殉教
この物語はフィクションです。史実そのものではありません。また建物の構造や位置を物語に合わせて改変しています。
Le Supplice de Jane Grey
私がレディ・ジェーン・グレイに会ったのは、1553年の11月も終わる頃だった。ジェーン・グレイとその夫、ギルフォード・ダドリー卿に、若き夫婦に死刑判決が下った直後でもあった。枢機卿である私に一つの使命が課せられた。その使命の内容は、彼女をプロテスタントからカトリックに改宗させれる事。それはイングランド王、メアリー女王陛下からの直々のご依頼である。まだ17歳にも満たないジェーンを反逆罪から救う手立てとして。なぜなら女王陛下は彼女に手を掛ける事を望んでおられず、彼女を助命する大義名分を欲しておられるのである。
事の顛末は、国王エドワード6世がお若くして崩御されたことから始まった。お若く崩御なされた為、お世継ぎがおられなかった。直系の子孫がおられない事から王位継承権は傍流の家系から継ぐことになる。
前王であらせられるヘンリー8世陛下の妹君の血を引くジェーン・グレイ嬢に、彼女の父君であるサフォーク公爵の尽力よってエドワード6世陛下から王位継承をご承認頂いていたのである。それを正当とし政敵となす者たちを出し抜いてジェーンの王位継承を宣言したのだった。しかし最大の政敵であるメアリー1世、ヘンリー8世陛下の御息女を差し置いて女王を即位したものの政変によりメアリー嬢が王位継承を宣言し、ジェーンは僅か9日で退位させられたうえに、さらに反逆罪として身柄を拘束され牢獄に身を置く事となった。この事件の背景には王位継承問題に見られる権力闘争とメアリー女王がカトリック信仰であることと、故エドワード6世陛下とグレイ家がプロテスタント信仰であったことの宗教対立も絡み合っている為、問題をより明確化し深刻なものにしている。
私自身、ジェーンが権力に興味がないことを彼女との会話の中から知り得る事が出来た。とは言え、本人自身が一度戴冠し女王を宣言──僭称とは敢えて使用しない──した事は事実であり、メアリー女王の政敵となすプロテスタント勢力を求心する象徴と成り得る事は、火を見るよりも明らかである。勿論、女王陛下もその事を十分心得ている。だからこそ、私がこうしてカトリックへの改宗を彼女に説得しているのである。
しかし彼女は頑なに改宗を拒み続けていた。彼の夫であるギルフォード・ダドリー卿も同じ様に改宗を拒み続けている。冬は日を追うごとにその色彩を強めていくのとは対照的に、何の進展もないまま月日は過ぎていくのであった。私は自分の力のなさ、人としての器の小ささを知る事となった。
土色に変色した落ち葉を踏みしめると、露に濡れた葉が崩れる音がなる。もう冬は深まってきている。処刑の日はまだ決まってはいないが、そんなに長くはないだろう。反権力の象徴となるり得る者を長く生かしておく程、権力の世界は甘くはない。何かきっかけがあれば、即刑は執行される。政治の世界はそう言うものだ。
私が初めてジェーンに会見した時、彼女は囚われ人とは思われない程堂に入っており、気品は女王陛下に匹敵する程であった。
私が彼女のオーラに圧倒され言葉を失っていると、そんな私の状況など気にもせずジェーンは、
「初めまして、猊下」
と優雅に微笑んだ。
私は彼女の発する言葉で気を取り直し、
「お初にお目にかかります、レディ・ジェーン」
と頭を下げた。
私は一目でこの女性が権力に対して私心のない事を確信した。私も教会内部や枢密院に於ける権力闘争を見、関わってきた者である。その中で鍛えられ、権力に憑りつかれた連中特有の臭いを、全く嬉しくもないが、嗅ぎ分けるようになっている。
そして彼女にはその特有の臭いが全くしない。無色透明であった。無垢と言っても過言ではない。このような人の垢で汚れた権力の巣にあって、彼女の持つ私心のない無色透明な心を持つ事は、金剛石のように美しく貴重なものだ。「その貴重な物を失ってはいけない」そう私は誰かに背を押されたような気がした。彼女を救う事を自身の天命として感じ取ったのだ。それだけでなく、この命は、
「これは神がお与えになった試練である」と。
初日の会見はただの世間話で終わった。ジェーンも私が遣わされた理由は直に悟ったようだが、その様な事は微塵も見せず、柔らかい微笑みを携えたままだった。どちらかというと、私の方が事を少しばかり急いてた程だ。
それから幾日かの会見を得て、少しづつ彼女の心を開かせるべく距離を詰めていった。しかし彼女は私の言葉を受け入れる事は決してなかった。頑なに改宗を拒み続けるのである。
