90話「魔王と勇者」
「……君の名前を教えてほしい」
「ああ、私か?」
その日。幼き少年と少女は出会った。
「私はアル。火を操る魔術師だ」
「……魔術師。ということは、アルは貴族だったの?」
「はっはっは! 残念ながら、私の身分は平民なんだ。親に娘と認めてもらえなくてね」
その少女は、紅の髪を輝かせて爛々と、少年の手を取った。
「じゃあ、遊ぼう。名を交わしたからには、もう友達さ」
「え、あ。僕と、友達で良いの?」
「何を遠慮する事がある。この身一つで家を出たからな、知り合いが一人もいない。だから────」
少年は頬を染め。
少女は快活に笑う。
「私と、友になってくれ」
その日。
二人は、生涯の友となった。
俺の目の前で、全てが終わった。
イリューが、魔王ユリィが、人類の英雄アルデバランを食い殺してしまった。
どれだけ目を擦っても、頬をつねっても、目は覚めない。
これは、夢ではない。
勇者を失っては、人類が魔族に勝つ方法はない。
勇者の力抜きに、目前で息を吹き返し始めた魔族の群れに対処する手段はない。
「ごきゅ、こきゅ、はぁ。流石は勇者、良い魔力です」
「ア、アル……」
「……恨まないでくださいね。これも、戦争なんです」
イリューは妖艶な笑みを浮かべ、頬に勇者の返り血を滴らせた。
やがてポトリと、満足したようにアルデバランの生首を地面に落とし。
「私達の、魔族の勝利です」
そう宣言した。
二の句も告げない。
何も、言葉を発する事が出来ない。
「では皆さん。私達はこれから、勝利の祝宴を開こうと思うのです」
「イ、リュー」
「幸いにも、目の前にはたくさんのご馳走が転がっています。『逃げてください』と警告した上で残った方々なので、食われても本望でしょう」
「あ、あ、あ────」
勇者アルデバランが死んだ。カールは力を失った。
これで、人類の擁した勇者はすべて居なくなった。
「さて、素敵な宴を始めましょうか」
魔王が生き残り、勇者は死に。
絶望が、人類を包み込んだ。
「……負け戦ですか。やれやれ」
「おや、まだ戦意を失っていないのですね」
しかし、なお覇気を失っていない者も居て。
金髪は顔を青ざめさせながらも、剣を取りイリューへと突き付けた。
「ええ、これでも貴族でして。ここで私が奮戦し、皆さんの逃げる時間を稼ぐ、なんてのは如何です?」
「あら、素敵。私、そういうのは好きですよ?」
「ノブレスオブリージュ、なんて言いましてね。……生き残った仲間の為、せいぜい足掻かせていただきますよ」
……。
そうだ、俺も貴族だ。
あの男の言う通り、ただ呆けているわけにはいかない。
この場にいる人間を一人でも多く生き残らせるため、この身が朽ちるまで戦わねば。
「私、も、戦いますわ────」
「……ダメです! 姉様、落ち着いてください」
「イリーネ嬢、無茶をなさらないで。貴女はもう、動ける身体ではありません」
俺も立ち上がろうとして見たが、凄まじい倦怠感と眩暈に襲われ、その場に崩れ落ちた。
ぐ、魔力切れってこんなにキツイのか。
「ああ、イリーネは退け」
「カール……」
「俺も時間を稼ぐ。みんな、なるべく遠くに逃げろ」
そんな俺の前を塞ぐように。
カールや、レイ、レヴちゃんなど前衛職の皆が集まって剣をとった。
「後は任せた、イリーネ」
「そんな、ですが……」
「良いから行け!」
直後。俺は問答無用にマスターに背負われ、カール達と引き離された。
隣で一緒に逃げているのはサクラにイリア、回復など後衛組。
「じきに気絶してる魔族が目を覚ます! それまでに、少しでも遠くに────」
「くす、くす。どこまで逃げれますかね、人間の足で」
くそ。
俺はもう満足に走ることも出来ない。
多分、二度と魔法なんて使えない。
こんな状況で逃げ出したって、何になる!
