戸へと足を向ける。仲間からひとり離れて、萊萊だけが後をついてきた。
「アノ、あのサ? ソノ······琴箭は元気カ?」
「琴箭? ああ、元気にしてるぜ。ついこないだ会ったばかりだ」
「そうカ、元気してルか! 元気ならイイ、それがイチバン」
懐かしい、会いたいと願っても、もうそれはない。かりにそれが叶うとしても、あれだけ苦しい思いをしたこの世に、もう彼女ははいって来てはくれないだろうから············
「モシまた会っタら、琴箭に伝えてクレ。私たちも元気でいルっテ」
「おう。会えたらな」
萊萊のすこし寂しそうな笑顔に見送られて、月塊はくずれた井戸のなかへ飛びこんだのだった。