私は「ジェーンの改宗させる為に私に何が出来るのか」について神の御言葉を伺おうと何度も祈りを捧げた。だが、聞こえてくるのは雪に埋められた街のような沈黙であった。白く何も聞こえなかった。それは私の信仰が、権力に振り回された事によって薄汚れてしまったからではないかと疑念を抱かずにはいられなかった。
それに対するように彼女の信仰の強さは、私には眩しくなる一方であった。そして私は憧れたのだ。彼女の強さに。その清廉さに。
私は自分の両手をじっくり眺めた。薄汚い手だと思った。白く光沢を持つ絹は美しく、穢れを知らぬ子供の心の様。しかし、一度付いた汚れはどんなに洗おうと落ちる事はない。
その結果がこの手だ。
そう私はジェーンの白さを愛している。どんな事をしても手の届かない白さを愛している。そう、愛しているのだ。
それを自覚した私は心を神の名を使い自分の欲望を満たそうとしていた事に気付いた。しかしそれを罪とは思わなかった。私は多くの人がそうであるように、自分の都合の良い解釈をし、それを真実として受取っていたのだった。
1554年1月末日
メアリー女王陛下はジェーンの死刑執行を渋っておられたのであるが、抜き差しならぬ事件が起こったのだ。私の怖れていた事が現実となった。トーマス・ワイアット卿というプロテスタント信者が反乱を起こしたのだ。故エドワード6世陛下の治世ではプロテスタントに融和な政策を執っていたのだが、メアリー女王陛下の治世となり復古的なカトリックよりの政策を行い出した事が原因だった。その為、女王陛下の反勢力の求心力と成り得るジェーンは存在そのものが不穏なものと成り下がり、もはや女王陛下の手に収まる事ではなくなってしまった。
歴史は無情であり、流血を欲すもの。私の進言も虚しく、処刑の日が決まった。
私の焦燥は限界まで伸びきる事になった。これまで以上にジェーンに改宗を勧めたが、一向にその様子は見られなかった。
太陽が沈み夜が来る度、ジェーンではなく私の処刑の日が一刻々々近づいていくように思えた。なのに私の心はジェーンの信仰の強さを改めて思い知り、喜んだのである。そしてその喜びは一種の麻に似て、心を狂わせる効果を持っていたのかもしれない。一方でジェーンが亡くなることの恐怖も感じ取っていた。相反するような心の動きは、私の中で当然消化されるはずもなく、ただ苦しむだけとなった。
十字架に掛けれらたイエス様は今も尚沈黙を以って、私の事を見られているようだった。
1554年2月12日
ジェーン・グレイとその夫ギルフォード・ダドリー卿の処刑の日。ロンドンの冬の朝はいつもと変わらず霧が立ち込めていた。おそらく太陽が昇ったとしても光を見ることはないだろう。私は朝の祈りを捧げた。毎朝変わらない手順で行う儀式である。しかし、その日私は不注意によるミスを幾度も繰り返した。同じ祈りの言葉を何度も繰り返したり、まだ儀式が終わっていないのに立ち去ろうとしたりして。朝食も殆ど取れなかった。水を少しばかり飲んだだけだった。自分では気づかなかったが、かなり動揺していたようだった。
それから出かける準備を始めた。焦れる気持ちが纏わりつていた。いつもより多くの時間が掛かったのは言うまでもない。
厩に私が着いた時には既に馬車の準備が整っており、少しだけ焦れる気持ちが緩和された。昨日と同じ様な曇空の中、教会を後にした。塔(=ロンドン塔の事)に向かう馬車の中で、私は彼女をどうしたら改宗させられるかを考えていた。それは女王陛下の御心に沿うことでもあり、私の願い、いや天命でもある。
私は馬車の窓から外を眺めた。ロンドンの冬がそうであるように曇が空一面を覆って太陽は見えない。今日が最後の日である。もう後はないのだ。私は焦り心に全く余裕がない事を、この時になってはじめて自覚した。忙しく手を握ったり、開いたり、また頬を撫で、顎を触ることを繰り返していた。揺れる車内で考えが纏まらず、ただ焦燥感だけが大きくなっていった。
私が塔の門を抜け、聖トーマス塔に入ると、ギルフォード・ダドリー卿の改宗を勧めていた枢機卿が私の到着を待っていた。そして彼から、今朝早くダドリー卿が処刑された事をから知り、その事実をジェーンが知った事も知らされた。
私は眩暈がした。これで終わったと諦念が込上げてきたと同じく、怒りにも似た遣り切れない気持ちも込み上げてきた。その一方で現実も見ていた。
「彼女は夫を追う」と。
私は強く拳を握った。それ以外何も出来なかった。
私がジェーンが囚われている塔に向かおうと、ウェイクフェールドを抜けている時、私の後を追いかけてきた衛兵が彼女の居場所を教えてくれた。ジェーンは今ホワイトタワーのグランドホールに居ると。直にホワイトタワーに向かった。突然強い風が吹いた。何かを知らせるように。その時から、聞こえるはずのないテムズ川の音が、岸壁に風波が当り砕ける水の柔らかく心地よい音が聞こえてきた。船の汽笛も薄く聞こえてくる。それくらい私の神経は高ぶっていた。