「……さあ皆。そろそろ目を覚ましてください」
「来るぞ!」
「人類に、鬱憤を晴らしましょう。屈辱を注ぎましょう」
しかし、どんなに嘆いても俺は何も出来ない。
動けぬ体を運ばれて、遠くへ遠くへと逃げるのみ。
「誰一人、この場から逃がすな! 人類を駆逐してください!!」
「させねーよ!!」
────俺はこんなにも、無力だった。
間もなく、魔族たちは進撃を再開した。
窒息して重症な魔族もいた様子だが、半分以上はピンピンとして俺たちに襲いかかってきた。
俺の支援魔法も打ち切られてしまった今、人類はひたすらに蹂躙されるだけであった。
「ヴェルムンド伯爵が……討ち取られたそうです!」
「……父様!!」
一人でも多くの、民を逃がす。
その為に国軍は勇敢に立ち向かい、そして散っていった。
「……ここまでくれば、流石に安全でしょう」
「う、うん」
俺達は、そんな彼らの奮戦を尻目に何処までも逃げていた。
戦場を後に、延々と走り続けていた。
「……魔王の捨て身の特攻に、してやられましたね」
「まさか、腕から再生するなんて。……僕が少しでもアルの方を見ていれば」
「最後列のアルデバランさんの護衛役は、私でしたわ。私がしっかりしていれば……」
「イリーネは、詠唱してたでしょ。貴女の責任じゃないわ」
何が、魔王を救うだ。
何が、和平を諦めないだ。
それ以前の話だ────魔族は、人間なんかより圧倒的に強いんじゃないか。
「ふ、く、ぐ……」
涙が溢れでる。
悔しい。情けない。
ユウリ自身が当てにならないと宣言していた予知魔法を信じ、何の対策も取っていなかった自分が恥ずかしい。
何の根拠もなく、人類が勝つに決まっていると思い込んでいた自分が憎い────
「そうですね。油断しすぎましたね、人類」
「……っ!!」
声にならぬ慟哭を上げていると、聞き覚えのある声が聞こえてきて。
「逃がさない、と言ったでしょう? 勇者パーティーたる貴女達を放置するのは、禍根の種にしかなりません」
「い、イリュー!」
「……貴女を殺しに来ましたよ、イリーネさん。精霊術師を、放置するつもりは有りませんので」
……転移魔法。
いつのまにか、敵の親玉である修道女が俺達の目前に立っていたのであった。
「……姉様は殺させません! この、イリアが相手になりますよ!」
「あら、可愛らしい妹さん。大丈夫です、貴女もちゃんとあの世に送って差し上げますので」
イリューは、一人転移してきた様子だった。
俺達程度、護衛も要らないという事なのだろうか。それとも、転移は一人しかできないという制限でもあるのか。
「……おや。やっぱりイリーネさん、相当無茶をしたみたいですね。もう、魔力無いじゃないですか」
「そうですわね。少し、無茶が過ぎた様ですわ」
「これは、放置しても2度と魔法を使えなさそうです。わざわざ殺しに来ることは無かったかもしれません」
「そう思うなら、見逃していただきたいものですわ」
「……それは出来ませんよ。これも、戦争ですので」
ああ、濃密な死の気配。
魔王イリューが俺に手を向けた瞬間に、全身の身の毛がよだった。
これは……本当に、殺されるな。
「何か遺言は有りますか、イリーネさん」
「……和解は、もう無理なんですのね」
「ええ。人類と魔族の遺恨は深すぎるのです」
イリューの目が、暗く潤う。
かつて共に旅をして笑い合った仲間が……、俺に明確な殺意を向けている。
それは、ひどく非現実的で。
「さようなら、イリーネさん」
俺を庇い前に立っている妹ごと、魔王は吹き飛ばすつもりで魔法を唱え────
「ねぇ、イリュー」
「何ですかサクラさん。邪魔しないでください」
「……貴女、泣いてるじゃない」
その親友の言葉に、俺は顔を上げた。
見上げれば、俺を殺そうとしているイリューは大粒の涙を溢していた。
「悲願だったんでしょ、魔族の勝利。喜びなさいよ」
「……うるさいですね」
「本当にバカね、貴女。結局、どっちに転んでも幸せになんかなれないんじゃない」
ポロポロと、イリューは俺を殺すべく泣いていた。
優しい優しいその修道女は、元仲間である俺を殺そうとして泣いていた。
「魔族が勝っても、人類が勝っても、貴女はそうやって悲しむのでしょ?」
「……違う。私はただ、魔族の勝利だけを願って」
「それで、仲良くなった人を殺して傷付いちゃう。……やはり貴女、魔王の器じゃないわ」
そのサクラの言葉に、魔王は唾を飲んだ。
イリューは、何か野望があって魔王を名乗った訳じゃない。
魔族達に慕われて、魔王の座についただけの『責任感』だけに動かされてきた存在。
「結局、どうやっても貴女は幸せになれないのよ」
「何を、何を偉そうに! 戦争に負けて、殺されようとしている癖に!」
