琴箭、桃園楼に陽炎をみること②
ゴトリと巻物が床におちた。
桃霞は反射的に駆けよってそれに手を伸ばしたが、そのままの恰好でじっとしている。なにを思ったか、その木簡に見入っているようだ。
「? なに? どしたの?」
こちらをふり向いて「ううん」と首をふると、それをとり上げる。が、言葉とは裏腹にまたもや木簡を見つめている。
不思議におもった琴箭は、よってその掌中をのぞきこんだ。
「あらこれ······桃園楼じゃない」
なんとも偶然、そして懐かしいものが出てきたものだ。
桃園楼──あの冀州への旅路をじつはともにしていた唯一の書であり、桃霞のいた仙郷にはいった唯一の書である。なんだろう、あの山の残り香でもついているのだろうか。
だが当の桃霞の表情に、琴箭はハッとさせられた。
どうして······なぜそんなにも······
そう問いたいほどに、その表情は、童女の姿には不釣り合いに大人びたものだった。瞳は一点に、まるで書の中味のさらに奥を透かし見ようとしているかのようだ。
「······どしたの? ね、桃霞? なにか気になることがあるのなら言ってみて?」
だが桃霞はやはり、「ううん、何でもない」とこちらを振り仰ぐのみであった。
「······そう?」
杞憂であったのかもしれない。ついあの夜の若干迷惑な訪問が頭をかすめたからだと、琴箭はそう思うことにした。だってこちらをむいた桃霞の顔は、もうすっかり、いつもの天真爛漫な彼女にもどっていたのだから。
「そうだっ! 夕餉のしたく、手伝ういわれてた」
そういって書を琴箭に「はい」と手渡すと、廊下をパタパタと厨のほうへ走っていった。
琴箭は手中の書に目をもどす。
「桃園楼ね······」
この古詩を発掘し、父に報せてくれたのが、これから自分が嫁ごうとしている衛家だった。そう考えると、多分に仕組まれたものであるとはいいながらも、ヘンな情めいたものを感じないでもない。
琴箭は留め木をはずして、カラリと木簡を紐解いた。
例に漏れず、もちろんこの書にも目はとおした。主題からして、詩人が酒中に心地よく吟じた酔歌のようにもおもえるが、あにはからんや、読んでみると、まるで桃の花の香が匂ってくるほどに、情景をふかく感じさせてくれる名詞である。
さらにふかく読むと、詩にしては珍しく、思慕の情を綴ったものであることがわかるのだが······
「?」
なんだろう、目の疲れだろうか。最近どうにも文章ばかり追っているから。
琴箭は一回瞬きをし、目をこすってからじっと文字を睨んだ。
──見間違いじゃない。
いくつかの文字が、墨字の際をなぞるように炎色の淡光で瞬いていた。どれもすべてほどなく消えたが、ただ一文字だけ、ほかの文字にくらべてながく留まったので、記憶にのこった。
「魃······」
かな遣いをなおしました。




