月塊、終南山より窓をこじ開けること
目を醒ました月塊は、ふらふらとした足取りで立ち上がった。
裾に引っかかった酒瓶が足元にたおれ、まだほんのすこし残っていた酒がこぼれて石代の床をしろく染めた。
「なんだよ胡才。昼間は起こすなっつったろう。人間とは違うんだからよ、俺はよ」
実際、人はお天道様の陽射しをありがたがるものだが、彼ら妖にとってのそれは月光だ。月塊自身は平気の平左だが、害として嫌う妖も少なからずいる。
「そんなことをいって寝てばかりいるが、兄貴。兄貴はいったい何をしにここまで来たんだ。それをやらなくていいのかい?」
何をしに──といわれても困る。そもそも今の自分に目的なんかない。仙人になるという未来像こそまだ燻ぶっているが、それは忌々しい企みをもった乙越の野郎に拭き込まれたもので、その乙越もぶち倒してきっちり返礼してやった。
誰に借りがあるわけでもなし、何処へ流れようと構われることなぞない身の上。たまたま鼻歌をうたいながらこの河東郡白波谷を通りかかったら、山賊に襲われ、返り討ちにしてやったというだけなのだ。
「俺はテメェらに客分として乞われたからいるだけだ。とやかく言われる筋合いじゃないぜ」
胡才はやれやれと頭をかいた。
これで彼は、この白波谷を仕切る三親分の一角である。匪賊からの成り上がりで、あの黄巾の乱の折もともに立ち上がった。
たが彼をしても、こんな男が天下にいるとは驚きもした。ガキだと思ってナメてかかったら子分どもはかるく捻られ、自分も馬から叩き落された。奴婢としてこき使ってやろうとしたのが、今では逆に顎で使われる毎日だ。
だが、それはそれで悪くはなかった。
月塊はけっして非道をゆるさない。それ故に、胡才の縄張りの内にある里からは歓迎され、いつの間にか自分たちの評判もあがった。横暴な官憲、ほかの二頭領の介入などを払ってくれる彼は、この生まれ変わった山賊団になくてはならぬ主柱である。
「とにかくよ、兄貴づきの小僧がここを掃除できねえってボヤいてやがるんだ。しばらく外でもブラっついてきてくれよ」
そう頼まれるようにいわれては、月塊も嫌だとはいえなかった。
ヒョーン、ヒョーンと、月塊は谷間をつなぐ岩塊の頭を軽々と飛び越えてゆく。まるで風のごとき軽やかさだ。それを目にした里人などいたら、それこそ鳥かとみまごうだろう。
あれから、乙越の奴をはり倒すのに支払ったといっても差し支えなかろう妖力は、戻ることはなかった。もはや戟一本出せるかもあやしい。だがどういうわけか反対に、心身のほうはなぜがすこぶる快調だった。普段ゴロゴロ怠けているせいなのか、重石がひとつとれたような晴れ晴れとした爽快さがある。人ならば衰えもするところであろうが、そこは妖である我が身に感謝するべきか。
「ったく、胡才の野郎はどうにも生真面目なところがありやがっていけねェ。オカンかっつーの」
まあ、自分に親がいた記憶はないが。そんなことをぶつくさこぼしながら月塊が、そろそろ胡才の縄張りの際までやってきた時だった。
「あん?」
谷間を抜ける小道で、なにやら揉めているものがあった。
ひと組は旅人らしきわかい男女の二人連れで、それを三人ほどの賊がひき留めているらしかった。
「······ありゃあウチの奴らじゃあねェなぁ」
上から中腰で目を凝らした月塊は、まるで自分の団であるかのようにいう。実際、しばき回して更生させたのは自分なのだから、頭を気取る気はないにしても、顧問の教師くらいは名乗ってもよかろう。
とにかく、もし「ウチ」の連中が胡才にかくれて悪さをしているようなら見過ごせない。もちろん旅人は助けてやるつもりだったが、あのチンピラどもにもしっかとヤキを入れ直してやらねばならぬ。