「そうね、負けは認めるわ。でも、どうせ負けるなら勝者には笑っていてほしいじゃない」
サクラは、魔王イリューに殺気を叩きつけられてなお、毅然とした態度を崩さなかった。
「勝った貴女が苦しんで泣いてるなんて、これ以上ない敗者への侮辱ではないかしらぁ?」
「……っ」
それは、自棄になったのか。
それとも、心の底から怒っているのか。
サクラは、イリューを正面から見据えてそう言い放った。
「……もう良いです。やっぱり、貴女から殺します」
「どうぞ。ただし、大人しく殺されるつもりなんて無いんだから」
サクラの言葉に、かなりカチンときたらしい。
イリューは目を吊り上げて、サクラに向かい手を掲げた。
「駄目です、サクラさ……」
「やめろ、お嬢!」
「一足先に行ってるわ。じゃあね、イリーネ」
やめろ。殺さないでくれ。
その人は、俺にとって大事な親友で。
「やめて、やめてぇっ!」
「……滅せよ魂魄」
イリューの詠唱に逆らうようにサクラは杖を振り上げ殴りかかるが、それでも間に合う筈なんか無く。
「その魂を、浄化せよ────」
その魔法は、サクラを庇ったマスターごと、二人の体躯を引き裂いた。
「……」
どこで、俺は間違えたのだろう。
目の前に、大事な人の死体が転がっている。
どうしてこんな事になったのだろう。
目の前でイリューが、目を腫らして泣いている。
「次は、貴女です……っ」
そして、魔王は。
ゆっくりと俺に向けて、その手を開いて。
「────を刻む者の、道標よ」
俺自身も死を覚悟した、その瞬間。
聞いたことのない詠唱が、背から聞こえてきた。
「ふん、回復魔法のつもりですか? どんな魔法でも、死者を甦らせることは出来ませんよ」
「─────過ぎ行く季節、黄昏の永眠、流れを受けてなお進め」
「……キチョウ、さん?」
それはアルデバランパーティーの、回復役の男の子だ。
彼は何かを決した顔になり、ゆっくりと詠唱を続けていた。
「ねぇ、魔王イリューとやら。最期にひとつ、聞いてもよろしいですか」
「……何です、人類」
「私達は……勇者パーティーは、強かったですか?」
その詠唱にあっけを取られていると、妹が突然イリューに語りかけた。
「何ですか、その質問」
「ふ、もう少しで魔族全滅って所まで魔族を追い詰めましたからね。結構、強かったんじゃないですか私達」
「……随分と自惚れてますね」
何のつもりなのか。
イリアは何かを企んでいる顔で、イリューに会話を促す。
「ごめんなさい、貴女達は弱かったと思います。はっきり言いましょう、魔王が私みたいなヘッポコじゃなければ瞬殺だった」
「それは、負け惜しみではなく?」
「は? 負けてませんが? そうですね、魔法による窒息には足元を救われかけましたが……それだけです」
イリューはそう言うと、少し考え込んだ。
弱い。魔王は俺達を、はっきりそう評した。
それは、とても……とても悔しい言葉だった。
「勇者アルデバランは、はっきり言って弱かった。火魔法には欠点が多く、対策もとりやすい。その一芸しか持っていない時点で、勇者としては過去最低の実力でしょう」
「……なっ」
「パーティーのメンバーも、かなり残念です。単独で支援を受けたゴブリンにすら勝てない戦士────私達の時代ならせいぜい一兵卒程度の腕の方が、平気で勇者の護衛として抜擢されている始末」
それは、最も激しい戦争の時代を経験した彼女が言うと説得力があった。
きっと、彼女の時代に魔王と戦った者は、もっともっと強かったのだ。
「唯一まともな戦力と言える精霊術師さんも、圧倒的に魔力が少ない。この時代だから仕方ないとはいえ、私達の時代の魔術師の平均未満ですよ」
「……世界最高峰の魔術師と、これでも称されたのですが」
「あらま。ちょっと幽閉されている間に、随分と魔術は衰退したみたいですね。嘆かわしい」
そこまで言うと、イリューは小さく肩を竦めた。
……魔力が少ない、なんて人生で初めて言われたな。みんな、俺のことを天才だ天才だと持て囃してくれたから。
「なかなか厳しいご意見の様で。私達、結構イケてるつもりだったんですがね」
「何処からそんな自信が……。私みたいに、宣戦布告して攻撃する日時まで指定する魔王に負けておいて」
「そんなことしなきゃ良かったじゃないですか」
「しないと、逃げたい人が逃げられないでしょう」
そうか。やはりイリューは、戦略や策謀ではなく本気で避難勧告したかっただけか、アレ。
「────因みに。まだ私達は負けてませんよ、って言ったら怒ります?」
「……いえ、呆れます」
そこまでイリアが言い終えると。
「……?」
地面から沸き上がった優しく暖かな光が、俺達を包み込んだ。