グランドホールに着くと、ジェーンは衛兵の言う通りにそこに居た。彼女は黒い服を着ていた。とても暗い印象の服装であった。彼女の透き通る白い肌を覆う黒い布は無垢な人間に言われれのない罪の翳を落としているようだった。
ジェーンは私を認めると、小さくお辞儀をして全く取り乱した様子もなく、懐かしい知り合いに挨拶するように、
「猊下、最期までありがとうございます」
そんな様子を見て、私は思わず叫んでしまった。
「レディ、今からでも遅くない。カトリックに改宗しなさい。私の言葉にただ『はい』と云えば好い」
彼女は私とは対照的に落ち着き払って、ゆっくりと諭すように言葉を紡いだ。
「猊下。わたしは女王に祭上げら上げられましたが、それはエドワード6世陛下が崩御さなった後、正式な手順を踏んだもの。わたしは偽りの女王ではありません。それにわたしは聖公会(=英国国教会の事)の水で洗礼を受けました。わたしが生きる為に必要なのは、この水しかありません。もはや新しい水に馴染む事などで出来ませんし、そのような行為は神に対して立てた誓いを破ることになります。神聖な誓いを破るようなような道義に劣る行為は、わたしには出来ません。猊下は立派な方です。その心の純粋さ、美しさにわたしは魅了されました。いま夫はエデン(*1)の門前でいます。そこに行くことがわたしの勉めであると思います」
そう言い残すと、私の方を振り返る事もなく、しっかりした足取りで塔からタワーグリーンへ向かったのだった。私は彼女の刑に立ち会う義務がある。しかし、一歩も自力で歩く事が出来なかった。目の前にあるのは「絶望」と言う大きな悔恨の壁があるだけだ。
そんな私を見かねた衛兵が私の背に手を置いた。
「枢機卿、お身体は大丈夫ですか?」
私が無言で頷くと、彼はゆっくりと私の背を押してくれた。その力に身を任せながら私は彼女の後を追ったのだった。
ほんの30ヤードの道のりは、地獄へと続く長い路のように感じられた。
ジェーンは刑が執行される足場まで来ると、刑を見に来ていた者たち、カトリック信者の貴族たちに、母親が幼い子供を寝かせつけるような優しい口調で語りかけた。
「善良な人々へ、わたしは処刑されます。わたしが不正に女王の冠を戴いたと認めましたから、それ故に法がわたしを許しません。しかし、わたしの戴冠が多くの人の慾にまみれてなされた事をわたしたちは知っています。今、ここで、神と良きキリスト教徒であるあなた方の前に於いて、わたしは決して自身の慾の為に女王を名乗ったのではないと誓います」(*2)
それから彼女は目を閉じて死刑執行人に目隠しをされた。その時、
「神よ、わたしに憐れみを」(*3)
と小さく口走った。
私はここで目を閉じ耳を塞いだ。
もう何も見たくなかった。もう何も聞きたくなかった。
彼女を救えなかったのは、私がキリスト教徒として未熟だったからだ。私は神の試練に応える事が出来なかった。枢機卿などと言われようとも、何と情けない人間なのだろうか……
私は両手を組み締め、それを眉間に当てた時、心の奥から湧き出る後悔と共に涙が溢れ出た。歯を食い縛った。それでも涙は止まらない。見っともなく声を上げたかったが、少しばかりあった羞恥の心がその行為を引き止めた。その羞恥の中で間欠泉が沸き立つように、断続的に突き上がりながら本心が露わになっていく。それはもう隠しておくことは出来ないものだ。ジェーンの無垢な姿が脳裏に浮かび上がる。私は彼女を慕う心があった事を認めざる負えなかった。神に仕える聖職者として禁忌を犯していたと。
神は全てを見通されており、それ故に奪われたのだ。私の愛する人を。
私は神に祈った。
神よ、私の罪を御赦し下さい。
了
(*1)人類が罪を犯す前にいた場所
ジェーン・グレイの発言
(*2)原文
Good people, I am come hither to die, and by a law I am condemned to the same. The fact, indeed, against the Queen's highness was unlawful, and the consenting thereunto by me: but touching the procurement and desire thereof by me or on my behalf, I do wash my hands thereof in innocency, before God, and the face of you, good Christian people, this day.
(*3)原文
Have mercy upon me, O God
日本語訳は超訳レベルです。