琴箭、殷秋史をよむこと④
──昔、まだ私たち一家が都にいた頃。
父上は天子様に、漢の御代すべてをあますところなく記した史書の編纂を奏上もうしあげたの。
おそれおおくも、天子様はそれをお認め下された。でも直後、崩御されてしまって、父上の仕事は頓挫してしまった。
その後は政変で捕まったり、流刑になったりでそれっきり。すこし余裕ができたのは、ほんとうについ最近、この呉まで逃げてきてから。
でも父上はまだ史書編纂の野望を諦めておられない。いえ、それどころか、それなら始まりの王朝から現代にいたるまですべてを貫いたものを作るのだと仰ってる。
無邪気に、誇らしげにそう語る琴箭のすこし紅潮した顔を、月塊はどこか探るような瞳で見上げている。
「でもそんな大事業、父上一代で終わるものじゃないでしょ? だから、私が継いで、そして、完成させる! それが私の、本っ当の大望よ!」
びしっと指を突きつけ、いっきにまくしたてた琴箭は、ちょっぴり荒い息をつぎながら、大人しく聴いていた月塊を見下ろした。
「······ふーん」
てっきり「くだらねえ」とか小憎らしい口をきかれるのだろう──もちろんそんなこと構やしないが──と思っていたが、月塊は、むしろすこし感じ入った色をにじませ、それだけ呟いた。
「·········」
「·········」
なんだろう、沈黙がおもい。
考えてみれば、こいつとこんなにながい時、しかも本音でしゃべったのなんて初めてだ。黙られるとなんというか、言葉の接ぎ穂にこまる。
「······そしてあわよくば、完成者の私の名前だけが後世に伝わって、すべて私の手柄に」
「俺の感動をかえせ」
どちらからともなく笑みがこぼれる。月塊はあきれたように、どこかさばさばしたといった感じて立ち上がった。
不思議なことに、その瞬間に彼を捕えていた檻はゆっくりと木片に分かれ、ばらばらになる。
「······まったく。お前、そんなんばっかだな。ま、いいや。いいんじゃねーの、そういうのも」
そのまま、すうっと、宙に浮かび上がった。もう会えなくなるような寂しさにふと襲われて、琴箭は口をひらく。
「あんた、ほんとに死んだのね······夢にでてくるなんて」
月塊は、妙なこというなこいつ、といった顔つきで彼女を見下ろした。
「だから、なんで俺が死ぬんだよ。そんなことよりほれ、そろそろ目を醒ます時だぜ、蔡琴箭······!」
目が覚めた。