「……さっきの、男の子の詠唱ですか。これが何だって言うんです」
「何だと思います?」
「私を封印するつもりですか? 今さら私を封じたところで、何も状況は変わりませんし」
イリューはとっさに、その光から飛び退いた。
身の危険を予感し、距離をとったらしい。
「そう簡単に封じられるつもりも有りませんので」
「……まさか、そんな無粋な真似はしませんよ」
……やがて、その光は。
眩い独特の光の波をなし、俺達全員を閉じ込めるように固まった。
「何です、それ。私も、こんな魔法見たこと無いです」
「……アルは、弱くない」
「これは、かなり特異な属性? むむ、新たに発見された魔法形態でしょうか」
「お前に何が分かる。アルは、勇者アルデバランは弱くなんかない!!」
詠唱を終えて。
今まで黙って話を聞いていた男の子が、憤怒して魔王に怒鳴った。
「……え。これ、は」
「アルは、アルデバランは────っ!!!」
そして、イリューは気付く。
ノーマークだったその男の子の詠唱した、魔法の特異性に。
「これは、まさか────」
それは、二人の幼き日の話。
「……どうか、私の話を聞いてください」
「……え」
家出した貴族の少女は、少年と仲良くなった。
牧歌的な田舎町で、二人は姉弟のように親密に遊び回った。
やがて二人が成長し、一人立ちする年齢になった頃。
「貴方に、勇者となって貰いたい」
女神を名乗る存在が、二人の前に現れた。
「間もなく、人類にとって乗り越えがたい苦難がやってきます」
「……それは、本当か!?」
「本当ですとも。このまま手をこまねいていれば、地上は魔族の支配する事になるでしょう」
その女神は、マクロと名乗り。
これから魔王が復活し、その魔王により人類は滅ぼされる可能性を語った。
「どうか、力を貸してください。貴方なら、きっと世界を救える」
「で、でも」
「大丈夫。私も、貴方を導きましょう」
そして、女神は二人の説得に成功し。
「では、手を出してください」
少年に、自身の加護と勇者の力を授けた。
「スゴいなキチョウ! まさか、お前が勇者に選ばれるとは!」
「ぼ、僕なんかが無理だよ! やっぱり今からでも、断って別の人に」
「アホを抜かせ! 女神様が吟味に吟味を重ねて、お前に行き着いたのだぞ」
貴族の少女アルは、幼馴染みが勇者に選ばれた事に歓喜して。
その背中を支えようと、共に旅に出ることを宣言した。
「キチョウ、お前の能力は凄まじい。だが、お前そのものは大した戦力にならん」
「うぐぅ」
「だからこそ女神様は、私と一緒に居る時に姿を見せたのだろう。私が、お前を守れるようにな」
そう。
「安心せよ。勇者の影武者は、私がやる」
「……そんな、危険な!」
「まあまあ、私も勇者とか名乗ってみたいのだ」
だから、彼女は勇者を名乗った。
「私は今日から、名前を変えよう」
「え、どうして?」
「なに、勇者たるものカッコ良い名前を持っていないとな。それだけである」
その女の子は、少しばかり派手好きで。
「アルデバラン。今日から私は、勇者アルデバランだ」
「……あ、何か格好良い。それに、その名前なら今まで通りアルって呼べるもんね」
「ああ。これからは、私を勇者と思って接しろよキチョウ」
世界の危機を知り、自ら危険な立場になることも恐れない勇敢さと、火魔法の才能を持っていただけの、
「今日から私は、お前の後に続く者だ」
────何処にでも居る、普通の女の子だった。
「妙だと思ったんです! あの娘は勇者にしては弱かった、いや弱すぎた!」
「アルは弱くなんかない! アルは何の加護も受けていないのに、お前達を全滅させかけたんだ!」
「ではやはり、勇者は……」
イリューも、その致命的な事実に気付いた。
勇者はまだ死んでいない。人類と魔族の戦争に、決着は付いていない。
その、事実に。
「お前達の戦略は見たぞ、魔王」
「ぐ、この! 滅せよ魂魄────」
「もう、遅い。今さら何をしても、詠唱は終わっている」
アルデバランは、勇者では無かった。
彼女は幼馴染みに代わり、勇者としての危険も重責も全てを背負っていただけの、ただの少女だったのだ。
いつだったか、女神セファはこう言った。
勇者とは、チートでずるっこ。普通に考えて負ける筈のない力を渡された者であると。
それは、カールの絶対切断のように。
それは、ユリィの最強の支援魔法のように。
たった一人で、戦況を覆してしまえるだけの圧倒的な「能力」。
「────また、会おう。魔王」
「……この、人類、人類ぃぃぃっ!!!」
勇者キチョウが、女神から授けられたその能力とは、
「時の跳躍」
1度だけ、時を巻き戻せる魔法であった。




