琴箭、知らず虎穴に入ること③
え? まさか。そんな······嘘でしよ?
治安官様のお邸へむかう道中も、琴箭の頭のなかは、堂々巡りする問いかけでいっぱいだった。
え? だって妖よ? 巨木をあそこまで粉々にした、あの月塊よ? いくら縛られてたって、たかだか人間に殺せるわけなんかないじゃないの······
外出のさいにはいつも付き添っているのだろう。下女をふたりほどつれ、前を歩く奥方に従いながら、琴箭はずっとうつむいたまま、わき上がる自責の念に抗っていた。
「さ、ついたわよ」
いわれて気づいて、顔を上げる。
その邸は、周囲をぐるりと石塀に囲まれた、これといって変哲もない邸だった。
いかにも繁華なところにある、すこし裕福な人たちが住む邸といった風。しっかりとしながらも、やや小造りな門の向こうには庭木などが数本植わっており、そのさらに向こうに、瓦ののった中門の屋根がみえている。
下女が奥方の帰還をつげると、門は内側に開いた。そのまま前庭をとおり、中門の扉を抜けると、中庭にでた。
「用意はできているわね?」
迎えにでた女中に確認すると、奥方はぼうっとしている琴箭を袂に招きいれ、背を押すようにして庭をわたった。
「書は離れのほうに置いてあるの。しずかだし、そのほうが落ち着けるでしょう」
母屋をそれ、脇の通路口を抜けると、後庭、とよべる所へとたどり着く。あいかわらず高塀と庭木などにかこまれているものの、思ったより広い空間が、そこにはあった。遊び心とでもいうのか、小さな橋がかかった池まである。
ふつう、お邸にこんな空間があるものなのか。
もっとも、物心ついてからこんな場所に足を踏み入れたことなどない琴箭には、判りようのないことだった。
離れの戸を開けると、そこもにまた、わざわざ別にしておくには惜しいような一室があった。左手奥には寝台なんかもみえる。
「···さあ、あれがあなたの待ち望んだご褒美よ」
琴箭ははっとして目を見開く。壁にむかっておかれた机のうえには燭台と、用意された敷物。そして何より、つまれた木簡の山······
あれこそ幻の書、殷秋史だ。




