月塊、暗夜に獲物を逸し、藍越乙、悦に入ること
深みを増した野闇のなかを、まるで舞うかのごとく疾駆した人陰は、ふいになんと思ったか足をとめた。
おりしも天にかかった雲が強風によってはらわれ、針金のような細い月が、わずかに白い光をとどけ始めていた。そのおかけで、ぼんやりとだがその者の輪郭があらわとなった。
美しい。
はじめの言葉をあげるなら、そうなるだろう。
月光に照らされるその顔はまるで陶磁器のようにしろく、艶がある。顔立ちもはっきりとして、優美な眉、長いまつ毛に彩られたすこしたれたような目、華奢ながらとおった鼻筋、ちいさめの唇はうっすらと紅をひいたように紅い。
サラリとした黒髪はながく、その先は腰にまで届くだろうか。まったくの櫛流しではなく、先の方で結わえてある。
背は件の妖とおなじくらいだが、より細身と思われるところにゆったりとした一枚布のような、豪華な刺繍のはいった黒の袖のながい衣をまとい、下もゆるりとした白の褲、素足に靴といったいで立ちである。
特異なのは、その首に、さらに両の手首足首に、幾重にも緑の蔦がまきついていることだ。いくつか蕾までついていることからも、それが活きていることがわかる。
その者は天を仰ぎながら、ポソリと独り言をもらした。見た目に反し、声は細めながらしっかりと男のものに違いなかった。
「ああ······さっきの連中はなかなかよかったなぁ。しゃんとした漢軍相手にあれだけ動ければ上々だよ。やはり鬼卒はそれぞれ、前世からの役目があるということだねぇ」
うっとりと、どこか陶酔する想いにひたった目がにわか、わずかに見開かれた。若者は一足跳びに場を離れると、小丘の陰に身を潜めた。そうして、まるで遠眼鏡をのぞくように円をつくった手を右目にあて、はるか遠くをみやる。
その中心に、どさりとなにかが落ちてきた。
その者は姿を隠すことなく堂々と岩のうえに立ちあがり、辺りをキョロキョロと見渡しはじめる。
「······おやおや、これはこれは。百と四十年ぶりだね、月塊君。まだ動いていたとは喜ばしい限りだよ」
月塊は焦ったように、執拗にあたりへ視線を飛ばしている。若者はしばしその様を愉しんでから、ふいにその口許をむすんだ。
「······ふぅん。しばらく見ないうちに、ずいぶんと詰まらなくなっちゃったな。まるで人間みたいじゃないかい」
不意に。
そのささやきが届いた、というわけでもないだろうが、月塊が鋭くこちらへと視線をむけた。そのままジッ、とうかがうようにこちらを凝視すること数十秒。だがまた、べつの方角へと頭を返した。
「相変わらず僕を捜してくれてるんだね。なんて友達想いなんだ、嬉しいよ」
苛立たしげに足下を蹴り飛ばす様をみながら若者はつぶやく。
「でも残念、僕はいまちょっと忙しいんだ。願ってもない試作の場がたったからねぇ。いま君にしゃしゃり出てこられちゃ困るな」
クスクスと、まるで隠れん坊で逃げている童子のように笑い、その若者は月塊と逆のほうへ駆けだした。
「できればキミには戦場には近づいてほしくないが──ま、どうせ止めてもくるのだろう? なら、またその時にでも会えるさ」




